続 景教碑の謎   



景教碑は不思議な謎の世界に我々を誘い込んでゆく。 
 まるで異次元への扉のようです
 

インターネットでは  様々なサイトで 興味深い話題 が提供されています。
いくつかのサイトで提供される 話題には いわゆる トンデモ説、あるいは 
ファンタジーと 思われるものも多く、注意が必要です。 
しかし  これらは本当の真実を探す一つのヒントなのかもしれません。
景教を巡る謎の世界あまりにも広く 深く 遠く 素人である管理人には
何が真実なのか判定するだけの知識はありません。
 ここでは、出来るだけ話題を整理して紹介すること。 
(殆ど景教リンク集になっています)
 そして 、自分なりの 感想や空想 (妄想?) を提供できれば と思っています。

  景教をめぐる謎 INDEX

佐伯博士の秦氏ユダヤ人景教徒説
  失われた十部族と日ユ同祖論
秦氏はどこから来たのか?
  
景教とは何だったのか?
   東方への布教   シリア教会   
   
文明の融合

 
 
景教博士と呼ばれた 佐伯好朗博士が 1908年に発表した[太秦を論ず」において 世間を驚かせる
説を唱えました。  「
秦氏 ユダヤ人景教徒説」です。

秦氏一族は 4〜5世紀ごろ朝鮮半島からやってきた渡来人 
5世紀半ばごろには京都に定住するようになり、平安京遷都に尽力しました。 
一説には平安京は秦氏の資金と技術によって造営されたとも言われています。
彼らは養蚕を伝え、高度な金属鋳造や土木技術を持っており 巨大墳墓の造営や治水に力を発揮した
と言われています。
しかし 歴史の表舞台にはほとんど登場せず謎の一族となっています。

佐伯博士は 京都にある秦氏の寺、太秦(うずまさ)寺をめぐる ユダヤとの関連を思わせる数々の事実
から 「秦氏 ユダヤ人景教徒説」を唱えました。  
さて 古代の日本にユダヤ人が来ていたとするとどういう人たちなのか?
ということから登場するのが 旧約聖書にある 
消えたイスラエルの十部族です

ユダヤ人の王国はダビデの息子ソロモンの時頂点を極めましたが、その後分裂し
サマリアを首都した
「北イスラエル王国」と
エルサレムを首都にする「南ユダ王国」を建国します。
北王国は、前722年アッシリア帝国により、滅亡し十部族はアッシリアに連行され捕囚されます。
南王国も前587年新バビロニア帝国によって滅亡し、バビロン捕囚となります。前538年ペルシャ帝国に
より新バビロニアは滅亡、バビロンにいた南王国の二部族は解放され、こぞって帰還しました。 しかし
既にアッシリア帝国は滅亡していたにもかかわらず北王国の十部族は帰還せず、歴史の表舞台から
消えたのでした 。 
さて この十部族のゆくえについて世界中でさまざまな探求がなされましたが、十部族の一部がシル
クロードを経由し日本に到達し日本人の先祖の一つとなったという説が
  「日ユ同祖論」です。

しかし このようにキリスト生誕の500年も前に姿を消した十部族が4〜5世紀になって登場するという
説にはかなり無理があると思います。

フィクション仕立てのストーリーで読みやすく、比較的
客観的に 秦氏や十部族の謎を整理しているサイトです。
古都に隠された十字架 1 
古都に隠された十字架 2
 
TOP 
 聖地巡礼ファイル

探求三昧 同じ作者による別サイト
日ユ同祖論への反論を展開するサイト 佐伯好朗博士と「日ユ同祖」論
Top 流木のWebサイト
  秦(はた)氏と太秦
木島坐天照御魂神社 Top 神奈備にようこそ
木島神社(蚕の社 Top  賀茂探求
 三柱鳥居の謎 全国の三柱鳥居の探求
 

秦氏のルーツについては
 色々な説があります。

中央アジアの弓月国から来たとか 、朝鮮半島の百済または新羅、あるいは 
泰の始皇帝の子孫 であるとか様々です。 

弓月(クンユエ)という国は現在のカザフスタン南部、アルマトイを含むバルハ
シ湖より南、 キルギスのあたり あるいは ホータンと言われています。

いずれにせよ 最終的には弓月君に率いられた120県(あがた)の泰氏が
朝鮮半島から日本に渡って来た訳ですが、その背景には半島の複雑な
勢力関係が有るようです

宗教に関して、八幡神社 稲荷神社 など 多くの神社信仰は秦氏が持ち
込んだものと言われています。
その上 多くの仏教寺の創建にも関わり、景教徒説も有るとなると 秦氏は
さながら 宗教の総合商社の観があります。

