臨死体験・気功・瞑想 

覚醒・至高体験の事例集

タゴール

 インドの詩人であり、宗教哲学者であるタゴール、21歳のときの神秘体験を紹介します。その体験によって彼の詩の作風は大きく変わり、現実混沌の背後にある神の創造の美と歓喜の世界を描く大詩人への成長していくのです。
 ここでは、森本達雄氏の『ガンディーとタゴール』(第三文明社、1995年)から抜粋し、タゴールの体験部分は、林光彦氏の『心と光のプレリュード』(たま出版、1994年)を使わせていただきました。
 少年のころ、生来の自然児だったタゴールは、イギリス式の厳格な詰め込み教育に耐えられず、いわゆる「おちこぼれ」で、三たび学校を変えたにもかかわらず、生涯一枚も学校の卒業証書を手にいれられなかったということです。そんなタゴールを心配した父は、17歳になった彼をイギリスに留学させることにしたのです。


 たしかに留学は、大学の卒業資格を得るという所期の目的からすれば徒事に終わりましたが、一年半のイギリスでの生活は、その後の詩人の成長にとってはけっして無益ではありませんでした。彼はロンドン滞在中、西洋の古典文学やイギリス浪漫派の詩人たちの作品にしたしむいっぽう、「ヨーロッパ音楽を聴いたり学んだりして、その精神に参入」したのでした。そしてその成果は、帰国後「ヴァルーミーキの天才」など、立てつづけに書かれたいくつかの歌劇に見ることができます。

 このころのラビンドラナート(タゴール)は、父や兄たちの手前、家庭ではいくらか肩身の狭い、窮屈な思いをしていたと思われますが、懐しい故国に帰って、創作意欲はますます旺盛でした。彼はいま、内心の孤独や失意を、形式や韻律の伝統にとらわれることなく、自由にうたうことで、新しい自己表現の方法を見出したのでした。こうして書かれた一連の作品は、一八八二年に『夕べの歌』と題する一冊の詩集として出版されましたが、これは、タゴールが「はじめて自分のほんとうに思ったことを、自分の楽しみによって書いた」という意味では、彼の詩的経歴のなかでも記念すべき詩集とされています。事実ラビンドラナートは、帰国後のこれらの作品によって、「ベンガルのシェリー」として、一躍文壇にその名を知られるようになったのでした。

 しかし、これらの作品は概して、主観的な幻想と自己陶酔のなかで、いたずらに孤独を嘆き、人生を悲しむといった青年期特有の憂欝や不安をうたったものでした。後年〔一九〇三年〕タゴールが自選詩集を編むにあたって、この時代の作品を「心の荒野」としてまとめたのはうなずけます。タゴールがそうした病的な感傷世界の殻を破って、遍照する朝の光へ、生命の歓喜の世界へと躍り出 たのは、それからまもない二十一歳の初秋の日のことでした。

 それは、ある朝カルカツタのヴィクトリア博物館に近いサッダー[B・ショドル]街の兄の家のヴェランダに立って、外を眺めていたときのことでした。通りの東の突き当たりの自由学園の校庭の樹々の向こうに、ちょうど朝日が昇るところでした。陽はみるみる樹をつたって昇り、茂った葉のあいだから金色の光の条がきららかに射し、葉の一枚一枚が光を浴びて踊っていました。後年タゴールは、それを見たときの不思議な感動をこのように回想しています

 「ある朝、わたしはたまたまヴェランダに立って、その方角を見ていた。太陽がちょうどそれらの樹々の葉の茂った梢をぬけて昇ってゆくところだった。わたしが見つづけていたとき、突然にわたしの眼から覆いが落ちたらしく、わたしは世界がある不思議な光輝に浴し、同時に美と歓喜の波が四方に高まってゆくのを見た。この光輝は一瞬にして、わたしの心に欝積していた悲哀と意気消沈の壁をつき破り、心を普遍的な光で満たしたのだった。 」

