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犬猫屋敷の管理人日記

2005/11/1〜30

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お品書き(11月)
11月1日 ベイト 11月25日 思いこみ
11月3日 溺愛パート5 11月26日 犬の社会化
11月6日 居候 11月27日 ツケ
11月7日 遊ぶ犬 11月28日 強情
11月8日 人気者    
11月9日 食欲の秋    
11月10日 分離不安    
11月11日 RPG    
11月14日 お誕生日    
11月16日 アルファなんて怖くない!    
11月18日 ったく、もぉぉぉ〜!    
11月19日 誤解    
11月20日 もしも    
11月21日 おはぎ    
11月22日 意図    
11月24日 思い出    
強情 2005年11月28日
1ヶ月ほど前、負けず嫌いの管理人は、売り言葉に買い言葉でついうっかりうちの3頭にフセを教えるとこの場で宣言してしまった。あれからどうなったか?と危惧していらっしゃるであろう熱心な読者のために、今日は「成犬3頭にフセをしこうもう計画」の進捗状況をお知らせしておく。

予想どおりツチノコ兄弟に関してはあっという間に記憶が戻った。むろん、管理人の手に大好物の牛レバーが握られていることが前提条件である。いまやDJなどおやつを見せただけで、頼んでもいないのにフセをするほどだ。いまの管理人のマイブームは「フセ」。賢すぎるツチノコ兄弟はすっかり管理人の行動を先読みしている。ツチノコ兄弟の場合は家の中のみならず公園でも道路でもちゃんとフセができるようになった。むろん、手に持ったおやつがただのジャーキーだった場合、嫌々ではあるのだが……

問題は、最近ようやく道でも公園でも、人や車が通っているときでも座ることができるようになった姫さまである。この1ヶ月やってみてわかったことは「姫はフセが嫌い」ということである。

姫もいっぱしの犬どうよう部屋でフセの姿勢で座っていることはあるので、あのポーズを知らないというわけではない(注意:犬の中にはフセの姿勢を知らないコもいるそうだ)。だから、まったくできないというわけではないのだが、どうやらとてもやりたくないらしいということが最近わかったのだ。

オスワリのときもそうだったが、ふつうの犬は特上のご褒美を鼻面にぶら下げて少し腰を押すだけでも座るものだ。だが、姫の場合押されようが乗っかられようが頑として動こうとしない。却って足を突っ張ってぜったいに座らないように踏ん張るのだ。今回のフセに関しても同じで、前足を引っぱればお尻をあげ、お尻を無理矢理下げさせると前足を突っ張って、何が何でも伏せないとがんばっている。躾本に書いてある人間が膝を立ててアーチを作ってその中をくぐらせるという方法も使ってみたが、姫は器用にその中を抜けてまんまとおやつだけせしめる方法を編み出した。

「嫌と言ったらぜったい嫌なの!!!!!!」

正直、あそこまで強情な犬は見たことがない。

まあぜったいに座らないとがんばっていた姫が、1年後にはどこでもオスワリできる名犬(?)になったのだ。フセも気長にがんばればそのうち当たり前にできるようになるだろう。最近しつこくやりすぎたせいで、姫は「ダウン」と言われるだけでムッとした顔をするようになってしまった。しばらくは一休みして、姫が部屋で伏せているときに盛大に褒めてみることにしようと思う。座ると管理人が喜ぶと覚えたように、いつの日か

「管理人はフセをしている姫が好きヘノ」

と覚えてくれる日も来るにちがいない。成犬のしつけに焦りは禁物だ。すでに性格も嗜好もできあがっている犬に新しいこと教えるには時間がかかって当たり前だ。その代わりできたときの喜びもまた一塩だ。

故に今日も管理人はフセをしている姫にそっと忍び寄り、盛大に褒めるという地道な努力を続けている。

最近ようやく管理人が寄っていっても慌てて立ちあがらなくなった姫
ツケ 2005年11月27日
久しぶりに少し余裕があったのでフリーゲームサイトからRPGをダウンロードしてしまった。管理人は昨日からすっかりそのゲームにハマッテいる。

狼を召喚するはずがなぜか現れた犬を飼主の元へ送りとどけるという内容のゲームで、全編犬を連れて冒険の旅をするというあたりが犬マニアの管理人のツボを直撃してしまった。

おまけに止せばいいのに周りの犬飼い友にまで「こんなゲームがあるんだけど」と吹聴してまわったせいで、管理人の周りでは現在プチRPGブームである。

よい子はぐっすり寝ているはずの早朝4時。ゲームにハマッタ犬友1からチャットが入った。

「やった!すらいむをたおしたぞ」

ちなみにそいつの会社には週休二日制という概念は存在しない。

「明日仕事なんじゃないの? さっき(12時過ぎ)これから風呂入って寝るとか言ってなかった?」

「うるせぇぇぇ〜風呂なんて入っている場合じゃない!スライムを倒したんだってば!」

ちなみにスライムが出てくるのはまだゲームの初期段階である。これから延々犬連れの冒険の旅が続くのだ。

ご愁傷様、やっぱりあんたもハマッタね

続いて午前五時半。犬友2と3から相次いでチャットが入る。

「死者の森でパーティー全滅。何度やっても毒で死ぬのはなぜだ!?」

「よけいなもの教えやがって! ハマッちまったじゃないか!」

彼らはまだスライムの森の先で立ち往生していた。この先何度もかぼちゃとスライムを倒し、強敵イカとの対決が待っている。

約半日のリードがきいて、すでにイカを倒して現在伯爵の館攻略中の管理人は先輩面してアドバイスを与えた。

「リンゴを拾うのです。モンスターをやっつけまくってとにかく果物を買い集めなさい」

考えてみればいい歳した大人が徹夜で何をやっているのやら。管理人の犬友は全員管理人と同世代のオッサンオバサンなので、ほんらいならば子どもに「くだらないゲームなんかやっている暇があったら勉強しなさい!」と言わなくてはならない立場だ。

にもかかわらず……

このゲームでは連れて歩く犬に勝手に名前をつけられる。もちろん管理人の犬の名前はディーくんである。皆それぞれに自分の愛犬の名前を付けられるところが犬友が次々このゲームにハマッていった理由だろう。そしてもうひとつ、みんながハマッた原因は……

「だってさ、犬が常にヒールの状態で歩いているんだぜ! おまけに呼び戻しも完璧だし」

そんなことで感動していていいのだろうか? だがレバーなど振り回さなくてもShiftキーを押すだけで戻ってきてうしろにぴたりとつく犬を見るとやはり感激する。

ちなみにShiftキーを押しただけではいっこうに戻ってこない我が家のトリオだが、昨日久しぶりに独りで3頭引きで散歩に行って、この1ヶ月しつこくレバーを振り回した成果を身をもって体験した。

いままではトリオで連れて歩くと、右往左往する姫のせいで途中何度もリードが絡まってしまって、それをほどくのに難儀していたものだが、いまや3頭とも管理人の左隣が定位置になったのでリードが一切絡まなくなった。おまけに興味のある臭いをかぎつけ引きが強くなったときも「ヒール」のコマンドで即定位置に戻ってくるので生け垣に引きずり込まれる心配もなくなった。何より管理人の左横にぴたっとつくと良いことがあると犬たちが覚えてくれたので、リードが常に弛んだ状態でも犬たちは側脚で歩調を合わせて歩いている。

今さらながら思うのだが、やはりトレーニングの効果は絶大だ。

一度トレーニングが入った犬を飼ってしまうと、その楽さに、しつけの入っていない犬など想像もできなくなる。一時苦労をしても、それで以後10年楽ができるならやるべきだ、と他人にさんざん犬をトレーニングせよと推奨し続けてきた管理人だが、今さらながら我が身を振り返ると、きちんとやっておかなかったいままでの7年間が悔やまれる。
犬の社会化 2005年11月26日
今月に入ってからポセ父さんのブログで「ビビリ犬との暮らしかた」なる連載をやっている。見るものすべてが怖くてたまらないビビリのポセイドンが立派に更正(?)するまでの日々をつづった日記になるのかと思いきや、驚くばかりの不定期更新のため、いまだポセはほとんど登場せず、代わりに何と犬が生まれ落ちてから社会化期を経て犬となっていく行程を専門書の引用とともに説明している。

はっきり言って難しすぎる。

「友だちなんだからブログを読むのは当たり前だ!」

といわれ、感想を求められたときに「読んでない」などといったらそれこそ拳固が飛んでくるので、いちおう管理人はちゃんと毎回拝読しておりますが、それにしても文章が難しすぎて眠くなる。

おまけにポセ父さん、すっかりキャラ変わってるし(汗)

にもかかわらず、管理人としては多くの人にこれを読んでもらいたいと思っている。子犬が成長していく過程でどのような社会化期を過ごすべきなのか、難解ではあるが、これを読めばよく判る。現在愛犬の問題行動に悩んでいる人にとっては、ここから何かのヒントを得られるかもしれない。

この国ではまだあまり知られていないが、犬にとって社会化期というのは非常に重要なものである。この時期に巧く刷り込みができれば、問題の少ない良い犬ができる。逆にこの期間に刷り込みに失敗すると、その後ひとつひとつ問題をつぶしていかなくてはならなくなり、非常に多くの手間がかかる。

飼い主が楽をしたいと思えば、理想的な社会化期を過ごした犬を手に入れるのが一番の早道だ。

問題は、いまの日本には理想的な社会化期を過ごした犬はほとんどいないという現実である。

ごく限られた数の、きちんと勉強している犬の習性に詳しい優良ブリーダーの元で作出された犬以外、この国に現存する犬のほとんどは何らかの問題がある社会化期を過ごしたと言わざるを得ない。まず第一に、雄犬が群のなかで子犬育てに関与するという環境は、ごく一部の家庭内ブリーディング以外はまずありえない。ペットミルにしろ、バックヤードブリーディングにしろ、また不妊手術をせずに外につないでいた犬が妊娠したというケースにしろ、交尾さえ終われば雄犬はお役ご免というのがいまの通例だ。父犬が子犬育てに大きな役割を果たすということを知っている人のほうが少ないだろう。

つまり、この国で生まれる犬のほとんどが、何らかのハンディを背負っていることになる。多かれ少なかれ社会化期に失敗した犬だらけのこの国では犬の問題行動に悩む飼い主が多くいても何も不思議はないのである。

人に慣れない犬。散歩に行かれない犬。他の犬を見ると吠えかかる犬。新しい環境になじめない犬。犬同士の喧嘩を避けるための懐柔の仕草(腹を見せる、フセの姿勢をとるなど)が巧くできない犬。

すべて理想的な社会化期を過ごしていれば子犬の頃に身に付くことだ。だがそれをしていないために家庭に入ってから飼い主がひとつひとつ教えていかなくてはならなくなる。

ツチノコ兄弟はかなり理想に近い社会化期を経て成犬になった犬たちだ。だからほんとうに手がかからず問題らしい問題も起きなかったし、どこに連れて行っても誰に会っても態度のブレが極端に少ない。姫の場合は人慣れ犬慣れには問題がないものの、懐柔の仕草に問題がある。だからDJとのあいだで諍いがあったときは注意しないと小競り合いが大喧嘩に発展する危険性がある。

社会化に失敗して問題行動が起こっても、飼い主がそれに対処するノウハウを持っていればどんな問題も乗り越えられる。だが、飼い主がきちんとした知識を持たないと犬の問題行動が犬の特性と勘違いされる。特性だから直せない。飼いきれないから処分する。それが年間16万頭もの殺処分の根本的な原因だ。

不幸な犬を作るのは無知な飼い主だ。知らないことは罪ではないが、知ろうとしないのは立派な罪だ。ましてや犬の問題行動を問題ではないと言い張る人間は最初から犬を飼う資格などない。

犬を飼う基礎知識として、犬がどのようにして犬になっていくのか、この機会により多くの飼い主さんにぜひともその行程を読んで理解してもらいたいと思う。  
思いこみ 2005年11月25日
人なら誰しも「XXにちがいない」と思いこんでいる事柄というのがある。管理人の友人は♪京都大原三千院♪の歌詞をずっと「三千人」だと思いこんでいた。大原のような寂れた山の中に三千人もの人がいたらさぞやにぎやかだと思うのだが、十何年間も信じ続けていたことがまちがいだったと知ると、たいていの人は愕然とする。

