現在、日本全国で3万人以上の人々が野宿生活を送っていると

いわれています。実際に野宿生活をしているかどうかは可視的に

はわかるものではないので、正確な数はなかなか把握できません

が、ますますその数が増えているのは確かです。

 

 人々が野宿に到る原因は様々です。たとえば昨今は「先の見え

ない不況」と言われていますが、リストラに遭ったり、会社が倒

産したりして、次の仕事も見つからず、長期的な失業状態になり、

野宿せざるをえなくなる人がいます。かつては釜ヶ崎などの寄せ

場で日雇仕事をして食いつなぐという生き方もありましたが、い

まや建築産業の再編の中で寄せ場においてもほとんど仕事がない

という状況があります。他にも、DVや家庭内暴力など、周囲の

人たちに疎外され、あるいは重い病気や障害などを抱えているが

ゆえに、いわゆる「普通の生活」を送ることができなくなって野

宿せざるをえなくなった人もいます。

 

 しかし、その「原因」が何であったとしても、野宿生活を余儀

なくされることははたして当人の「自業自得」なのでしょうか。

たとえば「失業」は国や企業に大きな責任がある構造的問題であ

るわけですが、「仕事をクビになったのは本人が悪い」というよ

うに、その責任を本人へと押し付けていく仕組みがこの社会には

はっきりとあります。

 

 一方で、この社会は一度野宿をしたというだけで、激しく差別

をし、排除しようとするのです。たとえ人々が野宿から脱却しよ

うとしても、なかなか抜け出せない現実があります。具体例とし

て、まず、野宿者が再就労しようとしても、「高齢である」とい

うことや、「住所や連絡先がない」、「服装が汚い」など、ある

いは「野宿をしている」こと自体についてなど、いろいろな理由

をつけられて雇用されない現状があります。

 

 また、行政は野宿者に対し差別的な対応をつづけています。病

気やケガを治すためにまともな医療を受けることや、再就労のた

めにもアパートで生活保護を受けるといったことは、憲法で保障

された当然の権利であり、生活保護法という法律によって保障さ

れています。しかし現実には、実際に入院が必要なほど重体でも

「点滴一本で大丈夫だ」などと言われ、救急車で運ばれた先の病

院から追い返されたり、居宅保護に関しては、福祉事務所の窓口

において「まだ若いから働ける」、「住所がない」などと言って

申請すら受け付けず門前払いするといった対応が常態化していま

す。

 

 1999年より政府レベルでの「ホームレス自立支援施策」が

検討されはじめ、「自立支援センター」や「シェルター」といっ

た施設が現在、全国各地でつくられつつあります。しかしこれら

の「施策」もまた、依然として差別的なまなざしによってつらぬ

かれています。

 

 たとえば野宿者を「働く意志のある者」、「福祉が必要な者」、

「社会生活を拒否する者」と国家・資本にとって「使える者」で

あるか「使えない者」であるかという観点で分類するのが基本と

されています。その上で「施策」は失業問題を根本的に解決しよ

うとするものではなく、国や企業の責任を棚上げにしたところで

当事者に再就職のための「自助努力」を強いる内容であるため、

その「施策」でまともで安定した就労ができる人は非常にわずか

なのが現実です(大阪市内3ヶ所の自立支援センターに入所した

人のうち、いわゆる「就労自立」できた人はわずか2割にも満た

ないことが明らかになっています)。

 

 一方で、路上や公園で生活している野宿者は、常に行政などか

らの追い出しを受けています。昨年「ホームレスの自立支援等に

関する特別措置法」という法律が成立しましたが、その11条で

は「(公園その他公共の用に供する施設の)適正な利用が妨げら

れているときは、(中略)当該施設の適正な利用を確保するため

に必要な措置をとるものとする」とあり、条文で施設管理者に排

除を義務づけているという非常に問題のある悪法です。施行後は、

各地でさらに追い出しに加速がかかっています。特に大阪の長居

公園、西成公園、大坂城公園にこの2年間に相次いで設置された

「シェルター」は、公園のテントをつぶし、野宿者を劣悪な施設

に一律収容することが主目的とされています。「追い出し」と

「自立支援施策」が一体のものとして行われている状況は深刻で

す。

 

 このように、この社会は多くの人々を野宿へと締め出し、死に

追いやるまで排除しています。その中で生き、社会を形成してい

る「私たち」もまた同様に、野宿者を差別し、排除しているので

はないでしょうか。例えば、公園や路上でテントを張ったり、露

宿をしている野宿者は、石を投げられたり、荷物に火を付けられ

たり、睡眠中に蹴られたり、木刀やバットで殴られたりするなど、

悪質な襲撃を日々受けています(2003年2月に少年ら30人

が守口市の鶴見緑地に住む野宿者を集団で襲い、重傷を負わせた

事件はまだ記憶に新しいのではないでしょうか)。また、アルミ

缶や雑誌、大型ゴミ、段ボールなどを回収している際に妨害やい

やがらせを受ける事例も後をたちません。

 

 いったいこのような事件はなぜ起こるのでしょう。その原因は

野宿者を直接的に襲撃したり差別したりする人々にのみあるので

はなく、この社会で生きている「私たち」全体が概して、野宿者

に対して「怠けている」、「好きでやっている」、「野宿はして

はいけないのに」などといった偏見を心のどこかで持っているか

らなのではないでしょうか。ちなみに合法であるか否か(=テン

トやダンボールの住居であっても)を問わず、適切な住居への権

利は、日本が批准している国際人権規約の社会権規約において定

められた「居住権」という権利であり、困窮した人々が野宿であっ

てもみずからの住居を確保し、生き抜いていく権利は認められな

くてはなりません。

 

 こうした厳しい状況の中でも、野宿者は同じく野宿するなかま

たちと互いに助け合いながら、テントを張ったり露宿をしながら

も、日々生き抜こうとしています。しかし私たちは、「かわいそ

うだけど自分はああはなりたくない」といったように、彼彼女ら

を「人生の敗北者」のように決めつけ、まるで人の生き方に「勝

ち負け」があるかのように見下したりしているところがどこかに

あるとはいえないでしょうか。たとえ、襲撃や暴行まで行うのが

ほんの一握りの人間であっても、その差別意識を醸し出し、共有

しているのは、他でもない「私たち」なのではないでしょうか。

 

 今まで述べたように、「私たち」の社会はそこに「適応」でき

ないと決め付けた多くの人々を締め出し、死にすら追いやってき

ています。野宿の仲間たちは何とか生き抜こうとしているにも関

わらず、この社会は彼彼女らとの間に大きな壁を作って遮断して

いるのです。そんな壁を作っているのは行政や資本でもあります

が、「私たち」自身も、その不可欠な要因といえるのではないで

しょうか。

 

 私たち「釜ヶ崎パトロールの会」は、野宿していない「私たち」

と野宿者の関係性を解放し、「私たち」が野宿者と本当の意味で

共に生きていけるような社会を実現していくために活動していま

す。そのためにはどうすればよいか、何ができるのだろうかとい

うことを、野宿の仲間たちとともに日々模索しながら、「野宿者

支援」という活動を行っています。

 あなたも、一緒に考えてみませんか?