日本人の法意識について
〜21世紀の日本法は如何にあるべきか〜

中島 健

■第1章 はじめに

 法学における古典的な法諺に、「社会あるところ、法ありUbi societas ibi ius)」がある。否、「社会の存在」と「法の存在」とは表裏一体の関係であり、同じ事実を別の角度から述べたに過ぎないとさえいい得るであろう。ところで、この法諺に従えば、「日本社会あるところ、日本法あり」ということになるが、我が国の法典の多くは100年以上前に西欧諸国、特に米・独・仏の三ヶ国から継受したものばかりであり、如何なる法文・現象を以って「日本社会にあるところの日本法」とするかは、必ずしも明かではない。また、社会が複雑化・細分化するに連れて法学も又細分化・専門化した結果、そうした「現代日本法のアイデンティティ」が(実際上も、また法学教育上も)見え難くなっていることは否めない。
 しかし、司法制度改革の必要性が質量両面から叫ばれている中で、明治維新以来130年が経過した我が国近代法体制を論じるにあたっては、まずは「日本社会にあるところの日本法」、そしてそれに対する「日本人の法意識」のあり方について明かにすることが、必要不可欠である。
 そこで本小論では、第2章で「日本人の法意識」に関する通説的見解を概観し、第3章でそれを踏まえたこれまでの「日本人の法意識」論をまとめることで、21世紀の我が国社会における「法」について考察することを試みる。

■第2章 「法意識」を巡って

 本章では、「日本人の法意識」を論ずるにあたり、まず第1節において近代法学の言うところの「法的思考(legal mind)」(※注1)の内容について言及し、議論の前提を明らかにする。続いて第2節において、第1節で明らかになった西欧近代法意識と対比させる形で、所謂「日本人固有の法意識」とされているものについて解説する。

第1節 近代「法的思考」の特質
 「法的思考」は通例、
(1)過去に発生したある事実上の個別的な紛争dispute)を、(2)法的権利義務関係(法的紛争)に還元・再構成し、(3)実定法規範を大前提、事実関係を小前提としてこれを適用する法的三段論法を行い正当化・解決する手段、と定式化されている(※注2)

▲1、過去に発生した事実上の個別的紛争
 そもそも、司法裁判は、過去に起きた事実上の個別的な紛争
dispute)を扱う。これは、裁判所というものが、本質的に一つの事後的紛争処理手続だからであり、対立点が明確でない単なる問題difference)の場合は、提訴できない(※注3)(※注4)。その点で、「法的思考」は、「歴史的思考(Historia)」と類似するものがある(※注5)
 よって、例えば「公害をどう法的に規制するか」といった将来に向けた抽象的な問題は、民主的な基盤を持つ国会が担当すべき立法政策上の問題であり、「法的思考」により処理できる性質のものではない。裁判官の職務は「法の発見」「法を語ること」であり、民意の集約や「法を創る」ことではないからである(※注6)

▲2、法的権利義務関係への再構成
 次に、裁判所が扱うのは、当事者間に発生した紛争そのものではなくて、その法的側面(紛争を法的権利義務として理解出来る部分)だけである。これは、そうしてその事実上の紛争を法的紛争に組みかえることによって、紛争当事者・争点・結果(勝負の黒白)を限定し、紛争解決をやりやすくする必要があるからである(※注7)(※注8)
 よって、そうした法的紛争へ還元出来ない紛争(政治的・社会的・宗教的側面が大きい紛争)は、これを「法的思考」で処理することはできない(※注9)

▲3、法的三段論法による正当化
 しかも、この時裁判所が問題を判断する際には、あくまで実定法(施行されている法律)の規定を大前提たる正当化根拠とし、それに紛争で生じた事実(小前提)を当てはめて判断を下す(法的三段論法(※注10)(※注11)
 よって、ある紛争の処理に法的三段論法(判断代置方式)を用いることが出来ないものについては、裁判所の判断は及ばない。還元すれば、法律上の要件が明確でなく、司法や行政に自由裁量権があるが故に、実定法によってその裁量行為の違法・合法の判断を正当化し得ないものは、原則として「リーガルマインド」では解決することが出来ないのである(※注12)

