臨死体験・気功・瞑想

覚醒・至高体験の事例集 病とともにある場合

寺山心一翁

 最初に寺山心一翁 (てらやましんいちろう)氏の略歴を紹介する。

 1936年東京に生まれる。早稲田大学で物性物理を学ぶ。東芝に12年間勤務後、種々の職業を体得し、経営コンサルタントとして独立。1984年右腎腫瘍で摘出手術後の抗ガン剤、放射線治療で衰弱。現代医学に見切りをつけ、伝統的東洋医学の食養をペースにボリスティックピーリングで治癒の道を歩む。日本最初のボリスティック経営コンサルタント。スコットランド、フィンドホーン財団評訟員。 著書に『フィンドホーンへのいざない』(サンマーク出版)がある。 (『ホリスティック医学入門』などより)

 寺山心一翁氏は、 上の略歴のとおり腎臓ガンから奇跡的に回復した人である。治癒するはずのないガンが自然消滅したのである。
 腎臓摘出手術のあと、抗ガン剤とX線照射で衰弱する体に突然変化が起こり、臭覚が異常に鋭くなって病室の臭いが耐えられなくなったという。そこで寝具をかかえて屋上で寝ようとしたところ、看護婦さんに見つかり、引きずりもどされた。病院は、寺山氏が自殺を考えているのではないかと恐れ、自宅に帰ることを許可した。その時彼は、「助かった!」という何とも言えぬ喜びが胸のうちから湧いてきたという。

 以下ではまず、『ホリスティック医学入門―全体的に医学を観る新しい視座 (ビオタ叢書 1) 』(柏樹社)に寺山氏自身が書いた文章から引用する。

 自宅に帰り、第一に実行したのは日の出を八階の屋上まで行って眺めることであった。三月はほとんど毎朝日の出を見ることができたのが幸いしたのであろう。日の出を眺めているうちに、手を合せることが自然と湧きおこり、やがては宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を口に出して唱えるようになっていったのである。毎朝起きて太陽に向って詠唱をしているだけで、「今日も生かしていただき有難いことです。どうか明日も太陽に向かえますように!」と祈りに似た感謝の念がさらに強まり、「生かされている」という実感が体中をみなぎっていったのである。

 ある朝の日の出は美しかった。合掌していた手を胸の前に大きく開いていったところ、突然大陽の光線が大きな束となって胸のチャクラを目がけて入ってきたのである。すると尾骸骨の附近から蒸気のような熱いものが背中を上に昇り、体全体が蒸気に包まれた感じとなりブルブルと振動をはじめ、気がついたら喜びが体をめぐりまわって目には涙がいっぱいになってしまった。後にヨーガの行者に聞いたところ、クンダリニーが上ったのではないかといわれた。その後しばしば体験することができ、恐らくその通りであると確信できた。

 チャクラが開けるようになってから、時々人のオーラが見えるのである。すぐれた某社長をある日見ていて「アッ」と驚いて気づいたのは、仏像の後部にある日輪や光芒が実在のものであることに気づいたのである。きっと昔の仏師達は人のオーラがよく見えたのであろう。

 

 次に、上の手記と重なるが『精神世界が見えてくる―人間とは何か気づきとは何か (エヴァ・ブックス) 』(サンマーク出版)の寺山氏へのインタビュー記事から紹介しよう。

 退院してから寺山さんがまず実践したことは玄米菜食だった。しかし、病院ですらまともに固形食を食べていなかった寺山さんが、いきなり堅い玄米など食べられるものなのだろうか。常識で考えるとあまりにも無謀である。

 「最初、食べられないんですよ。口なんかパサパサで、唾液が出てこなかったのです。でもね、食べ物をね、じーっと見ていたら、そのうちにありがとう、ありがとう、ありがとう……って言葉が出てきて、そしたら唾が出てきたんです、生唾が。唾って血液がつくるんだよね、だからいままでよっぼど血液が悪かったんだろうね。そして、その唾でよおく玄米を噛んで食べました。一日目にそれができるとね、もう少し、もう少しってだんだん食べられるようになってくる。やっぱり食べ物は口から食べなくてはダメだって、そのときに思いましたね」

 病院が自分にしたことは、ストレスばかり多くて、いったい何なのだろう、そう寺山さんは思った。病院にいたら悪くなるばかりだったではないか。人間が本来もっている力を奪っているだけではないか、ほんとうの医療って何だろう。それはいまもなお寺山さんのテーマである。

