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犬猫屋敷の管理人日記

2006/1/1〜31

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お品書き(1月)
1月1日 謹賀新年 1月18日 2チャンネル〜後編〜
1月3日 新年の誓い?! 1月19日 怖いもの
1月4日 お勉強しましょ!〜その3〜褒めてしつける方法の限界 1月20日 進化
1月5日 ゲーム作りの裏話 1月21日 ダメ飼い主の言い訳
1月6日 管理人が思うこと〜前編〜 1月22日 雪あそび
1月7日 管理人が思うこと〜後編〜 1月23日 お勉強しましょ!〜その6〜褒美に何を使うか?
1月8日 ディーくん代官山でびゅ〜?! 1月24日 犬貧乏
1月9日 メッセージ 1月25日 善意のつけ
1月10日 お勉強しましょ!〜その4〜ご褒美と褒めるの関係 1月26日 科学
1月11日 コング 1月27日 心機一転
1月12日 コングレシピ 1月28日 抱っこ
1月13日 迷い犬 1月29日 大勘違い
1月14日 フレキシブルリード 1月30日 ご連絡
1月15日 遊ぶ?    
1月16日 お勉強しましょ!〜その5〜褒美と賄賂のちがい    
1月17日 2チャンネル〜前編〜    
ご連絡 2006年1月30日
ちょっと旅にでます。

探さないでください……
 
大勘違い 2006年1月29日
昨日の日記で、管理人は

犬にはちゃんと意志がある

と書いた。また、犬は

やりたいこととやりたくないことのちがいをちゃんと判っていて、犬がやりたくないことを無理矢理させていれば、それをしなくて良い状況になったとき、犬はそれから逃れる道を選ぶ

とも書いた。管理人の考えでは、犬の意志を尊重することは良い犬飼いなるためには大切なことなのだが、かといって犬に好き放題させるのが良いことかというと、それもちがうと考えている。

良い犬飼いになる条件は犬の意志を尊重し、犬が嫌がることを好きなことに変えてやることができる飼い主であると、管理人は考えている。そして、管理人がそのために用いている方法が、かねてから提唱している褒めてしつけるトレーニング方法なのである。

ちなみに、我が家には「犬の意志を尊重する」ことと「犬に好き勝手させる」ことのちがいが判っていない(判ろうとしない?)典型的なダメ飼い主が2人いる。彼らは犬猫屋敷の群のなかでは、最下位に属している。だから、むろん犬たちは彼らのいうことは一切聞かない。庭や公園で犬たちがフリーのとき、彼らが「Come!」と叫ぶと、犬たちは嬉しそうにその前を無視して駆けぬけていく。玄関を開ける前に「Wait!」と叫んでも、犬たちはドアが開いたとたんに先を争って出て行ってしまう。席を立てば、そのすきに場所をとられ、いくら「どいて!」といっても犬は顔も上げないし、おやつを振る舞おうと冷蔵庫から煮干しを出すたびに、いきなり飛びかかられておやつを強奪されている。

管理人はそんなようすを見るたびに、空しくないのかな? と思うのだ。明らかに犬たち無視されているにもかかわらず、声の限りにコマンドを叫ぶ姿には涙すらそそられる。

だが、彼らにとって犬を飼うということはずっと以前からそういうものだった。「うちの犬は雑種で馬鹿だからしつけはできない」ずっとそう思って60年以上生きてきたのだ。だからツチノコ兄弟を飼いはじめて、犬が管理人と妹のコマンドに従って動いている姿を見たとき、おそらく愕然としたにちがいない。なにしろ「馬鹿でしつけが入らない」はずだった同じ犬たちが、娘たちのいうことだけはちゃんと聞いているのを目の当たりにしてしまったのだから。

これは半世紀以上ダメ飼い主を続けていた2人にとっては天地がひっくり返るようなできごとだったにちがいない。

ジィジとバァバは犬を擬人化するのが大好きだ。だから当初、管理人が留守にするとき、姫をケージに入れているのをみて「檻に入れるなんて可哀想だ」と大騒ぎしていた。犬に褒美をやって横について歩かせるのも邪道だと思っている。ふたりの考えでは、餌に釣られて犬が横を歩くのでは、褒美がなくなったら意味がないと思っているからだ。ああ見えてじつは病弱な姫に何重にも服を着せているのを見て「ディーやカイには服を着せてやらないのは差別だ」と騒いでいるのは、きっと犬たちが彼らにとっていわば孫がわりで、すべての孫は公平に扱ってやらなくてはならないという平等の精神が根づいているせいだろう。どんなときでも3頭は同じ。そう思っているから、コマンドに従ったかどうかは二の次で、褒美の餌も1頭にやったら全員に配らなくてはならないと信じ込んでいる。

ジィジとバァバは典型的な古い日本人なので「褒める」ということに抵抗がある。だから犬を褒めることはほとんどないが、叱ることについてはじつに積極的だ。彼らは犬を見るたびに「No!」と声を張り上げている。ついでにいうと気分しだいでいうことがコロコロ変わるので、何について「No!」というかはその日によってさまざまだ。

それでも彼らは自分たちのことを「犬が好きな、心優しい愛犬家」だと思いこんでいる。厳密に言うと犬猫屋敷の犬たちの飼い主は管理人で、彼らは単なる同居人にすぎないのだが、それでも客が来ると「うちの犬たち」を連発して悦に入っているのは微笑ましい光景だ。

最近2人が、もしかすると自分たちは犬に馬鹿にされているかもしれないと思い始めたのは、おそらく犬たちがチビ姐さんの前ではいわれなくともフセのポーズをとるのに気がついたせいだろう。

「なんで、ディーやカイはチビの前でフセをする?」

「フセは犬にとって服従のポーズだから。相手が自分より上の順位にいると思えばいわれなくてもフセをすんの」

「パパの前ではフセなんかしたことがない……」

どうやらNHKでやっている犬の飼い方講座などもせっせと視聴しているらしい。ちなみにあの世代の人間はTVで言っていたことはすべて正しいと信じ込む傾向がある。だから、そこで言われたことが、これまで管理人が口を酸っぱくして言い続けてきたこととまったく同じだったとしても、まるで初めて聞いたかのような顔で熱心にメモなどをとっている。

「犬を飼うときに、アイコンタクトっていうのが一番大事らしいな」

べつに犬と目があったからといって「アイコンタクトがとれている」というわけではないのだが、それはたぶんこの先だんだんと覚えていけばいいだろう。少なくともこれまでの大勘違いに気づきはじめただけでも由としよう。何しろ犬とちがって人間の躾なおしには驚くほど時間がかかるものだから。

犬も人間も「自分の意志」で何かをはじめたとき、初めて成長するものだ。  
抱っこ 2006年1月28日
管理人は横丁の頑固なご隠居なみに犬の飼い方には変なこだわりを持っている。そのひとつが

犬たるもの、自らの四つ脚でしっかり立って歩きまわるべきである

ということだ。管理人は、もともとお座敷犬としてブリーディングされたごくごく一部の犬種を除いては、犬を抱っこして歩いている飼い主を見るたびに「なんだかなぁ〜」と思うのだ。

管理人の偏見に満ちた思いこみによると「抱っこすべきは猫であって、犬はどんな小型犬であっても常に地面を自分の足でパタパタ歩いているもの」なのである。だから、愛犬家として有名な女優であっても、ダックスフンドを抱っこして画面に出てくれば「おまえなんか愛犬家じゃねえ!」とののしりたくなるし、ましてやいま流行のジャックラッセル・テリアを抱っこして歩いている飼い主などとすれ違った日にゃぁ、うしろからハリセンでぶっ叩いてやりたい気分になる。

ダックスフンドもジャックラッセルも、決して抱っこして飼うべき犬種ではない。彼らは猟犬の末裔であり、ほんらい地面のうえを思いっきり駆け回るべき犬種なのだ。身体がいくら小さくてもじゅうぶんな体力があるし、たかが人間と散歩するくらいで歩けなくなるような柔な犬種ではないはずだ。

にもかかわらず、多くの人が「小さいから」という理由だけで、こういう犬までを抱っこ犬にしてしまう。古くさい頑固な犬飼いにとっては、血圧が上がる由々しき事態なのだ。

管理人の周りを見渡してみると、たとえ小型犬であっても、きちんと犬を飼えているまじめな犬飼いは自分の犬を抱っこしたりはしない。たとえば華ママさんのところのダックス軍団は、いつも人の足下をちょろちょろ駆け回っているし、ちはりんさんが4パピを抱っこしているところなど見たことがない。そして彼女たちが飼っている犬の共通点は、きちんと呼び返しができるというところだ。

管理人は、それにはちゃんとした理由があると思っている。パピーから飼うとき、うちに来た当初は、どんな犬であっても抱き上げることができる大きさだ。ツチノコ兄弟のような大型犬であっても、最初は7kgくらいしかなかった。もちろん、その時点でもすでに軽いとはいえなかったが、それでも抱こうと思えば抱き上げられない大きさではなかった。にもかかわらず、管理人は極力犬たちを抱き上げることをせず、むろん、家のなかであるわけだからリードにつなぐこともなく、1日目から声のサインとベイトになるおもちゃやおやつだけで犬を右から左へと望む方向に動かしていた。

子犬にこれをやるのはじつはとても簡単だ。

ポセのような筋金入りのビビリッコは例外だが、たいていの子犬というのは好奇心の塊だ。だから、家に来てまず「この人が自分の飼い主(自分を守ってくれる人)」と認識した時点で、常に飼い主のうしろをピョコピョコついて回ろうとする。飼い主が犬を呼んでそばに来たら褒めてやって遊んでやったりおやつをやるだけで、犬は飼い主に呼ばれたら良いことがあると尻尾振り振り飛んでくるようになる。ワクチン注射が終わるまでこれを家のなかで続けていくだけで、散歩に出るころには、呼び返しができる、リードが外れても決して逃げない犬ができあがっているのである。

たしかに、最初のうち、犬は思い通りになど動かない。たとえば部屋の入り口で犬を呼んだ場合、途中に興味を惹かれるおもちゃなどが転がっていれば、すぐにそちらに気をとられて人の呼び声など聞こえなくなる。そこで「仕方がないわね」と犬を迎えに行き、なおかつ抱き上げて連れてこようとすると、犬は「この飼い主はほんとうに用事があるときは迎えに来るものだ」と覚えこんでしまうのだ。ついでにいうと「決して犬を抱き上げない」と決めていると、飼い主のほうもいろいろと工夫をすることを覚える。なぜ呼んでも犬が来ないのか? どうしたらどんな誘惑にも負けずにまっしぐらに自分の元に走ってくるのか? 自分の愛犬の興味を惹くものが何なのか? 知恵を絞って犬を呼び寄せるべくさまざまな工夫をするようになる。これがじつは飼い主にとって良いトレーニングになるのだ。

小型犬であれば、いうことを聞かないときに抱き上げてしまうのは簡単だ。また抱き上げられないほどの大きさの犬であれば、リードで拘束すればいい、と多くの飼い主は考えているようだが、それは大きなまちがいだ、と管理人は思っている。犬にはちゃんと意志がある。やりたいこととやりたくないことのちがいを、彼らはちゃんと判っている。犬がやりたくないことを無理矢理させていれば、それをしなくて良い状況になったとき、犬はそれから逃れる道を選ぶのだ。

何本リードをつけようが、どんなに頑丈なハーネスや首輪をしようが、逃げる犬は逃げると管理人が思う理由はそこにある。犬の意志を無視して、抱き上げたり、リードで拘束したりすれば、ちょっとした気のゆるみで犬を簡単に逃がしてしまう。逆に犬が自らの意志でこの飼い主のそばにいたいと思えば、リードなどつけなくても犬は決して逃げたりはしない。

ぜったいに飼い主のそばを離れない犬を育てること、呼び返しのトレーニングというのはじつは一番簡単なコマンドだ。きちんとやれば、すでに散歩デビューの前時点でちゃんと入れられるコマンドなのだ。

だが残念ながらこの国で犬を飼っている人の多くは、うちの犬は呼び返しが効かないと嘆いている。コロコロしたパピーは、確かに赤ん坊のように可愛いが、人間の赤ん坊とちがって、彼らにはすでに「歩く」という能力が備わっている。だからパピーを家のなかで抱いて歩く必要などないし、犬のほうだって、自分の意志で動き回りたいはずなのだ。

抱き上げることも、リードでつなぐこともせず、犬が自らの意志で飼い主の望む行動をとるようにすることが、迷子の犬をこれ以上出さない一番の方法であると管理人は思っている。  
心機一転 2006年1月27日
管理人は近ごろ早起きだ。

独り旧正月を楽しんでいた管理人は、こんな新年の誓いを立てた。

「早寝、早起き、昼寝つき」

いまのところ、管理人カレンダーの正月以来、ほぼ毎日明け方まだ薄暗いうちに起き出す生活だ。早起きで有名な女系猫猫犬家族さんよりも早く起き、夜じゅう起きているコウモリ人間ちはりんさんと国際電話のような妙な会話を楽しみ(ちはりんさんが帰宅するころには、管理人はたいていもう寝ている)、朝一番に日記を更新し、すこぶる快調な生活を送っている。

生まれてからうん十年、「早起きは三文の得」という言葉の意味を実体験したことがなかった管理人は、いま初めて、たしかに朝早く起きると効率がよいということを身をもって体験している。何しろ、朝5時に起きると、午前中が驚くほど長いのだ!

いままでの管理人の生活は、出稼ぎに行く日以外、起床時間がたいてい9時前後だった。それから犬たちを散歩に連れて行き、朝食を食べさせ、自分もたらたらと朝飯をかっ食らうころにはすでに昼近くなっていた。それから仕事にとりかかるので、とうぜん深夜まで終わらない。それからサイトを更新したりお友だちのサイトを徘徊したりしていると、寝るのがたいてい明け方になる。ところがいまはサイトの更新と徘徊を終えてもまだ世間でいうところの朝である。それから犬の世話をしてから仕事を始めても午前中にたっぷり時間があるのだ。

むろん、ある日とつぜんこんな品行方正な自分に変身したわけではない。年末から正月休みにかけて、また自宅仕事で大量の発注を受けたため、出稼ぎが休みだったことも手伝ってすっかりバグダッド時間の生活になってしまっていたのだ。朝方、床につき、昼くらいに起きだして夜中じゅう作業をしている生活を続けた結果、朝になると眠くなる、みごとな時差生活になっていた。だが、年が明けて出稼ぎが始まると、おちおち昼間寝ているわけにはいかない。結果的にほとんど寝ないで会社に行き、帰ってきたらそのまま気絶という体力の限界に挑戦のような日々を1週間ほど過ごした。その後旧正月を利用して少しずつ昼寝と夜寝の時間を調整していくことで、現在の「早寝、早起きよい子ちゃん」の管理人ができあがったのである。

今回のプロジェクト(。そこまで大それたものだろうか!?)のキーポイントはじつは「お昼寝」にある。早朝に目覚めたとき、とうぜんのことながら管理人はまだ暖かい布団のなかでぬくぬくとしていたいと思う。だがそこで「よっしゃぁ!」と起きあがれるのも「あとでお昼寝すりゃいいじゃん」と思えるからなのだ。

そしてもうひとつのキーポイントは「昼間あんなに寝ちゃったから、まだ眠くない」という管理人の思いこみである。じっさい、管理人は異常に寝つきが悪いので、ベッドのなかで悶々と「眠れない!」と寝返りを繰りかえしているのなら、その時間に他のことをやったほうがいいとずっと思いこんでいた。だが、じっさいは、昼間何時間寝ていようと、管理人はいつでもどこでもコトッと寝られるじつは非常に寝つきのよい子だったのだ。

たとえば、出稼ぎに行った日は、とうぜんのことながら大好きな昼寝ができない。いつもどおり朝6時前には起きているので、帰宅する頃には睡眠不足で非常に不機嫌になっている。これまでならば、通常の犬の世話を終えたあと、深夜まで疲れた身体にむち打ってコメントのレスを入れ、新しい記事をあげといろいろやっているうちに、けっきょく夜明けまで起きていた。ところが、いまは犬の世話以外なにもやらずに、12時頃にはコトンと寝てしまう。そして翌朝また早く起きて、前の晩にできなかった一連の作業を終え、通常どおり犬の世話をし、午前中のうちに仕事をして、なおかつ午後は思いっきり昼寝をするのである。この時点で通算の睡眠時間は、すでに世間の小学生より長くなっている。にもかかわらずその晩もまた12時頃にはコテッと寝る。そうすると翌朝には世間の幼稚園児よりも長い時間眠り続けていることになってしまうのだが、それでもいつもどおりの仕事量はちゃんとこなしている。睡眠時間が十分すぎるほど足りているせいで、とにかく効率が良くなるのだ。

そういえば、管理人は大学生の頃、友人のひとりにこう言われたことがある。

「あんた、睡眠時間を減らせば、きっと人生倍くらい充実するよ」

彼女は1日3時間睡眠が1週間続いても生きていける人だった。ちなみに、管理人は毎日できれば9時間は寝ていたい人である。

睡眠というのは、人間にとって生きていく上で欠くことができない。それは、もっとも残酷で効果的なのが「眠らせない」という拷問だということからも判るだろう。人間、不安なことや迷いがあれば、とうぜん眠ることができなくなる。そうするとよけいに精神が不安定になって、ますます状況は悪くなるばかりだ。

人は極度の緊張のなかで何週間も何ヶ月も過ごせるものではない。ずっとみんなが血眼になって探している太郎の一件を見ていても思うのだ。迷い犬を探す場合、いなくなったときからの時間の経過につれ、探し方に変化が出てきてとうぜんだろう。むろん最初の1週間くらいは、それこそ寝る間も惜しんで探し回る。だが、その期間を過ぎてしまえば、こんどは正しい情報と誤報の判断が必要になってくる。じっさい、犬の生態を考えると、1週間以上経過しても見つからないということは、犬がすでに新しい暮らしをはじめていると考えた方が合点がいく。

通常、子犬のときから人に飼われていた犬は自力で餌をとることもできないし、安全なねぐらを見つけることすら難しいはずだ。第一、もともと群で生きる犬にとって1頭だけで見知らぬ土地を彷徨っているということじたいちょっと考えにくいことなのだ。最悪の事態が起こっていれば、とっくに保健所か清掃局から情報が入っているはずだ。それがないということは、太郎はきっといなくなったすぐそばで、きちんと生きている。失踪からすでに2週間以上が経過しているのにまだ見つからないということは、どこかの家で飼われているか、どこかのローカルな保護団体に保護されているか、いずれにせよ、どこかで無事暮らしていることだけはまずまちがいない。

だから、これからは時間をかけてゆっくり探していけばいいのだと思う。ここまで広く宣伝した以上、これからはより多くの誤報も入ってくるだろう。それにいちいち踊らされていては身が持たないし、そのなかから、確実な情報を選りわけ、効率よく探していくことで、きっといつか、太郎は無事に戻ってくる。

リードから放れた犬が、単独で旅をするなどと思うのはいわゆる「名犬ラッシー」症候群だと管理人は思っている。多くの人々が「ラッシー」を見て犬はああいうものだと勘違いしているが、じっさいはあれは単なる作り話なのだ。ふつうの犬は道に迷ったら、その地域からわざわざ出たりはしないものだし、ましてや毎日ドッグフードを食べて暮らしていた単なる家庭犬は、自力で餌をとるなどという方法はまず思いつかない。ついでにいえば、どんな犬であっても自分の臭跡はたどれるので、道が判らなくなったらまず十中八九飼い主とはぐれた場所に戻るはずだ。それがふだんの散歩のコースならば、まずまちがいなく家に自力で帰ってくる。交通事故という最悪の事態に遭わない限り、太郎がそれをしないのは、自由に動けないようにどこかの誰かにリードで縛られているからに他ならない。

