西安・反日学生暴動
日本人留学生 「恐怖の一夜」を語る
文芸春秋 2003/12/10 2004年1月号
水谷尚子(中央大学非常勤講師)

 中国西安市にある西北大学で、10月29日、共産主義青年団主催の演芸会「文芸の夕べ」において3人の日本人留学生が行った稚拙なパフォーマンスが「中国人を馬鹿にしている」と誤解され、大規模な日本人排斥運動が発生した。日本では、大手新聞各紙から地方紙に至るまで、「わいせつ」なパフォーマンスをした学生の軽率さを非難する社説やコラムばかりが掲載された。「勉強が足りない」(朝日・11月5日)、「自分の立場が分からない愚か者は早く送り返」せ(四国新聞・11月3日)などである。

 日本国内で多発する中国人による犯罪や、反対に、広東省での日本人による集団売春事件などにからんで、日中関係が良好とはいえない時期にこの事件は報じられた。川口順子外相が、渦中の留学生たちを「無感覚としか言いようがない」と突っぱねたのも、そのあたりに深謀遠慮があったように思われる。

 だが、中国に長期留学経験のある者は、一連の報道に疑問を感じたはずだ。筆者の経験から言うと、大学院生や企業派遣留学生は「子供のお遊戯会に参加できるか」と演芸会などに行きはしない。この手の催しに参加するような留学生は、「悪意」などまるで無い、お人よしの青年ばかりである。

 留学生を断罪した各紙とも、当事者の釈明をインタビューすることはなかったから、事実経過については未だ不明な点が多い。なぜ、暴動やデモ騒ぎが起きたのか。そして日本人留学生に対する不当とも思える憎悪は、多くの中国人の感情を代表するものなのだろうか。

 筆者は、実際に演芸会でパフォーマンスを演じ、西北大学側から強制自主帰国処分とされた4人(留学生3人・日本語教員1人)をはじめ、暴漢の「日本人狩り」を体験した留学生など、複数の関係者から直接話を聞き、事件の推移を追ってこれまでの報道を整理、検証してみることにした。


自信がなかった即席芸

 事件の発端は、10月29日の19時、西北大学講堂。会場に溢れかえった500人の観衆はほとんどが中国人で、わずか10人ばかりの日本人は、中国人学生から誘われて演芸会に参加したようだった。20時半を回った頃、日本人が登場した。新米の日本語教員・Aさん(26)だった。筆者の取材に応じてくれた彼は、まったく後ろ暗いところはないのだからと言って、ぜひ名前を明かしてお話ししたいと申し出てくれた。[Webmaster注:仮名にて転載]

Aさんによれば、彼のパフォーマンスは、身長180センチもある西欧人風のマネキンを抱え、一人二役の腹話術のまねごとをするものだったという。わいせつなものではまったくなかった。

 Aさんは、当日昼になって参加を申し出た。西北大では一週間前の10月22日にも「文化祭」が催されている。その時、日本語学科では、日本伝統文化を紹介するパネルを作り、日本語を学ぶ女学生が茶道の手前を披露し、教員と学生は一緒にテレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」を日本語で合唱して、好評を博した。その経験があったので、「何かしてみようと」と名乗りを上げたという。

 当日午後、Aさんはリハーサルには参加せず、マネキンを貸してくれる店を捜して町を歩き回った。だから、問題となった三留学生のパフォーマンスは、壇上で初めて見ることになった。

 以下は、当事者である3人の留学生たちから話を聞き、記述したものである。

 Aさんの「(僕とマネキンの)写真を撮ってくれませんか」とのセリフを合言葉にバトンタッチして、3人は舞台上に登場した。彼らは、背中にそれぞれ「中国」「日本」「[ハート]」と書いた紙を貼って、「ナ」しか言わない効果音だけの、曲ともいえぬ曲で、「ナ・ナ・ナ・ナ・・・・・・」の節にあわせ、不思議な踊りを披露した。Tシャツの上に赤いブラジャー、男性器のような紙コップをつけ、ダンボールで作ったロボットの被り物には「寿司・忍者・毛沢東・謝謝・中日友好・・・・・・」「看什麼?(『何を見ているの』の意)」など、脈略のない文字が書いてあった。

 この文字について説明した報道を拾うと、「志村けんかなんかの物まねでしょ」(毎日・「余録」11月7日)、「中国の人型ロボット・『先行者』を意識したのか」(インターネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」)など様々に憶測されたが、学生たちに取材すると、「なにかを意識して模倣したわけではない」と語り、「被り物は顔を出すのが恥ずかしかったから」で、「ラジオ体操をモデルに振り付けしたけれど、まとまりのないものになってしまった」というのが真相であった。

 彼らに言わせると、(『NA』しか言えない宇宙人が西安に現れた」というパフォーマンスだったらしい。踊り始める前に3人の「宇宙人」は、中国語で、
「●叫什麼名子?(なんて名前なの?)」[●:"イ"に"尓"]
「什麼?(何?)」
「NAー!」
 という会話をし、その後は一言も発さず、ひたすら「宇宙人の踊り」を続けた。最後に、歌手がコンサートで私物を客席に放るように、ブラジャーの中に隠し入れたお菓子の包みを掴みだして、観客席に投げた。

 あっけにとられた観衆。踊りは3分ほどで、主催者や中国人教員によって制止された。この時、いったん裏に引っ込んでいたAさんは、舞台の袖に出てきた。3人のうちの1人の学生から、「お客の反応が悪ければ、それを早く僕たちが知るため、舞台袖に出てきて欲しい」と頼まれたという。開演前から自身がなかったのだろう。

 舞台を見た日本人女学生は「いでたちから言って、観衆を不快にさせた感があります。私も見ていて、全くわけがわからなかった。場が一気に白けた雰囲気が伝わってきました」と語る。
「彼らの催しを前もって見たなら、演目を換えたらどうかと提案することもできました。・・・・・・ただ、数年前のハロウィンパーティーで、日本人学生が編みタイツにブラジャー姿で踊ったそうで、それが大変受けたと先輩から聞いて、参考にしたようです。」(Aさん)

 当の3人も、「失敗したなぁ」と意気消沈したようだ。「中国人の出し物も見たけれど、僕たちに比べて、すごく練習をしているのがわかりました。」

 3人の学生は、常日頃から仲のよい友人だったわけではない。偶然にも3人の、中国語と日本語を相互学習する勉強相手の中国人が同一人物で、その中国人学生を通じて「文芸の夕べ」への参加を促された。しかも、話が来たのはわずか2日前だ、その会がどのような性質のものかも、他の出演者が何を演ずるのかも知らなかった。案の定、前日になっても出し物は決まらず、困った彼らは「観衆が自分たちをどうとらえるか」との配慮をすることなく、「芸もないから、変な格好でもして笑ってもらおう」くらいの軽いノリで、壇上に立ったのだ。

 ここは重要な点だが、その場で文句を言う中国人学生は誰もいなかった。パフォーマンスは冷静にみて、日本人排斥運動を招くような代物ではなかった。だがその翌日にはおぞましい暴動を呼び起こしてしまったのである。


「日本人狩り」

 よく30日、朝10時頃、出勤してきたAさんに、ある中国人の教え子が真剣な顔で訴えた。「先生! 今日は絶対に外に出ないでください!」。今から思えばデモや留学生寮の襲撃は、翌朝までに着々と準備されていたのだろう。全寮制で生活する中国人学生の間には、流言蜚語の類があっという間に広がる。朝の段階で学内外を問わず、「日本人が中国人を侮辱した。抗議に結集せよ」との壁新聞が溢れかえっていたのだ。

 昼すぎ頃から、中国人学生が、日本人留学生の住む寮の前に結集し始めた。はじめは百人足らずで野次馬も多かったが、リーダー格とおぼしき数名が次々に演説を行うと、あっという間にデモの規模がふくれあがった。

 午後の講義が始まる14時には、一時的にデモ隊は減ったが、授業が終わる16時すぎからまた続々と人が集まり始め、大きな紙で作った日本国旗や「日本猪[ブタ]」と書いた人形を燃やすなど、抗議行動はエスカレートしていった。

 暴動が出現しだした頃から、携帯電話を所持していた日本人学生たちは北京の日本人大使館に何度も電話をかけたが、なかなか大使館には繋がらなかった。

 大使館員もすぐには事の重大性を把握できなかったようだ。絶叫調で大使館を罵倒する学生もいた。そうした行き違いには、中国の在外公館における、特殊な通信事情が影響している。

 この事件が起こってまもなく、筆者は北京の日本人大使館領事部邦人保護課の電話番号に、国際電話をかけてみた。そして電話に出た中国人スタッフに、「日本人と直接話をしたいので替わって欲しい」旨を伝えた。だが、「誰に何の用か」を言わない筆者に、その中国人女性は「いま日本人は居ないので午後にかけ直して欲しい」とすげなく電話を切ったのだ。間髪を入れず、邦人保護担当官の携帯電話に電話をかけてみた。すると、なんと担当官は館内に居たのである。

 周知の通り、北京の日本人大使館は中国当局にすべて盗聴されている。代表番号などにかけると、大使館員より先に中国人職員が電話に出ることは、もはや中国在住日本人の間で常識となっている。それは即ち、先に中国当局が情報をキャッチするということに他ならない。

