修行と家族
2005夏★ヴィパッサナー瞑想合宿レポート (5
)


このレポートは、これまで4回の瞑想合宿レポートを踏まえて書かれている。
少なくとも、最初のレポートを読み、
この合宿でどのように瞑想が行われているかを把握したうえで、
このレポートを読んでいただければ幸いである。


◆はじめに

2005年8月12日(金)から21日(日)まで、グリーンヒル瞑想研究所の10日間瞑想合宿に参加した。5回目の参加となる。前回の合宿では、深い瞑想体験やサマーディを期待しながら、実際にはその期待を裏切られ、イメージが自己展開するようにして重要な洞察へと導かれた。今回は、前回にも増して豊かなイメージが展開し、さらに深い洞察が得られるのではないかと期待していたが、期待はまたまた裏切られた。しかし結末は、心に深く静かに沁みこんでくるものであった。

1 『フォレスト・ガンプ』

◆その日の夢

出発の日の明け方に見た短い夢が、これほど重要な意味をもっていたとは思わなかった。家を出る直前に飼い猫にエサをやらなければ、その夢を思い出すことすらなかったかもしれない。正午に家を出るため、私はあわてて準備をしていた。妻が3日ほどの出張中でこの日の夜帰宅する予定だったので、掃除、洗濯などを終えてから準備にとりかかった。衣類などはすぐに準備したが、いつも持っていく大きなドラムバックがいくら探してもない。途中で気がついた。次男がサッカーの合宿にもっていったのだ。結局、別のバックと大きな紙袋に分けて10日間分の着替えやシーツを収めることができた。

昼は、昨晩の残りのソバを軽く腹に入れて出発しようと思っていた。そこへ飼い猫の一匹が「帰宅」した。一晩中外にいて腹を空かしていたようだ。私を見て鳴いている。そのとき、明け方に見たささやかな夢を思い出した。

夢のなかで私は瞑想合宿に行こうとしていた。しかし大統領から命令が下った、「合宿に行く前にこの使命を果たせ」と。それがどんな使命だったか覚えていない。しかし、人のために働く大切な使命だったようだ。その使命を果たしたことで大統領に誉められ、瞑想合宿には数日遅れてどうにか参加することができた。そんな夢だった。

「そうか、瞑想合宿も大切だが、こうして猫にエサをあげたりすること(クーサラ:善行)も大切にせよ、ということなのか」とそのとき思った。猫がドライのペットフードを食べないので、いろいろとあげたりしているうちに時間がたった。「後は子供たちが帰宅してから何とかするだろう」と、私はソバを流し込んだ。朝食は食べていないし、合宿は夕食なしなので、軽くでも腹に入れておく必要があった。結局、出発は正午を10分ほど過ぎていた。

◆違和感

新宿に向かう中央線快速で、外堀の陰気な緑色の水面や釣堀などの光景が流れていくのを見ながら、これから10日間も瞑想合宿で過ごすということに妙な違和感を覚えていた。瞑想だけを10日間もしていてよいのか、何か他になすべきこと、やり残していることはないのか、そんな漠然とした不安だった。

現実にはとくに大きな問題はなかった。7月に脳梗塞で倒れた父の状態はすでに安定しており、8月15日にはリハビリ専門の病院に移ることになっていた。病院の移動には、弟夫婦が付き添ってくれる予定だし、見舞いも私がいない間、妻と弟が交代で行ってくれるはずだ。

妻は、前回の正月合宿への参加には多少の不満もあったようだが、夏の合宿は快く承諾してくれた。子供たちもそれぞれ部活にバイトに忙しい。何も問題はない。だとすれば、この漠然とした違和感はどこから来るのか。

グリーンヒル瞑想研究所に到着したときは、合宿スタートの午後2時を15分ほど過ぎていた。オリエンテーションのあと、さっそく歩行瞑想、座禅と沈黙行を始める。ところが歩行瞑想には集中できず、座禅は強い眠気が襲う。とくに座禅は「舟こぎ」状態の連続であった。前回は半分夢のような妄想群に苦しんだが、今回は妄想ではなく眠気か。

私は、いつもは眼を閉じて瞑想するのだが、その晩は開眼したりして必死で眠気と闘った。あまりの眠気に午後10時前に30分ほど仮眠をとった。そのためか就寝時間後に行った30分ほどの夜座だけが、なんとか瞑想になった。結局、妄想が眠気に変わっただけで、前回の合宿と同じような冴えないスタートとなってしまった。

