RUINA номенклату́ра


2014年2月26日
日本国民各位
春九千


真に僭越ながら、皆様にご注意申し上げたいことがございます。

国外勢力に利用されないようにお気をつけくださいませ。

なぜこのような事を申しあげるかと申しますと、
二・二六事件について調査を行っているうちに、ひとつの疑念が私の頭に浮かんだことがきっかけです。
その疑念とは、

大日本帝国はソ連の属国だったのではないか?

1.大日本帝国はソ連の属国だったのではないか?
私がこのように思った理由は以下の3点です。
(1)二・二六事件決起青年将校に対する裁判が、ソ連の粛清に似ている。
(2)ソ連参戦時の大日本帝国陸軍のソ連に対する態度。
(3)砕氷船

(1)二・二六事件決起青年将校に対する裁判が、ソ連の粛清に似ている。
「暗黒裁判」とも呼ばれる、二・二六事件決起青年将校に対する裁判。
この裁判についての記述を呼んでいるうちに、私は既視感に襲われました。
「あれ?なんだかソ連の粛清みたい」
二・二六事件決起青年将校に対する裁判が、ソ連の粛清のようだと思ったのです。

>しかし、決起将校たちは特設軍法会議によって裁かれることになった。
>特設軍法会議とは戦時やあるいは戒厳令下の地域に設けられるもので、治安の定まらなぬ戦場や軍政下にある占領地などでは、速やかに結審し処罰を実行しなければならないという要請があり、また、こうした地域では適当な弁護人も選任できないという理由から、非公開、弁護人なし、上告なし(一審制)という制度が適用される。
(p.144/別冊歴史読本 第89(386)号 2・26事件と昭和維新/新人物往来社)
>死刑の執行は判決からわずか五日後の七月十二日に執行された。
(p.149/別冊歴史読本 第89(386)号 2・26事件と昭和維新/新人物往来社)


一方ソ連の粛清は、一例を挙げると、このように行われたこともあります。

>それからわずか二四時間後の六月十二日土曜日に、ソヴィエト連邦最高裁判所から次のような発表があった。
> 昨六月十一日、ソヴィエト連邦最高裁判所講堂において開廷された特別法廷は、(略:人名が羅列)の件について非公開の審理を行なった。・・・・・・ソヴィエト連邦最高裁判所特別法廷は被告全員を有罪と認め、以下のように判決する。被告全員の官位剥奪と被告トハチェフスキーのソ連邦元帥の称号剥奪のうえ、被告全員を極刑−銃殺刑−に処する。
(p.11/赤軍大粛清/著:ルドルフ・シュトレビンガー/学習研究社/ISBN4-05-400650-7)

>一九三七年六月十一日金曜日の正午きっかりに、裁判長ウルりッヒは判決を言い渡した。
>被告(略:人名が羅列)に死刑が宣告された。判決に控訴はなく、刑は即刻執行されることになった。
(p.311/赤軍大粛清/著:ルドルフ・シュトレビンガー/学習研究社/ISBN4-05-400650-7)

いずれも以下の特徴があるように思われます。
・裁判の形式を踏襲する
・非公開の裁判形式をとる
・短期審理
・一方的に断罪する
・死刑判決を出す
・即座に処刑する

一方的な処刑という形を取らずに、裁判の判決という形をとることによって体裁を整えるあたり、
ニュルンベルク裁判や東京裁判や東京衛戍特設陸軍々法会議と同じですね。
これらは裁判という形式を取り繕った処刑だと私は思いますね。

そこで、「暗黒裁判」とも呼ばれる、二・二六事件蹶起青年将校に対する裁判はまるで、ソ連の粛清のようだと私は思ったのです。

二・二六事件決起青年将校に対する裁判は異質です。

二・二六事件に至るまで、同様の反乱は何度も発生していました。
そして、そのたびごとに裁判が行われましたが、それらの裁判と二・二六事件決起青年将校に対する裁判は異質です。


■ 二・二六事件決起青年将校に対する裁判

・血盟団事件
>第一回の公判が東京地裁で開かれたのは、昭和八年六月二十八日から。傍聴席はいつも満員であった。
>日召の弁護人・天野辰夫は、巧みな法廷戦術でかき回す。
>各地で減刑運動が盛んになり、藤井裁判長の元には三十万通もの減刑嘆願書が届いたという。
>いずれも求刑より軽減されており、「寛大な判決」といわれた。
(p.51/別冊歴史読本 第89(386)号 2・26事件と昭和維新/新人物往来社)

・五・一五事件
>軍人の裁判は、事件の翌八年七月から始まった。
>法廷では青年将校も陸士候補生も堂々と所信を述べて、決起の意義を強調した。
>減刑嘆願書は最終的には、陸軍三十九万通、海軍百八万通が寄せられたという。
>陸軍の軍法会議は反乱罪を適用して、十一名すべてに一律四年の禁固刑を科した。
>首相殺害の反乱罪としては、軽すぎる判決であったことは言うまでもない。
(p.57-59/別冊歴史読本 第89(386)号 2・26事件と昭和維新/新人物往来社)

・神兵隊事件
>大審院の後半は十二年十一月に始まったが、法廷は荒れに荒れた。被告らが法廷を、昭和十年二月からにわかに政治問題化していた国体明徴運動の戦場とみなし、激しい公判闘争を展開したからである。
>こうして、ようやく次の判決が出たのは昭和十六年三月、事件から八年後のことだった。
>「被告らに対しいずれもその刑を免除す」と。
(p.66-67/別冊歴史読本 第89(386)号 2・26事件と昭和維新/新人物往来社)

なぜ、二・二六事件決起青年将校に対する裁判に限って、ソ連の粛清のような裁判になるのか?
不自然


(2)第二次大戦終戦時における大日本帝国陸軍のソ連に対する態度。
(a)ソ連参戦
(b)終戦工作

(a)ソ連参戦
なぜ、大日本帝国軍はソ連軍に対して卑屈なのか?

ソ連軍が満州に侵攻した際、「日ソ停戦交渉」に当たった大日本帝国軍の対応は以下のとおり。

>「日ソ停戦交渉」は、八月一九日、極東ソビエト軍第一方面軍司令部が置かれていたジャリコーウォで、総司令官のワシレフスキー元帥以下極東ソビエト軍首脳の前に、関東軍から秦彦三郎総参謀長、参謀の瀬島龍三中佐、そして通訳として宮川船夫ハルビン総領事の計三名が出向いて行われた。ワシレフスキー元帥はその翌日、各戦線での戦闘終結状況とともに、この「交渉」の模様をスターリンに電報で報告している。私たちが入手したのは、その電報の、ワシレフスキー自身の手書き原稿である。
>「一九四五年八月一九日、我々は関東軍総参謀長の秦中将と会見した。あなたの指示通り、あらゆる点において最もよい条件で彼を受け入れた。秦中将は、ソビエト軍が満州全域を速やかに占領し、日本軍および満州に住む日本人を早急にその庇護下においてくれるよう依頼してきた。同時に秦中将は、わが軍の到着まで、満州・朝鮮の遠隔地域における日本軍の武装解除を延期してくれるよう依頼してきた。それらの地域において秩序を守り、企業・資産を保護するためとのことである。
 秦中将の話によると、日本人と満州人・朝鮮人との関係が悪化し、最近では極限まで達しているという。
 秦中将は我が軍が速やかに満州に入ること、それに続く日本軍の降伏について要請してきたが、同時に、ソビエト側が日本軍司令官、将校、ならびに兵士にもしかるべく対応し、またしかるべき食事、医療サービスを与えるよう要請してきた。
 この件について、私は我が軍に対し必要な指示を与えた。
 秦中将は降伏の手順に関する私の全要求を迅速かつ正確に行うことを約束し、この会見が将来の日ソ間の固い友情の基礎になることを期待する旨述べた。
 私は、千島列島を防衛している日本軍司令部に、同列島を占領しようとするソビエト軍に対する彼らの抵抗が無益であることを伝えるよう求めた。これに対し秦中将は、早急にこの問題を日本軍総司令部に伝えると約束した。
 一九四五年八月一九日一七時、秦中将は私の指令を携えて長春に向けて飛び立ったが、気象状況の悪い中、長春への着陸は二一時になった」
(p.274-275/ドキュメント太平洋戦争 6|一億玉砕への道|日ソ終戦工作/NHK取材班/角川書店/ISBN4-04-524406-8)

この文書に関する引用もとの書籍の編者であるNHK取材班は以下のとおりコメントしている。

>これらの文章を読む限り、「交渉」の様子は少しもうかがえず、降伏に関する「指令の受領」という感じを強く受けるが、どうだろうか。機中将はひたすらソビエトの早急な占領を希望していて、明らかに両者の関係は対等でない。
(p.276/ドキュメント太平洋戦争 6|一億玉砕への道|日ソ終戦工作/NHK取材班/角川書店/ISBN4-04-524406-8)

NHK取材班は、ソ連軍に対する大日本帝国関東軍の態度を「明らかに両者の関係は対等でない」と評していますが、同感です。
この大日本帝国軍のソ連軍に対する卑屈な姿勢は、大日本帝国陸軍のアメリカに対する態度と比較するとより顕著になると思われます。

>昭和二〇年三月の「近衛会見録」のなかに、梅津美治朗参謀総長が「参内して、米国は国体変革を狙っているから、最後まで交戦する外ないと上奏した」という記述がある。これが陸軍の代表的な考えだった。そしてその考えが、本土決戦=徹底抗戦論を最後まで強硬に主張することにつながっていったのである。
(p.182/ドキュメント太平洋戦争 6|一億玉砕への道|日ソ終戦工作/NHK取材班/角川書店/ISBN4-04-524406-8)

>出張仲の梅津参謀総長に代わってこの会議に出席した河辺虎四郎参謀次長は、六月五日の日誌に、参謀本部を代表して出席する決意をこう記している。
>「現在の情勢に於いて『和平か継戦か』の問題を議せんとするに於いては予は出席すること能わず、参謀総長は飽く迄継戦の意図を有せられる、故に予は継戦の前提に於いてその実行策に関する議に参加し得るのみ」
>陸軍の主導になる最高戦争指導会議は、国内に台頭しつつあった和平の空気を牽制する意味を持っていたのである。河辺は会議当日の日誌にも、
>「若し仮に政府当局諸公の口より『和平』案(予は今日に於いては和平は即ち無条件降伏を意味するものと信ず)を聞くことあらば、直ちに参謀本部将校全員の名に於いて政府に対する不信を標榜し退席の許を得んとの覚悟を持って望みたる」
>と記していた。
(p.160-161/ドキュメント太平洋戦争 6|一億玉砕への道|日ソ終戦工作/NHK取材班/角川書店/ISBN4-04-524406-8)

なぜ、大日本帝国陸軍はソ連軍に対して卑屈なのか?
不自然


(b)終戦工作
第二次大戦末期、大日本帝国の終戦工作は以下の4つがありました。
(1)ソビエト連邦を仲介とした和平交渉
(2)スウェーデン公使ウィダー・バッゲを仲介者とするイギリスとの和平工作。
(3)スウェーデン王室との間で独自の工作を行っている。
(4)スイスにおけるアメリカ戦略事務局のアレン・ダレスを仲介者とした岡本清福陸軍武官・加瀬俊一公使や藤村義朗海軍武官らによる和平工作。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%99%8D%E4%BC%8F
>日本の降伏 - Wikipedia

しかし、大日本帝国政府は"(1)ソビエト連邦を仲介とした和平交渉"に固執します。

>東郷茂徳外相としては、和平の交渉はアメリカと直接行うことを望んでいたが、これには陸軍が絶対うんと言わない。
>また、当時、スイスやスウェーデンなどでいくつかの和平工作もあったが、東郷の目にはどれも効力があるとは思えなかった。
(p.13/ドキュメント太平洋戦争 6|一億玉砕への道|日ソ終戦工作/NHK取材班/角川書店/ISBN4-04-524406-8)

>五月中旬の構成員の話合ひ
>此會合では五月十一日から十四日に亙り對「ソ」問題を討議したが、(略)
>さらに討議を加へたが、(略)更に討議を加へたが、總理は先方の好意的態度を探つてみるのは良いではないかと云ふので、此際の施策として(略)、第三、和平に導くこと、が擧げられた。
>第三の方法として支那、瑞西、瑞典、「ヴァチカン」等を仲介とする場合を檢討したが、いずれも無條件降伏と云ふ囘答以上に出でざるべしとの豫想に一致した。されば米英に對して我方に相當有利な條件を以って仲介し得るのは「ソ」聯以外になかるべしとの議が梅津總長から出でゝ、阿南陸相も「ソ」聯は戰後に於いて米國と對峙するに至るべき關係上日本を餘り弱化することは好まざるべく相當餘裕ある態度に出づることが豫想せらるゝと述べた。
(p.331-332/時代の一面−東郷重徳外交手記[普及版]/東郷重徳/原書房/ISBN4-562-03950-7)

このようにソビエト連邦を仲介とした和平交渉以外最初から選択肢に無かったことが見て取れます。
原因は陸軍の主張が通ったためと考えることが妥当だと思われます。
ソ連以外の仲介を却下した理由は「いずれも無條件降伏と云ふ囘答以上に出でざるべしとの豫想」とあるにもかかわらず、
ソ連に対してはその豫想が働かなかったのかの点については記述がありません。
それはなぜなのか?


