臨死体験・気功・瞑想 

覚醒・至高体験の事例集

 

久松真一

 

 久松真一は、現代の日本を代表する禅者の一人であり、また哲学者でもある。国際的な活動でも知られている。もちろん僧籍をもっているわけではなく、あくまで居士としてではあるが、禅の根本精神を世界に広めようとFAS協会を設立した。
 独自の宗教哲学を確立した、広い意味での宗教家と位置付けて、その見性体験を「宗教家の場合」のひとつに収めたいと思う。

 以下は、『久松真一著作集〈第1巻〉東洋的無 (1969年) 』(理想社刊)に収録された「学究生活以降」および「学究生活の思い出」からとった。後半の文中「彼」とあるのは久松本人のことである。
 「学究生活以降」は、久松真一の立場が簡潔に述べられているので、まず、これを引用する。
  次に「学究生活の思い出」の中から、禅に参じ、覚醒に至る部分の記述を掲載する。文中に「彼」とあるのは、久松自身が、自らを三人称で語ったものである。

 漢語が多く読みづらいかと思うが、充分に読む価値はある。どうぞお読みいただきたい。


学究生活以降

 人間ははっきりと意識するとせぬとにかかわらず、誰しも究極を求めてやまないものである。古来いつもどこにも哲学や宗教があるのはそのためである。哲学は究極に知ろうとし、宗教は究極に生きようとするものである。しかし全体的人問にとって、両者は一体不二であって別々ではあり得ない。哲学から遊離した宗教は、無知、迷信、狂信、ドグマにおちいり、宗教を疎外した哲学は生命喪失になるほかはない。哲学も宗教も現状は、それをさらけ出しておるように思われる。

 私は、生まれながらにして宗教的に篤信な家庭に育ち、幼少より聖教に親しみ、説教を聴いたり、安心調べを受けたりして信仰の堅固を自負してさえおった。ところが中学四五年頃になって、さしもの信仰も、もろくも崩壊し去った。これは、私の内に自由な批判力や自律的精神がめざめ初めたのと、次々に学ぶ科学的知識とが相まって、私に近代ヒューマニズムの自覚を促進したためであった。

 かような宗教的信仰の危機は、ただに私の場合に限らず、おそらく誰でも、どの民族でも、およそアニミズムや呪物崇拝や神仏依属の他律的宗教が、人間進化の当然な過程である近代ヒューマニズムとの出会いにおいて必ず経験されねばならぬ危機なのである。事実、西洋には不徹底ながら宗教改革が起こったし、日本にも、近代化されて来たここ一世紀足らずの間に、いかに多くの前近代的信仰がもろくも亡んでゆき、さもなくば、形式的儀式や、美術品や、博物館的文化財に変貌して、信仰を喪失してしまっておることか。たとい外見は盛大であっても、惰力的存続や宗教の仮面をかぶったえせ宗教に過ぎず、やがては近代的ヒューマニズムの脚光をあびて、危機に直面せざるを得ない宿命を負うものにほかならない。

 かように信仰に絶望した私の進路が、神聖おかすべからずとされている聖典やドグマ、教会や神仏までも自由に疑い批判して、究極的に知ろうとする近代哲学であったのは当然なことであった。私の中学卒業に当たり、林釟蔵という校長は、新進の教授陣容と、なかんずくまだ有名ではないが、西田幾多郎という仙骨をおびたえらい天才哲学者がおるとの理由で、私に京都(帝国)大学の哲学科をすすめた。私の第三高等学校(旧制)在学中に『善の研究』の初版が出たが、難解ながらも繰り返し味読し、行間にあふれる先生の深い思索にふれ、先生に対するあこがれが昂まるとともに、休校長の炯眼に敬服したのであった。

 私は京都帝国大学哲学科在学中、新進教授の講義により東西の哲学その他種々な新知識の学修に恵まれたが、何よりも西田先生との出会いにおいて、先生の哲学が、単なるもの知りや対象知的な思弁ではなくして、究極に知ることと生きることとが一体不二にとけあっておるのを、まのあたり見せつけられ、私の求めて来た哲学もかくあらねぱならぬと痛感した。