だから太郎は無事でいる。どこか暖かくて安全なところで、迎えが来るのをじっと待っているはずだ。そこに、たとえ時間がかかっても、いつの日かちゃんと迎えに行ってやるためにも、いまはいったん冷静になって、きちんと休息をとったうえで、また新たな気持ちでじっくりと効率よく組織だって捜索をはじめた方がいいだろう。

きちんと睡眠をとらないと人間は必ず判断を誤る。眠ることは人間にとって生きていくうえでなにより必要なことなのだ。 
科学 2006年1月26日
最近とくに思うのだが、犬の躾というのは一種の科学(サイエンス)である。

コンピューターのプログラミング(簡単に言えばソフトを作ること)を仕事にしている犬友と話していたときに、そういう結論に達したのだ。

プログラム(一般的に言うところのソフト)を組む場合の鉄則は、コンピューターに対して正しいコマンドを発することである。

「Aというファイルを開いて、その3行目から5行目をコピーし、Bというファイルの15行目に貼り付けてそのままBのファイルを上書きせよ」

という命令を正確なプログラム言語でコンピューターに伝えることで、コンピューターがプログラマーの望んだとおりの作業をする。その際にコンマ1つハイフォン1つを書き忘れただけで、プログラムは正常に作動しない。

プログラム言語というのは、人間の言葉をコンピューターにわかりやすいように一定のルールに従って書き換えたものだ。プログラミングの最初のステップは、コンピューターに判りやすいプログラム言語を人間が覚えるところから始まる。

ちなみに、きちんと正確なプログラム言語を書けなかったためにコンピューターが誤作動したときに、「このコンピューターは馬鹿だ」といってコンピューターを捨てるプログラマーはこの世にはいない。

まず最初に疑うのは、人間のミスである。

プログラムに不具合が起こったとき、最初にやるのは、バグ出しという作業だ。さまざまな環境でプログラムを走らせてみることで、条件によってどのような不具合(バグ)が起こるかを調査する。Aという条件下で問題なかったものが、Bのケースでは不具合が生じる。そうすると、Bという環境が不具合を起こす因子になっているということが判る。

そうやって綿密にプログラムの内容を見ていくことで、問題点を見つけ出し、その部分を改善することで、不具合の少ない完璧なプログラムを作り上げていく。

複雑なプログラムになればなるほど、さまざまな因子が複雑に絡み合い、誤作動のリスクが高くなる。その分、完成したときの喜びも一塩だ。さまざまな条件下で一定の作業をこなすプログラムの作成には膨大な時間と忍耐が必要になる。

犬のしつけも、これと同じだ。どんな環境で何をしたときに犬がどういう行動をとったかをきちんと解析し、分析することで、問題行動の理由が必ず明らかになっていく。犬のしつけが、単なるプログラミングよりも複雑で困難なためにより一層おもしろいのは、プログラマーが人間という生き物であり、プログラムが犬という生き物であるという特性があるからだ。生き物は予想不可能な行動をとる。プログラミング用語で言うところの変数(ランダムに数字を割り当てるために条件がより複雑化する)の要素が強いせいだ。

変数を使わないプログラムは、パターン化されすぎていておもしろくない。逆に変数の要素を多く取り込むことで、プログラムに広がりが生まれ、より複雑な作業をこなせるようになる。

「Aというファイルを開いて、その中でデータが入っている一番下の行から上2行をコピーし、Bというファイルの空欄から3行目に貼り付けてそのままBのファイルを上書きせよ」

上の例では、Aのファイルの常に上から3行目から2行を機械的にコピーするだけだった作業が、データの最終行というそのときによって変化する変数的条件を取り入れることによってより複雑で便利なプログラムができあがる。

犬のしつけも同じように、最初は単純な「スワレ」「マテ」などの短いコマンドを教えていき、それをつなぎ合わせ、飼い主と犬の性格や環境という変数条件を加味することでより複雑で洗練された動きを実現させていく。

『うちの犬を完璧にしつけるマニュアル』がどこを探しても見つからないのは、「うちの犬」という変数と「わたし」という変数が常にそこに存在するからだ。それを考えに入れた上で、「うちの犬」に判りやすい言語で正確なコマンドを発し、問題が起こったときには、「うち」という変数としての環境、「うちの家族」という変数としての条件などのさまざまな因子を分析し、原因を突き止め、問題の因子を取り除き、プログラムの内容を精査し、必要とあらば書き換えて、より洗練されたプログラムを完成させていく。そうすれば「うちの犬」というオリジナルのプログラムが手に入る。著作権はもちろん飼い主である「わたし」のものだ。

犬のしつけはサイエンスである。管理人がトレーニングにハマル理由はそこにある。  
善意のつけ 2006年1月25日
たまたま、ジャックくんの里親探し経由でふらりと訪れたあーちの日記でとりあげられていた記事を見て思うところがあった。

徳島で崩壊した多頭飼い現場を救うdog★salvationの活動だ。

犬猫の家族探しをしているサイトを見慣れている人間には「多頭飼い崩壊現場」というのはいまやおなじみにフレーズになっている。ひとり、または1家族などの少人数の個人が常識を超える数の犬猫を抱え込み、けっきょく飼いきれなくなってそこに保護団体がレスキューに入るというパターンだ。試しにGoogleなどの検索エンジンで「多頭飼い 崩壊」のキーワードで検索をかけてみて欲しい。500近いサイトがヒットする。それだけ多頭飼いの崩壊現場は多いのだ。同時に潜在的に崩壊の危険性を抱えた多頭飼い現場は、それこそ星の数ほど存在する。

多頭飼い現場には大きく分けてふたつのパターンがある。ひとつめは、無知で無責任な飼い主が、適切な不妊去勢などの手術を怠ったために、その場にいる犬たちが勝手に交配し増えてしまったケースだ。こういった現場で生まれた犬の多くは近親交配によるものが多く、なかには重大な欠陥を抱えた犬も出てしまう(近親交配の危険性についてはこちら)。もうひとつが、可哀想な犬猫を保護しているうちにそれが手に余る状態になっていくケースである。こちらは資金が続く限りきちんと不妊去勢手術をしているので、現場で犬猫が増えていくことは通常ならばありえないが、ひとりまたは少人数では手に余る頭数を抱えているために、動物たちは最低限の世話しかしてもらえない。ちなみに徳島のケースはこれにあたる。

正直、どちらのケースがより悲惨なのだろうかと管理人は思うことがある。もともと善意ではじめた活動が、ある時、限界を超えてしまう悲劇を目の当たりにするたびに、人間とは恐ろしいものだと感じざるを得ない。こういった多頭飼い現場の飼い主は、ほんとうに、最初はみな善意でこういうことをはじめているのだ。家を失った犬猫が苦しみながら死んでいくのを見るのは忍びない、と1匹2匹と保護しているうちに、気がつけばそれが10頭20頭と増えてしまう。そして、それがある一定数(限界値)を越えた時点で、傍目から見ると明らかにひどい飼育環境になっているにもかかわらず、「そんなことはない、ここにいるこのコたちは幸せなのだ」と現実を否定するようになり、ますます頭数を増やしていって、やがて多頭飼い崩壊現場へと突き進んでいく。

自分の身に何かあったときに飼っている動物の行く先がない状態で犬猫を飼うのは無謀な話だというのは、冷静に考えれば誰にでも判ることだろう。だが、限界値を超えた人は、その時点で冷静な判断力を失っている。あたりまえのことだが、自分の収入と時間の許す範囲で飼えないのなら、それはもうすでに限界値を超えている。

以前にも記事にしたが限界値を超えない範囲で保護活動をするのは立派な動物愛護の運動家だが、それを超えてしまうと人はみなコレクターに変身する。これは心の病なのだ。動物好きなら誰でもかかる可能性があるし、決して他人事ではないと管理人はいつも思っている。

冗談ではなく、管理人は親しい犬友に「こいつ限界値を超えている」と思ったら遠慮なく、力ずくでもいいから止めてくれ、と頼んである。管理人自身も怖いのだ。正直いって、目の前に哀れな動物が現れたときに、それをあっさり見捨てる自信が管理人にはない。

きちんとした保護活動は組織としてやるべきだと管理人が思う理由はここにある。善意ではじめた活動が悲劇をもたらす原因は、個人ができる範囲を超えて保護活動に手を出してしまうせいなのだ。そして善意の活動が、最後は悲劇で終わる。

今回のようなケースを見るたびに管理人が思うのは、もともとこういった施設を運営する手伝いをしていた「自称ボランティア」はいまどこで何をしているのだろうか? ということだ。徳島のケースでは1家族が60頭もの犬を飼っていた。資金のうえでも労働力に関しても、おそらくそれを援助していた人が何人かはいるはずだ。だが現実には、こういった多頭飼い現場が崩壊したとき、そのあと処理を担当するのは、十中八九、外部の別の保護団体だ。じっさいその現場をここまでにした手伝いをしたはずの「自称ボランティア」はあっという間にそこから手を引いてしまうのだ。

こういったコレクターの悲劇を増長するのは、それを援助する人々だ。だから、きちんとした保護活動をさせられないのなら、悲劇が起こったときも責任持って最後まで面倒をみるのが筋だろう。たとえその現場が崩壊したとしても、それを助けた人々が責任を持ってあと処理を行い、場合によっては、行き場のない動物たちを安楽死させなくてはならないときも、きちんと最後まで見届けるべきなのだ。

同時に、こういった事件があるたびに、緊急レスキューとして大規模なキャンペーンを張るせいか、現場にいる多くの動物たちに比較的早く飼い主が見つかる。それはそれで動物たちにとってはいっけんいいことに思えるのだが、冷静に考えるとなぜいま飼い主が見つけられるのなら、いままでそこから出してやることができなかったのか、管理人にはそれが不思議でならないのだ。

こういったケースに関して、自分のサイトやブログで広く援助を呼びかけるのは決して悪いことではない。ただ、今回のような善意から始まった悲劇を、単なる「可哀想なお話」で片づけるのではなく、ほんらいならば避けられたはずの悲劇が起こったのだという反省はやはりしておくべきだと思う。

先日紹介した2チャンネルのスレッドのなかにこんなことを書き込んでいる人がいた。

「うちではもうすでにたくさんの動物がいて飼いきれませんので、誰かもらってください」
    ↑↑↑
自分で飼えないのなら保護するな!

冷たいようだが、それがふつうなのだ。

身の丈にあった保護活動。それができない限り、多頭飼い現場崩壊の悲劇はいつまでも繰りかえされる。  
犬貧乏 2006年1月24日
週末にコストコに買い出しに行ってきた。犬猫屋敷の生活はいまやコストコなしでは成り立たない。何しろ犬猫の餌や消費財が他の店に比べて格段に安いので、我が家のように大量消費する家庭では、年会費を払い高速代を使ってもじゅうぶん元が取れるほどなのだ。今回もまた1ヶ月分の餌やらなんやらを買い込んできた。

ちなみに今回、どうしてもジィジが一緒に行きたいとぐずったので、しかたなく連れていったのだが、帰りはジィジを積み込む場所がなくなって大騒ぎになってしまった。

我が家の車は1500ccのナンチャッテRVである。ゆえにうしろの荷物入れはほとんどスペースがないに等しい。18kg入りの犬の餌3袋とトイレシート2袋、猫のトイレ砂、それに猫缶を3ケース積んだらあとはもう何も載せる余裕がないのだ。だから通常は後部座席をすべて荷物スペースとして使う。ゆえに今回はジィジを先に席に座らせ、その周りの空いたスペースにともかく買ったものを詰めていくというまるでパズルのようなことになった。

万が一帰り道で事故を起こしたとしても、ジィジは周りに詰められたトイレットペーパーやすりごまや猫のドライフードといった緩衝材のお陰できっと命拾いをしていたはずだ。

我が家のデカ犬トリオは月に18kg入りのドライフードを2袋強消費する。コストコへの買い出しは妹と管理人のスケジュールが合わないと行かれないので、万が一1ヶ月以内に次の買い出しに出られない場合を考えて、餌はいちおう毎回3袋ずつ購入する。トイレシートはだいたい200枚入りのパックを月に2袋は消費する。それにくわえて、トレーニングの褒美にちぎってやる2kg入りのビーフジャーキーが3袋。これだけ買って9003214,000でおつりが来るという値段はやはり魅力的である。

むろんこれ以外にも、管理人が出稼ぎのときにやるグリーニーズやブタ耳や牛のひづめといったおやつ類を定期的に購入しなくてはならないのだが、基本的に1ヶ月間で犬にかかる費用がこれ1回で済むと思えば決して高い買い物ではない。

犬の健康を気づかい餌に気をつけている人ならば目くじらを立てるだろうが、我が家の犬たちはいつも割と適当なものを食べさせられている。姫の心臓が悪いので塩分を減らすためにドライフードに混ぜるトッピングも冷蔵庫のなかをかき回して見つかった野菜屑に肉を混ぜて煮たものだし、ときにはジャンクフードの缶詰がのることだってある。ちなみに犬猫屋敷のトリオは胃腸系の強さには定評があるので、多少腐ったものを食べても腹をこわすことはありえない。ちょっと90011がゆるくなってもビオフェルミン1錠を飲ませておけば翌日にはまた快調に戻るというじつに安上がりな奴らなのだ。

そういえば秋にBBQに行ったときも、他の犬飼いさんたちが犬用にわざわざ水を持ってきているのに驚いたものだ。ちなみにうちの3頭は川の水をゴクゴクふつうに飲んでいた。ツチノコ兄弟は子犬のときから多摩川の水を飲んで育っているので、多少のことではぜったいに腹はこわさない。脅威の掃除機犬、姫ももちろんその点では一緒である。

「犬なんだから泥水飲んだって死にゃぁしない。腐ったものは危ないと思ったら食べないから平気」

これが管理人の超ワイルドな犬育ての哲学である。

DJに多少耳のカイカイがあるのと姫の心臓疾患以外、犬猫屋敷のお三方は基本的に持病がないのには助かっている。それゆえに、医者に行くのはたいてい年に一度の予防接種のときだけだ。むろん、通院はしなくともノミダニ予防薬やフィラリア予防薬などの薬代はかかるのだが、それでも我が家の医療費は最低限に抑えられている。

管理人は自分でできることは自分でする主義なので、むろん犬たちをトリミングなどには出したことがないし、トレーニングもすべて自力でやっている。気温の差に敏感な姫には、冬場あれこれ着せまくるが、たいていはフリマで安く手に入れた古着かユニクロのバーゲン品と決まっている。ツチノコ兄弟の場合は基本的に服を着せることもないのだが、これまた雨の日に着るレインコートは、バーゲンのときに安く大量に仕入れたユニクロの子供用T シャツで代用している。つまり犬猫屋敷では美容院代と教育費はゼロ、服代もほとんどかかっていないことになる。

にもかかわらず、管理人はいつもとても貧乏だ。少ない収入のなかから犬たちにかかる費用を捻出すると、あとは最低限の生活をするのがやっとである。犬を飼ってから「こんなにお金がかかるとは思わなかった!」と嘆く飼い主さんが多いが、じっさいペットを飼うということはものすごくお金がかかるものなのだ。犬猫屋敷風にワイルドに放任主義で、たまたま健康な犬たちを飼っているのでも、ある一定の金額はかかる。ましてや餌やおやつに最大限の気を配り、トレーニングスクールに連れて行き、トリミングをして、そのうえ飼った犬猫がたまたま病弱だったりしたら、それこそ子どもをひとり育てるのと変わらない金額がかかる。

だから、管理人は例のチワワブームの引き金になったCMを見るたびに思うのだ。

「ここで犬を買うだけで借金するくらいだから、きっとこの人は、今後、犬の医療費、餌代、トレーニング費用、トリミング代、服代で一生借金地獄にはまっていくにちがいない」

まさに「ご利用は計画的に」……である。  
お勉強しましょ!〜その6〜褒美に何を使うか? 2006年1月23日
前回説明したように、ルアーを使ってある程度犬の「好ましい行動」が定着してきた時点で、犬に与える報酬が「ルアー」から「褒美」に変わる。ここで考えなくてはならないのは、何が「褒美」になるかというところだ。

褒美に何を使うか、要は愛犬が何を好むか、というのは犬の個体差によって大きく変わってくる。犬猫屋敷の犬たちの場合は食い気第一なので、今のところ牛レバーがご褒美の最高峰に君臨しているが、なかには食べ物にまったく興味を示さない犬もいる。また食べもの命の犬であっても、散歩の途中でもっと興味深いもの(駆けぬけていく猫、遊び相手になりそうな犬)を見つければとたんに意識がそちらにいってしまう。けっきょくのところ、何にも負けない究極の「褒美」を見つけられるか否かが、褒めてしつけるトレーニングの成功の秘訣である。

自分の犬が好きなものベスト5というのをすらすら言える飼い主はいったい何人いるだろうか?

ちなみに管理人はまだ言えない。おそらく第1位は現在のところ3頭とも牛レバーなのだが、第2位以降になると各々好きなものが変わってくる。

姫は何と言っても食べ物一筋だが、DJとカイザーはひっぱりっこ遊びやおっかけっこがおそらく3位から5位のあいだぐらいには入っている。できれば管理人自身が5位くらいには入賞していたいなと思うのだが、その辺もまだ自信はない。

褒美は、極端な話、犬が好きなものなら何でもいいのだ。たとえば散歩に行くのが大好きな犬ならば、いつもより1回多く散歩に連れて行ってやるのが褒美になる。大好きなおもちゃを出して遊んでやるのもいい。ふだん「入ってはいけない」ことになっている部屋に入れてやるのだってじつは褒美になる。犬猫屋敷のような多頭飼いの家だと、1頭だけ管理人と一緒にキッチンに行くなどというのも立派な褒美になる。他の犬たちが部屋でお留守番をしているとき、自分だけが管理人のそばではべっていられるというのは犬にとってはとても嬉しいことらしい。

ちなみに今回の大雪によって、カイザーの好きなものベスト5の上位3位のなかに確実に「雪」が入っていることが判明した。犬猫屋敷の周辺では未だにそうとう雪が残っているのだが、この3日間というものカイザーはこれまでの地道な数ヶ月におよぶ「ツケ」のトレーニングを一切忘れたかのように思いっきり引きまくっている。管理人がいくら名前を呼ぼうが完璧に無視する可愛くなさだこうなるとレバーも何も効きはしない。なぜならカイザーはこれまでの経験から「雪」はやがて消えてなくなるということをよく知っているからだ。

「いましか遊べない」

これがカイザーの行動のキーワードだ。いましか遊べない雪と、いつももらえるおやつと、どちらを選ぶべきか? 彼は瞬時にその計算をして、「雪あそびはいましかできないけど、おやつはまたあとでももらえる」という答えを導きだしているのだ。

もし管理人が自由自在に雪を降らせられる魔法使いならば、いまごろカイザーはスーパードッグになっていただろう。だが、むろんそんなことはとうていできない凡人の管理人は、けっきょく愛犬が「世界一好き」な褒美を見つけ出すべく、日々試行錯誤を続けているわけだ。

で、話は戻って、先日の記事で引用したとおり、「褒美」というのは思ってもいなかったものがいきなり前に現れるのが嬉しいものだ。その意外性とワクワク感が犬の期待感となって「好ましい行動」を誘発することになる。

そしてもうひとつ重要なポイントは「褒美」はその時点の犬にとっての「行動」の難易度によって段階をつけるべきである、という点だ。

たとえば、「オスワリ」ができない犬に「オスワリ」を教えるときは牛レバーを使う。だがやがて「オスワリ」をマスターし、つぎに「フセ」を教える段階になると、単なる「オスワリ」でもらえるのはただのビーフジャーキーになる。その代わり「フセ」ができれば究極の牛レバーがもらえる。「オスワリ」から「フセ」をすれば牛レバー+ビーフジャーキー、「フセ」から「オスワリ」(ふつう犬にとってはこちらのほうが難しい)ならば牛レバーの塊、という風に「褒美」にも差をつけてやる。

