臨死体験・気功・瞑想 

覚醒・至高体験の事例集

■「光」体験をともなう場合

神谷子氏


 
◆「光」体験で新しい生へ◆
  ここに挙げるのは、精神科医・神谷美恵子の例である。彼女は、その著『生きがいについて (神谷美恵子コレクション) 』のなかで、ある日本女性の手記として、自らの体験を語っている。  

 何日も何日も悲しみと絶望にうちひしがれ、前途はどこまで行っても真暗な袋小路としかみえず、発狂か自殺か、この二つしか私の行きつく道はないと思いつづけていたときでした。突然、ひとりうなだれている私の視野を、ななめ右上がらさっといなずまのようなまぶしい光が横切りました。と同時に私の心は、根底から烈しいよろこびにつきあげられ、自分でもふしぎな凱歌のことばを口走っているのでした。「いったい何が、だれが、私にこんなことを言わせるのだろう」という疑問が、すぐそのあとがら頭に浮かびました。それほどこの出来事は自分にも唐突で、わけのわからないことでした。ただたしかなのは、その時はじめて私は長かった悩みの泥沼の中から、しゃんと頭をあげる力と希望を得たのでした。それが次第に新しい生へと立ち直って行く出発点となったのでした。

 臨死体験者の意識変化と、悟りや「自己」超越等と呼ばれる体験に見られる意識変化とは、いつかの観点から比較できる。 その観点とは

「宇宙との一体感(森羅万象との合一感)」、
「宇宙の全存在が一つにつながっている(世界の全一性)という感覚」、
「あるがままを愛し、受け入れる能力の実感」、
「時間意識の変化」、
「光体験」の五つである。

 これらの観点から比較して見るかぎり臨死体験者と「自己」超越者との意識変化は、多くの面でかなりの共通すると言える。

 覚醒体験と「光」  臨死体験中の「光」体験ついては、この事例集や臨死体験事例集の多くの事例の中にもみることができる。それらによっても感じ取っていだだけたと思うが、臨死体験にとって「光」は、体験の核心的な部分をなしている場合が多い。一方、悟り、覚醒、「自己」超越などと呼ばれる体験の中でも、しばしば不思議な「光」が体験されるが、それがこの体験の中核的な「要素」であるとはおそらく言えないだろう。

 しかし、だからといって「光」が、覚醒体験にとってまったく無視してしまってもよい例外的な「要素」であるとも言い切れない。無視できないほど頻繁に「光」が体験されているのも事実なのである。
 この事例集の覚醒体験のなかにも不思議な「光」を体験した事例は多い。そのいくつかを確認しよう。

  たとえば「ごく普通の人々の場合」でとりあげた心理学専攻の若い女性は、ある日、窓辺でぼんやりと紫陽花を見ていて五月のさわやかな風がその若葉をゆらすと、同時にその葉の裏側から「まばゆい光」があふれ出て、そのとき真理を悟ったという。
  また明治時代の禅僧・今北洪川は、「自我の内部が完全に一となり」、「無限の光りが私の内に輝いていた」という。
  さらに合気道の開祖・植芝盛平は、「私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした」という。


神谷美恵子(かみや・みえこ 1914-1979) 1914年岡山市に生まれる 父は終戦直後東久邇宮内閣文部大臣をつとめた前田多門 1935年津田英学塾卒、コロンビア大学に留学 1944年東京女子医専卒 東京大学医学部精神科 大阪大学医学部精神科勤務をへて、1960年神戸女学院大学教授 1958-72年長島愛生園精神科勤務 1963-76年津田塾大学教授 医学博士 1979年10月22日歿 神谷宣郎氏 1999年1月10日に逝去。

神谷美恵子についてのサイト
http://www.pcs.ne.jp/~yu/ticket/kamiya/kamiya.html

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