※注記
1:
「法的思考(
legal mind)」については、これまでも様々な定義が試みられている。また、その響きのよさから、本来の意味ではない使われ方をされている場合がある。また、これを「紛争処理方法に関する意識」(法化意識)と「法そのものに関する意識」(法的思考意識)に分けて考えることも出来る。
2:田中成明 『法理学講義』 有斐閣、1994年 307ページ〜、315ページ〜、339ページ。
 本間康平・田野崎昭夫・光吉利之・塩原勉編 『社会学概論』新版 有斐閣大学双書、1988年 414ページ。
 六本佳平 『法社会学』 有斐閣、1986年 349ページ・350〜351ページ。、
 市川正人・酒巻 匡・山本和彦 『現代の裁判』 有斐閣アルマ、1998年 11〜12ページ。
 但し、既に冒頭の定義でも明らかなように、裁判は必ずしも法律問題だけを扱うのではなくて、事実認定という形で事実上の問題にも踏み込んで判断を下す(その際、事実関係が法的判断に斟酌される)。また、判決が執行されると、それは単に観念的な権利義務関係の変動だけでなく、それが強制執行されることによって「事実の世界」にも影響を及ぼすのであり、その意味で裁判所の営みは事実問題をまったく捨象しているのではない。しかしながら、事実認定はあくまで法的権利義務関係を確定する前提として行われるものであり、それに関係しない事実には裁判所が「目をつぶる」ことがある。
3:例えば、ある人が最近の女子高生の援助交際を問題視していたとしても、それは「問題」であっても「紛争」ではなく、また一般的な問題であっても個別的な問題ではない。だから、その人が裁判所に出訴して、「女子高生の援助構成が我が国の純風美俗を損ねることの確認判決」を求めたとしても、裁判所は門前払いをするだけである。また、ある法学部の学生が、通説とされるA学説と異端学説とされるB学説のどちらの立場に立つべきかを巡って頭を悩ませ、裁判所に「A学説とB学説のどちらが正しいかを判示」するよう求めたとしても、裁判所は同じく門前払いをするであろう。その「紛争」は、抽象的なものであって事実上の紛争ではないからである。
4:アリストテレスは、その著書『弁論術』の中で、議会弁論、演説弁論、法廷弁論を区別して次のような分類を行った。

