体力の限界か?佐渡国際トライアスロン

 今年は冷夏で夏がなかった感がしますが、9月になって夏が戻ってきました。今年の一番暑い日!私にとっては9月7日でした。


 9月7日午前6時 佐渡島の真野湾に集まった1300人のトライアスリートは
スタートの号砲を群馬県第11師団自衛隊音楽隊のファンファーレとともに聞いた。
ついにこの日がやってきた。自分の気力体力を試す絶好の機会か?否!自分の人生を探る絶好の機会なのだ!

トライアスロンでももっとも過酷なロングディスタンスのタスクはスイム3.8Km、バイク185Km、ラン42.2Kmを制限時間15時間で競うという種目です。これは国際A タイプとここでは言っています。佐渡国際トライアスロンは同時に国際Bタイプがあり、国際Aのほぼ半分の距離で行う種目と、国際Bと同じコースを戦う日本選手権の競技を行います。国際と名のつく大会であって、外国からの招待選手、参加選手もいてハイレベルな争いが予感され、場内は期待と興奮で熱気にあふれていました。

島内がトライアスロン一色で、島民の方々は皆さん大会の旗を振っているといった印象でした。

前日、ジェットフォイルで入島した私にとってこれが2度目の佐渡でした。1度目は今年3月社員旅行で佐渡に訪れました。佐渡金山、流人の島、新潟の北の日本海に浮かぶ島くらいの知識しか持ちませんでしたが、朱鷺がいて、佐渡おけさ、能といった民芸も盛んで大変に観光に力を入れた観光の島という認識を新たにもちました。
さらに、国際的なトライアスロンの舞台(これはもう知っていて下見の意味もあって参加しました。)とあって、島民のかたはトライアスロンに深い愛着があって、楽しみにしているという。ちょうど世話になったバスガイドさんもトライアスロンが大好きなのだそうでした。
さて、昨日の佐渡はまさに荒れた日本海を見せていていつもは穏やかな真野湾がこんなにも荒れた波、風で、寒々とした感じであったことで、明日の大会はどうなの?という心配をさせられました。こんな海に入ったら死んじまう〜ってとこでした。
ところが夜には月が出て次第に穏やかになり、心楽しくしばらくぶりの一人ぼっちを楽しんだりしました。
そうしてこの日、大会当日を迎えることになったのです。

早朝よりアスリートのアップする姿が海岸に見受けられヴォルテージは嫌がおうにもあがって来ます。4時半から本日のタスクが発表され、当然全行程が行われる運びとなっていました。
会場に行くと6時の開始の前に最終受付で腕にマーキングして(マジックでゼッケンを描いて)もらいました。このとき、チップの入ったバンドを渡され、右足につけるようにと指示を受けます。これが計測してくれるわけですね。そして、着替えをしてウェットスーツを着て、海に出て少々泳ぎを確かめてスタートを待ちました。

スイムのスタートです。昨日の怒涛のような荒波とは打って変わって穏やかな真野湾を3.8Km三角に泳ぎます。沖にオレンジ色の大型ブイが2個ありはるか彼方にかすんで見えます。
左が最初のコーナーで1.4Km先、右が次のコーナーで2.4Km地点、それを回って帰ってくるというコースです。未知の旅路へのスタートでした。
夢中で泳ぐだけ、でも、それじゃーなんにもわからないでしょうから、、、でも本当、泳いでいるだけでした。ときどき他の人にもぶつかります。それは他の人も同様で、おあいこさまのようでした。一番都合が悪いのは外から内側に曲がって泳いでくる人でかわしようがないのですね。文句を言っても聞いてくれないのでしかたがありません。
続けて泳ぐだけです。
他の人とぶつかるとその人が男でも女でも(はっきりとは区別しがたい)まるで、海の哺乳類とぶつかるようなおもしろいちょっと楽しい感覚があるのです。ぬるぬるしたまたはぴちぴちしたウェットのせいなのでしょうが、、、。
最初のコーナーまでは遠かった!次のコーナーも遠かった!
沖合いを泳ぐ時群れの中がいやだったもので離れて泳いでいたら方向を失い、もうこのときには水中眼鏡も曇りがちだったから、ブイがなくなっていた。立って見て見るとあらぬ方に見つけられたが、泳いでいる人達からは100mは十分に離れてしまっていた。
沖合いの海は波がゆったりとあり、それと海の臭い(重油臭い?と思うのはわたしだけかしらん)とで酔ってくるような感じがする。実際、少し吐き気がし酔ってしまった。
自分の泳ぎに専念すると結構早く泳げた。それは頭を下げ、海に入ろうとする姿勢です。息を吸おうとすると水の抵抗が感じられ他の人に抜かされていく。が、自分の泳ぎをすると、徐々に他の人を抜いてもいけた。が、そうすると方向を失いとんでもない方へ泳ぐ始末ともなった。なかなかうまく行かないです。
2個目のコーナーを越えしばらく行ったところで足がつった。「諏訪!救援の要請か!」と一瞬思ったが、なかにはキックを使わず泳ぐ人もいたので、「大丈夫、手だけで泳げばいい。」と開き直ることが出来、そのうちつりも消し飛んだ。
帰りの3.1Km地点からは国際B、日本選手権の人も同じコースになるのだが、かなり群れの後ろになってしまった私らはこの先頭集団と競合することになって、元気のいい泳ぎ手に翻弄され気味でした。このへんが一番苦しかった。ちょうどこのあたりは遠浅で、岸から500m,600mはなれているというのに水深1mに満たないところもあり、めがねが曇っていなかったら魚でも探せたかかもしれない。アオサなどの海草が一面に見えた。