 と同時に私は、いわゆるアカデミックな学風では、哲学のみならず宗教の学問までも、ほとんど対象知的学問に偏向し、生きることから遊離して、究極に生きようとする人間に取っては何の魅力もなく、また直接役に立たないことを看破した。

 そこで私は、かようなアカデミックな哲学に見切りをつけ、先生の深い理解ある指示によって、妙心寺禅堂に池上湘山老師を問ねた。これは前近代的宗教やアカデミックな哲学に絶望した私が、究極に知ることと一如的に生きんがためのひたすらな求道であって、何ら伝統禅への逆コース的関心や、禅への対象知的興味によるものではなかった。

 ところがここで私は、いかに人問の自律性や科学性を自覚した近代ヒューマニストといえどもとうてい免れることのできない人間性そのものの宿命的危機に撞着した。これこそ人間のあらゆる矛盾、ディレンマ、苦悶の一体不可分な根源である主体的絶対危機であって、人問が人間自身を超脱して、否定転換しなければならない内面的必然的契機なのである。

 この超脱こそ、真の宗教であり、それは、私に形なくして一切の形を現する絶対自律的、普遍的、根源的自己(F.)の覚(さとり)として現成した。この覚体は、近代的自覚の危機を突破して次に来る「後近代」的人間革命の自覚であって、いわば回心的な真の世界形成(A.)や歴史創造(S.)の根源的主体なのである。ここに神話でも、単なる要請でもない復活の現成があり、原罪や生死を解脱して生きる新生命があり、現証の絶対自律的往相還相があるのである。いわゆる絶対否定も絶対肯定も、対象的た哲学的理念ではなくして、この覚体の生活てなければならない。(以下略)

   注:文中FASの意味は下記を参照のこと。


学究生活の思い出

 彼は禅家のいわゆる提唱というものを初めて聴いたのであるが、その為方も内容も、大学の講義とはよほど性格の異なったもので、彼には珍しいものであった。提唱は大学の講義のように対象知的な説明ではなくして、禅録を通して禅を主体的に表現することである。『大応録』を縁じて主体的に溌刺と自己表現する湘山の真面目は、彼の奥底に眠っている彼の真性をゆさぶらずには置かなかった。彼はこの提唱を聴いた直後次のような心境を書きのこしている。

 十一月五目、妙心寺僧堂に於て、植村宝林植木義雄両師の紹介にて、湘山老師の大応語録の提唱を聴く。生活の大山に登路を失ひ、塞路の荊棘に衣を絡まれ、沖天の屏巌、千仭の断崖に路を断たれ、左に往き右に還り、進みでは退き退きては進み、逡巡躊躇して迷惑すること既に久し、今や血枯れ、心衰へ死まさに至らんとす。この時にあたりて無門の門は我が前方に現前す。悲しむらくは、我が内観未だ浅弱にして、閾を越えんとする時忽ち山門消失して、脚下に無底の深淵を現す。いざ精進努力一番して、深淵に飛び込み、山門を打破し、彼岸の仏殿に邁進し、僧を殺し、仏を屠り、自ら王座に昇りて香を拈じ、香煙一纏宇宙を貫かしめ、 六合を包蔵せしめんかな。