 第1回目の暴徒が留学生寮を襲撃したのは、17時すぎだった。7階建ての留学生寮は、1階がロビーや食堂、事務室、2階が応接室などになっており、学生居住区は3階より上の階だ。30名ばかりの暴徒は一気に4階まで駆け上がった。寮内に入ってきた中国人のうち、話し合いを主張する者もいたが、圧倒的多数はその意見に耳を貸さなかった。

4階には日本語の文字を染め抜いたのれんを下げている部屋があって、運悪くそこが真っ先に狙われた。のれんは宮沢賢治の詩だったという。異質の者にも限りない愛情を傾け、深い哲学性を持ったその作家の詩を、暴徒たちは理解できなかった。残念にもその文字は、部屋の住人が「日本人である」ことを示す「記号」でしかなかった。

 扉が古かったことも災いし、暴徒たちはいとも簡単に蹴破って室内に侵入し、女学生を見つけると、容赦なく拳を振り上げた。

 暴徒の現場にいた学生はこう語る。「殴りかかってきた男たちに対して、アゴなどに傷を負った女学生が、『日本人はみんな悪いの?』と訊ねました。すると彼らは口々に『そうだ。日本人はみんな悪い!』と喚声を上げたんです」。

 暴徒たちは「日本人狩り」と称して、イスや鉄パイプを振り上げ、「日本人はどこだ?」と言いながらドアを片っ端から叩き割っていった。暴徒の中には女学生もいた。殴られはしなかったが、土足で入ってきた暴漢に、ストーブに至るまで室内の物品をぼろぼろに破壊され、教科書やノート、辞書の学習用具でさえビリビリに破り捨てられた学生もいた。恐怖から女学生は泣き崩れた。

 救いだったのは、全く関係のない女学生まで殴りかかるデモ隊から、身体を張って庇おうとした中国人がいたこととだ。寮の治安のために雇われていた若い警備員たちである。彼らは、デモ隊に「漢奸」「売国奴」「偽軍」と口汚く罵倒されても、スクラムを組んで室内への侵入を阻止し、上の階まで暴徒を追いかけていって、学生を守ろうとしたという。警備員は、留学生と常日頃から接していたので、双方に「情」が通っていた。ある女学生は震えながら、「警備員はかなり怪我をしていました。・・・・・・(身を挺して助けてくれたのは)本当にありがたかった」と話した。

 同時刻、デモ隊を7階の窓から見ていた留学生は信じがたい光景を目にする。「暴徒を止めようとしたのか、デモ隊のやり方に反対したのか、日本人を庇ったのかは知りません。1人の若い学生が、上半身を裸にされて30人ぐらいから凄い凄惨なリンチを加えられていました」

 昨日のパフォーマンスがいったい何を意味したのか、ともに語り合おうなどという雰囲気は、その場には全く存在しなかったのである。


深夜1時に機動隊が突入

 17時すぎに寮内に押し入った暴徒たちは、警備員や教師らの説得によって、なんとか寮外へ退出させられた。その後、何度か単発で寮に侵入してくる暴漢もいたが大事には至っていない。けれども、事態が収束したわけではなかった。

 デモ隊は、千人を超えて増え続けていた。21時すぎからは、デモ隊を監視するために機動隊が動員された。携帯電話を持つ留学生は、夕刻以降、何度も公安当局に電話をし、保護を求めた。

 だが、これが裏目に出た。何人かの中国人学生を連行し、留学生寮1階食堂で公安警察が取り調べを始めると、「(中国人)学生奪回」を叫ぶデモ隊は、またしても寮の破壊活動を始めたのである。1階は、食堂のみならず全部のガラスが叩き割られ、消火器などの備品さえ粉々にされた。階段手前で暴徒を押さえ込もうとしていた警備員たちは人数も足りず、もはや体力的にも限界だった。

 この時点でも機動隊は何も動いてくれなかった。多くの学生が暴れまわっているのを横目に、草むらに座って、彼らは煙草をくゆらせていた。「隊列が揃うのを待っていたといえ、いくらなんでもひどすぎる」と、日本人留学生の機動隊に対する印象は、最悪である。

 暴徒約50人が、2度目に留学生寮を襲ったのは、日付が31日となった深夜零時すぎ頃。安全のために、女学生はいくつかの部屋に複数で息を潜めていた。女性のいる部屋の前を守っていた日本人男性が、殴る蹴るの暴行を受けた。

 深夜1時になって、やっと機動隊が寮内に突入して、暴徒たちを追い払い、学生に解散するよう促した。暴徒が暴れ出してから、突入まで1時間かかった。

 夜明け前の午前3時までの間に、大学当局は安全を確保するため、寮に住む日本人留学生の身柄を「長晋賓館」に移した。このホテルから外部に一切電話がかけられず、携帯が命綱だった。だが、留学生が携帯を使って頻繁に大使館員と連絡をしていることが大学関係者に知られると、「どうして大学を通して連絡をしなかったのだ」と叱られたという。後述するが、こうした西北大学の不親切な処遇は、習慣的なものであったようだ。

 眠れぬ夜が明けて、Aさんと3人の留学生は、日本人学生のみならず、欧米人20数名と韓国人10数名の約40人にも「事情説明」を行った。

 この日の14時頃、「ホテルを換わるので支度するように」と支持があり、18時前には郊外の桃源休暇村に移動した。

 他方、北京の日本大使館は、事態を把握してからは実に素早かった。「3名の館員を連れ、31日の朝には北京を発って昼には西安に到着しました。ところが、陝西省関係者が、なかなか学生に会わせてくれなかった。・・・・・・何より早く会わせろと、何度もきつく言ったのに、待たされ続けました」(日本大使館の邦人保護関係者)。やっと面談がかなったのは晩になってからだった。

 11月1日正午前、日本人留学生は、大使館員立会いの下で、8項目の要望書を大学に提出した。それ以外に大使館員が、女学生に暴力をふるった者への処罰を要望し、大学側はその場で全ての要求を受諾した。ところが、「パフォーマンスに関わった者たちのプライバシーを保護してほしい」という要望は、聞き入れれられなかった。大学はそのHPで、三留学生の実名や生年月日を公開したのである。その上、三留学生を退学処分とし、Aさんを解職し、4人を強制自主帰国処分にした。大学側の言い分は、「4人が帰らない限り騒動はやまない」であった。

 西北大学では、以前から寮の管理などを巡って外国人学生とのトラブルが絶えなかった。些細なことだが、例えば、雨漏りの修理を頼んでも「3日待ってくれ」という。3日も過ぎれば雨はやんで、学生は文句を言わなくなるからだ。インターネット接続環境も他大学に比べて悪く、「内陸部なのだからせめて情報収集できるよう」韓国人学生が何度交渉しても、なかなか改善されなかった。中国の大学ではいずこも韓国からの留学生が多く、普通、日本人と韓国人学生の比は半々くらいだ。ところが西北大学は極端に韓国人学生が少ない。それは、大学の対応に業を煮やして、学生が集団転校したからだという。

 ここで、なぜ他愛もないパフォーマンスが大きな騒動を巻き起こしてしまったのかを考えてみたい。自由な報道が保護されていない中国において、口コミ情報の早さは日本の比ではない。デマがデマを呼んだことに加え、西安という古い内陸都市では観光以外に大きな産業もなく、高い失業率などといった経済的閉塞感も手伝って、極端な排外主義に火がつきやすくなっているのでなかろうか。「共青団」の名で作成され、西安の街に大量に撒かれたビラには、「日本語教員が3人の留学生を唆して卑猥な寸劇をさせた」と記されていた。そのような事実は一切なかったのにもかかわらず、この根拠無きデマにより「学内風紀を乱した」かどで、Aさんは解雇処分となった。

 他のビラには、「『見ろ、これが中国人だ』と書いた紙を学生は見につけていた」とか、ネット上の掲示板では、「寸劇の中で日本人が、中国人はブタだと叫んだ」、「『Wo shi NA』と書かれてあった」(パフォーマンスで留学生は「ナ」としか発声していないのだが、『我支那』つまり「私は支那人だ」と、中国人を侮蔑したと誤解された)など、嘘の目撃談が続々と寄せられた。


中国側の情報を鵜呑みに

 日本のマスコミも第一報では独自取材を行わず、中国側の情報を鵜呑みにして、「日本人の留学生ら3人が学園祭でほぼ全裸に近い状態で芸を披露した」と報道した(TBS「News i」11月1日)。

 3人の留学生と親しく、寸劇を見た直後にたまたま帰国した西北大留学生がいる。事実とあまりにかけ離れたニュースを流すテレビ局に抗議の電話をかけたが、「あなたが言っている内容の方が正しいという証拠がどこにある」とにべもなくあしらわれたという。悔しさから、彼女はネット上の掲示板に匿名で、見たことをありのままに書いた。

 報道によって日中双方で、勝手なイメージが増進されていった。ニューヨークタイムズや英ガーディアン紙となど欧米メディアも、中国報道をそのまま訳した記事を、当初配信している。

 転機は、11月1日以降、日本の各メディアが現地取材を始めてからで、「中国人を愚弄する寸劇をした」との議論は消え、「悪気のないおふざけが大変な騒動となった」に変化した。それは香港メディアにおいても同様で、6日付香港『大公報』、7日付香港『文匯報』は、嘘の情報を流してしまったことを反省する異例の記事を掲載し、愛国とは名ばかりの暴動に警告を発する論調で締めくくっている。ネット掲示板でも「下品な催しは他にもある。(反日的な主張は)暴れる口実を求めただけだ」など、徐々に冷静な書き込みが増えていった。