ただそれがパターン化すると犬にとってはおもしろくない。「スワレ」と言われた瞬間に「なんだ、どうせビーフジャーキー1かけでしょ」と思わせてしまったら気合いが入らない。だから時には単なる「オスワリ」でもいつもより少し大きめの牛レバーを振る舞ってみたりする。そうすると犬は思うのだ。

「おおぉぉぉ!!!!こんなこともあるんだ!この次もがんばろう!」

犬をワクワクドキドキさせられる飼い主は良い犬飼いである。ただ頭のいい犬を相手に、良い意味で相手の期待を裏切ってハラハラドキドキさせるには飼い主のほうもそうとう頭を使わなくてはならないのだ。

犬は人が思っているよりずっとよく人間を観察している。じつは多くの飼い主がこれに気づいていない。そしてほとんどの人間がじつはワンパターンの動きをしている。たとえば夕方になって、雨戸を閉めるとそのまま散歩に出かける。帰ってきたら夕飯の時間で、夕飯から3時間後におやつをあげてその直後に深夜のトイレ散歩。こんな暮らしを毎日している家はけっこう多いのではないか。規則正しい生活がじつは犬にとってはパターン化されたおもしろくない毎日になっている。「うちの犬はわたしが近づいても顔も上げない」と嘆く飼い主の多くはワンパターンの生活を送っているのだ。犬が飼い主の足音を聞いても顔も上げないのは、雨戸を閉める音がしなければ、楽しい散歩の時間が来ないと知っているからだ。逆に次に何が来るか判らない奇想天外な動きをする飼い主に対しては、犬はその一挙一動に常に注目するようになる。飼い主を見ているだけで、犬がワクワクドキドキするようになれば、飼い主自身が立派な褒美になれるのだ。

ただ牛レバーを配っていればそれでいいなら簡単だが、うちの犬はどんな食べ物が好きなのか、どんな遊びが好きなのか? その犬種ごとの特性と個体差を考え、ふだんのようすを観察し、ご褒美として使えそうなものを前にちらつかせては反応を見る。ほめてしつけるトレーニング方法を使うためには、まずはそんな地道な努力から始めなくてはならない。

そして、スロットマシーンにハマルように、犬がワクワクドキドキ褒美の出現を待ちつづけるようになるまで、何週間も何ヶ月も繰りかえし同じ作業を続けなくてはならない。犬を飽きさせないことが、犬の問題行動の抑制になると同時に犬との楽しい生活の大前提になる。

そのために飼い主は、どんな場合にも犬との知恵比べに勝たなくてはならないし、望むべくは飼い主自身が究極の褒美になれれば、そこには最高に幸せな犬との楽しい生活が待っているのだ。

参考文献:"REWARDS, LURES & BRIBES"
Dog Treats 101 
雪あそび 2006年1月22日
朝、目が覚めたら、そこは雪国だった。

昨晩から降るとは聞いていたものの、いきなり窓を開けたら一面の銀世界で管理人は正直言ってぶったまげた

いくら何でもいきなりこんなに降るとは……

むろん、中年犬とはいえ犬は犬。雪が降ったら庭を駆け回らないわけにはいかんでしょう。

というわけで中年トリオの雪あそびのもようは
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ちなみに今回管理人がものすごく嬉しかったのは、昨年は雪を見てブルーになっていた姫が、今回はツチノコ兄弟と一緒にはしゃいで庭中を駆け回っていたことだ。うちにきた当初、姫は雨も雪も大嫌いだった。おそらく冬のあいだ放浪していた姫にとって、身体を濡らすことは命とりだったのだろう。身体が濡れても拭いてくれる飼い主がいなければ、体温が下がって大変なことになる。

だが、いまはどんなに身体が濡れたとしても、拭いてくれる家族がいて、暖かい家があるということを姫がちゃんと理解してくれたのが、管理人はとてもとても嬉しかったのだ。

でも世間にはまだまだ雪のなかで震えている動物たちがたくさんいる。そういうコたちにとっては雪は大敵であって楽しみではないのだ。すべての犬が雪を見て目を輝かせるような時代が1日も早く来ることを祈るばかりだ。
ダメ飼い主の言い訳 2006年1月21日
毎回偉そうにトレーニングについて語っている管理人だが、じつは犬猫屋敷の3頭は、コマンドの入り方という意味では、ダメ飼い主が多いこの国でも類を見ないレベルの低さである(胸を張っていうことではない)。

管理人は別にコマンドなんてふだんの生活に支障がなければ入れる必要はないと思っているし、愛犬ときちんとコミュニケーションがとれるのなら、命令口調で「スワレ」「マテ」などといわなくても「そこにいてね」でも「動かないように」でもいっこうにかまわないと思っている。

管理人は好きなことに関しては割と勉強熱心なほうなので、ご承知のとおりトレーニングに関する知識はまあまああるほうだが、コマンドの入れ方は知っていても、じっさい自分の犬にコマンドは入れていない。預かった友人の犬に芸を仕込むなどというよけいなことは頼まれなくてもやるくせに、うちの犬たちときたら満足に「持ってこい」すらできないのだ。ただ愛想が良くて元気なだけが取り柄の犬たちばかりである。

なぜなら、管理人は、コマンドなど入れなくても、犬たちと一緒に暮らしていく上で何一つ困っちゃぁいないからだ。

最近、管理人がジャックくんの里親探しを見ていて気がついたことがある。あれ? プロのトレーナーさんがやっていることも躾本に書いてあることと大して変わらないじゃないか、ということだ。むろん、犬のプロには引き出しがたくさんあるので、ジャックの反応を見ながらいろいろとちがった方法を試しながらあれこれ試行錯誤はしているのだろうが、基本的にやっていることは一般飼い主のわれわれも知っていることばかりだ。魔法のような呪文があるわけでもなければ、夢のような最新のトレーニング方法を用いているわけでもない。

なのに、なぜちはりんさんがやると1ヶ月足らずで何も知らないはずの成犬(それも中年犬だ)にばっちりコマンドが入るのだろうか?

それは、彼女のやり方に無駄がなく、できるだけ犬に失敗をさせないように効率よくトレーニングを進めているからだ。

プロとド素人のちがいは、ここにある、と管理人は思っている。知識の量や経験や犬との関わり方のちがいはもちろんあるが、何よりプロのトレーナーは正しいトレーニング方法を用いることで正しい結果が得られることを体得しているのだ。ゆえに、マニュアルに従ったきちんとした方法を実践する。それが一番良い方法だと判っているのと同時に、失敗したときそれを矯正するのにどれほどの時間と労力が必要かきちんと知っているからだ。

ところが、一般飼い主にはこれができない。なぜなら、正しいトレーニング方法を用いて立派にしつけの入った犬を作り上げた経験がないからだ。

たとえば、ご存じのとおり犬猫屋敷の中年トリオは現在引っぱり矯正トレーニングのまっただ中にいる。彼らが人も羨む(?)引っぱり犬になったのは、一重に管理人の飼い主としての至らなさゆえである。ちなみに、現在実践しているトレーニング方法だが、管理人はツチノコ兄弟を家に迎えた時点で、すでにおぼろげながらやり方は知っていた。お散歩デビューのその日から、引っぱったら立ち止まる、リードがゆるんだら褒めてやって散歩を続けるというやり方は、もちろん管理人が読みあさった躾本にちゃんと書いてあった。こうやれば正しくトレーニングができる。引っぱらない犬ができると判っていながら、管理人がそれをしっかりやらなかったのは、外の臭いに興奮していまにも走りだしそうな勢いの子犬たちどうよう、飼い主のほうも待ちに待ったお散歩が楽しみでしかたなかったからだ。

ようやくワクチンを終え、犬たちを連れて散歩に出かけられるというのに、犬が引っぱったからといってそこで散歩を中断したり、10m歩くのに1時間もかけるだけの根気が管理人にはなかった。結果、ワイワイと走っていく犬と引きずられてヨロヨロ走る飼い主というもっともみっともない状況が繰り広げられ、飼い犬が3頭になり、飼い主のほうも体力が衰えた7年後になって、いまさらながら真剣に引っぱり矯正を何ヶ月もかけてやらなくてはならないという状況に陥っているわけだ。

管理人はたしかに典型的なダメ飼い主だし、しつけに関してはそうとう甘い部分も多い。これをやってはいけないと判っていても、まあいいかと許してしまうことはよくあるのだ。たとえばDJに「ダウン」のコマンドを出しているときに、横にカイザーがやってきておやつ欲しさにフセのポーズをし、キラキラお目々で見つめられたら、思わずカイザーにも褒美をやってしまう(ほんらいはコマンドをDJだけに出しているので、カイザーには何もやってはいけない)。判っちゃいるけど止められない、これは管理人だけではなくほとんど一般飼い主に共通していえることなのではないか。

たしかに良く訓練されたしつけの入った犬と最初から正しい方法でトレーニングができる立派な飼い主ばかりの世の中になるのは理想だが、じっさいは管理人のような自分にも犬にも甘い飼い主と中途半端なしつけしか入っていない問題犬ばかりの世の中だ。それどころか、簡単なトレーニングで直せるはずの問題行動のせいで飼い主に捨てられる犬があとを絶たない。なぜなら多くの一般飼い主は、いまだに子犬でないとしつけはできないとかたくなに信じているからだ。

これはぜったいにまちがいである。何歳であっても、たとえプロの足下にもおよばないダメ飼い主であっても、犬にしつけなおしは誰だってできるのだ。飼い主が諦めさえしなければ、どんな問題行動もいつかは矯正できる日が来る。それさえ判っているのなら、管理人は極端な話、愛犬ときちんとコミュニケーションがとれて信頼関係さえできているのなら、犬のトレーニングなど最初は一切やらなくてもいいと思っているし、コマンドなどひとつも入っていなくてもかまわないとさえ思っている。

ほんらい、家庭犬のしつけとはそういうものだというのが管理人の考えだ。犬の行動に飼い主が手を焼いて犬を手放さざるを得なくなる前に、毎日犬の顔を見れば怒鳴ってばかりいるような暮らしをしなくていいように、近所の人に迷惑をかけずに毎日散歩に行けてたまに出かけたときにドッグランやドッグカフェで問題を起こさないように、自分の愛犬に必要なルールを教えるのがしつけであって、その方法のひとつがコマンドを入れるということで、これはちがう文化から来た犬という異星人と円滑にコミュニケーションをとるための、単なる手段なのだ。

だから、たしかに時間はかかるし、効率も悪いのだが、好き放題させて育てた犬を問題が起こるたびに矯正していけるのなら、それでもかまわないと思っている。厳密に言えばまちがっているかもしれないが、もし「これこれこういうふうにやりなさい」といわれることで、ふつうの飼い主さんが「うちはそこまでできない」「ぜったいにわたしには無理」とやる前から諦めてしまい結果的に手に負えなくなった犬を放棄してしまうくらいなら、いったん問題行動だらけの犬を育て上げて、それを一生かけて直していくほうがよっぽどマシだと思っている。少なくともそれならば捨てられる犬はいなくなるわけだから。

判っちゃいるけど、止められない。こうすればいいと知りながら直せない。それがほとんどのダメ飼い主の実態だ。だが、こうすればいいという知識さえあれば、少なくとも不幸な犬はいくぶんか数が減るにちがいない。

できるだけ多くの一般飼い主さんにそれをわかって欲しいがために、管理人はこうして毎日我が家の恥をさらしている。  
進化 2006年1月20日
納品を終え、ひとり旧正月を楽しむ管理人である。だがしかし、いまは一般的には正月休み明けの通常業務の時期である。よって、日銭で暮らす管理人は、旧正月休みといいながらもせっせと出稼ぎに行っている。何があっても出稼ぎだけは休めないのも、大型犬3頭というお腹を空かせた扶養家族が管理人の稼ぎをあてにしているからだ。そろそろ大量購入したグリーニーズの在庫も底をつき、またもや物いりの予感がするうえ春には各種予防接種もあって、犬飼いには辛い季節なのだ。

管理人が通う会社というのは、これ以上は望めないというほど人間関係が良い会社だ。何しろオジサンたちはどうしようもなく優しくて、きょうも社長自らコーヒーを煎れてくれたほどだ(。飲み終わったあとコーヒーメーカを洗うところまでちゃんとやる恐ろしく腰の低い社長なのだ)。

にも関わらず、きょう管理人がプンプン怒りながら会社をあとにしたのは、これまた驚くほどオジサンたちの要領が悪いせいだ。何しろ、管理人が暇そうに朝から席に座っていたにもかかわらず、帰る30分前になっていきなり1日分の仕事がどっと押し寄せてきた。それも全員が一斉に管理人に仕事持ってきて、むろんすべてが「今日中に!」というやつだ。

なぜ1時間前に言えないのだ!?!?!? どうしてわけて持ってこない!?!?!?

「いやぁ〜来週じゃまずいんだよ。お客さんが明日まで回答欲しいっていっているから」

客のせいにするんじゃない! 3日前にその問い合わせを受けたのは管理人自身だ。あんたが手元で寝かしてさんざん熟成させたんじゃないか!

「いやぁ〜忙しかったからお願いする暇がなくってさ」

e-mailの転送ボタンが押せないくらい忙しかったようには見えないが。さっき延々私用電話をかけているあいだにそれくらいはできたはずだ!

怒り狂いながらも、優秀な管理人は、むろん頼まれたすべての仕事をほぼ時間内に完成させ、10分残業しただけで、とっとと会社をあとにした。

きょうはとにかく寒かった。帰宅してからの散歩は、むろん完全防寒スタイルで行く。山ほど着こんでぶくぶくに着ぶくれしたお気楽姉妹は端から見るとこれ以上怪しい奴はいないというほどすごいかっこになっている。立派な自前の毛皮を着た犬たちはもちろんマッパだが、唯一病弱な姫だけは人間どうようあれこれ着せられて妙なかっこになっている。

冷えてはいけないと部屋の温度を上げたため、廊下に出るだけで気温の差が大きくなる。なので、姫さまは部屋から廊下に出るだけで、先日ユニクロのバーゲンでゲットしたゴリエコラボのフリースTシャツを着せられる。そして外に出るときは、その上にまたダウンベストを重ね着だ。それでもなんか寒そうなので、こんどはマフラーと帽子も買ってやろうかと思っている。

管理人的には非常にかわゆいと思っているのだが、ご本犬はお気に召さないらしい。だから、こんな恨めしそうな顔で飼い主を見る。

「こんなダサダサのかっこじゃ、姫、またお友だちができなくなっちゃう!」

姫ちゃん、かっこなんか気にしちゃダメ! 管理人を見てご覧。昼も夜も肌身離さずももひきを履いてるじゃない。中年になったら暖かいのが一番よ! ボロは着てても心は錦。見かけなんかは二の次なの。大人の女は中身で勝負よ!

こうして人も犬も、あれこれ言い訳を繰りかえしながら、どんどんオバサンへと進化していくのだ……  
怖いもの 2006年1月19日
人になら誰にだって怖いものがある。たとえば「この世に怖いものなし」といった堂々とした風格のあの姐さんはじつは閉所恐怖症で、何でも大きなほうが良かろうと、片手に乗るようなパピーに巨大なサークルとケージを買い与えたらしい。

管理人にも、もちろん怖いものはある。12年に一度、不謹慎にも親戚に不幸があればと願うほど蛇が嫌いなのだ(喪中ならば蛇だらけの年賀状を受けとらずに済む)。蛇柄の服を着ているお姉ちゃんは管理人の敵である。混んだ電車のなかでそういうお姉ちゃんに身体を押しつけられると卒倒しそうになるほどの蛇嫌いだ。

万が一、管理人が・爍シ・ノになった人が、蛇マニアで、家に行くたびに蛇とごたいめ〜んしなくてはならなくなったら、おそらく好きとはいえないまでも「嫌い」からは脱却できるよう努力するかもしれないが、いまのところふだんの生活でとくに困ったことも起こっていないので、そのまま嫌いなままで通している。

犬にも同じように怖いものがある。見るもの聞くものすべてが怖いという超ビビリのコは別だが、管理人としては我が家の愛犬たちにひとつやふたつ怖いものがあったとしても、ふだんの生活に支障がなければ別にそれを無理矢理直そうとは思っていない。ただ、少しずつ慣れていって、そのうち「凄く怖かった」ものが「ちょっと嫌い」程度になってくれればいいな、と思っている。たとえば、カイザーの二宮金次郎恐怖症については、ふだん二宮金次郎に会うことはまずないので、そのまま放置したままだ。

だが、姫の子ども嫌いの場合はふだんの生活に密着している。散歩に行けば子どもに会うことはしょっちゅうだし、姫の嫌いな年頃の子どもを持つ友人がたくさんいる。だから少しずつ慣れさせて、好きにならないまでも恐怖で絶叫しない程度までは改善したいと思っている。

これを専門用語では脱感作トレーニングというのだそうだ。

今朝の散歩は、姫にとって新たな試練になった。いつも行く公園のお太鼓橋の上で小学生の団体が群れていたのである。

うちにきた当初、姫は3人以上の子どもがいるともれなく大絶叫していた。いまは10人程度までなら尻尾を下げて固まる程度まで改善されている。ちなみに40人くらいの団体になると5割の確率で絶叫がはじまる。

太鼓橋にたむろしていた子どもは幸い10人程度だった。そこから先に進むには、橋の下の小川をこの寒いのに突っ切るか、その橋を渡る以外に方法はない。ここで引き返すべきか否か管理人が判断を下す前に、子どもの1人が犬猫屋敷の群の存在に気がついた。

「あぁ〜可愛いわんちゃ〜ん!!!!」

ちっ、見つかっちまったぜ

ちなみに管理人もガキ子どもは嫌いである。できれば関わりたくはないが、そばに来たからといって絶叫するほどではないので、脱感作せずにきょうまで来ている。ここで敵にうしろを見せるのは姫の教育上よろしくない。子どもの群を見て群のリーダーたる管理人が逃げたとなっては、姫がますます「子どもは怖い」と思いこんでしまうからだ。

だから管理人は満を持してガキ子どもの群に突っ込んでいった。前衛は子どもだろうが老人だろうが人間なら誰でも大好きのツチノコ兄弟、そのうしろから子ども嫌いの管理人と「ヒール」のコマンドも出ていないのにぴったりと横についた姫が従う。

子どもたちは、まずツチノコ兄弟に駆けよって「可愛いぃ〜」だの「おっきぃ〜」だの奇声を上げながら兄弟をグリグリなで回した。そしてひとしきり兄弟を撫でたあと、こんどはうしろにいる管理人と姫のコンビに視線を移す。

管理人のことも「おっきぃ〜」なんていったら、咬みつくぞ、てめえ

幸い、管理人をグリグリしに来る子どもはいなかったが、姫はもちろん犠牲になった。一般的な基準からいえば、歩くぬいぐるみ(それも色違い)のようなツチノコ兄弟のほうが圧倒的に子どもには人気がある。とくに犬好きでなければ、どちらかといえば目つきの悪い愛想なしの姫のことを撫でようとする人はいないのだが、きょう会った子たちはどうやら学校で「博愛」の精神をきっちりたたき込まれていたようだ。公平に姫のことも「可愛い」といって撫でてくれた。

ありがた迷惑……

でも姫は、みごと試練に耐えた。尻尾を下げまくり、瞳孔は開いていたがそれでも絶叫することなく、尻込みもせずに、子どもたちに触られても微動だにしなかった。

良かった、先日やはり同じ公園で会ったくそガキやんちゃなお子さまのせいで(何があったか知りたい人はこちら)また子ども嫌いが復活したかと心配していたが、それほど悪くはなっていない。

