モンゴル地域研究講義    U『日本農政の戦後史』 1950年代前期 日米安保体制成立期の増産農政



(1)朝鮮戦争特需と日米安保体制

 1)「特需」景気で生き返った日本経済

  1950-53年、朝鮮戦争による米軍特需。

   [米軍特需]:「アメリカ政府による軍需用戦略物資のぼう大な買い付けと、アメリカ民衆による緊急用生活必需品の買い溜めとによって、世界市場は突発的に膨張した。日本の輸出品の価格は、一年間に43.5%も暴騰した。日本の工業生産は36.8%増大し、戦前水準を越えた。」 「しかし、この突発的ブ−ムは一年しか続かなかった。(中略)この困難は、在日米軍の特需、すなわり兵器の修理や米軍による軍需物資・サ−ビスの現地調達によってカバ−された。」(林、P.23)

「米軍は、空港・港湾・鉄道・道路・通信施設だけでなく、日本の工業生産をも軍事目的に利用した。北朝鮮に向かっての米軍の最前線基地として、日本列島はくまなくフル活用されたわけである。」(林、P.24)

.........(歴史は今、くりかえされる)

   これは対ソ冷戦体制をとるアメリカの戦略的意図に強く組み込まれた『潜在的軍需産業』としての日本重化学工業の育成を意味していた。」(橋本、P.21)

           .........(大量生産のシステムの基礎はこの時築かれた。)

  1950年警察予備隊

  1951年アメリカおよびその同盟国と講和条約を結んだ(中国やソ連を除外)

  同年、日米安全保障条約も結ばれた。(日本独立後もアメリカ駐留軍は、沖縄をはじめ在日基地を占拠しつづけることを取り決めた)

  1954年自衛隊という名の日本軍隊がつくられた。

 2)厳しい労働運動弾圧

  ドッジラインの強行で労働者の首切。反対運動665万人。労働運動高揚期。

  「GHQの労働運動への介入、弾圧は日常茶飯事となった。」(橋本、P.22)

 3)吹き出した消費需要

  飢餓的状況から消費欲。繊維産業の設備投資。つくれば売れる。中小企業の蘇生。

  農村の次男、三男の失業を背景に、安い労働力が生み出される。

 4)資本蓄積促進の財政措置の定着

  1953年租税特別措置法改正。資産所有者や高額所有者に対する優遇措置。

  厳重な貿易管理制度。重化学工業の原材料輸入最優先。競争製品の輸入禁止。

   貿易・金融制度、「日本株式会社」体制整備・・・いわゆる「55年体制」

 5)独占的大師本の復活:コンツェルンとトラスト

   一旦解体された財閥は朝鮮戦争期に急速な資本蓄積に成功した。各資本グル−プの傘下企業群も立直る。財閥は「社長会」という新しい名前の資本グル−プで復活する。

  「この内部では、商業銀行が重要な役割を演じた。」「自己資本の蓄積が不十分なときには、企業は銀行の融資に依存しなくてはならないからである。多数の役員が、銀  行から各企業に派遣された。さらに資本の蓄積が進行するとともに、同一資本グル−プに属する銀行や企業のあいだでの株式の相互持ち合いの形態や、かれらの共同出資による新会社の設置の形態が発展した。」

   [コンツェルン:三井、三菱、住友、芙蓉、三和、第一勧銀グル−プ]

    [独立トラスト:新日鉄、日立製作所、トヨタ自動車工業、松下電器産業など]

(2)国際的低価格の下の増産農政

 1)安保体制下の経済自立と食料増産

  GHQが沖縄に恒久的な基地建設を始める。

  「経済自立」の一貫としての食料増産政策。

  ・重化学工業の発展 技術・設備・原材料ともに海外に依存。外貨が必要。

   農産物の輸入額過半→外貨を使わないで、どんどん国内で食料作れ。

  ・米麦の国内価格は輸入価格より格安(労働者のために安くつける)。

   (農民のために)価格差補給金を払い、財政負担を大きくしてきた。

  ・朝鮮戦争により世界的に食糧不安ひろがる

  この結果、食料増産五ヵ年計画

 2)税負担緩和と農民の「農事研究会」盛況

  ・米国流の申告制度導入→混乱→徴税成績5−6割→GHQは「目標制度」の導入強要 、軍政部の直接介入による徴税強化→農民・商工業者の猛反対→重税反対闘争→与野党とも減税を公約→政府は減税と所得税に代わる間接税導入を要望。

  ・シャウプ来日、混乱を収拾。シャウプ税制

   40年代末に20−15%になった農家課税を10%以下に軽減した。

  ・耕地の主人公となった農民は学習会活動を始める。金肥、保温折衷苗代など普及

   反収5.4俵、米価は4割引き上げ、供出緩和 農家の米増産意欲ますます大きく

 3)農民のエネルギ−は土地改良事業へ

  ・土地に対する愛情。より働きやすい環境づくり。自力で暗渠排水。

......................(家畜私有化後のモンゴルの遊牧民も活気に満ちていた)

 4)農地改革直後の稲作生産力の向上

   農家戸数:1939年から89万戸増えて、1949年に625万戸。

   稲作農家:1939年から94万戸増えて、1949年に584万戸。

 5)1953年の冷害(自然条件の制約を受ける。農薬の使用普及)