>又其頃「ソ」聯は無條件降伏ではなくては取次ぐ譯に行かぬと述べたこともないのである。
(p.346/時代の一面−東郷重徳外交手記[普及版]/東郷重徳/原書房/ISBN4-562-03950-7)
確かにこのように述べていますが、

>日本の國體または皇室の問題は「ソ」支では強硬な反對意見があることは明瞭であつたが、米でも先年の不戰條約批准當時の經緯でも分る如く中々了解しないばかりでなく非常に機徴の點があるので其取扱は中々面倒であつた。
(p.363/時代の一面−東郷重徳外交手記[普及版]/東郷重徳/原書房/ISBN4-562-03950-7)
一方でこのような認識も持っていました。

また、東郷重徳はアメリカとの直接的な接触を試みますが、どちらも頓挫します。

>ダレス申出
>やゝ其後のことであるが或時米内海相が瑞西にある「ダレス」なる者から國際銀行代表者北村を通し在「ベルヌ」日本海軍武官に日本は無條件降伏をした方がいゝとと言つて來たと云つて、「ダレス」の人物に付きて質問して返事をどうしようと申出た。
>しかし自分は米國の氣持を探知するにはいゝ機會と思つたから、海軍から同武官に電報して、北村から無條件降伏ではなく何か有條件でなくては日本政府は迚も承諾出來ないと思ふといはせて、向ふの出様を見たらいいと云つて發電方を打合せた。然るに二三週間してから米内君はあの電報は出さなかつたと云ふので、時機の關係もありその儘になつたこともある。
(p.341-342/時代の一面−東郷重徳外交手記[普及版]/東郷重徳/原書房/ISBN4-562-03950-7)

>スチュアート門下生申出
>尚支那問題に付きて想起するのは、これより少し後であるが七月中旬に北京大學總長「スチュアート」の門下生から日支間全面和平に付いて日本側と會見したいとの申出であつたことを中山及若林の兩氏から報告があつたことである。右の報告によれば米にも充分其意圖を明らかにして交渉したのであるが、「スチュアート」氏の意見では日本に對しても苛酷な條件を課すべきでないと云ふことであつたから、自分はこの徑路から或は米國との話合に入り得るかも知れないと考へ、川越外務省顧問、田尻大東亞省次官、杉原大東亞省總務局長に申出での筋道を檢討せしめたが、眞面目のものと判斷せらるゝとのことであつたから、阿南陸相、梅津總長とも打合せた上、河相大東亞省顧問を急遽北支に派遣し、先方との話合ひを開始することに取運んだ。河相君よりは終戦前には何等の報告に接しなかつたが、其後に歸朝して報告した所によれば北京に於いて軍部が敏速な行動を採らなかつたので遂に機會を失したのことであった。
(p.345-346/時代の一面−東郷重徳外交手記[普及版]/東郷重徳/原書房/ISBN4-562-03950-7)

これは、大日本帝国軍のサボタージュではないのでしょうか?
なぜ、大日本帝国軍はこれほどまでしてソビエト連邦を仲介とした和平交渉に固執したのでしょうか?


さらには、対米戦ではあれほど強硬論者の河辺虎四郎が対ソでは次のような姿勢に転じます。

>この後有末は、参謀次長河辺虎四郎中将とともに四月二二日、東郷重徳外相を訪ね、三人だけの密談のなかで、こう要請した。
>「ソ連をして不参戦、中立の態度を保持し、和平斡旋に乗り出させるよう一世一代の至芸をやってもらいたい」
> これに対し、東郷は「はたして陸軍全体の意見として受け取ってよいか」と念を押し、陸軍の二人が声を大にして「この点については責任をもって軍の意見です」と答えると、東郷は「時期が遅きに失しているが、とにかく努力いたしましょう」と約束した、という。
(p.12/ドキュメント太平洋戦争 6|一億玉砕への道|日ソ終戦工作/NHK取材班/角川書店/ISBN4-04-524406-8)

>しかし三月末頃から蘇聯兵力の当方輸送が逐次甓辰靴震詫佑あるので、自分が就任後まもなく河邊參謀次長及其部下の將校が訪ねて來て、輸送の状況を詳報して蘇聯の參戦防止に付き考慮して貰ひたいとの申出があった。又小澤軍令部次長も同様の申出を爲したが、梅津參謀總長も來訪して同様の話をした。
(p.328/時代の一面−東郷重徳外交手記[普及版]/東郷重徳/原書房/ISBN4-562-03950-7)


繰り返しますが、大日本帝国陸軍はソ連を敵視していました。
「国防の本義と其強化の提唱」によると、
>蘇聯邦の組織ある赤化宣伝工作の為め如何に我国上下を挙げて苦悩せしか。
>蘇国が尤大なる赤軍を有することは、彼の世界赤化政策遂行の支援の為めである。而も最近に於て英国防対象が我が日本に在る以上、皇国としては、彼の極東政策と赤化政策とを抑圧破摧するに足る国防力充実の必要なるは呶説を待たない所である。
http://teikoku.xxxxxxxx.jp/1934_kokubo.htm
>国防の本義と其強化の提唱
以上のようにソ連に対する警戒感をあらわにしていました。

それなのになぜ、大日本帝国政府は"(1)ソビエト連邦を仲介とした和平交渉"に固執したのでしょうか?
不自然


(3)砕氷船
元GRU将校ビクトル・スヴォーロフは著書「Icebreaker: Who Started the Second World War?」において以下のとおり述べています。
>Even before the Nazis came to power, the Soviet leaders had given Hitler the unofficial name of 'Icebreaker for the Revolution'.
>The communists understood that Europe would be vulnerable only in the event of war and that the Icebreaker for the Revolution could make it vulnerable.
>Unaware of this, Adolf Hitler cleared the way for world communism by his actions. With his Blitzkrieg wars, Hitler crushed the Western democracies, scattering and dispersing his forces from Norway to Libya.
http://www.jrbooksonline.com/PDF_Books/icebreaker.pdf
>Icebreaker: Who Started the Second World War?

"Icebreaker"という名称は日本では"砕氷船"と翻訳されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%95%E6%B0%B7%E8%88%B9_(%E3%82%B9%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%95)
砕氷船 (スヴォーロフ) - Wikipedia

>the Soviet leaders had given Hitler the unofficial name of 'Icebreaker for the Revolution'
>Adolf Hitler cleared the way for world communism by his actions.

そこで以下のような疑問が浮かびます。
ヒトラーがソ連の"砕氷船"だったのであれば、大日本帝国ではどうだったのか?
大日本帝国もソ連の"砕氷船"だったのではないか?

■ 先制攻撃
そういえば、第2次世界大戦で先制攻撃を行った国が4ヶ国あります。

日時 攻撃国 被害国 歴史的名称
1935/10 / 3
イタリア エチオピア 第2次イタリア−エチオピア戦争
1939/ 9/ 1
ナチスドイツ ポーランド ポーランド侵攻
1939/11/30
ソ連 フィンランド 冬戦争
1941/12/ 8
大日本帝国 アメリカ 真珠湾攻撃

ナチスドイツが砕氷船ならば、大日本帝国も砕氷船だったのではないか?


■ フィンランド
フィンランドは不思議な国です。
そう思っているのは私だけではないはずです。

フィンランドの歴史に詳しい歴史家のデイヴィットカービーも同じ感想を漏らしています。
>不思議な国で育った孤児
(p.321L11/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

1939年11月30日、ソ連がフィンランドに侵攻します。
いわゆる冬戦争です。
この戦争でフィンランドはソ連に勝利します。

なぜ、フィンランドはソ連に勝てたのか?
私にはその理由がよく解りません。

第2次世界大戦でソ連と戦った国の勝敗を図に表すと以下の様になります。
・矢印は先制攻撃を行った方向
例)攻撃国→被害国
・上側は勝者下側は敗者


冬戦争(1939年)、ノモンハン事件(1939年)、南オセチア紛争(2008年)
これらは実戦演習か何かですか?

フィンランドは不思議な国です。

そういえば、ドイツによる対ソ開戦の原因の一つと言われているのが、ドイツとフィンランドが結んだ協定でした。

>ここまで悪化した独ソ関係を、さらに決定的にしたのは、一九四〇年九月二二日にドイツ政府とフィンランド政府との間で締結された、ドイツ軍のフィンランド領土通過に関する協定であった。
(p.119/朝日選書 816|スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想/著:三宅正樹/朝日新聞社/ISBN978-4-02-259916-2)


>ドイツ外務次官エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーとフィンランド公使トイヴォ・ミカエル・キヴィアキとの間の協定 (一九四〇年九月二二日)
>(『ドイツ外務省外交文書』Dシリーズ、第一一の一、文書第八六号、「独外務次官ヴァイゼッカーからヘルシンキの独公使館宛て」)
(p.291-292/朝日選書 816|スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想/著:三宅正樹/朝日新聞社/ISBN978-4-02-259916-2)

フィンランドは不思議な国です。

後、よく解らないのが、ソ連に対するフィンランドの立場です。
フィンランドはソ連に特別扱いを受けているように見えます。
ソ連だけではありません。
帝政ロシア、ソ連、ナチスドイツ、アメリカ。
フィンランドは、少なくともこれらの国々から、特別扱いを受けているように見えます。

・帝政ロシア
>ロシア人の中にはフィンランドの特恵的な地位に対して懸念を持ち続ける者もあった。
(p.168/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

・ソ連
>相互援助条約は一九四五年から幾度か議題に上っており、一九四五年一月にはマンネルヘイムが大綱を起草していた。
>この草案が作成されて以来、フィンランドには熟考して態度を決めるための時間があったため、一九四八年の春にモスクワで行われた交渉の席でスターリンを説得し、東部欧州との相互援助条約をモデルとする代わりに、フィンランドの提案を受け入れさせることに成功した。
(p.316/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

・ナチスドイツ
>ヒトラーもスターリンもフィンランド人の戦闘能力を評価していたようであり、交渉相手のフィンランド人に対する態度や言葉遣いは一般に丁重で穏やかであった。
(p.319/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

・アメリカ
>アメリカはあいかわらずフィンランドの将来に懸念を抱いていたが、フィンランドを特別なケースと見なして、経済援助と慎重な政治的支援を与える準備ができていた。
(p.317/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

さらに、フィンランドは独立時から特別な存在であり続けているように見えます。
これらの国々にとってフィンランドはどういう存在なのでしょうか?

フィンランドは不思議な国です。


>ソ連政府は一九七三年の秋にようやく、フィンランドがEECと自由貿易協定を結ぶことを不本意ながらも暗に承諾した。フィンランドはその入念な埋め合わせの一環として、一九七三年にEECに相当する社会主義圏の組織であるコメコンと、経済、科学、技術の各分野における協力を約束する協定を結んだ。ソ連ならびに社会主義圏の国々との相互精算勘定貿易は、フィンランドにとっても確かに数々の利益があった。きわめて不安定な時期に貴重なエネルギー供給源を確保することができたほか、ソ連に履き物や衣類などの消費財を輸出する労働集約型の産業を維持することができたのである。
(p.352/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

ソ連は北のインドやな。

フィンランドの国際社会における立場とはどのようなものなのでしょうか?
KGBvsGRUに対する政治局?
政治局vs書記局に対するノーメンクラトゥーラ?
西側と東側に分かれていた時代の国際社会に対するフィンランドの立場とはどのようなものなのでしょうか?

フィンランドは不思議な国です。

フィンランドの政治力の源泉とは何なのでしょうか?

■ フロント?
帝政ロシアとフィンランドには類似点があります。
両者とも後進地域とみなされていたということです。

帝政ロシア
>レーニンは次のように書いている。「人民大衆が教育、伝統、知識をかくまで奪われている、とりのこされた国──このような国はヨーロッパには、ロシア以外には二つとない」。
(p.63/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

フィンランド
18世紀ごろのフィンランドに関する以下の記述があります。
>王国の幸福にフィンランドが貢献しているという誇りや、後世にこのことを伝えるべきだとする固い決意に日がついたのは、おそらくフィンランドが野蛮で遅れていると上流階級の間で陰口を叩かれていたのに憤慨してのことかもしれない。
>一七世紀以降になってスウェーデンの支配下に入ったゴッドランド島やスコーネなどの他の地域とは異なり、トゥルクの司教座が置かれたフィンランドの地は、一一世紀以降にスウェーデンの中央平原とバルト海東部の二つの湾の沿岸に生まれた王国にとって欠くことのできない一部だった。
(p.89/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

帝政ロシアとフィンランドは北のアフリカとみなされていたのではないか?