◆最初の面接

2日目、朝いちばんの瞑想はまあまあだったが、その後はずっと眠気が続いた。眠気だけではなく、しだいに妄想も多くなり、サティも入らない。夢のようなイメージは少なく、前回より現実的な思考が多かったが、ひどい状態には違いない。眠気や雑念が何らかの執着(不善心所)を反映していることは、経験上いやというほど分かっていた。しかし今回は何がどうしたというのか。神秘体験やサマーディへの執着を無自覚にいまだ引きずっているのか。

その日、最初の面接で地橋先生は、妄想が眠気に変貌したのはエゴの巧妙さによるのではないかと指摘した。最近の二回の合宿では、最初に妄想でさんざん苦しんだ。三度も同じ轍を踏むことはエゴのプライドが許さないから、妄想を眠気にすり替えたのではないか、というのだ。確かにそうなのだろう。しかし、眠気や妄想の元になっている不善心所がこれまでと同じ性質だとも思えない。眠気の本当の原因は何なのか。

次に先生が指摘したのは、私が眠気と闘っていることについてだった。 「優しい母であれば、できの良い子だけを可愛がるのではなく、ダメな子、できない子も、できの良い子と同じように平等に愛するだろう。そのように、我が身に生起した不善心所の眠気を嫌わずに、智慧や集中などの優れた心所と同じようにやさしく受け容れることができれば、たちどころに消えるだろう‥‥。ただしそれを狙ってしまえばすでにウペッカ(捨:執着から自由に偏見なく接すること)ではなくなるから失敗するが」と。まさしくこれこそがヴィパッサナー瞑想のかなめだろう。しかし、そう言われてやってもやはり「狙い」が忍び込んできそうだ。

私は、家を出てくる前に見た夢と、それを思い出すきっかけになった猫の件とをかいつまんで話した。先生は、夢の中で大統領に誉められたというのは世俗的な欲望の象徴、合宿への参加は出世間的な求道の象徴だろうと解釈した。

しかし、私が夢から受けた主観的な感じでは、大統領に誉められたことにそれほどの重要性はなかった。私にとっては、エサを請う猫と眼が合ったときにその夢を思い出したことに重要な意味があった。猫にエサをあげようと思ったことと、夢のなかで合宿への参加を遅らせてまでも使命を果たしたということはどこかでつながっていた。だからこそ猫の眼を見た瞬間、あの短い夢を思い出したのだ。

◆『フォレスト・ガンプ』

実は、自宅を出た日の午前2時ごろまで、レンタルDVDで映画『フォレスト・ガンプ』を見ていた。宅急便で配送され郵便で返却するシステムのレンタルだったので、合宿前に見終えて、出かける途中、駅前のポストに投函したかった。主人公フォレスト・ガンプは、映画の中でアメリカ大統領に三度も会っている。それが、夢の中で私が大統領に誉められたことに影響しているらしい。『フォレスト・ガンプ』が夢に影響していることは、面接で地橋先生にも一言伝えた。

初回の面接は夕方早い時間に終わったので、夜はたっぷりと瞑想する時間があった。しかし、座禅も歩行瞑想もことごとくだめであった。眠気と疲労感でまったく瞑想にならず、サティも入らない。座ってもだめ、歩いてもだめなら立禅しかない。立ったまま足裏の感覚に集中していく。これらならとりあえず居眠りをしてしまうことはなさそうだ。

ぐったりと疲労を感じながらも立禅を続けていた。そのとき「エゴ」という言葉が浮かんで、ハッと心を打たれた。夢の中の合宿参加は、エゴ性を表していた。合宿に参加しようとする動機のエゴ性と、合宿に遅れてでも使命を果たそうとする心の対比。

夢に対応して、現実に私が瞑想合宿に参加しようとする動機もエゴ性に満ちていた。自分が修行したい、自分が修行して成長したい、それを素晴らしいレポートにまとめたい、自分が修行して悟りたい、そういう動機のエゴ性がはっきりと感じられた。

そのことを私は最初からどこかで何となく感じていたのだ。それが、研究所に来る途中、電車の中で感じた妙な違和感や、何かをやり残したような不安感になっていたのだ。そして動機のエゴ性やそれに対する後ろめたさの感覚が、全体として不善心所となっていたのだ。

そう気づいた後の、その日の最後の瞑想は、一変した。もはや眠気にも妄想にも苦しめられず、サティが連続していった。私はこの変化に感動した。どんなに行き詰っても、ぎりぎりどうしようもなくなると、必ず気づきが訪れ、視界が開けてくる。これまで何度もそんなことがあった。道が閉ざされてしまうことはないのだ。

