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民俗学的考察と人類学的話題

人類と文明の未来

定義 人類の構成主因としての文明人間の再定義人間は自然と共生するか
調和的共存とは何か Up!美的情報とナチュラル・リアリティ科学・技術の役割
現代文明の再編多様化した現代文明 Up!宇宙人への手紙
千年紀視座での文明潮流の解析とデザイン Up!
ニライ・カナイ〜新たな意味の創出|参考サイト


無と空

「無(む)」とは、冬、木々の芽が堅い樹皮の下で密やかに息づいている状態。一見、そこに何も無いように見えていても、花咲く未来への希望を内在させている。
一方、何も生み出さない、何も見出さない、そんな状態が「空(くう)」である。
「自分には関係ない」「やっても無駄だ」と思うとき、人は永遠の「空」に陥る。

これは、1993年の国連グローバル・フォーラムの準備中に、私がある偉大な宗教家に教唆されたことである。表現は私なりに変えてある。

私はそもそも、大学で昆虫の変態をモデルに、高等生物の形態形成の分子メカニズムの解析を行っていたのだが、その中で、「生命システムは環境との相互作用によって発生・分化を進めていく」ということに強く興味を持ち、遂には、「変態こそが、惑星環境と生命システムの協働進化プロセスの痕跡である」とまで誇大妄想を抱いたのであった。
しかし、今でも私はその考えに基本的な変更はない。

幼稚園の頃、イモムシから蝶への華麗な変身を目の当たりにして以来、そのインパクトは今でも私の心を掴んで放さない。
小学3年ごろから私は毎日、顕微鏡を通して様々な生物や無機物を観察する日々が続いた。
やがて小学6年の頃、火星大接近ということで買ってもらった天体望遠鏡で初めて覗いた火星の不可思議な
揺らぎの色彩!

私は必然的に、「生命とは何か」という問いへと辿り着いた。

本アイテムは、ニライ・カナイの新しい視座として、人類の未来へのヴィジョンを探る謂わば「論理の散策」であり、明確な答えを提出するものではない。また、必ずしも「起承転結」があるわけでもない。

by Nobuaki Kawaguchi, Ph.D.

Copyright(C)1998-2000 Nobuaki Kawaguchi, Ph. D. All rights reserved.


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人間、人類、人、ヒト

これらの言葉は以下の議論において、概ね次のように使い分けられるだろう。

人間
(human being)
現存する社会という空間的概念における存在
人類(mankind) 地質年代を含む歴史という時間的概念における総体
人(man) 時間的にも空間的にも特定可能な個体(個体群)
ヒト
Homo sapiens
動物の一種としての生物学的実体

さらに文明と文化について次のように定義する。

文明(civilization)
(単数形;前段の議論)
自然・野生に対極する概念としての技術や人工物、文化的営みの総体
文明(civilizations)
(複数形;後段の議論)
特定の文化的 identity を共有する時間的空間的分割の中で最大の領域を持つもの
文化(culture) 時間的空間的に限定されうるコミュニティにおいて、継承または分化・発展される人工的(有形)または人為的(無形)な営み

尚、分化とは、主に発生生物学の概念で、「個性化」を意味する。

分化(differentiation)
我々のからだのように、一個の受精卵が分裂して均質で無個性な細胞群から機能的にも形態的にも特定の性質を持った細胞や組織(眼のレンズ、神経、消化管壁、骨など)へと変化していく現象。分化のプロセスで細胞の多様性が創出される。


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人類の構成主因としての文明

人間は生物分類学的にはヒト(Homo sapiens)という動物の一種であるが、自然生態系や食物連鎖網の中には、ヒトという生物は事実上存在しない。

極少数の先住民族が文明を拒否した生活を続けている例が存在するが、人類総体の問題ではなく、また、彼らとて最少限の着衣や住居などの人工物に依存することなく生存することはできない。野生生物としてのヒトなど、どこにも存在しない。

ヒトは生物としては極めて退化した種である。進化のプロセスで知能のみを選択的に進化させた替わりに、自然生態系の中で生き抜くための様々な生物機能(厚い毛皮による体温保護や獲物を得るための鋭い視覚や嗅覚など)を退化させてきた。寧ろ、生物機能を人工物(住居・衣服・道具など)や文明(情報の共有と継承など)に代替させることで、その生存圏を時間的にも空間的にも飛躍的に拡大してきたのが人類であり、「文明は人類の構成主因である」と断言してよい。