むろん、試練を乗り越えたあとは盛大に褒めてやって、大きなジャーキーを口に入れてやった。

ところが、一難去ってまた一難。先に進むとこんどは同じような小学生の集団が通路にめいっぱい場所をとってなぜかドッジボールに興じていた。さっきの小学生といい、この子たちといい、どうして堂々と通行の邪魔をしているかは管理人の想像を超えている。ドッジボールがしたければ学校の校庭ですればいいものを……

ともかく、これは回避することにした。脱感作トレーニングには臨界点というものがあるそうだ。「これ以上は無理」という限界のことで、それを越えてしまうと、却って恐怖感が強くなり逆効果になる。

たとえば、管理人は全身蛇柄の衣装をまとったお姉ちゃんとすれ違っても、何とか耐えることができるが、その人が首にマフラー代わりにアオダイショウを巻いていて、そのかっこで抱きつかれたら、おそらく蛇柄の財布を持っている人も嫌いになる。

姫にとっては大勢の子どもたちに撫でられたというだけできょうはおそらくいっぱいいっぱいだろうと管理人は判断した。

子どもたちに見つからないようそっと脇道に逸れたのだが、それでも何人かの子どもたちが犬猫屋敷ご一行の姿に気づき「あっ、ワンちゃんだ! 可愛ぃぃぃぃ〜!!」と騒ぎはじめた。

我が家には「可愛ぃぃぃぃ〜!!」を自分の名前だと勘違いしているナルシストな犬が1頭いる。さっそく撫でてもらおうと、声のするほうににじり寄っていくその犬を引きずり、恐怖のあまり管理人の脚と一体化したようにくっついている姫を踏まないように気をつけ、なおかつそんな騒ぎなどどこ吹く風で、気になる臭いの元に下を向いて釘付けになっているもう1頭のデカ犬をせかしながら、管理人は何とかその場から逃げだした。

たかが散歩、されど散歩。散歩は修行である。  
2チャンネル〜後編〜 2006年1月18日
たしかに犬猫を捨てる飼い主は悪い。だが、そういう飼い主が不幸にしているのは自分の飼っている1匹か2匹の犬猫だけだ。それに対して、きちんとやるべきことをやらない自称動物愛護団体とそこに巣くういい加減なボランティアは、扱っている犬猫のチャンスをつぶしているばかりか、「犬猫の里親探し」という活動じたいの評判を著しく傷つけている。つまりは新しい飼い主を待っている何百何千という動物たちの幸せになるチャンスを根こそぎ奪っていることになるのだ。

どっちが罪が重いかは、考えるまでもないだろう。

ほんの些細な心遣いや他人を思いやるひと言で、たとえ悪いニュースであっても相手にうまく伝えることは可能だ。だがその技術を持たない人、それを理解しようとしない人が窓口として犬猫をもらいに来た人の対応をしたら、とうぜん断られたほうには悪い印象しか残らない。

動物保護と譲渡の活動が問題なのではない。じっさい問題があるのは、そのうちの一握りのボランティアや保護主なのだ。たとえば寄附を募っておきながら決算報告を公開しないとか、サイトで募金を呼びかけて、その金の行く先をきちんと報告しないとか、責任者の名前や連絡先を明らかにしないとか、そういういい加減な活動をしている一部の人間のせいで、保護活動全体が悪く思われるのは大問題だし、潜在的な飼い主候補のお客さまがそれを見て、やっぱり止めた、とペットショップに足を向けるのはじつに残念なことである。

ちなみに、こういう批判がなくなることはぜったいにありえない。なぜなら社会活動をする以上何らかの批判にさらされるのはしかたがないからだ。世間にいろいろな考え方の人がいる。たとえば動物嫌いの人にしてみれば、犬猫のために奔走する里親探しボランティアなど存在自体を否定したくもなるだろう。それを批判されるが嫌だといって自分の活動を隠したり嘘をついたりするのなら、最初からボランティアなどやらないことだ。ついでにいえばネットはたしかに里親探しの貴重なツールだが、同時に不特定多数に見られるぶん、より多くの批判を受ける可能性があるという諸刃の刃だ。だから、もしそれがいやならばネットを使うのも止めればいいわけだ。むろんそうすれば飼い主が見つかる確率はとうぜん下がるだろう。動物たちに良い飼い主を見つける確率を下げるのか、批判にさらされても打ち勝つ強さを持つのか。それは保護活動を続けるそれぞれが選択すべき道だが、中途半端なことをやるのは最悪だ。ネット上で保護団体を名乗りながら、その活動を明らかにせず、集めた募金の使い道も報告しないのでは詐欺と呼ばれても文句は言えない。だがそういう中途半端で無責任な保護団体が乱立しているせいで、譲渡活動すべてが批判にさらされることになるのだ。

こういった批判をできるかぎり少なくしたいのなら、より多くの人へ自分たちの活動の意義や目的を判ってもらうしかないだろう。にもかかわらず、里親探しをしているサイトの多くが、いまや2チャンネルになりはてていることに気がついているだろうか? 同じように犬猫の幸せを願う心優しい人たちが集って「そうだ、そうだ」と盛り上がっているさまは、端から見れば滑稽ですらある。そこに入ってこられるのは、里親探しの条件をクリアしたごく一部の特殊な恵まれた人々ばかりだ。そういう人たちのあいだだけで、保護された犬猫をすべてさばききれるのなら管理人も文句はいわない。だが現実には、出しても出しても同じ数かそれ以上の犬猫が飼い主に捨てられ、その多くが毎日処分されていくのだ。なのに同好の士だけで排他的な世界を作り、必要な広報活動も行わずにいることがほんとうに犬猫の幸せにつながっているのだろうか?

捨てられた犬猫に新しい飼い主を見つけたいのなら、きちんと飼える状態にして送り出すのが筋だろう。もらわれていく家庭の間取りをチェックする暇があるのなら、捨てた飼い主に何が問題だったのか確認し、その部分を矯正した上で出す努力をすべきなのだ。どうしても完全室内飼いで飼って欲しいのなら、室内で飼えるようきちんとしつけをして新しい飼い主の元に送り出すべきなのだ。それを日常生活に必要な最低限のしつけもせず、ケージを使うなどの基本的なトレーニングを「可哀想」だと否定し、挙げ句の果てには「しつけをするな」などというとんでもない輩が動物愛護の運動家を名乗るのは大まちがいだ。

新しい飼い主に要求をつきつけるのはけっこうだ。これこれこういう条件でないと譲渡しないというのならそれもいいだろう。だが、肝心の保護団体のほうはそこまで強気に出られるだけのことをきちんとしていますか?

こういう批判をするたびに「それでもわたしたちは命を救っている」と主張する人間がいる。たしかに目の前の数匹の命は救ったかもしれないが、逃がしてしまった潜在的な里親候補の数を考えたことがあるだろうか? その家にもらわれていくはずだったのに、殺されてしまった動物たちのことを考えたことがあるだろうか? 保護団体がしつけのノウハウさえ持っていれば救うことができたはずの犬たちのことを考えたことがあるだろうか?

たしかにあなた達は命を救ったかもしれない。だが、自分たちが餌をやって生かすだけの保護活動をしておきながら、新しい飼い主にあれこれ要求を突きつけるのは筋違いだ。とりあえず命を助けてやったと主張するのなら、里親さんだってとりあえず生かしてくれる飼い主ならば誰だって良いはずだろう。外飼いだろうが独り暮らしだろうが、極端な話、ワクチンや去勢不妊手術をしない人だって別にかまわないはずだ。責任を持ってきちんと動物を管理し、じゅうぶんな愛情を注いで最期まで大切に飼ってくれる人ならば、少なくともシェルターという名の不適切な多頭飼育現場や目の行き届かない不適切な多頭飼いの預かり家庭にいるよりは、ずっとマシな飼い方ができるはずだし、ましてや犬猫の立場に立ってみればガス室で苦しみながら死んでいくよりはよっぽどマシではないのか?

それが世間のふつうの人の考え方だ。

だが、身内だけの2チャンネルでぬくぬく楽しんでいる自称動物愛護の運動家は、そんなことにすら気づこうとしない。そしていつも犠牲になるのは人間のエゴや自己満足のために利用される犬猫たちなのだ。

再三いい続けてきたことだが、もう一度いう。

あなた達の目的は、犬猫に新しい家を見つけることですか? それともそういう活動が必要なくなる社会を作ることですか? 
2チャンネル〜前編〜 2006年1月17日
2チャンネルというサイトがある。世間では何をやっても言っても許されるインターネットの無法地帯と思われているようだが、じつは大量のトピックを扱う単なる掲示板の集合体だ。ただ匿名投稿が原則なので、そうとう過激な発言が飛び交うのは事実だ。現に犯罪の舞台となったこともあるし、一般には怖い場所と思われているかもしれない(ただし、きちんとネット上でのトレースはなされているので、犯罪に関しては必要な証拠、書き込みをした人のネット上のIDなどは警察、裁判所に提出される仕組みになっている)。

そこに「犬猫里親ボランティア」というスレッドが立っている。おそらくあるだろうな、とは思っていたが、たまたまいつもの立ち寄り先を徘徊していてリリーパパさんのブログで紹介されているのを見つけて覗いてみた。

ちなみに、自分は心優しい動物愛護家で犬猫のために尽力している素晴らしい人間だという思いこみを続けたい保護団体関係者は読まない方が無難だろう。なかにはそうとう辛辣なことが書かれている。むろん、2チャンネルというのは同じような意見を持つ人々がある特定のスレッドに集まって「そうだ、そうだ」と言い合う、いわば同好の士専用掲示板なので、犬猫里親ボランティア批判のスレッドにはそれなりのことが書かれている。心臓の悪い人にはお薦めしないし、あまりのことに泣きくずれる保護団体関係者もいるにちがいない。

だが、この程度のことで傷つくような繊細な心の持ち主なら、最初から命を扱うボランティアなどやらないほうがいいだろう。暇つぶしや生き甲斐探しなら、もっと他にやることはあるはずだ。たかが動物とはいえ、捨てられた犬や猫に新しい飼い主を探す活動は「命を預かる」ボランティアだ。悲惨な現状や、どうしようもない実情、あまりにおかしな現実をきちんと直視する勇気と気合いがない人間は、最初から「犬猫里親ボランティア」などやる資格はない。

管理人は何も、ここに書かれていることがすべて事実だといっているわけではないし、このなかで糾弾されている団体やサイトがすべて悪だとも思ってはいない。たとえば、かの有名ないつでも里親募集中のサイトは募金詐欺の巣窟と名指しで非難されている(悪名高いニャンコ先生のサイトにリンクを貼っているせいだ−ニャンコ先生の一件についてはこちらを)。だが、「いつでも里親募集中」が飼い主を探している犬猫とペットを探している飼い主を結ぶ窓口として大きな役割を果たしているのは事実だし、管理人としては自分のサイトから「いつでも里親募集中」へのリンクを外すつもりはない。またケルビムという沖縄の保護組織は、募金で集めた金をほとんど電話代で使っていると非難されているが沖縄で保護活動を行い、東京などの大都市向けに犬猫を譲渡する活動をしている以上、連絡のために電話代が活動費の多くを占めるのはしかたがないだろう。そういった状況を理解せず非難するのはあまりにも安直という気がしてならない。

そういった分を割り引いても、ここに書かれた書き込みには、考えさせられるものがあった。ここに書き込む人の多くは、世間でいうところの「犬猫里親ボランティア」から犬猫をもらえなかった人々だろう。むろん、なかにはほんとうに犬猫を飼うべき環境にない人も多くいるにちがいない。だが同時に、まったく理にかなっていない「良い里親の条件」を満たせなかったというだけのせいで、あっさりボランティアに断られた人たちも多くいるのだと思う。

管理人は何も行き場を失った犬猫だから無条件に誰にでもやればいいといっているわけではない。二度と捨てられることがないようにきちんとした飼い主の元に送り届けるのは動物愛護の基本である。だが、だからといって画一的な条件で飼い主としての適正を判断するのはやはりおかしいと思うのだ。それに断り方にもノウハウがある。再三いっていることだが、ものは言いようなのだ。

考えてもみて欲しい。ある店に買い物に行き、代金を払おうとしたら、カードを作ると割引になるといわれて、15分かけて申込用紙を書かされ、手続きのあいださんざん待たされたあげく

「お客さま、申し訳ありませんが会社勤めのかたでないとカードは発行できません」

といわれたら腹も立つだろう。管理人はたしかに会社勤めはしていないが、きちんと定収入もあるしささやかながら財産もある。カードで買ったものの支払いはきちんと期日どおりに済ませるというのに、会社勤めをしていないというだけのことでカードも発行してもらえないのだ。だから管理人だったら、そんなことをいわれたらぜったいに怒り狂う。買うはずだったものは、もちろん「いらない」と断るだろうし、二度とその店には行かないだろう。そればかりか、周りの知人友人に○○デパートでこんな不愉快な思いをしたと吹聴してまわるにちがいない。管理人は心の狭い冷たい人間なので、そのせいで店が閉店に追い込まれようが、その店の従業員が路頭に迷おうが関係ない。そして世間の多くは管理人のように狭量な人間ばかりなのだ。

いまの譲渡活動で多くの団体がやっているのはこの○○デパートと同じことなのだ。売り物である犬猫をショーウィンドウに飾り、可哀想だから助けてやってくれと世間の購買欲をさんざん煽ったあげく、じっさいに買いに来たお客さまを、おまえには支払い能力がないから売らないとけんもほろろの断るのだ。譲渡活動に世間の理解がないとか捨てられる犬猫が可哀想だとか、不妊去勢手術をしない飼い主や保健所やセンターに犬猫を捨てにくる無責任な飼い主を非難している暇があったら、自分たちが何をやっているか少しは反省すべきだと管理人は思う。

(あしたに続く) 
お勉強しましょ!〜その5〜褒美と賄賂のちがい 2006年1月16日
 先日説明したように、ご褒美として食べ物、おもちゃ、撫でることを使うのは、それが犬にとってほんらい理解しやすい「良いこと」(一次強化子)に直結しているからだ。それに関連づけて「褒める」という人間だけがくれるご褒美を犬に「良いこと」として認識させるのに失敗すると、いつまでたってもおやつが離せないという事態に陥る。

ただ、もうひとつおやつを手放せなくなる失敗がある。「ご褒美」としてあげているはずのおやつが「賄賂」になってしまっている場合である。

米国のドッグトレーナーSuzanne Clothierは"REWARDS, LURES & BRIBES"のなかで褒美と賄賂のちがいをこう定義している。

「褒美は『ありがとう! あなたがやってくれたことはとても嬉しいわ!』という感謝の気持ちを現す機会である。心の中でありがとうとつぶやくことから、頭を撫でてやること、熱狂的な喜びの舞、もしくは山のようにおやつをあげること、そのすべてが褒美になる。褒美は、犬が、飼い主の望んだとおりの行動をとったり反応をした直後に、いきなり予想外に与えられるべきものだ」

それに対し賄賂は
「犬自身が望まない行動をさせるための交換条件である。賄賂は通常行動を起こさせる前(『これをしてくれるのなら、これをあげる』)もしくはコマンドと同時(『言うことを聞いてくれれば、これがもらえるよ』)に犬の前に出されることになる。……(中略)……これはトレーニングではない。ただその時点での危険や問題を一時的に回避するために使用される方法である。そのような状況下では、賄賂は有効な手段だ。たとえば、鶏の死骸をくわえて嬉しそうに家の周りを駆け回る犬にいくらコマンドを発しても、犬はその獲物を離そうとはしないだろう。だが、そこでめったに食べられないようなチーズや大好きなおもちゃを見せられたら、犬は喜んで鶏の死骸と交換するにちがいない」

褒美をやっているつもりが賄賂になっている。じつはおやつを持っていないと犬に言うことを聞いてもらえない飼い主の多くはこれなのだ。

トレーニングの当初、犬は100%の確率でおやつ(遊び、撫でてもらう)がもらえる。このときの報酬(おやつ、遊び、撫でてもらう)は、じつは「褒美」ではなく「ルアー(ベイト)」である。

ルアーとは
「ある行動を起こさせる前に犬に見せ、望ましい行動を誘導したり混乱や恐怖を克服させるために使用される。ルアーは犬に新しいコマンドを教えたり、犬自身の不安や恐怖感を克服させるために非常に有効であり、ハンドラー自身やハンドラーの動きに犬の興味を引きつけるための手段として用いられる」

たとえば、現在犬猫屋敷で教えている「ツケ」のコマンドだが、初めはとにかく人間の左側について歩くことで良いことが起こるという刷り込みのために、犬は左側について管理人を見上げるたびにレバーがもらえる。この時点で振る舞われるレバーは「ルアー」である。

やがて左につくのがとうぜんの行動となり、何かに気をとられて一瞬前に走りだしても、リードが張った感覚で慌てて犬が戻ってくるようになると、こんどは戻ってきたという「好ましい行動」に対してレバーが支給される。この場合のレバーは「褒美」となる。

だが、犬が前に走りだしたときに、レバーを振って「戻ってこい」と言った場合、そのレバーは「賄賂」なのだ。

同じレバーが、トレーニングの課程で「ルアー」から「褒美」に変わっていく。その切り替えをうまくできれば、毎回レバーを与えなくても犬は「好ましい行動」をとるようになる。だが、それに失敗すると、おやつがないと動かない犬ができあがる。

ただ、別にそれができなくとも肩を落とす必要はないのだ。なぜなら、プロのトレーナーですら、多くは手におやつを持っている振りをして犬を動かしている。だが同時にプロのトレーナーの多くは、何らかの報酬をルアーとして使わない限り他人の犬を動かすことはできない。なぜなら彼らは「ルアー」を使っているだけで、「褒美」で犬を自由に操れるほど他人の犬との信頼関係ができていないからだ。

「褒美」というのは犬の期待感である。「前にこれをやったときは○○がもらえた。もしかしたら、またこんどももらえるかも!」という期待感が犬を「好ましい行動」に駆り立てるのだ。その期待感を持たせられるのは、じつは飼い主だけである。だから、ほんとうに「褒美」を使って完璧に犬を動かせるのは飼い主だけの特権なのだ。

それを考えると自分はもったいないことをしている、と思う瞬間はないだろうか? ほんの少しの努力と、時間を使うだけで、自分の愛犬をほんとうに自分だけの宝物に変身させることができるのだ。しつけ教室やトレーナーからヒントをもらうだけで、どんな飼い主であっても簡単にできることなのだ。必要なのは、ほんの少しに忍耐と知識と、自分の犬を観察する能力だけだ。あとは楽しんでトレーニングをしていくだけで、いままでのちょっとした悩みが簡単に解決する。

犬を叱らずに済む生活はほんとうに楽しい。その楽しさを、より多くの飼い主さんに知ってもらいたいというのが管理人の願いである。

参考文献:"REWARDS, LURES & BRIBES" 
遊ぶ? 2006年1月15日
4パピママのところで新しい飼い主さんを待っているジャックの成長記録、皆さんは、ご覧になっているだろうか?

「年寄り、でかい、障害あり」という、新しい家が見つかりにくい三種の神器を背負って里親探しに臨むジャックだが、なんと、瞬く間にオスワリ、フセ、マテ、ツケなどの基本コマンドをマスターし、ついには「とってこい」までやり始めた。むろん「おいで」もすでにマスター済みである。

そりゃぁ〜4パピママさんは、犬のトレーニングのプロなのだから、さくさくっとできてしまうのは、当たり前っちゃあ当たり前なんだが、やはり負けず嫌いの管理人としては非常に悔しかったりするわけだ。何しろ姫のライバルであるジャック(。いつの間にライバルになったのやら?!)が3日でマスターしたフセをさせるのに、管理人は1年以上を費やしているわけだし……

そこで、管理人としてはプロの秘訣が何なのか、もう一回ブログの内容をとくと吟味してみた。その結果、ひとつの結論に達したのだ。

管理人、姫と遊んだことないじゃん!