念のために申し上げておきますが、植民地化の主体は国家ではありません。

企業

インドは東インド会社という民間企業によって植民地化されました。

>さてノーメンクラツーラ階級は、ソヴィエト国民経済における、ウルトラ独占体として、ある品物がどれだけ生産されるか、ということを自由に決定できる。彼等は、生産能力に属するすべての物を、自分たちの需要を充足するために、余すところなく使用したいところであろう。だがそれが出来ない。何故ならば、国中の住民が、消費財を必要としているからである。それゆえにノーメンクラツーラは、消費財の生産をも、計画の内に取り入れることを余儀なくされる。彼等はこれを、まったくの損失、住民への譲与と見做すのである。
(p.274/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

どこのブラック企業やソ連っちゅうんは
ソ連っつーのはブラック企業ですなあ。

>しかしながら現存社会主義には、低賃金のさらにもうひとつの利用法、西側の企業家にとっては、本質的により好ましい利用法が存在する。同様に現金外貨を得るために、ノーメンクラツーラ階級は、進んでその剰余価値収益の一部を、西側資本と分け合おうとする。大いに称賛されたところの、異なった経済体制を有する諸国間の経済的協調という枠の中で、例えば次のような取引きが行われるのである。ブルガリアで「アメリカ」のたばこがつくられて、西側で売られる。ルーマニアでは、アメリカの市場のために、アメリカの原料から、そして厳密にアメリカの型に従って、紳士服が仕立てられ、アメリカに輸送、販売される。それだけ一層、現存社会主義国家の労働者は、アメリカの労働者よりも少くしか受け取れない。この差額は、単にアメリカから東ヨーロッパへの原料の輸送と完成品のアメリかへの輸送(すべての付加価値──破損、保険、包装等を含めて)を正当化するだけではない。それはまた明らかに、アメリカの企業家に、その商品をアメリカで生産するよりも、大きな利益をもたらすのである。さらに、この差額は、委託された仕事を遂行する東側の企業家には、計画で予定されていた利益を保証するのである。
>植民地的搾取との比較が、どうしても頭に浮ぶのである。
(p.280-281/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

ソ連は北のインドやな。

>ドイツの資本家によるヒトラーの党への資金提供については、いろいろ公にされている。これらの資料は、国家社会主義ドイツ労働者党が独占資本家の党であった証拠とみなされている。周知のようにプロレタリアートの党を自称するボルシェヴィキ党も、資本家から資金の提供を受けていたという同様な資料を手に入れることは可能であろう。
(p.67/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)


>ナチスは右翼であったという第一の論証では、好んで大資本家フリッツ・テュッセンの同党支持が引合いにだされる。しかし、ボルシェヴィキの党は、モスクワの大資本カサッヴァ・モロゾフから資金を受け、第一次大戦中は、ドイツ参謀本部から資金をもらっていた。
(p.707/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

フロント?


なお、余談になりますが、「砕氷船」論に関する興味深いエピソードがあるのでご紹介します。
それは、1933年3月5日にはドイツで国会議員選挙がありました。
これは、1933年2月27日の国会議事堂炎上事件の後、
無期限非常事態宣言といえる「国会議事堂火災緊急令」がヒンデンブルク大統領に提出された1933年2月28日、
これらの出来事のすぐ後に行われた選挙です。
「砕氷船」論に関する興味深いエピソードがというのは、この選挙の数日前、ナチスの指導者の一人が口にした言葉です。
その中に「氷を打ち壊す」という表現が含まれています。

>このときごく少数の地方では、きわめて狭い地域で正反対の記録的な結果が生じた。たとえば信仰の分裂しているプファルツ地方である。そのことがよく現れえいる例を、ダルシュタインとハウエンシュタイン[いずれもドイツ南西部ラインラント=プファルツ州のフランス国境に近い村]という隣り合った自治体に見ることができる。
>そこから数キロメートルの隣村ハウエンシュタインは、熱心なカトリック司祭[ゲオルク・ソンマー司祭。一八八一〜一九六八年]が好ましからざる影響から子羊たちを守ろうと懸命に働き、その結果ナチもここには根を下ろすことができなかった。一九三三年三月選挙の数日前、ナチ党のプファルツ大管区指導者ヨーゼフ・ビュルケルが、他地域のSA隊員三〇名の小隊を引き連れてプロパガンダのために村中を行進したが、この時も路上には村民の誰一人出てこず、家々の窓はすべて閉ざされていた。司祭が鐘を鳴らし、教区の人々を教会に集めて褐色(ナチ)の妖怪から守っていたからだ。最終的にビュルケルは部下を引き上げさせたが、村長にこう告げることは忘れなかった。「坊主に言え。われわれはまたやって来る。われわれは氷を打ち壊す。確かに氷は硬いが、われわれは割ってみせる!」。
(p.152-153/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

>In order to understand the determination being shown by the Soviet High Command in what it was doing, we must go back to 1932, to the 4th Cavalry Division. This was not just the best division of Soviet cavalry; it was the best in the whole of the Red Army. Until 1931, this division was quartered in the Leningrad Military District in places where the Imperial Horseguards had once been.
http://www.jrbooksonline.com/PDF_Books/icebreaker.pdf
>Icebreaker: Who Started the Second World War?


■ ベルリンオリンピック
2020年のオリンピック開催地は東京に決定しました!
おめでとー\(^O^)/
東京がオリンピック開催地に選ばれるのは今回で3度目になります。
対立候補のヘルシンキを破って、最初に東京がオリンピック開催地に決定したのは、1940年に開催される予定だった第12回オリンピックでした。中止になりましたが。
その日は1936年8月1日。
ベルリンオリンピック開催の真っ最中のことでした。
そして、このベルリンオリンピック開催が決定したのは1931年5月14日のことでした。

■ まとめ
以上
(1)二・二六事件決起青年将校に対する裁判が、ソ連の粛清に似ている。
(2)ソ連参戦時の大日本帝国陸軍のソ連に対する態度。
(3)砕氷船
以上の3点の理由により私は以下ように思いました。

大日本帝国はソ連の属国だったのではないか?


この考えは不自然ではないように思われます。
なぜならば、ソ連も大日本帝国陸軍も同じ穴の狢といえると思われるためです。

>右翼社会主義が台頭すると、陸軍内に皇道派と統制派という二つのグループが生まれた。この二派は抗争を繰り返していたから誤解されやすいが、一つの穴の狢である。
>両派とも、天皇の名において議会を停止し、同時に私有財産を国有化して、社会主義的政策を実行することを目指していた。そうすることで、ブロック経済による大不況を解消し、強い日本をつくろうというのである。両者の間で違ったのは、日本を社会主義化するための方法論だけである。
>皇道派は、二・二六事件を起こしたことからもわかるように、テロ活動によって体制の転覆を狙うグループである。彼ら若手将校が唱えていた「昭和維新」とは、要は「天皇の名による、そして天皇をいただく社会主義革命」であった。
>これに対して統制派は、軍の上層部を中心に作られ、合法的に社会主義体制を実現することを目指した。これ以外は、ほとんど皇道派と変わらない。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Yasunari/7517/nenpyo/yougo/kodo_tosei.html
>皇道派・統制派

このように、大日本帝国陸軍の皇道派と統制派は社会主義者だと見做すことが妥当だと思われます。
そのため、ソ連も大日本帝国陸軍も同じ穴の狢といえると思われます。

確かに、大日本帝国陸軍はソ連を敵視していました。
「国防の本義と其強化の提唱」によると、
>蘇聯邦の組織ある赤化宣伝工作の為め如何に我国上下を挙げて苦悩せしか。
>蘇国が尤大なる赤軍を有することは、彼の世界赤化政策遂行の支援の為めである。而も最近に於て英国防対象が我が日本に在る以上、皇国としては、彼の極東政策と赤化政策とを抑圧破摧するに足る国防力充実の必要なるは呶説を待たない所である。
http://teikoku.xxxxxxxx.jp/1934_kokubo.htm
>国防の本義と其強化の提唱
以上のようにソ連に対する警戒感をあらわにしていました。

しかし、これは単なるポーズに過ぎなかったのかもしれません。
>原田熊雄述『西園寺公と政局』第八巻は、一九四〇年一一月二四日に世を去る西園寺公望をめぐる最晩年の記録である。この中に陸軍を中心とする、ソ連への接近を主張する親ソの動きと日独ソ軍事同盟ないし、日ソ独伊軍事同盟待望論のさまざまな動きが原田の筆によって記録されている。当時男爵原田熊雄(一八八八〜一九四六年)は神奈川県の大磯に住んでいた。
> 独ソ不可侵条約成立直後の三九年九月三日、平沼内閣の外相であった有田八郎夫妻が大磯の原田邸に来て一日をともに過ごした時に、有田が心配して語った話の内容が記されている。有田は、「最近陸軍は独伊と軍事同盟をむす結ばうとしてああいふ結果になり、結局失敗に帰したが、その連中が今度は独ソの不可侵条約に日本も加はつて、日独ソといふ関係で軍事同盟をやつてイギリスを叩かうといふ運動があり、謂わば左翼から右翼に転向した連中がその主動的勢力になつてゐて、すこぶる危ういものである。それに陸軍の一部が共鳴してしきりにやつてゐるのである
」と述べたという。失敗に帰したというのは、独ソ不可侵条約成立によって、英仏ソのいずれをも敵視する日独伊三国軍事同盟構想がいったん挫折したことをさす。
(p.77/朝日選書 816|スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想/著:三宅正樹/朝日新聞社/ISBN978-4-02-259916-2)

さらに、
確かに大日本帝国はナチスドイツやイタリアと、ソ連を敵視した日独伊防共協定を結んでいましたが、
> 日独および日独伊防共協定については、三時間編毛の記録によれば、この協定はもともとソ連に対してではなく、西欧民主主義諸国に対して向けられたものであり、ソ連の新聞から自分が察知しているところでは、この事実をソ連政府は正しく認識してきたとリッベントロップが述べたことで、あっさり片付けられてしまった。スターリンも、防共協定は実際にはロンドンのシティーの金融筋とイギリスの小商人を驚かせたのだ、などと冗談めいた口調で応じている。リッベントロップもスターリンに同調した。そして、ウィットとユーオアで知られたベルリン市民の間で数カ月前から「スターリンは自分で防共協定に参加する」という笑い話が受けていることを消化して、ドイツ人の防共協定についての考え方がこれでわかる、とこれも冗談めいた口調で片付けている。
(p.70-71/朝日選書 816|スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想/著:三宅正樹/朝日新聞社/ISBN978-4-02-259916-2)
大日本帝国はソ連を敵視していなかったと考えるのが妥当だと思われます。

そういえば、近衛文麿は大日本帝国政府内の赤化に警鐘を鳴らしていました。

>近衞文麿の上奏文
>昭和二十年二月十四日拝謁上奏
>少壯軍人の多數は、我國體と共産主義は兩立するものなりと信じ居るものの如く、軍部内革新論の基調も亦こゝにありと存候。皇族方の中にも此の主張に耳傾けらるゝ方ありと仄聞いたし候。
>職業軍人の大部分は、中以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、只彼等は軍隊教育に於て、國體觀念丈は徹底的に叩き込まれ居るを以て、共産分子は國體と共産主義の兩立論を以て彼等を引きずらんとしつゝあるものに御座候。
>抑も滿洲事變、支那事變を起し、之を擴大して遂に大東亞戰爭にまで導き來れるは、是等軍部一味の意識的計畫なりしこと今や明瞭なりと存候。滿洲事變當時、彼等が事變の目的は國内革新にありと公言せるは有名なる事實に御座候。支那事變當時も、「事變は永引くがよろし、事變解決せば國内革新は出來なくなる」と公言せしは、此の一味の中心人物に御座候。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/WA14.HTM
>近衛文麿の上奏文(1945_2_14)