 あの「文芸の夕べ」は、上海の企業主などがスポンサーの「格調ある」演芸会で、内陸部の大学生の就職難もあって、「メンツ」をつぶされた者が腹いせにデマを広げたとの説がる。このあたりが案外真相を衝いているのかもしれない。暴動には、大学とは関係ない若年失業者も参加していたという。

 だが、抵抗できない者には激しく攻撃するのに、当局には従順で、デモを禁止されると潮が引くように去っていくのは卑怯というものであろう。

 3人の留学生とAさんは、11月1日午後、何度も書き直しを命ぜられながら、西北大学副学長らに謝罪文を提出した。退学・解雇処分にしておいて謝罪文を提出させるとは、おかしな話だ。

 2日の深夜11時、4人はホテルからこっそり宿舎に戻った。「20分で荷物をまとめるように」といわれ、夜逃げするかのように大学を離れた。Aさんは教え子に連絡を取るか、会いに行きたがったが、叶わなかったという。

 3日、4人は自主退学した8人の女学生(最大の被害にあった寮の4階居住者が多かった)とともに、早朝のフライトで西安を離れ、北京経由で日本に帰国した。

 Aさんが帰国にあたって、彼を慕う日本語学科の多くの学生たちから手紙が寄せられていた。現物を拝見したが、「涙が流れてなりません、先生(Aさん)を守ることができなくてごめんなさい」と哀切な調子で綴られている。ここには偏狭なナショナリズムに帰すことのできない、心底からの日中交流がある。

 この事件が示すのは、些細なことで「馬鹿にされているのではないか」と思ってしまうほど、中国の若者の間に、「日本=悪」の公式が根付いているということであろう。Aさんは言う。「中国で一番やるせなかったのは、学生や友人が僕に『あなたは悪い日本人ではないですね』というんです。彼らは『日本人は悪い』という先入観で我々を見ているのです。

 TPOをわきまえず、下品な格好をして公の場に出て、誤解の原因を作った非はあるにしても、若い学生の行為を責めたてるのはあまりに酷だ。
「言いたいことはたくさんある」と言いつつ、渦中の3人の留学生がずっとマスコミに口を噤み続けたのは、自分たちが発言したら、西安に残った日本人留学生に、新たな嫌がらせなどが起きないかと心配したからだった。その中の1人は「殴るなら僕たち3人をぼこぼこにしてほしかった。関係のない人たちにどうしてこんなことを」と声を詰まらせ、「演芸会に僕たちを誘った中国人学生が心配だけど、メールでは『大丈夫』としか書いてこない」と、災難をもたらした相手さえ気遣った。

 私が過去に留学していた中国人民大学の教員はこう語る。
「若者の学習の権利を奪うということの重大さを、もう少し真剣に考えた方がいいのではないか。彼らは中国の法を破ったわけではない。・・・・・・(3人の学生は)また中国留学に来たらよい。その時、私たちはそれを拒否はしないだろう。」

 若いAさんと3人の留学生は、今回の件でどうかめげないでほしい。彼らは「中国を馬鹿にした」のではなく、本当は「中国が好きだった」ことを、分かっている中国人も日本人もいるのだから。極端な排外主義運動を引き起こしかねない狭隘な「愛国主義」教育を、胡錦濤政権が是正していくことを、期待を込めて見守っている。


フジ ワールドカップバレー中継に中国が大激怒
週刊文春 2003/12/04 12月11日号
『中国女排vs日本女排 体育直播史上的恥辱(中国対日本 スポーツ中継史上の恥)』(商報11月18日付)、『日本電視台封殺中国女排奪冠鏡頭(日本のテレビ局は中国選手の優勝時の映像を完封した)』(千龍新聞網 11月19日付)・・・・・・。

 中国がまたもや日本に怒っている。今度の怒りの矛先は、フジテレビ系で11月15日に放送された、W杯バレーボール女子の日本対中国戦。
 一体何があったのか。
 国際映像として中国にもそのまま放送されたこの日の映像を振り返ってみると・・・・・・。

 まず、大会イメージキャラクターであるジャニーズ系のグループ「NewS」が、コート上で歌い踊るところから放送は始まった。続いて「パワフル・カナ」(大山加奈選手)、「プリンセス・メグ」(栗原恵選手)などのニックネームを付けられた選手たちが入場。さらに「全日本・勝利の女神」こと、タレントの伊東美咲が「全体勝てますよ」とニッコリ微笑むころには「これ、バラエティ?」という疑問を抱いてしまうのだが、本当の問題は試合が始まってから。

 中国のテレビ局「中央電視台」の解説員で、この日の解説も担当した韓喬生氏が言う。
「1、2セットとも、日本人選手の映像ばかり映り、中国の選手は得点しても顔のアップが一つもなかったんです。第2セット終了後、私たちは中継映像と資料映像を組み合わせて短編のドキュメンタリーを放送する予定でしたが、中国選手の映像がほとんどなくて、番組が成り立ちませんでした」

 さらに、3-0のストレートで圧勝し、中国が18年ぶりのW杯優勝を決めた直後の映像が、中国の視聴者を激怒させた。
「中国が優勝したにもかかわらず、ここでも日本人選手しか映らなかった。このような状態が3、4分も続いたので、中継解説室にいた私もさすがに焦り始めました。そして4分30秒経って、中央電視台の生中継スタジオに映像を切り替えたんです」(韓氏)
 すでに視聴者からは「中国選手の喜びの声は聞こえるが、なぜ映像が出てこないんだ」という抗議も入っていたため、韓氏は映像を切り替えた直後、次のようにコメントしなければならなかった。
「ただ今みなさんがご覧になっている映像は、すべて日本側の中継です。ここでみなさんにお約束します。2008年北京五輪の時は、中国は必ず各国全ての素晴らしい画面、優勝国のチームと観客の感動的な映像を全世界に向けて送ります」
 韓氏によれば、この試合の中国の視聴率はおよそ24パーセント。人口13億人の国なので、単純に計算して3億人ほどの中国人を一気に怒らせてしまったことになる。

 今回の騒動の背景には「近頃高まりを見せている反日感情も影響している」と指摘するのは、中国問題に詳しいジャーナリストの青木久人氏。
 「西安で、日本人留学生の学園祭での出し物がきっかけで、大規模な反日デモに発展したことと、今回の騒動はつながっています。現在、中国の失業者は2億人と言われ、進出している日本企業に反感を持っている人も多い。さらに最近では、携帯電話やインターネットでこの手の情報が一気に広まってしまうんです」

 前出の韓氏が再び怒る。 
「日本人の心境もよくわかりますが、限度があるでしょう。これはW杯ですよ、日本杯ではない。特に中国にとって、女子バレーは中華民族の向上、団結精神を表す特別なスポーツ。一番見たい場面が見られず、怒りが爆発するのは当然のことです」

 作家の吉川潮氏も言う。
「これをスポーツ中継といったらそりゃ怒ります。中継じゃなく、ショーですよ、ショー。試合前に歌を歌わせるんだから。今年のアマチュアスポーツの中継は、世界陸上、世界水泳、世界柔道、そして今回のバレーと、全てバラエティ番組のつくりと一緒だった。昔の落ち着いたスポーツ中継が懐かしいですよ」
 製作したフジテレビは恐縮しきり。
「確かに日本選手のアップの絵の割合が多く、国際映像というよりは日本の視聴者に特化した番組づくりになってしまった。中国の視聴者に不快の念を与えてしまったとしたら申し訳ない、配慮が足りなかったと反省しております」(フジテレビ広報部)
 これも、視聴率至上主義の弊害なのだろう。


中国発 「猥褻日本」バッシングの裏に教科書あり
諸君! 2003/12/1 (2004/1月号)
杉山祐之 読売新聞記者(東京本社国際部)