そういえばいまは亡き父方の祖父はずっと紅茶が嫌いだと一族郎党が信じていた。だが、祖母が先に逝って我が家で祖父の身の回りの世話をするようになって、それがまったくのでたらめであることが判明した。祖母が勝手にそう思いこんで回りに言って回っていただけだった。

「うちの犬はXXが嫌い」というのもよく聞く話だ。散歩が嫌いな犬。他の犬が嫌いな犬。ドッグフードを食べない犬。だが、そのほとんどが飼い主の思いこみであることも珍しくない。

犬は環境に順応するすぐれた能力を持っている動物だ。だから住む環境を変えるだけで飼い主が嫌いだと思いこんでいたことを平気でやり始める場合がある。

たとえば、毎年夏にお泊まりに来るキャバリアのハナは、最初に犬猫屋敷に来た当時、家ではドライフードはほとんど食べないコだった。だが、1週間我が家で過ごして帰るときには、持ってきたドライフードを食べ尽くし、ツチノコ兄弟の皿からフードを奪い取って食べるほどになっていた。遊び相手がいる家ではとうぜん日中の運動量も上がる。また散歩もツチノコ兄弟のペースで一緒に行けばふだんより長く速歩で歩かねばならない。ただでさえ腹が空く上に、犬猫屋敷ではフードを食べざるものには他の食べ物は一切やらない。さすがのハナも1日絶食したあとは皿を床に置くと同時にドライフードに顔を突っ込む健康優良児に変身した。

いまやビビリ犬の代名詞になっているポセイドンだが、家では拷問のように嫌いだった散歩も犬猫屋敷では平気でできた。

「ポセは初めての道は怖くてダメなんだ。お宅に行ったときもなかなか歩かなくて大変だっただろう?」
「引っぱりがきつくて腕がぬけるかと思った」
「へっ? 散歩に行く前は尻尾下げちゃってさ、ともかく玄関から出すのだけ大騒ぎだったろ?」
「先にツチノコたちの用意をしていたら、置いていかないでぇぇ〜って絶叫しまくって大変だった」
「…………な……なんで?!?!?」

理由は簡単だ。ポセにとって犬猫屋敷は自分より大きくて強い兄さん姉さんがたくさんいる安心できる大きな群なのだ。だからその群単位で移動する分には外の世界も怖くはない。逆に来たばかりの我が家では、家に1頭で残されるほうが恐ろしい。だからといってポセが外の世界への恐怖を克服したわけではない。大きな群の外に出れば、やはり1頭で立ち向かうには外の世界は恐怖に満ちているのだ。

一番最近の犬猫屋敷のお客さまであるChoco.は吠えだしたら止まらないというのが飼い主さんの悩みだ。興奮すると声が出る。いったん吠えだしたらコマンドも聞かないし、何をやっても制止がきかない。だが、うちにいるあいだのChoco.はほとんど吠えることもなかった。散歩の途中に他の犬や人に吠えることはまったくなかったし、室内でも、公園を通る犬に向かってうちの3頭が騒いでいてもChoco.はじっと黙ったままだ。先日公開した動画に映っていた姫とのプロレスの最中も、ほとんど声を発さなかった。なぜ犬猫屋敷では吠えないのに、家に帰ると吠えるのか。その明確な答えは管理人もわからないが、ひとつだけたしかなことは、Choco.は吠える犬なのではなくて、何か理由があって吠えているということだけだ。

「可愛い子には旅をさせろ」ということわざがあるとおり、大切な愛犬を誰かに預けてみたら、もしかすると飼い主があっと言うような発見があるかもしれない。

環境を変えると犬は変わる。問題行動も単なる飼い主の思いこみが原因であることが証明されることもある。だが、何も犬の住む環境を変えなくとも、新しい発見をすることは可能だ。しつけの途中で壁にぶつかったときや問題行動に悩んだときには、独りで悩まず周りに相談してみるのもひとつの方法だと思う。相談相手がプロのトレーナーでも単なる犬飼いの友だちでも、ときには犬を飼ったことのない人であってもいいだろう。第三者の意見を聞いてちょっと視点を変えただけで、まったくちがう真実が見えることもある。そのヒントを生かすも殺すも飼い主さんの自由だが、少なくとも「うちの犬はXXだから」と諦めてしまわないで欲しいと思う。

昨日新すずきさんのぶろぐを見に行って、管理人は非常に嬉しくなった。がんばっている飼い主さんを見るとこちらも元気が湧いてくる。

「飼い主が変わればイヌは変われるんだよね!」

当たり前のことかもしれないが、犬と暮らす上で決して忘れてはならないことだと思う。 
思い出 2005年11月24日
もうすぐジョン・レノンが銃弾に倒れて25年目の記念日だそうだ。あれからもう四半世紀が過ぎたかと思うと自分の歳を再確認してめまいがしそうになる。

ジョン・レノンが殺された日のことは、はっきりと記憶にある。命日が近づくと追悼番組などで「Starting over」を聞くことが多くなり、あの曲を聴くたびになぜかクリスマスツリーを思い出す。ジョン・レノンが逝ったのは12月はじめだった。

電車のなかで「ミハマ」の袋を持っている人を見かけた。へえ、ミハマってまだあるんだ。そんなことを考えながら、ちらちらっとその袋を持つ人を観察してみると、そこには昔懐かしい「浜トラ」がいた。浜トラといってもトラの一種ではない。管理人がまだお肌ピチピチのギャルだった当時、一世を風靡した横浜トラッドというファッションの呼び名だ。そのころは浜トラにニュートラとやたらトラが流行った時代だった。お嬢さま風の仕立ての良い服が基本で、なぜか膝が見えるか見えないかのスカートにナイロンのハイソックスが定番だった。前髪は長めでレイヤードカットの脇の部分をうしろにバシッと流す。女子大生にとってはデンマンブラシが命の次に大切だった時代だ。ちなみに小学生の当時はソックタッチが命の次に大事だった。若い頃はとんでもないものに命をかけていたものだといまから思うと懐かしくなる。

管理人は当時から良くいえば「個性的」、悪く言えば変人だったので浜トラになったことはないのだが、友人は皆こんなかっこをしていたような記憶がある。現代によみがえった浜トラもパステルの高そうなカシミアのセーターに無難な紺のスカート姿だった。さすがにナイロンのハイソックスは履いていなかったが、もちろん手にはブランドもののバッグを提げている。レイヤードのヘアスタイルはもちろんお約束どおりだし、それにパールピンクの口紅が涙が出るほど浜トラだった。

管理人の目を引いたのは、このトラが管理人と同世代のオバサンだったからだ。この人、あの当時からずっと浜トラを続けていたのだろうか? それとも途中はイケイケになって、歳を経てまた無難なファッションに戻ったのだろうか? 電車の中でたまたま会った人にいきないそんなことを訊くわけにはいかないが、これまでの十数年間どんな人生を送ってきたのか、関係ないけどちょっとだけ気になってしまった。

そういえばあの当時は「個性的」と主張してちょっと妙なかっこをしていた管理人も社会人になって無難なスーツが定番になった。それでも相変わらずおぉぉぉ〜と言われるようなスタイルで歩いていることもあったが、ともかく昔はそれなりのこだわりを持っていた。

「このボトムにはぜったいこういうトップじゃないといや!」

たった一枚のセーターを探して街中をさまよい歩いたこともある。考えてみれば誰が見るわけでもないのだからなぜあそこまでこだわったのか、いまから思えば懐かしい。

最近は上から下までユニクロの毎日だ。犬と一緒にいるときは汚れてもいいようにいつでもジーンズが定番だし、会社に行くときだってふだんはスーツなど着ることはない。そう言えば、たくさんいる犬友だちだが、お互いいつも犬連れで会っているせいか、まともなかっこのところを見たことがない。おそらく結婚式か何かでばっちりドレスアップした上に化粧もしっかりした状態で会ったなら、お互いに誰だか判別がつかないだろう。

それを言ったら、地元の駅や電車のなかで、どこかで会ったことがあるような気がする人を見かけることがある。ぜったいに知りあいだが誰だろうか?とさんざん考えても答えが出ず、あとになってはっと気がつくのだ。

「あれは、ポチくんのお母さんだ!」

散歩の時はたいていノーメークで髪もぼさぼさのまま歩いている。何よりいつも隣にいる犬とセットで覚えているので人間だけだと誰が誰だか判らない。

犬飼いというのはやっぱり妙な人間だ。飼い犬の名前性別年齢はちゃんと頭に入っているくせに、じつは本名も知らない友だちが、やたらと回りに増えていく。 
意図 2005年11月22日
管理人は歯医者が

大、大、大っ嫌〜い。である。

あのキィィ〜ンという音を聞くと背筋が寒くなる。にもかかわらずここ2ヶ月管理人は歯医者に通いつめている。どんなに嫌でも背に腹は代えられない。あまりの痛みに耐えかねて急患として飛び込んで以来、とりあえず嫌々ながら治療を続けている。

それにしても歯医者に行くたびに思うのだが、どうしてどこの歯医者でも「痛かったら左手を挙げてください」と言うのだろうか?ちなみに左手を挙げて「痛さをアピール」したところで、たいていの医者は

「もう少しです。がんばって!」

と言うだけだ。応援してもらって痛みがなくなるわけではなし、はっきり言って歯医者で左手を挙げるほど無駄なことはないような気がする。

ところで、一見思いつくままに書きつづっているかに見えるこの「管理人日記」だが、じつはこれでも立派なポリシーと目的があったりする。1年前に姫を引き取ったことで世間でいかに多くのペットが捨てられているかを知ることになり、何とか状況を改善できないかと管理人なりに考えた結果、預かりや運搬といったような現場でのボランティアができなくとも(いまはほんとうに時間がなくて仕事と自分の犬の世話以外には何もやる暇がない。じっさい管理人はこの1年間テレビなど見ることすらできないありさまだ)、毎月大金を寄附できるような財力がなくとも、家でほんの少しの時間を使ってできることがあるのではないかという結論に達した。

だからここに載せる日記は、毎回意図を持って書いているし、じっさいなるべく多くの人の興味を惹くように時間があるときに数日分の日記を書いても同じようなものが続かないよう順番を変えて載せることもある。断定的な語り口になりがちだが、これでも読む人がそれなりに考えてくれるように結論を押しつけないように注意して書いているつもりだ。反論、意見はきちんと聞くよう心がけているし(それが正しいと思えばもちろん従うし、まちがっていると思えば反論はする)、読者のなかで管理人の主張に同意してくれる人がいるならば、何かの機会にここに書いてあることを思いだして人に伝えてくれればと思っている。

ただの飼い犬自慢に見える記事を書くのは、じつは成犬を飼うことの楽しさを多くの人にわかって欲しいからだ。子犬の場合はいくらだって書くことがあるし、写真を貼るだけで十分に他人の興味を惹くのだが、成犬の場合はたいした悪戯もせず日中はただ寝ているだけでつまらないと思っている人がまだまだ多い。だが、いわゆる子犬の時代は犬生の1/8にも満たない。犬を飼い始めたら成犬になってからの方が長いのだ。だから成犬との生活のおもしろさや楽しみ方を知っている人が増えないことには、可愛いからと言って子犬を飼って「大きくなったからもういらない」という信じられない理由で犬を捨てる人間が減ることはない。

姫の話題が多いのは、成犬になって家に来た犬であっても十分家庭犬として飼っていけるということを多くの人に知ってもらいたいからだ。ちなみに姫はそうとう手のかかる部類の成犬だ。トイレの失敗、盗み食いなどの悪戯、絶叫癖、散歩の引きの酷さなど多くの悪癖を持って我が家にやって来たが、ひとつひとつ問題をつぶしていくことで、それでも1年経ってツチノコ兄弟どうように家庭犬として暮らせるようになった。たしかに子犬に比べたら驚くほど手がかからないが、躾なおしは必要だった。そのノウハウじたいは子犬を扱うのと変わらない。ただ犬も歳をとればとるほど頑固になる分少しばかり時間がかかる。現在新しい家を探している犬の多くはほんの少しの躾なおしが必要な犬が多い。それを大変だとか無理だと思わないで欲しいというのが管理人が姫の問題点をさらけ出してすべて書いている理由だ。

