◇臨死体験・気功・瞑想

精神世界の読書ノート

 そのときどき、その月々に読んだ本の中から、ひろく精神世界に関係して感銘を受た本を取り上げ、数行で紹介していきます。
  私は、他の人がどんな本を読み、どんな感想をもったかを教しえてもらうのが大好きです。私がそうだから、みなさんもきっとそうだろうなと思ってこんなコーナーをつくりました。
 最近、「つん読」のままに終わっている本が多くなってきたので、自分自身への励ましという意味もあるのですが。いや、それが一番大きいかな。

 何年か前に出版された本が多いのは、それだけ「つん読」が多かったからです。

 

2001年4月

 

◆『呼吸による癒し』 ラリー・ローゼンバーク (春秋社) 2001年

 著者はハーバード大学などで社会心理学などを教えた博士で、クリシュナムルティ、ヴェーダンタ、禅、そしてヴィパッサナー瞑想を30年修行をしたという。 この本は「出息入息に関する気づきの経」(アーナーパーナサティ・スートラ)に基づいて教えるという形をとっている。

 あれこれ迷いなが瞑想している今の私にとっては、とてもとても参考になる本だ。本当にことこまかに親切に手取り足取り瞑想を教えてくれている。しかも、たんなるノウハウの本ではない。瞑想を説くことがそのまま深い深い求道の精神と説くことにつながっている。あるいは、瞑想の在り方を説くことが、そのまま生き方へ洞察に繋がっている。

 瞑想に迷う時、何回か読むことになるだろう、いや読みたいと思えるような本だ。(読了:0104)

 この本の中の珠玉の言葉のいくつかを抜き書きしました。 ⇒こちらからお入りください。

 

 

2001年3月

 

◆『意識のスペクトル』 ケン・ウィルバー (春秋社) 1994年

ウィルバーの『意識のスペクトル』の第1巻は、意識のスペクトル論の全体像の骨格を論じ、それにまつわる問題点を指摘しているのに対し、第2巻は、影のレベルから「心」のレベルへと向かってアイデンティティーを広げる、「治癒と進化の道を論じた方法論」という形をとるという。

ウィルバーの6段階の意識のスペクトルがどのようなものか、簡単にまとめておく。
 @「仮面(影)のレベル」/自分だと信じられた部分〈仮面=ペルソナ〉が本来自分のものである衝動や欲求や思考〈影=シャドー〉を抑圧している。
 A「自我のレベル」/影を統合しているが、身体とは分離している。からだは自分の所有物や道具であって、自分自身ではないと感じられ、そのアイデンティティは、身体を統合せず、排除している。
 B「生物社会的帯域」/自我のレベルから実存のレベルへと統合が進む途中にあり、社会的なプログラム、つまり言語、習慣、教育、文化の習得などが含まれる帯域。
 C「実存のレベル」/アイデンティティが、自我を超えて身体にまで広がっている。統合された心身=有機体が「自己」と感じられている。しかし、この心身一如の有機体は、環境とは分離している。
 D「超個の帯域」/実存のレベルと、心と呼ばれるまったく対立のない領域との間にあり、トランスパーソナルな帯域、超個の帯域と呼ばれる。そこでは環境との分裂はあってもその境界はあいまいで、実際にはESPや共時性、超常現象さえも起こりかねない帯域。
 E「心のレベル」/人間は本来、心(Mind)と呼ばれる非常に幅広く、いかなる分離分裂も二元対立もない状態、世界ないし宇宙と一体化している状態を深層にもっている。東西の神秘思想が、たとえばブラフマン、永遠、無限、空、無、宇宙意識など、さまざまな言葉で表現した、人間と全者が一つとなった究極のレベル。  意識のスペクトルは、電磁波のスペクトルと同じように、ある一貫した連続性をもって展開する。
 

 第2巻は「治癒と進化の道を論じた方法論」という形をとるせいか、読んでいて今自分自身がどのような状態にいるのかとか、ウィルバーのいうセラピー論にしたがって、自分の問題に対してみたいとか、自分への問いかけをしながら読めるのが面白い。

 たとえば第7章「影の統合」では、フロイトからパールズまでの理論を踏まえてわかりやすい事例を引きながら、自我と影の関係を論じ、影を再び自分のものにする実践的方法を探求している。  「われわれの中の否定的性向(影の一面)は、それらに目をつむるろうとしても、しっかりわれわれのものとしてとどまり、恐怖、抑圧、不安といった神経症的な症候となってわれわれを悩ませるのである。意識から切り離された否定的性向は、自然に備わった均衡を失い、脅威的な様相をされけ出す。悪というものは、それと友達になることによってのみおとなしくさせることができるのであって、疎外すると、火に油をそそぐようなものである。統合されると、悪は穏やかなものとなり、投影さえると非常に悪意に満ちたものになる。」