カザフスタンの地図
渡来人研究会 秦氏の説明 秦氏について   渡来人研究会
大和岩雄著の書籍の紹介 日本にあった朝鮮王国 謎の秦王国 Top モナ丼
辛嶋氏の原始八幡信仰など八幡信仰の源を探る 八幡信仰の源流 やほよろづ.COM
実に多くの資料を積み重ねた考察
後半に弘法大師と八幡宮についての考察があります
宇佐八幡神は新羅の神だった mansongeのニッポン民俗学
大酒神社の摩多羅神について
 あまりに多すぎて戸惑うほど
様々な角度からの考察
摩多羅神はどこから来たのか?  〜ダビデの子孫〜 TOP 超マンダラ論
秦王国=邪馬台国説など 秦氏の謎
top kitunoの空
秦氏 原始キリスト教教徒説 三神たけるのお伽秦氏 「クリスチャン」 TOP  三神たけるのお伽秦氏
韓国と日本の関係について多方面からの情報 半月城通信 No.99  No.82  Top 半月城通信
景教に関する書籍の紹介記事 十字架の国日本 

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史2仏教・景教編

聖書に隠された日本・ユダヤ封印の古代史失われた10部族の


 秦氏についての管理人の空想 と 弘法大師と秦氏 については →  こちら

さて 景教とはいったい何だったのか? 

一般的には 景教といえは 一般には ローマ教会から異端とされたネストリウス派がシルクロードを経由
して中国まで伝道の足跡を残したと言われます。
しかし景教がネストリウス派という1つのグループの教義が中国まで伝えられたとするには多くの疑問が
あるようです。
シルクロードの遺跡から発見された漢訳の景教経典でも 景教碑の碑文にも見られるのは
かなり 本来のキリスト教とは かなり 違った教義だと言われています。

景教碑には漢字と共にシリア文字が刻まれています。

シリア語とはアラム語の一方言でした
 アラム語とは 古代の西アジアの広大な地域で共通語として使用された言葉です。
イエスもこの言葉を話していましたし、ガンダーラ地域、現在のパキスタンやインドにもアラム語の石碑が
残っています。

また シリアとは 広くは現在のシリアだけではなくレバノン、ヨルダン イスラエルを含む
地域 です。 それに加え イラク イランを含む ペルシャ帝国の版図でもアラム語は広く使われました。

シリア教会はイエスの死後まもなく、12使徒の時代に設立され、その歴史はローマ教会より古く、長い
歴史の荒波を生き抜いて現在もシリア正教会として存在しています。
そして今も典礼にアラム語を使っているのです。

 シリア正教のブログ  シリア正教のHP(シリア正教隠れた真珠)は現在調整中のようです

   東方諸教会   シリア正教会  (Wiki)  

エフェソスの宗教会議で異端とされたネストリウス派は シリアに逃れシリア教会と合流しました。
その後シリア教会もローマから追われ分裂や拡散の複雑な歴史をたどります。
分裂した一方の西シリア教会の拠点はアンティオキアから近東の各地を転々とし、現在のシリア正教
として存続しています。

ネストリウス派の合流した東シリア教会はペルシャ領内に逃れ、ここを拠点に東への布教を継続して
行っていたようです。
『大秦景教流行中国碑』によれば,景教の宣教師 阿羅本は635年中国に到着、宰相房玄齢らに
迎えられて長安に入った、とあります。  初めて訪れた異国の宣教師が 国賓並みに迎えられる事は
普通考えられない事です。
景教を支持する人々がすでに多数中国に存在し、中国側の支配層に、よほど周到な根回しをしていたと
推測されます。 
このような事が出来るのはだれかを考えると、胡人と呼ばれていたソグド商人達が思い浮かびます。 
景教とは 中国領内に定住したソグド人のコロニーを基盤とする東シリア教会の分派であった。  
というのが管理人の想像です。
しかし 755年のソグド人安録山の反乱(安史の乱)を契機に唐からソグド人が排斥された後も 唐で
盛んに活動を続けている事から考えると これは的外れかも知れません。

いずれにせよ 異端となってまで自分達の考えをに守ろうとしたネストリウス派の行動から考えると
教義を変質させてまで中国領内で生き残りを模索した景教とが 同一であるとは思えません。