映画の主人公フォレスト・ガンプは、知能指数は低いが善意の好青年だった。彼は最初、アメフトの全米代表としてケネディ大統領に会った。次は、叙勲のためにジョンソン大統領に会った。ベトナム戦争で身の危険を顧みずに戦友たちを救うために走り回ったことを誉めたたえられたのだ。最後は、ニクソン大統領に会った。卓球で全米代表に選ばれ中国チームと戦って活躍したからだ。

この中で、私の夢にとって重要だったのは、戦火の中を飛びまわって戦友たちを救ったことだろう。それが、合宿に参加する動機の利己性に対して、それを遅らせてでも成し遂げようとする使命の利他性に関係していたのだ。その対比が夢のメッセージのひとつだったような気がする。

2 野菜ジュース

◆不善心

3日目の朝いちばんの瞑想も、サティがしっかりと続いて素晴らしかった。以降ずっと、順調にサティが続いていくかと思わず期待した。が、現実はそれほど甘くはなかった。自分が自覚していようといまいと、ちょっとした不善心所(心を汚し、暗く弱く狭くする心の構成因子。痴・欲・怒り・嫉妬・等々)が瞑想の乱れにつながってしまう。

その意味でもヴィパッサナー瞑想は本当にごまかしのきかない瞑想だ。自分に嘘がつけない。瞑想が少しでも乱れ始めれば、そこにかならず不善心所が忍び込んでいることに気づかされる。きわめてチェック機能にすぐれた瞑想だともいえる。今回も、次々と新たな不善心所が瞑想を乱していることに気づかされた。

一方、眠気はもちろん不善心所に関係するだけではない。合宿中の食事の量や内容が、きわめてシビアに瞑想の良し悪しに関係してくる。その辺の見分けも重要だということを、今回再び思い知らされた。それがいちばんはっきり出たのは、ダンマトーク中の眠気だった。朝起きてすぐに一杯の野菜ジュースを飲むか、二杯の野菜ジュースを飲むかで、こうも眠気に差が出てくるとは。その歴然とした差は、きわめて印象的だった。

◆朝いちばんの野菜ジュース

瞑想合宿中の食事量は、3回、4回と合宿経験を積むにつれ、ほぼ安定するようになっていた。お椀に盛られた玄米おこわの量は、普通に盛る量のおよそ4分の1、私はそのさらに半分強を食べるようにしていた。具の多い味噌汁は全部飲んだ。おかずは、手のひらに収まるくらいの小皿に何種類かがきめこまやかに盛られていた。朝はそれが一皿(プラス納豆少々と大根おろし)、昼は二皿である。その他に菓子や果物が少々ついた。おかずは7割前後食べた。昼食後は適切な時間に飲み物を主とした補給を何回かする。地橋先生によると、私ぐらいの食事量だと、次の食事までにエネルギーが切れるか切れないか、ぎりぎりのところだろうとのことだった。

朝起きてから朝食までの瞑想をエネルギー不足にしないために、寝る少し前に補給をする。今回は、ココアに玄米全粒粉を大匙に山盛り三杯ほど入れ、さらにハチミツを加えたものだった。これで朝いちばんの瞑想はきわめて安定した。

朝起きるとすぐに野菜ジュースを一杯飲むことも、2回目の合宿以降ずっと続けていた。これはダンマトーク中のエネルギー不足を防ぐためだ。かつて起床時の野菜ジュースを飲まなかったころは、ダンマトーク中に猛烈な睡魔に襲われ、眠気と格闘しなければならなかった。そしてトークが終わりに近づく10時前くらいになると、急に元気になって頭もクリアになるのだ。

朝食を食べ終わるのが7時前後、それがエネルギーとして廻って来るのはほぼ3時間後の10時前。ダンマトークは8時半すぎに始まる。前夜の補給のエネルギーも切れ、朝食のエネルギーも廻ってこない時間帯だ。それが睡魔の原因だった。朝いちばんの野菜ジュースは、この空白の時間を補うのである。野菜ジュース一杯でダンマトーク中の眠気は一掃された。

◆インシュリンの逆説?

