臨死体験・気功・瞑想 

覚醒・至高体験の事例集


Shio さん

今年(01年)6月1日Shioさんという方からEメールをいただきました。ご自身の至高体験を記された内容でした。一読して私自身にも響いてくるものがあり、心を打たれました。さっそくお返事を差し上げて、この事例集ヘの掲載をお願いすると、こころよく承諾してくださいました。 文中にもありますが、ご自身のサイトでもこの体験に触れられていますので、そちらも是非ご覧ください。末尾にリンクしました。


至高体験読ませていただき、 状況はそれぞれだけれど、
このような体験をされている方は 多いんだなと感じました。

『至高体験』そういう言葉が有るのを知りませんでした。
私は神体験、神秘体験と呼んでいました。

私も10年くらい前にそのような?経験しました。
自分のHPでも少し掲載しましたが、よろしければお聞き下さい。

背景としては精神的な行き詰まりを感じていた頃でした。
藁をもすがる状態で宗教に走り、 カトリックに受洗しようと一心に
聖書をはじめ、キリスト教理等を学んでいました。

フリーな仕事をしていたこともあり、比較的自由なとらわれのない状態で
たっぷりと神と向かい合うことの できる環境でした。
天気の良いお昼間、 部屋のソファでくつろぎ、
やはり心穏やかにまどろんでいる時にそれは、やって来ました。
突然、身体がほかほか、ジンジンと温かくなり
身体の一番奥から沸々と湧き出るような高揚感があり、
涙が止めどなく溢れてきました。
全く自分の意志とか感情とは別物です。
そしてそれとほぼ同時か少し遅れて、
まばゆく輝く白い光のシャワーが私の全身に 降り注いできました。
何が起こったのか分からないまま、なすがままそのシャワーを浴び続け ました。
その光の一つひとつを受けると気持がどんどん拡がり、今まで感じたことのない、
安らぎ、喜び、こんな幸せがあるのかと 言うような至福感を味わいました。
それは一点の曇りもない全幅の信頼を置ける愛を受けたという確信でした。

いままで感じたり、経験したことない、 完璧な愛され方だったのです。
その至福感はおそらく時間にすると数分だと思いますが
時間や肉体の感覚はありませんでした。
光のシャワーが遠のいていったあとも高揚した感覚と喜びは余韻を持って
知らず知らずに「ありがとう、ありがとう」と嗚咽しながらつぶやいていました。

当時はカトリックに入ろうかという時期でもあり、
それは神体験か?と受けとめました。

それから5年ほど後にも同じような体験をしました。
今振り返ってその時を思い出すと、 共通して言えるのが、
2度とも気持がクリアーで『無』に近い状態、 エゴがはずれた瞬間、
あるいはすごく純粋な気持ちでいられた瞬間、
肉体から少し意識がずれて(はみ出て(?)いたような瞬間だった。
そんな気がします。

この体験をしたことでその後、『あのシアワセ感をもう一度!』
って感じで、それを求めてスピリチュアルな旅をしているとも言えます。
劇的に目覚めた…というようなことはありませんが、
アレを知ってしまったら、徹底的な『絶望』ができなくなったように思います。

日常の中でも垣間見える至福感はありますが、決して持続しないものですね、
その瞬間だけが全てです。次の瞬間には消えて無くなっているんですもの…

今思い出しても、あのシアワセ感の余韻を感じられて嬉しくなります。


すべての記述がたいへん印象的ですが、以下の部分は、臨死体験の報告と深く共通していて驚きます。

「いままで感じたり、経験したことない、 完璧な愛され方だったのです。
その至福感はおそらく時間にすると数分だと思いますが
時間や肉体の感覚はありませんでした。」

Shioさんのサイトは次の通りです。

マグダレナ

URL:http://www2.odn.ne.jp/tideway/top.htm


01/6/3 追加

 

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