「日本は化け物のような侵略国家だ!」と描き続けた政治宣伝教育の歴史的必然なのか・・・・

「文化祭」と「学園祭」の違い

 中国陝西省・西安の西北大学の文化祭で、日本人の教師と留学生が猥褻な寸劇を演じ、中国人学生が反日デモを行っていると聞いた時、驚きというより、妙な違和感を覚えた。
「文化祭」「猥褻寸劇」「反日デモ」という三つの言葉の因果が、うまく結びつかなかったのだ。
 私自身、中国の大学の文化祭に出たことがある。
 天安門事件後まもない1990年初頭、北京の小さな大学に語学留学していた私は、安物の赤いフォークギターを手に、大学行動のステージに立った。3人の小さなグループ、日本語を勉強していた中国人女子学生のボーカルが、日本のシンガー・杏里の「オリビアを聞きながら」を歌った。私は、サイドギターを受け持った。
 大学の学生たちはその歌詞を理解できなかっただろう。だが、もの珍しさに加え、哀愁を帯びたメロディーが、天安門事件の挫折感を抱えていた彼らの心に響いたのかもしれない。ぼろぼろの伴奏が終わり、弦の音が消えると、静まりかえっていた会場に大歓声が上がった。
 準備などで忙しく、文化祭の全体像は、目にしていない。だが、共産党委員会書記をトップとする学校当局と、エリート学生たちが組織する祭典は、文字通り文化活動の舞台であり、通常はコーラスや研究発表などが主体となるしごく真面目なものだ。ボーカル+ギター二本という貧弱な「バンド」ですら、異彩を放っていた。
 その後、中国の大学の文化祭をのぞいたことはないが、学生自治という側面での進展がない現状では、基本的にその性格は変わっていないだろう。
 日本の学園祭の状況については、説明するまでもない。総体的な印象は、「文化活動」とはほど遠く、ノリのよさと集客力が求められるレジャーランドのお祭りである。
 中国の大学の「文化祭」と、日本の「学園祭」は、完全に異質なものと言っていい。
 このことを踏まえ、事件の経過を簡単に振り返っておきたい。ただ、事実関係については、なお曖昧な部分もある。以下の記述は、日中両国での報道をもとにしている。
 10月29日夜、日本人教師一人と日本人留学生三人が、西北大学文化祭ステージに上がった。留学生は、Tシャツの上に赤いブラジャーを、性器にあたる部分に紙コップを付け、踊った。シャツの背中には、それぞれ、「日本」、「[ハート]」、「中国」と書かれていた。留学生たちはさらに、ブラジャーから取り出した紙くずも、観客席に向けてまいたという。「寸劇」は、学校関係者、中国人学生らによって制止された。
 中国人学生は、「中国が侮辱された」と受け止め、大学当局に事実関係の調査を求めた。
 翌30日、当局側から明確な回答がなかいことに不満を募らせた大勢の学生らが、留学生宿舎に押し寄せた。一部は宿舎内に乱入、男女各一人の日本人留学生を殴り、軽症を負わせた。大学当局は、警察力によってその場の混乱をおさめ、日本人を含む留学生を、市内のホテルに避難させた。「中国人学生が警察に拘束された」との情報も流れ、学生側は激高したという。
 そのころから、インターネット上では、「寸劇」を巡る情報が大量に飛び交い、「中国人を侮辱した日本人」と憤る書き込みが殺到するようになった。ネット上ばかりではなく、中国系香港紙の報道でも、「寸劇」を演じた留学生は、「見ろ、これが中国人だ」というカードを掛けていたことになっていた。30日のうちに、学生デモは、大学の門を出て西安市内に繰り出し、西北大学以外の抗議者も巻き込みながら、膨れていった。もはや、文化祭を巡る学内の問題ではない。
 翌31日、「反日」の旗を鮮明にしたデモ隊は、千人を超える規模に達し、「日本製品をボイコットせよ」「日本人は出ていけ!」などと叫びながら、地方政府庁舎や日系ホテル、日本料理店などの周辺に押し掛けた。西北大学は、30日付で日本人教師を解雇、留学生三人を除籍処分にしたと発表した。
 11月1日、日本人教師と留学生三人は、大学当局に対し、「寸劇」が中国人に不快な思いをさせたこと」を反省し、謝罪する文書を提出した。ここには、「笑ってもらおうとしてやったものであり、中国、中国人を侮辱しようとする意図はなかった」とも記されていた。四人はその後、帰国した。治安当局の厳戒下にあった反日デモは、終息に向かった。中国では当局の許可なくデモを行うのは違法行為であり、取り調べを受けた参加者もいたとされる。


中国人を見下すと・・・・・・

 ほとんどの日本人が抱くであろう二つの疑問がある。
 一つ目は、日本の教師、留学生の四人が、なぜあのような「寸劇」を文化祭でやったのか、ということだ。
 これについては、恐らく、反省文にある通り、中国人侮辱を目的にしたものではく、軽い気持ちで、受けを狙ったものだろう。
 だが、「文化祭」の場に、「学園祭」どころか、乱れた酒宴、あるいは、一部のお笑い番組のような、日本独自の「ノリ」を持ち込んだ彼らの行為は、(本人たちも反省しているように)明らかに軽率だった。Tシャツの背中に、「中国」と書いたことは、二重のミスだった、見る側の中国人が、「我々は、そんな恥ずべき民族ではない」と思ったとしても、不思議ではない。現に、観衆が「中国人を侮辱した」と受け止めたからこそ、騒ぎは起きた。
 川口外相は、「寸劇」について、「留学生は相手国の風習を十分理解すべきだ。無感覚としか言いようがない」と批判している。
 もっとも、「留学生」とひとことで言っても、学生にありようは千差万別だ。在中国日本人留学生は、昨年現在で1万6千人以上という。研究に打ち込み、人脈作りに励み、休暇中にはバックパッカーに変身して見聞を広める意欲的な学生もいれば、学校卒業後のモラトリアム期間にとりあえず留学し、宿舎でテレビゲーム漬けになっている学生もいる。日本人以外とは付き合わない留学生もいる。全留学生が、「相手国の風習を十分に理解する」ことなど、現実にはありえない。ただし、「場所をわきまえる」という最低限のマナーくらいは、全員に持っておいてもらいたいと思う。と、こんなことまで書かなければならないほど、日本人のマナー、そして自らの行動が他に与える影響を考えるという想像力の欠如は危機的状況にあるのだろう。ともあれ、それさえあれば、今回の事件は未然に防げたはずだ。
 「寸劇事件」と同じように、中国民衆の反日感情を高めた問題──9月に広東省珠海で起こった「日本人集団売春事件」にも閉口した。
 日本人団体客数百人が、集団で夜の女性を買ったとされる事件だ。中国国内では、反日世論が沸騰し、中国外務省報道局長からは「低劣な違法事件。日本政府が国民への教育を強化するように望む」と国民教育を求められる情けない事態になった。
 国境をまたぐ売買春は、一般的には、民族間、国家間の問題にはなり得ない。そもそも男女間の個人的な取引行為であり、貧富格差などの社会的背景こそあれ、「国家」や「民族」が全体として直接絡むことはないからだ。かつ、この問題では、完全に真っシロな国民、民族など存在しえないだろう。私はかつて、東南アジアで勤務したことがある。某国際観光都市の夜こそ、まさに「人種、民族のるつぼ」だった。
 ところが、珠海のケースでは、「集団」という一言が付き、しかも、「数百人」というケタ外れの顧客数が報じられた。もはや個人レベルの話ではない。日本人全体のイメージの問題になった。間が悪いことに、「集団売春」があったとされるタイミングは、満州事変の発端となった柳条湖事件の記念日(9月18日)直前だった。
 噴出する民衆の反日世論に押される形で、中国側は、この一件を「事件」として扱った。外務省報道局長が「違法」行為の存在にはっきり言及したほか、国営新華社通信(電子版)は、売春斡旋組織の主犯とされている人物が逃亡先で拘束されたとの現地紙報道を伝えている。
 日本人団体側は、「集団売春」を否定している。だが、やはり、常識はずれの軽率な行為だったとの批判は免れないのではないか。彼らは、中国ではどのような目で見られるかも考えず、国内と同じような感覚で団体行動を取っていたのだろうが、外国の夜の街で、「数百人」の日本人団体が多数の現地女性とともにいる情景など、日本人である私も見たくない。
 マナーや常識といった問題とは別に、「寸劇事件」「集団売春事件」の大きな背景には、中国人に対する日本人の漠然とした優越感、無神経さあると思う。唐突な仮定だが、彼らがもし欧米先進国の都市にいたとしたら、同じことをしただろうか。少なくとも、実行の前に、周囲の反応をもう少し考えてみたのではないかと思えるのだ。
 中国が驚異的な経済発展を遂げつつあるといっても、個々の中国人の経済力は、平均すれば、日本人にはるかに及ばない。企業人はもちろん、留学生であっても、中国──特に、西安を含む西部地域など所得水準が高くない地域では、大多数の日本人が、一般民衆よりはるかに上等な生活ができる「特権階級」に属する。いかに安上がりですませるかを競い合うような貧乏旅行を続ける日本人青年も多いが、中国で本当に貧しい人々は、旅行とは無縁の一生を送る。
 経済力のほか、社会的秩序、公衆衛生、サービスなどの完成度でも、日中間には、まだ歴然とした差がある。そうした日本の経済、社会的総合力を背景に、多くの日本人は、意識の中で、自分という個人を、「中国人」という概念の上位に置こうとしている。例えば、中国に滞在する日本人同士の会話で、よく耳にする言葉に、「中国人と間違えられた」というのがある。もちろん、語学力の話ではない。低意は、大抵の場合、「ファッションや行動が洗練されていない」ということであり、本人の意図とはかかわりなく、中国人全体を見下した語感がにじみ出る。
 相手を見下した時、気はゆるむ。
 日本人にそのような態度が見えた時、中国人は過敏に反応する。
 もちろん、中国側にも過剰反応があった。特に、留学生宿舎に乱入し、学生二人を負傷させた暴行障害を正当なものとして認めるわけにはいかない。留学生の行為を戒めるにしても、冷静な議論を通じた解決策があったはずだろう。暴行は、理性に裏打ちされた抗議ではなく、民族感情だけが先走る幼稚な行動だ。また、「寸劇」という日本人側の行動(あえて、「些細なこと」とは言わない)に対して、日貨ボイコット、日本人排斥を呼びかける反日デモで応じたのも、明らかに行き過ぎである。
 「寸劇事件」を巡る二つ目の疑問は、ここにある。「寸劇」への憤りが、なぜ、大規模な反日デモが発生する事態にまで発展したのか、ということだ。