「犬は子犬から飼わないと懐かない」

この国にはまだこんな迷信を信じている人が多すぎる。姫を見ればわかるようにいくつになって来たコであっても新しい飼い主に馴染むことはできる。どれくらいの時間がかかるかは個体差だが、極端な話、人間を怖がるビビリの子犬よりも早く新しい家に馴染む成犬は多い。

いまの日本は犬の需要と供給のバランスが完全に崩れている。誰もかれもがコロコロした生後3ヶ月以内の子犬を欲しがるために、世間には新しい飼い主を探している成犬がたくさんいる。だが成犬の譲渡を希望する家庭が極端に少ないせいで、じっさいは救えるはずの命の多くが毎日消えていく。成犬譲渡が進めば、確実に処分される犬の数は減っていく。ひとりの人間が日記を書き続けたからといって社会の認識がとつぜん変わるとは思わないが、何もしないよりはマシだと思いたい。

最近犬猫屋敷でブームのトレーニングだが、これも成犬のトレーニングは楽しいということをわかって欲しくて書いている。犬のしつけは生後1年くらいで終えてしまわなければならないという、多くの人のまちがった認識を変えることができればというのが管理人の希望だ。こういうまちがった常識が幅をきかせるのも、現在書店に並んでいる躾本のたぐいに、必ず生後半年でこれとこれ、1年目までにはこれとこれをしつけましょうと書いてあるせいだ。まるで1歳を過ぎたら犬のしつけはもうできないと言っているようなものだし、初めて犬を飼う人がそれを読んで「やっぱり子犬から飼わないとダメ」だと思いこんだとしても、それはしかたがないだろう。

だが、考えてもみてほしい。もしほんとうに犬のしつけは1歳までが勝負だとしたら、名犬の筆頭である盲導犬はいったいどうやってしつけているのだろうか? 盲導犬候補生の場合、最初の1年はパピーウォーカーという預かりボランティア家庭で成長する。その間、排泄のしつけ(有名なワン・ツー・トレーニング)以外は一切コマンドを入れてはいけないとボランティアは申し渡される。つまり、極端な話盲導犬になる犬たちは1歳になるまでひとつのコマンドも覚えずに育つのだ。

じっさいに犬にコマンドを入れるのに遅すぎるということはない。いくつになっても犬は新しいことを覚えるし、却ってコロコロした子犬のときよりも少し落ち着いてきた1年目以降のほうが教えるには楽なケースが多いのだ。にもかかわらず多くの飼い主が1歳までにしつけが入らなかったと諦めてしまう。最悪の場合、悪癖を直せなくて飼いきれないと犬を放棄する。そういう犬が毎年16万頭以上に及んでいるのだ。いくつになっても、どんな悪癖であっても飼い主次第で矯正はできる。それを世間の多くの人にわかってもらいたい。

トレーニングには別の効果もある。飼い主自身が時間をかけて試行錯誤して育てた犬は、いわば飼い主の作品だ。素材はペットショップで買った(もしくはタダでもらった)犬かもしれないが、しつけが入った状態は飼い主が手塩にかけた芸術作品だ。時間をかけて、手間暇かけて作った作品を、人はおいそれとは手放せない。ただ餌をやって可愛い可愛いと撫でているだけのペットであれば、いくらでも代用品は見つかるだろう。だが、自分の手で大切に育てた犬の代わりなど、どこを探しても見つからない。

センターで処分される犬の多くは飼育放棄犬だ。飼い主自身が飼いきれないからとセンターに持ち込むのだ。何百時間もの時を割いて作り上げた作品に一カ所不具合が見つかったからといって、人はそれを簡単に捨ててしまうことができるだろうか? ここを直せば完璧だと思えば、さらに時間を割いて直して手元に置こうとは思わないか? 第一、毎日家に帰るとそこは荒れ放題で、疲れた身体で日々糞尿処理に明け暮れるような暮らしを楽しいと思う奇特な人間がいったいこの世に何人いるのだろうか? 犬を見れば小言しかいわないような暮らしが、果たしてペットとの楽しい生活といえるのか? 年中叱られている犬のほうだって幸せだとはいえないだろう。しつけをすれば、犬を叱る代わりに褒めることができるようになる。犬にとって一番の幸せは飼い主にいつでも優しい声で話しかけてもらうことだ。そのためには叱らずに済むよう飼い主がきちんとしたしつけをすることが必要だ。

捨てられた犬を保護して飼い主を探すのはひとつの手段だ。だが、そればかりを続けていても、犬が捨てられないような社会や環境を整えないかぎり譲渡活動じたいが出口の見えないアリ地獄だ。可哀想な犬を救うためには、可哀想な犬を減らす努力が必要だ。だから、犬を譲渡する場合には、きちんとしつけをして飼うことを推奨し、その犬にあった飼い主に対して正しいしつけの方法を指導し、問題が起こった場合にはそれに対処できるノウハウを譲渡団体がきちんと持っていなくてはならない。犬の世話に人手が割かれてそんなことまでやっていられないというのなら、それは犬を抱え込みすぎだ。世話ができないような数の犬を保護するのはまちがいだし、それは保護活動家ではなく単なるコレクターだ。

現在の譲渡団体のアフターケアーのレベルはあまりにも低すぎると管理人は考えている。譲渡を受けたばかりの子犬の扱いに困っている新米飼い主に、担当者が電話をし「みんな最初は大変ですけど、がんばって」というのがアフターケアーだと信じている人がまだまだ多い。

たまたまその新しい飼い主が不安を抱いているだけなら、これでも十分なアフターケアーにはなるだろう。だが、もしもほんとうにハイパーな子犬に手を焼いて困っているのだとしたら、ケージを使うなどの適切な対処方法を教えないのはまちがいだ。これでは歯医者で左手を挙げるのと何も変わらない。

ここ数ヶ月、このサイトに関する問題でいろいろ考えるところがあった。サイトを維持し続けることで管理人自身が不愉快な思いをするのみならず関係者にまで被害が及ぶくらいなら、いっそ犬猫屋敷を閉鎖しようかとも考えた。じっさいあまりに忙しすぎてサイトの更新に使う時間を他のことに使いたいと思うこともないわけではない。だが、こんな気まぐれな管理人の独り言を毎日覗きに来てくれる人が一定数以上いる限り、続けていくのも悪くないと最近ようやく考えを変えた。個人にできることなどたかが知れている。ましてやプロのトレーナーでもない管理人が言うことなどしょせんは個人の戯言だ。それでも、ここを訪れた人たちが何かヒントを得てくれるなら、いまのペットブームの不可解さに気づいて少しでも自分なりに考えてくれるのなら、こうして書き続けることもまるっきり無駄にはならないのだと信じたい。

成犬を欲しがる人がもっと増えるように、成犬と楽しく暮らしていける人がもっと増えるように、子犬成犬にかかわらず家庭犬として立派にしつけが入った犬が増えるように、犬のほんとうの笑顔を知っている犬飼いが増えるように、そしてほんとうに知識を持つ犬好きが運営する保護団体が増えていくように、管理人はこれからも暇を見つけてはあれこれ言いたい放題書いていきたいと思っている。  
おはぎ 2005年11月21日
我が家の末っ子はおはぎという名の黒猫だ。6年前、腹を空かせて我が家の周りをうろついていた捨て猫のうずらが犬猫屋敷に来て産んだコだ。生まれたばかりの片手に乗るくらいの黒い固まりが、まるであんこ玉のようだったのでおはぎと呼ばれるようになった。おはぎは、犬猫屋敷では珍しく生年月日が判っている猫である。

2歳のとき、おはぎは難病に罹った。左後ろ足が先から壊死していくという病気で約一ヶ月入院生活を送ることになった。原因が特定できず、とにかく薬で病気の進行だけは抑えたが、けっきょく片脚を根本から切除しなくてはならなくなった。

脚の切断は、人間にとっては一大事だが、四つ脚動物の場合、たとえ脚を一本失ってもふだんの生活にはほとんど支障がない。獣医さんにそう説明された時点では管理人も素直に信じることはできなかったが、じっさいおはぎを見ているとそのとおりだと認めざるを得ない。

おはぎはじつに器用に3本脚で歩いている。階段の上り下りは言うまでもなく、犬に追われて茶の間から階段、そして2階に駆け上がるスピードはとても脚が一本足りないとは思えない。むろん健常の猫に比べればジャンプ力は多少劣るが、それでも犬防止柵などは軽々と飛び越す。

遊びたくて、吠えながら近づいてくる犬に対して、思いっきり猫パンチをお見舞いし、犬が猫の聖域である2階に進入しようものならば、最前線で戦うのもおはぎの役目だ。

犬たちにとって我が家で一番怖いのは、もちろんボス猫であるチビ姐さんだが、おはぎも十分負けてはいない。ジィジ・バァバは二言目には「おはぎは脚のない可哀想な猫なのだから」を連発するが、管理人の見る限り、おはぎにハンディーがあるとは思えない。脚が一本足りなくても、おはぎは十分ふつうの猫として毎日楽しく暮らしている。

それでも手術の直後にはアクシデントも発生した。1ヶ月以上の入院を経てようやく家に戻ってきた直後、深夜にとつぜん吐き気をもよおし、ようすがおかしくなった。目の焦点が定まらず、歩くときにもふらふらするようで、やがて自力で動くことさえできなくなりけいれんまで起こしてしまった。朝一番にかかりつけの獣医に飛び込んだところ、もうろうとしているおはぎを一目見て、獣医さんもこれはまずいと思ったようだ。脚を失った原因が定かではない以上、それが脳まで冒しているという可能性は否定できなかった。とりあえず脳の腫れを抑えるための注射だけしてもらい、あとはぜったい安静と言い渡されて、ともかく家に連れ帰った。入院させることも考えたが、最期は家で看取ってやるのが犬猫屋敷の方針だ。医者も管理人も妹も、最悪の事態を覚悟していた。

ところが、すっかり意気消沈した飼い主をよそに、おはぎはみるみる回復していった。その日の夕方には自力でちゃんと立てるようになり、腹が減ったと餌のお代わりまで要求し、翌朝は何もなかったように遊び回っていた。

「おはぎのことなんですけど……」
「はい。いかがですか?」
「いま、餌をバリバリ食べてるんですけど……もう一度診ていただくのにこれから連れて行ってもいいですか?」
「はぁ? え……えさ……食べてるんですか?」

医者もまちがいなく助からないと思っていたのだ。だから回復したと聞いて本気で驚いていた。

「いや、おはぎちゃんの生命力の強さには脱帽です。ふつうあの状態から回復することは期待できない」

たしかにおはぎの生命力の強さはとびきりだ。動物というのは決して生きることを諦めない。人間のように自ら命を絶つことは決してしないし、命の続く限りいくらだって悪あがきをする。そして寿命がつきたその瞬間に静かにこの世を去っていく。人間にできることは、その手助けをすることだけだ。動物ほんらいが持って生まれてきた寿命をまっとうできるよう、良質の食餌を与え、快適な生活環境を整えてやることしかできないのだ。

難病を乗り越え、生死の境を彷徨っても立派に生還したおはぎは、今も犬をからかい三本脚で犬の群の先頭を走りながら、振り向きざまに猫パンチを繰り出しては犬の横っ面をはり倒している。 
もしも 2005年11月20日
電車の吊り広告に『馬鹿なことばかり考える男、馬鹿なことを考えない女』という新刊書が出ていた。管理人は戸籍上の性別は女だが、日々馬鹿なことばかり考えている。管理人の数少ない友人も性別問わず馬鹿なことしか考えていない輩が多い。

馬鹿なことばかり考えているだけではなく貧乏人も多いので、こういう新しいビジネスはどうだろうか?こんな新商品があったら、メ、鬢皃ュという話がけっこう多い。この手の馬鹿な四方山話からビッグビジネスが誕生して、いまや年収数千万の大富豪という話はよく聞くのだが、管理人たちが思いつく話は、いつもあまりに馬鹿馬鹿しすぎてじっさいの商売には決して結びつかない。たとえば、100均で買ったスコップとスーパーの袋を組み合わせたウン○回収機「Oh, Shit!」は、ウン○に直に触らなくていいというメリットはあるが、回収後は用のない巨大なスコップをぶら下げて歩くのは邪魔以外の何物でもない。ビーグル模様のハンディー掃除機「姫さん」はキュートさが最大のセールスポイントだが、本体が可愛すぎるだけではなく、小型の割にどんなものでも即座に吸い込み決して壊れない頑丈さが売りである。ふだんはフォルダーにオスワリの姿勢で座って充電、お仕事のときは尻尾が取っ手部分になり、斜め45度に傾いた顔の部分についた耳がパタパタするのが愛らしい犬姉妹品で黒ラブ型大型掃除機「サクラさん」というのも現在開発中だ。

