◇臨死体験・気功・瞑想

臨死体験の事例集

 

福澤もろさん

  ここに取り上げるのは、投稿などで私の手元にとどいた未発表の体験ではなく、『RIBIRTH―地球再生・人間再生』(編著・船井幸雄、同朋,1998年)からの収録である。
 今後、臨死体験をテーマにした本以外に記された日本人や非ヨーロッパ人の体験で、事後の精神的な変化がはっきり記されているものは、ここに紹介していく。
 以下は、 アーティスト・福澤もろさんの「地球は孤独な星ではない」といういう文章の中に記されたご自身の体験である。


 「音楽とは宇宙や自然が与えてくれるメッセージだ。自分は一人でも多くの人にこのメッセージを伝えていきたい」
  私がこの思いをより強くしたのは、二つの大きな出会いがあったからでした。セドナとの出会い、そしてホピの長老との出会い……。
  もう一つ、つけ加えるなら、この二つの出会いに導いてくれたある出来事も私にとっては重要な気づきを与えてくれるきっかけとなっています。

  ちょうど昭和が平成に変わった年、一九八九年十二月のことです。私は最初のアルバム『ホーリーナイト』を制作していました。レコーディングを終え、リリースの準備が一段落したある日、心臓が突然グーッと痛くなりました。
  それまでの私は元気印の象徴のように健康だったため、その時は「これは何だろう?」と思うくらいで、さして気にもとめませんでした。わずかな痛みでしたし、少し静かにしていると治まってしまうので放っておいたのです。
  しかし、そのうち階段をちょっと昇り降りしただけでも痛むようになってきました。ようやく「これはおかしい」と思い、病院へ行ったところ、心臓が少し痛んでいると医者にいわれ、二週間後に検査することになったのです。 ところが、病院から家に戻った二〜三日後、心臓の痛みがひどくなってきたのです。もちろん、自分が心臓病で死にかけているなんてこれっぽっちも思っていませんでしたから、その時も「病院でちょこっと治療をしてもらって、薬でも飲めば治るだろう」などと軽い気持ちでいました。
  その日はちょうど日曜日で、外来は開いていないので、知り合いの大学病院に急遽連絡をして診てもらうことにしました。本人は軽く考えていたのに、医者に診てもらったところ、即入院ということになってしまったのです。

 その夜、大きな発作が来ました。強烈な胸の痛みに見舞われ、私は目の前が真っ白になるような感覚に襲われました。それからふと気がつくと、白い霧に囲まれ、ベッドの斜め上あたりから、横たわっている一人の人物をながめていたのです。「あれ?誰だろう」よく見ると、驚いたことにそこには青白い顔をした自分がいるではありませんか。「これがよく話に聞く幽体離脱なのかな」とふと思った次の瞬間、私はこれまで経験したこともない時間の流れの中に取り込まれてしまったのです。生きている時とはまったく異なる、現実とはかけ離れた時間、過去も未来も同時に存在するような、把握しきれない時間の中にいたのです。
  この不思議な時の世界では心がとても落ち着き、安らかな気持ちに包まれている自分がいました。「あれもしなきゃ、これもしなきゃ」とさまざまな雑念に囲まれながら生きていた世界がまるで嘘のよう。何ともゆったりとした気持ちでいられるのです。

 やがて、どこからかシェルシェルと音が聞こえてきました。音源を探して上を向くと、そこには大きな穴のようなものがあり、「あっ」と思う間もなく中に吸い込まれていきました。そして、よく聞く「三途の川」のような場所に出たのです。そこには膨大な数の岩と、どこまでも続く砂浜がありました。つまり、この時私は臨死体験をしていたのです。

 結果的に私は、またこの世界に戻されたわけですが、この時の経験によって「生きているとはどういうことなのか」ということを気づかされたような気がします。そして「自分はいつかこういうところへ行くんだな」と改めて実感したのです。
  それまでは、そういうことをチラッと考えただけで何ともいえない暗い気持ちに襲われたものでした。暗い気持ちとは、たとえていえば「自分の人生がそこでストップしてしまうことへの不安感」とでもいうのでしょうか…:・。
  しかし、臨死体験によって「自分の人生が有限である」と改めて認識させられたことで、残された自分の人生は一日一日、確実に人生の最終日に近づいているということをハッキリ自覚できるようになったのです。

 また、この体験で私自身の価値観が大きく変わることにもなりました。自分が死んでもなお変わらないもの、この世の持ち物でありながら、あの不思議な時の世界にもっていける唯一のものは、「自分白身の気持ち・心」であるこ、とを知ったのです。
  お金を貯めて何か残しておこうといった考えは無意味なもの。お金なんかよりも、生きている間に出会った人たちとの心のつながりのほうがより大切であると思うようになったのです。

 たとえば、ケンカ別れをしてそのままになってしまっている人がいたとします。その人と不仲のままこの世を去ったら、とても後悔するのではないかとか、そんなことを考えるようになった自分がいました。人間関係というものにもっと心を砕き、誰かと会っている時には心を込めて時を一緒に過ごそうと思うようになったのです。

 私の心臓の病は心筋梗塞でした。この世に生き返ったといっても、完全な状態ではなく、その後一〜二年は少し歩くだけで息がハアハアしてしまうような状態でした。心臓の動きは健康だったころの三分の二ほど。いわば軽自動車のエンジンで大型トラックを動かしているようなものです。当然、歩くことはおろか、日常生活を送ること自体が非常に大変でした。

 しかし、一方では。気づいたことを伝えたいという気持ちが私の中で徐々に強まっていったのです。そこで、身体は辛い状態でしたが、平成三年ころから無理のない程度にまた歌を歌い始めることにしました。

       (中略)

 いま最大の危機は、「なぜこの世界に存在しているのか?」とうことを、人が考えないでいることだと思います。自分の本質の中にある至福感を人生の最大目標として、積極的に人生を歩んでほしい、それが私の願いです。それには、頭で考えるのではなく、身体が感激して涙がとめどもなく溢れてくるような感覚を大切にすること、そういう自分でよかったと思える心をもつことが重要だと思います。あらゆる人々がそう思える瞬間を体験できる。その時に私の音楽が少しでも役に立ったら本当にうれしいことだと思います。


彼は、臨死体後、いくつかのシンクロにシティーの重なりの中で、
アメリカ・アリゾナ州のセドナ(ネイティブ・アメリカンの聖地)への旅をします。
そこで彼女は、人生の最も大きなターニング・ポイントになるような体験をしたといいます。


福澤もろ

作詞家、作曲家、ヴォイスアーティストとして白鳥英美子・森山良子・石川セリ・イルカなどの作品を提供。星と語り、風を感じ、神・宇宙・地球・いのちへの愛と感謝と慈しみの心を詞と曲でつづる。(上記『RIBIRTH―地球再生・人間再生』(編著・船井幸雄、同朋,1998年)の略歴より)

うちゅうのうた(福澤諸:作詞、作曲)    

 

 01/03/18 追加

 

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