姫は我が家に来て、驚くほどすぐに管理人になついてくれた。里親募集時代から名前を変えたにもかかわらず「姫!」と呼ぶとすぐに尻尾振り振り飛んでくる状態だったし、何しろとにかく食いしん坊だったので、コマンドを入れる際もおやつで釣ればすぐ覚える大変しつけのしやすいコだった。そのせいで、管理人はあえて「姫と遊ぶ」という行為を積極的にはしなかった。むろん、来てすぐの頃は、何度かおもちゃを出してきて遊んでみようとはしたのだ。だが、姫がぜんぜん乗ってこないので、このコは人間との遊び方を知らないんだろうと深く追求せずに今日に至っている。

姫は他の犬と遊ぶのが大好きなコだ。だが、残念ながら同居犬のツチノコ兄弟は、ほとんど姫と遊んでやらない。だから姫は常時「お友だち募集中」状態なのだ。散歩の途中で姫にお友だちを作ってやることには熱心だった管理人だが、考えてみれば、管理人が家でお友だちになって遊んでやればいいことなのだ。

ちなみに、姫は未だに管理人に腹を見せない。以前遊びに来たChoco.には平気で遊びの途中で腹を見せていたのに……ごくたまにDJと遊ぶときも、腹を見せることはあるのに……管理人には見せてくれない

というわけで、きょうから管理人は姫の「お友だち」になることに決めた。さっそく、4パピママを見習って、姫の前で頭を下げて尻を上げプレイバウ(こちらの写真を参照)のポーズをしてみたのだ。

そしたら……姫ったら……死ぬほど冷たい目でこっちを見て……

「こいつ、何やっているわけ?」

って顔をしたのだ

もしかして、久しぶりのプレイバウなので技が錆びついているかもしれないと、試しにカイザーの前でやってみたところ、カイは同じように尻を上げてプレイバウを返してくれた。もちろん目は爛々と輝き、尻尾をぶるんぶるん振っている。

「遊ぶ? ねえ、遊ぶの!?」

そうそう、犬が遊びの誘いに乗ってきてくれたときは、こういう顔になるのだ。それからしばらくカイと組んずほぐれつ思いっきり犬になりきって転げ回った。もちろん、管理人が「ガルルル」とか「ウゥゥゥ」とか妙な奇声を上げていたのはいうまでもない。

それを姫は横で冷静な目で見ていた。

「いったい何やっているの、こいつら?」

犬はもともと「遊ぶ」ことが大好きだが、なかには人間と遊ぶことを知らずに育ってしまうコたちもいる。ひもなどを使ってひっぱりっこをしてみたり、追いかけっこをしてみたり、いわゆるプロレスをやってみたりといった犬どうしの遊びを人間相手にやらずに育ってしまったコたちだ。彼らの頭の中では、人間がそういう遊びの相手をしてくれるなどということは思いつかない。だから、人間だって遊び相手になってくれるんだよ、ということを教えてやらなくてはならないのだ。

しかしなぜ、すでに餌を褒美にコマンドが入ると判っている犬と、あえて遊んでやらなくてはならないのか?

それは管理人自身が姫の「一番好き」に昇格したいという野心に燃えているからに他ならない。

姫がコマンドに従うのは、管理人が「一番好きなレバー」をくれる人だからだ。それに管理人が「一番好きなレバーが入っているポーチ」を持っている人だからというのもある。

それってあまりに哀しすぎる。

せっかく犬を飼っているのだから、やっぱりせっかくなら愛犬の「一番好き」になりたいもんじゃないか?

犬がコマンドに従うのも、飼い主にとびっきりの笑顔を見せるのも、呼ばれたら何があっても飼い主の元に戻るのも、犬にとって飼い主が究極の「一番好き」だからなのだ。

オスワリを教えるよりも、お手を教えるよりも先に、まずジャックの「一番好き」になろうとした4パピママさんはやはりプロだなと感心する。それと同時に、あまりにも「完璧」な預かりさんぶりに、おいおい、そろそろ何かドカンと一発やらかしてくれないか?と内心心待ちにするイケズな管理人である。  
フレキシブルリード 2006年1月14日
犬を飼っている人ならほとんど誰でも知っているフレキシだが、意外とこの怖さを知っている人は少ないのではないかと思う。また、まちがった使い方をしている人を多く見かけることがあり、管理人は前々から非常に気になっていた。

昨日の日記でご協力をお願いしたたろうの飼い主さんが使っていたのも、やはりフレキシだった。今回の件は単なる事故だし、誰にでも起こりうることだ。だから別にそのことを責める意図はないのだが、フレキシで事故が起こる可能性がたぶんにあることは、犬を飼っている多くの人に知っておいてもらいたいと思い、さっそく記事にすることにした。

犬を飼い始めたばかりの人や、犬を飼っていない人までが、なぜかフレキシのことを知っている。管理人は

「あのビヨ〜ンと伸びるリード、便利そうだね」

といわれるたびに、その便利そうなリードがじつは使い方をまちがえると魔物になるということをしつこく友人知人に説いてまわっている。管理人がフレキシは危険だと思うのは以下の理由からである。

***手から離れる危険性***

通常の綱タイプのリードであれば、持ち手を手首に通し、その上リードを手で握るというのがふつうの持ち方だろう。この方法ならば万が一手を放してもリードはたいてい手首で止まる。ある程度しつけの入った犬ならば、手首にリードを通すだけで、通常の状態ならば小指一本で抑えるだけでも犬と飼い主はきちんとつながった状態を確保できる。それに対してフレキシの場合は、常にきっちりとグリップを握っていないとならない。1時間近く緊張した状態で何かを握っていられるものかどうか、じっさいに試してみるとよくわかるはずだ。とうぜん、散歩の途中で力を緩める瞬間が出てくる。そのときにたまたま犬が予想外の動きをしたとき、事故は簡単に起こってしまうのだ。

***ボタン操作の煩雑さ***

フレキシはグリップ上のボタンでリードの長さを調整する。またある一定の長さ以上にはならないようロック機能もついている。だが、慣れないとどちら側のボタンを押せばリードが伸びるのか戻るのか判らなくなってしまう。ふつうの状態ならともかく、パニックしたとき、間違えて逆のボタンを押す人を多く見かける。つまり、犬どうしが一触即発になったとき、犬を回収するつもりが、わざわざ犬を放している人がいるということだ。万が一の事態が起こったとき、一番大切なのは犬の動きをきちんと見ていることだ。たとえば喧嘩のさい、犬はシグナルを出した直後に相手に飛びかかっていく。そのときにいちいち手元のボタンを確認していたら、飼い主のリアクションが間に合わなくてもとうぜんだろう。

フレキシを使うのなら、目をつぶっていてもボタン操作ができるまで飼い主が使い方を身体で覚えてから使用すべきだ。また自分の犬の動きが読めない初心者が、ボタン操作に意識をとられて犬から視線を離すのも大変危険なことだと思う。

***長いリードにかかる負荷***

振り子の原理をご存じだろうか? 同じ重さの重しであっても、ひもが長くなると振れる幅が広くなるというあの原理だ。つまりひもが長くなることで運動のエネルギーが大きくなる。じつは犬とリードの関係も同じなのだ。たとえば、家の犬たちは20Kg超の大型犬ばかりだが、それを1mのリードでつなぐのと3mのリードでつなぐのだと、犬が引っぱったときに飼い主にかかる負荷が大きく変わる。管理人は1mのリードであれば3頭を同時に引くこともできるし、万が一猫などを見つけて3頭が同時にダッシュしようとしても力だけで止めることが可能だが、3mのリードで3頭は、通常の場合でもコントロールすることなどとてもできない。

フレキシは通常3mか5mのタイプが主流だが、なかには8mというものもある。最大限にリードをのばした状態で、いきなり犬がパニックして暴れたとき、飼い主にかかる負荷は計り知れない。小型犬であってもそうとうの負荷がかかるはずだし、それが1mリードでもやっとという中型犬以上だった場合、グリップを離してしまう事故が起こっても少しもおかしくはないのだ。

ほんらい、フレキシは通常のリードの補助として使用すべきものだ。散歩のときに持っていって、公園や広場、河原など、かなり自由に遊ばせられるがオフリードにするわけにはいかないという場合にだけ、通常のリードから付け替えて使用するべきものだと管理人は思っている。

同時に、フレキシを使う際には呼び戻しのコマンドだけは入っていることが大前提だ。リールボタンを押せば犬が戻ってくるからいいと勘違いしている人が多くいるが、犬をコマンドで呼び戻して、それからリードの巻き取りボタンを押すのが、ほんらいの正しい使い方なのだ。

だから、管理人の考えでは、フレキシを使ってもいいのは、最低限のコマンドが入った犬と、自分の犬の動きを予測し、どんな事態にも冷静に対処できて、なおかつフレキシの使い方にも精通したある程度経験のある犬飼いのみである。

にもかかわらずお散歩デビューのその日からフレキシを使っている飼い主がじつに多い。おそらく最初にリードを買う時点で、あれは便利そうだからとフレキシを購入するのだろう。なかにはフレキシしか持っていないなどというとんでもない飼い主までいるほどだ。

フレキシは、通常のシンプルなリードの補助として使う分には非常に便利で優れた製品だが、メインのリードとして使うものではないし、ましてやフレキシでトレーニングなどできるわけはない。

どんなに便利なものであっても、使用方法をまちがえれば犬と飼い主に危険が及ぶ。犬を飼っている以上、そこのところをきちんと認識しておかないと、万が一の事故は決してなくなることがないのだ。 
迷い犬 2006年1月13日
またもや迷子の犬が出てしまった。

もも母さまのところから卒業していったたろうである。

2日前(1/10)の夕方、河原を散歩しているときにとつぜん猛烈な勢いで引っぱって、飼い主さんの手が離れた隙に、リードをつけたまま走り去ってしまった。場所は埼玉県川口市と鳩ヶ谷市の中間点の川沿いである。ビラ配りなどもして、ずっと関係者が捜索を続けているが、いまだ目撃情報すら入っていない。

すでに2日は経っているので、そうとう遠くまでいっている可能性がある。むろん隣接する蕨市・さいたま市・戸田市なども捜索しているが、川を(芝川という川の可能性大→荒川と合流するそうだ)越えて東京都板橋区・北区まで行っていることも考えられる。じっさい、1歳弱の体力のある若い犬なので、もっと遠くまで行ってしまう可能性だってある。

うちはぜんぜん関係ないと思わずに、できれば散歩のときにでも周りの人に一声かけていただければありがたい。

たろうは体重15Kg前後、犬に詳しい人が見ればシェパードとしては小さすぎるとすぐ判るが、顔つきだけ見るといっけん毛色の極端に薄いシェパといってもじゅうぶん通る。逃げたときにはフレキシブルリードをつけていた。そのリードを引きずったまま走っているので迷い犬であることは一目瞭然だろう。ただ、リードなどがどこかにはさまって逆に動けなくなっているかもしれないというのが心配だ。また何かにはさまってしまったリードを無理矢理外そうとして、首輪が脱げてしまっている可能性もある。

いなくなったときには黒の首輪に迷子札・鑑札をつけていた。月齢は11ヶ月前後、去勢手術はまだしていない。基本的に人なつこいコだが大きい音には驚くこともある。

どんなことでも情報があればもも母さままで。

チラシを貼ってくださる方はこちらからワード版もしくはPDFがダウンロードできます。

1日も早く見つかるように、皆さんのご協力をお願いいたします。

……管理人のため息……

こういうことが起こるたび、犬を飼っていればうちは大丈夫かと心配になるのが飼い主の常だろう。

先日の迷子犬事件のときもいったとおり、犬が万が一逃げ出したときは、ぜったいに追いかけてはいけないということを、より多くの人に知っておいてもらいたいと思っている。たいていの犬は、追いかけなければ飼い主を追って戻ってくる。だから、どんな状況でも名前を呼ばれたら反応するよう日頃から犬をトレーニングすることをぜひ忘れてないで欲しいと思う。どんなに頑丈なリードや首輪やハーネスを使っても、ぜったいということはありえない。飼い主のそばにいるのが一番安全だと思えば、犬は必ず帰ってくる。だから犬とのきちんとした信頼関係を作ることにぜひとも全力を注いでもらいたい。

同時に、新しい犬を迎えたら、少しずつでいいから家の近所をくまなく犬に見せてやって欲しい。毎日同じ散歩コースをたどるだけではなく、たまには入ったことのなり路地やちがう道なども通ってやって欲しい。少なくとも家の半径2kmくらいをカバーしておけば、たとえ事故やうっかりミスで犬が放れてしまったとしても自力で帰ってこれる確率が格段に上がる。

成犬を飼い始めた場合、新しい家に来た第1日目から散歩が始まる。つまりは迷子の可能性は1日目からあるわけだ。だから、譲渡活動に携わるスタッフや預かりボランティアは、ぜひともそういった1日目から必要な知識を、まず新しい飼い主に伝えていって欲しいと思う。

こういうことを教訓に、少しでも迷い犬になるコが出ないよう、より多くの人たちが、必要な情報を周りの犬飼いさんたちにもぜひ伝えていってもらいたいものだ。  
コングレシピ 2006年1月12日
きょうは海外のサイトで見つけたちょっと変わったコングレシピを紹介する。

バナナラマ

*バナナ 1本
*麦芽 小さじ2杯
*プレーンヨーグルト 小さじ1杯
(ミディアムサイズコング用)

ボールの中でバナナをつぶし、そこに麦芽とヨーグルトを加え、ぜんたいによく馴染ませたあと、スプーンでそれをコングに詰める。冷凍庫で4時間冷やしたあと犬に与える。

フルーツサラダ

  *一口大に切ったリンゴとにんじん(他の果物、野菜でも可)
  *バナナ1/4本

コングの中にリンゴとにんじんを詰め、大きい方の口を、つぶしてペースト状になったバナナでふさぐ。リンゴやにんじん以外にも、オレンジ、桃、セロリ、ブロッコリーカリフラワー、トマト、オリーブなどを入れてもいい。

野菜オムレツ

  *卵1コ
  *チーズ
  *犬のお好みの野菜

生卵をかき混ぜ、それを野菜で包み込む(管理人注釈:野菜はキャベツやレタスが良いかもしれない)それをコングの中に詰め、大きい方の口にチーズを詰めて電子レンジで20秒ほど加熱する。犬には冷めてから与えましょう。

ジェニーおばさんのクラシックレシピ(コング上級犬向け)

第1層(一番細い部分)無塩ローストカシュウナッツ、フリーズドライリバー、
第2層ドライフード、ドッグビスケット、ピーナッツバター、ドライフルーツ
第3層にんじん、ターキー、またはラビオリなどのパスタ

できるだけぎゅうぎゅうに詰めること。上の口のすぐ下にはラビオリまたはアプリコットのドライフルーツを詰めると簡単に口から出ないのでよりいっそう望ましい。ダイエットバージョンとしては、カシューナッツのかわりに粉々に砕いた餅、フリーズドライレバーの代わりにシーザークルトン(?)を、ピーナッツバターの代わりに無脂肪のクリームチーズを使います。

フローズン・ジャーキー・ポップス

   *ピーナッツバター
   *ブイオン
   *ビーフジャーキー
   *水

コングの小さな穴をピーナッツバターで蓋し、中に水を入れ、そこに少量のブイオンを入れてなかにビーフジャーキー(管理人注釈:おそらく長めのものを指している。大きい口から先が出る感じ)を入れ、冷凍庫で凍らせます。

犬猫屋敷のお気に入り

   *チーズ
   *ドライフード
   *砂肝ジャーキー(ブタ耳のスライス)
   *グリーニーズ(馬のアキレス)

下の小さな穴にチーズを押し込みます。その上にドライフードを詰め(下1/3くらい)グリーニーズを太い方を下にしてなかなか出てこないよう突起にうまく引っかかるようにして力一杯詰めこみ、大きな口の隙間から砂肝ジャーキー(ブタ耳のスライス)をぎゅうぎゅうに詰めこんで完成。

またはグリーニーズ(馬のアキレス)の代わりに、上の口の周りにとろけるチーズを詰め、電子レンジで10秒ほど加熱すると……

犬たち、狂います犬

ぜひともお試しあれ!?

参考文献:
Kong Stuffing Receipes
Kong Pet Toy  
コング 2006年1月11日
コングというおもちゃの話、優良犬飼いを目指すみなさまならば、一度は聞いたことがあるだろう。あのウン○みたいなかたちをしたゴムの塊である。

日本では意外に知られていないのだが、コングは犬のおもちゃの帝王だ。

投げて良し、詰めて良し、咬んで良し。1つでここまで楽しめるおもちゃは他にない。

それがほんの2000円足らずで手にはいるのだ。子犬から老犬までコングはあらゆる世代に絶大なる人気を誇るおもちゃのロングセラーだ。別に管理人はコングの会社の回し者ではないのだが……

そして、コングは犬の作業意欲を満足させるという意味で非常に優れたおもちゃなのだ。なぜなら、コングに詰めたおやつは簡単には手に入らない。頭を使って、時間をかけて、望む報酬を得られる快感を犬に味あわせることができる。

で、そのコングだが、じつは日本ではその使い方が正しく認識されていないような気がしてきた。なぜなら、あの中におやつを詰めるということすら知らない人が多いからだ。

管理人の友人があるときこんなことをいっていた。

「お宅のサイトを見て、コングはお留守番の友って書いてあったけど、わたしにはどうしても理解できないの」

「なんで?」

「だって、投げる人がいなきゃ、コングだっておもしろくないじゃない!」

彼女はコングを「投げるといろんな方向に弾んでおもしろいボール」としか認識していなかった。

「あんた、なんのために真ん中に穴が開いてると思ってたのよ!?」

「いろんな方向にバウンドするための秘訣なのかと……」

英語のサイトには「コングレシピ」なるページがちゃんとある。犬がワクワクするような中に詰めるおやつの一覧と詰め方がちゃんと書いてあるのだ。

管理人が知る限り日本語でこういったサイトはI love pet netにちょっとしたものと、偶然にもほんの8時間前にアップされた☆4パピママの預かり日記以外には他に見たことがない。

そこで及ばずながらアメリカのサイトからコングの詰め方およびレシピをいくつか紹介しておこう。(どーせうちは海外サイトの訳文だけですけどね、オリジナルの写真もないしさ−イジイジ)

★★まずは詰める際の注意点★★

犬に「成功」させることが重要なので、最初は中身を取りだしやすいように詰めましょう。

犬がコングの使い方に慣れてきたところで、段々と難しくしていきます。たとえば

1.中身をぎゅうぎゅうに詰めてみる
2.ビスケットなどが簡単に出ないよう、中の突起に押し込む
3.冷凍するのもよく使われる方法です。さまざまな種類の缶詰フードやグレイヴィーソース、麺類、米、マッシュポテトなどをドライフードと混ぜ合わせコングの中に詰めてから冷凍します。またコングアイス(KONGSICLES)を作るのもお奨め。コングの小さい方の穴をピーナッツバターなどで塞ぎ、大きなほうの口から水、チキンスープ、フルーツジュースなどを注ぎ冷凍します。ただし、与えるときは屋外で!
4.細かく切ったチーズとドライフードを混ぜ、コングに詰めてからチーズが溶けるまで電子レンジにかけます。犬に与えるのは十分冷ましてから!

注意:おやつを詰めたコングを冷凍または電子レンジにかける場合は、マグカップなどに入れてください
管理人注釈:ここで使う食べ物は、もちろん犬の身体に害のない味のついていないものを選んでください!