管理人と友人のあいだで馬鹿すぎるもしもシリーズの一番のお題は、数年前まで管理人の結婚式企画だった。武道館でやる結婚式。花嫁の入場のテーマソングはロッキーのテーマ。キャンドルサービスの代わりに飲茶を配る。水中結婚式や犬がフラワーガールになる結婚式(もちろんライスシャワーの代わりに蒔くのはドライフードだ)などそうとうイケテル結婚式の企画は目白押しなのだが、いかんせん相手がいつまで経っても現れないので未だ実現されずにいる、

最近はより実現性の高い企画ということで管理人の葬式話が花盛りである。やはり同じ企画を立てるのなら、いつかは必ず実現するほうが同じ馬鹿話でも気合いが入る。

管理人は古代エジプト人ではないので、死者の魂が遺体に戻るとは思っていない。だから、基本的に自分が死んだあと遺体がどうなろうが一切関知しないので、使えるパーツは好きにとってもらって、ぜひ再利用に回してもらいたい。リサイクルは大切だ。管理人はエコロジーな人間である。

使えるものをすべて取りつくしたら、残りは重しをしっかりつけてどこかの深海に沈めてもらいたい。いまのこの国では遺体はすべて荼毘にふさねばならぬと決まっているようだが、高温で焼くのは地球温暖化の原因になる。それなら海の底に沈めて、ふだんめったに美味しいものにありつけない巨大イカや目のない深海魚に珍しいごちそうを提供したほうがいい。使い終わった命は次の命の糧となる。これぞ究極のリサイクルである。

自分が死んでしまっている以上、葬式などやってもらっても管理人は楽しい思いはできないので、基本的に葬式は必要ない。ただ、ふだん忙しくてめったに会えない友人たちが一堂に会する機会を提供するという意味でやりたいのならやってもらってもかまわない。ただし、管理人の葬式をする場合は以下の点は守ってもらわないと困る。

まず菊やら百合やらの辛気くさい白い花は一切お断りだ。管理人にモノトーンは似合わない。だから飾る花はひまわりをメインに、チューリップやらバラの派手な原色の花を組み合わせる。その話を友人のひとりにしたら「温室ものは高いから、死ぬ時期を選んでね」と宣いやがった(怒)コストを考えて死ぬ時期まで限定とは、貧乏人とは悲しいものである。

我が家は仏教徒なので、ほんらいならばお坊さんが来てお経をあげるのだろうが、信仰心ゼロの管理人としては死んだとたんに仏教徒にされても成仏できる気はしない。だいたいお経というのは単調で聞いていると何だか眠くなってしまうし。何を言っているのやら意味不明では御利益もへったくれもないような気がする。だから管理人の葬式のBGMは80年代90年代のヒット曲メドレーである。ジョン・レノンの「starting over」に涙を流し、Kool & the Gangの「celebration」で会葬者総立ちになっていくれれば、管理人としては本望だ。

一番やってもらっては困るのは、あの無理矢理喪服の襟をつけた下手な合成写真の遺影である。だいたい、これだけ合成技術が発達した現在、なぜ遺影の写真だけはあんなにも不自然なのだろうか?第一、管理人は黒などめったに着ないし(犬や猫の毛が目立つから)もともと原色が似合う女である。だから遺影の写真は犬と戯れている自然なスナップショットで、ついでに周りの枠は豪華に金張りにしていただきたい。黒のリボンも辛気くさいので、金のフレームにはショッキングピンクのリボンを組み合わせる90036

ほんらいお通夜の会食は精進料理と決まっているらしいが、管理人は肉の入っていない精進料理など食事として認めない。だから管理人のお通夜の場合は焼き肉屋で食べ放題である。霜降りの特上カルビに食らいつきながら「あいつ、今ごろ地団駄踏んで悔しがっているぜ」と管理人のことを思ってもらえれば本望だ。むろん、その夜そいつらの家を一軒一軒まわって「うらめしやぁ〜」と枕元に立ってやるというサービスつきである。

遺体はとっくにイカの餌になっているので墓はなくてもかまわないのだが、これまたたまに遊びに行く場所が欲しいという友人知人たちのためにいちおう墓は作ってもいい。ただし、あの何の使い手もない重い四角い石を重ねても単なる資源の無駄遣いである。エコロジーの人管理人は無駄なものが大嫌いだ。だから、管理人の墓はぜひ電信柱の形にしていただきたい。何々家の墓と彫るのではなく、「主婦パート募集」「迷い犬を探しています」などのうらぶれた貼り紙のあいだに「犬猫屋敷の管理人、ここに眠る」と貼っていただければ御の字だ。その際、いかにも風雨にさらされたようなしみったれた雰囲気を大切にしていただきたい。電信柱という性質上、ぜひとも墓参りに来た友人たちの愛犬のメッセージボードとして利用してもらえれば幸いである。

「ご供養ですから、ぜひ」
「そうですか。それでは遠慮なく。さあ、ポチ、マーキングさせてもらいなさい」

くんくんくんくん……シャー

ただし、ウン○はきちんと持ち帰ること。不届きものの犬飼いのために、もちろん、そばには「愛犬の糞はきちんと飼い主が処理しましょう」の札を下げておかねばならぬだろう。

墓の周りに桜の木でも植えておけば、花見の時期はお弁当を持って遊びに来られる。葬式も墓も、要は生き残った者たちが死者を思い出すためにあるものだ。墓がなくても何かの際に管理人のことを思いだしてくれる人がいるならば、それで管理人は十分成仏できるはずだ。
誤解 2005年11月19日
毎度おなじみ管理人の「レバーを盛大にふるまって犬に一番愛されたい」キャンペーンは現在も着々と進行している。

お稽古の賜で、DJと姫は管理人(のポーチ、)を常時見上げて歩く名犬の鑑に変身したのだが、問題は相変わらずのあの方である。

ごほうびをもらったら最後、脇目もふらずに自分の興味のあるものに突進する。嗅ぎたい臭いがあれば、名前を呼ぼうが「STOP]と叫ぼうが、管理人の言葉など耳に入らない。カイザーが戻ってくるのはツインリードでつながっているDJが褒められている「Good」という声を聞いたときだけだ。

「Good」の次にはご褒美が出る。

賢いカイザーはすっかりそのパターンを覚えてしまった。

カイザーが他の2頭のように上を向いて歩かないのは、美味しいものが出るかどうかDJが常時チェックをしているからだ。

「ディー君が見ててくれるから、ぼくは「Good」って聞こえたら飛んでいけばいいのね」

カイザーは根本的に管理人の意図を誤解している。

その証拠に、カイザー1頭で引いているときは、奴は常時上を向いて歩いているのだ。完璧なヒールポジションできらきらした目で管理人(のポーチ)を見つめている。

「だって、ディー君がいないときは、ちゃんと見てないと美味しいものをもらい損ねるもん」

やっぱりカイザーは、何のために管理人がせっせとレバーを配っているのか、根本的に誤解している。

カイザーはとんでもない誤解をすることがいままでもよくあった。玄関のたたきで足を拭いてもらうまで待たなくてはならないと教えたはずが、DJが足ふきマットに乗っているときは自分はたたきでスタンバイしなくてはならないと覚えている。仮に自分が散歩に行ってなかったとしても、なぜかカイザーはわざわざ汚いたたきに座って自分の順番を待っている。
お陰でこちらは拭かなくてもいい足まで拭かなくてはならなくなる。

今回もまた…………、

一般の犬のトレーニング方法は、本でもネットでも見ることはできる。だがカイザーのためのトレーニング本はどこを探しても見つからない。

これを続けていると、カイザーもちゃんとヒールで歩ける日がいつの日か
ほんとうに来るのだろうか…………

不安な気持ちでレバーを巻き続ける管理人である。
ったく、もぉぉぉ〜! 2005年11月18日
管理人はガキお子さまが嫌いだ。、爨ォ、テ。ハナワ、遙ヒ

できればなるだけ関わりにならないよう心がけているにもかかわらず、犬を飼っているとガキお子さまのほうから寄ってくるので始末が悪い。とくに3頭をひとりで引いているときに、子ども嫌いの姫さまにサッカーボールを持った少年の集団が寄ってくると泣きたくなる。けさはそんなアンラッキーな日だった。(涙)

朝の散歩の途中、いつもの公園でうしろからガキどもお子さまたちの大声が聞こえてきた。振り向くと、体操着のようなものを来た小学校高学年の少年40人ぐらいの集団が、ほうきやら、ちりとりやらを手に集団でやってくるのが見えた。公園をお掃除する奉仕団だか何かの一団のようだが、姫はガキどもお子さまたちの声を聞いたとたんに気もそぞろで、尻尾をすっかり下げていた。あの集団に巻き込まれたら姫が悲鳴を上げるのは確実なので、ビーフジャーキーをちらつかせて犬たちを集中させているうちに一団をやりすごすことにして、木陰の引っ込んだ部分に避難した。

最近姫はかなり子どもに対する恐怖心が薄らいできている。10人程度の小学生なら無視して通り過ぎることができるようになったし、サッカー少年に対してもある程度の距離を置けばともかく吠えずにいられるようになった。だが、さすがに大嫌いな少年40人はまだきつい。それでもどうにかベイトに意識を集中させてマテをかけた状態で奴らの列が行き過ぎるのを待っていた。

そのとき…………

ガキどもお子さまたちのあいだから

「あっ、犬だ!」

「なんだ、あれ?」

「テリアだよ」(ちがう、ゴールデンバセットじゃ(汗))

などと声が聞こえてきて、いやぁ〜な予感がしてきたところで、いきなり列から躍り出た悪ガキ活発なお子さまが、姫に走り寄ってきて

「わっ!」

と大声を上げやがった。


なにしやがるんだ、てめえぇぇぇぇ!!!!!

もちろん、姫は怯えていつものとおり大絶叫がはじまってしまった。あまりの大声に、くそガキども元気なお子さまたちがワイワイ騒ぐものだから、ますます姫は怖がって、けっきょくずっと鳴きつづけていた。

ようやく1年かけて何とかくそガキお子さま嫌いを克服しつつあるというのに、これではいままでの苦労が水の泡じゃないか!、

うちの3頭がダウンステイのコマンドが完璧に入っているしつけの行き届いた犬たちだったら、犬たちをこの場に置いて、管理人はまちがいなく犯人の悪ガキお子さまの首根っこを思いっきりつねって、ウン○をちびらせるくらいの激しい調子で怒鳴りつけてやるところだった。だがいかんせん、うちのトリオのダウンステイ成功率は未だ限りなくゼロに近い。

しかたがないのでただにらみつけるだけで許してやったが、管理人の腑は煮えくりかえっていた。

ったく、近ごろのくそガキお子さまときたら……(怒)

だが、万が一管理人が犯人の悪ガキお子さまの首根っこを押さえつけて猛烈な勢いで叱ったならば、なぜか管理人のほうが責められることになるのだろう。なぜなら、犬の飼い方とどうようで、近ごろはガキお子さまも褒めて育てるのが流行だからだ。きつく叱るとガキお子さまの心に傷を残すのでいけないのだという。悪いことをして叱られたくらいで傷が残るような柔な心で、この先世間の荒波にもまれて生きていけるのか、他人事ながら心配である。

そういえば、昨晩テレビを見ながら夕飯を食べていたところ、こんなに不可解なニュースを見た。

運転士解雇に意見1500件 大半同情、東武方針変えず

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埼玉県の東武野田線で3歳の長男を運転室に入れたまま電車を運行したとして、30代の運転士を懲戒解雇するとした東武鉄道の方針に対し「処分が重すぎる」などとする意見が11日までに1500件近く、同社に寄せられた。 (共同通信) - 11月11日20時46分更新
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ニュースで聞いたところによると、この運転士の3歳の息子が母親とともに電車に乗り合わせ、運転席にいる父親を子どもが見つけて運転席の窓を叩くなどして騒いだため、子どもを運転席に入れてしまった。その後電車の運行を遅らせるわけにはいかないので、息子を運転席に乗せたまま1駅走ったのがばれて懲戒解雇になったという話である。ちなみに息子を運転席から追い出せなかった理由は

