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本名: | マリア・マグダレーナ・ディートリッヒ | ![]() |
愛称: | リリー・マルレーン | |
職業: | 俳優 | |
生年: | 1901年12月27日 | |
出身国: | ドイツ | |
出身地: | ベルリン | |
没年: | 1992年5月6日 | |
代表作: | 『嘆きの天使』(30) 『モロッコ』(30) 『情婦』(57) | |
父親は王立プロシア警察の将校、母親は裕福な宝石商の娘というドイツの中流貴族のもとに生まれ、
新約聖書に登場するマグダラのマリアにちなんでマリア・マグダレーナと名付けられた。
父親は第一次世界大戦の時に死亡。
子供の頃からゲルマン流の厳格なしつけを受け、母親に音楽の才能を見出しされてバイオリンやピアノを学んだ。
18歳の時にはプロのバイオリン奏者を目指してベルリンの国立音楽学校に入学したが、左手首を痛めて音楽家への道を断念。
音楽に代わって演劇に興味を持つようになり、21年にマックス・ラインハルトが主宰する演劇学校に入学して端役としてシェークスピア劇などの舞台に立ようになる。
主演女優の代役として舞台に立った『Der Grosse Bariton』での演技が認められ、22年には『ナポレオンの弟』(22)の女中役で映画デビュー。
20年代は映画と舞台の両方で活躍し、24年には助監督のルドルフ・ジーバーと結婚。翌年には娘のマリアが生まれた。
27年には歌手として最初のレコード「Peter」と「Jonny」を吹き込み、29年のラインハルト演出のレヴュー『2本のネクタイ』では初の主役を獲得。
この舞台が『嘆きの天使』(30)の撮影のためドイツに来ていたハリウッドの監督ジョセフ・F・スタンバーグの目に留まり、
エミール・ヤニングス扮する中学教師を堕落させる踊り子ローラ=ローラ役に大抜擢された。
スタンバーグ監督は「マレーネは私の創造物である」といってはばからず、
退廃的なムードを出すには頬をくぼませた方がいいと考え、奥歯を抜かせるような手荒なことまでして独特のキャラクターを創造。
ディートリッヒは退廃的な美貌、官能的な歌声、素晴らしい脚線美を最大限に活かしてこの大役を見事に演じ切り、映画は大ヒットを記録。
国際的な名声を獲得たディートリッヒは、30年にパラマウント社に招かれてハリウッド入りを果たした。
ハリウッド・デビュー作となった『モロッコ』(30)では、スタンバーグ演出のもと、スタジオのトップ・スター、ゲーリー・クーパーと共演。
『嘆きの天使』と『モロッコ』の興業的成功によってディートリッヒは一躍ハリウッド・スターの仲間入りを果たし、
M-G-M社の人気スター、グレタ・ガルボに対抗して大いに売り出された。
引き続きスタンバーグと組んで『間諜X27』(31)、『ブロンド・ヴィナス』(32)、『上海特急』(32)、『恋のページェント』(34)などに出演するが、
スタンバーグの映画は次第に魅力を失い、35年の『西班牙狂想曲』がスペイン政府の圧力を受けて興行的に失敗すると、スタジオはこの作品を最後にコンビを解消させた。
育ての親から独立したディートリッヒも人気を盛り返すことが出来ず、
エルンスト・ルビッチ製作による『真珠の首飾』(36)や『天使』(37)などの
興行的な失敗作が続いてボックスオフィス・ポイズンのレッテルを貼られてしまう。
『I Loved a Soldier』はディートリッヒのわがままから撮影途中で製作中止となり、
スタジオが提示した屈辱的な出演料での契約更新を断ってパラマウントを離れたディートリッヒは、
ヨーロッパに渡ってイギリス映画『鎧なき騎士』(37)に出演。
『嘆きの天使』がお気に入り映画の一本だったアドルフ・ヒットラーから、ドイツに戻って親独映画への出演を要請されるが、
ディートリッヒはこの申し出を拒否してアメリカに戻り、39年にはアメリカの市民権を取得した。
ジェームズ・スチュワート共演のウェスタン『砂塵』(39)では、
酒場の女フレンチーを自分自身の風刺を織り交ぜながらコミカルに演じて新境地を開拓。
40年代前半はルネ・クレール監督の『焔の女』(41)、ジョン・ウェンと共演した『スポイラーズ』(42)や『男性都市』(42)など良質の作品に恵まれて第二の絶頂期を迎えた。
この頃にはブロードウェイにも進出して『理想の良人』や『雨』の舞台ミュージカルに出演。
43年からは米軍兵士慰問のためヨーロッパを巡り、反ナチ運動にも積極的に参加。
戦後、兵士慰問の功績が認められてアメリカ政府から自由勲章が、フランス政府からレジョン・ドヌール勲章が授与された。
兵士慰問のためフランスに滞在していたディートリッヒは『狂恋』(47)に出演。
共演のジャン・ギャバンと恋に落ちるが、ギャバンが結婚を迫ると彼を捨ててハリウッドに戻った。
48年にはビリー・ワイルダー監督の恋愛コメディ『異国の出来事』に出演し、
アルフレッド・ヒッチコック監督の殺人ミステリー『舞台恐怖症』(50)では名曲「バラ色の人生」を披露。
53年のラスベガスのナイトクラブ出演以降、エンターテイナーとしての活動が多くなり、全米各地のナイトクラブやステージだけでなくヨーロッパ各地を巡業。
彼女のニックネームにもなった名曲「リリー・マルレーン」などを歌って全盛時代にも劣らぬ人気を博し、70年と74年には日本でもコンサートを行った。
歌手としての活動が忙しくなると、
映画は『八十日間世界一周』(56)やオーソン・ウェルズ監督の『黒い罠』(57)など
出番の少ない友情出演が多かったが、ワイルダー監督と再び組んだ法廷サスペンス『情婦』(57)では本格的な演技を披露。
タイロン・パワーとチャールズ・ロートンを相手に謎めいた美女を熱演して絶賛を浴びた。
映画出演は78年の『ジャスト・ア・ジゴロ』へのカメオ出演が最後となり、翌79年にはコンサート中に足を骨折。
歌手としての活動の休止を余儀されただけでなく、寝たきりの生活を強いられたディートリヒは、
外界との接触を断ち、痛みを抑えるために酒と麻薬に溺れた。
引退後はエッセイ『ディートリッヒのABC』や自伝『My Life Story』を発表。
92年5月6日に老衰で亡くなり、葬儀はパリで盛大に行われた。
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