「反日」歴史教科書のすさまじさ

「歴史に根ざす反日感情が強い中国では、きっかけさえあれば、反日行動につながりやすい」──ひと言で言えば、そういうことだ。しかし、それでは何も語っていないに等しい。なぜ中国がそのよういう状態にあるのかを知る必要がある。
 個人的には、中国における「反日」とは、共産党一党独裁体制下での教育、文化、政治、歴史に対する民族的恨み、その時々の日中関係の状況などの緒元が複合的に絡まり合った流動的エネルギー体であると感じている。「反日」のレベルは、常に一定ではない。
 ここでは、現在の「反日」を構成している最も重要な要素である教育と政治、そしてインターネットを中心に取り上げてみたい。
 まず教育を見てみよう。反日行動の主力となっている若者の対日感情の基礎を作っているのは、教育だからだ。
 西安の反日デモに参加した大学生は、ケ小平氏が改革・開放政策をスタートさせた1978年以降に生まれた「改革・開放世代」だ。日中両国は、彼らが生まれるはるか以前(72年)に、関係を正常化していた。
 もう少し上の年代、89年の天安門事件を学生時代のころに経験し、民主化への希求が強い30歳前後の人々の反日感情も強い。
 黒竜江省チチハルで今年8月、旧日本軍遺棄化学兵器による死傷事故が発生したのを受け、「中国青年報」紙は9月から10月にかけて、19歳から35歳までの若年世代を対象にした全国世論調査を実施した。日本のイメージに関する設問に対し、有効回答数1827人のうち、約4分の3が、「もともと悪かったが、さらに悪くなった」と答えた。
 私自身も、北京滞在中、中国の若者の反日論を聞いてきた。20歳そこそこのインテリ学生が、日本を今なお絶対悪と見なし、50年以上前の侵略について、青筋立てて謝罪を迫るのだ。彼らにとって、歴史はなお現在の問題であり、中国が強調する「歴史を忘れず」の精神はこういうものか、と皮肉が混じった目で彼らをながめざるをえない。学校教育と社会教育を合わせた教育の効果は、絶大である。彼らは、授業や受験勉強、社会科見学などを通じて、共産党政権の史観に基づく日本の罪業に関する情報のシャワーを浴び続け、その多くは、情報に対する疑いすら持たないまま(相当数の学生が共産党そのものへの不信感を抱いているにもかかわらず!)、反日感情を育てていく。
 学校教育については、中国の教科書の内容で歴史を見てみるのが、いちばん分かりやすいだろう。中学校歴史教科書(人民教育出版社歴史室編著『中国歴史 第4巻』=96年印刷の近現代史で日本に関する記述を紹介する(抄訳。筆者注には〔 〕を付けた)。やや長くなるが、ここにある記述は、歴史に対する中国の基本認識と言えるものである。引用しているのは、ほんの一部に過ぎない。参考までに、各課のテーマと教科書のページ数も付しておく。
 ▽第5課「日本が中国を侵略した”9・18事変”〔満州事変についての記述。B5サイズで9頁〕
「東北に駐留する関東軍は1931年9月18日夜、柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破、中国人が破壊したと言いがかりをつけた。彼らはこれを口実に、瀋陽〔現遼寧省〕を占領した。東北3省の美しい山河は、すべて敵の手に落ち、3000万同胞は日本軍の鉄蹄の下で抑圧させ、辱められた。〔本文〕
 ▽第6課「抗日救国運動の新たな高まり」〔西安事件などの抗日戦線について。7頁〕
 ▽第7課「神聖なる抗戦の開始」〔盧溝橋事件から南京事件まで。8頁〕
「7日夜、日本軍は盧溝橋北側で軍事演習を行った。彼らは、兵士一人の失踪を口実にして、宛平県城に入れるよう無理な要求を突きつけたが、中国の守備軍に拒絶された。彼らは、宛平城に向けて砲火を開いた」〔本文の詳細説明〕
「日本の侵略者は、いたるところで、火を放ち、人を殺し、女性を犯し、略奪した。日本軍は南京占領後、血なまぐさい大虐殺を行った。南京の住民のある者は射撃の標的にされ、ある者は生き埋めにされた。占領後6週間のうちに、寸鉄も帯びない住民と武器を手放した兵士30万人以上を虐殺した」〔本文。詳細説明と、中国青年を殺そうとする日本兵のイラスト、日本刀の血糊をぬぐう日本兵のイラスト付き〕
「12月、日本の『東京日日新聞』は、次のように報じている。日本軍の少尉、向井と野田は百人斬り競争を行い、野田が、105人、向井が106人を殺した。だが、どちらが先に100人を殺したかは不明で勝敗はつけがたく、新たに、どちらが中国人150人を殺すかを競うことにした」〔詳細説明〕
 ▽第8課「敵の後方に行け」〔共産党の抗日遊撃戦などについて。8頁〕
 ▽第9課「日本侵略者の残虐な統治」〔占領地での日本軍について。6頁〕
「残虐な日本の侵略者は、東北において、細菌戦を専門に研究する部隊を作った。『石井部隊』と呼ばれ、ペストやコレラの研究を行った。人間性を失った侵略者は、生きた人間を実験に用い、多数の中国人を殺した」〔本文〕
「石井部隊は、捕らえてきた中国人を『マルタ』と呼び、細菌注射を打ち、汚染させた飲食物をとらせた。生体解剖まで行った。『実験』で殺害された中国人は、3000人以上に達する」〔詳細説明。イラスト3枚付き〕
 ▽第10課「抗日には消極的、反共には積極的な国民党」〔6頁〕
 ▽第11課「敵の背後で抗戦を続ける共産党」〔8頁〕
 ▽第12課「抗日戦争の勝利」〔日本の投降まで。7頁〕
「損失、軍、民間の死傷者=3500万人、経済的損失=5620億ドル」〔図表〕
 ▽第13課から第24課まで略
 ▽第25課「統一戦線、民族工作、外交活動の成果」〔台湾、外交問題など、9頁〕
「同年〔72年〕、日本の首相が訪中し、両国は外交関係を樹立した」〔田中角栄首相と毛沢東主席が握手するイラスト付き〕
 ──歯がみしながら教科書を読む少年少女たちの姿を思い浮かべることができる。恐らく愛国心に燃えることだろう。そして、この国定教科書を学ぶ子供たちに、反日感情を持つなという方がどうかしている。若い世代の胸に、歴史は、「現在の屈辱感」として刻みつけられる。子供たちに対する一種の「洗脳」のようにも見える。日中国交正常化など、一言で片づけられており、過去の日本のおびただしい「罪業」に比べれば、焼け石に水にもならない。
 中国政府が2000年に発表した人権白書によると、中国での中学就学率(99年)は約87%。ほとんどの子供たちが、こうした教育を受けて高等教育機関、社会へと進んでいく。
 社会、すなわち学校外に用意されている愛国主義教育施設、例えば、北京・盧溝橋の抗日戦争記念館、南京の大虐殺記念館、瀋陽の「9・18事変」(満州事変)記念館などは、蝋人形を使って、教科書の記述をより詳細に、具体的にイメージさせる場である。どの記念館でも、教員に引率された子供たちの姿を多数見かける。
 より深刻なのは、共産党一党独裁の統制下にあって、新聞、出版社、言論界などにおいても、この問題では、完全に統一的立場を取っていることだ。南京事件を描いた映画が犠牲者数を「30万人」としたところ、専門家から「違う。『30万人以上』だ」とクレームが付いたほど硬直化した状況がある。
 大多数の中国人は、学校から社会にいたるまで、同じ情報に基づく「事実」と「立場」を延々と刷り込まれていく。そこから外れるものは、「歴史の捏造」「歴史の歪曲」と見なす。
 日中戦争を実際に体験したわけでもない若者たちが、日本に対して感情を噴出させる背景には、日本を化け物のような侵略国家として描き出す歴史教育の影響があるのは間違いない。


