臨死体験・気功・瞑想

覚醒・至高体験の事例集  世界が輝く場合

 

辻邦生 (2)

 以下は、大愚さんが紹介してくださった辻邦生の『生きて愛するために』(中公文庫)に収められた「樟の新緑が輝くとき」という一文からの引用です。

 さらに、同じ『生きて愛するために』の中から「三つの啓示によせて」という文を紹介します。


樟(くす)の新緑が輝くとき

  地上に生きているということが、ただそのことだけで、ほかに較べものの ないほど素晴しいことだ、と思うようになったのは、いつ頃からであろう。

  旧制高校の頃は青年期特有のロマン的気分に惹かれ、詩人プラーテンの 「美しきもの見し人は/すでに死のとらわれ人」という詩に憧れ、自殺願望 を抱いたこともある。日常生活がひどく下遷賤なものに思え、象徴派の小説家 ヴィリエ・ド・リラダンの「生活は下僕にまかせておけ」というような言葉 を、鬼の首でも取ったような気持で座右に掲げていた。

  学校には出席せず、昼夜顛倒してドストエフスキーやバルザックに読みふ けり、精神の冒険を願い、平穏無事な家庭生活など文学には無縁だと思って いた。太宰治の「家庭の幸福は諸悪のもと」を本気で信じ、すべてをデカダンスのなかに投げこまなければならない、と思っていたのである。

  そんな現世否定的な考えが、決定的に変化して、なみの人問よりも、さら に激しい現世肯定派になったのは、さまざまな読書体験にもよるが、決定的 なのは、やはり病気であやうく死にかけたためだった。大学を卒業した年の 春、突然高熱が出た。急性肝炎だった。もう駄目だというところまでいって、 奇蹟的に熱が下がり、一ヵ月ほどして退院した。

   その当時、東大前に住んでいたので、退院の日、病院から大学構内を歩いて家に帰った。その途中、ちょうど五月の晴れた日で、図書館前の樟の大木 の新緑がきらきら輝いていた。私は思わず息を呑んだ。これほど美しいもの を見たことがないと思った。それは、プラーテンの詩にあるような、死と一 つになった陰気な美ではなく、逆に、生命が溢れ、心を歓喜へと高めてゆく 美だった。

   地上の生の素晴しさを、それまでまったく知らなかったわけではない。死 に憧れた信州でも、朝日に染まるアルプスや、高原の風にそよぐ白樺や、霧 のなかに聞えるカッコウの声など、好きでたまらないものがいくらでもあっ た。しかしそれは一瞬心のなかを過ぎてゆく映像で、次の瞬間にはもう不安 や焦燥や不満が入れ替って心を満たしていた。いつも晴れやかというわけに はゆかなかった。

   しかし死をくぐりぬけ、恢復の喜びを噛みしめていたその瞬間に見た樟の 若葉は、そういったものとは違っていた。それは、この世の風景のもっと奥 にある、すべての生命の原風景といったものに見えたのだった。

(中略)

  ちょうど樟の新緑は、心のなかの太陽のように、その後、生命感の源泉と なった。物悲しい雨の日も、暗渚としたパリの午後も、目をつぶると、太陽 に輝くきらきらした新緑が見えた。その途端、この地上とは、惰性で無感動 に生きている場ではない、という思いに貫かれた。死という暗い虚無のなか に、〈地上の生〉は、明るい舞台のように、ぽっかり浮んでいる。青空も、風も、花も、町も、人々も、ただ一回きりのものとして、死という虚無にと り囲まれている。この一回きりの生を、両腕にひしと抱き、熱烈に、本気で 生きなければもうそれは二度と味わうことができないのだ――私は痛切に そう思った。(以下略)