 これ考え方自体は、目新しい考え方ではないが、否定的な感情を抑圧するのではなく、意識的・自覚的に味わい尽くすというのは、いつでもひとりでも出来ること。ある人物への否定的な感情を、ひとりで徹底的に表現しきって味わってみると、それが自分に統合されていく。  シンプルだが、その通りだと思う。実は、ある人物にこれをやったら、確かにその通りだと実感できた。(読了:0103)

 

◆『構造としての神』 ケン・ウィルバー (青土社) 1993年

 この本は、トランスパーソナル心理学(超個人心理学)の成果を宗教社会学の分野に注入して、宗教社会学の視野を拡大することを目的とする。それは人類の歴史と社会を、超個人的な次元へと向かう一種の目的論的な視点からとらえ直し新たな意味付けをする壮大な試みでもある。

 ここでは第2章の内容にのみ簡単にふれる。
 第2章「構造的組織体の階層秩序」では、ピアジェなどの正統的発達心理学の階層秩序に超個人的な次元を加えている。発達心理学は、古層レベル、呪術的レベル(アニミズム、ピアジェの前操作的思考)、神話的レベル(具体操作的思考)、合理的レベル(形式操作的思考)という階層秩序を想定する。また、このような発達心理学的・個体発生的な階層秩序は、原始旧石器時代の呪術、古典的な宗教的神話、現代の合理科学という、歴史的(系統発生的)な階層に、それぞれ深層構造において対応すると思われる。  この対応を踏まえてウィルバーの次の印象深い言葉を読んでほしい。

「現在までの進化のコースをみるがよい。アメーバから人類までの道のりを! それならば、このアメーバから人間への進化率を未来の進化に適用したらどうであろうか。つまりアメーバが人間に対する関係は、人間がXに対する関係に等しいのである。Xとは何か? この「X」が、本当にオメガ点、ガイスト、超越心(スーパーマインド)、霊であるかもしれないと言ったら嘲笑されるだろうか。下意識が自己意識に対するのは、自己意識が超意識に対する関係に等しいのではないか。前個人的なそれは個人的なそれに道をゆずり、個人的なそれは超個人的なそれに道をゆずるのではないであろうか。あのブラフマンはたんに進化の根拠であるだけではなく、その目標でもあるのではないであろうか。」

 つまりウィルバーは、合理的思考よりさらに高いレベルがあることを示す。それは、発達心理学的に個人が、さらに高度な意識レベルに至ることを意味するが、同時に、人間の文化全体が、さらに高度なレベルへと進化する可能性をも示唆する。  

 

 

◆『カルト資本主義』斎藤貴男 (文芸春秋社) 1997年

 やや古いがすこぶる面白い。副題「オカルトが支配する日本の企業社会」が示すように精神世界や超能力に傾斜する経営者や企業の研究を批判するものだが、自分が関心を持ち係わってきた世界がどのように切り込まれているのか、それだけでも興味深い。私が全く知らなかった内情が詳しく調べられて

 もちろん著者の固定観念・偏見のたぐいによって本質的なところが見えていなかったり、歪められたりしているのも感じるが、これがもし本当だったら私が間違っていたのではないかと思えるような部分も多い。その辺をどうやって見極めていくか。実に刺激的だ。

 結論としては、我が国のニューエイジ運動や新霊性運動は、とどのつまり方便として用いられれいると、斎藤は言う。終身雇用制がくずれようとしている今、それに変わって従業員の忠誠心を涵養する武器としては、すべてが必要必然ベストであると説く、たとえば船井流のニューエイジがもっとも好都合だというのだ。自我の否定あるいは没我、ないし“和”による会社という全体への忠誠。全体主義への傾斜。
 しかし斎藤には、ニューエイジないし新霊性運動のもっとも深いとことになにがあるのかまったく見えていない。「新霊性運動」が示唆するのは霊的な目覚めである。自我の否定、没我がそのまま全体主義とイコールなのではない。  

 

各章ごとの要約とコメントをここに掲載しました。 こちらからお入りください。

(読了:0103)

 

◆『カルトのかしこい脱け方、はまり方』 青山あゆみ (第三書館)  1995年

 ことばやさしいが内容は深い。題名から連想しがちな安易な、きわもの的な本ではない。ニューエイジの中にひそむカルト性を超え、しかも霊的な成長や目覚めを失わない生き方とは何かを、平易な語り口の中に絶妙なたとえ話をちりばめながら語っている。

 そして、合理的思考と悟りの関係、現実肯定と批判精神の関係、世界の一切は幻であるという言葉の意味など、精神世界やニューエイジ的な思考の根本にかかわる問題について、やさしくさりげない言葉の中にひとつの方向を示している。