種 類 時間 形式 目 的 対 象
議会弁論
(審議的弁論)
未来  勧奨 

制止
利益・損害  判定者 
演説弁論
(演示的弁論)
現在 称賛

非難
美・醜
名誉・不名誉
一般人
法廷弁論 過去 告訴

弁護
正・不正 判定者

(:アリストテレス 『弁論術』 岩波文庫、1992年)
5:元来、「
Historia」とは医者に症状を告げ原因を探究する営みを指したが、法学も又、法律家に事件を告げ解決を探究する営みである。
6:裁判官は、(国会議員と異なり)選挙で選出されたわけではない以上民主的基盤が弱いが、そうした民主的基盤をほとんど持たない者が国会と同様の立法行為(規範の定立)を行うことは、「司法立法」として許されない。
 もっとも、法的三段論法をする際に、裁判官は「法解釈」と称して一種の「法創造」を行っているのであり、かならずしも裁判官が一切の法創造を禁じられているわけではない。実際、法律の世界にとって裁判官の法解釈、即ち「判例」の意義は大きいし、また裁判官は、その紛争について処理する実定法が存在しないとき(これを「法の欠缺」という)も、「条理(
naturalis ratio)」「法の一般原則」あるいは「衡平と善」を考慮して判決を下さなければならない。
(:小島武司編 『裁判キーワード』新版補訂版 有斐閣、2000年 18〜19ページ。
  市川他前掲書、12〜14ページ。)
7:六本佳平 『法社会学』 有斐閣、1986年 366〜367ページ。
8:例えば、ある愛猫家Aと愛犬家Bが、「犬と猫のどちらがかわいいか」を巡って口論になり、「犬がかわいい」と言張ったBに腹を立てたAがBを殴りつけ、殴られたBは打ち所が悪くて骨折してしまったとする。この時、もしAとBが近所の人に「喧嘩の仲裁」を頼んだとき、仲裁人Cはまず、その紛争の根本的原因に立ち戻って両者の善悪を判断するであろう。この例でいえば、果たしてBの主張した「犬のほうが猫よりかわいい」という命題が妥当か否か、である。もし、その命題が全く以って妥当でなく、愛猫家Aを傷つけるようなものであったとしたら、そうした暴言を吐いたBに対してAが腹を立てたことも「やむを得ないもの」とされ、Aは「御咎め無し」となるかもしれない。しかし、裁判所は、このAB間の紛争の法的側面しか審理しない。この事例で言えば、裁判所は、両者の問題をAのBに対する不法行為による、Bの損害賠償請求権の問題として扱い、専らAがBを殴りBに損害を与えたかどうかについて判断をすることになる。そして、「猫がかわいいか犬がかわいいか」といった問題については、裁判所は何も言わないし、言うべきでは無いのである。
9:例えば、ある宗教団体において、その宗教の教義上どの本尊が正当か、といった紛争には、裁判所は関与できない。これについて我が国最高裁判所は当初、「宗教上の教義を巡る紛争が含まれていても法的側面については判断する」という態度を示していたが(種徳寺事件、最判昭和55年1月11日。本門寺事件、最判昭和55年4月10日)、その後、そうした紛争はそもそも裁判所の審査の対象外であると判断するようになった(創価学会板まんだら事件、最判昭和56年4月7日)。また、
憲法第9条日米安保条約自衛隊法の関係について、最高裁判所がいわゆる「統治行為論」を展開し、日米安保条約の合憲性について、「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にある」(砂川事件)としたのは、この紛争があまりにも大きな政治的側面を持っており、司法的には処理し難いと判断したからに他ならない。
(:小島前掲書、6〜7ページ。)
10:『法理学講義』、307ページ。
 もっとも、こうした「法的三段論法」は、その正当化理由を実定法規範に依存するため、柔軟性に乏しく、個別的正義を抑圧する危険性もある。
11:例えば、上記設例で言えば、素人の仲裁人Cは、「でも私はやはり猫が好きで、Aの気持ちはよくわかる」等と言って、法律以外のことを根拠にして判断を下すかもしれない。そして、「喧嘩の仲裁」の類では、このようなことを正当化の根拠に据えることも許される。しかし、「法的思考」による紛争処理を使命とする裁判官は、自己の趣味や感情によって判決を書くことは許されず(それが許されるのであれば、我々は何も裁判所という国家機関を持つ必要が無くなるであろう)、あくまで法令(憲法、条約、法律、政令、条例等)に書いてあることを根拠にしなければならないのである。
12:この問題は、特に行政法学の分野において、「行政裁量論」として議論されている。例えば、原子力発電所の立地条件については、原則として法律上規制があるわけではないから、行政が適切な場所を選んで自由に設置(を許可)出来る。この時、例え周辺住民が「原発は嫌だ」といって裁判所に提訴しても、そもそもその立地について規制する大前提(実定法)が無ければ法的三段論法を行うことができず、違法・合法の判断が出来ない。
 もっとも、その際行政に裁量権の濫用があったり、都市計画法や環境影響評価法に抵触する部分があった場合には、当然、その限度で違法・合法の判断を下すことは出来る。また、最近の裁判所は、こうした裁量行為についても、「適正な手続が踏まれたかどうか(例えば、伊方原発訴訟のように、原子力発電所の設置許可を巡る国の原子力委員会の審査に瑕疵が無かったか)」という観点から判断を下すようになっている(法律上、「適正な手続を踏むべきだ」ということになっていれば、それを手掛かりにして法的三段論法を用いることが出来る為)。
(:塩野 宏 『行政法T』 有斐閣、1995年)

