
| 第10位 『アサヒペット』 |
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二俣川在住の多くのイヌネコの実家、ということでランクイン。 「アタシの実家。しかも数ある支店のなかでもここは由緒ある本店ですから。フタマタのアサペ出身ってのはペットの間ではちょっとしたステイタスなんですよ。」(ととりんさんの犬) |
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| 第9位 『二俣川駅』 |
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二俣川住民の拠点。本線といずみ野線がまさにフタマタに分かれる一大ジャンクション!! 「やっぱりこれがないことには…(-。-)ボソッ」(さとーさん) 「相鉄のターミナル駅!」(きのこさん) |
| 第8位 『二俣川ニュータウン』 |
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東急が開発したニュータウン。不動産広告に「東急が育てた街・二俣川」と書いてありました・・・(そうなの??) 「今となっては全然ニューじゃないけど(-。-)ボソッ」(さとーさん) しかし写真が全部使い回しですみません。。。 |
| 第7位 『公文書館』 |
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住宅地の中にそびえ立つ県立施設。貴重な文書・資料を保存、閲覧することができます。二俣川住民は一度は行かないと勿体ない!? |
| 第6位 『畠山重忠』 |
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<二俣川物語> 二俣川の歴史を語る時、忘れてはならないのが畠山重忠です。重忠は鎌倉時代の武将で、源頼朝の忠臣として幕府の創設にも尽くしました。 しかし頼朝の死後、執権北条時政の策謀により、「鎌倉に異変あり」と呼び出され、埼玉の居城から鎌倉へと向かいます。同時に時政は、謀反人として重忠討伐を北条義時に命じました。 二俣川にさしかかった時、重忠は、牧ヶ原(現在の万騎が原)に北条氏の大軍が待ち構えているとの報に接します。家臣たちはいったん国もとに帰り軍勢を整えるよう進言しますが、重忠は「家を忘れ、肉親を忘れるのが武将の本意、われ二俣河に死なん」と敵の大軍に馬をまっしぐらに駆け向かわせました。 こうして重忠は42才の生涯をこの地で閉じたのです。万騎が原には、明治時代に重忠を悼んで建立された「畠山重忠公遺烈碑」が残り、往時の戦いを今に伝えています。(おしまい) ※旭区役所ホームページ・相鉄瓦版別冊を参照しました |
| 第5位 『長崎屋vs西友』 |
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北の長崎屋、南の西友。高島屋vsそごうに負けず劣らずの戦いが繰り広げられているのであります(本当か??)。そしてその間隙を縫って生き残るそうてつローゼン!? 長崎屋へのコメント「二俣川(北口)住人の「食」を預かっているから」(としちゃんさん) |
| 第4位 『2つのセンター』 |
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神奈川県の施設が集中しているのも二俣川の特徴です。がんセンターに、視覚障害者施設のライトセンター。まさに二俣川は神奈川県のセンターなのです。 (写真は2003年のライトセンターまつり) |