詰め方例

1.犬のサイズにあったコングを選びましょう(管理人注釈:顎の力の強い大型犬に小さなサイズのものを選ぶと噛み切ったゴムを飲み込んでしまったりして非常に危険です。大型犬の場合は硬めのブラックコングなどを使用しましょう)
2.犬の気を引くために、小さな穴にはドライレバー、ピーナッツバター、チーズなどを詰めます。
3.デザート部分:コングの下(細い方)から約1/3にドッグビスケットなどのおやつを詰めます。
4.メインディッシュ部分:2/3の部分に、缶詰フードと混ぜたドライフードなどを詰めます。
5.前菜部分:大きめのドッグビスケットなどを、穴から半分姿が見えるように差し込みます。すぐにとれるご褒美があることで、犬は真剣に中のものを取りだそうとがんばるのです

というわけで、こんな具合でコングに食べ物を詰めていくわけだ。明日は、どんなものを詰めるといいか、コングレシピをいくつか紹介する。  

参考資料:Kong Stuffing Technics
お勉強しましょ!〜その4〜ご褒美と褒めるの関係 2006年1月10日
 ちかごろのしつけ本の主流は「褒めてしつける」肯定強化(陽性強化)に関するものだ。そのほとんどが、食べ物を褒美に使うと良いと書いている。ところが、なぜ食べ物を褒美として使うのが有効かという理由についてきちんと説明している本はあまりない。

「好ましい行動」の報酬として食べ物を使うのは、それが犬にとって一番判りやすい「良いこと」だからだ。子犬が生まれてまず最初に目にする生き物は、自分を産んだ母犬であり、一緒に生まれたきょうだい犬だ。ときとして、これに父犬と生家の飼い主が加わることもあるのだが、日本の現状で言うと、多くの場合は母犬ときょうだい犬と考えた方が無難だろう。子犬が教えられなくてもやることは、母犬の乳を吸うことだ。生きるために食うというのは動物に生まれたときから備わった生存本能である。母犬の乳を吸えば満腹になって幸せだ。これが犬が生まれて最初に味わう幸福だ。

だから褒美として食べ物を使うことで、犬に飼い主の望む行動をとるとよいことが起こる、と学習させるのだ。これを小難しいトレーニング用語では一次強化子(もう少し難しい話はこちらをご覧あれ)と呼ぶ。

撫でられるということも食べ物とどうよう一次強化子だ。なぜなら母犬は、嘗めて子犬の世話をするからだ。母犬は授乳中、汚物もすべて嘗めとる。目が開く前から、子犬は母親に触れられる感触を知っている。だから母犬に嘗められるのとどうように人の手で優しく触れられることで、犬は安心感を得る。

遊びというのも、もうひとつの一次強化子だ。生まれてすぐ母犬やきょうだい犬と離されたほんとうに不幸な子犬を除いて、すべての犬はきょうだい犬や母犬との「遊び」を通して社会性を身につけていく。たとえば、咬むという行為にさまざまな段階があることを学習する。以前公開した姫とChoco.の遊び動画を見てもらえばわかるように、犬は甘咬みという方法を学ぶのだ。あまり強く咬みすぎると、相手に嫌われてもう遊んでもらえなくなる。そこから子犬は遊びのルールを学習する。遊ぶことは楽しい。だからこれも犬が生来持っている「良いこと」のリストのひとつに数えられる。

このように、子犬が生まれて人間と関わる以前にすでに犬にとって「良いこと」として刷り込まれているものが一次強化子と呼ばれる。

それに対して「褒められる」ということは、初め、犬の中では「良いこと」とは認識されない。なぜなら、母犬は子犬を「褒める」ことはないからだ。

だから、犬がすでに知っている一次強化子(餌、愛撫、遊び)と一次強化子との関連づけで覚えていく二次強化子(褒めること)を抱き合わせで教えないとおやつが手放せなくなるのはとうぜんなのだ。

二次強化子と一次強化子の関連づけを犬に教え込むには、パブロフの犬の理論を利用する。ベルが鳴ると餌がもらえて唾液が分泌するというあれである。だから、

良い行い=褒められる+おやつ=嬉しい

という方程式ができるまでは100%おやつを配りまくるわけだ。ここでいう良い行いとは、コマンドに従ったということだけではない。名前を呼んだら振り向いたというだけでも十分に良い行いだ。褒められることを良いことと認識する前の子犬に対しては、当初「Good」のたびに褒美を与えるのが望ましい。極端な話、飼い主の声がすると良いことが起こると刷り込むために、犬に声をかけるたびに、褒美(食べ物、遊び、愛撫)をとにかく与えるのである。

ところが世間には、褒められることが「良いこと」だと理解していない犬というのが多くいる。これは飼い主に「叱る」ことをメイン育てられてしまった子犬の場合だ。子犬は悪戯もするし粗相もする。だから新しい飼い主は、子犬を見るたびに、声をかけるたびに、とにかく「No」ばかりを繰りかえすことになる。そうすると何が起こるか?

群で生きる習性を持つ犬にとって、群の仲間である飼い主に無視されることは何より辛い。逆に飼い主に注目されることは犬にとっての喜びである。飼い主が犬に声をかけるたびに「No」と言っていたら、「No」が犬にとっての二次強化子になってしまうのだ。

「うちの犬はいくら叱っても言うことを聞かない」

「うちの犬は止めろということばかりを繰りかえす問題犬だ」

そんな悩みを持つ飼い主の多くは、犬に「No」を「良いこと」として刷り込んでしまっている。だからいくら飼い主が「No」といっても犬の問題行動は止まない。なぜなら犬にとって飼い主の「No」が褒美になってしまっているからだ。

問題行動に悩む飼い主さんは、一度自分の行動をよく振り返ってみて欲しい。悪いことをした犬を叱るだけではなく、悪いことをしていないときの犬を、あなたはちゃんと褒めていますか?

吠え癖のある犬なら吠えていないとき、飛びつき癖のある犬なら四本の足が地面についているとき、引っぱり癖のある犬ならリードが弛んでいるとき。あなたはきちんと「Good」といってやりますか?

「Good」を知らない犬にいくら「No」といっても意味はない。褒められることを「良いこと」として認識できない犬にとっては叱られることは罰にはならないからだ。だから「褒められることは良いことだ」ということをまず犬に認識させるために、一次強化子である食べ物や遊びや愛撫を使って「褒められること」=「良いこと」の方程式を犬の頭に刷り込んでやるのだ。

方程式の刷り込みにかかる時間は固体と飼い主のやり方によって千差万別である。1日で覚えるコもいれば1ヶ月以上かかるコもいる。だが、1ヶ月かかるコが1日で覚えるコより頭が悪いというわけではない。どんなに時間がかかるコであっても、飼い主が諦めさえしなければ、どんな犬にでもこの方程式の刷り込みは必ずできる。

管理人の考えでは、やみくもに時間だからとおやつを配る飼い主は良い飼い主ではない。たしかに大好きなおやつをもらえば犬は喜ぶ。だが、何もせずにおやつをもらえるのでは、犬はそこから何の達成感も得られない。以前から書いているように、犬というのは作業意欲を持つよう人間が人工的に交配し作り上げた動物だ。どんな犬であっても「作業意欲」を持って生まれてくる。作業意欲というのはエネルギーだ。つまりトレーニングによってその作業意欲を満足させてやらないと、そのあり余ったエネルギーが問題行動の引き金となってしまうのだ。

犬は頭を使い、身体を使って報酬を得ることで「作業意欲」を満足させる。飼い主は犬の「作業意欲」を満足させてやるために、これまた頭と身体を使って、犬に方程式を刷り込むためにあれこれ試行錯誤をしなくてはならない。

報酬というのは犬が嬉しいものでなければ意味がない。だから、飼い主が与える報酬が嬉しいものだと犬が認識するようならない限り、褒めてしつけるトレーニングを始めることはできないのだ。 
メッセージ 2006年1月9日
 正月早々日記に書いたとおり、姫のトイレ成功率が年末年始でがくんと下がった。しばらくのあいだ快調にとばしていたにもかからず、とつぜん管理人の部屋のとんでもないところでするばかりか、廊下やキッチン、ついには茶の間のこたつ布団の上でも排尿した。

犬猫屋敷の犬用トイレは一カ所だ。管理人の部屋の新聞紙見開き1ページ分のスペースにトイレシートが敷いてある。ツチノコ兄弟は日に2回の散歩で済ませるのでいまはほとんど姫の専用トイレになっている。

姫は夕方(もしくは夕食前後に)1回と夜中に1回室内トイレを利用する。これまでの成功率は80%。それが冬になっていきなり30%〜10%にまで急降下した。

姫が来た当初、管理人の一番の悩みは姫の「どこでもシッ○」癖だった。盗み食いや絶叫癖はこちらが注意することで割と早い時期に止めさせることができたのだが、トイレの失敗だけはなかなか直らず、したくなったらところかまわず排泄していた。おかげで姫を完全屋敷内フリーにするのに約1年かかってしまった。

トイレの躾というのは個体差が出るものだ。1週間で完了するコもいれば1ヶ月近くかかるコもいる。だが、姫の場合はトイレの位置が判らないというのではなかった。じっさい目の前で粗相をしかけて、「姫さん、シッ○はトイレでしてください」というと、きちんとトイレの場所まで行って用を足すことができるのだ。

その場所がトイレで、そこですれば褒められると判っていながら、なぜわざわざ他のところでしてしまうのか?

ハウンド系の犬はトイレの躾が入りにくいという説がある。群で獲物を追っている途中でところかまわずするために、トイレを1カ所に定めるのが困難だという話だ。だが、姫の場合、散歩の時の排泄場所を見てみると、ほぼ毎日決まったところでしている。どうして外ではトイレの位置を固定できるのに、家のなかではわざわざいろいろなところでするのだろうか?

夏のおわり頃から、見切り発車で姫はツチノコ兄弟どうようほぼ完全な全室フリー生活を送っている。食べ物があるキッチンとお茶の間に関しては人目があるときのみの限定だが、それ以外は自由に行き来するようになった。

そして奇妙なことに、そうなったらトイレの失敗が多くなるのではないかという管理人の予測はみごとに外れた。一時期、姫の失敗ポイントは廊下1カ所だけに絞られた。月に1、2回はそのあたりで失敗することはあるのだが、それ以外はきちんと部屋に戻ってやっていた。むろん、犬猫屋敷では新聞見開き1枚分のスペースにしなければトイレは成功とは言わないので(なんとあのツチノコ兄弟はその中に敷いたスタンダードサイズのトイレシート1枚にぴっちり収めるのだ)厳密に言うと成功率が最高でも80%ということになってしまう。だが、じっさいは月1、2回の廊下での失敗を除けば、10回に7回はトイレシートの上で、あとの3回はトイレシートに隣接しておいてあるビニールクロスの上でやっていたのだ。

尿意をもよおしたらともかく部屋に帰る。これができるようになっただけでも姫としては上出来だと思った。

むろん最初は週に1、2回は廊下で失敗をしていた。だがそれが少しずつ回数が減っていき、ほとんど気にならないほどになったのだ。ちなみに廊下でしたときも姫が叱られることはない。ただ黙って不機嫌な顔で片づけているあいだ、姫は申し訳なさそうな顔で部屋のドアから顔を出してそのようすを眺めている。ビニールクロスにしたときは、「Good」と褒めてもらえる。片づけの最中も管理人はとくに姫を無視したりはしない。床を拭くという作業自体は一緒だが、部屋に戻ってしたときはできるだけ機嫌良くふるまうように心がけている。そして、きちんとトイレでしたときは「Good Girl!!!!」と盛大に褒められて、なおかつ美味しいご褒美がふるまわれる。この3段階のちがいに姫が気がついたとき、姫のトイレの失敗は極端に減ったはずだった。

ところが……

どんなしつけでも一時期後退することはある。だが、姫の場合は単純な後退と言っていいのかどうか、正直管理人は戸惑っていた。キッチンや茶の間で失敗したときは、管理人以外の家人がそばで見ていたのだ。とうぜんながら、トイレポーズをした瞬間に妹が大声で注意したにもかかわらず、姫はその場で大きな水たまりを作った。ふつう、びっくりすれば排泄は止まる。これは人間も犬も同じである。だが、姫の場合は我慢することができない。おまけに冬場になってこの惨状……そういえばたしか昨年も寒くなったとたんに姫のトイレの失敗が頻発したような気が……

たまたま犬友とそんな話をしていたときに、あるひとつの仮説が出てきた。

「もしかしたら、姫、膀胱炎なんじゃない?」

管理人は知らなかったが、膀胱炎というのは完治しなくても暖かくなると症状がよくなるのだそうだ。冷えるととトイレが近くなるのは、人間も犬も同じである。そういえば、木造の日本家屋の犬猫屋敷では、部屋以外の廊下、キッチンなどはかなり寒い。おまけに管理人は、気温の変化が激しすぎるのは姫の心臓に負担になると思いこみ、部屋の暖房の温度を極度に低く設定していたのだ。

もしかして……姫の失敗の原因は寒いせい?

試しに部屋の暖房の温度を2度ほど上げてみた。すると、頻尿だった姫のトイレの回数がいきなり少なくなったのだ!

ごめんよ、姫。トイレが我慢できなかったのは、寒すぎたせいだったんだ。一生懸命それを伝えようとしていたのに、ちゃんと理解してやれなくて悪かった!

犬は人間の言葉を話せない。だが、その分ボディーランゲージや行動で飼い主に自分の意図を伝えようとする。それをきちんと理解してやれるかどうかは、飼い主の心がけひとつなのだ。恥ずかしながら、管理人は姫のメッセージをきちんと受けとってやることができなかった。どうしてちゃんとできるようになったはずのトイレをまた失敗するのだ、と一時期姫に対して怒りさえ感じていたのだ。

最近の管理人の愛読書は、犬と飼い主とのコミュニケーションについて書かれた本である。そのなかに、犬はいつも飼い主に対して自分の意志を伝えようとしている、と書いてあった。犬は言葉ではなく、表情や動作や行動で、常に飼い主に何かを伝えようとしているのだ。むろん、どんな飼い主でも100%愛犬の伝えようとしていることを正しく理解できるとは思わない。だが、少なくとも、理解しようとしているのだということは、愛犬に伝えてやるべきだと思う。そうでないと、やがて犬のほうが「この人には、いくらいってもしかたない」とメッセージを伝えることを止めてしまうからだ。

トレーニングも含めて、犬を飼うということの基本は、愛犬との信頼関係であると最近つくづく思うのだ。

「この人は自分のことを判ってくれる。この人といると安全だ。この人といると嬉しいことが起こる」

そんな風に犬に思わせることができないかぎり、トレーニングもできないし、ほんとうに犬を飼う楽しさはきっと味わえないのだろう。愛犬との信頼関係をきちんと作るために、ある人は大嫌いなゆで卵を1週間食べ続け、ある人は♪ミッキーマウスマーチ♪を口ずさみながら散歩をして愛犬に怪訝な顔で見られ、そしてまたある人は犬の前で四つんばいになってお尻を上げてプレイバウをしたりするわけだ。

犬飼いってもしかすると、どうしようもなく変な人間たちなのかもしれない。

姫は比較的早く管理人に心を開いてくれた。だから、ついつい油断していた部分があったように思う。だから今回、姫が一生懸命送っていたメッセージを正しく理解してやることができなかった。そのせいで姫に悲しい思いをさせてしまった。

管理人は自分の失敗への反省を含めて、初心に戻って基本的なトレーニングを今さらながら始めることにした。ワンツーワンツーのかけ声とともに排泄させるワンツートレーニングである。現在、姫やツチノコ兄弟がトイレに行くたびに、物陰からいきなり現れ「ワンツーワンツー」と騒いでいる不気味な管理人がいる。

むろん、始めたばかりなので愛犬たちには思いっきり怪訝そうな顔で見られている。だが、排泄とワンツーのかけ声とご褒美が犬たちの頭の中で一直線につながる日が来るはずなのだ。そういえばある人は「ワンツー」の代わりに「トイレトイレ」を使っていたっけ。

まあ言葉は何だっていいのだ。犬に判りやすい方法で飼い主の意図を愛犬に伝え、それに対するフィードバックをきちんと飼い主が理解してやりさえすれば……

偉そうなことを言いながら犬猫屋敷の管理人、犬飼いとしてはまだまだだなと反省させられたできごとだった。 
ディーくん代官山でびゅ〜?! 2006年1月8日
久しぶりに青空が広がった昨日、DJは代官山のドッグカフェに行ってきた



…………らしい。



なぜ「らしい」かというと、管理人は家で他の2頭と留守番だったからだ。

ことの起こりは数日前……

妹がいきなり……

「ねえねえ、代官山で大型犬店内OKのドッグカフェ見つけちゃったんだけどさ」

これでも犬猫屋敷は都内23区に位置している。だからドッグカフェじたいは別に珍しくはない。延々坂を登って徒歩20分。最寄り駅まで行けばちゃんと犬も入れるカフェが数軒ある。だが、テラス席ではなく店内まで大型犬を入れてくれる店というのは意外に少ない。ドッグカフェはあるがうちのコが入れるドッグカフェというのはめったにお目にかかれないのだ。

いくら愛犬とお出かけしたくとも、真冬のテラス席はさすがに辛い。ちなみに夏は汗で化粧が5分で崩れる。春は妹が花粉症で外席などは言語道断。けっきょく我が家でドッグカフェに行けるのは1年でも限られた数ヶ月だけなのだ。

もちろん、妹としてはさっそく犬連れで行ってみたいわけだが、管理人は現在お仕事を抱え込み、自宅軟禁の状態である。ひとりでは、むろん3頭全部を連れて行くことは不可能なので、1頭だけ選抜して連れて行くことになった。

つまりは、家庭内レンタルドッグというわけだ。

「よりどりみどりご用意しておりますよ。まずはツケのしつけは完璧。引っぱりゼロの姫さま。ただし、犬を見れば100発100中1曲ご披露致します(現在正月スペシャルで舞もサービス致します)。DJくんはツケのしつけ完成度50%。お出かけ大好き、知らない人に撫でられるの大好き、ただし犬が吠えかかってきたらこれまた100発100中吠え返しますです。あっ、とそれからDJくんはゲロゲロ魔神ね。それで最後はカイザーさん。ツケのしつけ5%未満、思いっきり引っぱります。どんな犬に吠えられてもぜったいに吠え返さないおりこうさん。ただし人混みお出かけは大嫌い。知らない人に撫でられると困った顔で固まります。どれがお好み?」

「あのさ……完璧な犬、1頭もいないわけ?」

「そーねー。そういわれてみれば、どのコも帯に短したすきに長しって感じで」

「いいのか、それで!」

「ほら、犬猫屋敷のモットーって“犬は、一生しつけが続く”じゃない?」

「それさぁ〜、意味ちがうと思うのね……」

というわけで、けっきょくその中から、可もなく不可もなしのDJが選ばれた。というか、他の犬だけがお出かけ!なんて許せない性格から、DJだけ連れて行くのがまあ無難だろうという結論に達したのだ。

そのため、管理人は昨晩忙しいのにわざわざDJだけシャンプーし、けさはカフェでおとなしくできるようおやつのブタ耳まで持たせて、DJを送り出したのである。

おでかけ、おでかけ、ルンルン♪
早くドアあけろよぉ〜

庭に出したとたんに、もうお出かけ気分満開90022である。DJにとってシヨ。ハ・サ・タ・。ヒでお出かけといったら、たくさんの人に「可愛い」といわれる楽しみに、はやる気持ちが抑えられないのだ。

車に乗ったら、即定位置でスタンバイ!
「ここがさ、前からよく見えて可愛いっていわれる席なんだよね。さっ、行くぜ!大根山!」


大根山じゃない代官山だ。

どうやらDJは山登りに出かける気になっている。

DJの誤解とは裏腹に、代官山はファッショナブルな街である。

「おいおい、きれいなお姉ちゃんばっかじゃん。らっき〜、おれのこと撫でる?撫でる?」

むろん、人出の多い代官山でDJが張り切りまくったのはいうまでもない。今回はカフェのなかでも、、気の合わないムカツク奴に会うこともなく、おとなしくよい子で、お茶を飲む妹と友人のそばで買ってもらったクッキーをむしゃむしゃ頬ばっていた。

もちろん、店員さんやお客さんから可愛い可愛いと撫でられて、ディーくんとしてはご満悦である

っていうかぁ〜
この写真なら代官山でも鶯谷でも変わらないっていう噂が……
せめてバッグに風景ぐらいは入れていただきたかったんですが……


というわけで、ディーくんとしては生まれて初めての大根山もとい代官山を満喫してきましたとさ。

そのころ家では……

一心同体のDJがでかけて、すっかり気落ちしているカイに
無理矢理寄り添う姫さまの図…… 
管理人が思うこと〜後編〜 2006年1月7日
ももママさんのところには、現在もう1頭新しい家族のお迎えを待っているコがいる。少し前にいったん飼い主さんが決まって里親探しを卒業した小冬が、飼い主さんの都合で戻されてきてしまった。この記事を読んで、またそれに関して、同じように捨てられたコの飼い主捜しをしている華ママさんが書いた記事や、反対に、里親になったほうの立場から、かつて断られた経験やそれでも諦めずに里親会に通い続けたyukibooさんの記事やYukkoさんの記事を読んで、管理人はいろいろ思うところがあった。

いったん里親が見つかった犬が、さまざまな事情で戻されてくるケースは決して少なくない。それじたいは、むろん残念なことだし、できればそういうことがないよう慎重な里親さん選びをすることはもちろん重要なことだと思う。いったん譲渡した犬が戻ってきたとき、それに関わった里親会のスタッフが無力感にさいなまれ苦しむのみならず、いったん飼い始めた犬を手放さなければならなくなった飼い主さんのほうも、多かれ少なかれ辛い体験をするものだ。むろん、ようやく馴染んだ家からまた知らないところに移される犬の精神的苦痛は想像できないほどだろう。

まちがった里親選びは、関わった人間や犬をすべて不幸にするものだ。だから犬と飼い主さんの縁結びをする際には、より慎重に見極めることが必要だ。

以前から日記で書いているとおり、現在の里親募集のやり方には多かれ少なかれ問題があると管理人は考えている。そのひとつが譲渡基準というものだ。里親探しのページを見たことがある人なら誰でも知っている「独り暮らし不可、庭付き一戸建て希望、小さな子どもがいる家庭不可、引っ越しのある人は不可」というあれである。要は忙しい保護団体の便宜のためのスクリーニング方法だ。それがいつの間にか里親になる絶対条件のように思われてしまっている。

里親会に関わるスタッフの中にも、この条件をクリアしない家に犬を譲渡すると犬が不幸になると真剣に信じている人がいまだに多くいる。だが、なぜこういった条件がつけられるのか、考えてみたことがあるだろうか?