第2節 日本人の伝統的法意識

▲1、「隣人訴訟」
 しかしながら、これまで我が国においては、一般にこうした近代的な「法的思考」による紛争処理は好まれず、交渉による互譲や調停といった、所謂「代替的紛争処理手段(ADR,
Alternative Dispute Resolution)」がより多く活用されていると言われている(※注1)。実際、我が国では、諸外国と比較して民事訴訟の件数が比較的少なく、法的手続としては時間と費用のかかる訴訟を敬遠して民事調停を好むという傾向がある。これは、一般に「日本人の裁判嫌いの神話」と呼ばれている(※注2)
 こうした日本人の法意識をよく表わしているのが、1978年8月の
三重県「隣人訴訟」事件である(津地判昭和58年2月25日判例時報1083号125頁)(※注3)。この事件は、近所の子供が自宅に遊びにきたところ、誤って隣接する溜池に転落・溺死してしまい、溺死した子供の親が隣人と国・三重県(公物である溜池の管理者)に対して損害賠償を請求したもので、一審の津地方裁判所は「遊びに来られた側の親(隣人)に注意義務がある」として500万円あまりの損害賠償を認めた。しかし、これに対して新聞等の報道機関が「隣人の好意に辛い裁き」等と書き立てた為、この事件を訴訟で処理しようとした原告に嫌がらせや脅迫まがいの非難が集中し、結果訴訟を取下げざるを得なくなってしまったのである(※注4)

▲日本人にとって裁判所は近寄り難い場所である
(写真は東京地裁・東京高裁庁舎)

▲2、「法」の位置付け
 日本人が斯くの如き法意識を持つに至った背景にはいつかの原因が考えられるが、まず最初に指摘されるのは、西欧と我が国との「法」の位置付けの違い、である。
 比較法学者ルネ・ダヴィドによれば、欧米においては、出来るだけ完全に法に服することが望まれ(法治国原理、法の支配)、「法」は「正義」のシンボルとされ(※注5)、人々は「法の優越」を確保すべく戦うべきであると観念されている。その為統治原則としては「法の支配」が強調され、法律家に対する信頼も厚いという。これに対して極東においては、「法」は蛮民統治のための弥縫的手段であり、誠実な市民は、法律・裁判所とは無関係であるべきであり、伝来の道義に従うべきであるとされるという(※注6)
 実際、我が国の「法」の歴史的変遷を回顧すれば、我が国における「法」は、社会秩序を維持する道具として、行政法や刑罰法を中心に形成され、公家・武士・裁判官といった支配層を名宛人としており、私人間の権利義務関係を規律する私法はほとんどが慣習法として形成されてきた(※注7)。前近代法の集大成である江戸幕府法においても、刑事事件における判例集『公事方御定書』は裁判官を名宛人としたものに過ぎず(※注8)、法の公布は「高札」により部分的にしか行われず(※注9)、民事紛争を処理する「出入筋」は一般に「裁許」(判決)よりも「内済」(和解)を強く勧め、私的紛争への介入は為政者の恩恵的行為であるという態度をとり、これが権利意識の醸成を妨げる結果となったという(※注10)

▲3、日本人の紛争観
 次に、前述した「法」の位置付けに関連して、原因の2つ目と目されるのが、「日本人の紛争観」である。
 前項で引用したダヴィドの研究によれば、東洋法においては、当事者間の「紛争」は調和を乱す「故障」であって、「解決」ではなく調停手続で「解消」されるべきものとされ、「調和の回復」こそが重要であると考えられているという。そして、ダヴィドはその原因を、「儒教」に求める。ダヴィドによれば、孔子は、森羅万象が調和的宇宙の有機体的部分をなしており、模範的人間はその階級的身分に応じて「礼」の規範に従ってふるまい、自己の利益を中庸と謙譲の態度で抑制し、積極的に調和を維持すべきだと教えている、という。即ち、紛争という不調和を一層拡大する裁判よりは、謙譲精神で縮小するほうがよいとされるのである(※注11)
 また、法理学者の田中成明は、西欧と我が国の法意識を、社会学の「紛争モデル
conflict model)」と「秩序モデルorder model)」を使って分類し、近代西洋法は対立や紛争を当然の社会現象と見てそのオープンな解決を志向する前者に、伝統的日本法は社会秩序や合意を重視し紛争を異常な病理現象と見る後者に該当する、と説明している。そして、私人間の紛争は、インフォーマルな場において、共同体共通の利益を優先させつつ、「義理」「人情」といった基準により処理されてきた、と指摘している(※注12)(※注13)