大日本帝国外務大臣の松岡洋右は1941年3月24日に行われたスターリンとの会談で以下の通り発言したと伝えられています。

>松岡は、ベルリンからの帰りに自分が立ち寄るまでに、スターリンに次の二点を考えておいてもらいたいと語った。以下、スラヴィンスキーが挙げている、ロシア外務省公文書館が公開した、スターリン・松岡会談記録から引用する。
>一、ご存知の通り、日本の最高権力は天皇に、つまり普通の翻訳で言うところの皇帝にある。しかし、これは正確でない。というのは、日本は古くから共産主義を持っているからだ。松岡は日本の生活を引き合いに出して、その本質を説明し、この共産主義を道徳的共産主義と呼んだ。
>アングロサクソンの伝統は日本に害を与え、産業革命は道徳的共産主義の発展を妨げている。しかし現在、有志のグループが結成され、実際のところたいして大きくないが、自分達の原則を広大なアジア空間に普及させることを目指している。グループは自分達の原則を日本語で「八紘一宇」と呼んでいるが、翻訳すれば、正義を基礎とする世界中の平和である。
(p.205-206/朝日選書 816|スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想/著:三宅正樹/朝日新聞社/ISBN978-4-02-259916-2)
(近衞文麿の死は本当に自殺だったのか?)
大日本帝国がソ連の属国だったとしても私は驚きません。

ここでひとつ、面白い事実があったのでお知らせいたします。
ビクトル・スヴォーロフの唱える「砕氷船」論を信じるならば、1933年2月27日にドイツで発生した国会議事堂炎上事件について理解がし易くなります。
>ゲーリングもしくはヒトラー自身が放火の黒幕だという最初の噂は、まだ消火活動が続いている最中からすでに囁かれていた。
(p.134/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)
そうですが、しかし
>「頻繁に繰り返されるこの種の主張に対して、ナチが放火犯であるという証拠を発表できた者は、これまで一人としていない」と、ジャーリストのスヴェン・フェリックス・ケラー保父は、2008年に出版した議事堂火災に関する研究書に記した。
(p.137/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

Cui bono?
誰が得をするのか?
当時ドイツの国会議員だったヴィルヘルム・ヘーグナーは、このシンプルな問いを演説会で聴衆に訴えたそうです。
>「誰が得をするのか?」というシンプルな問いに対して、実際このケースでは答えは一つしかない。ナチである。
(p.136/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

違うな。
答えは二つある。ビクトル・スヴォーロフの唱える「砕氷船」論を信じるならば、得をするのは2つ。
ナチと、
ソ連

さて、国会議事堂炎上事件の犯人として逮捕されたマリヌス・ヴァン・デア・リュッベの経歴を見ると、
>一九三一年春以降、彼は何度かヨーロッパ放浪を企てた。目的地は、リュッベが賞賛してやまないソヴィエト連邦である。だがある時はベルリンで諦め、またある時はユーゴスラヴィアまでたどり着き、最後にはポーランドのソ連国境手前で拘束され、一九三二年四月に故国へ送還された。
(p.138/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)
彼はソ連との接点がありそうです。

マリヌス・ヴァン・デア・リュッベはソ連の手先だったのではないか?

マリヌス・ヴァン・デア・リュッベがソ連の手先であったなら国会議事堂炎上事件についてスッキリ理解できます。


さて、
この国会議事堂炎上事件はドイツ版二・二六事件といえます。
国会議事堂炎上事件を奇貨としてナチ党は共産党の弾圧を進めます。
二・二六事件を奇貨として統制派は皇道派の粛清を進めます。
となると、二・二六事件のメンバーの中にソ連の手先がいたはずです。

そういえば、二・二六事件に参加した兵士の証言の中に以下のような証言がありました。
>大八木 泰蔵
>(歩兵第三連隊第一中隊 二等兵)
>終わりに二・二六事件発生の直接動機となった相沢事件の本人、相沢中佐と処刑後満州で面接した時のことを添えておきたい。
>私が渡満後の昭和十三年二月頃、中隊長市川治平大尉の指揮で兵要地誌作成のため興安嶺の山中に入ったときのことである。
>中隊長は作業の途中で一寸寄り道をして行こうといって山中の小さな村落を訪れた。満州では村のことを"屯"と呼んでいた。そこは満人ではなくオロチョン族が住んでいて、間もなく出てきた屯長を見ると驚くべし、相沢中佐その人であった。勿論現地服をまとい、軍人の色彩は何一つ身につけていなかったが、中佐は現在屯長として暮らしていたのである。
>私はあまりのことに驚き息をのんだ。死刑になった筈の本人が生きている、そして中隊長と話を交わしているのである。私にはそれが相沢中佐を見た初めであり最後であったが、このため二・二六事件で銃殺された首謀者も生きているのではあるまいかと思うことがある。
>その一例としてやはり満州にいた頃、戦友(名前を失念)が将校集会所に勤務していた折、死んだ筈の坂井中尉が中国服でやってきて将校連中と話を交わし、しばらくして帰っていったいうことを私に耳打ちしてくれた。
>私はこの二人の生存について半信半疑のまま今日に至っている。
(p.178-183/新編 埼玉県史 別冊 二・二六事件と郷土兵/埼玉県)

>吉野庫之
>(歩兵第三連隊機関銃隊 二等兵)
>新京に居た頃不思議な話しを聞いた。ある日のこと埼玉県から満州移民団が新京に立ち寄り、指揮者である出井菊太郎氏が、私の村から(北埼玉郡利島村)入隊している兵隊さんに、夕食をご馳走したいという申込みが大隊長にあり同村出身者数名を料亭に招待したとのこと。その時出井氏が同席している一人を指差して、あなた達この人を知っていますか、と言われたので見ると一中隊の者がアッと声をあげ、高橋教官だといったそうである。列席者はびっくりして改めてその人を見つめた。彼の服装は軍服ではなかったがまぎれもなく高橋少尉に間違いなかった。彼はすでに処刑されてこの世にはいない筈なのに現に目の前に立っているのはどうしたことだろうか。皆は自分の目を疑った。しかしそこにいるのは幻ではなく本物の高橋少尉なのである。その後高橋少尉は一行と別れ、どこかの特務機関に入ったらしいと人づてに聞いたことがある。その時私の中隊からも、二、三名が招待を受けているので高橋少尉との出合いの話はその人達から聞いたように記憶している。
(p.494-499/新編 埼玉県史 別冊 二・二六事件と郷土兵/埼玉県)

こんな話、最初は一笑に付していたのですが。

まあ、例え仮に彼らがソ連のエージェントだったとだったとしても、それはそれ、これはこれ、
当方としては彼らを靖国神社に合祀することで有効活用させていただこうじゃありませんか。

相沢三郎中佐の靖国神社合祀も実現させましょう。
閑話休題。
大日本帝国がソ連の属国だったとしても私は驚きません。
では、大日本帝国軍のトップはどうだったのでしょうか?
大日本帝国軍のトップとはだれか?
もちろん、大元帥たる、
天皇
です。

■ 裕仁はソ連の手先か?

私は、二・二六事件において気になっている点があります。
二・二六事件における裕仁の振る舞いです。
本庄日記によると、二・二六事件において、裕仁の振る舞いは明らかに普通ではありません。

> 昭和十一年
>二月二十七日
> 廿七日拝謁の折、暴徒にして軍統帥部の命令に聴従せずば、
> 朕自ら出動すべしと屡々繰り返され、其後二十八日も亦、朕自ら近衛師団を率ひて現地に臨まんと仰せられ、其都度左様な恐れ多きことに及ばずと御諌止申上ぐ。其当時陛下には、声涙共に下る御気色にて、早く鎮定する様伝へ呉れと仰せらる。真に断腸の想ありたり。
(p.235/本庄日記≪普及版≫/本庄繁/原書房/ISBN4-562-02015-6)

なんなんでしょうか、これは?
あたかも脅されているかのような様子です。
裕仁の様子の異常さは、相沢事件の際の振る舞いと比較するとさらに顕著になります。
本庄日記によると、昭和十年に永田軍務局長が斬殺された相沢事件について、一報を受けたときの裕仁の反応は以下のとおりです。

> 昭 和 十 年
>八月十二日
> 此日午前九時過、永田軍務局長、中佐相沢三郎の為め、局長室にて惨殺さる、午後一時二十分人事局課員御用邸に参内、右永田局長を中将に進級方内奏を請ひしに因り直に伝奏せし処、
> 陛下には、陸軍に如此珍事ありしは誠に遺憾なり。更に詳しく聴取し上奏すべく仰せられ、尚ほ此儘水泳に出て差閊なきやと御下問あらせらる。
(p.224/本庄日記≪普及版≫/本庄繁/原書房/ISBN4-562-02015-6)

相沢事件の際には「水泳に出て差閊なきやと御下問あらせらる」ほどの余裕を見せていた裕仁が、
二・二六事件の際には、「朕自ら近衛師団を率ひて現地に臨まんと仰せられ」、まるで長いナイフの夜におけるヒトラーのように自ら率先して蹶起部隊の鎮圧に乗り出します。
何が裕仁をしてそうまで駆り立てたのでしょうか?

さらに、
私は、本庄日記を読んでいるときから、気になっていることがあります。
それは、頻繁に謁見室(?)から退室しては戻ってくるということです。
まるで、退室した先に、何者かがいて、その人物の指示を受けて、その指示とおりに振舞っている。
そのような印象を受けました。私の単なる想像に過ぎませんが。
ロコソフスキー
彼はポーランド軍のトップを勤めていた、ポーランドにおける事実上の最高権力者です。

>ロコソフスキーがポーランドにおける事実上の最高権力者であっても、スターリンがロコソフスキーと軍事同盟を結ばねばならない理由が、どこにあるであろうか。
(p.20/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

元GRU将校のビクトル・スヴォーロフは、スターリンにとっての、ポーランド軍のトップであるロコソフスキーの立場について以下のように説明しています。
>ワルシャワにいるかれの部下は、ソ連邦元帥ロコソフスキー。
(p.20/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

そして、ロコソフスキーの置かれた状況について以下のとおり述べています。
>ポーランドにおける全能の支配者になり、ロコソフスキーはスターリンのお気に入りとしてとどまったが、だがやはり、死刑判決は帳消しになってはいなかった。一九五三年スターリンの死後まで、取り消されなかった。この程度のお気に入りなら、いつ銃殺刑に処せられても、不思議ではない。かりに死刑の判決が取り消されたとしても、別の判決をでっち上げるのは、朝飯まえのことだ。
(p.20/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

ロコソフスキーさんは大変な状況に追い込まれていたのですね。
声涙共に下る御気色にてお仕事をなさることもあったと思うんですきっと。
>スターリンとロコソフスキーの間柄は、スターリンが命令を出し、ロコソフスキーが文句なしに遂行してゆくという前提によって、成り立っているのだ。
(p.21/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

>モロトフとの会談に次いで、同じ三月二四日に行われたスターリンとの最初の会談で松岡は、儀礼的な挨拶の後で、帰途「モロトフ同志と日ソ関係改善について何回か会談」したいと述べた。
>松岡は、ベルリンからの帰りに自分が立ち寄るまでに、スターリンに次の二点を考えておいてもらいたいと語った。
> 一、ご存知のとおり、日本の最高権力は天皇に、つまり普通の翻訳でいうところの皇帝にある。
(p.205/朝日選書 816|スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想/著:三宅正樹/朝日新聞社/ISBN978-4-02-259916-2)

たとえ裕仁がソ連の手先だったとしても責められないと私は思うのです。

裕仁はソ連の手先か?


■ 大日本帝国軍は、ソ連軍の一部か?

ポーランド軍は大日本帝国軍と似ています。
政府から独立している点において。

ポーランドにおいて、軍は政府から独立していました。元GRU将校のビクトル・スヴォーロフは、以下のように描写しています。
>戦後になっても、ポーランド政府には、「ポーランド」軍の将官を任命したり、昇進あるいは降等させる権限はまったく与えられなかった。
>ポーランド政府は、ポーランド軍の問題に口ばしを入れることが、許されていなかったからであった。
(p.23/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

軍の統帥権が独立していた大日本帝国とポーランドとは同じ構造といえるのではないでしょうか?
そして、東欧諸国の軍の仕組みをスヴォーロフは以下のように描写しています。
>ソ連軍の「軍事顧問」によって編成された東欧諸国の軍を、完全に掌握していたのは、モスクワであった。
(p.26/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

ソ連軍が満州に侵攻した時の大日本帝国軍のソ連軍に対する卑屈さを鑑みると、さらには、
アメリカ軍に対する大日本帝国軍の姿勢を鑑みると、
以下のような疑念が浮かびます。

ワルシャワ条約統一軍は、ソ連軍の一部である。
(p.30/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

大日本帝国軍は、ソ連軍の一部か?

■ まとめ
以上のように、二・二六事件における裁判を鑑みるに、以下の疑問が浮かびました。

大日本帝国軍は、ソ連軍の一部か?
裕仁はソ連の手先か?
そして
大日本帝国はソ連の属国だったのではないか?


2.自民党や維新の会の背後にいるのはノーメンクラトゥーラではないか?

