つるおかよしゆきの
「事実と真実をみつめるページ」


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目次

日本人にとって「愛国心」とはなにか? 1998年9月8日

「南京事件」 2000年1月10日更新<New>

小林よしのりさんの「戦争論」を批判する 2000年1月9日(一部修正)<New>
*昨年(1999年)勢いに任せて書いたところがあるので、今回多少加筆修正しました。(検証の結果、自分の主張にあまり大きな変化がないことに気が付きました)

「新ゴーマニズム宣言」へのコメント  2000年1月9日(一部修正)<New>
*昨年(1999年)勢いに任せて書いたところがあるので、今回多少加筆修正しました。(検証の結果、自分の主張にあまり大きな変化がないことに気が付きました)

「いろいろおもうこと」 2000年1月16日更新<New>


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事実と真実をみつめる掲示板 (ただいま、閉鎖中)

*下記の「事実と真実をみつめる掲示板(過去の投稿集)」をお読みください。


事実と真実をみつめる掲示板(過去の投稿集)

(11) 1999/02/22-1999/03/06New
(9) 1999/02/01-1999/02/13New
(10) 1999/02/13-1999/02/22New
(7) 1999/01/17-1999/01/23New
(8) 1999/01/23-1999/02/01New
(5) 1998/12/05-1998/12/15
(6) 1998/12/15-1998/12/29
(4) 1998/11/23-1998/12/05
(3) 1998/11/15-1998/11/23
(2) 1998/10/24-1998/11/15
(1) 1998/09/05-1998/10/02


イントロダクション

我々が住む日本という国は住みやすい国なのだろうか。

明治維新で封建制の徳川幕府を倒したとはいえ、明治政府の形態はフランス革命で登場した自由、平等、博愛の思想と民主主義を基本とした体制とは違う天皇を頂点とした国家であった。

やはり、封建制の国家体制のあといきなり民主主義の国家体制の国になるのは難しかったのかもしれません。この国家体制が第2次世界大戦での敗戦まで続くことになります。

ところが、自由、平等、博愛の思想と民主主義を基本とした体制のはずの欧米の国々のやっていることは、アジア・アフリカ地域を植民地にして自国の中は自由、平等、博愛の思想と民主主義でも、外では公然と搾取と収奪を行っていたわけです。

日本が明治維新後直面する世界は欧米列強の植民地主義が蔓延る弱肉強食の世界でした。

そのなかで日本という国が明治、大正、昭和初期の時代、つまり明治維新後第2次世界大戦での敗戦となった昭和20年までの約80年間やったことは、同じアジア地域の人々と手を携えて共に生きることではなく、最終的には大東亜新秩序または大東亜共栄圏の名の下にアジアの人々と共存共栄するといいながら、実際には欧米列強にかわりアジアの地域を植民地として日本が支配することでした。

まず、日本がアジアを植民地化する端緒は朝鮮併合でした。強国のロシア帝国を恐れるあまりその防衛線を日本国内ではなく朝鮮半島にもとめました。「日本を守るためには朝鮮がロシアの手に落ちてからでは遅い」との理屈で朝鮮の国力が弱っていることをいいことに、日露戦争の勝利から5年後の1910年に朝鮮を併合してしまったのです。

朝鮮を併合後日本のとった朝鮮に対する政策は日本式氏名の押し付け、公用語としての日本語の強制と日本の国教である国家神道の導入でした。これらの政策は朝鮮の人々には屈辱的な政策でした。

また、朝鮮を植民地化する過程のなかで、日清戦争の直後の1895年には李氏朝鮮の皇后、閔妃を日本に都合のいい行動をしないという理由で惨殺するという愚挙まで犯してしまいます。

首相であった伊藤博文はハルピンで朝鮮人によって暗殺されます。その暗殺者が朝鮮では英雄と考えられているのには私自身かなりの違和感をおぼえますが、自国の皇后まで殺されているという朝鮮の人々の立場にたてば無理のないことなのかもしれません。

そういえば、朝鮮併合時代の朝鮮について、学校教育でどんな扱いを日本が朝鮮にしたかおしえてもらった記憶はありません。学校教育で日本の過去の汚点を含めてきちんと歴史をおしえないというのは考えてみればおかしい話ですね。

さて、日本がアジア全体の侵略者として本格的な動きを示すのは、日露戦争後中国東北部、いわゆる満州の権益を握ってからでしょう。特に満州国という傀儡国家を建設してからの日本は坂道を転がるように正気を失った侵略国家として後戻りのできない世界に足を踏み込んでゆきます。

どこで間違ってしまったのだろう。誰もとめることはできなかったのか、というおもいがします。明治憲法の性格上、政府、陸軍、海軍がそれぞれ別個に力をもち政府による陸軍・海軍のコントロールがきかないという事情があった、と「大東亜戦争の実相」という著書で瀬島龍三氏は述懐されていますが、それなら何故政府によるコントロールができるよう体制をかえなかったのかという疑問が私には浮かんできます。いずれにしろ、当時、正気を失った侵略国家を主権者として唯一元に戻せる立場にいた方の責任は非常に重いと考えます。

1945年8月15日、アメリカ合衆国によって長崎と広島に原爆を投下されたあと日本は連合国側に無条件降伏します。それにしても、8月15日が「終戦記念日」なんて欺瞞ですよね。何故「敗戦日」にしないのでしょうか。

戦後日本は象徴天皇制のもと議会制民主主義で再出発します。

私は1956年の生まれですから敗戦直後の混乱は知りませんが日本がだんだん物質的には豊かになってゆくのは経験しています。氷冷蔵庫から電気冷蔵庫へ、テレビ放送の開始と白黒テレビからカラーテレビへの移行、トイレの汲み取り式から水洗式への移行などです。また、回りから消えていったものもあります。火鉢、掘り御龍、練炭式ストーブ、学校のコークスのストーブ、学校の脱脂粉乳などです。

60年代安保はまだ小さいのでよくおぼえていません。70年代安保や学生運動は小学校高学年から中学生でしたので多少おぼえています。学生運動は安田講堂事件以後大きく変質してしまったなという印象をもっています。いずれにしろ、安田講堂事件を境に学生運動が大衆運動として下火になり、セクト化し「浅間山荘事件」など内ゲバ事件が多発しはじめた時点で、学生運動は大衆から大きく離れてしまい政府側の勝利だったのでしょうね。

これ以降、政治の季節が終わったかのように私たち国民の政治への熱が薄れていったように感じています。昨今の選挙戦での投票率の低下にもあらわれているように政治への参加意識が非常に薄いようにおもえて残念です。

好況時にベンチャー企業への投資など明日につながる堅実な経済運営をせず、バブル経済という投機的な経済に日本が一色に染まったとき、いつか日本は危ないぞとおもっていたのですが、ここ数年の金融事情をみるとその懸念があたってしまったようです。

政権政党である自由民主党は国民の参加意識が薄いことをいいことに好き勝手なことをおこない、主権者である国民の利益より自分たちの個人的な利益を優先しています。

今こそ私たちは政治への参加意識に目覚め、新たな政治の季節を作らなければならないとおもっています。そのためにはまず選挙に行き自分たちの意志を表明しなければなりません。


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