しかし、家畜やペット、栽培植物、クローン生物などもこれに近い性格を持つので、人間の定義には、「進化のプロセスで、自らそういうライフスタイルを選択した」という規定が必須である。

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「人間」の再定義

人類の進化を俯瞰すると、脳の進化により文明を生み出し、その文明により、脳以外の退化したはずの生物機能を仮想的に(代替的に)進化させた。更に情報文明は、人類の脳をも仮想的に、宇宙の時間的空間的スケールにまで進化させている。

文明は、ある意味で、生物学的仮想メモリーとしての役割をはたしてきた。生物としてのヒトが本来持っていないはずの機能と能力の capacity を人類に与えてきたのである。

生物は世代を超えての情報の継承を、DNAを通して行う。そこには短期的な情報は蓄積されない。即ち、獲得形質は遺伝しない。しかし、人類は、獲得形質を人工物世界に記録し、新しい能力を蓄積する手法を確立した。それが文明に他ならない。

人間の実像は、生物としてのヒトと文明(人工物世界)との協働体(co-operative system)であることは明らかである。

誤解を恐れず、敢えて言うならば、人間とは、自然界の「ヒト」を基盤としながら、自ら構築した非自然の文明を内包する形で進化してきた、謂わば、「拡張された生命体」である。生物機能の一部を文明に代替することで、進化プロセスを極度に加速するという「生存戦略(survival strategy)」を初めて採り入れた新しい生命システムである。

更に誤解を恐れず言うならば、その個体数コントロールは極めて非自然的である。身ぐるみ剥いで裸の「ヒト」に戻った瞬間、ジャングルの中なら幾日も生きられないはずなのに、「人間」である限り、寿命以外で死ぬ確率は益々小さくなっている。しかし、その一方で、食物連鎖網に代表される生態系における個体数コントロールの一部が、環境ホルモン・貧困・戦争・犯罪・事故等の人為的プロセスによって置換されている事実は重要である。文明的に拡張された生命が、文明的に拡張された死を遂げるのは「自然」である。

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人間は自然と共生するか

言うまでもなく、生態学用語としての「共生(symbiosis)」と環境問題における“共生”とは、意味が全く異なる。' symbiosis ' の意味では、人間と自然の共生など本質的にありえない。50億人を越える人間が生き続けるなら、環境負荷(破壊の婉曲表現)は避けられない。一方が他方を食い潰す関係性は、相利共生はおろか、片利共生でさえない。

現実の自然界に見られる生物種及び個体間の相互作用は、単純に共生とか競争とか、モデル的に区別されるのではなく、寧ろ条件に応じてそれらが複合的に作用する文字通りの「複雑系(complex system)」である。生物学的多様性は生態学的多体問題であると謂れるように、様々な生物種や個体間での調和のとれた共存がなぜ成立するのかということが現代生態学の興味の焦点となっている。共生という単純化されたパラダイムは、もはや魅力的ではない。

環境庁の環境基本方針の英訳文では“共生”を ' harmonious coexistence(調和的共存)' と表現している。文明論的に見ると、環境問題における“共生”とはまさに、「自然と人と文明(人工物世界)との調和的共存」に他ならない。

但し、環境基本方針における「調和的共存」とは究極的には、「自然の総量」「人口」「消費されるエネルギー・資源の量」の収支バランスをとることであり、人口を大幅に削減しない限り、バランスがとれる範囲を口実に自然の創造的破壊(scrap and build)が益々進むことに疑いはない。

蓋し、生態学の最大の欠陥は、「人間を完全排除しないかぎり成立しない」ことにある。寧ろ、人間を中心に据えた「関係性科学(holonic sciences)」を確立することが急務であろう。

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調和的共存とは何か

ハーモニーといっても音の交響とはわけが違う。音の波動は純粋な物理現象である。しかし、自然界に見られる生物学的多様性は、厳しい食物連鎖網を前提に生み出されたものである。ほのぼのとした調和や共生を想い描くなら、それこそ、自然に対する侮辱である。

harmonious な系を構成する要素は互いに co-operative である。即ち、個々の要素はどれ一つとっても、他の要素から独立ではありえない。

実際、深海底を含め、凡そ地球表層の自然で、人間や文明の影響を受けない自然など存在しない。自然をありのまま残せるという幻想は通用しない。隔離した自然こそ、人工的である。真に自然を保護したいなら、人口を大幅に減少させるしかないだろう。しかし、それは人類が絶滅する以外のいかなる方法で達成できるのであろうか?