独り暮らしであっても、留守番ができる成犬ならば譲渡できるケースはある。飼い主に万が一のことがあっても犬の行き先をちゃんと決めている人間ならば問題ないはずだ。以前日記で書いたとおり、管理人に万が一のことがあった場合、ツチノコ兄弟はこのまま家族に飼ってもらい、手のかかる姫は、飼いきれない場合は、犬友のところに行くことになっている。管理人の犬友のひとりは、ちゃんと自分に何かあったときのために、多頭飼いの犬それぞれにもらってくれる人を決めている。ほんとうの犬好きは、何があっても犬を手放せない。そして自分の犬の行き先をきちんと考えているものだ。逆に独り暮らしだろうが大家族だろうが、責任感がない人間は簡単に犬を手放すのだ。

お留守番の少ない家庭が理想的? フルタイムの仕事を持っていなくても、お出かけ大好き、カルチャースクールに通うのが趣味という専業主婦のいる家庭はどうなのだ? たしかに犬は家族と一緒にいるのが一番の幸せだ。だが、現実問題として家に常に誰かいる家庭がいったいどれくらいあるのだろうか? 犬のことなど忘れて一日中出歩いている飼い主と、早く犬のもとに帰ってやろうと駆け足で帰宅するサラリーマンと、どちらに飼われるほうが幸せか、犬が口をきけるならぜひとも訊いてみたいものだ。

小さな子どもがいる家庭がダメといういうのも、老人ばかりの家がだめというのも、ましてや引っ越しがあると不可などというのも、要は確率論の問題だ。いままでそういった理由で捨てられた犬が多いというだけで、会いもせずに断るのはいかがかと思う。だいたい、子どもを噛んだ、病気になった、犬の世話をする人がいなくなったと、簡単に犬を放棄する人間は、もともと不都合が起こったときにすぐに動物を手放すような人間なのだ。引っ越し云々などはその典型的な例だろう。独り暮らしだから、小さな子どもがいるから、引っ越しが多いから、人は犬を捨てるのではない。もともと捨ててもいいと思っているから、それがきっかけになるだけなのだ。

いまの譲渡団体の基準は、その部分をはき違えている。そして、結果的にそのおかしな譲渡基準でスクリーニングをかけ、ほんとうによい飼い主さんを逃してしまうことで、じつは家を探している犬たちのせっかくのチャンスの芽を摘んでいる。

断る際になぜそういった家庭を断らざるを得ないのかの説明を、きちんとする努力も必要だ。むろん、怒って帰る人も多いだろう。だが、中には判ってくれる人もいる。これは立派な広報活動だ。好意で来てくれる人を断るには技術もいるし、むろん非常に困難な作業だろう。日本人はNOということがとにかく苦手だ。だからといって「ご縁がなかったから」というひと言で断るでは相手だって納得はしないだろう。現実をきちんと話し、相手に納得して諦めてもらう努力をするのは譲渡活動をする側の責任だと思う。

譲渡活動とは、犬に家を見つけることではないはずだ。譲渡した犬が、新しい家庭で幸せな一生を送ることをちゃんと見届けることが大切なのだ。そのためには、きちんと責任と愛情を持って飼ってくれる人を見抜く目と、何か問題が起こったときにその飼い主さんが飼い続けられるようサポートする体勢が必要なのだ。

譲渡活動は時間と人手が必要な活動だ。そのことを理解せず、いっとき里親が決まったからという満足感に浸るだけのお気軽な気持ちなら、最初から他のボランティアをやるべきだ。里親が見つかったときに譲渡活動は終わるのではない。そこは単なるスタートラインであることを、譲渡活動に携わる人間はきちんと覚えておくべきだろう。

むろん、犬をもらいに来る方にも問題はある。どう考えても犬を飼い続けられない状況で、それでも犬が欲しいと来るケースはまさに論外だ。ほんとうに犬が好きというならば、飼えないときは諦める勇気も必要だ。じっさい管理人は先代犬を見送ってから約10年間、大好きな犬との生活を自粛していた。理由は、仕事が忙しすぎて犬を飼ってもただ餌をやって散歩するだけのペットになるのが判っていたからだ。たとえば子どもが小さすぎてそちらに手がかかるのなら、数年間は我慢すべきだし、ペットが飼えない環境ならば、犬と暮らせる環境に移ってから犬を手に入れるべきなのだ。要はこれも責任感だ。犬にとってのベストの状況を作れないのなら、ほんとうの犬好きこそ、自分で飼うことは断念すべきだ。

もうひとつ、問題だと思うのが「犬が可哀想」だと飼い始めるケースだ。正直言って「可哀想」という同情心だけで十数年、1頭の犬と一緒に暮らせるかというとそれはちがうと管理人は思っている。むろん、同情心から始まって、飼っているうちに愛情が湧くというケースもあるだろう。だが、管理人がベストだと思う犬との出会いは、その犬が「好き」というところからスタートするということだ。

自分が「好き」で「どうしても家に迎えたい」と思った犬なら、多少問題が起こったとしても人はおいそれとはその犬を手放せない。逆に「可哀想」や「可愛い」だけで飼い始めた犬は、次の「可哀想」や「可愛い」が出てきた瞬間にいくらでも代用品が見つかる。

ご存じのとおり姫はそうとう手のかかる、やっかいな犬だ。悪戯はするし、お漏らしもするし、吠え癖、飛びつき、引っぱりなど矯正すべき悪癖の宝庫である。他の犬を誘ってパーティーはするわ、大切な物は壊すわで、軒先につるしてやりたいと思うことは何度もある。そう、この愛犬家は自分の犬を軒先につるしたいと思うのだ。

だが、どんなことがあっても管理人は姫を見捨てることはない。なぜなら、管理人は「犬」が欲しかったのではなく「姫」が欲しかったからだ。

当時、うちにはすでに大型犬が2頭もいたのだ。別に新しく犬を飼おうと思って里親探しサイトをうろうろしていたわけではない。だが、そこで管理人は姫を見つけてしまったのだ。里親探し日記を見に行くようになり、どうしても欲しくなってアンケートを送り、預かりさん宅のそばの公園で初めて姫に会った瞬間「こいつだ!」と思ったのだ。そのときにはもう、♀犬であること(管理人は♂犬のほうが好み)、どちらかというとすらっとした、短毛の猟犬タイプの犬であること(管理人はツチノコ兄弟のような毛むくじゃらのずんぐりむっくりの犬がタイプ)、5歳くらいの中年犬でオスワリのしつけも満足にできていなくて、なおかつ心臓病の持病があることも躊躇する理由にはならなかった。

人と人とに運命の出会いがあるように、犬と人間にも「赤い糸」はつながっている。そして「うちに来るべき1頭」に出会ってしまった飼い主は、何があってもその犬を最後まで飼い続けていくものだ。

子犬はどんなコでも可愛い。だが、子犬はいつか成犬になる。子犬が欲しいと来た人に、成犬はどうですか? と薦めてみて、成犬なんて問題外という態度を見せたなら、管理人なら「ちょっと待てよ」と思うだろう。子犬が欲しい人と犬が欲しい人を見分けるのは、それほど難しいことではない。

犬好きだという人が、じっさい犬を扱うところ見れば、それがほんとうに犬好きで犬が飼える人なのか、それとも動くぬいぐるみとしての犬が好きといっているかは見分けられるだろう。

たとえ条件が合わなくとも、断られても断られても何度もその犬が欲しいとやってくる人なら、それがたとえ年金暮らしの独居老人であっても、最後まで責任を持ってその犬を幸せにしてくれると管理人は思っている。犬がもらわれていって幸せになれる家庭かどうかは、家の間取りや収入や家族構成で決まるわけではない。外飼いであっても、18kg1000円の安い餌しかもらえなくても、幸せに暮らしている犬はいくらだっている。逆にお屋敷に住んで毎月トリミングを欠かさない犬でも、不幸な犬は山ほどいるのだ。

大切な「1頭」との出会いは、犬も人間も幸せにしてくれる。年齢や大きさや犬種や障害や病気や問題行動でさえも、「この世に1頭しかいない愛犬」のことならば問題にすらならない。

だからこそ、これから犬を飼おうとする人にお願いしたいのは、そういう「こいつだ!」と思える1頭を見つけ出す努力だ。そして、万が一訳のわからないボラオバサンにつかまって、納得いかない理由で断られたとしても、とことん食い下がって欲しいと思う。もしほんとうにその犬がどうしても欲しければ、何度でもしつこく挑戦して欲しい。

反対に譲渡活動をする人たちにお願いしたいのは、ほんとうによい飼い主さんを見分ける目を養い、新しい飼い主さんのもとへ送り出したあとは、新しい犬との生活がスムーズに進むよう応援し、サポートし、ときには苦言であってもいわなければならないことはきちんと伝える勇気を持って欲しいということだ。そして何より勉強をしてください。犬とはどんな生き物なのか、何が彼らにとって幸せなのか、1頭1頭個性のある犬たちそれぞれに、もっともあった環境、ふさわしい飼い主、そして正しい飼い方が何なのか、ベストの選択ができるよう、とにかく経験を積んで、より多くの知識を集めてください。

それが結果的により多くの命を救うことにつながるのだから…… 
管理人が思うこと〜前編〜 2006年1月6日
 ちはりんさんが千葉わんの預かりボランティアを始めた。

やって来た犬はジャック(仮称)。10歳の大型犬の雑種である。預かり日記を見てもらえばわかるのだが、預かり宅に来て1週間にして、すでにジャックはダウンステイまでマスタした。プロを相手におこがましいが、

「さすが、おぬしなかなかやるな」

大型犬の前でお尻を上げてプレイバウ(遊ぼっ!のポーズ)をとっているちはりんさんを想像して、腹を抱えて笑いながらも、やはり犬の心を開く術を知っている人間はちがう、と感心するばかりである。

預かり日記を読んでもらえば判るとおり、ジャックには多くのディスアドバンテージがある。まず年齢が10歳と高齢で、なおかつ長年シェルターと呼ばれる犬ばかりが暮らす保護所に置かれていたコである。シェルター育ちのコの場合、人との関係が希薄になるので、まずは家庭犬として人と暮らす訓練からスタートしなくてはならない場合が多い。人を好きな犬を作るというのは、意外に大変なことなのだ。犬との100%の信頼関係さえできれば、その後のトレーニングも簡単だし、問題行動を止めさせることもさほど難しくはない。幸いジャックの場合は以前人に飼われていたことがあるのだろう、ちはりんさんの尽力で、あっという間にふたたび家庭犬の顔を取りもどした。ただおとなしいだけの恍惚の犬が1週間足らずで輝く瞳の家庭犬に変わるようすは、見ていて感動すら覚える。

ジャックのもうひとつのディスアドバンテージは、片目がほとんど見えないということだ。以前受けた外傷をそのまま放置したために、いま右目は光を感じられる程度の視力しか残っていない。ただ幸いなことは、人間とちがって視力というのは犬の五感の中ではもっとも低い位置しか占めない。聴力と臭覚が発達した犬にとって片目が見えないということは、人が視力を失うのに比べて、比較的不都合が少ない状況なのだ。

高齢、雑種の大型犬、そして障害。まるで新しい家を見つけるのに困難な三種の神器を備えているような犬である。にもかかわらず、なんとかジャックに新しい家族を見つけてやりたい、と管理人が切に思うのは、ジャックが家庭犬にむいた、とてもよい犬だからだ。

だが、現実は甘くはない。成犬のもらい手はさほど多くはないし、とくに5歳を過ぎると新しい家を見つけられる確率はぐんと下がってしまう。犬の平均寿命を考えると、やはり一緒にいられる時間が極端に短い犬をわざわざもらおうという人が多くないのはしかたがない。ましてや大型犬の雑種である。日本の住宅事情を考えると大型犬は敬遠される。これも現実である。そして、どうせもらうのなら健康な犬がいいと考えるのも、まあとうぜんといえばとうぜんなのかもしれない。

こちらはまだまだ子犬だが、障害といえばももママさんのところで新しい飼い主さんを待っているあかりというコがいる。あかりは右後ろ足が不自由だ。だから歩くときはびっこを引くような姿になる。最初はコンクリの上も歩けなかったが、いまはふつうに散歩に行っている。動画を見てもらえば判るように、階段を上ることもできるし、ふつうの子犬と同じように元気に走り回ることもできる。

健康な犬が欲しいと思うのはきっと誰も同じだろう。だが、最初は健康な犬でも、飼っているうちに患うこともあれば怪我をして障害を背負ってしまうコもいる。だからとって手がかかるからとそのコを物のように捨てるかといったら、それはちがうだろう。どうように、障害を持ったコ、病気を抱えたコが、新しい家を探す際にスタートラインのはるかうしろから出発しなければいけないというのも何かがちがう、そんな気がする。

以前日記に書いたように、我が家には3本足のおはぎがいる。そして、姫の里親募集時代を見ていた方はご存じのとおり、姫は重大な心臓病を抱えている。いまでも、姫は季節の変わり目やストレスがかかる状況になると、ひどい心臓の発作を起こすことがある。

おはぎも姫も、他の健康な犬猫と一緒にふだんはふつうの生活を営んでいる。むろん食餌やふだんの生活でほんの少し気をつけなければいけない部分はあるのだが、それ以外は健康な犬猫といたって変わらぬ生活だ。障害のある動物との生活は、人が考えるほど大変なことは何もない。だから、ジャックやあかりを家に迎えようかと考えた人が、彼らの障害を理由に諦めてしまわないことを祈るばかりだ。

(つづく) 
ゲーム作りの裏話 2006年1月5日
あっという間に正月休みが終わって、今日は今年最初の出稼ぎ日だった。

朝小鳥の声を聞きながらベッドに入り、昼過ぎにのこのこと起きだして、一晩中あれやこれやとやっては、朝明るくなって床につくというひどい生活をしていたせいで、管理人はすっかりまた中東時間で暮らす変な日本人になっている。今日の出稼ぎは、とにかく参加することに意義があるというオリンピック精神にのっとり、時差調整のために1日オフィスに座っていることに意義があったと管理人は思っている。さすがの管理人も上司の目の前で居眠りをするほどの度胸はない。少なくとも目さえ開いていれば、意識が飛んでいてもその事実に気づく人間はいないだろう。

案の定、管理人に正月休みはなかった

まったくもってありがたいことに、いつものクライアントが年末ギリギリになって電話帳のような恐ろしい量のマテリアルを送りつけてきたせいである・ム・・チ

まあ正月が忙しいのは昔からだ。今回の納品を無事終えたら、管理人はひとり旧正月を楽しもうと思っているシ遙ハ・チ・逾ュ。ヒ

今回、気まぐれで作ったゲームに関して、複数の方からおもしろかったといってもらえて管理人としては非常に満足だ。何しろ、12月に入ってからふとした気まぐれでソフトを購入し、仕事の合間に寸暇を惜しんで作ったのだから、ぜんぜんおもしろくない90033といわれてもしかたがないと思っていた。それが、お世辞とはいえ楽しかったと言ってもらえたのは非常に嬉しいかぎりである。

ちなみに、ふつう、ゲームというのは最初に構想があって作るものである。

だが、むろん計画性のない管理人が、前もってきちんと構想を練るわけがない。とりあえず主役はうちの3頭ということだけは決まっていたが、あとは出たとこ勝負の無計画さで作っていった。

まず最初に悩んだのは、どうやって管理人に重い腰を上げさせるかという問題だった。何しろ、ソフトの基本仕様が旅をしながらモンスターを倒すというものだったので、旅をしないことには話が始まらない。だが、管理人は知る人ぞ知る出不精である。そこで、管理人がわざわざ出かけたくなるような状況を作ることがどうしても必要だった。

たまたま友人にそんな話をしたところ、「究極の目覚ましを探しに行けばいい」という案が浮上した。おそらく互いに仕事帰りで死ぬほど疲れていたせいだろう。そのときは、ものすごくいいアイデアのような気がしたのだ。

ところが、そこでまた次の問題が持ちあがった。究極の目覚ましを探しに行く理由に真実味を持たせるには、管理人がちょっとやそっとでは起きないということを表現しなくてはならないにもかかわらず、当初、何をどうやっても管理人(のつもりのキャラクター)をベッドに寝かせることができなかったのだ!

