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高校卒業式での答辞

 

答辞
 いまだ固いサクラのつぼみも、春に向けてゆっくりとふくらみ、また、あちこちから梅のたよりが聞こえてくる日柄の良い今日、このように盛大な卒業式を催していただいたこと、心より感謝申し上げます。
 気がつけばもう卒業、といった感じもありますが、私にとって三年間の高校生活は、とても充実したものでした。 中学から数えれば、六年間の男子校生活。これは世界的に見ても、生物学的にみても異常な状態であったわけですが、こんな東大寺学園で、私たちは、人格形成 においてとても大切な時間を過ごしました。学園生活では実に多くの人々と出会い、多くのことを学びました。あって当然の日々の授業も、もはや受けられなく なった今日、先生方には、様々なことを教えていただいたのだなあと、改めて気づかされます。おそらくは、これからも「あの時先生が言いたかったのはこうい うことだったのか。」と気づいていくことでしょう。後輩の皆さんは、こうした先生の貴重な授業をはじめ、雑談、無駄話、暴露話や人生の苦労話を、聞き漏らさずに、心にとどめておくことをおすすめします。きっと将来役立ちます。
 事務のみなさん、校務員のみなさんにも、本当に感謝しています。あまり学校を綺麗に使ってこなかったことを恥ずかしく思います。様々な方面に渡り、学校生活を支えていただき、ありがとうございました。また、たくさんの先生方にもお世話になりましたが、その中でも担任をして下さった先生方に一言ずつお礼を申し上げたいと思います。
 

・・・・しばらく内輪話・・・・

 授業以外にも学校の思い出はたくさんあります。「我流」を掲げて実施した文化祭では、様々な人に感動と動揺を 与えました。集団としての協調の難しいこと、会議がなかなか進まないこと、実行に移すのは更に難しいこと、パート同士の衝突など、まさに社会の縮図でし た。もはや定番となりつつある北海道への修学旅行も、あれやこれやと語れぬほどの小事件がいっぱいでしたが、もう今では、良い思い出だったなと感じられま す。

  さて、私たちの今の社会には、かつてないほど多くの価値判断の基準があふれています。お金持ちになる、学問を追究する、幸せな家庭を築く、楽して暮らす、など様々な生き方が存在します。このような様々な価値観が容認さ れる社会で、いったい自分が何に価値を置くのかについて、自分なりの答えを自分で出すことが、私たちには求められています。しかし、これは大変難しいこと です。情報化社会が伝える世界には、あまりにもおおくの考え方があり、まだ「自己」がしっかりしていない私たちは、ややもすれば、無関心や無気力に陥って しまいます。「なぜこんなことをしなければならないのか」、「どうでもいいではないか」、という私たちの日々の声に、今の社会は、明確な答えを返してくれ ません。子供だましの、偽りの答えですら、もはやかえってきません。多様な価値観が認められるという自由、様々なことを知りうる自由に、私たちは少々早く 出会ってしまったようにさえ思えます。

  それでも、これを社会のせいには出来ません。たとえどんな社会であろうと、わたしたちはそこで生きていかなくてはならないからです。明確な答えを示さない社会を嘆くのではなく、自らが問題を見出し、その答えを忍耐強く求めていこうとする姿勢が必要ではないでしょうか。それがすなわち、「未来に希望を見いだすこと」であると思います。暗闇を多く含んだ世界に巣立つために、希望はなくてはならないものです。そして、私たちの年代にとって、希望は決して当たり前のものではなく、能動的に探し出すものなのです。私たちが問いを発し、それを求めていくことなしでは、私たちの認識の対象としての世界は、広がりません。世界に対してさまざまな問いをいだけるほどに自己を豊かにし、豊かな世界を発見することによって、希望を紡ぎ出す。そういったことが、今、私たちに必要なことだと思います。
 そして、皮肉なことに、「希望を見いだすこと」を可能にするのも、「自由」というものなのです。それは、私たちの自分の世界を豊かする上で、世界に対し、様々な疑問をもち、問うことが許される自由な環境が重要であるからです。自由は素晴らしい考えですが、自由を持つものが、それを最大限活用しようとする気概と、自由という財産を保とうとする不断の努力も大切なのです。自由であるから、なんでも許されると考えたり、自分の自由を押しつけたりすることは、今、あらゆるところで起き、矛盾を生み出して います。だからこそ、自由には大きな責任が伴うのです。また、この自由こそは我らが東大寺学園がその校風として誇ってきたものでもあります。ですから、後 輩の皆さんにも、是非自由であることの寂寥に耐え、自由に伴う責任の重さに苦しみつつもなお、それから逃げないでほしいと思います。
 
 また、これから巣立つものとして、同じ学年を共に過ごしてきたコーディーナルト君が志半ばにしてなくなったことを忘れないで、心に刻もうと思います。今、命を持ってこの世に生きているものとして、また、これからも多くの事を知っていく知識人として、私たちはこの世界をよりよくし、次の世代に受け渡す責任を持っていると思います。天国にいる山田君にも恥ずかしくないよう、この責務をあわてることなく、しかし着実に、全うしていきたいと思います。
 最後になりましたが、今日まで私たちを見守ってくださったお父さん、お母さんにお礼を述べたいと思います。(卒業生が起立)
 色々ショッキングな事件を聞くたびに、途中で投げ出さずに私たちをここまで育てていただいたことは、今になってみるととても立派なことだと感じます。 それは、太陽のように当たり前、その大切さに普段私たちは気がつかないでいました。まだしばらくは迷惑をかけますが、早く恩返しが出来るように一生懸命頑張りますので、どうか、仕送りとか、お小遣いはもうちょっとの間は止めないでください。宜しくお願いします。
 18年間、ありがとうございました。(卒業生一同、礼!着席)
 さあ、いよいよ私たちは この学校を巣立つことになりました。目下入試という大きな試練が待っていますが、私たちは必ずやこれを乗り越えられると信じています。その先に広がる厳し い社会の中でも、希望と理想を胸に、前向きに生きていきたいと思います。そしていつの日か、未来の子供たちに向かって、自分の人生を、誇りをもって語れるような日が 来ることを願って、私たちの答辞と致します。
       
 平成17年2月14日 卒業生代表 石ころ太郎。

を実際に読み上げてみたら結構な時間がかかって…でもって、一度聞いただけじゃ結構分かりにくい話しも多くって…スピーチはなかなかむずかしいなあと。これでもだいぶ削ったんだけどなあ。

くどいようですが、同じ学年の人と数人との合作ですので。

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