地球上に酸素が蓄積したのは、31億年以上も前、シアノバクテリア(光合成細菌=藍藻類)が出現したことによるが、当時の生物にとって、酸素は猛毒であった。多くの細胞が酸化されて死滅する中、酸素に適応した者が残り、今の「酸素ワールド」の我々へと進化してきた。
しかし、現在でも「深層地下」には酸素と隔絶されて生き残ってきた嫌気性細菌が生息している。岩石と水だけで生きている深地下のバクテリア相、SLiME(Subsurface Lithoautotrophic Microbial Ecosystem:地下岩石独立栄養 微生物生態系)であるが、彼らは岩石と水だけを食料として生きる水素依存のバクテリア相で、通常の微生物のように、もともと光合成によって作られたものから有機物や水素を得るのではなく、玄武岩などの岩石と地下水の化学反応によって生じた水素をエネルギー源とする。驚くべきは、その現存量。 Dr. Stephen Jay Gould の推定では、酸素ワールドの全生物の全個体質量の総量をも上回る、おそよ20兆トンとも言われる。(SLiMEは、光合成以前の原始生命の進化過程の研究や火星の生命の研究にも大きな影響を与えているものの、深層地下は深海底より研究が遅れてる模様。) 地球には、酸素ワールドとはまったく異なる自然生態系が共存している。我々が心地よい癒しの自然と感じるものとは凡そかけ離れた自然が地球上にも現存するのである。

現在、我々が破壊しつつある地球環境もまた、次の新しい地球環境へと変化を遂げていくプロセスなのかもしれない。 勿論、その時は、人類の歴史と文明は終焉する。

「人類が存続する限り、環境に多大な負荷を及ぼし続ける」ことはもはや否定しようの無い事実である。どんなに環境に配慮しようと、人口を激減しない限り、破滅への道は止めようが無い様に思える。しかし、「人類滅亡が地球環境を救う唯一の方法である」とは、あまりにも無責任な考え方であろう。仮に人類が消滅しても、大量の高エネルギー核廃棄物は放置され、人間の管理がなくなる分、さらに危険度が高まるばかりである。核廃棄物を太陽へ移送し、プラズマ化できるのは人間以外にはいない。せめてその程度のケジメをつけてからでないと、人類滅亡などという安易な選択肢は許されないのではないか。

50億年後には太陽系そのものが崩壊するだろうことを考えると、地球上に生命が存続できるのはせいぜい10億年位かも知れない。海洋が誕生して38億年、地球生命の進化の歴史は、実は既に晩年に突入しているのだ。僅か1万年程度の人類の文明が地球の生命史・進化史に終止符を打つことは、人類にとって恥ずべきことだろう。 私は、寧ろこれから益々、人間には「未来を生き続けるべき理由」、あるいは「未来に対して果すべき役割」があると思うのだ。

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美的情報とナチュラル・リアリティ

長野冬季オリンピックの聖火台を作った菊竹清文(きよゆき)は89年、フランス芸術文化功労勲章シュヴァリエ章受章の「情報彫刻家」である。

90年以来、私と共に「環境と文明」研究プロジェクトのコアをなしている。

彼は語る。

「人間社会における本来のアーティストの Raison d'Etre (存在意義)は、未来の新しい価値を発見し、芸術表現によって具現化することにある。これからはモノではなく、文化で新しい歴史を創造していかねばならない。人間社会が生み出す様々なデータが情報であるように、文化も自然環境もまた情報である。我々を取巻く環境情報の創造的表現が非常に大切な時代に入った。現代技術をいかに取込み、新しいパラダイムを創出していくのかが問われる。

私は『人間は機械の奴隷ではない』と考え、情報彫刻を始めたが、最近の情報化を見ると、改めて「人間は仮想空間の奴隷ではない」と考えさせられる。バーチャル・リアリティとナチュラル・リアリティとは全く違う特性を持ち、活躍する領域も違う。両方を峻別し、しかも共存させていかねばならない。今はそれが混同されている。