景教碑が建立された後 中国においては景教は衰退しましたが、その後モンゴル帝国において再び
盛んになった事が知られています。
唐代景教の考察   第2章 景教前史に ネストリウス派の足跡が 
                Top 小原克博ON LINE
景教 の解説  景教経典の簡単な解説も

阿羅本    世界歴史事典データベース


クロニクルズ 地図年表

  1世紀ごとの王国の変化が一目で実感できます

    
 

 アラム語のページ

 イエスは何語を話したか? 
              Top wold reader

 ソグド人 
           
  ソグド人のコイン 
              Top コインの散歩道

*ご連絡

松居桃樓 著 「消えたイスラエル十部族の謎」
をとりあげた Violet Monkeyさんの サイトをご紹介していたのですが
ご本人の希望で リンクを削除しました。
じつに 興味深い内容であったことをご報告し、この本を紹介
してくれた Violet Monkeyさんに 改めて御礼を申し上げます。
     

文明の融合

キリスト教が誕生したのは 西洋とアジアの狭間、現在のイスラエルを中心とする土地です。

我々は現在の姿から かなり西洋的なイメージを抱いていますが、その誕生の土地の文化背景から
するとかなり中東的な雰囲気を持つ宗教であったはずです。 

ギリシャ語によってローマに布教されたことにより、キリスト教はその後ヨーロッパ諸国に広がり現在に
至っていますが、その間もともと持っていたオリエンタルな部分を切り捨ててきたのではないでしょうか? 

西方への広がりの他に シリア(ペルシャ)を起点とする アラム語により東アジアに広められたもう一つの
布教の流れがありました。 
景教はその流れの下流として中国まで到達したのです
ギリシャ、ローマとペルシャ、西洋と東洋の2つの文明の出発点からキリスト教は広まっていったのですが
東洋には他にインド、中国と異なる大文明がありました。
これら異質の文明との衝突と交流の中で宗教も徐々に変容していったのでしょう。

キリスト教に限らず仏教もゾロアスター教も西アジアを経由して広まった宗教はシルクロードの交易を
担った ペルシャ人 ソグド人 インド人 など多くの商業活動従事者の支持を基盤としていましたが、
多くの民族により支持される一方で、 多くの文化的背景の影響を受けました。

景教の教義は元のキリスト教とは かなり変化していると言われています。

仏教においても ガンダーラにおける仏像の誕生、大乗仏教の発展もこの流れによる文明の融合から
生まれたものでしょうし、ミトラ神は弥勒信仰として仏教の中に取り込まれました。

シリアから現在のアフガニスタンパキスタンにいたるインド中国に隣接する地域は 古来 人と物が
常に行き来する場所でした。 
700年に渡りシルクロード交易を 影で支配したといわれるソグド人もこの地域から現れました。
また この地域の多くの民族がアラム語をベースとした、あるいは関連する文字や言語を使用して
いました。 
激しい支配民族の変動にも影響され、この地域は宗教と文明の融合炉の役割を果たしていたのです

  

日本とキリスト教との出会い
 「
(2)新約聖書の地図 」 を見て下さい Top KOINONIA

年表 西アジアに注目して下さい  Top 私の西遊記

各地の地図

シリア イラン ウズベキスタン
カザフスタン パキスタン パキスタン(ガンダーラ)
                        Top  世界の国々
 文明の交差点ガンダーラ   Top World Reader

ガンダーラ美術と西アジア   Top 松戸オリエント協会のHP

 ガンダーラ  

  大乗仏教   Top ハイパーリンク世界史辞典

  マニ教       

   ゾロアスター教 

  ミトラ教の歴史   Top モナ丼
   
ケノさんのサイトには 他にも興味深い話題が沢山有ります
    中国浄土教が見た夕日  聖母マリアに飲まれた神々  「異端」アリウス派  

聖書研究サイト

オンライン聖書講座

eバイブル


The Text of the Gospels 

聖書の呼ぶ声

イエスはどんな人
     Q資料
宗教のお話(特にキリスト教を中心に)
     Q資料の中のイエス

Biblical Errors (聖書の間違い)

その他 今回参考にしたサイト

キリスト教とイスラム教   Top インターネットの世界を広げよう

グノーシ主義略説  Top Outline of the Gnosticism 



重複しますが 歴史事典 と 地図 のサイト を もう一度 まとめてみます
ハイパーリンク世界史辞典 世界歴史事典データベース ウィキペディア
クロニクルズ 地図年表 世界の国  地図は国名をクリック  Top  世界の国々



景教碑の謎に戻る もっと高野山 MAIN HOME