覚醒・至高体験の事例集  「世界が輝く」体験の場合

高史明氏

 以下は、紀野一義氏の編集する雑誌『真如』からの引用である。

 作家の高史明さんは息子の死後、『深きいのちに目覚めて』(弥生書房)という本を書いた。息子の死後、高さんははじめて親鸞上人の教えに目をひらかれ、合掌すること、念仏することを覚えた。高さんは念仏者の集まりにしぱしぱ招かれ、話をさせられた。その記録がこの本となったのである。高さんはこう言っている。

 私のその無明は、最愛の子の自死となってあらわれました。親の無明、子の無明、さらにはその子の身辺をとりまく無明と無明とが、折り重なり、渦となり、暗黒の深淵を生みだしたということでございましょうか。子が、まず、自らその深淵となって落ち、親もまた墜落したことでございました。いかに大きな憤怒に襲われましたことか。

 憤怒は、まず、自分自身へと向かいました。私には、その子の死は、私の希望の崩壊、自分の生きることへの敗北と感じられました。敗北した自分が許せないように思えました。ついで、その憤怒は、妻に向かい、さらには学校にも向かったことでした。それは、怒りが火の渦となって燃えあがったといっても、なお、言いつくせるものではありません。天を呪い、地を呪いました。子どもの死を、いま私は、自分の敗北であったと申しました。それは自力の敗北です。その自力の敗北を、自力の敗北と見ることのできないのが、全身を焼き焦す憤怒であります。それが地獄です。己れの全身が、地獄と化し、鬼となり、己れを責め苛むのであります。『歎異抄』の声が、聞えてきたのは、その地獄のただ中にいたときでした。いかなる縁が、あったのでしょうか。

 高さんが息子の詩集を出版すると、ものすごい反響を呼びおこした。日本全国に、子を亡くした親が無数におり、その悲しみや憤りは、どんなことをしてもいやされるものではないのである。

 笑いを浮かべるようになったとしても、それは、そんな悲しみを知る前の笑いとは天地ほども違うのである。高さんは自分のことを鬼だといった。過失で子を亡くした親は皆そう思うだろう。高さんはまた「自力の敗北」だと言った。それを「自分の背骨が折れた」と言っている。

 九州のある婦人が、夫の死後二人の息子を育てた。大学を出し、長男に嫁をもらい、孫もできた。次男に嫁をもら前にと家を新築し、できたとたんに次男は死んだ。その人は自殺まで考えたが、死んだらあの子の一周忌をする者かいないと、死ぬのをやめた。

 その人に向かって高さんは言う。

 私は、その方とお話をしていて、こういうことを申し上げました。「あなたはまだ死にたいと思っておられるか」と。聞くまでもないということです。言うまでもないということです。たしかにその方には何の希望もありません。やっと育て上げた子に死なれて、何の希望がありましょう。何のために生きてきたか、すべてが崩壊してしまっています。その方はこうも申していました。「息子が死んだという第一報をうけたとき、何のことやらわからなかった」。そして、倒れたんですね。私はこういうことを言いました。「そのとき、おそらくあたたは悲しいという思いすらなかっただろう。ただ崩れこんだのです。それは自分という背骨が砕けたことではないか。南無ではないか。あなたはそれまで自分の背骨で生きてきた。その背骨が折れたということは、自分が砕けたということでしょう。そして、あなたが今生きてるということは、南無したあなたを阿弥陀さんが支えておられるからではないか。あなたは南無阿弥陀仏という背骨をその瞬間いただいたはずです。」

 それが、目が醒めてみると、元の自分の背骨が恋しい、自分の眼が恋しい、死んだ子が恋しい。悲しんでいる自分が念仏する身として見守られていることが、忘られている、だから死にたくなる。それでも、いただいた南無阿弥陀仏の六字は、あなたの骨の内にあります。今一度、死んだという第一報を聞いて骨が砕けたそめ瞬間に立って欲しい。そのとき、おのずと出てくるであろう南無阿弥陀仏に立って欲しい。そうすれば、死にたいという思いがどのようなものか、明らかになろう。南無した身が、さらに死にたいと思うだろうか。それはあなたのうちの自分です。その自分とは命を私物化したものです。命とは、私の命ではない。私は今つくづくとそう思っております。

 高さんのいう「自分という背骨が砕けたことではないか」という言葉は衝撃的だ。自分の背骨が砕けるというようなすさまじい経験をしなくては、信心はほんものにはならないのだ。恰好をつけて自分の背骨で立っていると思ってる間はどうしようもないのだ。  

 ばじめのうち、全然、(歎異抄を)読んで頭の中に入りてくるというようなことはございませんでした。死んだようなものです。実際、死んでいたと思います。死んでいたとき、何をしていたか。小学校を出て以来はじめて墨をすり、「南無阿弥陀仏」という字を、毎日毎日書いておりましたが、そこにどういう意味、があったか。なかなか口では言いにくい。口で言葉にしてみても、大して意味がない。ただ、毎日書いておりました。一目何十枚となく書いております。知り合いの人が妙な顔をしていましたが、そうせずにおれなかった。そしてやっとある日、生き返りました。お正月です。

 子どもの死後、半年ほども過ぎて、女房が「仏様の顔を見に行きたい」と言うものですから、「じゃ、奈良か京都へ行こう」ということで、旅行へ出ました。奈良の田んぼの中の道を歩いておりましたら、周囲が突然に、パッと黄金いるに輝いて見えました。自然現象としては、お日さんが沈みかけたということでしょう。しかし、その前だって、お日さんは、毎日毎日出ては沈んでいたわけでございます。その時のお日さんば、大地を輝かしていました。私は、思わず女房をふり返りまして、「これは一体、何だ。みんな生きとる」と言いました。「これは一体、何事が起こったんだ。お前、見えるか」と言いますと、「私にも見える」と言います。

 やっと、その時に生き返った。その後になりまして、やっと、この『歎異抄』の、「まず有縁を渡すべきなり」という教えが何かということが、頭の中で言葉として整理されて考えられるようになってまいりました。それまでは、毎日念仏だけを書いておりました。そして生き返った。だから、その大阪の方にもすすめたことでした。  

 高史明さんは、奈良の夕焼けが大地を黄金に染めた時に、生きとるということを気付かされた。教えられた。それは、毎日お念仏ばかり書いている日々があったれぱこそである。そのお念仏の日々は、子供の死によってもたらされた。人間は、いろんな形で仏からのメッセージを受けとっている。しかし、受けとっていることさえ知らない。悲しみや絶望を知らないからである。挫折、背骨が砕けるということがないからである。

00/5/27 追加

《高史明の著作》

生きることの意味―ある少年のおいたち (ちくま文庫)

現代によみがえる歎異抄 (NHKライブラリー)

 

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