ランドスケープもまた、模型のように、ただ建物を作ったり、樹を植えるのではなく、自然環境の中に人工物を美的情報として取り込み、環境の価値を高める行為だと思う。従って、都市空間も、人が住むから環境が破壊されるというのでなく、人が住むことで益々美しく良い環境になるのが本当ではないか。そういうナチュラル・リアリティに根ざしたシステムを創らなければならない時代なのだ。」

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科学・技術の役割

西澤潤一先生(岩手県立大学長・東北大学前総長)は、1926年、仙台市生まれ。70歳を超えるとはとても信じがたい気迫がこもっている。よく笑い、明るい。しかし、研究には厳しく、西澤研究室は「鬼道場」と呼ばれるほどだ。

92年の‘Millennium Forum’以来、グローバル・フォーラムをはじめ、私の「環境と文明」研究プロジェクトのご指導を頂いている。

西澤先生は、光通信の三大基本要素(送信源,伝送路,受信器)の発明開発で有名だが、電子ディヴァイスの分野では、pin ダイオードが最も知られている。pn 接合の間に不純物を含まない薄い i 層を組み込むことにより、ダイオードの実用化を成し遂げた。これは、交流-直流変換を99%の効率で実現するもので、新幹線を交流送電方式にした技術といわれる。この延長線上にある業績が静電誘導トランジスタ(SIT)。サイリスタの形に構成したものが極めて高い性能を示し、直流-交流変換をやはり99%の効率で実現する。変換効率99%という世界は電気にしかなく、交流-交流変換器である変圧器が唯一知られていたが、西澤先生は、第2,第3の装置を完成したことになる。そして、このシステムを利用した、1万kmの遠方からの直流による電力輸送を提案している。

西澤先生は語る。

「天の理を活かして、地の上の人と社会に幸福をもたらす。それが工学の役割である。現在地球上に存在する様々な問題を、科学技術でなるべく吸収していきたい。文明の危機における様々な人間的ストレスを、世界中の人々にかけたくない。
それでも科学技術だけでは追いつかないかもしれない。その時には、様々な分野の英知を結集して、対処していきたい。
そして科学技術者は、その能力、可能性を極限まで出し尽くさなくてはならない。」
(グローバル・フォーラム世界科学技術会議・滋賀1993 基調講演から)

私は、文明を考える上で科学者・技術者に最も必要な哲学がここに集約されていると思う。

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現代文明の再編

Михаил Горбачев

20世紀最後の10年の歴史は、この男により大きく変貌した。我々が目の当たりにしたものは、単なる政治的・経済的変化ではなく、明らかに「文明的再編」である。

世界を「西側」と「東側」に二分し、何れにも属さないものを一まとめに「第三世界」としていた冷戦構造の融解は、「西側」の多くの人々によって、‘One World’の実現が間近であるかのように錯覚されてしまった。しかし、民族紛争・地域紛争の多発と激化に象徴されるように、世界はその逆方向へと向かって行った。冷戦体制崩壊は、近代文明の最大の特徴である「拡大化・集中化」の終焉を告げたのであり、フランシス・フクヤマの言うような「歴史の終焉」(世界が一つの西側になる)を意味するのではなかった。

93年4月、グローバル・フォーラム京都会議の開会式において、Michael Gorbachev は多様性に富む新しい地球社会への期待と共に、国際情勢のこれまで以上の厳しさを訴えた。

「政治的自由というものは価値あるものだが、全体主義からの社会的自由や解放が進んでも、それが自動的に人間の行動への動機づけをより高尚にするものではないことは、歴史の示すところである。現在の人類文明の危機というものが、社会問題の伝統的な解決策自体の危機を背景に起こっていることは明らかである。

人類の存続は、非常に単純な一つの思想、即ち、『生命それ自体が文明の拠り所となるべき最大の倫理的価値である』ということを認めずにはあり得ない。そして、もう一つの重要な思想は、『生命の意義と本質は、その多様性にある』ということである。個人・国・民族・言語グループ単位での identity の確立−これが地球上での人類存続の必要条件である。多様な文明こそが、『地球文明』の姿である。

勿論、地球文明が思想や行動の完全な平等・統一を意味するものではない。生命の本質とはそういうものではない。人類の文明は、これからも更に多様化していき、それぞれの文化の identity を守り、自己主張を促していくだろう。そして21世紀は、致命的な危機に見舞われるか、回復に向かうか、二つに一つなのである。」