政治的に利用される「日本」問題

 教科書の構成をざっと眺めると、政治的意図がはっきり浮かび上がる。
 ごく大雑把に言えば、「極悪日本人を追い出したのは、共産党だった」という政治宣伝である。共産党の論理では、政権の正当性と、日本とは密接につながっているのだ。屈辱の近代史を経た中国では、愛国心発揚のためには、過去の歴史を持ち出すのが手っ取り早い。愛国者たちの目には、日本を追い払い、半植民地の状態に陥っていた中国に「独立」をもたらした共産党が、救国者として映る。そういうからくりになっている。もちろん、共産党にとって、日本の歴史的罪業は、深ければ深いほど都合がいい。
 この政治的意図を露骨に打ち出したのが、89年の天安門事件後から昨年までの13年間、党総書記の座にあった江沢民氏(現・党中央軍事委員会主席)だった。各地の愛国主義教育基地を拡充、整備し、95年の第二次大戦終結50周年の際には、扇動といっていいほど大がかりな愛国主義キャンペーンを張り、「愛国主義」の向こう側に「日本軍国主義」を対置させた。日本が米国との防衛協力を強化するための指針(ガイドライン)作りをしている際も、中国側は「軍国主義復活」を声高に叫んだ。欧米時には、日本を刺激するのを知りながら、ハワイ・真珠湾を訪問し、中国が連合国の一員だったことをアピール。98年の日本訪問では、謝罪の文書化を執拗に迫り、小渕首相に拒絶された。
 天安門事件後から91年にかけてのソ連、東欧社会主義国の崩壊は、中国共産党に「衝撃と恐怖」を与えていた。政権の求心力を高めなければならないが、社会主義イデオロギーに権威はもはや失墜している。政権は、自らを支える柱として、「愛国心」を持ち出した。その題材を過去に求めた。江沢民時代の愛国主義キャンペーンには、こんな背景もある。
 日中戦争当時、共産党の地下活動に従事した経歴を持ち、「親戚が日本軍に殺された」、「歴代指導者の中で最大の親米家だが、日本嫌い」などとも言われる江沢民個人にすれば、「歴史を鑑に未来に目を向ける」は、経済発展を揺るがぬ中心とし、総合国力の増強を図る国家戦略を踏まえた抑制的態度だったのだろう。「中日関係の大局」の重要性を何度も強調した。だが、日本側からは、「歴史」ばかりをことさらに強調しているように見えた。昨年10月、メキシコで行われた小泉首相との最後の首脳会談では、3回にわたって、靖国神社参拝問題を持ち出している。
 天安門事件後の危機を乗り切り、その後も国内情勢、対外関係の安定を守り続け、朱鎔基首相(2003年3月引退)とともに未曾有の経済発展をなしとげた江氏の功績は、正当に評価されなくてはならない。その中にあって、江氏の対日外交は、明らかにに失敗した。江沢民時代、日中両国民の相手国に対する感情は、悪化した。「日本」は政治的に利用されすぎた。
「日本は歴史を忘れてはならず、中国は歴史で日本を刺激してはならない」
 2000年秋、朱首相が日本訪問前に、日本人記者団に語った言葉を思い出す。野放図といっていいほどの日本批判を続けてきた中国自身に対しても自制を促した、勇気のある発言だった。「歴史を鑑に・・・・・・」が、日本に対して一方的な反省を求めるニュアンスを持っていることを考えてみれば、朱首相の言葉の重みが分かる。朱首相は、ネット上などでの「売国奴」批判に耐えた。だが、その後、小泉首相の靖国神社参拝などを巡るに中間の大波は相次ぎ、朱首相の言葉は、波間に消えた。


ネットで飛び交う「反日」

 近年、「反日」の策源地という様相を呈してきたネットについても見てみよう。西安の反日デモにおいても、ネットは重要な役割を果たした。「寸劇」情報は、瞬時にして中国全土の憤怒を煽り、留学生が、「見ろ、これが中国人だ」というカードを掛けていたなどという未確認情報は、憤怒が行動へと発展していく上での決定打となった。
「倭」「小日本」「日本鬼子」
いうまでもなく、日本人の蔑称である。中国のネットサイトには、この種の言葉が溢れている。子供じみた、あるいは屈折したような心理がうかがえる。この「屈折」した感じは、かつて言われていたよう、中間の経済力格差を下地にする一種のコンプレックスによるものではない。もっと浅い。
「日本を滅ぼせ」、「過去の仇を討て」など空虚な激論がひたすら飛び交い、ごくまれに理性的な立場から日本をかばう声が出ると、「日本のスパイ」と切って捨てる中国のネット論壇を眺めているうちに、何となく、ある情景を思い浮かべた。
 幕末の二流以下の攘夷志士たちの会合だ。
 ただ騒いでいる。口角泡を飛ばしながら、一同が「反日」の志士であるとアピールしているようなものだ(一人パソコンのキーボードをたたく人々の姿は、それとは似ても似つかぬものだろうが)。「反日」の主張に沿うものは、客観的事実に合致しているかどうか、実現の可能性があるかどうかは問わず、正義とされる。大言壮語はどんどんエスカレートし、主張はますます先鋭化していく。匿名性に守られた、閉じたネット世界では、どの国でも多かれ少なかれこうした傾向があるだろう。ただ、「反日」に関する中国のネット世論にあっては、その傾向がより顕著に現れているのではないかと思う。中国の微妙な政治問題において、言論の自由度の幅が最も広いテーマの一つは、恐らく「反日」だ。なにしろ、共産党・政府自身が、そういう教育をしてきている。ネットユーザーたちは、「中日関係の大局を重視せよ」という共産党方針などお構いなしに、日本への罵詈雑言をたたみかけている。
 相対的に見て、ネット上の「反日」は、主張としては単純といえる。だが、その影響力は大きい。何か事が生じると、一瞬のうちに「反日」の大地を檄文が駆けめぐるのだ。ネット以前の中国社会において、本当の意味での「世論」というものは存在しなかった。当局の厳しい統制下にあって、情報、あるいは情報に対する意見を自由に公表する場所がなく、民衆をリードする者もいなかったからだ。だが、ネットは、そうした条件を不完全ながら整えた。中国の「反日」について、先に、「流動的エネルギー体」と書いたが、その動きを飛躍的に速め、エネルギーを膨張させているのは、ネットだと言っていいだろう。
 中国の有力ハッカー集団のリーダーに電話インタビューしたことがある。彼は、「ネットで呼びかけると、一万人ものハッカーが立ち上がる」と言った。愛国心、民族感情を刺激する日本がらみの事件があると、日本のネットサイトへの攻撃を行うという。
 ハッカーは極端な例かもしれないが、通常のネット世論の攻撃の矛先は、共産党政権にも向かう。
 政権は日本を”悪役”にした愛国主義教育をしている。それは事実だ。しかし、国内教育と、現実の外交、経済とはまったく別物である。経済発展、周辺環境の安定という国家利益を考えれば、日本との関係を重視せざるを得ない。あれほど歴史にこだわった江沢民氏が、一方では「中日関係の大局は友好」と言い続けたのも、当然だ。しかし、民衆側はそうは見ない。そうした政権の姿を、「軟弱」と見る。「売国奴」と見る。それをネット上に書く。批判の矢面に立つ中国外務省当局者は、「もはやその影響力は無視できない」と話す。
 政権は、反日行動が、反政府行動に結びつかないように警戒してもいる。「反日」というエネルギー、そして「デモ」という行動そのものが、政権と民衆の対立を招く危険性を内包しているからだ。西安のデモが早期に解散した理由は、当局の圧力があったためと見るのが自然だろう。
 政権にとっては、自ら育てた「反日」の機運が、負担にもなっている。
 中国の「反日」は悪循環に陥っている、とも言える。


「反日」からの脱却

 侵略された民族の記憶は容易には消えない。なおかつ、政権は半世紀以上にもわたって、民衆の胸の中に、その記憶がより鮮明に刻印されるように努めてきた。「反日の構図」は、簡単には崩れない。ネットという、新しい強力な手段も備えている。
 ただ、昨年11月に江沢民氏が党総書記ポストから退き、 胡錦濤政権が発足した後、注目すべき変化も生じた。
 党機関紙「人民日報」の馬立誠・論説委員(現・香港鳳凰テレビ評論員)が、「対日関係の新思考」と題する論文を発表。民族主義的な色彩が強い「反日」を徹底批判した。さらに、現実の日本を客観的に見つめ、歴史認識問題での日本の謝罪問題は解決ずみなどとする大胆な見解を示した。ネットは馬氏への罵声で沸騰した。だが、何人もの研究者らが後に続き、対日関係の再構築を訴える論陣を張り、「歴史」より「国益」を重視すべきだなどと訴えた。日中関係論の新たな潮流が生まれたと言っていい(その後、馬氏の論説は拙訳で『<反日>からの脱却』と題して中央公論社から観光された)。
 そうした議論を容認しつつ、国際社会との協議を通じて積極的に実益を追求していく胡氏の外交姿勢は、「新思考外交」と呼ばれるようになった。
 中国共産党も「愛国反日」の弊害を強く認識するようになってきており、長期的には、こうした姿勢が、中国の対日外交の基本線となっていくだろう。ただ、それが一朝一夕に実現することはありえない。今の状況が大きく変わるまでにには、時間がかかる。
 日本側にすれば、中国に迎合する必要は全くない。日本は自身の国益を基準に、主張すべきは主張し、焦らず、実務的に対中外交を組み立てていけばいい。それが、中国の国益にもつながるはずだ。
 日本側から、無益な感情摩擦を起こす必要も全くない。感情論の応酬は、互いに反感を煽るだけであり、戦略眼のある行動とはとても思えない。
 「猥褻寸劇」や「集団売春」などといった行動は、論外だ。


ナメられ放題! 怒髪天を衝く日中ビジネス最前線
新潮45 2003/12/1 (2003/12号)
青木直人(ジャーナリスト)

 中国の陝西省にある、かつて唐の都であった西安。市内にある名門校の西北大学で開かれた学園祭がきっかけとなって、学生たちの大規模な反日デモが勃発したのはつい先日のことだ。

 この事件の概要やその背景については、前の特集に譲ることにしよう。しかし、ここで私が気になったのは、日本人留学生が殴られ、日本料理店(経営者は中国人)のガラスが破壊させれてもなお、「日本人留学生の無知」を叱責してみせる日本のテレビなどのマスコミの報道だった。ワイドショーのコメンテーターたちのわけ知り顔の発言に違和感をもった視聴者も少なくないはずだ。

 日本のお茶の間のテレビが報じるのは、中国発の中国の論理だけだった。異様な話である。これから紹介するが、これまでの日本人は中国発の情報や中国人の言葉をそのまま受け取ってきた。疑うことがなかったのである。日本のそれと同じ感覚で、ニュースを受け入れててきたのだった。だが、その結果どれほどの日本人が甘言に釣られ、騙されてきたのか、多くの日本人は知らない。

