臨死体験・気功・瞑想 

覚醒・至高体験の事例集  病とともにある場合

北原敏直少年

 北原敏直という筋ジストロフィー症 の少年の詩をいくつかあげます。この詩は、私の好きな紀野一義さんの本で知りました。 (紀野一義『生きることが救いだ』光文社)

 進行性筋ジストロフィー症は、小学生くらいから発病し、筋肉が次々に萎縮し、二十ぐらいまでの間にみな死んでしまう、と云います。助かる人のあるというのではなく、確実に死ぬのだと云います。

 ゆっくりと確実に死が近づいてくるにもかかわらず、この病気にかかった子供たちは不思議に明るかったと紀野一義さんは云います。
 
  では、北原少年の詩。

なにかをしよう

死はみんなこわいという
でも時は刻々とすぎていく
生きている今だけでも
自然を見て時のすぎるのを忘れよう
そうだ  一分一秒この瞬間
なにかをしよう
生きている証しに
時を忘れるために
最後まで死のこわさを忘れていよう  

 

 生きているんだ

この一日 きょうも
自然は みゃくうつ
野のかたわらでは花がさき
朝の光の中ではせみが生まれる。
そうだ 生きているんだ
空が 大地が 地球が
そして ぼくも  

 

目ざめ

神様を知った時
心のおくそこで
なにか小さなものが
光をはなちはじめた
それはなみだのごとく
愛の色にみちていた
ああそれはきっと
いまにふくらんでいくのでしょう
神の心をはなちながら
その時こそ ぼくは生まれかわるのです
すなつぶのように
こまかな波のように  

 

わけてあげよう

よろこびを感じたら
ほかの人にも わけてあげよう
人生なんて短いから
自分なんて点のようだから
一人でも多く
よろこばしてあげよう
ちりのような
もっともっと
空気の分子のような
小さなよろこびを
一人一人に わけてあげよう
ああ早くしないと
人生がつきてしまう
点のような自分が
けしゴムで消すように きえてしまう
今感じているよろこびも むだにはできない


 これらの詩をわたしは、たくさんの人(生徒)に読んでもらってきましたが、その反応は大きく二つにわかれます。
 
 第一に、結局は、死の怖さ忘れようとして、 いろいろやったことがこの詩に表現されているんだというとらえかた。
「何かをしよう」には、はっきりそういう表現が見える。

そうだ  一分一秒この瞬間
なにかをしよう
生きている証しに
時を忘れるために
最後まで死のこわさを忘れていよう  

この部分からも分かるように、死の恐怖から逃れるために、これらの詩を書いたようなことを必死で思っていたのだろう、という受け止めかたです。

 第二の、もうひとつの受けとめかたは、こうです。
確かに、死の恐怖を忘れようとするとことろも見られるが、一方で、そういう「限界状況」に直面した少年が、自分という小さな殻を超えた「神の心」を発見した喜びも、たしかに伝わってくるという受けとめ方です。

しかも、それは心のうちにで光を放ちはじめたというのでうす。

心のおくそこで
なにか小さなものが
光をはなちはじめた
それはなみだのごとく
愛の色にみちていた
ああそれはきっと
いまにふくらんでいくのでしょう

 わたしも、 第二の受けとめ方をしています。
「目ざめ」の詩をを読むと、わたしは、「光の存在」に出会った臨死体験者を連想するのです。

みなさんは、どう受けとめるでしょうか。

 

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