臨死体験・気功・瞑想

覚醒・至高体験の事例集   臨死体験者の場合

ユング

臨死体験者の変化を全体として見ると、その根底には、「自分の周囲のあらゆる人々や生物、事物に心を開き、それらをあるがままに受け入れ、愛し、慈しみ、それらとの一体感を感じるようになる」と表現できるような傾向があるようだ。少なくとも、自分ばかりが可愛くて、自己と世界との間に垣根をめぐらして自分を守っているのとは逆の方向に、多くの臨死体験者は変化している。一言でいえば、臨死体験者には自己への囚われから自由になっていく傾向があるのらしい。

 臨死体験者のさまざまな意識変化の謎は、「自己」への囚われからの解放という視点から説明すると、かなり納得できるように思う。以上のことを確認するために、ここではフロイトとならんで潜在意識の偉大な探求者であったC.G.ユングの例を考えてみたい。



◆「私は存在したものの、成就したものの束である」◆  
  ユングも、その晩年にの臨死体験をしている。彼の場合は、「宇宙との一体感」を語っているわけではないが、自己への囚われや執着からの解放という点ではかなりはっきりとした自覚を持っている。自伝『ユング自伝―思い出・夢・思想 』のなかで、69歳でのその体験をつぎのように語る。 (自伝は、全二巻に分かれており、この体験が語られるのは二巻目である。)

  1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあっ た。意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょう ど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思いこ んでいた。後日、付き添っていた看護婦は、『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、彼女のつけ加えた言葉によると、そういっ た現象は死んで行く人たちに何度かみかけたことだという。私は死の瀬戸際にまで近 づいて、夢みているのか、忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。とにかく途 方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。  
 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地 球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかか なたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球 全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に 照らしだされて、銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところど ころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。(中略)
  どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。 それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。この高度からみた 地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、もっとも美しいものであった。

 このときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆氏も指摘するようにアポロが撮った地球の写真の姿と驚くほどぴったりと合っている。しかもユングはこれをアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているのである。  さてユングは、しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石のような黒い石塊が宇宙空間をただよっているのを発見する。その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。ユングはその中に入っていく。  

 私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。つま り、私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。この過程はきわめて苦痛であった。しかし、残ったものはいくらかはあった。それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで 起こったすべてで、それらのすべてが、まるでいま私とともにあるような実感であっ た。それらは私とともにあり、私がそれらそのものだいえるかもしれない。いいかえ れば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っているということを強く感じた。これこそが私なのだ。『私は存在したものの、成就したものの束である。』 
 この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、同時に非常に満たされた感情をも 抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。最初は、なにもかも剥ぎとられ、奪われてしまったという消滅感が強かったが、しかし突然、それはどうでもよいと思えた。
 すべては過ぎ去り、過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりもなく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り、取り去られても惜しくはなかった。逆に、私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。

 これはきわめて興味深い体験である。このときユングという一人の人間の意識のなかで何がおこったのだろうか。彼の中の何が剥ぎとられ、何が残ったのだろうか。剥ぎとられ奪いとられたのは、ユングでもやはり世間を生きる間に知らず知らずに身につけてしまっていた欲望や囚われの一切だったのだろうか。要するに我執で塗り固められた自己という殻の一切がこのときユングから離脱していったのだろうか。

「私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった」

 とユングはいう。この表現は、やや曖昧ながら、彼が地上に存在していたときに自己の名のもとにひっさげていたもろもろの執着が彼から消え去っていったことを暗示してはいないだろうか。(もちろん、ここでいう「自己」は、ユングがいう「自己」とは別の意味で使っていることをお断りしておく。)
   これに対し、彼に残されたものは何だったか。孤独な宇宙空間にただよいながら、かつて自分が地上で経験し、行為したことのすべてが自分とともにあるという実感だけは残った。そのとき残されたぎりぎりの「私」とは、自分がこれまで地上で経験し、行為したもろもろの事実のみであった。それは要するに、「私」とは私のカルマ(業)にほかならないということなのか。 私に所属する多くが離脱しても、私の行為のすべては、おそらくは死後もカルマとして存続する。もしそうだとすればこれは仏教、とくに唯識仏教などが主張する考え方と同じではないか。もちろん残念ながらユングの語り口は、そう簡単に整理できるほど明確ではない。