「子どもがその場に座り込んで頑として動かなかった」

からなのだそうだ。

管理人が知る限り、3歳くらいの子どもというのは通常柴犬かシェルティーくらいの大きさしかない。ふつうの親なら簡単に抱き上げることができるサイズだ。現に管理人の友人は泣きわめく子どもを荷物のように小脇に抱えて持ち歩いている。

だが、親にも動かせない子どもということは、この子はギネスブックに載るようなセントバーナード級のジャンボチャイルドなのだろうか? それとも1トンくらいある超合金の鎧でも着ていたのか? たかが10数キロしかない、しかも自分の子どもを動かせなかったという親の言い分に、獣医に行くたびにフセの姿勢で動くのを拒否する30Kgの犬を飼う身としてはどうしても首をかしげざるを得ない(管理人は毎回、頑として動こうとしないDJを、引きずり転がしながら診察台まで連れて行ってスタッフおよび待合室にいる他の飼い主さんの失笑を買っている)。

だいたい、子どもが窓を叩いて騒いだからといってドアを開けることじたいがまちがいだ。騒いでいるのが酔っぱらいや他の悪ガキだったとしたら、とうぜんこの運転士はドアを開けたりはしないだろう。どう考えても懲戒解雇になったのは運転士本人とその妻の行動が原因だ。にもかかわらず多くの人から酷すぎるという苦情が来るというのが判らない。

苦情の理由で一番多かったのが

「子どもが将来大きくなって父親が自分のせいで解雇されたと知ったら、子どもの心に傷が残る」

というものだったそうだ。

どうして子どもが自分のせいだと思わなければならないのか? 懲戒解雇されたのは父親である運転士がまちがった行動をとった結果だ。規則を破ったから罰を受ける。それは至極当たり前のことであるはずだし、処分された原因は100%本人にある。子どもには何の関係もないはずだし、
ましてや処分を下した会社側には少しの非もないにもかかわらず、可哀想だ、酷すぎると騒ぐ人間が1500人もいるというのは驚きだ。

悪いことをしたら叱られる。罪を犯せば罰を受ける。自分の行動には責任を持つというのが大人としての最低限の有り様だと思っているのは、管理人の考え方がおかしいのだろうか?

ともかく、世間にはほんとうに心優しい人が多すぎて嫌になる。叱らない大人と叱られたことのないガキどもお子さまたちのお陰で、まったく暮らしやすい世の中になったものだ。 
アルファなんて怖くない! 2005年11月16日
アルファなんて怖くない!
犬猫屋敷は良くいえば堅実、悪くいえば貧乏な家なのでまだ食べられるものを無駄にすることはありえない。だから群の上位のものが食べない食材は下位のものに分け与えられる。

猫が口に合わなかった缶詰餌は犬のトッピングに使用され、犬に人気のないちくわは、ジィジの酒のつまみに早変わりする。

犬猫屋敷の群の中でジィジ・バァバの順位は犬以下である。別に管理人がそうしつけたわけではないが、順位はいつの間にか決まってしまった。それというのも、彼らが好きこのんで犬に仕えているせいだ。

散歩では犬に引きずられて草むらに突進し(本人たち曰く、犬は自由に歩かせて臭いを嗅がせてやるのが幸せ)、家のなかではタオルやセーターを犬に奪われそれを大騒ぎしながら追っかけ回す(「離せ!」といいながら追いかけているが、犬たちはお尻を上げておっかけっこを楽しんでいる。ちなみに部屋の隅に追いつめてもその先は楽しいひっぱりっこがまっているのだ)。食卓から一瞬立ちあがって帰ってくると席は犬に奪われていて、いくらどけといってもどいてもらえない(暖かくてこの席がいいのね、しかたないといって彼らは脇に寄って食事をする)。犬はおやつが欲しければジィジ・バァバのところに直行する。ねえねえと前足で肩を叩いて催促すると、100%の確率でチーズや煮干しなどのおやつが振る舞われるからだ。それも管理人や妹からもらうときのようにスワレやフセなどの芸を見せる必要もない。ただくれというだけで美味しいものがもらえるのだ。これほど楽な方法はないだろう。ちなみにジィジ・バァバは瞬発力が退化しているせいか、簡単に手からおやつを奪い取ることも可能だ。犬たちにとってジィジ・バァバは自動おやつ配布機だ。だが本人たちは犬に人気があると思いこんでいる(簡単におやつをやらない管理人を冷たい飼い主だと非難する)。

どれも管理人が止めさせようとしたことばかりだ。だが還暦を超えた人間の躾なおしには、さすがの管理人もさじを投げた。別にジィジ・バァバが犬に使われていたとしても、スワレ、マテと声を枯らして叫んでも犬に無視されまくっていても、管理人は痛くも痒くもない。この家にはちゃんと管理人というボス犬がいて、犬たちは管理人の支配下に入っているからだ。問題は、家中の全員が犬にお仕えする僕になっている家の場合だ。そういう家で飼われている犬はほぼ100%アルファになってしまう。

犬を飼っている人なら誰しも「アルファ症候群」という言葉を耳にしたことがあるだろう。家族という群のトップに犬が君臨してやりたい放題している状態だ。ちなみにしつけのマニュアルを見ると、犬がアルファになると大変なのでそうならないようにしつけましょうと書いてある。それを読んだ犬飼い初心者のなかには、アルファ症候群を不治の病のように恐れている人も多いようだが(愛犬家のサイトを見ると明らかなアルファの犬の飼い主が「うちのコはアルファじゃありません!」と言い張っているのを目にすることがある)犬なら誰だってアルファ症候群になる可能性はある。そしてアルファ犬を作ってしまう原因は100%飼い主にある。

犬に信頼してもらえないダメ飼い主が、アルファ犬を製造する。

アルファになりやすい犬となりにくい犬のちがいはたしかにある。たとえば姫はそうとう気合いの入った飼い主でないと容易に群のトップにいってしまうタイプの犬だ。逆にカイザーの場合はかなりレベルの低い飼い主相手でないとアルファになることはないだろう。だが、それでもカイザーだって必要とあらばアルファになる。群で生きる犬にとって信頼できる強く賢いリーダーがいないということは由々しき問題なのだ。だから安心してついて行けるボスがいないと思ったら、どんな犬だってアルファになろうとする。犬が犬として生まれてきた以上これはDNAに書き込まれた本能なのだ。

管理人は、どちらかというとアルファ気質の強い犬のほうが好きである。アルファになろうとする犬というのは往々にして頭がよく作業意欲も高い犬が多い。甘やかしたら最後、群を乗っ取られるので注意は必要だが、飼い主さえきちんとしていればいろいろ教えるのにこれほど適した性質はない。だから管理人が「この犬アルファ気質が強いね」という場合、それは賞賛の言葉である。

だが世間の多くの犬飼いはアルファ気質の強い犬を面倒な犬として敬遠する。たしかに問題行動を起こすケースも多く、最低限のしつけを入れないと大変なことになる。いわゆるグッピー飼いや猫飼いができるタイプの犬ではない。だから、無駄吠え、噛みつき癖、悪戯がひどいなどの原因で捨てられる犬の多くがこういった犬なのだが、元々しつけの入りやすい犬なので巧くやればほぼどんな犬でも更正は可能である。だから、きちんとしつけのできるレベルの高い飼い主が増えてくれば、じつはセンターなどで処分される犬の多くは簡単に救うことができるのだ。犬ほんらいの習性を理解していてトレーニング方法を知っている人の目から見ると、センターはじつは名犬の宝庫なのだ。だが、残念ながらいまはこういった犬の多くが殺処分に回されている。

しつけマニュアルを見ると、犬をアルファにしないための注意点が書いてある。

・ひっぱりっこで遊ぶときは最後に必ず飼い主が勝って終わりにしましょう。
・部屋や玄関を出るときは、必ず飼い主が先に出ましょう。
・犬と一緒の布団で寝るのは止めましょう。
・犬を腹の上に乗せたり、自分の視線から上に抱き上げてはいけません。
・散歩の時は犬は飼い主の後ろを歩かせましょう。

そのほかにも犬の服従心を養うために犬をひっくり返せだとか餌を食べている皿に手を突っ込めだとかいろいろ書いてある。

管理人にいわせれば大笑いである。もしこれが犬がアルファにしないための原則ならば、うちの犬たちは全員アルファ犬になっている。

犬たちはいつも管理人の前を走っている。部屋を出るときも、玄関から出るときも、門から出るときも、管理人がマテをかけなければとうぜん先に出る。多頭飼いの場合、散歩で犬が後ろにいると拾い食いなどのチェックができないので、原則犬は人間の前を歩かせる。もちろん夜はベッドで川の字プラス点(姫ちゃん)で寝ているし、夜中に管理人の上を犬がしじゅう横断する。ひっぱりっこに(管理人が)飽きてきたら、おもちゃを先に離すのは管理人だ。姫は未だに管理人に腹を見せたことはないし、無理矢理姫をひっくり返して腹を出させたいとも思わない。

管理人の考えでは犬がアルファになるかどうかのポイントは、飼い主の「No」を聞くか聞かないかにかかっている。ふだんは自由にやりたいようにさせていても、いざ飼い主に「No」と言われたら、それに犬が従うか否かが重要だ。要は飼い主がいったん「No」と言ったことを最後まで貫き通せるかにかかっているのだ。いったん「No」といったことに関しては何が何でもやらせない。何に関してもいい加減な犬猫屋敷の管理人もこの点だけは徹底している。管理人の「No」は最後通告だ。もし管理人が「No」と言っても止めなければ、犬は身の縮むような恐ろしい目に遭うことになる。

犬に好き放題させることが犬の幸せだというのは勘違いだ。それは猫の飼い方であって犬の飼い方ではない。犬の場合はちゃんとしたアルファのいる家で2番手以降でいるのが幸せなのだ。アルファ犬は常に極度の緊張を強いられるため、とうぜんストレスも溜まり、結果的に犬の寿命を縮めることになる。何よりアルファ犬を作ってしまうと、飼い主の手に負えなくなって手放すことにもなりかねない。現在アルファになってしまっている犬だって、ちゃんとした飼い主の元に行けばおそらく9割はふつうの犬に戻るだろう。だが、要求吠えが激しくて、気に入らないことがあると人の手に噛みつくような犬を好んで引き取るお人好しは多くはない。最初の飼い主が犬をアルファにしてしまった時点で、犬に死刑宣告を下したのも同じことだ。

アルファ犬をふつうの犬に戻すには、飼い主自身が変わるしかない。自分の飼い犬に唸られ、手を傷だらけにしても一生手元に置いて飼う気がないのなら、自分の失敗を顧みて自らが犬に尊敬されるきちんとした飼い主になるしかない。むろん、うちはこれでいいのだと言い張るのは勝手だが、できればそういう人間はこれ以上不幸な犬を増やさないためにも、もう二度と犬を飼わないほうが賢明だろう。

アルファ症候群はけっして怖くない。医者になど行かなくても飼い主の努力しだいで簡単に治せる病だからだ。そして同時にアルファ犬を作るのも飼い主自身であることを忘れてはならない。
お誕生日 2005年11月14日
今年も残すところあと2ヶ月弱、本日ツチノコ兄弟が無事7歳の誕生日を迎えた。あのコロコロ子犬たちが、すでに老犬と思うと感無量の管理人だ。

ツチノコ兄弟が我が家にやってきたのは1999年2月のことだ。生後3ヶ月ですでに体重が7kgもあった。それでもいま思えば信じられない小ささだ。2頭を両脇に抱えることすらできたのだから(30kgになったいまとなっては重量挙げのオリンピック選手でもなければ無理だろう)。

たまたま会社を辞めて失業保険で暮らしている間に子犬育てをしてみよう、と里親募集掲示板をうろうろしているときにたまたま目に入ったのがゴールデンとバセットの MIXという文字だった。大型犬が好きなので、確実にある程度の大きさにはなるだろうし、第一ゴールデンとバセットをかけるとどんな犬ができるのか、好奇心に駆られて見に行ったのがDJとカイザーとの出会いだった。サークルの中にすし詰めになっているコロコロした短足子犬にすっかり心を奪われてしまった。