 もっとも、素人の我々にはこれ以上の追及は難しいでしょう。
「大日本帝国はソ連の属国だったのではないか?」や「裕仁はソ連の手先か?」や「大日本帝国軍は、ソ連軍の一部か?」といった疑問などは、歴史家が調べればよい話であって、我々素人がこれ以上追求することは難しいでしょう。

>抑も滿洲事變、支那事變を起し、之を擴大して遂に大東亞戰爭にまで導き來れるは、是等軍部一味の意識的計畫なりしこと今や明瞭なりと存候。滿洲事變當時、彼等が事變の目的は國内革新にありと公言せるは有名なる事實に御座候。支那事變當時も、「事變は永引くがよろし、事變解決せば國内革新は出來なくなる」と公言せしは、此の一味の中心人物に御座候。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/WA14.HTM
>近衛文麿の上奏文(1945_2_14)

ソ連からの裕仁に対する命令書の類のような直接的且物的証拠でもあれば話は別ですが。

問題は現在です。

ソ連が崩壊し、社会主義政党も共産主義政党も弱体化した現在、もはや赤化の脅威は去ったといえるのでしょうか?
ひょっとしてそうではないのではないか?
私はそう疑っています。

私は以前から疑問に思っていることがあります。
なぜ維新の会の政治手法は共産主義的なのか?

■ なぜ維新の会の政治手法は共産主義的なのか?

維新の会の共産主義的な政治手法とは、
民主集中制
民主集中制のことを言っています。

民主集中制とは、
>民主主義的中央集権制(みんしゅしゅぎてきちゅうおうしゅうけんせい)、または民主集中制(みんしゅしゅうちゅうせい)とは、レーニン主義の系譜を引く政党が採用する組織原則で、民主制と中央集権制を折衷・統一した制度。実際の内容は国や時期によって異なる。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E9%9B%86%E4%B8%AD%E5%88%B6)
>民主集中制 - Wikipedia

ここで、以下に、維新の会の政治的な特徴について、次のような分類でまとめてみました。
(1)選挙
(2)中央集権的な傾向
(3)上級機関による決定の下級機関に対する拘束性
(4)対立組織に対する組織的な排除


(1)選挙
維新の会の政治は、選挙による民主主義的な体裁をとりつつ、

>エリート育成 格差は辞さず
>「維新の会」大阪市議
>坂井良和氏(66)
>政治家は選挙で支持を集めている。
>結果の是非は、選挙で判断を仰ぐ
(朝日新聞 2011年10月10日 朝刊 34ページ 大阪本社)

>大阪市長選 変革選択迫り「独裁」かわす
>選挙期間中、橋下氏はほぼ市内に張りついて自らの選挙運動に徹した。
>「身近な市民サービスは、選挙で選ばれた区長を置いて区役所でする」
(朝日新聞 2011年11月28日 朝刊 35ページ 大阪府)

>職員条例 2月に修正案
>大阪・松井新知事 骨格変えず
>「選挙結果で民意が示されたのだから、職員は知事の方向に従ってもらう」
(朝日新聞 2011年11月29日 朝刊 1ページ 大阪本社)

>笑顔でバンザイした橋下氏が真顔に戻り、(略)
>「府と市の職員、教育委員会は、選挙結果を重く受け止めるようにお願いしたい」と迫った。
(朝日新聞 2011年11月29日 朝刊 37ページ 大阪本社)

>焦点は「教育目標」
>橋下氏は「首長が目標を定め、選挙で審判を受けることで責任を負うべきだ」
(朝日新聞 2011年12月30日 朝刊 26ページ 大阪本社)

>「組合適正化条例」提案へ
>橋下市長 府市統合アピール
>市幹部らには「僕が選挙で選ばれたトップだと認識して」と呼びかけ、
(朝日新聞 2012年1月4日 夕刊 1ページ 大阪本社)

(2)中央集権的な傾向
中央集権的で、

>   大阪府教育基本条例
>(知事)
>第六条 知事は、府教育委員を任命する権限のみならず、地方教育行政法の定める範囲において、府内の学校における教育環境を整備する一般的権限を有する。
>2 知事は、府教育委員会との協議を経て、高等学校教育において府立高等学校及び府立特別支援学校が実現すべき目標を設定する。
(http://www.pref.osaka.jp/gikai_giji/2309gian/100503outlines.html)
>大阪府議会/平成23年9月定例府議会議員提出第3号議案の概要


(3)上級機関による決定の下級機関に対する拘束性
上級機関の決定は、下級機関にとって、拘束力を持たせるようにしており、

>   大阪府教育基本条例
>(保護者)
>第十条 保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない。
>2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。
>3 保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。
>(学校協議会)
>第十一条 府立高等学校及び府立特別支援学校に、保護者及び教育関係者(当該学校の教員及び職員を除く。)の中から校長が委嘱した委員で構成される学校協議会を設置しなければならない。
>2 学校協議会は、校長の求める事項について協議し、学校運営に関し意見交換や提言を行うほか、次に掲げる権限を有する。
> 一 第五条第二項及び第四十六条に定める部活動等の運営に対する助言
> 二 第八条第三項に定める校長の評価
> 三 第八条第四項に定める教科書の推薦に関する協議
> 四 第十五条第三項に定める学校評価
> 五 第十九条第二項に定める教員評価
(http://www.pref.osaka.jp/gikai_giji/2309gian/100503outlines.html)
>大阪府議会/平成23年9月定例府議会議員提出第3号議案の概要

>府市の未来は 深夜の主張3時間以上
>教育
>橋下 (略)保護者が関与できることも肝だ。
(朝日新聞 2011年11月28日 夕刊 13ページ 大阪本社)

>大阪 学校ケータイ禁止
>橋下徹知事もこの日の定例会見で「異論、反論あるかもわかりません」としつつ、
>「携帯電話への過度の依存は学習、健康の妨げになる。
>ルールを決めたら守らせるのは家庭、保護者の責任だ」
>と理解を求めた。
(朝日新聞 2008年12月4日 朝刊 1ページ 大阪本社)

(4)対立組織に対する組織的な排除
政治的に対立する組織に対しては、意見が違う事を理由に、組織的な排除を行う。

> これに対し橋下氏は、労組側が11月の市長選で平松邦夫前市長を組織的に支援したことを踏まえて「組合が政治に足を踏み込んだのなら、結果のリスクを負わないといけない」と主張。
>市役所庁舎から各労組の事務所を退去させるよう改めて求めた。
(朝日新聞 2012年1月4日 夕刊 11ページ 大阪本社)


>橋下市長の4日の記者会見の主な内容は次の通り。
>−−職員労働組合トップとの会談について
>普通だったら選挙で負けたら全員クビ。
>今まで市役所、市長が組合に認めていた、法律上の義務以上の配慮は一切リセットする。
>−−「組合との関係を適正化する条例」と「大阪市役所の政治活動を律する条例」の目標時期や狙いは
>2月議会を目指して準備に入る。
>条例に反すれば懲戒処分の対象にもなる。
(朝日新聞 2012年1月5日 朝刊 26ページ 大阪市内)

以上、維新の会の政治的な特徴についてまとめてみると。

維新の会の政治は、
(1)選挙による民主主義的な体裁をとりつつ、
(2)中央集権的で、
(3)上級機関の決定は、下級機関にとって、拘束力を持たせるようにしており、
(4)政治的に対立する組織に対しては、意見が違う事を理由に、組織的な排除を行う。

民 主 集 中 制

これは、民主集中制なのではありませんか?
維新の会が目論んでいるのは民主集中制なのではありませんか?
皆様はどう思われますか?

なぜ、維新の会の政治手法は共産主義的なのでしょうか?

確かに、「維新の会」の党名には「社会主義」の「社」の字も「共産主義」の「共」の字も「ソヴィエト」の「ソ」の字もありません。
しかし、以下のような例もあります。

>「共産党」という名称を採用しないことで、直ちに鎮圧されることは防いだが、SSTPはボリシェヴィキ型の政党になることさえできず、どうすればそうなれるかを理解することさえできなかった。
(p.231/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

>ソ連は革命の初期にエストニア(一九一八〜一九年)やカレリア(一九二〇年)でまず労働者のコミューンを創り、その後に赤軍が彼らの領土を「解放」したが、今回の動きもこれにきわめて近いものであった。この政策にはほかの民主的かつ平和愛好的な分子を取り込んで統治を拡大するという偽善的な意図があり、「ソヴィエト」や「社会主義」という言葉を周到に避ける手法は一年もたたないうちにバルト諸国で繰り返され、続いて東部欧州でも行われた。
(p.266/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

「維新の会」の場合はどうなのでしょうか?


■ ノーメンクラトゥーラ

ソ連が崩壊し、社会主義政党も共産主義政党も弱体化した現在、もはや赤化の脅威は去ったといえるのではないのか?
いや、そうではないかもしれない。

ノーメンクラトゥーラ

ひょっとして、維新の会の背後にいるのはノーメンクラトゥーラではないのか?
ノーメンクラトゥーラが背後にいるから維新の会の政治手法は共産主義的なのではないか?

私はそう疑っています。

ノーメンクラトゥーラとは
>ノーメンクラトゥーラ(ロシア語: номенклату́ра ナメンクラトゥーラ)とは、ソビエト連邦における指導者選出のための人事制度を指す言葉[1]。また転じて社会主義国におけるエリート層・支配的階級や、それを構成する人々を指す言葉としても用いられた。後者の場合は「赤い貴族」、「ダーチャ族」[2]とも呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%A9
>ノーメンクラトゥーラ - Wikipedia

以下はあくまでも私の推測ですが、私はソ連を以下のように見立てています。

ノーメンクラトゥーラという名のゲーテッドシティ

ソ連という国家はノーメンクラトゥーラという部族が支配階級となって支配する封建主義国家。
ソ連には、ノーメンクラトゥーラという名の部族が存在し、その部族の番人を務めていたのがKGB。
モデルは羊飼いで、
羊飼いがノーメンクラトゥーラ
牧羊犬がKGB
羊が国民

狼はさしずめファシズムでしょうか?

■ 部族
>「私たちはきっちりまとまった小部族として、固く手をつなぎ、けわしく困難な道を歩んでいく」とレーニンは、思いがけず抒情的に書いている。
(p.66/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)


■ KGB
>一九八二年一月二九日、ガリーナの愛人であったボリス・ブリヤーチア(ボリショイ劇場のコーラス・ボーイ)がKGBに逮捕された。罪状は、大規模なダイヤモンド盗難事件にまつわるもので、このブリヤーチアが盗まれたダイヤを所持していたのである。大量のダイヤの入手先を詰問されたブリヤーチアは、ガリーナの名前を口走ったという。
> 当時、KGBですら、共産党中央委員会の承認なくして、党の最高幹部とその家族、いわゆる>ノウメンクラトゥラ(特権階級)を逮捕してはならないという不文律があった。ブレジネフの愛娘ガリーナは取調べを受けはしたが、逮捕されなかった。
(p.284/ロシアン・マフィア旧ソ連を乗っ取った略奪者たち/寺谷弘壬/文藝春秋/ISBN4-16-349370-0)

>少しでも逆コースになれば、過去はすなおに語れない
>オレーク・カルーギン、一九三四年、レニングラード〔現在のサンクト・ペテルブルク〕に生まれる。一九五八年に大学を卒業、自らの希望でKGB勤務に就く。
>二時間にわたるインタビューが終わったところで、「伺ったことの一体どの部分なら公表してもさしつかえませんか」とたずねると、オレーク・カルーギンは「全部」、と答え、帰っていった。
>以下はインタビューの模様である[1]。
>──二〇年間、国外情報の収集に従事された後、国内の任務に転じられたとき、どんな印象をお持ちでしたか、ぜひお聞かせください。
> なかなかに啓発的でした、おかげでいろいろなことがわかってきました。たとえばKGBはあるレベル以上のノーメンクラトゥーラ〔特権階級〕を誹謗する材料は収集する権利を持たないことなど。KGBの州委員会にとっての特権階級とは党の州委員会がそれにあたります。ザイコーフが党のレニングラード州委員会第一書記になったとき、KGBのレニングラード州委員会は、ザイコーフの名前が言及されることがないよう、ザイコーフに関する一切を刑事事件の資料から除くように、との指令を出しました。
>KGBのレニングラード州副議長であった私は、自分の裁量だけで盗聴を命じることができました。あるレベルのノーメンクラトゥーラは例外でしたが。しかし、党州委員会の幹部の電話を盗聴してはいけない、ということでもないのです。どうするかは事情次第で党が決定します。
(p.14-22/不死身のKGB/ナターリヤ・ゲヴォルキャン/クインテッセンス出版株式会社/ISBN4-87417-595-3)

■ ファシズム

ナチスの正式名称はNSDAPです。

N S D A P
Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei
国家社会主義ドイツ労働者党

ナチスは社会主義政党です、れっきとした。

なぜ、スターリンは、この社会主義政党に、ファシズムとレッテリングする必要があったのか?