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多様化した現代文明

およそ184カ国からなる現在の世界の大部分は、概ね以下のような主要な文明に分類して考えることができる。これら文明間の境界は、国家の境界とは関係なく、主に宗教などの根源的思想の境界に一致する。尚、個々の文明は更に下位の複数の亜文明からなるのが一般的である。

1.欧米文明 ヨーロッパと北米大陸、及びオーストラリア・ニュージーランド。カトリックとプロテスタントの融合した文化。
EU(欧州連合)が米ドルに対抗して新通貨ユーロを制定したことにより、現在は亜文明である「欧」と「米」の乖離が進み、新しいユーロ文明が分化する可能性がある。英国の動きが鍵を握るだろう。
2.中南米文明 メキシコ以南の南米大陸。カトリック文化と地域の伝統文化の融合が見られる。
3.東方正教会文明 バルカン半島及び旧ソ連の大部分。ビザンツ(東ローマ)文明を根源とする。
ビザンツを経て伝播されたギリシア・ロシア正教が、宗教改革やルネッサンスが重要な影響を与えた西欧とは異なる独特の文化を形成した。
4.日本文明 日本国。大陸から分化しながらも、紀元5世紀頃以来、独自の文化を確立。
尚、琉球文化は事実上、倭文明とは異質の亜文明と考えられる。
5.中華文明 中国・台湾・香港、ベトナム、朝鮮半島など。
6.仏教文明 タイ・ラオス・ミャンマー、新彊ウイグル・チベット・ブータンなど。
7.ヒンドゥ文明 主としてインド・スリランカ。
8.イスラム文明 アラビア半島を中心に、北部アフリカ・イベリア半島・中東・中央アジア・東南アジアに広がる。
9.アフリカ文明 南アフリカ共和国を勢力の中心とするが、文明としてのまとまりは未成熟。

私は、多様化した現代文明は二つの相で再編が進んでいくように思う。

(1)「地域文明」の強化。
強い文化的 identity を共有する地域が、冷戦構造という「広域化システム」によって「文化的独自性」を抑圧されてきたことへの反動から起こると考えられる。特に、情報技術の高度化が世界と自分との比較を益々容易にするため、この傾向は今後更に強くなるだろう。
しかし、このことは「文化的多様性を豊かにしている」ことにはならない、と私は思う。主に宗教や民族による分裂は、まさに「文化的解離」であり、文明を進化させるとは到底考えられない。地球文明における「文化的多様性」は、異なる文明同士が互いの相違点を持ち寄り、いわば相補的に、より高い次元の精神的文化的パラダイムを共創(collaborate)することによって、はじめて深められると思う。しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっているのが実状である。
一方、地球社会の価値観がある共通のコンセプトに収斂しつつあるという事実も極めて重大である。端的に言えば、バーチャル化した市場経済、いわゆる「金融工学」による世界支配がその象徴である。このプロセスで地域の自然や歴史に根差した文化的独自性はその意味を失い、皮相的な「文化の抜け殻」だけが残る「文化的空洞化」が世界中で進んでいる。
現代の地球社会のかなり大きな部分が、「科学技術文明」でなく、寧ろ「宗教文明」の中にあるといっても過言ではない。それと対極的に出現したバーチャル経済圏はある意味で「情報文明」と呼べるかもしれない(お粗末すぎる文明だが)。このアンバランスは「科学」と「精神」の矛盾を、あまりにも象徴的に示しすぎている。科学の進歩は幾何級数的に加速し得るが、人間の精神や倫理、感性などはほとんど変わらない。少なくとも、その変化速度は比較にならないほど、後者が遅いはずだ。人間が高度な技術を手にしても、それにふさわしいだけの知性や品格を身に付けられる訳ではない。環境問題などの原因を、「科学が進歩することで人間性が損なわれるからだ」などとする反科学主義者や環境オタクたちは、その意味で、全く本質を見誤っている。哲学者や倫理学者は、もはや「言葉の弄び」ばかりしている時ではない。真剣に新しい文明のパラダイムそのものの創造に取り組むべきである。

(2)「超域文明」の出現。
インターネットや衛星デジタル放送などの情報技術が普及するにつれ、文化的に異質な社会間でも、情報のやり取りに関しては極めて迅速にスムーズに進むようになってきた。その結果、地域が「自己の独自性」を強く認識する一方、文化的コミュニティは、もはや、地域に限定されなくなり、地縁・血縁に代わる「好縁」とも言うべき concept identity を共有する仮想的コミュニティを分化させていく可能性が高い。但し、これは現状では極めて未成熟な段階にあると言わざるを得ない。

