2012年に起こったこと。

2012年に起こったこと。

世界情勢、政治、世相、それらに言及するつもりはない。
ここではデジタルコンテンツとセルフパブリッシングについてのみ語ろうと思う。
2011年に起こったこともあらためてここで言うことはしないが、
どの年も決して独立して存在するわけではなく、あの日起こったことで

2011年が私の人生で特別な年だったとは言っておこう。
実は日本人すべてにそうであったはずなのだが。

2011年の終わりに、Bookendというソリューションで個人の電子書店を開店することができた。
未だ成功したとは言い難いが、自分なりのモチベーションを保つために、この決断は間違っていなかったと断言する。
DRMのかかった日本語コンテンツを自分の手で売る。
これが目標であり、ここへの一つのステップになった。
そして明けて2012年。
電子書籍元年と言われ続けてきたが、ついに黒船が来た。
kobo、kindle、どちらも自主出版プラットフォームを持ち、
いずれも問題点を抱え、使い勝手に長短あるものの、とりあえず参加はできる。
だがここに至って次に来るべきものが見えてきた、とは言い過ぎだろうか。
それとも杞憂に過ぎないのだろうか。

まず自分語りから始めよう。
そもそも私は「同人」というインディーズから創作活動を始めた。
プロデビューして50タイトルほど出版したが、
売り上げの壁を崩すことができず、インディーズに戻った。
そのころ、デジタル配信が増えてきて、レヴェニューシェアが著者とくにコミック作家にあまりにも不利であることを知り、
デジタルでインディーズ出版ができないか模索し始めた。
つまり私は「電子で初めて出版する」のではなく、
すでにインディーズの経験があるわけだ。
日本の同人誌界はそろそろ40年の歴史になる。
私もほとんどこのムーブメントと歩みを同じくしてきた。
同人誌界は進化し、成熟状態にあるともいえる。
しかしそれは日本独特のものだ。
Amazonが始めたKDPはデジタルでは画期的だったが、
USに同人誌という特殊な世界は存在せず、
USでこれを利用する人の多くは出版という初めての経験をしたわけだ。
そしてKDPも進化を遂げつつある。
きっかけが1年前から開始されたKDPセレクトだった。
この特徴は登録すると5日間のフリープロモーションを行えるというもの。
私もやってみたが、フリーの期間、DL数はかなりになる。
もちろんフリーだから、ランキングもフリー部門であるが、作家によってはSNSやメーリングリストを使い、かなり上位に食い込むこともできる。
その結果、新たな読者を獲得できることになる。
そして始まって1年が経った。
現在、USで議論されているのは、
「もはやKDPは自主出版者にとって天国ではなくなった」
ということだ。
Self Published Authors Get Ready, You’re Being Dumped
ここではAmazonがレビューに厳しくなり、不適当と思われるものを削除しているとある。
レビュー無しにどうやって多くのインディーズ作家から好みのものを見つけることができるのか、と。

そうなるとセルフパブリッシャーは大手出版社にはかなわないとも。

そうではない、というパブリッシャーもおり、依然として売れている作家はその意見には懐疑的だ。

The Amazon KDP Honeymoon...Is It Over?
結局、市場は成熟してきたのだと私は思う。
日本の同人誌界でも、成熟すれば「売れるもの」と「売れないもの」に二極分化するのは避けられない。
そこで重要なのが「セールス」だ。
「ランキング」も目安にはなるが、所詮は大手出版社のプロモーションには太刀打ちできない。
そして新たに登場したのはプロモーションもすべてパックにした出版社を通じての「自主出版」なのだ。
http://mediadecoder.blogs.nytimes.com/2012/11/27/simon-schuster-introduces-self-publishing-service/
ここでは1599$から2499$までを支払うことによって、出版社から本を出すことができる、とある。
え? なんか既視感ありませんか?
そう、すでに日本で多く行われているソリューションだ。
日本では新規参入の出版社だけでなく、今や老舗の文藝春秋社でも同じソリューションを提供するようになっている。

USでも同じことが行われつつある。
私は誤解していたのかもしれない。
USは決して私たちの先を歩んでいるのではないのだ。
デジタルという分野のみでは先を行っているが。
KDPもKWLも私たち同人の通った道を行くだろう。
同人で食っている人は一握り。
まあ、市場が成熟すればそうなるのだから。

