臨死体験・気功・瞑想 

覚醒・至高体験の事例集

まんだら浩さん

 先日、まんだら浩さんからメールをもらい、ウェッブ関係のことでご意見をいただきました。そのやりとりの中で
「至高体験について集めてらっしゃるようですので、私自身が去年に経験 したものをお送りします。体験の直後に書いたものです。 WEBに載せてもさしつかえありません。 」

  とのことで、以下のような手記をお寄せいただきました。

 まんだらさんは、 「スピリチュアル日記〜神への道〜」 に、その霊的な体験の深まりを日々刻々とリアルタイムで語り、多くの読者に深い関心をもたれました。以下の体験は、まだこの日記をはじめる以前のものです。
  ここに記された深い愛の体験は、最近さらにさらに深まりつつあるようです。

 ちなみに現在は、霊性学入門というホームページとIntelligent Spirituality〜霊性学研究日誌〜という日記でご活躍です。

 図書館へと車を走らせているとものすごい豪雨が襲った。ほとんど先の見えない豪雨だが慣れた道なのでなんとか走ってきた。ちょうどつくころには雨は小降りになっていた。私は深くも考えず図書館に入った。
  するとなぜかベートーベンのピアノソナタ32番が流れている。それを聞いているうちになぜか私は軽いエクスタシー状態に入っていた。
  気がつくと自分の回りの空間に大きな光の渦があるのが見えた。見えたというより感じたというべきだろうか。そこに壁や書架や床は見えているのだが同時にそれらは肉眼には見えない巨大な光明のなかにあったのであった。そこから無限の愛が放射されていた。(なんていうことだろう。手を伸ばせばとどくところにあったなんて)と思った。
 愛する者も愛される者もなくただ愛がだけがあり愛以外のものはすべて幻影であったのだった。(これはいつでも変わらずつねにここにあったのだ。気がつかなかっただけなのだ)と思いつつ私は夢遊病者のようにあたりを見まわすといつのまにか仏教書の棚のまえにいた。
  その棚のなかで一冊目に見えない光を放っている本があった。『誰でもわかる浄土三部経』とあった。それを借りて外に出ると夕焼けだった。あたりは穏やかなバラ色の光で包まれていた。頭の中心に大きな光源があって輝いている。エクスタシー状態のためブレーキが一瞬遅れたりしたがなんとか帰ってきて『誰でもわかる浄土三部経』を読み始めあのベートーベンのソナタのCDをかけた。
  そうするうちに(私は太陽のように生きなければならない)となぜかそのような思いが浮かんだ。無限に広がる空間に果てしない生命の光が渦巻いていた。私はこの巨大に開放された世界でなぜ多くの生命が生まれ死んでいくのかを理解した。それは大きな愛の一部にすぎなかった。そのことは理屈でも信念でもなくまったく自明なことであった。私の心はひたすら浄土の歓びのうちにあった。
  もう一度いうが宇宙において愛以外のものはすべて幻影にすぎない。愛は光であった。

 「愛以外のものはすべて幻影にすぎない。愛は光であった。」という言葉が、私にはとくに印象的です。臨死体験の研究を続けていて、文字通り同じような言葉を語る体験者がいます。
 臨死体験者だけではなく、多くの覚醒者がそれを語ります。愛だけがリアル。それ以外はすべて幻影。

 大切なのは、私を含め少しでも多くの人が、それをまんだら浩さんのように実感としてわかるようになること。ウェッブの上でそのための輪を少しづつでも広げていきましょう。


00/11/12 追加


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