>敵対する社会主義・共産主義陣営であるスターリンやコミンテルンは、ナチズムはイタリアのファシスト党のイデオロギー「ファシズム」の一種であると定義し、「ファシズム」と呼んだ(1920年代の社会ファシズム論、1930年代の人民戦線戦術など)。この用法は戦後にいたっても行われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%BA%E3%83%A0
>ナチズム - Wikipedia

■ 独裁

>ソヴィエト共産党中央委員会書記長独裁は、なんら個人の独裁ではなく、階級的独裁である。この階級の最上層の同意を、どうしても得る必要があった。政治局および書記局の集団的独裁と、書記長独裁とは、現存社会主義において事実上支配している独裁、すなわちノーメンクラツーラ独裁の、相違なる現実形態にほかならない。
(p.451/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

すなわち、
ソ連の中核はノーメンクラトゥーラ
であって、
ソ連の国家体制はノーメンクラトゥーラのための一種の鎧。
だったのだと私は見ています。
ソ連の崩壊においては、フランス革命やロシア革命のような支配層の排除は起こりませんでした。
従って、
ソ連の崩壊は、単に鎧が壊れたに過ぎず、中核たるノーメンクラトゥーラ自体は無傷、と見るのが妥当だと思われます。

>ペレストロイカの開始以降ソ連でも批判が開始され、1989年にノーメンクラトゥーラは制度としては廃止された[4]。しかしソ連崩壊後もノーメンクラトゥーラ層の一部は新生ロシアの政治家や新興財閥(オリガルヒ)となり、新たな階層(シロヴィキ)を形成した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%A9
>ノーメンクラトゥーラ - Wikipedia

ノーメンクラトゥーラは現存している。

西側諸国はソ連崩壊で気を抜いたのではありませんか?
ソ連の中核とも言える存在は残存しているにもかかわらず。

ノーメンクラトゥーラは現存している。
ならば、ソ連のやろうとしていたことは、終わっていないと考えるのが妥当ではないのでしょうか?

世界革命

ノーメンクラトゥーラが支配階級であったことから、
ソ連の政策にノーメンクラトゥーラの意向が反映していると見るのが妥当だと考えられます。


>ノーメンクラツーラの中に、現存社会主義国の、一国の全権力が集中している。ノーメンクラツーラのみがあらゆる政治決定を行う。
(p.128/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

ならば、
>蘇国が尤大なる赤軍を有することは、彼の世界赤化政策遂行の支援の為めである。
http://teikoku.xxxxxxxx.jp/1934_kokubo.htm
>国防の本義と其強化の提唱

>ソ聯が、窮極に於て世界赤化政策を捨てざる事は、最近歐洲諸國に對する露骨なる策動により、明瞭となりつゝある次第に御座候。
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/WA14.HTM
>近衛文麿の上奏文(1945_2_14)

これらのいわゆる「世界革命」はノーメンクラトゥーラの意志を反映していると考えるのが妥当だと思われます。
そして、
ノーメンクラトゥーラは現存していると見られる以上、世界革命が終わったと考えることは早計だと考えられます。

世界革命


■ 宗教とノーメンクラトゥーラ

そういえば、以前、気になる発言がありました。
確かジャーナリストの勝谷誠彦氏だったかと思いますが、テレビ番組で次のような発言をされたかと思います。
「オウム真理教は間接侵略だったと思ってる」

オウム真理教は間接侵略だったのか?
さすがに私には分かりかねます。

ただし、
ひょっとして、オウム真理教がやってる事はある種の世界革命なのではないか?
私はそう疑い続けています。

確かオウム真理教の支部がモスクワにもありました。

>オウム真理教の海外支部はロシアの他にもアメリカ・ドイツ・スリランカにあったが、モスクワ支部が最大の規模を誇った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF%E6%94%AF%E9%83%A8
>オウム真理教モスクワ支部 - Wikipedia

オウム真理教と社会主義

この二つは宗教とイデオロギーで
ぜんぜん違うものではないかと思われるかもしれません。
しかし私は、さもありなんと思いました。
なぜなら私は以前から次のように思っていたためです。

キリスト教と社会主義は似ている

いずれも、
自らの思想を広めようとする傾向があるように見える。
侵略の道具となっているように見える。
キリスト教なら聖書、社会主義なら共産党宣言のように、何らかの書物を思想の基盤においているように思える。
キリスト教信者も社会主義者も、思考をその基盤の書物を中心にして考えており、教条主義的であるように思える。
また、両者共「民衆の生活」ではなく「思想への忠実度」を尺度に行動しているように感じられる。
キリスト教信者と社会主義者は共に原理主義に走る場合があるように思われる。
キリスト教なら「神の下の平等」、社会主義なら「階級のない社会」というように、生活に困窮している人々に訴求するキャッチフレーズを持っているように思える。等々。

キリスト教と社会主義は似ている


ヨーロッパの中世は封建時代でした。
キリスト教は封建体制を支える道具として使われていたような気がします。
言い方を変えると、キリスト教は封建体制において民衆を支配する技術体系だったのではないか?
私はキリスト教に対してそのような見方をしています。

キリスト教を利用すれば、以下の点において、支配階級にとって都合の良い、被支配層の人間を作り出すことが容易になると考えられます。
(1)自殺
(2)生殖
(3)貧困

(1)自殺:
非支配層の人間に自殺されると、労働力の減少を招きます。
だからといって、非支配層の人間を酷使することをやめると生産性が低下する。
ならば、たとえ酷使しても自殺しない非支配層の人間を作り出すことができれば、支配階級にとって都合が良い。

自殺はキリスト教においてタブーです。

>こときれたのは正午十二時であった。法官がいてくれたのと、その処置とで騒ぎは静まった。夜十一時近く、法官のはからいによって、遺体は故人の望んだ場所に葬られた。柩には老人と息子たちがついていった。アルベルトは行かなかった。ロッテのいのちが気づかわれたからである。職人たちが柩をかついた。僧侶はひとりも随行しなかった。
>(『若きウェルテルの悩みおわり』)
(p.178/若きウェルテルの悩み ジュニア版世界文学名作選 (3)/著者:ゲーテ/訳者:高橋義孝/偕成社/8347-802030-0904)

キリスト教を利用すれば、たとえ酷使しても自殺しない非支配層の人間を作り出すことが容易になると考えられます。

(2)生殖:
もしも、支配階級の人間と、非支配層の人間が、勝手に交配すれば、支配階級と被支配層との境界設定があやふやとなります。
純血が維持できなくなるというわけです。
そのようなことになると、支配階級の結束が崩れます。
そうなると、支配階級による、支配に支障が生じ、封建体制の維持に支障を来たす恐れがあります。

そこで、封建体制維持のためには、支配階級と被支配層との明確な境界設定を維持する必要があるのです。

キリスト教は禁欲的といわれています。
色欲は、キリスト教において、七つの大罪のひとつです。

色欲を抑止して、快楽のためではなく生殖のみを目的として性行為を行わせることによって、雑種の発生を防止することが容易になると考えられます。
これにより、交雑の防止、血統管理、優生学的な品種改良が容易になると考えられます。
キリスト教を利用すれば、支配階級の純血を維持することが容易になると考えられます。

(3)貧困:
>フィンランド北部や中部のサヴォ地域北部よりもさらに辺境に位置する耕地は、凶作のために繰り返し飢饉に苦しめられた。シラカバの樹皮を粉にして材料の一部にしたり、あるいはそれだけで作った「飢饉のパン」は、多くの地域で必需品だった。信仰心がまだあつい社会では、このような苦しみは罪深さに対する神の罰だと考えられていた。たとえば、ぜいたく品と見なされていたコーヒーを過度にたしなむなど、「清貧」な暮らしからの逸脱には強い疑念が残っていた。辛苦は小作人の定めで、我慢強く耐えるべきもので、その典型としてもっとも知られているのが、詩人リューネバリが描いた貧しい農民のパーヴォである。
(p.154/世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)

>信仰心がまだあつい社会では、このような苦しみは罪深さに対する神の罰だと考えられていた。
>辛苦は小作人の定めで、我慢強く耐えるべきもので、

キリスト教を利用すれば、搾取されても文句を言わない従順な被支配層を作り出すことが容易になると考えられます。

(1)自殺
(2)生殖
(3)貧困
以上の点において、キリスト教は、封建体制において、支配者層にとって、支配しやすい人間を作り出す能力があると考えられます。
キリスト教は、支配階級にとって便利な道具だと考えられます。

なるほど、エルサレムの帰属をめぐって争いの絶えない訳です。
エルサレムはセム系の宗教の聖地です。
聖地を押さえた勢力は、宗教上の権威が高まります。
つまり、宗教を利用する主導権を握ることができるようになるのです。
こんな、民衆の支配に便利な道具を利用する力を手に入れようとするのは当然です。
なるほど、エルサレムの帰属をめぐって争いの絶えない訳です。

私は、歴史上、封建体制の国々というのは、一種の部族社会だったのではないかと思っています。
支配的な力を持つ部族が、他の部族や民衆を支配する手段、それが封建体制といわれる技術体系ではないか?
そして、キリスト教や社会主義も、部族主義において部族が他の部族や個人を支配する手段なのではないか?
そう思っています。

あるいは、キリスト教も社会主義も、呼び名が違うだけで、両者共、本質は封建主義なのではないか?
キリスト教と社会主義は、封建体制を売り込むための宣伝文句なのではないか。


そういえば、ネット上で面白いことを言っている方がいらっしゃいました。

>gndxg925さん
>派閥争いの、主義主張は宣伝文句です。
>どちらかが黒と言えば、敵対する派閥は白と言います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11110532211
>戦前の日本は皇道派と統制派という二つの勢力に分かれており、皇道派が民族主義、___ - Yahoo!知恵袋

うまいな(笑)

>だが、ノーメンクラツーらは、その圧倒的多数が、実際ロシア人である。彼らがソヴィエトを支配し、ソヴィエトに服従するほかの現存社会主義国を支配している。それゆえ、彼等の大国ぶりとショーヴィニズムは、ロシア愛国主義に特別の重きを置き、ロシア人民の間で一定の反響を見出している。
> この要素を軽視してはならない。この要素とヒトラーの政治が、第二次大戦において、ノーメンクラツーラに勝利をもたらしたのである。ノーメンクラツーら階級は、貴族─帝政ロシアの支配階級─のお手本に従って、人民から用心深く離れていたが、このえせ愛国イデオロギーの授けをかりて、当時、人民に架橋することができた。
> レーニン主義者は、生前、この貴族のマヌーバーを十分に承知していた。だから、革命以前には、この架橋を爆破するために、階級闘争とインターナショナリズムの理念を宣伝した。権力に就くや、ノーメンクラツーらは、みずから大国ショーヴィニズムに向かい、自分たちが支配する社会における階級問題については一切沈黙した。
(p.490/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

>革命以前には、この架橋を爆破するために、階級闘争とインターナショナリズムの理念を宣伝した。

ひょっとして、キリスト教徒がローマ帝国を倒した手法ってこれか?