そうしてどうにか最初のタスク、スイム3.8Kmをこなすことができたのでした。時計は予定通りの1時間40分を越えようとしていました。

自分の予定では、スイム1時間40分、バイク6時間半、ラン4時間がベストである。という考えであった。合計タイム12時間10分ですね。これなら悪くしても制限時間15時間を超えることはないと踏みました。
ちょっと私の練習を振り返りましょう。
スイムの一番いい練習だったのは7月末の市民プールでした。50mプールが梅雨開けせぬまま泳ぐ人もまれな土曜、約1時間半で3Km前後泳ぎ、いい練習になりました。
海水でしかもウェットをつけているのでこんなに早く泳げるのですね。
バイクのほうは8月のある日曜日に1日で220Km走りました。これが唯一185Km以上走ったことですが、このときは休憩入れて12時間以上かけています。185Kmを6時間半なんて夢のような速さなんですね。
ランではフルマラソンの距離を走ったのはわずかに2回。河口湖マラソンと霞ヶ浦マラソンだけ。時間は4時間50分と、4時間20分程度です。実にうがった予定を立てたものですね。
でも、自分では8月に20Kmを走った時1時間50分で自己新だったが、学生時分の同僚に感じた筋金入りの体が出来ているという自覚があった。また、そう信じた。だからこそ、人生を賭けた戦いに挑むことにしたわけです。

バイクにのる準備をしているときには国際Aの集団はほぼ9割がいなくなっていた。まづ10分くらいは休憩して、という気持ちだったが、こうも遅れていてはそうもならず5分程度で着替えてバイクにまたがった。やはり自転車はいい!思わず奇声をあげる。
これから佐渡1周の旅に出発である。
バイクのコースは国際Aが佐渡1周185Kmを右回りする。国際B、日本選手権は佐渡の南半分を1周する。どちらも起伏にとんだ難コースだ。佐渡1周は当然知っていたが、起伏にとんだ難コースだなんて知らなかった。聞いていない!てっきり平坦なコースだと思っていたのだ。
3月にバスで走ったときも坂なんか少なかったのに、、。実は、海岸線は坂ばかり。佐渡の中央部だけが平坦地だったのです。
バイクで抜ける人なんかいません。みんなどんどん私を置いていってくれます。どうしてあんなに速いの?がんばってるからです。始めは風がアゲンスト(正対)で、きつい坂ともなると速度は10Kmをきることもあります。がんばれがんばれ!先週子どもをディズニーシーへ連れていったのですが、そのとき帰りに運転しているパパに声援を送ってくれた声がよみがえります。
「がんばれ、がんばれ、パパ」。そういっているうちにバテてきた選手を抜くこともでてきました。
そうだ!ハンググライダーでは年間順位4位になったこともある西富士の瀬野だ。瀬野のパワーで越せない坂などない。栄はゼロ戦のエンジンだ。950馬力だ。
人生を賭ける?否!賭けるものなどない。常に新しい冒険が待っているだけなのだ!
坂を行く!坂を登る。坂を滑るようにくだる。どこまでもどこまでも、新しい冒険が行く手にあるだけなのだ。そうとも!それが俺の人生なのだ!
これが俺の欲しい人生なのだ!
佐渡の美しい海や山が疲れた身体にしみます。標高100mを越す登りを登り切り、くだりにさしかかったとき目に飛び込んできたのは真っ青な海でした。ああきれいだ。こういうのを紺碧の海というのだろうと思うと、同じ海が雲を背景にしたところはなんともさえないくすんだ色なのですね。
海は空を映しているのか。群青の空を背にする時海が輝く。これが本当なのですね。

コースは前半90Kmを来て12時近くになっている。苦しいアゲンストではあったが前半で4時間はかかりすぎている。後半速度が上がって3時頃までに終えられるだろうか?
バイクの制限時間が午後4時で、実は今日家に帰るためには9時半の最終フェリーに乗らなくてはいけない。など、いろいろ計算したが、3時がやはりなんとか目標の線ではあった。

バイク後半風はフォロー(追い風)でスピードは上がったが、それでもばててくる分を補いきれずバイクを終えたのは午後3時35分程度であった。かなりこたえた。特に最後30Kmが遠く感じた。
トランジットで水分補給し、パンをかじるなどして少々休んだ。
大会終了後の公式の成績を見るとここまでスイム 1:41:21で 528位。バイク 7:52:53 で 527位。合計 9:34:14 できている。