けっきょくゴールデンと黒のどちらか一方に決めることができず、1頭も2頭も手がかかるのは同じと一気に兄弟をもらってしまった。

いま思えば無謀なことをしたものだ。だが、あのときの決断はまちがっていなかったといまでも管理人は信じている。

やんちゃでハイパーなゴールデンMixの子犬たちは、とにかくあらゆる悪戯をやってくれた。朝起きるとサークルの中にウン○まみれの子犬がいる。トイレの躾が完了するまでは、糞尿処理に明け暮れた。何にでも興味を示し、寝ているとき以外は何かおもしろいものはないかといつも虎視眈々と狙っている。大型ケージを2つ置くのはスペース的に無理だったので、けっきょく管理人の部屋が犬たちのハウスになってしまった。壁紙ははがされ、家具の角はすべて丸くなり、ついうっかり下に置きっぱなしにしたものは、数分後にはすべて粉砕されていた。

やんちゃでどうしようもなくきかん坊の犬たちだったが、社会性だけは立派に身につけていた。子犬の育て方に詳しい家で生まれ、兄弟一緒にずっと大きくなっていったお陰で、ツチノコ兄弟は怖いものが極端に少ない、いつでも尻尾をブンブン振ってへらへら笑っている脳天気な明るい犬に育ってくれた。室内でも庭でも、いつもの散歩コースでもまったく知らない公園でも態度にほとんどブレがない、そんな当たり前のことがじつはほんとうにありがたいことなのだと気づいたのは、ごく最近のことだ。

散歩に出られない犬や他の犬ときちんと挨拶ができない犬の話を聞くたびに、管理人はほんとうに楽をさせてもらっていると思わずにはおれない。

同時に彼らは管理人にさまざまなことを教えてくれた。犬は犬らしく生きることが一番であること。群の仲間の大切さ。犬にも1頭1頭個性があって、躾ひとつにしても、マニュアル通りでは巧くいかないこと。同じ吠えるのでもそれぞれ意味があって吠えているということ。そんな当たり前だが意外にふつうの飼い主が気づかないいろいろなことを教えてくれた。

昨年は管理人のわがままで姫を我が家に迎え入れ、ツチノコ兄弟にはずいぶん苦労をかけたと思う。人間と同じで犬も年々気むずかしくなっていく。すでに中年だったツチノコ兄弟にとって、新しい犬、それもかわいげのない気の強い♀犬を群の中に迎え入れるのは簡単ではなかったはずだ。それでも彼らはきちんと新しい環境に順応してくれた。犬は犬同士できちんと群を作っていく。人間の浅知恵などは必要ないと教えてくれたのもツチノコ兄弟だ。

最近このコたちも歳をとったなと年中寝てばかりいる姿を見るとため息が出る。あと数年したらこのコたちを相次いで見送らなければならないと思うだけで涙が出る。そんな辛い思いをするのが判っていても管理人が犬との暮らしを望むのは、出会った犬たちが必ず管理人に何かを教えてくれるからだ。たくさんの楽しい思い出を残していってくれるからだ。

だから一緒に暮らしていけるあいだだけでも、1分1秒も無駄にせず、このコたちとできるかぎりの時間をともに過ごしたい。そして来年も、再来年も、そのあと何年間も、無事に誕生日を迎えられたことを祝ってやりたいと思っている。

我が家に来たばかりのころのコロコロ子犬のツチノコ兄弟の勇姿を、とくとご覧あれ!

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RPG 2005年11月11日
近ごろ管理人は忙しい。またもやちょこちょこ仕事を抱えてにっちもさっちもいかない状態になっている。自分が働かなければ収入がない。定年がなくて元気なかぎりは働き続けることができる代わり、仕事が来れば休みもなしで働かなければならないのが自営業の哀しさである。

こんなにくそ忙しいにも関わらず、こういうときに限ってゲームがやりたくなるのは小さいころからの悪い癖で、学生時代、試験の前に限って部屋の大掃除がしたくなったのと同じことだ。大好きなRPGでもやってモンスターを倒して防具や武器を買い集めたいのは山々だが、そんなことをしていたらぜったいに納期に間に合わなくなる。

というわけで、プレイして楽しめない代わりに、会社帰りの電車のなかでぼーっとしながら、こんなゲームがあったらいいな、というのを考えてみた。

ゲームのタイトルは「ボランティアゲーム〜Rescue The Dogs〜」。あなたの名前は犬塚信乃。大好きな犬を助けるために、同じ犬好き仲間の犬飼現八、犬山道節とともに、とある里親会にボランティアとして志願するところからゲームが始まる。3人は無類の愛犬家だ。だから世間には家を失った気の毒な犬がたくさんいると知って、一肌脱ごうと考えたのだ。

だが、里親会の手伝いを続けていくうちに、驚くような現実を知ることになる。シェルターとは名ばかりの悪環境に保護されている多くの犬たち。動物愛護運動家の仮面をかぶったタマズサの怨霊という名のコレクター。それに群がる大勢のボランティアという名の信者たち。

そこに集められている犬たちを救うために、3人のボランティアが立ちあがるというのが大まかな筋書きだ。

ゲームの内容としては古典的なRPGに、町を作って運営するシムズの要素を足したようなものだ。画面では常にシェルターの状況がゲージで表示される。保護されている犬の頭数と資金のバランスが崩れると、その時点でシェルター運営は崩壊しゲームオーバーとなる。3人の目的は、新しい飼い主を見つけてそこにいる犬たちをシェルターから出しながら、資金を集めてシェルターが崩壊することを防ぐところにある。だが、コレクター教祖さま(ラスボス)も負けてはいない。犬たちに新しい家が見つかると、それと同数かもっと多くの犬を拾ってきたり、センターから引き出してきたりする。シェルターにいる犬の数が増えてしまうと、よりたくさんの資金が必要になって、それを稼ぐために里親探しがおろそかになる。その結果、ますます頭数が増えてシェルター崩壊、ゲームオーバーへとつながっていくのだ。

主人公たちは基本的にモンスターと戦うことで里親候補を探していく。なぜモンスターかは聞かないで欲しい。それがRPG のお約束なのだ。モンスターと戦って勝つと、お金や武器などが手にはいるのがふつうのRPGなのだが、このゲームではモンスターを倒すごとに里親候補のアンケートが手に入る。強いモンスターを倒すと上等の里親候補が手に入る。逆に弱いモンスターは書類選考で落ちるような条件の家だ。

ゲージでシェルターのようすをチェックしながら、アンケートが溜まったら、それを持ってタマズサの怨霊の屋敷に向かう。だが、もちろんそんなに簡単にラスボスに会えるはずはない。3人の前に立ちはだかるのは

「わたしは去年からタマズサの怨霊さまをお手伝いしてますのよ!」

と言う先輩ボラオバサンたちだ。

ボラオバサン1は別名有閑マダム。子育てを終えて生き甲斐探しのためのボランティアにハマッている。別に何のボランティアでもよかったのだが、たまたま犬の里親探しをはじめてしまった。もちろん、犬のことなどなにも知らない。だから、金持ちに引き取られればどんな犬でも幸せになれると信じている。アンケートのチェック項目は、住所、間取り、職業だ。これらの条件が揃いさえすればどんどん犬を譲渡するので、決定率は恐ろしく高い。ただし、飼い主との相性などはお構いなしなので、毎回そうとう数が返却されてくる。

ボラオバサン2は別名プチコレクター。シェルターの手伝いをするついでに、せっせと自宅に犬を連れ帰るせいで、都心の個人宅になぜか両手の指でも余るほどの犬がゴロゴロしている。とうぜん餌をやって眺めるだけのグッピー飼いなので、しつけのされた犬など存在しない。タマズサの怨霊さまを人生の師と仰ぎ、いつかは自分もああなりたいと思っている。しつけのされていない犬でも広い心で受け止めてくれる、仏のような里親さんを探しているので、そこにいる犬がもらわれていくことはまずありえない。抱えている犬が手に余ると条件を下げても譲渡するのが特徴だ。

ボラオバサン3は通称まともな犬飼いだ。最低限の知識はあるし、勉強もしていて、なおかつ犬が好きなので、少数精鋭できちんとしつけをした犬を出していく。アフターケアーで里親さんの相談にも乗っているので扱える頭数には限りがある。だが、確実に1頭ずつにきちんとした家を見つけていくので、返却率は0である。

信乃と仲間たちはこの3オバサンと対決する。武器はもちろんアンケートだ。

信乃、金持ちのアンケートを有閑マダムに叩きつけた!

職業、病院経営、50坪の庭がある杉並区の持ち家!

有閑マダムは500のダメージを受けた!


ボラオバサンをそそるようなアンケートで攻撃すれば、相手に与えるダメージは高い。逆に、有閑マダムに「借家、失業中」などのアンケートを使うとダメージは限りなく0に近くなる。

対するボラオバサンの攻撃は、じつに多彩である。

プチコレクター、現八に対して涙ながらに「可哀想な犬たちのために、皆さんのお力をお借りしたい」攻撃に出た!

現八は石になってしまった!

有閑マダム、いきなりセンター殺処分の写真を取りだした!

道節は涙で目が曇ってなにも見えない!

道節がまともな犬飼いに攻撃!

まともな犬飼いは攻撃をかわした!


こうして3人のボラオバサンを倒すと、何ターンで敵を倒したかに応じて、毎回何頭かの犬に新しい飼い主が決まる。

主人公がやらなくてはならないのは、ボラオバサンとの対決だけではない。資金稼ぎのためのフリマや募金活動に精を出すかたわら、自分の食い扶持を稼ぐために仕事もしなくてはならない。本業が滞ると、ボランティアどころではなくなるので、やはりここでゲームオーバーとなる。資金稼ぎが滞ると、これまた資金難でゲームオーバーだ。

その上、里親募集の掲示板への書き込みやサイトのメンテの仕事もある。きちんとメンテをしておかないと、アンケートを持ったモンスターとの遭遇率が下がってしまう。一般ボランティアは大忙しだ。

ちなみにボラオバサンは一度倒してもいなくなるわけではなく、次から次へと湧いて出るように登場し、毎回少しずつ強くなっていく。1億分の1の確率で最終ステージに進んでラスボス、タマズサの怨霊と直接対決できる場合もあるのだが、ほとんどの場合は永遠に資金稼ぎと仕事と里親探しの活動をただひたすら永遠に続けていくことになる。

そこが、このゲームの一番の売りだ。

いつまでやっても終わることのないエンドレスなゲーム。暇な人なら永遠に続けていくこともできる。


終わりを決めるのはプレイヤー自身だ。


誰か管理人の代わりにこんなゲームをプログラミングしてくれないだろうか?