>映画「アレクサンドリア」公式サイト
http://alexandria.gaga.ne.jp/

なるほど!だから"ノーメンクラトゥーラ"なんか♪

キリスト教の指導者と社会主義の指導者には関係があるのでしょうか?
キリスト教が弱体化して、代わりになる民衆を支配する道具を作り出したのが社会主義だったのでは?
そんな憶測も生まれてきます。

そういえば、
キリスト教における布教と異端審問や魔女裁判は、
社会主義における赤化と粛清に似ているような気がします。
社会主義者たちのノウハウは中世ヨーロッパで磨かれたのかなあ?
そんなことも思っています。
単なる想像に過ぎませんが。






自分が作り上げた宗教を支配の道具なんぞに使われて、



イエスキリストさんもいい迷惑でしょうな。



イエスキリストさんは草葉の陰で泣いておるぞ。



悔い改めよ!>クリスチャン


そこで、私は以下のように想像しています。
ノーメンクラトゥーラは2つの手を持っているのではないか?
社会主義
宗教

そして、もう一つ手を持っているのではないかと疑っています。
産業資本

■ エコノミックアタック

ナチスドイツの不自然な点の一つにナチスドイツの経済政策があります。
ナチスが政権をとると、ドイツの景気が上向いたという事実があります。

>一九三三年三月、自動車業界はその前年の同じ月に比べて四十二パーセント増の自動車登録台数を記録する。
(p.115/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

しかし不思議なことに、ナチスの経済政策が景気の上昇に貢献したという記事は私は見かけませんでした。
>経済史家クリストフ・ブーフハイムは経済データを精査した結果、後に「総統」の功績に数えられた好景気は、実のところ一九三二年末に始まっていたという結論に達した。逆にヒトラー政権が導入した対策は経済の活性化になんら影響を及ぼさず、むしろ不確実性と混乱を招く結果なった。「世界恐慌からの回復は一九三二年秋に始まったが、この回復基調は、ナチ独裁が政権を強奪したからではなく、むしろそれにもかかわらず一九三三年も継続した」。これがブーフハイムの結論である。
(p.116/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

>むしろそれにもかかわらず一九三三年も継続した
むしろ関係がないという記事のほうが目に付きます。
不自然

おもしろいことに、イタリアのファシスト政権でも景気上昇が起こっていました。
>イタリア経済はファシスト政権期のごく初期を除いて悪化を続けており、国債発行額は政権当初の1921年には930億リラであったのが1923年には4,050億リラに急増している[34]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%8F%B2#.E7.AC.AC.E4.BA.8C.E6.AC.A1.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E6.88.A6
>イタリアの軍事史 - Wikipedia_A6

ここで一つの疑問が浮かびます。

人為的に、不況や好況を引き起こす事が出来るのではないか?


sそういえば、
アメリカのCIAがチリのアジェンダ政権を転覆させる際、以下のような手段をとっていました。

>リチャード・ヘルムズCIA長官は、「おそらく10に1つのチャンスしかないが、チリを救わなければならない!……リスクはどうでもいい……1000万ドル使え、必要ならばもっと使える……経済を苦しめさせろ……」と指示し、どんな手を使ってもアジェンデ政権を打倒する姿勢を見せた。合衆国などの西側諸国は経済封鎖を発動、もともと反共的である富裕層(彼らの多くは会社・店などを経営している)は自主的にストライキを開始した。さらに1972年9月にCIAは物流の要であるトラック協会に多額の資金を援助しストライキをさせたほか、政府関係者を買収してスパイに仕立て上げた。
(略)
>こうした混乱により、1971年末から野党は連合して人民連合政府を批判するようになり、さらに1972年6月には人民連合内部での路線対立が尖鋭化した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%87
>サルバドール・アジェンデ - Wikipedia

このときCIAがとった手段は、人類史上初の試みだったのでしょうか?
このように経済にダメージを与えて政権の転覆を図る手法は、CIAが独自に開発して、このとき初めて実戦投入されたのでしょうか?

もしもそうでないのならば、過去にも同様の手法が図られて、転覆させられた政権があったはずです。

では、
ヴァイマール憲法末期のドイツはどうだったのでしょうか?

>景気浮揚の原動力としてヒトラーが見出したのは、新しい奇跡の道具、自動車であった。
>一九三三年三月、自動車業界はその前年の同じ月に比べて四二パーセント増の自動車登録台数を記録する。道路網の拡張、特にアウトバーン建設の宣言もまた、魔法の呪文のように聞こえた。ただし、今日までナチ党の驚くべき発明のように見えていたものは、実はすでに詳細に作り上げられていた計画書を実現したものに過ぎない。これらは二〇年代中頃から自動車業界ロビーの引き出しに入っていたのだが、経済危機のせいで大部分が検討を拒否されていた。
>他の成果報告もこれと似たような事情で、新政府の利益になるように歪曲して書かれた。雇用創出事業と軍備増強計画はすでにシュライヒャー政権によって準備されていたが、これはまたさらにその前の政権による計画を確定したものだった。
(p.115-116/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)


そういえば、ヒトラーは当初、「大資本家の意を受けた、実権をもたない看板に過ぎない」と見られていました。

>レーニンと並ぶロシア革命の重鎮、亡命者レフ・トロツキーはフーゲンベルクを最重要人物とみなし、ヒトラーは大資本家の意を受けた、実権をもたない看板に過ぎないと判断した。
>ナチのアジテーターは臆面もない産業界の利益代弁者以上の存在ではないというイメージは、驚くほど長く信じられてきた。
(p.68/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

たしか、書籍「ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月」の中で著者のグイド・クノップは「ナチ党によるドイツの権力掌握」の第一歩として紹介しているのが、1933年1月4日にケルンの銀行家の別荘で行われた予備協議です。

>悲劇の政治を決定づけた一幕は、偽装工作で始まった。一九三三年一月四日朝(略)
>(略)ヒトラーはライン川に沿ってケルンへ向かった。この隠密行の目的地は、この町を囲む森の中に立つ、銀行家クルト・フォン・シュレーダー男爵の別荘だった。
>こんなかくれんぼのような謀り事を弄してまで大衆の目から隠したかったのは、他でもない来るべきドイツの政権移譲を、この高貴な住所でお膳立てしようということだった。そして、謎の交渉相手の匿名性も守らなくてはならなかった。彼はヒトラーに少し送れて舞台に現れた。保守派の政治家フランツ・フォン・パーペン。権力の舞台裏で糸を引く、この男が黒幕であった。
(p.19/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

>銀行家クルト・フォン・シュレーダー男爵の別荘
「ヒトラーは大資本家の意を受けた、実権をもたない看板」という意見に信憑性が出てきますね。

ヒトラーのバックが大資本家なり産業界ということは、
ビクトル・スヴォーロフの唱える「砕氷船」論を信じるならば、
ヒトラーの背後関係は以下の図式となります。
又は
さらにノーメンクラトゥーラの存在を念頭に置くと、以下の図式となります。
又は
又は
そこで、私は以下のように想像しています。
ノーメンクラトゥーラは3つの手を持っているのではないか?
宗教
社会主義
産業資本

>「ドイツ国民よ、われわれに四年の猶予を与えよ。しかる後にわれわれを裁き、判決を下したまえ!」。二月一〇日、満場のベルリン・スポーツ宮殿で初めて公式に姿を現した首相は、観衆に向かってそう懇願した。
> 過去一四年間の「惨状」とそれを引き起こした人たちに対するお決まりの追求を終えると、ヒトラーは献身的な救済者として自分をアピールすべく、きわめて困難な状況でも外国の援助に頼らずドイツ国家を建て直すと宣言した。このとき彼は、具体的な計画をなるべく明言しないように努めた。
> ヒトラーの政策はその名を「ドイツ」といった。支持者にはそれで十分のようだった。ホールを埋めた聴衆のほとんどが、礼拝の儀式めいたこの決起集会の演出に陶酔した。
(p.112/ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)

現在の日本国民であれば、当時のドイツ国民の気持ちが理解できるのではないでしょうか?

>景況感 9カ月ぶり改善
>日銀短観円安・株高効果
>安倍政権の経済政策「アベノミクス」で円安と株高が進み、米国や中国など海外経済が回復したのを背景に、景気の持ち直し傾向が鮮明になった。
(朝日新聞 2013年4月1日 夕刊 1ページ 東京本社)

>アベノミクス 評価の声
>全国主要100社 景気アンケート
>朝日新聞の主要100社への景気アンケートで、「アベノミクス」を評価しながらも、その副作用を心配する経営者の声が目立った。
(朝日新聞 2013年6月23日 朝刊 7ページ 東京本社)

現在の日本国民であれば、当時のドイツ国民の気持ちが理解できるのではないでしょうか。


■ 天才についての考察

天才とは何か?
私は以下のように考えています。
天才とは一種の自動書記である。

ジーニアス英和辞典によると
ge・nius【原義: 守護神,守護霊】
とあります。
私はこの原義が的を得ているように思われます。

以前TEDトークで天才についてのスピーチがありました。
>Elizabeth Gilbert
>エリザベス・ギルバート
>Your elusive creative genius
>「創造力の神秘を探る」

エリザベス・ギルバート曰く
>"ancient Greece and ancient Rome – people did not happen to believe that creativity came from human beings back then, OK? People believed that creativity was this divine attendant spirit that came to human beings from some distant and unknowable source, for distant and unknowable reasons. "
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/130422.html
>4月22日放送 これまでの放送 スーパープレゼンテーション|Eテレ NHKオンライン

現代でいう、電波でしょうか?

天才とは何か?
私は以下のように考えています。
天才とは一種の自動書記である。

何が言いたいかというと、要するに、
天才とは、創造活動の分野において出現する存在
のはずだということです。

たとえば、モーツァルト。
彼は天才と呼ばれていますが、音楽という分野の、作曲という創造活動の分野で現れた天才です。
モーツァルトは5歳にして初めての作曲をしています。

>父・レオポルトは息子が天才であることを見出し、幼少時から音楽教育を与えた。3歳のときから チェンバロを弾き始め、5歳のときには 最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 K.1a)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88#.E5.B9.BC.E5.B9.B4.E6.9C.9F
>ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト - Wikipedia_9F

天才ですね。
このように、天才とは創造活動の分野において出現するものだと私は考えています。
そこで、技術の分野で抜きん出た能力を持つ人物を天才と呼ぶのは間違いだと私は考えています。

では、イチロー選手はどうでしょうか?
イチロー選手は天才でしょうか?

>1994年
>次の試合でシーズン最多安打記録を44年ぶりに更新し、同月の122試合目には日本プロ野球史上初、130試合制としては史上唯一となるシーズン200本安打の偉業を達成した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC#.E3.83.97.E3.83.AD.E5.85.A5.E3.82.8A.E5.89.8D
>イチロー - Wikipedia_8D

彼は数々の記録を塗り替えて天才と呼ばれていますが、私は彼を天才だとは思っておりません。
私はイチロー選手を達人だと思っています。

歴史上、技術の分野で類まれな能力を発揮する人物が出現しています。
宮本武蔵、塚原卜伝、伊東 一刀斎、上泉信綱、左甚五郎、本因坊秀策、etc.
彼らを日本語では達人や名人と呼んでいます。
私はイチロー選手を名人や達人の類なのだろうと思っています。

天才と名人達人の違いは何か?
先天的か後天的かの違いだと思っています。
天才が先天的にひらめきを得ることで常人離れした創造をする能力を発揮するのに対して、
名人達人は後天的に長期間にわたる修練の結果身に着けた技術により優れた能力を発揮する。
天才と名人達人の違いは能力を身につけるその道筋にあると考えています。

イチロー選手は、1994年に本人にとって初の200本安打を達成しています。

>小学3年生の頃から学校から帰ると、父親と近くの公園で野球の練習に明け暮れた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC#.E3.83.97.E3.83.AD.E5.85.A5.E3.82.8A.E5.89.8D
>イチロー - Wikipedia_8D

イチロー選手の記録達成当時の年齢は21歳、野球を始めて13年目、そしてプロ野球選手になって3年目のことでした。
イチロー選手の活躍は、まさにこのような長年の修練の賜物といえます。

ではここでひとつ皆様に問いかけをしたいと思います。
次のような出来事はありえると思いますか?

野球をはじめたばかりの人間がイチロー選手並の活躍をする♪


ありえない!

普通そう思われるはずです。

しかし、これに匹敵する出来事が起こっているのです。
政治の世界では。

橋下徹 維新の会共同代表

googleで"橋下徹 天才"で検索したところ、ヒット件数は以下のとおりになりました。
約 354,000 件 (0.16 秒)

これは、googleで"小泉純一郎 天才"を検索して出たヒット件数よりも多い。
約 226,000 件 (0.17 秒)

橋下徹が天才だと世間に認識されているといえるでしょう。
さもありなん。
橋下徹が政治家に転身して任期一期目で、ベテラン政治家でもできない政治的業績を上げているのですから。

ありえない!

普通そう思ってしかるべきではないのか?

政治は技術です。
誰にどのように働きかければ政治的目的が達成できるか?熟知している必要がある。
いったいいつの間に橋下徹はあれほどまでの政治的手腕を身につけることができたのか?
不自然

橋下徹の業績は、野球を始めてすぐにプロ野球新記録を出したようなものです。
皆は、これを、不自然だとは思わないのか?

過去にも橋下徹と同じような政治の天才が出現しています。

ヒトラー

>シュライヒャーに反発したパーペンの協力もあり、ヒンデンブルク大統領の承認を得たヒトラーは国家人民党の協力を取り付けることに成功し1933年1月30日、ついにヒトラー内閣が発足した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%BC#.E7.8B.AC.E8.A3.81.E6.94.BF.E6.A8.A9
>アドルフ・ヒトラー - Wikipedia

国政に携わった経歴がないにもかかわらず、ヒトラーは首相になったとたん、世界に影響力を与えるほどの政治手腕を発揮した。


ありえない!

皆は、これを、不自然だとは思わないのか?

天才だから

そう片付けるのはたやすい。
しかしそれは一種の思考停止ではないのか?

なぜヒトラーは、国政の初心者にもかかわらず、世界に影響力を与えるほどの政治手腕を身につけることができたのか?

普通そう思ってしかるべきではないのか?

ヒトラーと橋下徹

国家元首や地方自治体の首長というのは未経験者でも可の仕事なのか?
両者とも本当に個人の力だけであれだけの政治的な業績を上げているのか?
ひょっとして、背後に何者かがいて、彼らをサポートしているのではないか?

たしかに、彼らには元々才能があった。と考える事も出来る。
しかしむしろ、
彼らには優秀なブレーンがついている、と考えるほうが合理的ではないでしょうか?