ところが今回はなぜかダンマ・トーク中に眠い。3日目には、おかしいなと思う程度だったが、4日目には睡魔との闘いとなった。野菜ジュースはしっかり飲んでいるので理由が分からず地橋先生に尋ねた。これまでと今回と変わったことと言えば、野菜ジュースを二杯飲んでいることだ。4日目には加えて黒砂糖一塊を口にいれた。その方がさらに頭が冴えるかもと思ったのだ。

先生は、原因はそれかもしれないと言った。空腹時に糖分を多めに摂取し血糖値が急激に上がると、インシュリンを大量に分泌して血糖値を下げようとする。しかし、この時は食べた糖は吸収されてしまっているので逆に低血糖を起こすことになる。反動性低血糖と呼ばれる現象だそうだ。

それではと翌日、野菜ジュースを一杯に戻したらトーク中の眠気がみごとに払拭された。「やったあ!」と、思わずトークの最後に地橋先生に報告した。正確に言うと、9時45分ごろに一度軽い眠気が来て10分後にはまた頭が冴え始めた。これは野菜ジュースの効果が切れて朝食のエネルギーが廻ってくる間のわずかな空白だったかもしれない。

こんなこともあり、食事・補給の量や間隔と眠気や瞑想の質との間には実に微妙な関係があることを改めて痛感した。3日目、4日目あたりの午後の眠気は、反動性低血糖が一因だったかもしれない。今回、前半はこれまでに比べると補給を多めにしていた。およそ4時間ごとにココアとハチミツと玄米全粒粉で補給していたのである。全体に補給時の糖分摂取量が多すぎた感じがする。

後半は、夕方に野菜ジュースを飲むのと就寝前の補給以外はやめることにした。そのかわり食事の玄米を少し多めにとった。それでも最後まで眠気のとれない時間帯があった。朝食を食べてすぐあとの1時間ほどである。前夜の補給のエネルギーはすでに切れ、朝いちばんの野菜ジュースはまだ効いて来ず、もちろん朝食で入れたものも廻って来ない時間帯だった。

地橋先生がよく言うことだが、食事・補給と瞑想の関係については、個人差も大きく、同一の人物でも体調その他の条件に左右されるから、完璧ということはありえない。それでも瞑想者として試行錯誤しならが自分にもっとも適した摂取法を探究すべきである。この数ヶ月、週一回の一日断食を続けている私としても、食事と瞑想との関係はさらに重要なテーマとなりつつある。

3 家族との隔たり

◆家族との隔たり

昏沈睡眠は不善心所のひとつだが、そこに食事の問題がかかわって来る場合もある。また別の不善心所が昏沈睡眠の原因になっている場合もある。3日目、4日目、5日目と、午後はだいたい眠気が多かったが、夕方から夜にかけては、クリアな瞑想が多かった。この傾向も何かしら食事や補給のあり方が関係していたかもしれない。

6日目の面接で地橋先生に報告した、「今回は、前回に比べるとあまり重苦しくないですね。むしろ気分的にとても軽い感じで楽です」と。前回は、半分夢のようなイメージ妄想にまったくサティが入らず、必死であがいているうちに中盤になった。しかし今回は3日目頃から、午後に眠気が出ても夜になるとよい瞑想が多くなった。脳のバイブレーションとともに訪れる深いリラックス感、脳の透明感、そしてクリアなサティの連続。

しかし瞑想がよくなればよくなったで期待もまた大きくなった。神秘体験やサマーディへの渇愛ではない。そうした渇愛にはもう懲りていた。前回まではサマーディへの渇愛で苦しみ、それでいて渇愛は満たされなかった。そのかわり、予想もしなかったイメージの展開があり、予想もしなかった洞察に導かれた。そのためか「期待」の内容がひそかに変化していたようだ。神秘体験やサマーディはとりあえずいらない、今回はそれとは別の新たな期待が生まれていた。

私は、いつの間にか「今回は、どんなイメージが湧きあがるのか」と半ば無自覚に待ち望んで座禅していたのだ。しかし、エゴが待ち構えているところへ「ハイ、どうぞ」とイメージが送られてくるはずがない。エゴがイメージを期待すればするほど、それは自らを隠してしまう。今回は実際に瞑想中に湧きあがるイメージは貧困で、前回を発展させたようなイメージはまったくなかった。

しかし、待ち構えるエゴをはぐらかすようにして別の展開がやってきた。6日目の夜、喫茶室で補給をしているときにふと家族のことを思った。そして、家族、とくに妻と生き方や価値観がだんだんと隔たっていくなと思った。私は、こうして合宿に参加して瞑想に打ち込み、週一回の一日断食にも取り組んでいる。それは魂の浄化への道だった。私がその道を歩めば歩むほど妻の生き方と隔たっていく。