管理人は来る日も来る日もゲーム作りのサイトを周り、テクニック集などのページをひたすら読みあさった。だが、ベッドに寝るということじたい、テクニックと呼ぶほどの芸でもなんでもなかったのだ。あまりに単純すぎて人が疑問も持たないために、どこにもやり方が書いてないということは往々にしてあるものだ。

三日三晩探し回って、ようやくひとつのサイトにそのやり方が書いてあったのを見つけたときの喜びは、ひとしおだったシ遙ハ・チ・逾ュ。ヒむろん、夜な夜な「管理人が寝られないの」と愚痴を聞かされ続けた友人たちもさぞやホッとしたことだろう。何しろ、これで見つからなければ、最後は立って寝るという訳のわからないシチュエーションまで考えていたのだから……

ゲーム作りで、一番大変なのが、じつは登場するキャラクターの絵を描くところだ。何しろ、ファイルの容量を極力抑えるために、原画は恐ろしく小さなサイズで作らなくてはならない。DJとカイザーの場合は、1枚描いて色を塗り替えるだけで済むのだが、そのうえ姫や猫たちの顔をすべて描く元気はなかったし、ましてや、他の登場人物や犬猫たちに関しては、最初から描く気すら起こらなかった。けっきょくDJとカイザー共用の1枚を描いただけで、管理人は挫折した。そして、以前つむぎさんに描いてもらったステッカー用の絵を縮小して転用することでごまかすことにしたのである。

ほんとうは、ゲーム作りを応援してくれた友人たちすべてを登場させたかったのだが、いちいち全員のキャラクターと犬を描いている暇はもちろんなく、ついでに言えば犬猫屋敷ご一行さまは、もっとあちらこちらを旅して回るはずだったのだが、最終的には、とてもせまい範囲で動くだけのこぢんまりしたゲームになってしまった。まあ構想1時間、プログラミングに10日しかかけなければ、これでもけっこうな大作なのだろうが……

そんなこんなでようやく公開にこぎつけたゲームだが、やはりこのサイトの読者層(おそらくRPGをやったことのある人は50%に満たないだろう)を考えると少々難易度が高すぎたかもしれない。

久しぶりに年賀メールをくれた幼なじみの友人は、いまだ管理人を起こすことができずに犬猫屋敷内をさまよい歩いているらしい。別の友人の息子は、現在狂犬病の予防注射の資金を貯めるために、ただひたすらモンスターを倒して小銭を稼いでいるという。

まあ管理人がこれだけ精力をつぎ込んで作ったのだから、せめて数日間は楽しんでもらえれば御の字だ。

そして、今回ゲームを作ってみて得た教訓は……

つまらないゲームだとフリーでダウンロードしたゲームをおろそかにしてはいけません。ほんの小さなイベントひとつにしろ、作るには何時間もかかっているのだから……

最後に、今回のゲームに快く作品を提供してくださったつむぎさん(自分はMac使用者なのでじっさいは遊べないというフラストレーションのたまる状況にもかかわらず)、テストプレイにご協力くださった友人、知人およびそのご家族のみなさま、そしてソフト購入の足しにと大金500ものご寄付をくださったポセ父さん(次回会うときに回収しますので、釣り銭のいらないようご用意くださいませ)、そして来る日も来る日も「バグがどうの」「モンスターがどうの」と意味不明の独り言を繰りかえす管理人におつきあいくださった友人のみなさま、ほんとうに、ありがとね。

続編の第2弾をいつか作るかどうかは……またもや管理人の気分しだいである。  
お勉強しましょ!〜その3〜褒めてしつける方法の限界 2006年1月4日
欧米でも日本でも、いまの犬のしつけのトレンドは「肯定強化(陽性強化)」、要は褒めてしつけるのが主流である。ただ、多くのトレーナーは「褒めてしつける」を看板に掲げていても、いまでも結果的に昔ながらの「叱ってしつける」方法を多かれ少なかれ用いている。

それは「問題行動を矯正」することが彼らの仕事のメインになってしまっているからだ。トレーナーも商売である。それで食べていくためには「お客さま」を満足させなければならない。そして多くの「お客さま」は「問題行動」を繰りかえす愛犬を連れてきて「いますぐこの場で直してくれ」というものなのだ。

トレーナーは魔法使いではない。

飼い主がさんざん強化してしまった「問題行動」を一瞬で直す方法などあるわけがないのだ。なぜなら多くの場合、トレーナーに相談しに来るころには「問題行動」は飼い主のまちがった対応によってエスカレートしてしまっている。最初は小さな芽だったはずの「行動」にせっせと水や肥料をやって「問題行動」という大きな樹に育ててしまったのは飼い主自身なのだ。小さな芽をつみ取るのは簡単だ。だが、大きな樹を切り倒して、根を掘り返して完全に取り去るには時間がかかる。少なくとも、そこまで成長させるのにかかった時間は同じようにかかると考えるべきなのだ。

にもかかわらず、多くの飼い主はトレーナーに相談しさえすればたちどころに問題が解決すると信じている。これは大きなまちがいである。

まちがいであろうが、何だろうが、商売である以上トレーナーは飼い主の要求通り「問題行動」をたちどころに止めさせなくてはならなくなる。そのためには犬に罰を与えて即座に止めさせる方法をとらざるを得ない。いわば「問題行動」という樹を切り倒す作業だ。たしかに樹を切るのはそれほど難しいことではない。だが、いくら樹を切り倒しても根が残っていれば、また何かのきっかけで問題行動の樹は大きく成長してしまう。

犬の行動を抑制するための器具(ジェントルリーダーなどの引っぱり癖矯正首輪、チョークチェーン、無駄吠え防止首輪、噛み癖矯正用口輪など)を使うのも、力ずくで無理矢理命令に従わせる(フセをしない犬の上に乗る、足を払うなど)のも、問題行動に対し、殴る蹴るなどの暴力をくわえるのも、すべては樹を切り倒すだけの作業である。そんなことをしても、表面上一瞬うまくいったように見えるだけで、根が残っている以上は常に再発の危険と隣り合わせの状況が続くし、何より、人間に対する不信感を犬に植えつけることになる。

管理人はべつにプロのトレーナーではないし、関わったことのある犬の数も10頭かそこらだ。「問題犬」と言われるほどの犬を扱ったことがあるわけではないので、これは単なる管理人の信念だが、どんな「問題行動」であっても、褒めてしつける方法だけで直せないものはないと信じている。

ただし、もうどうしようもない状況で、今すぐこれを直さないと犬の生死に関わるという事態になったとき、褒めるだけで、一瞬にして問題行動を抑制できるかというとそれは不可能だ。むろん、それができるトレーナーも世界を探せば5人くらいは見つかるかもしれないが、ほとんどの場合は無理だと思っておいたほうが良い。この場ですぐ直せないのなら、この犬は安楽死だと言われれば、管理人だって嫌悪刺激を使う。殺すよりはその方がましだと思えば犬を傷つけることもしかたない。

重要なのは、そんな事態になる前に、何らかの手を打っておくということなのだ。問題行動は芽のうちにつみ取っておけば簡単に矯正できる。近ごろ管理人が、安い値段で誰でも行ける初級クラスのしつけ教室の実現を提唱しているのは、そういうところに通うことで、問題の芽を早い時期につみ取ることができるようになるからだ。犬の行動には必ず理由がある。その理由をきちんと理解しない飼い主は、犬に対してまちがった対応をする場合が多い。その結果、犬の問題行動はどんどんエスカレートしていってしまう。

褒めてしつけるトレーニング方法は犬に優しいやり方だ。だが根本的に解決するにはそれなりの時間がかかる。せっぱ詰まってトレーナーの元に駆け込んで、結果的に嫌悪刺激による矯正をせざるを得ない状況を作り出すのは無知な飼い主なのだ。

「しつけは犬にとって可哀想」というまちがった思いこみのせいで、結果的に多くの飼い主が自ら愛犬を傷つけている。

褒めてしつけるトレーニング方法は、時間がかかり、なおかつ飼い主の根気と忍耐力が必要なだけで、決して犬が可哀想なやり方ではない。愛犬を傷つけないために、犬に恐怖や苦痛を与えないためにも、日頃から楽しく愛犬を褒めてトレーニングする飼い主が増えてくれることを望むばかりだ。 
新年の誓い?! 2006年1月3日
正月早々、頭を悩ませている管理人である。

まず第一に、姫のトイレ成功率がここ1週間ほどでいきなりどん底まで下がった。調子のいいときはほぼ8割の確率で成功するのにもかかわらず、年末年始にかけて、廊下、台所、お茶の間と奴は妙なところに水たまりを作り続けている。やはりこれは本格的にワンツートレーニング(コマンドに従ってトイレで排泄させる方法)を始めなくてはならないようだ。

初詣は、毎年近所の神社に犬たちも含めた一家総出ででかけることになっている。そのために、管理人は大晦日にほとんど初日の出が拝める時間まで起きていたにもかかわらず、午前中に起きるという快挙を成し遂げた(むろん、午後は昼寝に費やしたが)。年に一度のこのときだけ、ジィジは犬のリードを握ることを許される。もちろん、出発前に「散歩だ!散歩だ!」と大騒ぎして、ただでさえ興奮している犬たちをたきつけることも忘れない。いきおい、門を開けたとたんに犬に引きずられて駆け出すジィジと、それに追いつこうと必死の形相で引っぱる他の犬たちという見るも無惨な光景が繰り広げられた。

犬に引きずられて歩くのは毎年のことだが、今年はあれだけしっかり「ツケ」のトレーニングを入れた以上、少しはマシになるのでは、というほのかな期待はあっさり裏切られた。

今年はより一層気合いを入れて「ツケ」のトレーニングを完璧に仕上げなければならない。

初詣客でにぎわう神社には多くの犬が来ていた。姫さまが大張り切りで、すべての犬に対して

あけましておめでとうございますぅぅぅ〜

と絶叫しまくったのには唖然とした。以前は見向きもしなかったヨーキーやダックスなどの超小型犬相手でも大騒ぎだ。今年は歌のみならず舞までつけての大サービスだった。

姫の絶叫癖……悪くなっとるやないか!?

他の犬とすれ違うときにも、ハンドラーに意識を集中させる。このトレーニングを徹底的にやるしかないようだ。今年やらなくてはならないトレーニングに、また1項目が追加された。

偉そうなことを書き続けているくせに、犬猫屋敷の犬たちはぜんぜんしつけがなってないじゃないか? と思われる読者のために先に言っておくが、うちの犬たちは世間の基準から見てもそうとうレベルの低い問題犬である。それは別に犬たちが悪いのではなく、飼い主がとことんずぼらなせいなのだ。

必要に迫られなければやるべきトレーニングもやりはしない。フセをまともに教えなかったことからも判るように、ふだんの生活に困らなければ躾など別に必要ないと思っているからだ。ただ、ひとつだけ自信を持って言えるのは、問題行動が現れた場合にも、管理人はそこに必ず何らかの理由があることを知っているし、その理由さえ解明できれば必ず矯正できることも判っている。犬の特性や個体の性格が問題行動に起因する部分はほんの数%にすぎない。原因のほとんどは、環境とコミュニケーションの失敗(犬が飼い主の意図を誤解する)と飼い主の接し方に起因していいる。だから、根本的に矯正できない問題行動などありはしない。環境を変え、犬にきちんと飼い主の意図を伝え、飼い主が問題行動を止めるだけで、犬の困った行いの99%は確実に止めさせることができるのだ。

だが、残念ながら多くの飼い主はこの事実に気づこうとしない。

「うちの犬は馬鹿だから」

「この子はものすごく性格が悪い」

「手に負えない、どうしようもない犬」

そんなことを平気で言う飼い主があまりにも多すぎる。

文句を言いながらも一生飼い続けてくれるのならまだしも、トイレの失敗、咬み癖、吠え癖、引っぱり癖などのもっとも簡単に直せる問題行動のせいで飼い主に捨てられ死んでいく犬の数があまりにも多すぎるのだ。

だからトレーニングをすることで、何がどう変わるのか、どうして犬は問題行動を起こすのか、どうやったらそれを止めさせられるのかを多くの人に知ってもらいたいと思う。

トレーナーとしての資格を持っているわけでもなく、ましてや自分自身も愛犬たちの問題行動に悩みつつ日々試行錯誤を続けている平凡な単なる一飼い主のため息や苦労話が、同じような悩みを持つ飼い主さんに何らかのヒントを与えられるならば、幸いである。  

**********年末に1匹の犬が迷子になってしまった************

名前はミリー、茶色地に黒の縞(甲斐犬のような)生後6ヶ月半の雑種(♀)だ。体重13Kg程度ということなので、少し大きめの中型犬(大きめのシェルティーか小ぶりのダルメシアンぐらいのサイズだろう)で、半垂れ耳に細長い垂れ尾の全体的にほっそりとした印象の犬である。
 
いなくなったときは、オレンジ色の細い首輪(内側に電話番号)をしていた。不妊手術はしていない。

散歩の途中に、人形町近くの浜町公園から逃げてしまった。管理人の出稼ぎ先のすぐそばで、あのあたりはテリトリーなのでよく知っているのだが、浜町公園はあの近辺に住む犬飼いが散歩の途中に立ちよる犬スポットだ。すぐ近くに車のとおりが激しい国道が何本も通っている。この時期、都心はゴーストタウンと化すので、その点では少し安心だが、とにかく大きな道を渡らない限り陸続きではどこにも行けないような場所である。

近所に箱崎のインターがあり、高速の下には野良猫などが多い空き地も点在するのだが、林のようなものはもちろんなく、また中型犬が隠れられるような大きな茂みも多くはない。昔ながらの店舗兼民家とマンションが混在する典型的な都心の住宅地だ。すぐそばには隅田川が流れているが、水辺に降りられる場所はほとんどないはずだ。隅田川を渡るとすぐに両国、深川などの下町の風景が広がる。

管理人の記憶が正しければ、ミリーはたしか保護された雌犬が産んだコである。そうとう長い間母犬と一緒に保護所にいたコで、人慣れがあまりよくない。いわゆるビビリな犬なのだ。だからあまり人通りの多い場所にはおそらく近づかないと思う。あのあたりは、この時期でも水天宮への初詣客をあてこんで人形町界隈にはそうとう人出が多いのだ。

万が一、見つけたときにも無理に捕まえようとすれば逃げられる。驚いて車道に飛び出したりするのが一番恐ろしい。

ビビリの犬を見つけたら(というよりも犬に関してはすべてそうだが)ぜったいに捕まえようと追いかけたりしてはいけない。追いかけられれば犬は逃げる。これはすべての犬に共通した行動様式だ。とくにビビリのコは追いかけられた恐怖の記憶が刷り込まれると、ますます人前に姿を現さなくなる。

恐がりのコの場合には、姿勢を低くして(できればしゃがんでしまうのが望ましい)静かな声で話しかけながら食べ物などの犬が興味を示しそうなものを地面に置いて、そのまま犬が安全だと感じる距離までとりあえず下がる。そして、犬が近づいてくるのをひたすら待つのだ。このとき、犬の目をまっすぐ見たりすると犬は怖がる。できれば視線を外して、興味がない振りをするほうが望ましい。地面に置いた食べ物に興味を持って、それを食べたら、また同じように食べ物を置いて、こんどは少しだけ距離を縮めてうしろに下がる。そんなことを繰りかえしながら、犬が手の届く距離まで近づいてくるまで待たなくてはならない。そして、捕まえられる範囲に犬が近づいて来たら、一気に犬の視線の陰から手を伸ばして首筋をつかむのだ。ここで首輪をつかむと、犬は後ずさりして首輪が外れてしまう危険性が高い。親犬が子犬の首をくわえて運んでいるところを見たことがあるだろう。犬の首は咬まれても痛みを感じないようにできている。むろん、前足でも尻尾でも、いざとなったらつかめるところをつかむしかないのだが、一番犬に苦痛を与えないのは首筋をつかんでしまうことなのだ。

この方法だと、せっかく姿を見つけたのに、何かのきっかけで驚いて、また逃げ出してしまう可能性もあるのだが、もともと、犬捕獲用の網などの特殊な器具を使わない限り、追いかけたとしても、ふつうの人間の足で犬に追いつくことなどぜったいに不可能だ。だから、犬を捕獲しようとしたら、一般人にはこの方法しかないのである。

多くの人は、犬はつないでおかないと逃げ出すと考えているようだが、犬はほんらい臆病で慎重な動物である。だから、極端なことを言えば、ふつうの犬はリードなどでつながなくとも飼い主の元からわざわざ逃げ出すような真似はしないのだ。だから、万が一リードが外れるなどの事故が起こった場合にも、飼い主が冷静に対処しなくてはならない。リードが外れて慌てて追いかければ犬はとうぜん逃げる。だから、飼い主がすべきことは、犬を追うのではなく、逆を向いて走って逃げることなのだ。飼い主が追ってこないと判れば、不安になった犬は必ず飼い主を追って逆に走りだす。群の仲間に置いていかれまいとする、これは犬の本能である。

むろん、リードが外れたショックの中でこの冷静な判断ができる人間はそれほど多くはないだろう。だが、この一瞬の判断が愛犬の命を左右することがあるのだ。だから、これだけは肝に銘じておいて欲しい。犬を捕まえようと思ったら、決して犬を追ってはいけない。

どんなに優れた首輪であってもハーネスであっても、犬を100%拘束することは不可能だ。唯一、フルチョークの首輪であれば脱走の危険性は最大限におさえられるが、使用方法をまちがえると犬に大変な苦痛を与えるので、ふつうの犬飼いがこれを使用することに管理人は反対だ。ハーネスや首輪をいくらきつくしたとしても、ぜったいということはありえない。唯一飼い主と愛犬をつなぐ絶対的なものは、この飼い主と一緒にいれば安全だという信頼感と、とっさのときに名前を呼ばれたら飼い主の元に戻る「呼び返し」のトレーニングだけだ。

今回のミリーのように新しい飼い主のもとに行ったばかりだとまだ難しいのだが、愛犬を守るために一番大切なのは、何よりも飼い主と犬のしっかりとした絆を作っておくことだ。そして犬の行動を理解しておくことが、愛犬を事故から守る最大の方法になる。

東京では、ついに午後から冷たい雨が降りだしてしまった。1日も早くミリーが家に戻れることを祈るばかりだ。

ミリーの件で何か情報があれば、どんな些細な事でもこちらまでメールでご連絡ください。ご協力お願いいたします。

追伸:ミリーは今日の午後、無事保護されたようです。
めでたしめでたし犬
謹賀新年 2006年1月1日
 あけましておめでとうございます!

旧年中は、気まぐれ管理人の戯れ言におつきあいいただき、ありがとうございました。

本年もドタバタと騒がしい犬猫屋敷を、またどうぞよろしくお願いいたします。

というわけで、いちおうきちんとご挨拶ができたところで、不定期更新にもかかわらず、こりずに犬猫屋敷をのぞきに来てくださる皆様に、ささやかながら管理人からのお年玉をご用意させていただきました。

なんと、管理人は1年とても忙しかった自分へのご褒美に、クリスマスプレゼントとしてRPGのゲームを作るソフトを買ってやったりしたわけです。そして、この忙しい年末にもかかわらず、睡眠時間を削って短いながらゲームを1本作り上げたってわけでございます(そんなことをやっているから徹夜で年賀状を作る羽目に陥るわけだ)。

むろん、以前サイトで書いたようなブラックなゲームをプログラミングするほどの技術は管理人にはまだないので、今回のゲームはあくまでもゲームソフトの基本仕様に則った、よくある冒険もののゲームです。

犬猫屋敷でおなじみにあいつらやこいつらが、相変わらずのドタバタを繰り広げる、いわゆるギャグゲーという奴ですな。まあ、犬猫屋敷の読者以外は、何がおもしろいのかよく判らないかも知れませぬが……

このゲームはエンドレスではなく、ちゃんと終わりがございます。根を詰めてやったとしても、せいぜい3時間か4時間ぐらいでクリアできる……はず。あと、小さなお子さまにも楽しんでいただけるよう、品行方正な内容で作っております。まあちっと会話が長いので(漢字も多いし)小学生以下のお子さまには意味がわからないかもしれませんが……

いずれにせよ、お正月休みで暇を持て余したときにでも、ご家族一緒に遊んでいただけると嬉しいです。

ちなみに、このゲームはWindows専用なので(ソフトの仕様がそうなっている)Macユーザーの方は使えません。申し訳ない。

ともかく、遊んでみようかな?と思うかたはこちらからどーぞ

皆様とご家族の、健康で幸せな1年をお祈りいたします。

                        …………犬猫屋敷の管理人


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