◇臨死体験・気功・瞑想

臨死体験の事例集

 

まなりんさん

 

 平成12年11月13日にまなりんさんという方からメールをいただいた。10年前の小学生の頃の臨死体験らしきものの記憶が蘇ったとのことだった。
 自分では、あれが臨死体験だったかのかどうか疑わしいが、 「もし参考になり、お役に立つのなら」ということでわざわざ投稿してくださったのだ。
 快く掲載を承諾してくださったのでここに収録する。

 このように過去の臨死体験らしきものの記憶が断片的に蘇り、半信半疑ながらも、また関連する他の断片的な記憶が読みがる。疑問を感じながらも、やはりあれは臨死体験だったのではないかと思う。自分の体験をそんな風に捉えている方がいるという事実は、みなさんに知ってもらう価値が十分あると思い、ここに掲載する次第です。


 臨死体験のコーナーやってらっしゃいますよね? 僕も最近、「ああ、もしかしたらアレは臨死体験だったのかな?」という記憶が蘇ったんです。

 他人の臨死体験の話を聞いて記憶が蘇るというケースは実際に数多く存在するらしいですが、 正直自分の蘇った記憶が果たして本当に臨死体験と呼べる代物なのか、おおいに 疑問でもあります。
  また、自分が勝手に作り出した都合のよい「記憶」(妄想?)なのでは?という 疑いもあります。(なにせ10年ぐらい?も前のことですので) それでも、もしHPのご発展に一役買えるのならとメールを書く決意をしました。 もしよければ「臨死体験」の考察に役立ててください!

 僕は幼少の頃から気管支喘息だったんです。それで季節の移り変わりの 時期にはよく発作を出しては深夜に苦しんでいました。 それと言うのもその頃、僕の母がちょっと新興宗教に入ってまして、 病院で薬をもらうことを信仰から許してもらえなかったんですよ。 それで僕は必然的に自力で喘息と毎夜向かい合うことになったんです。

  今は母のことは恨んでいません。過去はそうなるべくして なったモノだと思ってます。母は自分の価値観に従って正しいことを選択していた だけですもんね。 喘息の発作時は寝ていると余計に辛いので患者は 布団の上にあぐら、もしくは四つんばの体制になって、息をすることだけに 全神系を使うハメになります。

  その日もいつものように小学生の僕は真暗の部屋の中で、布団の 上で四つんばの姿勢で喘息の発作に耐えていました。 時刻は明け方の3時か4時を回っていたと思います。 僕は眠い、しかし辛くて寝れないということで、もうどうしようもない状態でした。

  次の瞬間、(と、いう表現しか思いつかない)僕は病院のベットの上で目を覚ましました。 母と父が僕の顔を覗き込んでいます。となりには白衣を着た医師らしき人もいます。 僕は「あ〜あ、帰ってきちゃったよ」という感想を持っています。 「ま、目覚ましちゃったからもう少しこっちで頑張ろっかな」という感想を持っています。
  母が僕にこう言いました。「あんたすごい気持ちよさそうな顔して寝てたよ〜。 すっごい気持ちよさそ〜な顔してた〜。ホントに。」
  どうやら僕はあまりの眠さに寝てしまい(?)両親が病院に運んできてくれたらしいのです。

 今、書きながら思ったのですが、何故両親はただ寝ている息子を病院に運んできたのでしょうか? 今、気付きました。不思議です。何故なんだろう。 もしかしたら、僕の容態は相当にヤバイ状態だったのかもしれません。 (もしかしたら寝ていたのではなく気を失っていたのでは?)
  僕はその日から病院に入院することになったのです。 もっとも喘息は入院すれば完治するというモノでもないので、入院とは 病院側が気休め程度に下した判断だと思いますが。

 僕は目を覚ました時、睡眠時、まぶしい光に包まれていた記憶を持っていました。 そして声としてではなく、(みなさんが言ように)直感として 「まだ来るべき時じゃないよ」みたいなことを誰かに言われた記憶を持っていました。 その光はとても、なんというか、やはり僕も「愛」という表現を使わざるを得ないと思います。 そういった感情に包まれていて、とても気持ちがよかったことを記憶しています。

  その時は「臨死体験」という現象を知らなかったので、 「よっぽど眠たかったんだな〜僕は。」ぐらいの感想しか持ちませんでした。
  ですが、今思い出してみるにあんなにも気持ちのよい(といった表現では収まらないほどの) 睡眠は(アレが睡眠だったとして)あれ以来ありませんでしたし、確かに「まだ来るべき時じゃない」 みたいな感情を受け取ったような記憶があったような気がしてならないのです。

 そして、僕はこれはいくらなんでも僕の妄想だろう(本などから得た知識の受け売り?)と自分でも 思うのですが、誰かに手を握られていたという記憶まで最近頭に蘇ってきたのです。 それはやはり、みなさんが言うように白い服を着た人(?)なのです。僕は小さかったから その人の後ろ姿のイメージしかありません。

 10年(ぐらい?)も前の記憶なので、僕はこの記憶の信憑性を疑っています。 僕が本などから得た知識を結合して作った都合のよい解釈によって 説明付けられた記憶なのではないか? という疑いです。しかし一方であの気持ちのよい(以上の体験)をした 前後の記憶はしっかりと僕の頭の中にあるのです。
  母の「気持ちよさそうな寝顔だったよ〜」という大袈裟な言い方も 「やはりそうなのか?臨死体験だったのか?」と思わせます。

 僕はその体験後に人格が変るといったことはありませんでした。 僕は夢だと信じきっていましたし、気にもしていませんでした。 あの頃の僕はただただ毎日喘息と付き合って、耐えて、 母の言う通りのいい子になることだけを考えていましたから。
  いや、正確に言うならば何も考えていませんでした。 今思えばあの頃の僕には「自我」がなかったように思えます。 悪い言葉で言えば母に洗脳されていたと思います。 あれから数年がたち、自分の頭で考えるという行為の術を身に付けてみて 初めて「アレは臨死体験だったのでは?」などと思い始めた僕なのでした。

 ずいぶんと長い文章で、すみません。参考になったのならば幸いです。


 

00/11/18 追加

 

 

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