 たとえば、躍進を遂げる中国経済についても報道をストレートに信じるのは危険だ。中国は市場経済を進め、この20年で、GNPで世界第7位(2000年)の「経済大国」に成長を遂げた。だが、経済の自由化だけは進んでいるが、報道までも自由だというわけではない。中国の公表する「事実」を鵜呑みにするのは危険なのだ。まず、共産党や最高指導者の批判は依然タブーである。中国は共産党が支配する一党独裁体制の国である。とはいっても、ここまではそれでも比較的よく知られている。しかし、実はこれ以外にも、もうひとつタブーがある。それは経済情報なのだ。

[中略]

女性なら誰でも知っている商品を扱っている日本企業の駐在員は、中国の工場をもう増やす計画はないと言い切る。「中国ブームはとっくに終わっています」「これ以上市場を広げても、競争激化で、これまでのようにはいかない。現状維持が精一杯だ」と。ブームに浮かれず、冷静に市場リサーチをしている会社もちゃんとあるのである。

 確かにビジネスチャンスは広がっているように舞えるが、誰もが成功する市場というわけではない。必ずしも中国は金を産む市場とはいえないのだ。

 だが、相変わらず情報収集に熱意のない会社も多い。西安の留学生事件の際も、現地の日本企業などの参加する西安日本人会が、詳細が不明な段階で、直ちに謝罪した。過ちが明確になれば、お詫びもいいだろう。だが、事件の検証もないままに、とにかく謝罪が第一だというのなら、あまりにも情けない。

 どうして日本はそれほどまで中国に対して弱腰にならなければいけないのか。79年から日本政府は中国に対して3兆円ものODAを供与している。さらにこれとは別に、森ビルの「上海環球金融センター」などに国際協力銀行から3兆円の協力ローンも与えている。これだけではない。アジア開発銀行や世界銀行など日本が最大限の資本協力している第三者の国際期間からの中国向け融資もある。日本は一貫して中国経済の最大の支援国なのである。

 だが、ほとんどの中国人は日本こそが中国市場経済の最大の支援者であるという事実すら知らない。あの日本が中国に対してそんな援助をすることはありえないとまで思っている。中国に外国企業が殺到したのはほんの10年前のこと。それまでは西側先進国では日本が最大の投資国だったにもかかわらずだ。

 中国人の自慢する超近代的な北京首都空港も上海国際空港もいずれも日本から400億円という膨大な資金援助がなされている。これは総建設額のほど半分に相当する金額だ。

 冒頭に書いた西安の学生たちは「日本人よ、出て行け」「日本製品排斥」を叫んだ。だが、この西安にも日本は援助を実行している。西安の空港「威陽国際空港」拡張に31億円、同市の上水道整備に72億円、安康までの鉄道建設に350億円、さらに市内の環境整備に98億円だ。西安を含む陝西省全体で、円借款は3198億円、無償援助(返済義務はない)が127億円に上る。だが、中国政府は日本の善意を決して広報しようとはしないのだ。

「日本人が出て行け」って困るのはどちらなのだか。中国は今後「南京大虐殺」のキャンペーンを大々的に海外でも行うことを発表した。いくら援助を続けてもこれではドブ金である。一方で、中国国内では失業問題など社会不安も表面化してきた。官民挙げて、対中政策の見直しが必要だろう。


殊海集団売春騒動で露呈した「中国の恥部」
新潮45 2003/12/1 (2003/12号)
渡辺也寸志(ジャーナリスト)

[前略]

反日キャンペーンの裏側

 今回[殊海集団売春騒動]の騒動は「中国青年報」が主導した。7000万人弱の団員数を誇る中国共産主義青年団(以下、共青団)の機関紙である。共青団は党中央への登竜門で、エリート要請機関という側面も持つ。広州の民間紙「南方周報」の元記者が語る。
「『中国青年報』は地元紙『南方周報』の協力で、殊海国際会議センターホテルの宿泊客を素早く割り出すことができた。この『南方周報』と、そ週末版が始まりである『南方周末』は、数々のスクープで売り上げを伸ばした新聞です。花嫁販売から北京市党委員会書記・陳希同の汚職問題、湖南省のエイズ問題など取材力は抜群。ただ、共産党指導者を直接狙い打ちするようなことは避け、権力上層部ともうまくやってきた。また、もともと共青団閥のトップこそ、現在の共産党総書記・胡錦濤です」

 それにしても、記事は絶妙のタイミングだった。

 事件が、満州事変のはじまりの日の直前であったのをうまく利用しただけでなく、「中国青年報」が第二報を打った9月28日は、あの福岡の一家四人殺害事件で捜査官が北京入りした日に当たっていた。この中国人留学生による残虐非道な殺人事件は中国ではまったくと言っていいほど報じられていない。

「中国の官営メディアは、すべて権力の意向に添っているのはおわかりでしょう? 今回も実に巧妙な仕掛けです。捜査協力で日本側に貸しを作り、国内は淫行日本人を叩いて慣例の反日キャンペーン、労せずして外交的勝利をものにしています。赤子の手をひねるようなものです」(同前)

 一方、それは反日教育を受けてき若い世代を確実にとらえ、煽り立てた。例えばネットの中に、如実に現れている。中国のインターネット事業の代理人を務めている日本人貿易会社社長・鵜沼武彦氏はこう言う。

「集団売春事件では大手ネットの一つ、捜狐の書き込みが、三日間で6万5000件に達したといいます。『小日本人(蔑称)の財産を没収でよ』『カネを稼いで、我々も日本にオンナを買いに行こう』といった調子です。

 中国のインターネット人口は6000万人を超えた。ネットの掲示板機能を使って討論ができる『論壇』が、次々と開設されました。ポータル(玄関)サイトの御三家は、新浪網、網易、捜狐ですね。なにかことあるごとに書き込みが殺到する。法輪功でも有人宇宙飛行船・神舟5号でも活発な議論が展開されています。もちろんあからさまな反共産党、反社会主義には規制が入りますが」

 しかし、日本がテーマになると議論どころではなくなる。

「反日一色ですよ。例えば、いま検討されている北京―上海間の高速鉄道問題で、『新幹線導入反対の中国人、集まれ』との呼び掛けがあがると、わずか10日間で8万人の反対の声が集まりました。ものネット民族主義ですね。その声は、『新幹線は昔の南満州鉄道(満鉄)を連想させる』といったものから『歴史問題が残っていて、この問題でも回避できなない』とか、果ては『日本人はみんな殺したい』となる。猛烈なバッシングです。
 今年は、黒竜江省チチハルで旧日本軍の遺棄した毒ガス兵器による事故が発生、ひとりが死亡し、約40人が負傷する、ということもありました。高まっていた反日感情に今回の騒動は火に油を注ぐ形となった。今年の反日キャンペーンの総仕上げでした」

 否、総仕上げではなかった。集団売春から一ヵ月後、今度は西安市の西北大学で日本人が槍玉にあがったのだ。文化祭で邦人男子留学生3人らが演じた寸劇が「下品」で中国を「侮辱」するとして、その場で学生が抗議。その結果、留学生が退学処分に、日本人教師一人が解雇処分となるのである。

 さらにこれが反日デモを引き起こし、暴徒と化した学生らが留学清寮を襲って日本人の留学生男女二人が殴られるという事態に至った。そして彼らは無関係の日本料理店をも襲撃した。


中国人の犯罪天国「日本」

 この事件に関しては中国外務省の羅田広・領事局長が「日本人留学生の行ったパフォーマンスは日本の公の場所でも許されておらず、中国ではなおさら許されるものではない」と語っている。一方、留学生が殴られた日本の外務省は、何の抗議もしていない。

 この発端となった寸劇が「許されて」いないパフォーマンスかどうかは疑義があるところだが、それを措いても、中国側の発言、笑止千万ではないか。

 それでは、日本にいる中国人留学生はどうなのか。とても日本の法律を守っているとはいえまい。こんなことを言われる筋合いはないのだ。

 先の福岡県の一家殺人にしても、大分県で留学生がその里親というべき恩人を殺した一件にしても、中国人留学生が関わっている事件は枚挙に遑がない。こうした凶悪事件もさることながら、一方で、女子留学生の相当数が風俗嬢となってバイトしているという面もまた確かなことなのだ。留学とは名ばかりで、日本に害をなしにきている留学生がいかに多いことか。

 留学生だけではない。蛇頭など密航で不法入国し、犯罪を繰り返して帰国していくものもあとを絶たない。

 日本人にとって中国が売春天国であったように、中国人にとって日本は犯罪天国なのだ。しかもそれはもう長らく続いている。冗談ではない。

 売春は中国では「強い怒りを感じる」とか、「道徳心を強化するように指導してほしい」とのたまった。天に唾するとはこのことだろう。

 むろん、中国が反日感情を必要以上に煽るにはわけがある。

「今の中国には海外からの脅威はない。問題は内部。歴史問題を引っ張り出して、常時、日本を仮想敵国にしておかないと体制が持たない。経済発展の陰で、腐敗、失業など内部の矛盾が次々と露呈してきた。そこから民意の目をそらさねばならない。だから昔も今も、悪逆非道の日本というわけです。軍国主義・日本を打倒したのは、中国共産党。彼らが統治の正当性を主張するためには、日本の過去、現在の非道を糾弾し続けなければならないわけです」(前出、鵜沼武彦氏)