似たような印象を受けたことは以前にもありました。
小泉劇場の時です。
自民党が大勝した2005年の郵政選挙での、選挙戦術の手際の良さに私は舌を巻きました。
あの時の選挙の手際の良さは、あの前後の自民党の選挙と比べて異質です。

ひょっとすると、橋下徹にも小泉劇場のときと同じブレーンがバックアップしているのではないか?
例えば、湾岸戦争でアメリカに参戦を決意させたような。
例えば、ボスニア紛争の「国際化」に関わったような。
例えば、国連防護軍サラエボ司令官ルイス・マッケンジー将軍を除去したような。
例えば、ボスニア・ヘルツェゴビナ外務大臣のハリス・シライジッチをPRしたような。
そんなエキスパート集団が関わっているのではないか?
私はそう疑っています。


■ 刑務所群島
問題は日本だけに止まりません。
ノーメンクラトゥーラはアメリカにも影響を与えているかもしれません。

アメリカってソ連化しつつあるのではないか?

雑誌「別冊宝島」にソ連時代の収容所の様子が掲載されていました。

>一九八六年七月十二日、英国で独立テレビ・ネットワーク(4ch)により記録映画「核の強制労働収容所」が放映された。この五十二分間の記録映画は、四年以上の歳月をかけて撮影されたソ連の監獄や「核収容所」の実写フィルムと、実際に強制労働に従事した元囚人たちの証言から構成されている。そこでは、ソ連の囚人たちが核兵器用ウランを産出する鉱山で、放射線防護の措置も講じられないまま長時間働かされ、次々と死んでいっていることが生々しく語られている。
(p.232/別冊宝島(60) 収容所社会ソ連に生きる ナマの声で綴る、いまロシア人であることの悲劇!/JICC(ジック)出版局)

一方、書籍「ルポ貧困大国アメリカ供廚妨渋紊離▲瓮螢における刑務所の実態が描写されています。

>二〇〇二年、アーロンが属するシリコンバレー有害物質連合(SVTC)は、カリフォルニア州マセードの最高警備刑務所内で、囚人たちが自らの手でパソコンを頭上に持ち上げて鉄製の机に振り下ろす解体作業をさせられていることを明らかにした。
>パソコンには、鉛をはじめ、カドミウムや水銀、亜鉛など数々の有害化学物質が含まれている。
>囚人たちは防護服も保護メガネもつけず、頭上から降り注ぐガラスのかけらと有害物質をシャワーのように浴びていた。
(p.169/ルポ貧困大国アメリカ/堤未果/岩波書店/ISBN978-4-00-431225-3)

これは、ソ連の収容所と同じではないか。
なぜ、アメリカがソ連の収容所そっくりの施設を設けているのか?

また、
ソ連における囚人労働の状況は以下のとおり。

>囚人が労働に就いている二百五十二箇所の収容所および監獄の一部から入手した資料によると、囚人労働を利用している生産部門は、国民経済のほとんどすべての部門に及んでいる。
(p.235/別冊宝島(60) 収容所社会ソ連に生きる ナマの声で綴る、いまロシア人であることの悲劇!/JICC(ジック)出版局)

>公式には囚人の労働時間は一日に八時間週六日労働と定められているが、守られることはほとんどない。なにかのキャンペーン期間中はそれがさらにひどくなり、日曜も祭日も休みなく働かされる。そしてそのような規定外の労働が出勤簿に記録されることは決してない。したがって代休はもちろんない。囚人の超過労働は、ほとんど勝手気ままに行われているのである。
(p.240/別冊宝島(60) 収容所社会ソ連に生きる ナマの声で綴る、いまロシア人であることの悲劇!/JICC(ジック)出版局)


>以上がごく普通の囚人の労働条件である。とはいえ、囚人労働に対して一線も賃金が支払われないことも決して稀ではない。
>さらに労賃の算定に際してひどい収奪が行われている例をひとつ挙げると、カラガンダ監獄の囚人はパッケージ用の箱を造る作業に従事しているが、この箱一個を作り上げる労賃がわずか一コペイカで計算されているのである。
(p.241/別冊宝島(60) 収容所社会ソ連に生きる ナマの声で綴る、いまロシア人であることの悲劇!/JICC(ジック)出版局)

>K・G・ダヴィドフ氏への質問
>フェリス・ゲール:我々が知りたいと思っているのは、(略)そして二番目には、西側に輸出されている製品の中の、どれとどれが強制労働によって造られたものなのかを、教えてもらうことができるかということです。
>ダヴィドフ:(略)
> 二番目の質問、輸出された製品の件ですが、ソ連では囚人労働に関する情報が極端に少ないことはご存知のとおりです。
>ただ数年前のことですが、ソ連から西独に輸出された木材の中から、囚人のメモが見つかったことがいちどだけありました。
(p.244/別冊宝島(60) 収容所社会ソ連に生きる ナマの声で綴る、いまロシア人であることの悲劇!/JICC(ジック)出版局)

一方、
現在におけるアメリカの状況は以下のとおり。

>刑務所内で作られる製品やサービスの数は年々拡大しています。一〇〇〇以上の関連企業名が載っている、刑産複合体専門のイエローページ(電話帳)まであるんですよ。
(p.167-168/ルポ貧困大国アメリカ供芯虧げ漫心簀判馘后ISBN978-4-00-431225-3)

>二〇〇六年度の年次報告書の中で、連邦の刑務所事業であるUNICORのディレクターはこう述べている。
(p.168-169/ルポ貧困大国アメリカ供芯虧げ漫心簀判馘后ISBN978-4-00-431225-3)
>UNICORのホームページにある電話オペレーターサービスの広告には、こんなコピーが書かれているという。
「第三世界以下の低価格で国内アウトソーシングを!」
(p.173/ルポ貧困大国アメリカ供芯虧げ漫心簀判馘后ISBN978-4-00-431225-3)

>権利を持たない囚人の賃金が下げられることで、国内の他の労働者がしわ寄せを受ける。
>雇用する側にとってこれ以上ないほど好条件の「労働者」の存在は、一般労働者の賃金を下げるだけでなく、労働者を分断することで組合を弱体化させ、交渉力を失わせることで、労働市場全体が地盤沈下してゆく。
(p.192/ルポ貧困大国アメリカ供芯虧げ漫心簀判馘后ISBN978-4-00-431225-3)

「国内の他の労働者がしわ寄せを受ける」ってことになれば、結局アメリカ全体の「労働市場全体が地盤沈下してゆく」から、第三世界以下の価格で先進国並の高性能の製品が製造できることになりますね。
これでアメリカ製品が輸出に回されたら他国にとって脅威でしょう。
なるほど!これがアメリカの輸出戦略か。
なぜ、アメリカのソ連化が起こっているのか?

アメリカってソ連化しつつあるのではないか?

■ まとめ
・なぜ維新の会の政治手法は共産主義的なのか?
・ノーメンクラトゥーラ
・宗教とノーメンクラトゥーラ
・エコノミックアタック
・天才についての考察
・刑務所群島

以上の点から、
自民党や維新の会の背後にいるのはノーメンクラトゥーラではないか?
と私は疑っています。


■ 狸寝入り
1991年ソ連は崩壊した。
西側諸国はそれで気を抜いてしまったのではないか?
ソ連の中核といえるノーメンクラトゥーラが残存しているにもかかわらず。

これでは、地上の雑草を刈っただけで、根を放置したようなものではないか。
残った根からまた雑草が生えてくるのは当然ではないか。

How do you think about my opinion? > Mr.Edward Joseph Snowden

■ 火の鳥
ノーメンクラトゥーラにとって、ソ連崩壊は、一種のデタント政策に過ぎないのではないか?

>KGBが、新たな血腥いエジョフ体制の淵に失墜しないという保証はあるか。そのような事態の進展はありそうには思えないが、そうならない保証があるわけではない。というのも、ソヴィエトの人々が、機関が穏やかになったと信じた時代が、以前にもあったからである(ネップ時代およびその後にもあった)。だがやがて、テロの新しい饗宴が始まったのであった。
(p.480/新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)

>ロシア国民

>共産主義国には、平和愛好的だとみなされている国もある。例えば、アルバニア、民主カンボジアとユーゴスラビアがその例だ。だが、こうした国による平和愛好とは、裏を返せば国力が弱いことの所産でしかない。こうした国は世界革命について、声を大にするほど強くないが、それは国の内外にいろいろ問題を抱えているからだ。
(p.9-10/ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)

>西側諸国

■ 根絶やし
いくら枝葉の部分を刈り取っても、
根元の部分が残っていれば、雑草はまた生えてきます。
雑草を駆除するためには、根元から絶つ必要があります。

Q.雑草を根元を駆除するためにはどうすればよいのでしょうか?
A.根っ子ごと雑草を引っこ抜けばよいのです。

つまり、雑草の根っ子を表に引き摺り出せば良いのです。
そう、思いませんか?> Mr. Julian Assange


■ 猿真似
冷戦に敗北したソ連。
ノーメンクラトゥーラを残してソ連は崩壊した。
それで、直接攻撃から間接攻撃に戦法を変えてきたということなのではないか?

陳腐な手や。 (*´艸`)ブッ
それって、ペルシャの対ギリシャ政策のパクリやんけ ( ,_ノ` )y━・~~~
ペルシャ戦争でギリシャにコテンパンにのされたペルシャが資金力に物を言わせてペロポネソス戦争後のギリシャ世界を裏から操ったみたいなモンや ( ゜,_・・゜)フ゛フ゛フ゛ッ
古臭い手を使いやがって m9(^Д^)フ゜キ゛ャー
単なる猿真似やんけ( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽ/ \ / \ / \
( ´,_ゝ`)フ゜ッ
ノーメンクラトゥーラの連中って、ちょっとオツムが弱いンとチャイまっか? (#`▽´)y-゜゜゜ ウケケケケケ
寄生虫ってーのは消化器官と生殖器官しか持ってへんっちゅうんはホンマやな(プゲラ) ( ̄▽ ̄)b
オツムの中身が空っぽや♪ σ◎('Q‘)☆
其程度のオツムしか持ってへんからお前らはソ連を潰したんやろ ┐('〜`;)┌
ちったあ頭使え!ア・タ・マ \(゜O、゜)ノ
m9(゜∀゜)ボケエ! > номенклату́ра
ぷぎゃははははははは _(__)ノ彡☆ばんばん!


3. ご注意
■ 今そこにある危機

日本国民各位

真に僭越ながら、皆様にご注意申し上げたいことがございます。

国外勢力に利用されないようにお気をつけくださいませ。


■ 参考文献
(ザ・ソ連軍/著:ビクトル・スヴォーロフ/原書房/ISBN4-562-01413-x)
(ドキュメント太平洋戦争 6|一億玉砕への道|日ソ終戦工作/NHK取材班/角川書店/ISBN4-04-524406-8)
(ヒトラー 権力掌握の二〇ヵ月/グイド・クノップ/中央公論新社/ISBN978-4-12-004115-0)
(ルポ貧困大国アメリカ供芯虧げ漫心簀判馘后ISBN978-4-00-431225-3)
(時代の一面−東郷重徳外交手記[普及版]/東郷重徳/原書房/ISBN4-562-03950-7)
(若きウェルテルの悩み ジュニア版世界文学名作選 (3)/著者:ゲーテ/訳者:高橋義孝/偕成社/8347-802030-0904)
(新訂・増補 ノーメンクラツーラ─ソヴィエトの支配階級/ミハイル・S・ヴォスレンスキー/中央公論社/ISBN4-12-001706-0)
(新編 埼玉県史 別冊 二・二六事件と郷土兵/埼玉県)
(世界歴史叢書フィンランドの歴史/デイヴィット・カービー/明石書店/ISBN 978-4-7503-2860-7)
(赤軍大粛清/著:ルドルフ・シュトレビンガー/学習研究社/ISBN4-05-400650-7)
(朝日選書 816|スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想/著:三宅正樹/朝日新聞社/ISBN978-4-02-259916-2)
(不死身のKGB/ナターリヤ・ゲヴォルキャン/クインテッセンス出版株式会社/ISBN4-87417-595-3)
(別冊宝島(60) 収容所社会ソ連に生きる ナマの声で綴る、いまロシア人であることの悲劇!/JICC(ジック)出版局)
(別冊歴史読本 第89(386)号 2・26事件と昭和維新/新人物往来社)
(本庄日記≪普及版≫/本庄繁/原書房/ISBN4-562-02015-6)

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Solution of the Jerusalem problem
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7659/sjp.html

m(ΦωΦ)m<ウニャウニャ)
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v(^o^)v デイジー 春九千(Chun Jiuqien)
( x ) デイジー
m m> イマナンジー e-mail:chunjiuqien@infoseek.jp
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