◆乖離の危機感

瞑想修行と家族という問題は、最初はそれほど大きな問題とも、深い問題とも思っていなかった。喫茶室で思考モードになってしまったときに、少し気になっていることが出てきたのだろうくらいの認識だった。ところが7日目の朝、またまたこの問題が浮上してきた。エネルギー切れになってしまいどうしても最後まで眠気が取れなかった、あの朝食後の時間帯だ。

前日(6日目)の夕方から夜の瞑想は、脳のバイブレーションもさらに静かに深まり、サティもクリアに連続していた。7日目の朝も悪くはなかった。しかし、朝食を食べ終わって40分もすると眠気が来た。すぐに歩行瞑想に切り替えた。それで眠気は何とか消えたが、しきりに妄想が湧いた。妻との関係が中心だった。

前回、正月の合宿から帰宅したとき、妻は不満そうな態度を示した。暮れの忙しいときに仕事を残して家を空けたことへの不満だった。私は、正月の合宿での自分の体験を語りたいという思いで帰宅したのだが、妻の態度にその気持ちも萎えた。妻の不満は、二言三言の感情的な言葉の表出で終わり、あとは普通の生活に戻ったのだが、私のなかではこの件が意外と響いていた。

今回は夏の合宿でもあり、合宿参加がとくに不都合を生むわけでもなかった。私が合宿に参加している間のいくつかの案件は、妻とも充分に調整し合っていた。にもかかわらず私のなかには不安があった。妻は、私の瞑想修行にとくに強い関心もなく、積極的に理解しようとする姿勢もなかった。一方で私は、この方向に突き進んでいく自分を感じていた。一日断食を始めたことは、その傾向をさらに加速していた。合宿に入ってしまえば瞑想に専心していくので、自分が独り突き進んでいる感じはますます強まる。そんななかで、生き方や価値観の上での妻との乖離が強く感じられてしまったようだ。

現実の生活に戻ってしまえば、ときたまの夫婦喧嘩はあっても、とくに仲が悪いわけでも、まして危機的な状況にあるわけでもない。夫婦間の会話も、精神世界とか瞑想修行の話題以外では、比較的多いほうだと思う。しかし、瞑想修行に関しては、私はますますディープな方向に向かっていた。妻は妻で、自立的な女性であり、仕事の面でも活躍し、充実していた。合宿のなかで私は、自分がこのまま進んで行ったときの潜在的な危機をかなり増幅して感じ取っていたのかもしれない。

◆メガネの錯覚

今回の合宿で私は、深い瞑想体験への期待が渇愛になるのを避けようとするあまり、修行に向けてのテンションが全体として低下していたかもしれない。それは、自分自身の取り組みからどことなく感じられたのだが、例のメガネの錯覚の出方からも感じられた。

3日目、「今回はメガネが出ないな」と思っていたら、夕方の座禅でクリアなサティが続いたときにメガネが強く感じられた。しかし、これまでと違うのは、メガネが持続的な錯覚にならなかったことだ。瞑想が深まると現れて、時にわずらわしいほどに感じられたが、全く表れないことも多かった。結局、今回はメガネが気づきに向けての重要な役割をなすことはなかった。もしメガネが自我の抵抗を象徴しているのだとすれば、今回の合宿は、自我にとって脅威になるほど、テンションが高まらなかったということか。

地橋先生も言うようにヴィパッサナー瞑想の難しさがここにある。やる気を出してがんばろうとすると渇愛になる。しかし、渇愛を弱めようとするとモチベーション全体が下がり、緊張感のない10日間を過ごしてしまう。この点、サマタ瞑想は単純で、ひたすら頑張って集中するだけですむ。ヴィパッサナー瞑想にはこうした微妙な難しさがあるが、逆にそれが自己洞察への重要なきっかけになるのかもしれない。

7日目に妻や家族と考え方が離れていく危機感を感じた。しかし、その段階で私は、これが今回の合宿の大切なテーマにつながっているとは思っていなかった。瞑想を続けていれば前回と同じように様々なイメージが展開し、さらに深い自己洞察に導いてくれると期待していた。しかし、8日になっても気づきにつながるようなイメージの展開はなかった。「今回は何の成果もなく終わってしまうのか」と私は少しあせりを感じ始めた。あせりは、不善心所につながり、瞑想に何かしら影響を与えていたはずだ。

8日目、昼食の直前の時間帯、あるはずのないメガネを感じながら座禅していた。その時また、家族と乖離していく淋しさを感じた。捨てて行く自分を感じた。断食をして贅肉を落としていくように、これから私は一歩一歩、世俗的価値を捨てる方向に進んでいく。それは家族との平凡な幸せを捨てて行く方向につながる。そんな予感から来る淋しさだったのだろうか。