※注記
1:
市川他前掲書、228ページ。
2:市川他前掲書、228ページ。小島前掲書、10ページ。
3:市川他前掲書、228ページ。小島前掲書、31〜32ページ。
4:こうした事態に対し法務省は、「裁判を受ける権利の侵害」の疑いがあるとして異例の見解表明を行ったという。
5:フランス語で「法」は「客観的権利(droit objectif)」と表現され、「権利」とは「主観的権利(droit subjectif)」と表現される。そしてまた、「権利」とはフランス語で「正義」と同義である。即ち、「法」とは「客観的正義」であり、「権利」とは「主観的正義」である。
6:大木雅夫 『日本人の法観念―西洋法観念との比較』 東京大学出版会、1983年 10〜11ページ
7:田中成明 『転換期の日本法』 岩波書店、2000年 104ページ。
 それ故、明治初年の法典編纂事業においては、従来から同種の法典が多数存在した刑法典が比較的スムーズに近代化されたのに対して、慣習法にほぼ全面的に依存していた民法典・商法典については紛糾し、「法典論争」を経てようやく制定される運びとなった。また、江戸時代の私法上の権利と近代法上の所有権の関係について、「三田用水事件」や「道頓堀裁判」でも争われることとなった。
8:明治維新後、中国の律令を手本として制定された「新律綱領」「改訂律例」は、いずれもこの性格を引きずり、裁判規範性が強かったと言われている。
9:明治維新後発生した「大学南校雇イギリス人リング・ダラス傷害事件」における当時の英公使パークスの指摘をきっかけに、我が国でも「法の公知」がなされるようになった。
10:『転換期の日本法』、106〜107ページ。
 牧 英正、藤原明久編 『日本法制史』 青林書院、1993年 243〜244ページ。
 当時(江戸時代)は、民事訴訟といえども原告の扱いは刑事被告人なみで、法律事務を取り扱う者の社会的地位も、現代と比較して著しく低かったという。また、こうした「調停制度による権利意識の抑制」という傾向は、近代戦前期における我が国の各種調停制度の整備にも見られたという。
11:大木前掲書、13ページ。
12:『転換期の日本法』、102〜103ページ。
13:『調停読本』(昭和29年発刊)中に収録された「調停いろはかるた」には、「論よりは義理と人情の話し合い」「権利義務など四角にもの言わず」「なまなかの法律論はぬきにして」「白黒決めぬところに味がある」といったことが書いてあるという。
(:川島武宜 『日本人の法意識』 岩波新書、1967年 182〜183ページ。)

■第3章 「法意識」論を巡る展開

 本章では、第2章で概観した東西法意識の区分を前提とし、近代化後の我が国における「法」のあり方を巡って、これまでに主張されてきた代表的な見解をまとめる。

第1節 川島武宜の「タイムラグ・モデル」
 明治維新以降、我が国の国家目標は総じて「近代化」であり、多くの分野について「御雇い外国人」が招聘され、殖産鉱業政策が推進された。その中で、19世紀から戦前にかけて、東京帝国大学法科大学長、臨時法制審議会総裁等を歴任した法理学者穂積陳重は、その著作の中で「法律進化論」を説き、世界を印度・支那・回々・英国・羅馬の五大法家族に分類した上で、英国・羅馬は「進行」するが印度・回々は「静止」し、支那法家族は「遅進」するとし、日本法は中国法家族から西欧法家族へと転換すべきであるとした(※注1)
 もっとも、未だ近代化の途上にあった明治〜昭和戦前期を過ぎ、敗戦を経て「個人主義」を明確化した新憲法が制定された後も、日本人の伝統的法意識は根強く残存していた。そうした中で、戦後我が国における近代的法制度と我が国の前近代的社会的現実の乖離を批判的に取り上げ、我が国が法化社会へと進むべきことを主張したのが、法社会学者の川島武宜であった(※注2)。川島はその代表的著書『日本人の法意識』において、「伝統的に日本人には『権利』の観念が欠けている」とし(※注3)、法はあるような・ないようなものとして意識され、「黒白」をつけることは公然の挑戦として回避され、明確化され確定的なものとなることは好まれなかったとする(※注4)(※注5)。そして、しかしそうした状況は、我が国社会の近代化と日本人そのものの近代化との間のタイムラグによって生じているのであるから、今後の日本人の法意識は「人々は、よりつよく権利を意識し、これを主張するようになるであろう。…歴史の進行がその報告に向かっているということについては、まず疑いの余地がなく、好むと好まざるとにかかわらず、それはもやは時間の問題であるように思われる。」と結んでいる(※注6)

