◇臨死体験・気功・瞑想

覚醒・至高体験の事例集  気功家の場合

 

島田明徳氏

 ここでは「気」の修練が「悟りへの道」と深く結びついていると思われるひとつの体験例を見てみよう。 「『対極の理』実践会」を主催する気功家・島田明徳氏の体験である。彼は、修行のために富士周辺に「山ごもり」したときに、仙道の師に出会って弟子となった。師は、中国で仙道を修行したが、文化大革命で母国を追われ、日本に住みついた陳驢春(ちんろしゅん)老師であった。
 島田氏は、本格的な「気」の修練を、仙道の練丹行からはじめている。練丹というのは、下腹部(下丹田)に全身の「気」を集めて「丹」(「気」の固まり)をつくるという仙道の修練法である。彼は、陳驢春老師のもとでこの行を続け、素晴らしい進歩をとげたという。下丹田の熱気が強まり、「何やら液体状に感じはじめ、続いて粘土を腹の中でこねているような感じになり、さらに続けているうちに、その粘土状の物が腹部で振動してきた」というのだ。さらに、「気」の固まりが上下左右に動き出すように感じられてきた。
 次の修練段階は、練丹でつくった「気」を意識の力で体内に巡らす小周天である。「気」を下丹田から会陰(肛門の1センチ前あたり)を通して尾てい骨へ、そこから背骨を通して頭頂(百会)まで上げ、さらに顔の前面から身体の前面を通して下丹田まで下ろしていくのである。そのとき、熱気をもった液体状のものが虫が這いずるような感じで移動するという。とくに気が会陰から尾てい骨に移動するときには、まるで焼き火鉢を当てられたような熱さだったという。  島田氏の場合、練丹を開始して六年目に「丹」ができ、その後まもなく小周天ができるようになった。そして、小周天ができるようなって数日たったある日、島田氏はつぎのような強烈な体験をした。

  「‥‥夜、床につくと、何も意識しないのに尾てい骨から強烈な熱気が昇ってきま した。この『気』が背骨を上昇するたびに上半がそり返り、頭項から身体の前面に抜ける時に、上半身が床から50センチくらい持ちがって、バタンと床に落ちるのです。 自分ではまったく意識していないのに、熱気の動きに合わせて身体が勝手に動くので す。 
  これでは、とても眠ってなどいられません。しっかり目を覚ましていれば動かないのでが、少しでもウトウトすると、またしても『気』が勝手に動き出して、さっきま での動きが始まります。この日はとうとう一睡もできませんでした。   
  そして翌日になると、尾てい骨から背中にかけて、今までに感じたことのない強い気感が広がっていました。 それは、まさしくエクスタシー感(強烈な快感)というもので、目はうつろ、思考 する気にもなれないほどでした。目を開けているのに、意識がほとんど身体の内部に 向いていて、とてつもなく気持ちがいいのです。これが本当の恍惚感かと思いました。  何をやっても身体中が快感です。  疲れないし、感情が波立つこともない。」  

 この体験を境にして島田氏の気感は、それまでとは大きく変化したという。人や樹木や大地からの「気」が、以前よりはるかに強く感じられ、樹木などからの気の摂取もこれまでと比らべられぬほどうまくいくようになった。  やがて気感も落ち着き、一時の異常な強烈さは薄まった。そして修行は、さらに高い段階に進む。「気」を自分とは別個のエネルギーとして感じている段階から、「気」と自分の意識が一体化してしまう段階へ進むのである。そのための修練が精宮瞑想であるという。小周天で練った「気」を身体の各部にあるエネルギーセンターに集める修練である。このセンターは、ヨーガではチャクラとよばれるが、仙道では精宮という。この部分に「気」が集まると内的な変化が生じやすくなる。自分の意識が精宮の中に入り込み、自分が「気」そのものになってしまうという。  そして、精宮に「気」を集める瞑想を始めてから数カ月たったある日、立禅による気功の修練中に、島田氏は自分の意識が飛躍的に拡大する体験をする。

 「この時の私は、自分の周囲に意識が拡がって、周囲の山々がみんな自分になってし まいました。単なるイメージではなく、自我意識が残っている状態ですから、自分を 意識できる状況下において、その自分が、山であり、川であり、空であるといった状 態をはっきりと認識できるのです。
  山の緑が自分、空の青さも自分、川の冷たさも自分、すべてを自分の意識として実感できるのです。自分の意識が、自分の肉体から離れて外の世界へ拡がって、まるで 自分自身が宇宙そのものになったようでした。   その時に私は、私が個としての人間(意識が肉体の中に閉じ込めれられた状態)と してだけ、この世界に存在しているのではなく、私という人間が、すべてのものとつながって互いに影響しあいながら、この世界に存在しているのだということを悟りました。私たちが、自分とは別なものとして考えていたものが、実は、自分と同じもの であるということ、すべての存在は、個々の存在を超えた大いなる意識(宇宙意識) にその源を発し、その意志を反映いるにすぎないということに気づいたのです。」