 「私がバルコニーに立っていると、通行人のそれぞれの歩きぶりや姿や顔つきが、それが誰であろうと、すべて異常なまでにすばらしく見えた――宇宙の海の波の上をみんなが流れて過ぎてゆくように、子供の時から私はただ自分の眼だけで見ていたのに、今や私は自分の意識全体で見はじめたのだ。
 私は一方が相手の肩に腕をかけて無頓着に道を歩いてゆく二人の笑っている若者の姿を、些細の出来事と見なすことはできなかった――それを通して私は、そこから無数の笑いの飛沫が世界中に踊り出る、永遠の喜びをたたえた泉の底知れぬ深みを見ることができたのだから」(『わが回想』)

 これはまさに、究極的実在を直観によって直接に知覚し、それとの合一の歓びを実感するという、古来すぐれた宗教者たちがそれぞれに体験した、宗教学者の言う「神秘体験」であります。「眼から覆いが除かれ…・:全意識をもって」世界を見はじめたいま、タゴールにとって、この世のどんな人も事物も、無意味でつまらないものはなく、存在するすべてをとおして永遠の生命と歓びがかがやいて見えるのでした。バルコニーに立って外を眺めれば、肩をくみ、談笑しながら少年たちの姿が「永遠の歓び」の一部分に映し、赤子をあやす母親や仔牛の体をなめる牝牛は「永遠の愛」のてりかえしのように思えるのでした。

 こうして丸四日間、「自己忘却の至福の状態」にいたあと、タゴールはふたたび日常の時間のなかへもどってゆきましたが、ひとたび世界の内奥の実在のかがやきを体験し、真の自我を見性(けんしょう)したという歓びの実感は、生涯をとおして詩人の心から離れることはありませんでした。いやむしろ、そのときの直観を思想的に内観・深化し、詩のことばへと浄化・結晶することを、タゴールは己の人生の課題としたのでした。

 おもしろいのは、それからまもなくタゴールは体験の再現を期待して、ヒマラヤ山系の風光明媚なタージリンヘ旅しましたが、「山に登ってあたりを見まわしたとき、わたしはすぐにわたしの新しい視力を喚びもどすことができないことに気づいた:…・山々の王がどんなに空に聲え立っていようとも、彼はわたしへの贈り物に、なにも持ち合わせていないこと」を知ったことでした。そして詩人は、「これにたいして、[真理の]施し主であるかれは、[カルカッタの]あのひどく薄汚れた小径のなかで、一瞬の時間のうちに永遠の宇宙のヴィジョンを賜わることができる」ことを、言いかえますと、精神(神秘)体験はけっして環境の美や、整備された宗教的状況のなかで来るものではたいことを悟ったのでした。

 こうしていま、この体験を人生の一大転換点として、タゴールの新しい創造の歳月が始まろう としていたのでした。そして、体験のあった同じ日に一気に書きあげられた詩「滝の目覚め」は、まさにこれから始まろうとしていた詩人の新しい人生への高らかな宣言といえましょう。それは、ヒマラヤ山中の暗い洞窟にまどろんでいた氷が、朝の小鳥の歌に呼び覚まされ、太陽の光に解き放たれ、自由な滝となって流出し、丘を越え、谷を渡って平地を流れ、.ついには生命の大海と合一する歓喜を、滝の流れそのもののような躍動するリズムをもってうたった長詩です。そして、この詩を巻頭(序詩に続いて)においたその年の一連の作品が、翌年『朝の歌』と題して出版されました。ここにおいてラビンドラナートは、『夕べの歌』の憂鬱(メランコリック)な幻想の世界と訣別して、いみじくも彼の名前のとおり、「太陽の詩人」(ラビは太陽を意味します)として生まれかわったのでした。


タゴール Rabi_ndrana_th Tagore 〔1861〜1941〕

インドの詩人,宗教哲学者。16歳で処女詩集を出版,17歳のとき渡英,西欧思想に親しみ,東西文化の融合に努めた。1901年シャーンティ・ニケータンに学園(現在のビシュバーバラティ国立大学)を創立。09年,宗教的瞑想(メイソウ)生活の中から生まれたベンガル語詩集<ギーターンジャリ>を刊行,13年ノーベル文学賞。現象世界の混沌(コントン)の背後にある神の創造の美と調和をテーマとした多くの詩や戯曲等を発表。 (平凡社『マイペディア』 より)


01/02/25 追加

 

 

 

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