※注記
1:
穂積陳重『法律五大家族之説』(明治17年)、『万法帰一論』(明治18年)。
2:竹下 賢・角田猛之編著 『マルチ・リーガル・カルチャー』 晃洋書房、1998年 238ページ〜。
3:川島前掲書、15ページ。
 実際、我が国に「権利」なる言葉は存在せず、当初は「権理」とも表記され(例えば1875年「樺太千島交換条約」)、「権利」という言葉は明治期に作られた造語であったという。
4:川島前掲書、139ページ。また、和田安弘 『法と紛争の社会学』 社会思想社、1994年 192ページ。
 日本人の「裁判回避・調停選好」の理由について、川島は、我が国の伝統的社会集団の特質から考えて、@社会的地位が恭順と権威によってハイアラーキカルに分化されていること、A同位の地位の人々は多様に「親密」であり、画一的に裁判で関係を決定できないことを挙げている。
5:川島は、我が国における調停制度について、@紛争を権利義務の関係として処理しない、A紛争を丸くおさめる、B調停委員の有力者としての権威が強い、といった特徴を指摘し、これらの性格が権利意識を阻害したと指摘している。
6:川島前掲書、202〜203ページ。

第2節 大木雅夫の「状況規定モデル」
 他方、こうした「日本人の紛争観」(文化的要因)に着目した川島武宜の議論に対して、むしろ司法制度をはじめとする「法」の位置付けにこそ着目すべきことを主張したのが、比較法学者の大木雅夫・上智大学教授であった(※注1)
 大木はその著書『日本人の法観念』において、従来から指摘されていた東西の法観念の差異について概観した後西洋法における「法の支配」と東洋法における「徳治主義」を詳細に検討し、実は我が国の前近代においても民衆は相当の「権利意識」を持っており、なおかつ西欧においても通説で言われているほどの「権利意識」があったわけではないことを指摘する。例えば、武士の先例・道理をはじめて成文法化した「御成敗式目」は、我が国においても「法の優越」「法の下の平等」が導入された(名宛人こそ「御家人」に限定されていたが、律令のような統治原則・裁判規範の表明ではなかった)という意味で「日本法史上重大な意味を持つもの」であるとする(※注2)。他方、「権利意識が高い」と言われている西洋でも、「不利な示談も訴訟に勝つよりはまし」「訴訟は時と金と安息と友人を食う」「訴訟はまっぴら、和解にしくはなし」「神の前では真実を、裁判官の前では銭を」といった諺が多く、法や訴訟を賛美するようなものは少ないという(※注3)。更に、西洋人の権利意識の高さを象徴しているとされる、ルドルフ・フォン・イェーリングの『権利闘争論』(「権利のための闘争」)(
Der Kampf ums Recht,1872)についても、プロイセンが自分が敬意を抱くフランスと戦争(普仏戦争)を戦うことについての弁明の書であって、当時の西欧の庶民に権利意識がみなぎっていたわけでは無いという(※注4)。そして、東西における訴訟件数や「法」の位置付けの相違は、結局「権利意識を具体的に実現する装置が不完全だったから」「裁判組織が不備」だったからということに求められる、として、安易に結論を「法意識の相違」に求めることを戒めている(※注5)。ここにおいて、日本人の「裁判嫌いの神話」は「神話」として否定されている。

※注記
1:
竹下他前掲書、249〜250ページ。
 なお、和田前掲書、195ページ以下では、法社会学の観点から、法社会学者の棚瀬孝雄教授の学説が紹介されている。
2:大木前掲書、159ページ以下。
 また、江戸時代の「内済」の発達を、幕府の裁判機構の制度的限界に伴う紛争処理手続の自治化を意味するものであり、むしろ庶民の権利意識が強かったからこそ(また、幕府の裁判制度が次第に賄賂等によって権威を失ったからこそ)、公事師の役割が増大し、「内済」手続の発達を見たのだ、とする。
 もっとも、大木がここで指摘した「日本人固有の権利意識」なるものが、果たして田中成明の「法の三類型」(後述)でいうところの「普遍主義型法の(=近代西洋法の)権利意識」と同じものであるかどうかについては、なお検討の余地があろう。
(:大木前掲書、203ページ以下。)
3:大木前掲書、228〜233ページ。
4:大木前掲書、109ページ。
5:大木前掲書、235〜236ページ。