01・10・14 追加

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 三つの啓示に寄せて

 パリに最初に留学した頃、私は自分の文学の土台になる三つの啓示に出会 った。その一つは、滞在二年目の夏、ギリシャに旅行して、アテネのパルテノン神殿を仰いだときだった。旧式のバスに揺られ、アテネの街に入ったと き、遠くにアクロポリスの丘が見えた。その丘の上に点のように見えたものが、近づいてきて、やがて神殿の形をとった。「パルテノンの神殿だ」思わずそうつぶやいた瞬間、神殿から光のようなものが私の身体を刺し貫き、私 は我を忘れて、胱惚とした歓喜に震えた。我にかえったとき、全身に、涼し げな鈴の音の余韻のようなものがまだ鳴っていた。

 その二つは、ギリシャ旅行の翌年の春の夕方、パリの国立図書館からの帰 り、セーヌ川にかかるポソ・デ・ザール(芸術橋)の上に立っているときに起こった。その日は朝から本を読んでいたので、私は疲れて、橋からぽんや りシテ島やノートル・ダムやルーヴルを眺めていた。そのとき突然、私の身体が透明な球になって、みるみる大きく膨らみ、セーヌも、ノートル.ダム も、バリの街々も、この大きな透明な球に包まれるのを感じた。私はまるで 気球に乗ったように眼の下に連なるバリの街々を眺めた。そして「あ、これは私のセーヌだ、私のノートル・ダムだ、私のバリだ」と叫ばないではいら れなかった。それまでこの現実は、私の外側に、何の感動もなく拡がってい た。それなのに、その瞬間、世界は私の内側に転入していた。何かとても親 しい大事なものとなって、両腕で抱えこんでいるような気がした。どんな遠 いものも、どんな小さなものも、すべてく私の世界>のなかの住民だった。 そう思った瞬間、ギリシャのときと同じような歓喜が全身に湧き上がった。

 その三つは、それから一ヵ月とたたない頃、国立図書館の広間にリルケの フランス詩「薔薇」の豪華本が展示されているときに起こった。たまたま 「一輪の薔薇はすべての薔薇」という詩句が、ケースのなかに拡げられてい た。それを目にした瞬間、反射的に、一輪の薔薇のなかに無数の薔薇が浴れ、 万華鏡のようにぐるぐると回るのが見えた。しかしその一輪の薔薇は、すべ ての花々を超え、その上に、静かに、高貴に花を開いていた。この純粋な薔 薇の原型のイメージを見たとき、あの同じ歓喜が泡立つ波のように全身を包 むのを感じた。

 この三つの啓示は、私が文学の根拠を求めている遍歴のさなかに起こったという点では、私の激しい問いかけに対する答といっていいものだった。パ ルテノンの啓示は、美とは、大きな光のように、この地上を包んでいる絶対 一者的存在だ、ということを語っていた。

  セーヌの橋上の啓示は、世界が私と一つであり、私と無縁なものなどは存 在しない。森羅万象は私なのだ、ということを示していた。

 リルケの詩の啓示は、美の一つ一つが、それぞれに絶対の美の現れだとい うことを語っていた。そしてこの三つに共通するのは、われわれの生の根拠 につねに美が存在し、それが生のすべてを包んでいる、ということだった。 私は美を求めて物から物へ喘ぐように遍歴していたが、そんな必要はまったくない。美とは、そして幸福とは、いまここにある。それに気づくことが肝心なのだ――そう思ったとき、一挙に、溟濛の霧が晴れるのを感じた。 それは、さらになおさまざまな試行錯誤をともなったが、すすむべき方向 はそのとき定められたといってよかった。一言でいえば、私は、この地上の すべてのものを――季節も、天候も、時刻も、花々も、木々も、海も、山も (ラムのように「悪党どもも」と加えてもいい)――かぎりなく素晴しいものとして、ひしと抱きしめ、刻々、花の香りに包まれた陶酔のなかで生きる ようになったといえる。すくなくとも、それが私の文学の中心の仕事となっ たとはいえるかもしれない。

01・10・21 追加

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