しかし、もし、地球を代表する「地球文明」が誕生するならば、それは地域文明が一つの世界へと統合されていくのではなく、未分化な超域文明の中から自己創出的に発生するものだと思う。過渡的にある種の国際機関がコアになるかもしれないが、本質的には、より voluntary なものになるだろう。

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宇宙人への手紙

1995年末に他界した Dr. Carl Sagan は、私が地球外生命に強い関心を持ち初めた小学5年頃からの「憧れの人物」であった。

太陽系を離れて銀河系を旅しながら、今も地球に微かな電波を送り続けている惑星探査船 Voyager に、Sagan が搭載した所謂「宇宙人への手紙」は、実は地球人への手紙でもあった。

Carl Sagan は実は、グローバル・フォーラム(Global Forum of Spiritual and Parliamentary Leaders on Human Survival )科学部会長でもあった。私がグローバル・フォーラム京都会議(総会)/滋賀会議(科学部会)の報告書をまとめるため、Sagan と連絡を取っていたのだが、ある日、Sagan は一つの論文をファックスしてきた。

Am. J. Phys. 58(7), 615-617, July 1990
Preserving and cherishing the Earth --- an appeal for joint commitment in science and religion

この宣言では、Freeman J. Dyson や木村資生を含む高名な科学者たちのメッセージに応えて、270人の様々な宗教者が署名した。世界の三大宗教をはじめ、ロシア正教,ヒンドゥ,ユダヤ、さらにアフリカやアメリカなど各地の民族土着信仰 など、世界のほぼ全域、主要な地域文明のほぼ全てを包括する形で協力がなされた。この事実はほとんど知られていないが、人類史上、極めて異例であり、重要な意味を持っていた。

「環境問題が人類共通の(超域的な)文明的基盤になるのでは」という期待とは裏腹に、地球サミット以来、環境問題は地域社会の自己主張を活気づけたものの、深刻化する経済問題や安全保障問題の陰に埋没してしまい、現在のところ、文明再編のモティーフになる気配はほとんど感じられない。

多文明分極社会においては、文化的多様性が障壁となり、地球を代表するような普遍的な文明や思想が育ちにくい。文化的な障壁(例えば、イスラムとカトリック)をも超越して共有し、協働しうる超域的 identity を確立しない限り、冷戦は終わっても、凍てつくような「冷たい平和」が続くだけかも知れない。そして、それはいずれ破局を迎えるだろう

Sagan は、人類が未来を展望する上で最も重要なことは、「宇宙から見た地球」を地球人自身が実感することだと考えていた。世界秩序がどのようなものになろうとも、地球人として共有できる普遍的な identity −−−「宇宙人への手紙」は、その象徴であった。

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千年紀視座での文明潮流の解析とデザイン

人類の文明の潮流を、1000年紀(millennium)規模で捉えていくと、農耕の始まり以来の文明の大きな流れを俯瞰できる。
紀元前6000年から紀元前5001年までの1000年間を、紀元前6000年紀(the sixth millennium B.C.)という。現代は紀元2000年紀(1001〜2000年)の終末であり、21世紀とは、3000年紀の黎明に当たる。

千年紀視座での人類史の俯瞰(川口伸明,1997年を改訂)
紀元前 10000年〜 最終氷期 WürmIII が終わり、ヒプシサーマル (気温温暖化)始まる
更新世(洪積世)から完新世(沖積世)へ
全地球的に夏の気温が現在より2〜4℃高い期間が始まった。5000年前までのこの温暖な時期をヒプシサーマル(hypsithermal)期,あるいは気候最適(postglacial climatic optimum)期と呼ぶ。海面は一気に上昇し,現在より数m高くなる(縄文海進)に至り、アフリカから中近東は現在より多雨で,現在のサハラ砂漠は森林に覆われていたらしい。
紀元前 9000年〜 シュメール地方から農耕牧畜始まる
紀元前4000年頃までに、アフリカ・ユーラシア・アメリカ各大陸に広がる
日本では縄文草創期
紀元前 6000年〜 シュメール地方で最初の灌漑農業
*定住化(原始農村形成)
*シャーマニズム発生、コミュニティの秩序形成
*余剰生産物の蓄積と交易から、貧富の差が生じ、私有の概念成立、階級や兵力などが出現