いくつか引いてみる。
<しっかりと合理的に考えることを手放してはいけません。現代人の心の病いにみられるように、“考える自己”がさまざまな問題を抱えているとしても、また、合理的な自己だけが人間の正常な精神状態だと決めつけてきた西洋近代的な人間像が片手落ちだっととしても、健康な個の確立をはしょったり、それを否定し前個的状態へ退行したりして、超個へのショートカットすることはできません。むし、合理的な思考と、思考という心のレベルより深い魂のレベルの経験とを組み合わせることが、本当の意味の「超我」に達する道でしょう。>

< ‥‥宇宙のなかのこの地球という惑星で怒っている「現実」という名の現在進行形の奇跡をさておいて、人間の浅知恵で作為をはたらかせる必要をあまり感じなくなります。‥‥なにもかも現状のままで放っておいていいという無責任な現実肯定ではなく、いまある世界に限りない神秘と感謝を感じながら、しかも未来へ向けてのその創作に等身大にコミットしていこうとする積極的な現実肯定です。>(読了:0103)

 

2001年2月

 

◆『「見えないもの」を科学する』 佐々木茂美 (サンマーク出版) 1998年 /気功

 私は、本サイトの掲載している『気・「もの」から「こころ」へ』を書くにあたっては、佐々木茂美氏の気についての考え方にいちばん強く影響を受ているといってよい。だから、あの気の論文を書き上げた時、佐々木氏に送って読んでいただき、それなりの評価をいただいた。 そして佐々木氏の主催する「サイ実測研究会」の会員となり、その会合で佐々木氏のお話を何度も伺ってきた。上述の論文も初出は「サイ実測研」の機関誌である。

 気功師が気を入ることによって水の電気伝導率が上がる実験は、上の論文でも紹介したが、この本では、手のふれられない状況においた金属が意念によって変化することを科学的に計測した結果も紹介されている。科学的に厳密にコントロールされた状況下で、近代科学の枠組みでは説明出来ない結果が確認されているのだ。こうした実験の意味が正当に評価されるのはいつになるのだろうか。

 ところで気功師や超能力者が何らかの現象を起こしているとき、皮膚がいちばん反応しており、10ヘルツくらいで規則性のないランダムパルス状に振動しているという。皮膚は、マイクロバイブレーションといってつねに小さく振動しているが、気功師が現象を起こしているときの皮膚振動は10ヘルツ前後と、ふつうより低い周波数なのだそうだ。さらに、そんな状態の時の気功師の脳波は10〜11ヘルツのミッドアルファ波だ。つまり、脳波の周波数と皮膚の周波数がほぼ同じなのである。

  私の場合、脳にちょっと注意するとまずキーンという高い感じのバイブレーションが聞こえる。これは脳が活発に活動中のベータ波のバイブレーションかもしれない。そして、それにダブるようにやがて聞こえてくる低音のバイブレーションは、アルファ波のものかも知れない(もちろん20ヘルツ以下の低周波なので通常は聞こえないはずなのだが)。 そして瞑想中にはよく脳内バイブレーションと手や丹田の気が響き合うのを感じるが、、これは脳波バイブレーションが手や丹田の皮膚バイブレーションと10ヘルツ前後で共鳴するのかも知れない。もちろん断定はできないが、私の中で実感される現象をきれいに説明できる考え方であるのは確かだ。 (読了:0102)


◆『宇宙につながった日』山本佳人(金花舎) 1993年 / 精神世界

 著者の名前は以前から知っていたが、本を読むのははじめて。一読、非常に面白いと思った。こんなにも深い覚醒を得ている人がいるということに驚いた。しかも覚醒に至る経緯や、覚醒そのもの、覚醒に関連して目覚める 「超能力」などをこんなにもつぶさに記録しているは。文章もとても格調が高く、この著者は、もっともっと評価されていい人だと思った。難を言えは少し格調が高すぎることかも知れない。自らの覚醒というテーマをこれほど詳しく描写し、深く探求した本は、そう多くない。
 ただ、心に強く訴えてくるものが少ないのは、あまりに素晴らしく、自分とはあまりに掛け離れすぎている感じがするからだろうか。  

印象に残る言葉をいくつか。

「もはや私がなすべきことは一つしかなかった。慣習と自堕落に満ちた生活空間のすぐ上に、本当の世界が実在することに気づいてもらうこと。私の思いはこの一点に尽きていただろう。しかしこのような気づきは勇気なしには得られようもない。そこで私心を放棄しえる決意、慣習的な日常を突破しえる勇気をもってもらうためには、そのような放棄の代償ともいうべき甘露な世界が、誰の目にも明らかなほと確かなものとして実在するという事実を、私は証言しなければならないいと決意していた。」