それはそれで仕方がないことだ。
しかし次に危惧を抱いているのは「DRM」だ。
すでに多くのウェブサイトで、
「書籍もミュージックと同じにDRMフリーへなっていくだろう」
「ユーザーはオープンなプラットフォームを望む」
「書店と端末に糸付けされたコンテンツではユーザーは不便だ」
といった意見が書かれるようになった。
もちろん私もユーザーであるから、利便性は必要だ。
だがこれでは以前も書いたように、クリエイターは生きていけない。
もちろん作家の90%は印税では食えないのだから仕方ないと言われればそれまでだ。
しかし作業量の多いコミック作家は厳しい。
現在多くのミュージシャンはCDの売り上げだけでは食べていけない。
まめなイベントやライブへの出演、コンサート、グッズの売り上げ、などが必要だ。
コミック作家もそうなるのだろうか。
コミックマーケットやイベントにそこでしか買えない本を抱えてまめに参加せねばならないのだろうか。
それは労働時間の多いコミック作家には至難の業だ。
だったらルネッサンスのイタリアのようにパトロンでも見つけるとか?
そんなことは無理で、クリエイター(ガチョウ)の首を絞めればコンテンツ(金の卵)は生まれない。
同じ論旨のことを私は2010年に書いた。
もう一度書こう。
底辺が広くなければピラミッドの高さは高くならない。
甲子園があるからイチローだって出てきたんだから。
だが同じことを2012年に書くのはどうなのか?
そう、2012年にはまた別の問題があるのだった。
「BAKUMAN。」をご存じだろうか?
二人の青年が協力してコミック作家を目指すビルドゥングスロマンだ。
2012年5月に連載を終了したのだが、
2ちゃんねるでは論議を呼んだ。
曰く、「無駄な希望を持たせた」。
連載開始以降、漫画家志望者が増えたのだそうだ。
漫画は子供に夢を与えるものだから、
それはそれでいいのだが、
確かに才能のないものがいつまでも夢を引きずることになると言われれば、
反論は難しい。
かくいうこの私も才能のなさを実感して早々と
漫画を描くのをあきらめたのだから。
だが私が青春を送った時代と2012年の状況は全く違う。
夢を捨てて現実に「軟着陸」することが今は難しくなっている。

客観的に自分を評価することができない若者が増えているのだ。
ネットの影響もあるだろう、家庭や学校での教育の問題もあるだろう。
ディスチミア型の鬱病が増えているのもそのゆえんだ。
甲子園球児の誰もがプロになれるわけではなく、
漫画化志望者すべてが食えるようになるわけでもない。
だとするとデジタルで食う以前の問題だ。
しかしデジタルコンテンツがフリーになれば、より「なれる」のハードルは」
高くなるだろう。
ジャーナリスト山田順氏の記事をよく読むのだが、
彼はまた私と別の論点で日本が電子書籍の墓場と語っている。
「なぜ日本は電子書籍の墓場なのか」
電子書籍成功はえろコンテンツが鍵とも言っている。
「キンドル成功の鍵はエロコンテンツ」
私の考えは若干違う。
電子書籍市場が成熟すれば、食える者の割合は減る。
二極分化は避けられない。
えろは売れるだろうが、エロには大量のフリーコンテンツがあることも忘れてはいけない。
今やエロビデオより過激なものがサイトにはあるのだ。
となると、電子書籍はクリエイターの墓場になる可能性がある。
デジタルコンテンツは増え、オープンソースを目指す、
これが避けられないのだとすれば。
だとすればクリエイターは紙に回帰していくしか道はない。
ヘビーユーザー、ファンの欲しがる稀覯本。
まさにグーテンベルグ以前の「バラの名前」に出てきたように。
DRMフリーになれば、紙版の違法スキャン・違法ULは意味をなさなくなるという逆説的な利点が生まれる。
そうなれば紙の本は資産として取引されるようになる。
クリエイターはそれを目指すのもありかもしれない。
そしてネットがそれを助けるだろう。
2012年の終わり、自分の尻尾を噛んでいるウロボロスのように、
私の考えはまた紙に戻ってきてしまった。
そしてここに書いたことすべてが杞憂であることを私は祈っている。

 
 
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