第3節 田中成明の「法の三類型モデル」
 第1節及び第2節で見てきた議論に対して、より緻密な分析を加えようとするのが、法理学者の田中成明・京都大学教授である。
 田中はまず、社会の法に対する傾向を「法化
legalization)」、近代法の欠陥や弊害を是正しようとする「非法化delegalization)」、およそ法的なものを原理的に否定する「反法化anti-legalization)」の3つに分類する(※注1)。そして、そこで語られる「法」を、@一般的法準則を定立しそれに準拠する形で、裁判過程で「要件―効果モデル(法的三段論法)」を使って自立的に適用される「普遍主義型法(自立型法)」(従来から言われてきた、典型的な近代西洋法)、A特定の政策目標実現の手段として、行政過程で「目的―手段モデル」によって適用される「管理型法」(法道具主義)、B私人間の非公式的な妥協的調整を行うインフォーマルな「自治型法」の三類型に分類する(法の三類型モデル)(※注2)
 次に、以上のような分類を前提として田中は、明治近代化以前の我が国の法が、律令的な管理型法と自治型法の両極に分解しており、近代化以降も、行政官僚主導の管理型法と「義理」「人情」を理由とした「反法化」的な自治型法が強く残存した、とする(※注3)。また、こうした傾向は、1960年代以降の高度成長期にあって社会の法化が進んだ時期にも見られ、我が国における自生的な普遍主義型「法化」は遅れた、と指摘している(※注4)。そして田中は、こうした状況を踏まえて、今後の我が国においては、その逆機能や弊害を自治型法や管理型法で補完しつつも、基本的には普遍主義型法による法化を強力に推進し、普遍主義型法の実践哲学的賢慮を基軸とした「多元的調整フォーラム」としての法システムを構築すべきである、と主張する(※注5)

※注記
1:
『法理学講義』、84ページ〜。『転換期の日本法』、21ページ。
 田中成明 『法的思考とはどのようなものか』 有斐閣、1989年 16ページ〜。
 田中成明 『法の考え方と用い方』 大蔵省印刷局、1990年 65ページ〜。
2:『法理学講義』、86ページ〜。『転換期の日本法』、12ページ。
 『法理学講義』89ページ、『転換期の日本法』14ページには、以下のような分類表がある。

  基本的特質 思考・決定方法 法的過程 法的関係 新領域への対応
管理型法 特定の政策目的
の実現手段
目的=手段
モデル
行政
過程
垂直関係 法道具主義
普遍主義型法
(自立型法)
一般性、自立性、
形式性
要件=効果
モデル
裁判
過程
三者関係 リーガリズム
自治型法 非公式性
自生的性質
妥協的調整
モデル
私的交渉
過程
水平関係 インフォーマリズム

3:『法理学講義』、99〜100ページ。
4:『法理学講義』、100ページ。『転換期の日本法』、22ページ。
5:『転換期の日本法』、24ページ・119〜123ページ。
 これについて田中は、@(大木雅夫が指摘したような)司法制度の人的制度的基盤の整備とA(川島武宜が指摘したような)一般人の公権力に対する受動的・受益者的な態度の転換、B合理的な交渉(対話的合理性)による合意形成の3つが必要であると述べている。

■第4章 おわりに

 今日、我が国は戦後の経済成長期の終焉に直面し、様々な分野で改革が求められている。従来優位に立っていた行政主導の管理型法と当事者間の和解等による自治型法は、経済の成熟に伴う「官僚主導」型経済成長の行き詰まりと経済の国際化に伴う国際社会からの「不透明」「貿易障壁」との批判によって、変革を迫られている(※注1)。また、普遍主義型法にしても、大規模訴訟や公共訴訟、医療過誤訴訟といった新たな・高度に専門的な領域を扱う必要に迫られているが、これらの分野は従来の「法的思考」では却って個別的正義を圧迫したり不当な結論を導いたりして、「悪しきリーガリズム」との批判を招く危険性もある(※注2)
 しかも、これまでの我が国の「反(普遍主義型)法化」的傾向と、我が国は勿論欧米各国で1970年代ごろからリーガリズムの逆機能を補正するものとして議論されてきた「非法化」とは極めて似通った外見を持っており、「プレモダンとポストモダンの交錯」の如き状況を呈している(※注3)。よって、今後の我が国法システムが向かうべき方向性は不明確であるが、これについては既に引用した『転換期の日本法』と『司法 経済は問う』の指摘する方向性が極めて示唆に富んでいる。即ち、今後の我が国社会においては、従来の「反法化」的傾向に対応する真の「法化」を、高度産業化に伴う「非法化」の要請に、伝統的日本法の「反法化」の知恵を応用して応えつつ、同時並行的に行っていく必要があるのではないだろうか。