◆小さな転換

昼食後すぐにまた座禅をした。家族から乖離していくことの淋しさが再びよみがえってきた。しかしその時、思考モードのなかではあったが、ちょっとした転換が起こった。私は、断食で贅肉を落としていくのと同様に、心にまとわりついた様々なものを瞑想によって落としていくだろう。内面において徹底的に捨てていく道を歩むだろう。

しかし、徹底的に捨てていく道は、身近な人間関係や社会関係においても開かれているではないか。「自我」の損得勘定に惑わされずに徹底的に家事や家族サービスに打ち込んでいくことは、そのままひたすら捨てていく道ではないか。「自我」の利害関心を超えたところで徹底的に職場の仕事に打ち込んでいくことは、そのまま捨てる道に通じているではないか‥‥。家に帰ったら徹底的に家族サービスをしよう。仕事をしよう。捨てていく道として。

そう思ったとき、家族との乖離の不安や淋しさが完全に消えていた。そしてサティが、苦もなく続きはじめた。眠気はまったくなく、透明な瞑想状態がつづいた。みごとに善心所モードに切り替わったのだ。気がつくと、昼前にはあったメガネの錯覚が消えていた。

その日(8日目)の夜、私はまだ「今回の合宿は何の気づきも洞察もないのか」という思いにとらわれていた。前回の合宿のイメージにとらわれて、それと比較すると今回は気づきを深めるイメージの展開が何もないとあせっていた。そして「いや、まだまだこれからだ。これから必ず自分が得るべきものを得るぞ」と心に誓ったりしたのである。

その時、一方で私は気づいた。合宿に出発する日の明け方に見た夢のメッセージはこれだったのかと。瞑想合宿への参加を遅らせてでも自分の使命を果たすという夢。内面に向かう道としての瞑想と外的な世界での奉仕、あるいはクーサラ。結局私は、ここに帰ってきたのだ。家族のなかで、人間関係のなかでこそ徹底的に捨てて行く道へと。

合宿に向かう中央線の電車のなかで感じていた、何かをやりのこしているような、こんなことをしていていいのかというような漠然とした不安。それもまた、こうした展開の前兆だったのかもしれない。今回の合宿全体が、この夢をめぐって、この夢の意味を深く洞察する方向へと展開しているのか。

4 慈悲の波動

◆慈悲の波動

9日目のダンマトークが終わったあと、私の体は心地よいバイブレーションに包まれていた。心も深く静まっていた。それが、地橋先生のダンマトークから伝わってきたことは明らかだった。最初は、ダンマトークの内容が私の心に響いてきたのだと思ったが、後から振り返るとどうもそれだけではなさそうだった。ともあれ、この波動に包まれて瞑想をすれば、きっと素晴らしい瞑想になるに違いないと期待した。他の人々が去ったあと、私は一人、同じ部屋に残って座禅した。

10分、20分と過ぎた。心は静まっているし、体全体がバイブレーションに包まれていたが、何か物足りなかった。30分ほどで切り上げ、1階の部屋に移動した。そこでまた座禅をした。同じようにいい感じで心身が深く静まっていた。しかし、やはり「成果」はない。ここも30分ほどで切り上げた。再び2階に戻って座禅したが、また期待は裏切られた。「やはりダメか」と思った。

私はあきらめて3階に行き、歩行瞑想をはじめた。窓辺まで歩んで行ったとき、ふいに何かを感じた。あのダンマトーク全体を貫いて流れ、そして私にまで響いてきたものの性質が確実にわかった。それは「慈悲」の波動だった。地橋先生から、あるいは地橋先生を通して何ものかから伝わってくる「慈悲」の波動。それがふいに感じられた。その瞬間、眼から涙が流れ落ちていた。顔がくしゃくしゃになった。私は、あわてて1階に降りた。

それは、確かに地橋先生からくるのだが、同時に地橋先生を超えていた。生身の人間の我執によって汚されていない透明な波動のように感じた。そのようなものが確実な存在感をもって伝わってくるということに軽い驚きがあった。

ダンマトークのあと心地よいバイブレーションに包まれたとき、私は「これに包まれて座禅したら、今回の合宿の成果が得られるかもしれない」と期待したのだ。「これを使って得るべきものを得てやる」と狙ってしまった。しかし、それはお門違いというものだった。伝わってくる波動の本質をまったく捉え損ねていた。それは、自我の期待や狙いで利用すべきものではなかった。何度か座禅をして、期待や狙いが落ちていったときに、やっとその意味が心に響いてきたのだ。

