臨死体験・気功・瞑想

覚醒・至高体験の事例集  普通の人々の場合

 

しんえもんさん

 4月1日に、しんえんもんさんとう方から、「私は、精神世界の遍歴をいろいろしたあげくに、信じていたものすべてに裏切られて、人生に絶望し、苦悩の極点に至った時、瞬間的な意識の変革を経験しました。 以下の私の体験談が何かの役に立てば幸いです」ということで、メールをいただきました。
 彼は、その貴重な体験を、当時のメモをもとにして、詳しく書いてくれています。絶望のはてに強烈な歓喜があり、自分という意識の殻が破れる体験や、その後の気づき、人のかかわりの変化など、つぶさに書いていて下さり、精神的成長を目指す私たちすべてにとって、大いに刺激となり、得ることの多い文章です。
 しんえもんさんの許可を得て、ここに掲載させていただきます。


私の至高・変革体験

今からちょうど2年ほど前のことです。 当時私は、信じていたものすべてに裏切られ、それまでの人生を全否定されたように感じ、絶望の淵に沈んでいました。
そんな時、友人の何気ない一言で、私は最後の心のよすがを奪い取られて、依って立つものをすべて失って しまったのです。
その瞬間、頭が真っ白になり、茫然自失状態になって、終電車がなくなってもただ駅に立ち尽くしていたのです。

その数日後、別の友人と居酒屋で飲んでいたときのことでした。
突然、下腹の辺りから強烈な歓喜がわき上がり、私の心を貫き全身を包んだのです。
同時に理由の分からな い涙があふれて止まりません。その中で、
「仏教で言うポワってこのことだったんだ!!」
「諸宗教が追い求めている境地は実は一つで、これだったんだ!!」
という、直感的なひらめきが起こりました。
この時の強烈な歓喜は、数分で終わりました。

※この時点でのチベット密教の「ポワ」に対する理解は、無知だったため正しくなかったかも知れませんが、 私は「意識のプラスの相転移」位のニュアンスでとらえていましたので、そのようにお読みください。


変化を感じたのは、次の日目覚めてからでした。
まず、体表面にあった、「自分」という意識の殻(枠組み)に亀裂がはいって、「破れた!!」と感じるの です。そして、中身の「心」が亀裂から外の空間にあふれだし、広がりだしていることを感じるのです。
全く根拠はないのですが、
「枠組みが壊れたから、後は心を広げていけばいいのだ。それには、人の幸せを願うことだ。」
と「解る」のです。
自分が、空間と「行き抜け」になっているのを、実感として感じていました。
心は、その後どんどん広がっていき、終いに空間との境界が判らなくなりました。


驚いたのは、自分の主体性が無くなってしまって、全く受動的になってしまったことでした。
自分の理想や、主義・主張が消え、自分のやりたいことも無くなってしまって、傍にいる人の願いをかなえ る手伝いがしたいのです。
「自分の好みを言え」と言われれば、昔の経験を引っ張り出して来て言うことは出来るが、ダメとなったら すぐにぱっと引っ込められる。周りにどのようにでも合わせられ、それでいてまったく無理がなく、自然で リラックスしきっているという状態でした。
また、傍にいる人の感情が直に伝わってくるようで、喜んでいると自分も嬉しいし、悲しんでいると自分も 悲しいのです。
だから、自然と人の喜ぶことをやろうとしている状態でした。 そして人がとても好きになりました。
心の壁がないためか、初対面でもすぐ打ち解けられて、よい人間関係が築けるようになったのです。

 

「すべてはそのままでいい!!」「すべては存在が許されている。何も付け加えたり、除いたりする必要など なく、あるがままで完璧なのだ!!」という確信がありました。

当時私は、関わっていた社会問題に関する同人誌の寄稿を頼まれていたのですが、誰かに何かの情報を 伝えるということ自体、必要の無いことのような気がして、断ってしまいました。すべてはあるがままで完璧な のだから、もし伝えるべきことがあるとすれば、「そのままでいいんだよ!」ということしか思い浮かばな くて、それでは同人誌の原稿にならなかったからです。