▲手前から弁護士会館、東京区裁、最高検察庁、法務省
(東京都千代田区の官庁街)

 また、これまで司法制度改革論議は、主として最高裁判所・法務省・日本弁護士連合会のいわゆる「法曹三者」によって行われきた。しかし、これらの「法曹三者」は、『司法 経済は問う』が指摘しているように、これまでの我が国の法システムを実際に担ってきた実務法曹の三者なのであって、裁判所は無論のこと「在野法曹」たる弁護士といえども、現行日本法システムの問題点を作り上げてきたという点では共犯関係にある。従って、今後、改革論議の主導権を握るべきなのは、むしろそうした法曹実務に直接従事しているわけではない、法システムのグランドデザインを考究している基礎法学者と、「法の客体」から「法の主体」へとその姿勢を転換しつつある国民自身なのではないだろうか。そしてその為にも、これまで実定法の増加・細分化・専門化に伴って隅に追いやられていた観のある、大学法学部における基礎教養教育・基礎法学教育の拡充が急務なのではないだろうか。

※注記
1:
前掲『転換期の日本法』はこの問題を種として法理学的観点から扱ったものだが、この点を経済界の視点から扱った日本経済新聞社編『司法 経済は問う』では、著者らは@法曹人口の増加、A法律事務への競争原理の導入、B裁判外紛争処理手段(ADR)の拡充と裁判との連携強化、C行政訴訟の門戸拡大、D「裁判嫌い」神話の克服、を提言している。
(:日本経済新聞社編 『司法 経済は問う』 日本経済新聞社、2000年 174ページ〜)
2:『法理学講義』、109ページ。
3:『転換期の日本法』、21ページ。

※参考文献一覧
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上原敏夫・池田辰夫・山本和彦 『民事訴訟法』(第2版補訂) 有斐閣Sシリーズ、2000年
大木雅夫 『比較法講義』 東京大学出版会、1992年
大木雅夫 『日本人の法観念』 東京大学出版会、1983年
大橋智之輔他編 『法哲学綱要』 青林書院、1990年
川島武宜 『日本人の法意識』 岩波新書、1967年
小島武司編 『裁判キーワード』新版補訂版 有斐閣、2000年
塩野 宏 『行政法T』 有斐閣、1995年
竹下 賢・角田猛之編著 『マルチ・リーガル・カルチャー』 晃洋書房、1998年
田中成明 『転換期の日本法』 岩波書店、2000年
田中成明 『法理学講義』 有斐閣、1994年
田中成明 『法的思考とはどのようなものか』 有斐閣、1989年
田中成明 『法の考え方と用い方』 大蔵省印刷局、1990年
長尾龍一 『日本法思想史研究』 創文社、1981年
日弁連法務研究財団 『次世代法曹教育』 商事法務研究会、2000年
日本経済新聞社編 『司法 経済は問う』 日本経済新聞社、2000年
本間康平・田野崎昭夫・光吉利之・塩原 勉編 『社会学概論』新版 有斐閣大学双書、1988年
牧 英正、藤原明久編 『日本法制史』 青林書院、1993年
牧 英正 『道頓堀裁判』 岩波書店
宮澤節生 「法科大学院論議の活性化と透明性のためにー再論」 法政策研究会『法政策学の試み・2』 信山社、2000年
森 征一・岩谷十郎編 『法と正義のイコノロジー』 慶應義塾大学出版会、1997年
山田 晟 『法学』新版 東京大学出版会、1964年
六本佳平 『法社会学』 有斐閣、1986年
和田安弘 『法と紛争の社会学』 社会思想社、1994年

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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