そして3つ目のランに入る。残り42.2Km走るだけ。
制限時間まであと5時間15分ほどだ。余裕はない。すでに早い人はゴールした人もいる。
落ち着いて、ゴールだけを目指して走ろう。
晴天の中気温も上昇している。バイクは風を受けていたからあまり気にならなかった日差しが否応なく照り付けてくる。走り始めるととたんに汗が吹き出てくる。汗で軽くなって走れるか脱水症が勝ってくるかきわどい別れ際であった。
足はまるで水の中を走っているかのように重く動きが悪い。なんだこれは!5Kmに行くまでに少し歩いて回復を待ったが、まったく回復の兆しがない。歩くと時間が過ぎるだけだった。しかたがないので、おそらく8Km/hにも満たない速度で懸命に走った。疲れ具合は河口湖マラソンの35Kmくらいだった。つまり「もう限界」あたり。
だが、意識はなんの疲れもない。息を殺して鼻歌が歌えるくらいだった。実際20Km付近では童謡や昔のフォークなんかを歌った。なんか暇やなあ。ってくらいだった。
でも、足がとっても遅い!スプリットでは10Km 1時間15分くらいかかっている。
だから20Km2時間半、30km4時間弱ときてる。もう30km地点では午後7時半になり、暗闇となってきた。
残り9Km地点(自転車で応援に来た女性が教えてくれた。)で8時ちょうどだった。
制限時間まで1時間。気合を入れないと間に合わない。(実は制限時間になるとどうなるのかしらなかったが、)気合を入れた。大丈夫だ一瞬で元気は回復する。そしたら10kmを50分で走れる。
だからその一瞬のためにここで10分休んでも平気だ。、、と。だが、その一瞬はこない。
少々歩いても回復しない。このままではいけない。
2Kmほどしゃにむに走ったが、時間は過ぎる体力は目減りするといった状況は変えられなかった。わたしと同様に苦しみもがく数人が、抜きつ抜かれつしながら夜の闇を走っていた。ときにぐったりとして歩き、ときに威勢良くかっ飛ばし、でもつかづはなれずで見える範囲にいた。
大会の車が35Kmあたりから自分と前後するようになって、もしかしてここが最終走者の位置か知らんと思った。TV(佐渡テレビで1日放映していたという。)で実況中継か?
佐渡の人はとても選手を応援してくれている。自転車では太鼓や笛や人によっては鍋や道路のガードレールなんかをたたいて大声で、または小さくてもしっかりと。
でも、ことここにいたり真っ暗でそれでもあきらめずに走る選手には優しいすぐ隣で話しかけるように「ようがんばりなさるなあ。ほんにきょうはお疲れさんでした。」という人もいる。
もう、自分では応援なしには走れない。走る気にもならない。別に走らなければならない理由なんてなにもないわけだから。応援してくれなきゃ走らない。だから、こっちから手を振って、声をかけて応援を要請した。そしたら「がんばれ、がんばれ!」といってくれる。
それでなんとかがんばる気になれた。
それでも37km地点で腰がたたなくなった。だめだ10分休憩していこう。道でへたばっていると軽4輪が来て救急車を呼ぼうか?などいう。いいえ、休憩しているだけですから。
AS(エイドステーション=3Kmから4Kmごとにある救援基地)までどのくらいか聞くと、その先の明るくなったところだというのでまず、そこまで行こうと思い、2〜300mくらい歩いた。
そこは37.1Km地点の金丸ASだった。寒くなった体を熱いお茶で温めた。何杯も何杯もお替りした。もう走れないとそう思った。時間は9時までまだ25分あったが、後から来る人が走って行くのをすごい!と驚嘆の目で眺めるだけだった。
このころには迎えのバスが来ていて、8時40分がここのASのタイムアウトであることを知った。この時間を過ぎれば、競技を中止しバスに乗せられるのです。
時間がきてバスに乗りました。このバスはゴールに向かうまでにタイムオーバーの選手を拾いながら進みました。10名たらずの屈強の選手らがバスにつかましました。お互い健闘をたたえ、硬い握手をかわし、リベンジを誓いました。

こうして競技が終了し、成績はリタイアとなったわけです。
競技のメイン会場でも私が帰ったころは主なプログラムを終え、三々五々帰路につくといった風でした。

そういえば、今日の宿がない。もう9時半のフェリーに間に合わないわけだから、朝まで、どうにかしないとならない。でも、佐渡の夜は寒い。消耗した体に夜風がしみる。
今日一日を振り返った。よくやった。15時間もよく動いた。限界までやった。未知の自分に会えた。未知の力を見た。未知の体験を通して、未知の扉を開いたのだ。もういい。とりあえず。きょうはもういい。くたびれた。
まだ、短い呼吸をついているころ、役員のひとが見回りに来た。一度はいなくなって、また帰ってきた。今日帰った人もいるので役員が泊まっている宿舎に来なさい。といってくれるので、そんな申し訳ないことで、助かります。とばかり、お世話になりました。

翌日、佐渡を後にし、また来ようと感慨をこめて誓うのでした。