◆無明と慈悲と

ダンマトークの時に包まれた波動の意味は、静かにゆっくりと私に沁みこんできた。地橋先生から、地橋先生を通して伝わってきた「慈悲」の波動は、私の「無明」を揺さぶった。私は、世間の平均的な夫よりははるかによく家事を手伝っているつもりだった。しかし、そのどこかに「やってやっている」という意識が忍び込んでいた。私は、自分の仕事に、そして精神世界の探究に忙しい。「それを犠牲にしてこれだけやっているではないか」という意識がどこかにあった。いや、もしかしたらそれがほとんどではなかったのか。 

これまでの私の妻への態度には何かが欠けていた。地橋先生からの「慈悲」の波動に触れて、その欠けているものが見えてしまった。これまでの私の妻との関係は、そしてその他の人間関係も、結局は私のエゴ性の上に成り立っていたのではないか。少なくともあのような「慈悲」の波動の上には成り立っていなかった。その「無明」がはっきりと見えてしまった。

日常の人間関係を生きてきた自分の利己性、そしてその「無明」への無自覚。いや、そんなことはどこかで分かっていた。しかし、やはり分かっていなかった。私の体に、そして心に沁みこんできた「慈悲」のバイブレーションが、その違いを歴然とさせた、「慈悲」にもとづいた態度と「無明」の行為との違いを。

「慈悲」、エゴに歪められない眼で、あるがままのその人に触れること、受け入れること。エゴに汚されない心の透明性から発せられる波動。それはかつてカウンセリングや心理療法で学んできたではないか。無条件の肯定的配慮。それが、現実の人間関係のなかに沁みこんでいくことこそが大切であったはずだ。「慈悲」の波動は、そんなことを思い出させ、その深い意味を実感させてくれた。

たしかに煩悩深き凡夫にとって、日常の人間関係を「慈悲」に徹することはかんたんなことではない。しかし少なくとも、エゴ性の上に成り立つ自分の日常的な行為や、背後の心の動きをつねに自覚していることはできる。それが「無明」を一歩抜け出すことにつながるだろう。

今度の瞑想合宿に参加しようとした動機も、煎じ詰めれば私のエゴ性に根ざしていた。合宿に参加する直前のあの夢も、研究所に向かう途中で感じたあの後ろめたさも、再びその意味をより深く私に開いたようだった。

◆再び『フォレスト・ガンプ』

午後3時すぎにしばらく横になった。合宿では、眠気のなかでだらだらと冴えない瞑想を続けるよりは、眠気をとったうえで瞑想に集中した方がよいということで、ちょっとした仮眠は許されている。眼が覚めたのは4時近くだったから40分ほど眠ってしまったようだ。少し長すぎたかもしれない。

しかし疲れはすっかりとれていた。ゆったりした気持ちのなかで再び瞑想を始めた。瞑想に何かを求めようとする気持ちはもうなかった。今回の合宿のなかでいちばんピュアな瞑想だった。再び慈悲のバイブレーションに包まれている感じがした。そして、今回の合宿もまた結局は、私にもっとも必要な気づきが、予想もしなかった仕方でもたらされたのだと思った。

足をほどいて立ち上がろうとしたときに、ふと思った、「ああ、『フォレスト・ガンプ』は慈悲の映画だったんだ」と。それを「慈悲」と呼んでいいのかどうか分からない。少なくともそのときの私には、そう思えた。

IQが75しかなく身障者だったガンプ。無類のお人よしのガンプ。ガンプの幼なじみのジェニーは、つねにガンプの良き理解者であったが、幼いころから父の暴力がひどく、心に深い傷があった。やがてガンプのもとを去ってヒッピーとなり、反戦運動に身を投じてゆく。しかしその生活は自堕落で、裏切りと絶望が彼女の心身をむしばむ。そんな彼女が、傷ついた心の癒しを求めてか、故郷のガンプの元に舞い戻る。二人は結ばれ、ガンプはジェニーに求婚するが、その翌朝、彼女は黙って去ってしまう。

その時ガンプの子を孕んだ彼女は、ガンプに連絡もせずに一人で子供を生み育てる。しかしやがて、不治の病(エイズか)に犯されてしまう。彼女は、ガンプに連絡をとり、再開して求婚する。ガンプは、妻となった彼女を故郷の家で介護し、そのもとでジェニーは息をひきとる。