超能力についての以下の言葉は、その通りだと思う。

「人間の心の深みに宿り、あるいはまた宇宙的自然の高みに偏在しなければならない、意識の超越的な本流の中には、異常とも思えるような超能力現象や、超自然現象といった細流がきわめて正常な形で、自然に存在しているのである。それらの現象はもともと全体から切り離すことでできない、宇宙意識の内的な要素なのである。  ところが多くの人々が、超能力を獲得しようとして躓いている。身体から取り出された内蔵がグロテスクな異物のように見えるように、全体の中から部分を切り離して、それだけを取り上げるなら、たちまち、その部分のトータルな意義や真に個別的な働きは見失われる。本来、素晴らしく人間的で総合的な輝きをもっている超能力や超自然現象が、オカルトのイメージに象徴されるようなグロテスクな姿に形を変えてしまうのは、このような誤った取り組みのためなのである。」 (読了:0102)

 

『自分探しの瞑想』 アーノルド・ミンデル (地湧社) 1997年

 以前からミンデルのプロセス指向心理学の勉強をしたかった。まずは、いちばん読みやすそうなこの本を読み始めた。

 非常に引かれる部分と、あまりピンとこない部分とが錯綜している印象。考え方そのものは人間性心理学やトランスパーソナル心理学の延長線上にあって、しかも新しい独創的な視点ももっているので、とても魅力的だ。 具体的なワークの仕方については、まだピンとこない部分がある。
 いずれにせよ、この人の本は、これからじっくり勉強したい。それだけ引かれるものを感じる。読む価値ありと思う。

 「プロセスワークの基本的な考え方は、自分が体験できるすべての体験は、それ自身の展開、解決、成長を含んでいる、ということです。自分に見えるビジョンや、聞こえる声や、からだの痛みの中にあるメッセージは、決して幻想などではなく、自分自身に向かう急行列車なのです。」

 この考え方にはとても魅力を感じる。まさにその通りなのだと思う。病気すらもやはりそのようなメッセージのひとつであるのだろう。しかも、それらの症状の原因を考えるのではなく、そのメッセージを受け取り、プロセスを展開させ、プロセスそのものに語らせ、そこから学んでいこうとする。素晴らしいと思う。

  「プロセスワークの重要な考え方は、怒り、嫉妬、どん欲などを含む、どんな感情でも、それを受け入れ、そのプロセスに従うことによって、そこからいのちをよみがえらせる可能性が現れてくる、ということです。」

 この言葉は大好きだ。無条件に素晴らしい。ゾクゾクするくらい好きだ。人生すべて、こんなありかたをしていきたいと思う。 (読了:0102)

 

2000年1月

『霊的成長と悟り』 本山博 (宗教心理出版) 1988年 / 瞑想

◆『宇宙の根っこにつながる人々』 天外伺朗 (サンマーク出版) 1999年 / ニューエイジ

『波動速読法』 七田真 (KKロングセラーズ) 2000年 / その他

2000年12月

◆『生と死の接点』  河合隼雄 (岩波書店) 1989年/心理学

◆『「ケータイ・ネット人間」の精神分析』 小此木啓吾 (飛鳥新社) 2000年/心理学

◆『裸のサイババ』 パンタ笛吹 (ヴォイス社) 2000年 /精神世界全般

◆『チベット密教の瞑想法』 ナムカイ・ノルブ (法蔵館) 2000年/瞑想

2000年11月

◆『生きがいの催眠療法』 飯田史彦、奥山輝実 (PHP研究所) 2000年 
セラピー・ヒーリング・医療

◆『これからの日本』 河合隼雄 (潮出版社) 心理学

◆『瞑想のススメ』 山田孝男 (総合法令) 1999年瞑想

◆『快癒力』 篠原佳年 (サンマーク出版) 1996年 セラピー・ヒーリング・医療

『自己喪失の体験』 バーナデット・ロバーツ (紀伊国屋書店) 1989年 /精神世界全般

 

2000年10月

◆『波動で上手に生きる』船井幸雄 (サンマーク出版) 2000年 /ニューエイジ

◆『ソース』 マイク・マクナマス (ヴォイス社 ニューエイジ
 
◆『自我と無我』 岡野守也 (PHP新書)心理学


2000年9月

◆『地球は心をもっている』喰代栄一(日本教文社) 2000年 ニューエイジ

『「気と経絡」癒しの指圧法』 遠藤喨及 (講談社+α新書) 2000年気功



2000年8月

◆『ミュータント・メッセージ』 マルロ・モーガン (角川文庫) 1999年 ニューエイジ

◆『瞑想の心理学:大乗起信論の理論と実践』 可藤豊文 (法蔵館) 2000年 宗教

◆『覚醒への旅:瞑想者のガイドブック』 ラム・ダス (サンマーク文庫) 1998年瞑想

◆『快脳気功』 津村喬 (サンマーク出版) 1998年気功

 

 



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