 島田氏は、このような意識の状態を大周天とよぶ。大周天とは、自分の意識が拡大して宇宙の意識と一体となった状態だという。この体験が、植芝盛平の体験と共通した点があるとすれば、それは「自分自身が宇宙そのものになった」という感覚だろう。植芝流にいえば「地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がもの」という感覚である。「悟りとは何か」をはっきりさせることは難しいが、少なくとも両人に共通するように、狭く固定化された「自己」という枠組みが崩れ去って、自己と世界との境界が無くなってしまうような「意識の拡大」体験が根底にあるといえるだろう。そして注目したいのは、島田氏の場合、「気」に導かれ、「気」の修練段階を一歩一歩踏みしめ、登っていくことでこの状態に至ったらしいということである。

 さて、島田氏の「尾てい骨から強烈な熱気が昇ってくる」という体験は、ヨーガの世界で知られるクンダリニーの覚醒体験と酷似している。いや、クンダリニーの覚醒そのものと言ってよいだろう。
 では、クンダリニーとは何か。  ヨーガの教説によると、クンダリニーとは、人体の生殖器より少しさがった尾てい骨のあたり(ムラダーラチャクラ=気功の陽関という経穴に対応)に蛇のようにとぐろを巻いている休眠状態の宇宙生命エネルギーである。クンダリニーは、人間の先天的な原気であり、それは宇宙に遍満するエネルギー(プラーナないしシャクティー)と元来同じものだが、ほとんどの人間においては、尾てい骨のあたりに内在したまま、半ば眠っている。そのクンダリニーは、個人が行をすることによって活性化される。

 クンダリニーが目覚めると、その強力なエネルギーがスシュムナ管にそって上昇していく。スシュムナ管は、脊椎の中心を通るエネルギー回路で、気功でいう督脈にほぼ対応すると見てよい。ヨーガでは、このスシュムナ管にそって、脊柱基底部から頭頂にかけて、チャクラと呼ばれる七つのエネルギーセンターがあるとされる。チャクラは、クンダリニーの上昇にしたがって順次開かれていき、その潜在していた力を発揮する。クンダリニーが、最終点で頭頂のサハスララチャクラ(気功でいう百会)と呼ばれるエネルギーセンターと出あうと、このチャクラが開かれ、解脱に至るという。

 ところで、すべてのヨーガ行法は、生命活動がプラーナという、宇宙に満ちているきわめて霊妙なエネルギーの働きに依存していることを前提とする。プラーナは物質でもなく、精神や知性、意識でもない。むしろ、そうしたすべての中に存在する宇宙エネルギーであり、「あらゆる宇宙の現象の背後において、物質にあっては力として、生物や有機体においては生命力として発現する起動力」だとされる。

  プラーナは、またシャクティーとも呼ばれる。便宜上、また混乱を避けるために、プラーナという用語は、「有機的世界で働く宇宙エネルギー、生命力」の局面を指すのに使われ、生物、無生物を問わず一般的なエネルギー、つまり「諸法実相の創造的、活動的な形のエネルギー」を指す時には、シャクティーという全体的名称が用いられる。プラーナとシャクティーは、有機・無機の両界で働く創造的な宇宙エネルギーの表裏をなすともいえる。それらは、無機質に向けられるとき、力となり、有機体に用いられるときと生命となる。

 以上の一般的な説明からも推測できるようにインドヨーガの「プラーナ」と中国気功の「気」とは驚くほどよく似ている。どちらも宇宙に遍満し、生命活動の根源にかかわるエネルギーでありながら、物質的なものとも精神的なものとも限定できず、むしろその根底をなしている。しかも体内に「気」の回路である経絡があるように、ヨーガでもプラーナの流通路である無数の「ナディ」が存在するという。また、中国気功においては、まず下丹田で「練精化気」、中丹田で「練気化神」、上丹田で「練神還虚」というように生命エネルギーの上昇とともに、その変容がなされていく。ヨーガでもクンダリニーの上昇にしたがって各々のチャクラが開発され、魂が浄化されていく。

 ヨーガと気功のこうした類似性を歴史的な背景から裏付けようとする興味深い説もある。この説によれば「気」という文字が中国の歴史の上に現れたのは、春秋戦国時代のことであったという。それ以前には、人体の内を流れて身体を養う内気、宇宙にも遍満してその根底をなす外気という思想はなかった。春秋戦国時代に、ヒマラヤを越えて中国の長安に連なる中印雪山道路ができ、インドのヨーガ医学が入ってきて、インドでいう「プラーナ」が、初めは「風」と訳され、次に「気」と訳されて、現在にいたったという。インドの「プラーナ」に当たるものは、山東省の泰山を中心とする道教の道士たちによって実際に修行の過程で体験されており、それゆえ「プラーナ」や「チャクラ」の説が受けいられたとも考えられるという。

  いずれにせよ、インドのヨーガと中国の気功の間には、その修行方法の上では相違があるものの、「プラーナ」の説と「気」の説の間には、驚くべき一致があり、両者は、それぞれの修行過程で体験され、認識された同じ根源的な現象をさしていたと考えてほぼ間違いないだろう。

 

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