 しかし、提唱を聴くだけでは隔靴掻痒の憾があって、まどろしくものたりなかった頃、ちょうど臘八大接心が来た。

 十二月一日、やっと湘山に参ずることも、禅堂内にて坐ることも許された。参じた時の室内での湘山は、平時とは全く打って変わって、近づき難き孤危峭峻なる千仭の断崖絶壁であった。彼は、その際立った徹底な応変には感嘆を禁じ得なかった。彼に取っては、僧堂式に坐禅し、しかも禅堂内で雲水と同じ規短によって接心するのは、これが初めてであり、のみならずそれがまた、一年中に最も峻烈な臘八大接心であったのであるから、身心共に従来かつて経験したことのないほどの苦痛であった。他処では見られないような堂内の殺気立った異常な緊張と、寸毫も仮借せぬ直日(じきじつ)(現在は禅堂内の総取締役)の策励と、開けっぱなしの窓から吹き込む寒風とは彼を極度に戦慄せしめた。坐に不慣れのための結跏の疼痛や、首や肩や腰の凝りは刻一刻増してゆくぱかりで、顔をしかめ歯を喰いじばり、辛うじて坐相を保つことができる程度で、ややもすれば、肝心の工夫もその方へ奪われ勝ちであった。しかし他方、刻々と迫りくる独参や総参に、心は否応なしに工夫へと駆り立てられ、身心共にますます窮し行くぱかりであった。湘山は入室ごとにいよいよ攀縁を絶する銀山鉄壁と化L、彼のまっ白な独眼の睨みは殺人光線となった。三目目の彼は、針の穴はどの活路もなき、通身黒漫漫の一大疑団となり、文字通り絶体絶命の死地に追い込まれた。ここでは、彼が何か或る個別的な問題を対象的に解こうとして行きつまったというようなことでもなく、あるいは普遍的全体的な問題を対象的に解こうとして解き得ず、それが大きな疑問として心中に懐かれているというようなことでなくして、彼自身が全一的に一大疑団と化したのである。疑団とは、疑われるものと疑うものとが、一つであって、しかもそれが全体的な彼自身であるようなものである。鼠が銭筒に入って伎已に窮した如く、百尺竿頭に登りつめて進退これきわまった如く、全く窮しきって身動きもできない。しかるにあにはからんや、即(こ)の時、いわゆる窮すれば変じ、変ずれば通ずるという如く、この一大疑団の彼は、忽然として内より瓦解氷消し、さしも堅固なる銀山鉄壁の湘山も、同時に跡形もたく崩壊し、湘山と彼との間には、髪を容れる隔ても無くなり、ここにはじめて、彼は無相にして自在たる真の自己を覚証すると同時に、またはじめて湘山の真面目に相見することができたのである。ここで彼は「歴代の祖師と手を把って共に行き、眉毛厮結んで同一眼に見、同一耳に聞く」といった無門の語の偽らざるを知った。一斬一切斬、一成一切成といわれるように、彼が多年解決し得なかった一切の問題は、抜本塞源的に解決せられ、未だかつて経験したことのない大歓喜地を得た。彼は今、存在・非存在を越えた無生死底を自覚し、価値・非価値を絶した不思善不思悪底を了得した。次の句は、当時彼がこの風光を表現したものである。

  雨雲の晴れにし後ぞことさらに澄みまさるなり大空の月

  親しきはしのつく雨の降りやみし静夜を破る滝つ瀬の音

 かようにして彼は、いわば中世的な信仰の宗教から、近世的な理性の哲学へ脱皮し、さらに対象知的な理性哲学の限界を突き破って、無擬自在な真の自己に覚めた。彼は、爾来この真の自己を生き、生きることによって主体知的に行じ、行ずることによってあらゆる面に自己表現し、かようにすることを覚の宗教として開宗し、真の自己が自己自身を対象的に意識することによって、自己を対象化して、そこに自己の対象知を得て、覚の哲学を樹立することに専念して来ているようである。この覚の宗教と覚の哲学との完成は、彼に取って第一の関心事であり、永遠の使命である。

 


久松真一(1889〜1980)略歴

 禅に通暁した今世紀の哲学者として最先鋭と目される久松真一は、1889年に岐阜県に生まれました。京都帝国大学哲学科で西田幾多郎に師事、その薦めで京都妙心寺の池上湘山老師に参じた後、宗教哲学的観点から東西の宗教・哲学・文化を比較つつ、透徹した「無相の自己」の立場から独自の宗教・哲学を確立しました。また、茶人、書家としても有名です。 元京都大学教授。ハーヴァード大学客員教授。京大心茶会、FAS協会を創立。著書に『東洋的無』(1939)、『絶対危機と復活』(1969)、『人類の誓い』(提綱、1951〜53)、『禅と美術』(1958)、『わびの茶道』(1987)などがある。現在、法蔵館から『久松真一著作集』全九巻+別巻が刊行中。(FAS協会 世界電網学道道場 HPより転載)

FAS協会  http://www.ne.jp/asahi/fas/soc/

FAS協会の名称となっているFASは、次の三つの基本的要素が分かちがたく結び合った私たち人間の存在の根源的なあり方を表すものです。

F 無相の自己に目覚め     To awaken to Formless Self
A 全人類の立場に立ち     To stand on the standpoint of All mankind
S 歴史を越えて歴史を創る   To create Suprahistorical history

                               (上記HPより転載)


01/4/22 追加

 


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