 こんなことに利用されて言われっぱなしになっていることはない。国内問題は国内で解決して欲しいものだ。こんな中国に対して友好を掲げるのはいかがなものか。彼らに正面から向き合って言うべきものはきちんと言うこと、日中友好があるとしたら、それからの話である。


西安留学生事件が突きつけた「真実の時」
日本人よ、「日中友好」の幻を直視せよ
古森 義久(SAPIO 2003/11/12 11月26日号)
 中国の西安で起きた反日の騒ぎは日中関係の「真実の時」の到来を早めるという点で貴重である。

 こんなことを書くと、なにを血迷ったことを、と思われるかも知れない。だが中国でこと日本や日本人が対象となると、無法で理不尽なことがごく当然のようにまかりとおるという現実を日本側が認知するためには、この事件は絶好の機会を提供したのである。

 この10月29日、西安市の西北大学での文化祭で日本人留学生3人と教師一人が演じたという寸劇の下品さ、愚かさは言うをまたない。大学の文化祭で留学生が胸に赤いブラジャーをつけ、下半身に紙コップをあてて、踊り回り、ブラジャーから紙クズを取り出して、観客席にまく、という行為は、もし中国側の報道どおりならば、想像しただけでも恥ずかしくなる。

 日本の大学内で、日本人同士という状況だとしても、一定の許容範囲を超えたパフォーマンスだろう。まして異文化の異民族に向かってはとってはならない言動だったといえよう。この点での中国側の報道を信用しての日本側学生らの非は強調しておきたい。

 しかしそれでもなお中国側の反応は常軌を逸していた。

 西北大学の中国人学生たちは寸劇を演じた日本人学生らを「中国を侮辱した」として糾弾し、留学生寮に押しかけ、他の日本人留学生たちをつるしあげにし、うち二人を殴りつけ、負傷させた。日本人学生たちは謝罪文を書いて、中国側に手渡した。だが中国人学生たちはさらに西安の市民までを巻きこんで、数千人規模の反日デモを三日連続して実行した。北京では中国外務省の領事局長が日本大使館の公使を呼びつけ、日本人が中国の風習、習慣を守るよう要求したという。

 以上のような中国側の対応が正常といえようか。いかに下品でも野卑でも、たかが大学内の学生の寸劇である。しかも日本人学生の側に中国側を侮辱したり、非難する意図がないことも明白だった。禁煙席でタバコを吸った若者を当局がフクロだたきにして、懲役に処す、しかもその学生の家庭や郷里までを「悪」として糾弾する、という極端な過剰反応なのである。

 日本側ではみな一様に過剰反応を認めながらも、そうした反応が起きてもやむをえないとするような「解説」がいくつか語られた。 

「西安は沿岸部より経済格差がずっと大きい内陸、山間部の不満を象徴する地域で、中央政府への不満を『反日』に代償させて、ぶちまけた」

「日本側では珠海での大規模売春事件のように中国への無神経な言動が多くなっていたため、中国側の対日感情が悪化していたのだ」

「日本側では小泉首相の靖国神社参拝や日本在住の中国人による犯罪増加への非難など中国の国民感情を害する現象が起きていたため、今回のような反日デモが起きたのだ」

 だが私はこの種の「解説」には同意しない。この種の背景説明にはそれなりにいくらかの真実はあるだろう。しかし、そうした「解説」だけで愚かな日本人留学生数人の稚戯が大学全体をあげて、さらには大都市をあげての抗議デモにつながることは説明できない。ましてその種の「解説」は留学生のばかげたパフォーマンスと中国の政府の公式抗議という事態とを結びつける因果関係を説明できはしない。

 ではなぜ日本人留学生数人のおそらく善意の愚かな言動が日本や日本国民の全体に対する糾弾にまでいっきょにエスカレートしてしまうのか。日本側の私たちはその真の理由を考えねばならない。今回の反日デモがたとえ中国国民の中国政府に対する不満ばらしだったとしても、なぜそこで日本がスケープゴートになるのか。この問いへの答えはいくつかの要因があげられる。

 まず第一には、中国国民の間に日本や日本人は嫌いな対象、嫌うべき存在だとする感情が浸透しきっていることである。その原因は日本の戦時中の軍事行動そのものにもあるだろうが、それより大きいファクターは現在までの一貫して徹底した反日教育なのだ。反日政治宣伝でもある。その結果として現代の中国においてもっとも忌避される外国というのは疑いもなく日本であり、もっとも嫌悪される外国人というのはまちがいなく日本人なのである。

 第二には、中国国民の間には日ごろの不満をぶつける相手、たたく相手が日本であれば、共産党も政府もその不満の表明には決してひどい懲罰など加えない、むしろ黙認し、場合によっては奨励する、という意識が浸透しきっていることである。政府要人の汚職への抗議デモを実行すれば、懲罰を受ける。アメリカをたたく抗議集会を開いても、弾圧されるだろう。だが、日本をたたき、ののしるデモならば当局は許してくれる。だから気に入らない対象があってそれに不満をぶつけるときには「日本」をそこに持ち出してくればよい、ということになる。

 こうした「反日」の土壌がいまの中国にはすっかり広がりきっているという現実が今度の西安での事件で裏づけられたのだといえる。日本は嫌われている。軽蔑されている。軽視されている。中国では他のどの国よりも、どの民族よりも、日本と日本人は不人気な存在なのだ。

 これまでの日本の対中アプローチは官でも民でもこの現実を正面から認めようとせず、「日中友好」の空疎な標語を優先させ、いやな現実から顔をそむけてきた。だが今度の西安事件は日本側にこの現実を認めることを正面から迫ったといえよう。この現実をしっかりと認める時こそが「真実の時」なのだ。真に健全な日中関係はその時点から新たに始まるべきなのである。


「反日教育」の成果を実証した中国「寸劇騒動」
週刊新潮 2003/11/6 (11月13日号)
 10月29日、中国西安市の西北大学文化祭で邦人留学生3人が演じた寸劇に端を発した反日デモ。学生による数百人規模で始まったものが、瞬く間に市民も巻き込み数千人規模に拡大した。この過剰反応、江沢民前体制化での「反日教育」の成果に他ならない。

 3人が演じた寸劇とはどれほど卑猥だったのか。先ずは現地特派員の話を聞いてみよう。
「『文化の夕べ』と題された文化祭は、その日、午後6時から約400人の群集を集めて始まった。伝統舞踊や英語劇など格調高い演目が続く内に3人が登場。全員、頭から筒状にして目だけくり抜いたダンボールを被り、Tシャツの上に赤のブラジャーを着け、股間を紙コップで覆っていた。1人が背中にハートマークを張り、同じく『日本』『中国』と記した2人がそれを挟む恰好で手をつないで後ろを向き、ラップ調の音楽に合せ、声を上げたり踊ったりした」

 日本舞踊と通告してあっただけに、ドタバタ劇は即座に中止されたが、
「3人の出演は直前に決まったうえに、揃いも揃って中国語の習得度はそれほど高くなかった。他に芸もなかった彼らにしてみれば、下品な恰好で笑いを取るくらいしか日中友好を表現する手立ては思い付かなかったのかもしれない」

 西北大学は、3人に反省文を提出され、退学処分にした。但し、
「当局は、下品だとは非難したが、3人に悪意がなかったことは認めた」(同)
 騒動が拡大していったのは、香港紙「文匯報」が、
「3人は、”これが中国人だ”と書いた紙を掲げていた」
と報じ、それがインターネットのウェブサイトで煽られていった。しかし11月1日、北京から現地に赴いた日本大使館職員が、邦人留学生と西北大の学生から事情を聴き、香港紙が報じた中国人侮蔑の言動はなかった事を確認した。

反日教育は全土一律

 3人が仕出かした軽率な行動に、弁解の余地がないことは無論だが、寸劇に対する不満が直ちに無関係な2人の邦人留学生を殴打させ、日本料理店を襲撃させ、ヒステリックなまでの反日デモが燎原の火のように広まる様にはうそ寒さを覚える。
「こうした過剰反応は、戦後から一貫して行われてきた反日教育を抜きにしては語れない」
とは別の中国特派員。
「特に、89年の天安門事件以降、江沢民体制下では、ソ連、東欧の社会主義体制が次々と瓦解していく中、愛国主義教育が一層、強化されていった」

 愛国教育と反日教育は、表裏一体といっても過言ではない。
「具体的にいえば、中国では日本人が中国人を侮蔑したり、虐げている姿がテレビドラマや映画で頻繁に出てくる。反日ドラマと銘打っている訳でもないのに、日本人は必ずといっていいほど残酷で人間味のない民族として描かれる。教育現場では、中国共産党の正当性は反日教育とセットで教え込まれる。国定教科書は、累積3兆円にも及ぶ日本の対中国ODAや戦争放棄を謳った憲法9条に言及していない」

 西安は、36年に抗日運動が始まる拠点となった西安事件が起きた土地柄でもあり、85年、当事の中曽根首相の靖国神社参拝に抗議したデモも行われている。

 もっとも、外交評論家の加藤英明氏によれば、
「今回の件は西安に限らず、中国全土に広がる可能性がありました。反日教育は全土一律で、それをインターネットの普及が後押ししている」

 中国特派員の経験を持つジャーナリストの古森義久氏も
「胡錦濤体制が、対日親和の”新思考”路線を打ち出したところでそう簡単に軌道に乗る筈がありません。この現実こそ反日教育の成果そのものなのです」





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