臨死体験・気功・瞑想 

覚醒・至高体験の事例集

諸富祥彦氏

 


 ここに紹介するのは、千葉大学助教授でカウンセラーの諸富祥彦氏の「危機的体験」とそれを乗り越えた体験を氏自身が綴ったものである。ご本人のいくつかの著作に紹介されているので、すでにご存じの方も多いかもしれない。ここでは最初にカウンセラーが語る 自分を変える「哲学」―生きるのが“むなしい”人のために 』の「エピローグ」から収録し、次に同じ体験をやや別の角度から、より簡潔にまとめたものを『フランクル心理学入門・どんな時にも人生には意味がある』の「おわりに」から収録する。


 最後に、私自身の個人的な体験について少しばかり補足的に触れさせていただきたい。
 すでに幾度か触れた例の「危機的体験」についてである。

 一〇代半ばから二〇代前半にかけての私は、いつ果てるとも知れない「哲学神経症」の苦しみにのたうち回っていた。そのきっかけは、ほんの些細なことだった。
  中学三年のある春の夜。不眠がちだった私は、枕元においてあった太宰治『人間失格』を手にした。一気に読み終えた私は、明け方の光りが差し込むのを確認するとともに、自分の内側で奇妙な感覚がうごめくのを感じた。
  「ああ、このままではいられなくなる」
  それは、それまで長い間慣れ親しみ、すでに自分の一部になっていたあるものが、突然やってきた風の力で、はるか遠くに吹き飛ばされてしまったような、抵抗しようのない感覚であった。

 なす術のない私は、ただ荘然とするばかりであった。
 最初はとるに足らないものとして、打ち消してしまおうとしていたこの感覚は、しかし次第に、どれほど打ち消しても打ち消しえないものとなっていった。
  「私は、もとには戻れないのだ」
  それまでの自分ではいられなくなった私は、自分にとってなくてはならない一切のものを、つまり思考と行動の一切の基準を奪い取られて、そのままそこに放り出された。

 そしてその後、私は、一〇年近くもの間、「どう生きなければならないか」「本当にそれでよいのか」という抽象的な問いにさいなまれ続けることになった。
  この問いは、いつでもどこでも、遠慮なく、私の生活に侵入してきた。
  たとえば食事中に。たとえば友人や恋人との会話の途中に。たとえば試験を受けている最中に。
  そして、この問いが浮かぶや否や、私はその活動の一切を停止して、この問いを考えることに専念しなくてはならなくなるのだった。
  試験を受けている最中にこの問いが浮かんでくるとする。すると私は、即座に答案用紙を裏返し、その問いをめぐるあれこれの思索をメモしなければならなくなった。私には、そうしなけれ ばならない「義務」があると感じられたのだ。
 「この問いに対する納得のいく答えが得られるまでは、一切のことが許されない」
 私の問題は同時に人類全体の問題でもあり、したがって自分には人類の意識変革の旗手となる使命があると感じていた私は、その都度の思索の結果を『二十一世紀旗手』と題されたノートに綴っていった。
 当然、受験勉強などする余裕はまるでなく、中学生のとき東大志望だった私は、高校では完全な落ちこぼれとなっていった。
 「死ねばこの苦しみの一切から解放される」――そんな思いに取りつかれて、死の誘惑にかられたことも、一度ではなかった。

 こうして私は、「哲学する病」のために、まさに青春をまるごと棒に振ってしまった。そして一〇年近く続いたこの苦しみの、いわば極限において、私は救われたのである。
 大学三年の秋のある日曜の午後。前日の晩、例によって「あの問い」にとらわれてから一睡もせず、十数時間もその問いを間い続けたためほとほと疲れ果てていた私は、ついに観念して、その問いを放り出してしまった。「もうどうにでもなれ」と。
 するとどうであろう。ついに力尽き、朽ち果てたはずの私は、なおも倒れることな<、立つことができているのであった。
  しかもその立ち方は、「自分が立つ」という通常の立ち方ではなく、自分が一切の力を抜いても立っていられるという――むしろ自分の根底に与えられた「いのちの働き」そのものが立っているという――そのような仕方で立つことができているのであった。
 これは、驚きであった。
 また、新たな発見でもあった。
  それは、人間とは本来何であるかを、そして「生きる」とはどういうことかを「初めて知った」という感慨であった。
  私は一以前とはすっかり変わり果てた自分自身の姿への気づきを通して、人間とは本来何であり、生きるとはどういうことであるかを初めて「告げ知らされた」のである。
 
