臨死体験・気功・瞑想

覚醒・至高体験の事例集  普通の人々の場合 2

 

小田切秀禮さん

 


 小田切秀禮さんは、このサイトの掲示板にしばしば投稿くださっている方です。小田切さんは、その掲示板に以下のようなご自身の体験を書いてくださいました。その直後に、抹消してほしいというご依頼があったのですが、この事例集に加えさせてほしいとお願いしたところ「...お任せします」とのことだったので、体験部分だけを抜粋して掲載します。

 小田切さんは、子供のころキリスト教的な教育を受たようですが、もの足らず、そのあと、ある仏教団体に所属して修行されたりしたこともあったようですが、そこも止めたとのことです。

 ここに記したような体験の前に、何か特別の体験があったかどうかお聞きしましたが、とくに具体的なことは語っておられませんでした。


 それから暫くして、私は感動的な経験をしました。 仕事で東北へ向かう電車の中から何気なく目をやった窓の外に見えた小さな森が とても懐かしく自分という存在物の故郷のように感じられて、その感動で涙が溢れて何も見えなくなったのです。

 訳の分からない現象でした。でも すぐに、私の中で起こった変化に気づきました。 『その感動より大きな喜びは存在しない』ということが ゆるぎなく分かったのです。

 そして(それまでの価値観)色々と比較し、吟味して決定していた量的な価値のことごとくが錯覚のようなものだと感じられたのです。 従って「これ以上 何かを求める必要はない」とも分かりました。

 今にして思えば『あの感動』は、この命の喜びも、あの命の喜びも同じであり 全ての命は小さな命の集まりの集まりであって、たとえ別々に離れていても それでも一つの命であり、それぞれが欣喜雀躍として最善を尽くしている ということが分かったことです。

 これは言葉ではその様になるし、当たり前のように知っていたことだけれど、その体験、全身的な経験をしないと どうも頭の片隅だけの認識に留まっているようで絶対感覚にはならない というのが実感です。

 それまでは自分にとって この世が極楽であるとは聞いていなかったけれど、それ以降は極楽はここ以外にないことを これも絶対的な心証をもって実感できたのです。

 ここに在る言葉 「極楽」も、それを実感した人によって作られたものだし、 「天国」とか「天ガ原」も「佛国土」も同じです。 それ以上のものがないことが実感されたからこそ最高の言葉で表現されているのです。 「アイヌモシリ」は普通に使われて((聖なる大地?)という意味だ)という。

小田切さんのサイト:きまじめ鍵談室

 

00/8/23  追加


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