何度かガンプのもとを去っていったジェニーが、最後に病に犯されてガンプを頼るとき、彼は、その彼女をただひたすらな思いで受け入れ、愛し、最後まで世話をし続ける。そんなガンプの姿が私のなかで「慈悲」という言葉と重なったのだ。

合宿の直前に見た映画が、私に夢を見させた。合宿に遅れてでも自分の使命を果たすという夢だった。使命とは、家族関係のなかでの自分の行為の姿勢に関係していた。その姿勢は、深いところで「慈悲」に結びついていくのだろうか。

◆誰かが泣いている

面接の順番が一回りしたので、9日目は夕方また明るいうちに面接があった。最初に「『フォレスト・ガンプ』は慈悲の映画だったんですね」と先生に伝えた。つい先ほどの、その「発見」が思わず口を突いて出た感じだった。それから、ダンマトークのときに包まれた心地よいバイブレーションのこと、それに乗って深い瞑想をしてやろうと何回か試みたがだめだったこと、そして最後に、自分が包まれたバイブレーションが地橋先生から、あるいは地橋先生を通して何ものかからやってくる「慈悲」の波動だと感じたことなどを話した。

その話を始めたときから何かがこみ上げてきていた。それはすぐに激しい嗚咽になって、しばらくの間、何も話せなくなった。人前でこのように泣いたのは、ごく幼い頃以来なかった。一方で嗚咽している自分を冷静に眺めている自分がいた。私という「自我」を超えたところで誰かが泣いているような奇妙な感じがあった。日常的な「自我」である私よりももっと深いところで、慈悲の波動に触れて自分の無明に気づいた誰かが泣いているような感じだった。

地橋先生は、「何ものかからやってくる慈悲」という私の表現に対し、それは「三宝(仏法僧)からやってくる慈悲だ」と言いなおした。「三宝」という言葉は、私にはあまり実感がなかったが、生身の人間の我によって汚染されていない透明な波動を感じていたのは確かだった。

私がまだ泣いている間に先生は静かに話し始めた。その内容はほとんど覚えていない。しかし、これまでの面接で話してもらったことなどと重ね合わせると、だいたい次のようなお話だっただろう。私が修行に向かって行けば行くほど感じてしまう家族との乖離の淋しさ、それは一般的には愛執の煩悩だという。人をこの世に留めさせる家族への愛執は強烈だ。しかし慈悲と愛執とを混同してはならない。愛執は煩悩である。エゴ性をかぎりなく捨てて愛執から自由になっていく。至難の技だが、限りなく慈悲に近い愛、純正な愛で家族に接することができれば、在家の修行者とし最高に素晴らしい。まして二人が教育に携わるのであれば、「法友」として共に歩んでいくことができるのだ‥‥‥。

◆その後

瞑想合宿後2ヵ月がたって、その後確実に変わったと感じることがひとつある。家事をほとんど厭わなくなったということである。ささやかと言えばささやかな変化だが、私のなかではとても大きい。

以前の私にとって家事は、できれば避けたいもの、いやいやながらやるものであった。掃除も食器洗いもサティしながらやるんだと思いつつ、やはりできれば避けたかった。今は、パソコンに向かうことも、瞑想をすることも、掃除をすることも、台所を片付けることも、すべてほとんど等価である。もちろん掃除がけったるいと感じることもないではないが、基本的に家事を厭う気持ちはなくなった。何かを犠牲にしてやっているという感じがないから、ストレスにならない。

これまでのように何か頼まれたことをずるずると先に延ばすこともあまりない。当然、妻との関係もよくなり、口げんかはほとんどなくなった。「自分の心が変われば、鏡に映したように相手も変わる」ということを実感している。

このささやかな変化が、私の精神状態に大きな変化を与えている。避けたいという抵抗もなくスムーズに生活が営まれる。家事をするたびに私は、自分のなかの何かを確認している。おそらくそれは受動性ということだろう。与えられたものを抵抗なくことごとく受け取っていく。家事についてその覚悟が自分のなかに定まった。その覚悟は、家事以外の面にも影響を与えていて、深いところで静かな自信と喜びが広がっている。

ひとつ課題がある。それは仕事の面である。仕事の面では、この仕事は楽しいけど、できればあの仕事は避けたいというのがかなりある。今後どんなふうに変わっていくのか。それは、受動性に徹して、与えられたものをことごとく受け取っていく覚悟が、心の底でどれだけ定まっていくかにかかっている。


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