 私は今、もし自分がこのような経験をすることがなかったらと思うと、寒々しい思いがする。せっかく人間として生まれたのに、人間とは本来何であり、生きるとはどういうことかを、一度も知ることなく、生涯を過ごすことになったのだから。
 たしかに私は、「哲学する病」のために青春を丸ごと棒に振ってしまった。
 けれども・「このような経験をすることができて本当によかった」という思いが、今、私にはある。だから私は、自分がやった方法を、他の人にも試してみてほしいと思う。
 私は何も、私の個人的体験を絶対化するつもりはない。人に押しつけたいとも思わない。そん なことをすれば、神秘体験を絶対化したオウムの信者と同じになってしまう。けれども、本書(とくに第四章)で提示した哲学的自己変革の方法を徹底するなら自分がどう変わっていくかを、各自で確かめてみてほしい、という気持ちはある。本書の隠れた執筆動機の一つは、実はこんなところにあるのである。( 『カウンセラーが騙る・自分を変える〈哲学〉』 より)

 

 ……思春期から青年期にかけての私には、どう生きるべきか、どう生きればよいのかわからず、悩み苦しんでいた時期がありました。いくら問うても答えが得られず、半ば自暴自棄になりかけていたのです。

 その私を救ってくれた一人が、やはりフランクルでした。
 大学三年のある秋の日の午後。前日の晩、「どう生きるべきか、どう生きればよいか」という問いに捕らわれてから一睡もできず、十数時間もその問いを問い続けていた私は、さすがにほとほと疲れ果ててしまっていました。それでも答えが得られなかった私は、ついに観念して、七年間もこだわり続けたその問いをとうとう放り出してしまったのです。
 「もう、どうにでもなれ」と。
 やけになってすべてを投げ出してしまった私が、けれどもその時そこに見たのは、なぜか崩れることも倒れることもなく、立っていられる自分の姿でした。それが得られなければもう生きていくことはできないと、必死で求め続けたその答えをついに断念したにもかかわらず、そのままの姿で一切を許され立っていられる自分の姿を、私はただ驚きの眼差しで見つめるよりほかありませんでした。

 と同時に私は、それまで自分が何年にもわたって求め続けてきたその問いの答えが、なぜかそこに、既に与えられているということに気づかされたのです。それはつまり、こういうことです。
 「どう生きるべきか」「どう生きればよいか」と、いくら問い求めても答えが得られず、ただ途方に暮れてたたずむことしかできなかった私。けれども、その問いを手放してみてはじめてわかったことなのですが、その問いの答えは、実はそれ以前からずっと、常に既に私の足下に与えられてきていたのです。私がそれに気づかなかっただけで、私の「なすべきこと」は、私を超えた「向こ う」から、常に既に送り与えられてきていたのです。

 だから私は、ほんとうは、「どう生きるべきか」「どう生きればよいか」と思い悩む必要は、一切なかったのです。私がしなければならないこと、それは、その都度私に送り与えられてくるこの「なすべきこと」「実現すべき意味」を見つけ出し、実現することだけなのですから。

 こうして私は、七年にわたる地獄の苦しみからついに救い出されました。

 この宇宙の中、この世界の中に、この私がこうして与え置かれているという謎に満ちた事実。それをフランクル流に解釈すると、私の「なすべきこと」は私を超えた「向こう」から送り与えられてきているというイメージが、リアルなものとして実感されてきます。
 そしてこのイメージが自分の中に定着するにつれて、「どう生きるべきか」「どう生きればよいか」という私の問いは消え去りました。それを問う必要がなくなったのです。
 「なすべきことは私を超えた向こうから、常に既に送り与えられてきている」というフランクル心理学のメッセージ。それはこのように、「どう生きるべきか」「どう生きればよいか」という思い悩みを、直ちに消し去ってしまう力を持っているのです。(『フランクル心理学入門・どんな時にも人生には意味がある』より)


 諸富氏のこの体験は、私が一番最初に読んだ氏の著作のなかにもっと詳細に語られていた記憶があるのだが、その本が見つからない。いづれ見つかったら、そちらも掲載したいと思っている。

01/03/31 追加


 

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