 6)凶作を機にMSA小麦売込み

  ・凶作による供出不振、外米に依存、主食不足。

  ・MSA援助協定:小麦61万トン、大麦11万トンの代金5千万ドルのうち、

    8割特需資金として使い、2割は軍需産業育成のため贈与されることになった。

  ・外貨不足の日本にとっては円での支払い、売上金が国内の重化学工業にむけられたためありがたかった。

  ・穀物輸入が、軍事的なひもつきの国家的資本輸入となることの先鞭となった。

  ・援助小麦を用いたパン食の学校給食開始。日本人の食習慣の変わり目。

........................(このあたりについてはビデオ「食卓の下の星条旗」に詳しい)

 7)発足まもなく再建、整備に直面した農協

  ・1947年の新農業協同組合法により自主的・自発的な農民の組織としての農協組織

  ・春肥購入資金に対する日銀優遇割引制度を得て、経済活動開始。

   しかし、うまくいかず、再建・整備の課題に直面した。


V 1950年代後期 農政の曲がり角と新農村建設事業



(1)設備投資に主導された高度成長経済:欧米に追い付け、追い越せ

 1)神武景気と防衛努力と

  ・「インフレなき拡大」といわれた神武景気。

  ・しかし、まだ日本経済の底が浅く、経済が加熱し、原材料・設備等の輸入が急増すると、たちまち貿易終始が赤字になり、緊縮政策に転換し、景気は下降、なべ底不況となった。

  ・一方、税金の自然増→積極的な財政投融資と公共事業の拡充。

  ・米、「日本の防衛努力の不足」指摘。・・駆逐艦2艚寄贈、基地拡張と演習強化

  ・経済自立五ヵ年計画と第一次防衛力整備計画

   「日本の重化学工業の根本的たて直しの要請は、このようなアメリカの世界戦略のなかで生じ、先の財政条件に助けられて、この期に着々と実施に移されていくのである。」(橋本、P.44)

 2)新鋭重化学工業の創出

  ・伝統ある旧工場をどんどん縮小、廃止するスクラップ・アンド・ビルド

  ・アメリカを中心とする海外先進技術移植と世界銀行等のアメリカ系外資の導入を背景に、鉄鋼業、電力、石油化学が合理化をすすめる。

  ・水力発電から火力発電へ。エネルギ−源の対外依存深まる。

   山村の炭焼きは廃れていき、山林と農耕地が分離していく。

  ・「諸新鋭工業の中心機械は、1号機は輸入でも『2号機以降国産の開発方式』が作られ、それは日本の機械産業に広大な市場と技術発展の機会を与えた。機会産業の発展は、再び鉄鋼業に安定した内需を与える。『鉄が鉄を呼び』という投資循環、これを軸に高度成長が始まったのである。」(橋本、P.45)

3)なべ底不況と労働者の抵抗

  ・1957年、海外不況による輸出不振、株価大暴落、繊維取引所は相場崩落。

  ・繊維業界と中小企業は不況。

  ・資本側の労働者押さえこみ。ストライキ件数1年で810件。

  ・女性のパ−ト労働の始まり

(2)国際競争力と新農村建設事業

 1)新農村建設事業の意義

  鳩山内閣の下、河野一郎農相。補助事業。

  「国際競争力」に耐える農業の育成( 日本農業の近代化)

  1955年ガット加入。貿易自由化体制へ日本農業を適応させていく。

  そのための補助事業の始まり。

  対象:裏作振興、綿羊導入によるホ−ム・スパン、稚蚕の共同飼育。

      土地改良、草地造成、共同利用トラクタ−の導入

     有線放送、集会所の助成

 2)アメリカ余剰農産物の買い付け( ビデオ「食卓の下の星条旗」に詳しい)

  アメリカ、1954年食料援助法。余剰農産物の輸出促進。

   ・現地通貨で取引。

   ・10年の年利3%支払い

   ・輸入時に優先的にアメリカの農産物を買う

  キッチンカ−が村のすみずみまでまわる。

  米から麦へ。生産者は農産物を作って売って現金をえる農地労働者となっていく。

  生産者自身、農産物を食べなくなり、加工もしなくなる。( 弓削さんとの違い)

 3)連年豊作・農民生産力の開花点

  農地改革後の稲作生産力が発展

  1955年、米の空前の収穫高、米の供出は緩和される

 4)農家は変わり始める

  自給自足から商品作物生産へ転換しはじめる

  しょうゆや味噌、野菜も購入する消費者になりはじめる

  この時期、牛、馬、山羊、羊が一番多かった

  1953年から役牛から乳牛へ転換←アメリカの飼料余る

  日本の牧歌的な農村のイメ−ジは、この50年代の農家である。

 5)農業の曲がり角論議。

  1955年EEC発足。日本の高度成長→

  アメリカ、金流出、ドル危機、圧倒的な強さを失いはじめる

  アメリカ、日本に対する貿易自由化要求。

  農家の3分の1以上が専業農家

  動力耕耘機を所有する農家はまだ2割、共同利用が多い

  洗濯機、プロパンガス、白黒テレビも普及段階

   「以前と違う金のかかるくらしが始まっていた」「いままでの農業、農業経営では、新しいくらしに追いついていけないのではないかと考え、何か新しい農業を、新しい経営を求める農民の動きがおこってきていた。共同経営がブ−ムになろうとしていた時であった。」(橋本、P.55)



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