青銅器時代へ
日本では縄文初期
紀元前 3000年〜 シュメール地方から農耕牧畜始まる
エジプトで人類最古?の線刻文字
統一国家の出現
*エジプト古王国
*古バビロニア王国
*殷王朝

鉄器時代へ (紀元前1600年頃、ヒッタイト王国から始まり、紀元前時代にアフリカ・ユーラシア大陸に広がる)
日本では縄文中・後期(土偶・火焔土器の時代)
紀元前 1000年〜 帝国の出現、領域拡大の本格化
*アケメネス朝ペルシア
*アレクサンドロス帝国
*ローマ帝国

日本では縄文晩期〜弥生時代
日本で農耕開始
紀元 1〜1000年 帝国・王朝の頻繁な興亡
*ゲルマン民族大移動
*五胡十六国

ローマ・カトリック教会の成立
1001〜2000年
  中世 ローマ教皇の権力極大
神(聖書)の名による精神支配
*自然界をモデル化して捉えるパラダイム(要素還元主義)が確立、近代科学の形成に重大な影響
  ルネッサンス
  〜産業革命
人間による創造
(但し、神を最後の逃げ場に利用)
機械文明の樹立
  近代合理化
  〜現代
経済による世界創出
*文化的多様性の危機
  Virtual Economics(金融工学)
*生物学的多様性の危機
  CO2 濃度 0.036%
2001〜3000年 高度情報化文明を経て、低度意味創出文明へ?
生命システム的共創・分化する文明へ?

現代文明の特徴は、「拡大化・集中化」(規格大量生産・中央集権)であるが、その根底には、中世キリスト教世界で樹立されたモデル化主義(要素還元主義)がある。これが基礎となり、産業革命期に機械文明が始まる。そして今日、それは「金融工学(=derivatives)」「人工生命」「仮想現実(virtual reality)」などに象徴される科学技術文明を大成した。
近代から今日に至る現代文明のパラダイムは『量的拡大成長する統一化システム=単一価値への均質化システム』と表現することができよう。しかし、こうした文明のトレンドは、決して近代に突如出来上がったものではなく、1万年に亘る人類史の中で徐々に自己組織化されてきた「文明潮流」であると考えるべきである。

生体では、まさに悪性腫瘍(癌)がこのパラダイムに相当する。癌組織は分化(differentiation,個性化)の逆で、脱分化(dedifferentiation,無個性不定形への回帰)した細胞群であり、専ら分裂増殖し続ける。癌細胞は、様々な因子を分泌し、脱分化にふさわしい環境を創出しながら、周囲の組織を浸食し、生体の正常機能をマヒさせ、結局、個体の死を以って、その拡大化は終焉する。この状況は“破壊された環境”を創出しつつ拡大化する現代文明に酷似している。

人間の記憶のメカニズムには、個人の脳内での記憶(個体記憶)と何らかの集団の中での相補的記憶(集団記憶)とがあるようだ。最も簡単な集団記憶は友人や家族の中で共有される記憶であり、例えば、知人の電話番号を忘れていても他の誰かが覚えていれば用は足りる(即ち、相補的)。文明とは、地球レベルでの集団記憶であり、人間の脳やDNAを超えて、人工物世界に情報を蓄積し、編集していくシステムであるといえる。結果、自然界には見られない急速な進歩と進化をもたらした一方、生存基盤を人工物世界に強く依存するだけに、システムの転換は容易ではない。

しかし、複雑系的混迷に満ちた現代文明について、散逸構造・自己組織化科学の先駆者である Dr. Ilya Prigogine は指摘する。

「我々にユートピアが無いのではなく、目指すべきユートピアのビジョンを作ってこなかった。それが問題なのである。」

歴史学は古典ではない。史実を土台に未来を展望し、ビジョンを生み出すための科学である。人類の1万年に亘る文明をどのように継承していくかを考えるべき分岐点に到達したのではないか。21世紀に始まる第3ミレニアム(=3000年紀)をどうデザインするのか、どのような文明を真に望むのかを我々は、人類の Raison d'Etre(存在理由)を賭けて、問うべき時代に入ったのだと思う。もし、それを怠るならば、人類の存在理由はもはや消滅するしかないだろう。

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関連・参考サイト

* 新たな文明の創造をめざして

* The Global Forum 1993 Review

* 行政研究会 レヴュー

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