◆あるがままにイエスという◆
  ただ確かなのはユングが、他の多くの臨死体験者と同じように、この体験のあと大きな変貌を遂げたということである。『ユング・地下の大王』の著者、コリン・ウィルソンも言うように、これはユングの生涯のなかで大きな転換点だったと思われるのである。
 その変化の一つは、この体験後、彼にとって仕事上で実りの豊かな時期がはじまったということである。「私の主要な著作の多くは、この時期にはじめて書かれた」とまでユングはいう。事実彼は、その後一七年間生き続け、『転移の心理学』(71歳)、『アイオーン』(76歳)、『ヨブへの答え』(77歳)、『結合の神秘』(第一巻80歳、第二巻81歳)等々、次々と主要著作を発表していく。しかも彼の学問への態度にも、大きな質的な変化が起こったという。
 それまで彼は、研究者として「自分は科学者だ」ということを世間に示して自分が傷つかないように護らなければならないと感じていた。しかし体験後は、自分が科学者であり、それ以外でないという熱狂的な見かけを維持する必要がないことに気づいたようだ。自分の心のいちばん深層にある信念を示すことを厭わなくなり、科学の限界を越えて進んでいると非難されることを気にしなくなったというのだ。ユングは語る、「もはや私は、自分自身の意見を貫きとおそうとしなくなり、思考の流れにまかせた。このようにして問題の方が私の前に現われてきては、形をなしていった」と。彼はまた、たとえば第一次大戦後に住んでいた家に出没する幽霊を話を率直に語り始めたりもするのである。 ユングの変化のもう一つの面については、彼自身に語ってもらおう。彼は、次のようにいう。  

 またもう一つ、病気によって私に明らかになったことがあった。それを公式的に表現すると、事物を在るがままに肯定するといえよう。つまり、主観によってさからうことなく、在るものを無条件に『その通り(イエス)』といえることである。実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受けいれる。そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受けとめる。‥‥‥病後にはじ めて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。‥‥‥私はまた、人は自分自身のなかに生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在するものとして受けいれねばならないと、はっきり覚った。

 これらによって語られているのは、自分のなかに湧きあがって来るものをそのまま受けとめ、また事物を自己の主観というフィルターで歪めずに、あるがままに肯定して受けとめるという、受容性の増大であろう。これまでに見てきたように臨死体験者たちの多くは、自分の周囲のあらゆる人々や生物、事物に心を開き、それらをあるがままに受け入れていくという傾向があった。それは、自分自身のあるがままを素直に受け入れていくことと表裏一体である。要するにそれは、「自己」という垣根を崩して自分の内と外により開かれていくという傾向である。ユングも、外については「実在するものの諸条件を、私の見たままに」、そして内については「私自身の本質も、私がたまたまそうであるように」受け入れるようになったという。だとすればユングの変化も、多くの臨死体験者と共通する方向への「成長」だったと言ってよいだろう。つまりユングの場合も、「自己」という殻が崩れて自分の内と外へと開かれいったのだ。ただし、彼の場合、それが「宇宙と一体となるという感覚」につながっていたかどうかはわからない。


ユング(1875-1961 Carl Gustav Jung)

スイスの精神医学者,分析心理学の創始者。ボーデン湖畔ケスビルに牧師の子として生まれる。バーゼル大学医学部卒。E.ブロイラー,P.ジャネ,S.フロイトらに学ぶ。とりわけフロイトとは1907年の初会見以来親交を重ね一時後継者と目されるが,1913年に訣別。〈集合的無意識〉〈元型〉〈自己〉といった独自の概念を駆使して人類の心の深層を探査し続けたその営為は,特に1970年代以降世界的な注目を集めている。超常現象,東洋思想,ヘルメス的伝統(ヘルメス思想)などの再評価という側面からも,大きな現代的関心が寄せられる思想家。(マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社より)

主著
《変容の象徴》(1912年),《タイプ論》(1921年),《心理学と錬金術》(1944年),《結合の神秘》(1956年)など。

ユング関連サイト:ユングネット (Jung Network)

 

 

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