追伸:管理人はさっきから「新八犬伝」のテーマ曲の歌い出しが思い出せなくてとてもとても気持ちが悪い。
分離不安 2005年11月10日
「うちの○○ちゃんは、分離不安なの」

よくこんなことを言う飼い主の話を聞くようになった。子犬を飼いはじめたところ、飼い主の姿が見えないとフンフン鳴く。お留守番をさせようとすると吠えたり、帰ると家が荒らされていたりする。スーパーで買い物をしているとき店の前につないでおくと吠えて大騒ぎをする。家の中では飼い主が移動するたびに後ろをとことこついて回る。

どれも、管理人に言わせれば犬としてごく当たり前の行動だ。犬はもともと群で生きる動物だから孤独を極端に嫌う。だから群の仲間である飼い主に置いて行かれまいとするのはとうぜんの行為なのだ。

分離不安というのは、どんな犬でも持って生まれた持病のようなものだ。

うちの犬は分離不安だと騒いでいる飼い主のうち、少しずつ慣らしていくという行程をきちんと踏んでいる人は何割いるのだろうか? もともと、程度の差こそあれ人と離れることに不安を感じる犬にきちんと留守番をさせるには、それなりのトレーニングが必要だ。最初は3分、次は5分と徐々に慣らしていって、飼い主の姿が見えなくなってもきっとすぐに帰ってきてくれると犬が信用するまでそれを続ける他に方法はない。それをいきなり犬だけ置いて半日も飼い主が出かけてしまえば、とうぜん犬は不安になる。不安になるから置いて行かれまいと騒いで飼い主を困らせるのだ。

犬の問題行動の原因は99%飼い主だ。分離不安についてもこの法則は変わらない。

だが、世の中にはほんとうに「分離不安」という病を抱えた犬もいる。たとえば先日泊まりに来たChoco.は飼い主の姿が見えなくなるとほんとうにパニック状態になる。これは1年前の姫と一緒だ。犬にもちゃんと記憶がある。飼い主に捨てられて不安になった記憶が犬の中によみがえってくるのだ。

姫も我が家に来た当初はそうだった。管理人の姿が見えなくなるとパニックを起こして吠えながら部屋中を駆け回っていた。里親会などの会場に連れて行くと、その晩ストレス性の発作を起こし、最初のころは出かけるのもいろいろ気を遣ったものだ。

だが、いつの間にか姫は管理人の姿が見えなくともパニックを起こすことはなくなった。いまは車でのお出かけも大好きだ。ぜったいにこの飼い主は裏切らない、そう姫が信じてくれた時点で姫の「分離不安」は治ったのだ。

ツチノコ兄弟のように生まれたときからこの家で暮らしている犬たちは、飼い主に捨てられるなどとは想像したこともないのだろう。だが、Choco.や姫のように一度飼い主を失った記憶のある犬にとっては、その記憶を忘れさせるために時間がかかる。飼い主と犬との信頼関係がきちんとできるまでは、問題行動が止まないこともある。それでも飼い主が諦めずにきちんと対処していけば、どんな問題行動もいつかは止めさせることができる。

Choco.を迎えに来た女系猫猫犬家族さんとお茶を飲みながら話しているとき、「犬猫屋敷の犬たちは他家に泊まりに行ったことがない」という話になった。基本的に管理人は家にいるのが好きな出不精だし、貧乏人なので旅行にも行けない。何より犬と一緒にウダウダしているのが何よりのストレス解消になる。だからうちの犬たちも、もしかするとどこかに泊まりにいったら立派な分離不安の発作を起こすかもしれないと話したら、

「分離不安は管理人さんのほうなんじゃないの? だってさっきから見ていると常に犬を触っているもの」

と言われてしまった。

そういえば、たしかに管理人は暇さえあれば犬をいじくり回している。管理人がソファや床に座っていると、3頭が入れ替わり立ち替わり撫でてくれと寄ってくるので常に手元に犬がいる。たしかに犬を触っていないと落ち着かない気持ちになるし、できればどんなときでも犬を連れて歩きたい。

分離不安の犬の陰に分離不安の飼い主あり。

面倒くさい人間関係をさっさと断ち切って、犬だけ連れて無人島に移住したいと真剣に考えている管理人である。  
食欲の秋 2005年11月9日
過ごしやすい季節になると食が進むのは人も犬も同じである。

夏バテなどどこ吹く風で毎年夏場になるとしっかり太る(暑さのあまり散歩をさぼりがちになるせいだ)犬猫屋敷の犬たちもその辺は例外ではない。朝食と夕食のあいだの時間が長くなったわけでもないのに、近ごろ犬たちは夕食が待ちきれないらしい。

とくに1年365日食欲のない日など存在しないあの方にとって、散歩のあとの夕食は何よりの楽しみである。

「あたしのご飯、もうできたかしらん?!」

数ヶ月前、ついに念願だった姫のダイニングルームの撤去に成功した。最近は姫もツチノコ兄弟と一緒におとなしくオープンスペースで食餌をとっている。むろん、最初は自分の分を食べ終わると即座に他犬の皿に顔を突っ込むという暴挙に及んでいたが、何度も「それはいけないことだ」と言い聞かせた結果、いまは餌を横取りするような真似は一切しなくなった。だが、なぜか姫とツチノコ兄弟は向かい合わせで食餌をする。

せっかく一緒に食べるのだから、並んで食べればいいものを。

近ごろは食欲が旺盛なせいか、どうやら姫は自分だけ餌の量が少ないと思いこんでいるようだ。

「だって、いつもあたしだけ先に食べ終わるのよ! きっとあのデブ兄弟のほうがたくさんもらっているに決まっている!」

それはアンタが噛まずに吸い込んでいるせいだ。

姫の食餌は皿を床に置いてから30秒で終了する。むろん、食餌を前にしての「待て」などはとうていできないので(1年かけてようやく皿が床についてから食べるということを覚えたのだ)ツチノコ兄弟が食べ始めるころには、すでに皿が半分からになっている。

ツチノコ兄弟が半分ほど食べ終わったころ、姫はほぼ完食

管理人はちゃんと3頭に同じ量を与えているのだ。

身体が小さい姫はほんらい少なめでいいはずなのに、それをわざわざ同量やっているにも関わらず、姫は一番に食べ終えて物欲しそうな顔でツチノコ兄弟の食べるようすを眺めている。

頼むから、物足りなそうに空の皿を嘗め続けるのは止めてくれ。ついでに言えば全員の食餌が終わったあと、食べ残しがないか、すべての皿を点検するのも遠慮して欲しい。

姫のお陰で皿を洗う必要がないほどだ。


「いただきます」から1分30秒で犬猫屋敷のディナータイムは終了する。

たまにはゆっくり歓談などしながら優雅に食餌を楽しんでもらいたいものである。  
人気者 2005年11月8日
相変わらず犬たちの寵愛を受けようとレバー配りにいそしむ管理人である(汗)

Choco.の滞在中はじつに忙しかった。3頭でも大変なのに、そのうえ下の方にもう1頭ちょろちょろする奴にも芸をさせて公平に恩恵を分け与えるために、せっせとレバーを配る姿は、まるで渋谷駅前のティッシュ配りさながらであった。

それでもしつこくレバーを配った甲斐あって、管理人の人気は鰻登りである。 先日忙しさでレバーの仕入れが滞り、代わりのちくわですっかり人気を落とした管理人だが、週末に2kgのレバーを買い込んで調理したお陰で、あの姫までが管理人を見上げて歩く模範犬になっている。だが問題はこのあとだ。いまの人気はレバーが支えているもので、管理人自身の飼い主としての魅力が増加したわけではない。管理人の顔を見るだけでレバーの味を思いだして涎がじわっと出るくらいまで精進を続けないかぎり、一生レバーを持って歩かねばならないのは明らかだ。

「手っ取り早く、おでこに両面テープでレバーを貼り付けてみたら?」

口の悪い友人のアドバイスを無視しながら、管理人は日々研究に余念がない。かつて、ツチノコ兄弟をしつけた際の最大の失敗は、行動が定着する前にご褒美をやるのを止めてしまったことだというのは先日の日記にも書いたが、さまざまなサイトを徘徊し、また経験者から聞いた話を総合すると、もう一つ管理人は致命的な失敗を犯していた。

「ベイトは、やるタイミングが命」

管理人はいかんせんベイトを出すタイミングが遅すぎる。ふつう、犬が良い行いをして褒めたあとにすぐにベイトをやれば、犬はその行動の報酬として良いことがあったと簡単に理解する。だが、管理人の場合、きちんとコマンドに従ったのを見て褒めてやりながらポケットからごそごそとベイトを出す。管理人の額にレバーが一杯に貼り付けてあれば別だが、そのあいだに犬の集中力が一瞬とぎれる。結果的にせっかく褒められて嬉しそうに上を向いていた犬は、こちらがおやつを手探りで探しているあいだに再び下を向いてしまう。ようやくおやつを取り出した気配で犬はもう一度上を向くのだが、そのとき与えたベイトは単なる頂き物であって良い行いの報酬ではなくなってしまう。

これではレバーを食い逃げされているのも同じである。

管理人がせっせと犬たちにレバーを配るのは、もちろん下心があるからだ。いまはレバーをくれるただの良い人であってもいい、だが将来的にはレバーがなくとも管理人を同じ笑顔で見つめて欲しいのだ。むろん、我が家の犬たちは世界中の人間のなかで管理人が一番好きだ。だが目の前を駆け抜けていく猫や、遊び相手になりそうな犬のほうが管理人よりもっともっと好きなのだ。

管理人は猫よりも魅力的な飼い主になりたい!!

そこで、管理人はさっそくベイトを入れるポーチを買いに走ることにした。管理人は昔から、何でもまずかっこから入る主義である。技術のなさは道具でカバー。まるでパターを買いあさるオヤジと同じだ。

おやつを取りだしやすいポーチさえあれば、少なくともいまよりは速い速度でベイト配りができるはずだ。だがわざわざ足を運んだアウトドア用品の店にあったポーチは、いかんせん値段が高すぎた。たかが防水の巾着袋に2000円近くを費やすのは、貧乏人にとっては手痛い出費だ。そのとき、セールになっているウエストポーチがたまたま同じくらいの値段で出ているのを発見した。ウェストポーチならポケットもついているし、ウン○処理グッズも入れられて二度便利である。それに世間を見渡してみると、きちっとしつけを入れている優良飼い主さんはお約束のようにウエストポーチをつけている。このウエストポーチさえあれば管理人も今日から優良飼い主の仲間入りだ。

新しいウェストポーチはたしかに大活躍をしている。複数あるポケットにグレードのちがうベイトを入れて持ち歩けるのが何より便利だ。レバーを出すタイミングが速くなったせいか、犬たちの反応も芳しい。何より、あの姫が常に管理人を見上げて歩いていることが多くなったのが何よりも嬉しいことだ。

「やっぱりこのウエストポーチは正解ね。犬たちの聞き分けが格段によくなったわ」

すっかりご機嫌。の管理人に対して、いつも冷静な妹がひと言。

「いまのうちに言っておいたほうが良いと思うから言うけど……犬たちが見上げているのは、あんたの顔じゃなくてウェストポーチなんだけど……」

………………

そんな馬鹿なことがあるわけはない。姫が嬉しそうに見上げているのは管理人の顔だ! 

そこで、試しにウエストポーチの位置を右から左に変えてみた。すると、いままで右側でしかヒールできなかったはずの姫が、管理人の左側にぴたっとついてニコニコこちらを見上げている!

………………姫ちゃん、管理人じゃなくてポーチにヒールしてたのね、

レバーのみならずウエストポーチにも負けている情けない管理人である (汗) 
遊ぶ犬 2005年11月7日
管理人は犬同士が転げ回って遊ぶ姿を見るのが大好きだ。

2頭いっぺんに引き取ったツチノコ兄弟の場合は、いつも兄弟で遊んでいた。姫も犬との遊びが大好きなコだが、いかんせんツチノコ兄弟とは相性が悪くて遊びという遊びの相手にはしてもらえない。

姫にお友だちを作ってやろうとせっせと散歩の途中で愛想を振りまいている管理人だが、今回遊びに来たChoco.はいわば管理人にとっては「飛んで火に入る夏の虫」である。

ぜひぜひ姫のお友だちになってやってくださいマシ。

同性同士は相性が悪いと最悪だ。そのうえ姫とChoco.ではあまりにもサイズがちがいすぎる。にもかかわらず姫は最初からChoco.をお友だち候補に決めたらしい。1日目はさんざん庭でおっかけっこをしていたが、この時点ではChoco.の尻尾は下がりっぱなしだった。集合住宅が多い地域に住むChoco.にとって大型犬ばかりの犬猫屋敷はまるでガリバー王国である。

だが1日一緒に過ごしたお陰で、帰る頃にはすっかり大型犬に慣れていた。姫とChoco.はいまや大親友である。

ドッグランなどで犬同士を遊ばせる飼い主は多いが、たいていは同じサイズのコ同士で遊ぶことになる。小型犬と大型犬が遊ぶなどというのは考えもしない人も多いが、じつはサイズには関係なく犬はちゃんと互いと遊ぶことができるのだ。姫の場合はおそらくかつて出産経験があるので、子犬と遊んでいる気分だったのだろうが、巧い具合に相手をじゃらしながら小さな犬に怪我をさせることなくきちんと遊ぶ。

一人っ子が多くなると子ども同士の遊びができない子が増えるのと同じように犬同士が遊ぶところを見たことがない飼い主というのもけっこういるのかもしれない。中には「うちの犬は犬が嫌いで遊ばない」と真剣に信じている人すらいる(←うちは先代犬のとき真剣にそう思っていた)。

だがほんらいは、犬同士で遊べない犬など存在しない。犬が最初に遊ぶ相手は親犬でありきょうだい犬だ。だからどんな犬だって犬の仲間と遊ぶのは好きなのだ。最初はおそるおそる手加減しながら、やがて信頼関係ができてくると少しぐらい激しく遊んでも大丈夫だ。噛む振りをしても、決して相手を傷つけない。マウンティングしても腹を見せても、興奮して牙をむきだしても吠え声を上げても、それは単に遊びの一環であって、躾本に書いてあるような意義や意味など関係なく、犬同士の一定のルールに従って彼らは目を輝かせて遊びを楽しむ。

管理人が犬同士遊ぶ姿を見るのが好きなのは、遊んでいるとき、犬がほんらいの姿に戻るからかもしれない。そしてレバーを振り回さなくても姫の関心を引きつけているChoco.にジェラシーを感じる、

色違いサイズちがいの2頭が転げ回って遊ぶさまをぜひご覧ください!

