いろいろ雑学
山本五十六司令長官と後任の古賀峯一司令長官に贈られた勲章
両名には独逸第三帝国より勲章が送られていました。
山本長官には、戦死後の昭和18年5月27日剣付き柏葉騎士十字章・柏葉騎士十字章・騎士十字章が同時に授与され、古賀長官には、殉職後の昭和19年5月12日に柏葉騎士十字章・騎士十字章が同時に授与されました。尚、独逸第三帝国はいろいろな枢軸國の兵士・将軍に同じくして勲章を授与しましたが、
日本軍人がその最高位に位置しております(当然)また、勲章の順位としては以下の通りであります。
「黄金ダイヤモンド剣付き柏葉騎士十字章」(授与者1名)
「ダイヤモンド剣付き柏葉騎士十字章」
(授与者27名)
「剣付き柏葉騎士十字章」
(授与者160名)
「柏葉騎士十字章」
「騎士十字章」
大東亞省の設置に伴うハプニング
大東亞共栄圏の完全な設立のためにも それを主目的とした行政期間が必要とされ、昭和17年11月に
大東亞省が設置されました。従来の拓務省・興亞院・対満事務局の業務を引き継いで、東亞細亞地域に関する政務が役割でありました。しかし、こうなると対外事務が外務省と二本立てとなってしまった
ために東郷茂徳外相は反対し、ブチ切れて外務省を辞職してしまいました。
外務省のお仕事を取られちゃうので、「俺達だけじゃ不満かよ」と怒ったのかもしれません。
日本のみにあった4隻の潜水航空母艦
それは伊号第四○一潜水艦・伊号第四○○潜水艦・伊号第一四潜水艦・伊号第一三潜水艦であります伊四○○型は特殊水上攻撃機の「晴嵐」(低翼単葉双浮舟)を三機搭載し、伊一三型は同機を二機搭載していました。伊四○○型の満載排水量は5523トンと軽巡洋艦並みの巨大さであります。
水上走行ならば世界一周も可能というすばらしい艦であります。
日本海軍は戦前より小型水上偵察機を搭載する大型潜水艦を建造して訓練しており、この偵察機を爆撃機にすれば・・というのが軍首脳の発想でありました。
日本と米国の国力差から、短期決戦を望んでいたので米本土に一撃をかまし、米国民を厭戰気分をひきおこし、講和にもっていくということで、その「一撃」を与えるのにもっとも適しているのは潜水艦として建造がすすめられました。ちなみにあと終戦が一週間遅れていた場合、ウルシーに在泊中の米空母に雷爆撃を敢行しておりました。
この伊号シリーズは戦後の米潜水艦にその技術がいかされております。
そして、昭和17年9月9日・27日米本土空襲に成功致しました。うおおっ万歳!!(感涙)
様々な強制連行
現在の日本における強制連行とは裁判官の令状によってのみ行われます。
日本以外のほとんどの国では「徴兵」という名の強制連行があります。
しかし、国家が危機に瀕した場合、これだけではなく一般国民もその対象となります。国家総動員法などがその例であります。いわゆる「強制連行」と言われているのは国家の権力により人を動かすことが その定義ではないでしょうか。当時、朝鮮半島は日本であり、そこに住んでいる住民も当然日本人でありました。本土では小学生の女の子から工場などに動員されており、国家にみんなが協力しておりました。当然、朝鮮半島の人達も例外ではありません。そこにはなんの壁もなく、ただひたすらみんな日本の為に働いたのでありました。過去も現在も共通して存在するのが「不良」であります。
今、駅周辺でたむろっているふらふらしている連中は昔にもいました。半島・本土にもたくさん。
やっぱり、みんなが必死で働いているのにそういうことをやっていてはいけません。
彼らに限定して、ちょいとキツイ「強制連行」をしたと考えられます。しかし、そこに本土も半島も無く、均等に徴用されました。また、松代大本営は主に朝鮮出身者で造られました。日本には出身地で固めて沸けた方が話しもあって作業効率が良いだろうと判断されていたため、主に地域でその働く場所が振り分けられていました。
平成五年六月、神奈川県大和市に元少年工員の台湾人が集まりました。彼らは「高座会」という会を作り、昔をしのぶ大会をおこなったのですが、マスコミは「旧軍によって強制連行された人達」と報道しました。実は、彼らは厳しい試験に合格し狭き門をくぐって来日してきたエリートでありました。
それなのに「強制連行」と報道され自尊心を酷く傷つけられ、そう報道したマスコミに抗議をしました
上記のようなことを見ると報道されている「強制連行」とは如何なるものなのかわかると思います。
人種差別愛好国家
大正8年のパリ講和会議は、これから発足しようという国際連盟の規約を決める場でもありました。
その時、大日本帝國は世界ではじめて人種差別を無くそうと言う提案を出しました。
代表は牧野伸顕です。当初、多くの白人国家はこの提案に難色を示しましたが、帝国の必死の努力が実り、多くの国が日本の意見に賛成てくれるようになりました。
大日本帝國の「人種平等案」の採決の場となりました。結果は日本の勝利です。
反対5、賛成11。ところが、米国はこの結果を「全員が賛成しないとだめだ」と言い、否定しました。
米国は自国の主義である民主主義までもを否定したのであります。
人種差別と迫害をこよなく愛し、まさに「鬼畜」の名に等しい行為であります。
ヒトラー総統暗殺の背景
1944年7月20日、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク少佐は鞄に爆弾を仕込み、ヴォルフスシャンツェ(狼の巣)総統大本営を訪れた。これが世に言う「ヒトラー総統暗殺」なのですが、その背景は戦局の悪化の伴う、ヒ総統に対する将軍達の不信感だけによるものでは無いのであります。
ドイツはソヴィエトと戦争をしていたわけですが、一口の「ソ連」といっても広いのです。そこには様々な民族がいるのであって、誰もが独裁者スターリンを支持しているわけではありませんでした。
赤軍(ソ連軍)の為だと、家畜・農作物を徴用したりと、ソ連国内でもスターリンに不信感を抱いている
人達がかなりいました。そこでドイツは反スターリン勢力をまとめあげ、「ロシア解放軍」を組織しました。その時、この組織作成に協力したのがシュタウフェンベルク少佐とヘレ参謀将校でありました。
これらのロシア人は補助志願兵(Hilfs Freivilliges
ヒルフス フライヴィリゲス)略してヒヴィスと呼ばれまし
た。シュタウフェンベルク少佐らは彼らを反共の「同志」としてみていたのですが、ヒ総統含む上層部は
ヒヴィスは傭兵的なものと見ていて、あまり良い用兵をしませんでした。そこでシュタウフェンベルク少佐
はそのことを「彼らも正規軍並の扱いを」と上層部に意見具申したのでありましたが、
結果、シュタウフェンベルク少佐の意見は受け入れられず、少佐は、なんとアフリカ戦線にとばされてしまったのです。片目片腕を失って帰国したシュタウフェンベルク少佐はヒトラー暗殺を決意しました。
以下 続く(爆)
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