 

そして心身のリラックスし切った軽快さと深い歓びの中で、研ぎ澄まされた瞑想状態が、起きている間中何 をしているときも、しばらく続きました。思考、感情が生起した瞬間に、覚醒した意識でそれに気付いてい るので、それに乗っかり「その瞬間の自分」を言動で表現するも、やり過ごし消滅を待つも、自由自在な状 態でした。経験から来る無意識の言動の反応がなく、完全に自分をコントロール出来ていました。
覚醒した寂静の意識は、酒を飲んで酔っ払って馬鹿騒ぎをしている時も、決して崩れたり乱れたりすること はなく、身体の不調はもちろん、マイナスの思考・感情にも一切影響を受けず、全てを冷静にながめて、そ の消滅を待っていられる状態でした。

※かなり後になって、この状態がテーラワーダ仏教で言うヴィパッサナー(観)らしいと知りました。


おもしろい変化としては、歓喜の体験から少なくとも10日間程は、まったく夢を見ませんでした。
そして、ぱっと目覚めて、スカッとした爽快感があるのです。


他にもいろいろな、気付きがありました。たとえば、
「自分もみんなも、もともと最高に幸せな状態にあるのに、それを忘れているだけだったんだ」 とか、
「全ては、生起して消滅しているだけなんだから、何にもとらわれる必要なんてない。ただ、起こるに任せ とけばいいんだ」 とか、
「苦しみは、それから逃げたり、消したりしようとせず、受け容れ、味わい尽くすことで、消滅するのだ。」 などと気付きました。
また、生まれ変わりが実際にあるということも、理屈でなく「解る」のです。
そして、自分に関わった全ての人に心から感謝の念が湧き、「みんな好き、みんな幸せになってほしい!!」  と心から思いました。また、過去や未来のことを思うことがなくなり、死ぬのが恐くなくなりました。


結局、良い状態はそんなに長くは続かず、自分の思考や感情を、ほとんど完璧につかまえていられたのは、 10日間ぐらいで、徐々に覚醒が途切れ自我意識が再び顔を現し始めるようになりました。深い歓びはその 後トーンダウンしながら、やはり半年位で消えていったように思います。

しかし、その後の変化としては、体験前まであった、トラウマによる精神世界への恐怖が消失して、自分か ら「あの境地」にとどまる方法を求めて、宗教書やニューエイジ、心理学などを積極的に読むようになった ことです。
でもそれは、以前のように、何かの概念や思想、信仰に頼り依存するという態度ではなく、あくまでもその 功罪を知った上で「あの境地」にとどまる手段として、良い意味でそれを「利用」しようというものです。
伝統的宗教や、優れた研究者の主張には、必ず学ぶべき点があると思うからです。

その中で、神谷美恵子の「変革体験」、マスローの「至高経験」、立花隆の「宇宙体験」、そして臨死体験 などの源がどうやらすべて同じらしいと知りました。
また、諸宗教の到達点としてのそれぞれの境地の核心部分は、「それ」であるに違いないという確信のよう なものを持つようになりました。
歓喜の体験の時の直感に対する確信が、知識によって深まったと言えると思います。


他にも、あの体験以来、ちょっとしたことで感動の涙を流すことが多くなりました。 感動的な映画はもちろ ん、スポーツを観たり、歌手の歌を聴いたり、果てはアニメのポケモンの歌を歌っているときも、「歓喜の スイッチ」が入ると、2年前のあの体験に似た歓喜状態に入るようになりました。
無私・無償の愛、自己犠牲的愛に触れると、歓喜が誘発されることが多いようです。


そして今現在、私は、テーラワーダ仏教のヴィパッサナー瞑想を、とどまるためのテクニックとして訓練し ているところです。
瞑想をやってみて、体験前に比べて、深い瞑想状態に簡単に入れるようになった気がします。
仏教的視点からすれば、ここからが覚醒に留まり深める、本当の修行のようです。
道は長いようですね。(^_^)

しんえもん


uchuuippai@nyc.odn.ne.jp

00/4/2追加

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