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居候 2005年11月6日
犬猫屋敷に一泊二日で居候犬がやってきた。

女系猫猫犬家族の末娘、常夏娘のChoco.である。

Choco.(発音記号:チョコドット)はビーグルとミニピンのMix犬である。最初の飼い主に虐待され、見るに見かねて近所の人が保護したのだが、けっきょくそこでも飼い続けることができず、何軒かをたらい回しにされて最後に女系猫猫犬家族宅に落ち着いた。Choco.が新しい飼い主候補宅を転々とした理由は、無駄吠えと悪戯だったという。たしかに脳天に錐をつきさすような超音波要求吠えは、集合住宅では苦情の原因になるだろう。だが高音で絶叫し続けるのは最初だけで、数時間無視し続ければやがて犬のほうが根負けしておとなしくなる。

Choco.の場合も飼い主さんが帰って30分と散歩から帰ってから1時間ほど絶叫し続けていた。ほんとうなら叫んでいるあいだはケージから出してはいけないのだが、今回は短期滞在ということもあって一瞬黙った隙に良く褒めてやって、試しに部屋を閉め切ってそこで自由にさせてみた。そうしてみると、驚くことにぴたりと鳴きやんでご機嫌で部屋でひとり遊びに興じている。

Choco.は姫と同じだ。群のみんなと一緒にいるのが大好きで、1頭になることを極度にいやがる。

若干9ヶ月の子犬ながらすでに「褒められる」ことの喜びをきちんとわかっているし、注意をすればこれまたきちんと反応する。話に聞いていたよりずっと飼いやすそうなよい子だし、以前飼いきれないとChoco.を返してきたという飼い主は完全にやり方をまちがっていたのだなと思わずにはおれない。

女系猫猫犬家族さんが当初Choco.を部屋でつないで飼っていることに「可哀想だ」と反論する人が多くいた。だが結果的に現在はChoco.もすっかり完全フリー生活を楽しんでいる。すでに女系猫猫犬家族宅の一員として楽しく暮らしている。Choco.が行動を制約されていたのは、ほんの数ヶ月のことだけだ。その間にきちんとその場で暮らしていくためのノウハウを学んだ上で晴れてフリーの生活を謳歌している。数ヶ月の我慢で、今後10年以上楽しい犬との生活が送れるのだから最初のしつけは肝心だ。

Choco.がお泊まりに来て一番喜んでいるのは、おそらく姫だろう。常時お友だち募集中の姫はChoco.がさっそくお腹を見せて降参したとたん、こいつはわたしの子分と決めたらしい。双方ともビーグルの血を引く2匹の犬はどことなく似通っていて一緒にいる姿はけっこう笑える。まるで暑い夏の日に海水浴に行った母娘のようだ。

母はよしずの下で完全防備で座っていたのでまったく陽には焼けていない。それに比べて娘のほうは……ちょっと焼きすぎなんじゃない?と言いたくなる。

いまも大小2匹で追いつ追われつのおっかけっこで大盛り上がりだ。  
溺愛パート5 2005年11月3日
管理人は典型的な飼い主馬鹿である。

うちの犬は世界一可愛い。誰が何と言おうとこの世にこんな可愛い犬たちはいない(←断言)シ遙ハ・ー。シ。ヒこのサイトを運営する一番の目的は、この可愛い犬たちの姿を広く世間に知らしめるためなのだが(←そうだったんだ?!)そういえば姫、カイザーと動画を公開して肝心の我が家のアイドルDJの動画をまだアップしていないことに気がついた。

もちろん、DJのプロモーションビデオはずっと前から作ってある。あれこれ手を加え編集を繰りかえしてそろそろ完成品として公開しても良い潮時だと考えた。まあそんなに手を入れなくても、ディーくんは世界一可愛いからそのまんまでもいいんだけどねぇ〜。(←まちがいなく飼い主馬鹿です)

とりあえずの祭日ご家族皆さんで犬猫屋敷のアイドルDJの魅力を存分にご堪能ください!

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ベイト 2005年11月1日
「犬のしつけにはベイト(ご褒美)を用いるのが手っ取り早い」

どんなしつけ本を読んでもそんなことが書いてある。ベイトを餌と定義している場合もあるが、ベイトになるのは食べ物だけとは限らない。たとえばボール遊びが大好きなコにはボールを投げてやることがベイトになるし、ひっぱりっこが好きならば、引っぱり綱をだすのが最大のご褒美だ。餌を使うのは、多くの犬に効き目があるからだ。食い気だけで生きている我が家のぴんからトリオの場合、とうぜんベイトは食べ物だ。

「ベイトにはふだんめったに食べられないようなごちそうを用意するといい」

最初にそういわれたとき、管理人は正直はたと考えこんだ。たしかにごちそうを用意すれば犬は思いのままに動くだろう。ただ、美味しいものをやり続けていたら、ベイトがないと動かない犬になるのではないか?

じっさい食い気命のカイザーは、ベイトがないとまったくやる気がない奴だ。牛レバーを使ったところ子犬のときに入れたしつけがきちんと記憶に残っていることは見事に証明されたのだが(奴はレバーを振ったとたん、嫌になるほど見事に「ツケ」「マテ」「オスワリ」「フセ」「コイ」のすべてを完璧にこなしやがった)問題はベイトがないときには人のいうことなど聞く耳を持たないあの態度である。ベイトがあるから言いつけに従う。なければ管理人のいうことなど無視してもかまわない。それではしつけが入っているとは言えないし、この上極上のごちそうをベイトに使った場合、どんどん要求がエスカレートしていきはしないだろうか? これが管理人の悩みであった。

いくら完璧にしつけの入った犬が欲しくても、毎日フォアグラやキャビアを犬に振る舞えるほどの財力はない。

ところがいろいろ調べてみたところ、カイザーがベイトがないと動かなくなってしまった原因は管理人のミスであることが判った。ベイトを使って犬をしつけるポイントは、動作が嬉しい記憶と結びつき、条件反射になるまでベイトを使い続けるところにある。それにかかる時間は少なくとも1ヶ月。ところが管理人は、1週間ほどベイトを使ったあと徐々にご褒美を出す回数を減らしてしまっていた。お陰でうちの犬たちは、人がベイトを持っているかどうかを確認してからコマンドに従う可愛くない犬になってしまったのである。

だが、ベイトに惹かれて動いている犬が、果たして最終的にはベイトなしでも動くようになるものだろうか? 管理人はまたもやはたと考えこんだ。何度も繰りかえしベイトを与えることで嬉しい記憶は頭に刻みつけられるだろう。だが、それがなくなったとしたら? じっさいうちの3頭は以前はビーフジャーキーで嬉しそうにしていたのに、いまでは牛レバーではないとわかると、他のものに気をとられることがある。つまりご褒美のグレードで態度を微妙に変えているのだ。ましてやベイトがなくなったら、ほんとうに犬は動くのだろうか?

いろいろ考えた末、おそらく動くと判断した。だがそのためにはまず最初に極上のごちそうを与えることが必要だ。なぜなら、誰だって「この機会を逃したら食べられない」ものを目の前にちらつかされたら、そこに意識が集中するのは当たり前だからだ。

管理人だって美味しいものを食べさせてくれる人は大好きだ。このチャンスを逃したら二度と食べられないと思えば嬉々としてその人のあとについていく。

たとえば仮に、ここに管理人に好きの2人の男性がいたとしよう。管理人から見ると、2人ともとくに好みではないが嫌いでもない、まあ手っ取り早くいえば「どーでもいい」タイプの人間だ。そこである日、2人から同時にデートに誘われたとする。管理人が無類の肉好きと知って貧乏人堅実なAくんは「フォルクスでステーキをおごるよ! サラダバーもつけるから」と言ってきた。それに対して、Bくんは「六本木に旨いステーキハウスがあるんだけど、神戸牛は好き?」と訊いてきた。

言うまでもなく管理人はBくんにのこのこついて行く。

次にAくんから焼き肉に誘われた。「安楽亭で食べ放題!」食べ放題には惹かれるが、なんと同じ日にBくんからは「叙々苑にでも行きませんか?」と誘われている。むろん、せっかくの叙々苑でも量の制限があるのでは心は揺れる。だが

「ねえ、デザートにカルビクッパも食べていい?」フワ

と尋ねる管理人にBくんは快く答えた。

「前菜に牛タン(特上)5人前も食べて良いよ」

じつに太っ腹なBくんである。

翌週のお誘いは寿司である。Aくんの連れて行きたいという店はたしかに評判の店ではあるが、いかんせん、目の前を寿司が流れていく。それに比べてBくんのお奨めの店は銀座の高級寿司店だ。Aくんには申し訳ないが、やはりこの機会を逃したら……という気持ちが働くのはいたしかたない。

そんなこんなでけっきょく管理人は美味しいものに釣られてBくんとすっかり仲良しこよしになっていく。キーワードは

「いまを逃したら食べられない」

である。他に予定がかちあったとしても、管理人は旨いものを口にする機会は逃さないだろう。そして最初はどっちでもいいと思っていた2人に対して少しずつ差が生まれてくる。何しろ食事に釣られたとはいえ、Bくんとは必然的に何度も会う機会ができるわけだ。一緒にいれば良いところも見えてくる(むろん、致命的な欠陥を発見する可能性もないわけではないが)それに比べてAくんの場合は自分をアピールするチャンスすら逃していることになる。

だが、億万長者でもないかぎり人一倍食べる管理人を引き連れて高級レストランを巡るのにも限界があるだろう。やがて数ヶ月も経つと、10回に1回、5回に1回と「ふつーの店」に行くことが増えてくる。だがこのころには管理人の頭にBくんが「美味しいもの食べさせてくれる良い人」としてすっかりすり込まれている。だからたとえラーメン屋にファミレスが続いたとしても「いまはちょっと持ち合わせがないのね」と好意的に解釈する。だがしかし、ラーメン、ファミレス、マック、コンビニ弁当と続いたとしたら……オイちょっと待てよと思うだろう。次の誘いは行く店を決めてから乗ることにしよう、てなことを考えているときに

「久しぶりにイタリアンでも食べたくない? 飯倉のキャンティにでも行こうか」

なんて言われた日には、きっとものすごく嬉しくなってワクワクしてしまうのだ。フォアグラも霜降り牛も毎日だとありがたみがなくなる。だが、たまぁ〜に食べるとその味は格別だ。

そして管理人はワクワクしながら思うのだ。

「こんどはいつ美味しいものを食べさせてくれるのだろうか?」

犬だって同じだ。自腹で食べに行けるような店ならば管理人がわざわざAくんについて行かないと同じように、犬にとって、いつでも食べられるジャーキーよりも目の前を駆け抜けていく猫のほうが魅力的なのはとうぜんだ。だがそこに出てきたのがめったにいただけない大好物の牛レバーだったとしたら? これを逃したら二度と食べられないと思ったら? 飼い主の顔を見上げたとき、もしかしたら凄いごちそうが出てくるかもしれないと思ったら?

犬はわくわくしながら飼い主を見上げるようになるだろう。

次は何? 美味しいものがもらえるの? こんどは楽しいことが起こる?

そうなったらベイトがなくとも犬は動く。飼い主と一緒にいるだけでワクワク楽しい気持ちが味わえるのだから。

犬を飽きさせずにワクワクさせることができるのが、ほんとうに良い犬飼いの王道なのだ。だがそのためには頭を使わなくてはならないし、犬を褒める技とタイミングを習得しなくてはならないだろう。

いまだに王道の端にたどり着けない管理人は、本日牛レバーを切らして代用品のちくわを振り回したせいで、犬たちにすっかり人気がなくなっている、。 


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