ニューヨークの貧民街で育ったルー・ゲーリッグは子供の頃から野球選手になる事を夢見ていた。
彼は母親が望む機械技師になるためにコロンビア大学に入学するが、スポーツ記者のサムに見出されてヤンキースに入団。
ヤンキースのホームラン・バッターとして活躍し、シカゴの上流社会の令嬢エリナーとの結婚を果たす。
万事順調に見えたゲーリックの人生だったが、次第にスランプに陥り、自分が死の病に冒されている事を知った彼は引退を決意する・・・。
アメリカ大リーグ、ニューヨーク・ヤンキースの一塁手で打撃王のルー・ゲーリッグの半生を描いた野球映画の傑作。
アメリカ野球界で連続出場2130試合を記録して、自らベンチに下がった「鉄人」ルー・ゲーリッグ。
この記録は1995年9月6日にボルチモア・オリオールズのカール・リッケンによって更新されるまで56年間続いた。
ゲーリッグがベンチに引き下がった数週間後、医師は彼の病気を筋萎縮性側索硬化症と診断し、2年後の1941年6月2日、ゲーリッグは37歳の若さで死亡。
以後アメリカでは、筋萎縮性側索硬化症はルー・ゲーリッグ病とも呼ばれるようになった。
ゴールドウィン・プロダクションのストーリー・エディター、ニーヴン・ブッシュはゲーリッグの伝記映画の製作を提案。
観客は野球を見たければ球場に行くと考えていた、野球に関してまったく無知なゴールドウィンは、最初映画化に消極的だったが、
1939年5月2日に6万2000人の野球ファンがヤンキー・スタジアムに集まってゲーリッグの多年の功績を称賛したニュース映画を見せられると、感動してもう一度見直し、エリナー・ゲーリッグ夫人から映画化権を約3万ドルで獲得する。
ブッシュは映画の原作となる物語の執筆をポール・ギャリコに依頼。
脚本を手掛けたジョー・スワーリングと『市民ケーン』(41)の脚本家ハーマン・J・マンキーウィッツは、ゲーリッグの野球選手としての活躍よりも母親との交流や夫人とのロマンスに重点を置いたユーモア溢れるセンチメンタルなメロドラマに仕上げた。
監督には『オペラは踊る』(35)や『恋愛手帳』(40)などを手掛けたサム・ウッドが起用され、ゲーリッグの妻エリナー役にはブッシュの婚約者で、前年『偽りの花園』(41)で映画デビューしたばかりのテレサ・ライトが抜擢され、友人のスポーツ記者サム役には名脇役のウォルター・ブレナンが扮した。
また、ベーブ・ルースら本物のニューヨーク・ヤンキースの選手も本人役で出演し、映画にリアリティをもたせた。
ゴールドウィンはゲーリッグ役に専属のゲーリー・クーパーを起用するが、
モンタナの牧場で少年時代を過ごしたクーパーも、ゴールドウィンと同じく野球のことは何も知らなかったため、撮影前に数人の野球選手からトレーニングを受けて投球、捕球、すべり込み、バントなどを教わった。
しかし、どんなに練習しても右利きのクーパーは、左利き選手として有名だったゲーリッグのような左打者にはなれなかったため、
ランニングやグランドでのシーンは代役を使ってロングショットで撮影された。
しかし、バッター・ボックスに立って打つシーンではクーパーを使うほかなかったため、編集者のダニー・マンデルは、
衣装係りにユニフォームの文字や数字を反対につけさせ、クーパーには右で打たせて一塁ではなく三塁に走らせた。
そして、編集時にフィルムを裏返しにすることによって、左利きのクーパーが一塁に走ったように見えるシーンを作り出した。
映画は批評家だけでなくゲーリッグ夫人からも絶賛され、興行的にもゴールドウィン映画としては最大のヒットを記録。
第15回アカデミー賞では作品賞、主演男優賞、主演女優賞を含む8部門にノミネートされ、編集賞を獲得した。
サム・ウッドは、49年に再び野球映画『甦る熱球』を監督。
ジェームズ・スチュワートとジューン・アリソンを主演に迎えて、猟銃の暴発で左足を失いながらも野球を続けた実在のシカゴ・ホワイトソックスの投手モンティ・ストラットンの半生を夫婦愛を絡めて感動的に描いた。
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