「玄米菜食を始めてから、僕はもう一つあることに気がついた。僕は小さいときから山が好きで、親父に連れられてよく登っていたんだけど、冬山で太陽が出てきたときって、ほんとうにうれしいんだよね。ぼかぼかあったかくって、太陽さんありがとうって思うね。それを思い出してね、日の出が見たいって思ったのね。朝早くにマンションの八階まで行きましてね、日の出の太陽を見たらほんとうにきれいなんですよ。それからはだるい身体を引きずるようにして、毎朝八階まで上って朝日を見ました。死を宣告された病人ですから、ほかにすることもないし、妙に肝が座ってしまうんですよ。鳥が鳴き出す時間を調べたり、オーム(マントラの一つ)を唱えて自分の胸のチャクラを探ったり、それを発見することがおもしろくておもしろくてしかたがなかった」

 寺山さんはドレミファと声を出しながら、自分の 七つのチャクラ上に移動させる方法をみつけていった。死の覚悟の前に自分のエゴが消え、自分の身体と向かい合ったとき、身体は自分に開かれていくのだろうか。

 「ある日、チャクラを下から上につなげるのがすごく調子よかった。今日は太陽さん出てくれるかなあ、と思いながら待っていて、太陽が出てきたときにパーツと手を開いたら、太陽の光線がびゃ-っと胸のチャクラめがけて入ってきて、僕とつながっちゃったんですよ。そしたら身体中からビュビュビュビュビューツとエネルギーが上がってきて、なんだか腰抜かしちゃって、オイオイ泣きだしちゃった」

 初めて射精したときの感覚に似ていた、と寺山さんはいう。そして、感動冷めやらぬままに家に戻ってきて驚いた。食卓に並ぶ家族のオーラが見えるようになっていたのだ。その後も、寺山さんの身体はどんどん鋭敏になっていく。

「ある夜、僕はよく眠れなかった。当時の僕は二四時間眠っているような状態でね、ちょっと引っ掛かってしまうともう眠れなくなってどうしていいかわからなくなっちゃう。だからそういうときは自分の身体を使っていろんなことやってみるわけ。そのときはちょっと胸に手を当ててみた。そのころの僕はあばら骨がみんな出ちゃってましたから、よくあばら骨のなかに手を突っ込んでいたわけです。

 そしたら、ドックンドックンしている。心臓ですよ。あばら骨の下から皮膚を通して心臓に触れて、へーって思った。これっていまだに一度もエンストしてないよな、って。すごいなあ、心臓さんありがとう、って。そうしたら涙が出てきちゃって……。いままでの人生で一度も止まらずに動いてくれて心臓さん、ありがとうってつぶやいたんです。それから、胃さん、ありがとう。腸さん、ありがとう。肺さん、ありがとう。そうやって一つひとつの臓器にありがとうっていったんですよ。

 でもね、ガンさんにはありがとうとはいえない。途端にパッときたの。僕がつくっちゃったんだ、ごめん、僕の行いが悪くてつくっちゃった。あんなに働いて、あんなに無理して頑張って、僕がつくっちゃったんだ。ごめん、ごめん、僕の子供だ。そしてね、最後に、愛してるよ、っていったんです。ガンに、愛しているよって。そしたらスカーツとしたの」

 そして、寺山さんの転移したガンは、長い期問がかかったが、自然に縮小していく。自分を愛し、自分の身体を愛し、自分に宿ったガンすらも愛せたとき、人間は新しい力を自然界から注ぎ込まれるのかもしれない。頭はそのことを忘れているけれど、身体の細胞の一つひとつは治癒に至る道を記憶しているのだ。

 最後にもう一度『ホリスティック医学入門―全体的に医学を観る新しい視座 (ビオタ叢書 1) 』(柏樹社)の中の寺山氏自身の文章から。

 ガンになったことを私は毎日感謝しつつ生活をしている。「ソンナバカナ考エナドオガシイ」という人には理由を話してあげることにしている。癌が治癒していく過程で、たくさんの気づきが得られたからである。

 ガンは自分自らが作り出したものであり、自分自身なのである。自分の生き方が間違っていたという警告であり、神の啓示に等しいと考えている。ガンをこよなく愛し、自分の生き方が間違っていたことを素直にわび、ガンと友達づき合いをしてこそその有難さがわかり、やがては自然と正常な状態へと治癒していくのである。私自身、この考えに到達するまでの道程は長かったが、この考えのきっかけが神からの啓示の如く、さっと脳裏にひらめいた瞬間は、今ふり返ってみてもワクワクと胸ときめかす思い出である。「悟る」ということはそういうものなのであろう。

 ガンは難病で治らない、治りにくいといわれているため、多くの人達は「よくガンを克服しましたね!」と喜こんでくれるが、私には克服したという考えは少しもない。ガンに何故なったのかということを自分自身に問うことによって、その原因を明確に把握し理解し、自分の生き方の誤りに気づき、正しい方向に導いていくことを着実に実行しただけであり、大宇宙の原理原則に素直に従う行動を採り入れていったことである。

 寺山心一翁 ホームページ


01/01/21 追加

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