◇臨死体験・気功・瞑想  臨死体験の世界を探求する

『臨死体験・いのちと悟り』

  第2章  さまざまな意識変容

 1 「未来からの生還」
◆電話口への落雷で臨死体験
◆殺人場面の人生回顧
◆地球終末のビジョン
◆「光の存在」に託されたこの世の使命     
◆再度の臨死体験で喜びの人生回顧  

2 生と死への態度の変化
◆人は幻覚で成長しうるか     
◆死の恐怖の減少
◆死後の生への確信
◆人生に対する態度の変化

◆あるまがままを受容する (以下を公開)
◆生きる目的の自覚  

3 思いやりが深くなり物質欲がなくなる
◆愛、思いやり、寛容さの増大
◆物質的欲望から精神的・霊的関心へ

 

◆あるがままを受容する◆

 以上のような態度の変化の根底にあるものはなんだろうか。おそらくそれは、ものごとのあるがままを肯定的に受止める能力ではないだろうか。人生を安心して受け入れ、そして何よりも自分自身を肯定的に受止めるようになる。そのような態度の変化がおおもとにあって、それが「積極性、主体性、喜び、新鮮さ、楽しさ、感謝、自信、強さ」などへの変化としてあらわれれるのではないだろうか。  自分を価値あるものとして肯定的に受止める傾向は、リングの調査でもサザランドの調査でもはっきりとあらわれている。体験者のおよそ九割が、自分を肯定的に受止めるようになったと自覚している。
 体験者の証言を聞こう。
 心臓発作によって臨死体験したオーストラリアのある男性は次のように語る。

 今は自分に安心していられる。もう大風呂敷を広げたりしない。以前はいつも夢ばかり見ていたけれど、今は、楽しく、毎日の退屈な仕事もこなしているよ。これ以上いやだと思ったら、もう別の仕事をやりたくなっているのさ。ありのままの自分にもっと身を任せられるよにになったね。サザランド163

 次は、薬を大量に飲んで自殺をはかり臨死体験をした、同じくオーストラリアの女性の証言である。

 私は今、以前よりももっと自分のことを理解していると思っていますし、自分の運命を受け入れられるようになったと思います。何でこんなに低い自己評価をしていたかと言いますとね、私、自分の生い立ちがいやだったのです。私の育った家庭を受け入れることができなかったのです。受け入れられず、受け入れようともしないで、完全に拒絶していました。今は受け入れられます。今は母を認めていますし、母に対して純粋に愛を感じています。それは当然自分自身に反映しますよね。昔より自分を高く評価できるようになりました。昔より自分に対して優しくなったと思います。何か人のためになることをしたいという純粋な気持ちをそのまま受け入れられるのです。以前はそうではありませんでした。サザランド163

 彼女は、自分の運命や育った家庭、そして母を受け入れられるようになったという。またその反映として自分自身にも優しくなった、自分を高く評価するようになったという。彼女は結局、自分の外なる世界にたいしても、自分以外の人間に対しても、そして自分自身に対しても、そのあるがままの姿を肯定的に素直に受け入れることができるようななったのだろう。

 自分を素直に受け入れる自己受容と、人をあるがままに認める他者受容と、外なる世界や運命を素直に受け入れる世界受容とは、同じひとつの事実の内と外のあらわれなのかもしれない。人間は、自分を受け入れている程度にしか他人をも受け入れられず、また、自分を愛する程度にしか、他者や世界を愛することができないかもしれない。

 事実、自分だけではなく他の人をもあるがままに受け入れられるようになったという臨死体験者も多い。サザランドの研究では、臨死体験前よりももっと人をあるがままに受け入れられるようになった人は、三四人の回答者のうち二五人である。
 ある女性は語る、  

 子供の頃は批判ばかりしている子でした、とても批判的ですぐ人を非難する子だったのです。でもね、今は、人に接するにしても、その人をしっかり見つめ、その人の美点をほんとにすばらしいと思い、その人を認められるのです。とても変わりました。サザランド174

 もう一人、リングが調査し面接した事例から引こう。

 私は、今、いろいろな人たちを愛しています‥‥前には私は、そういうふうに愛す る能力を持っていませんでした。私は今は、非常にいろいろな人たちのいうことに耳を 傾けることができます。いろいろな人たちを──ほとんどすべての人たちを──そのま ま受け入れているんだと思います。私は、彼らに私のやり方を押しつけようとは思いま せん‥‥そういう人びとをそのまま受け入れる能力、自分があってもらいたいと思うよ うな彼らであるからではなく、あるがままに彼らを愛する能力──これはみんな変わっ たことです。神がそうされたんだと思います。それによって私は前よりも豊かになりま した」 いまわ189〜190

 体験者たちは、あの愛と受容の光を浴び、それを受け取るだけではないようだ。まるでその光を吹き込まれ、体内に吸収したかのように自分自身が変化するのだ。光に受容されるのと同じように、以前よりはるかに深く自分を受容するにいたり、あるがままの自分をそのまま受止めることができるようになるのだ。しかもその自己受容は、そのまま他者に対する同様の受容と理解につながっているようだ。

 さて次にあげる三つの例は、自分が置かれた現実をあるがままに受止める姿勢がはっきりと読み取れる事例である。
 最初は作家の邦光史郎氏の場合である。彼は1990年に心筋梗塞に倒れ、すぐ手術をしたが、回復期に一時心臓が止まり、そのとき臨死体験をしている。彩雲の中をふわふわと漂うような体験だったという。その体験でどのうような変化が起きたか。

  死の苦しみに対する恐れ、自分が消えてしまうということに対する恐れ。そういうものがやはり何がしかあったわけです。しかし、あの体験のあとは、まあ、どうでもいいわという感じになりましたね。いつでも死をそのまま受け入れられるという気持ちなりました。生も死も、自分が選ぶのではなく、与えられるものだと。天から与えられるのか、造物主から与えられるのか、それは知りませんが、自分で生きているんじゃない、生かされているんだということですね。だから、いつでも『これでおしまいだよ』といわれたら、それでおしまいで仕方がないということですね。それを拒否して頑張っても仕方がないということですね。証言40

 次は、アメリカ人のある弁護士の例である。死にそうになった時に不思議な体験をし、神秘的なものと遭遇した彼は、次のように言う。  

 今までより心が安らかになりました。そして何ごとも精いっぱいやって、その結果は主にゆだねるようになったのです。今までのように何かというとすぐに周章ろうばいすることはなくなりました。ギャラップ224

 最後は、手術中に死にかけたアメリカ人男性教師の例である。彼は、死後の世界をかいま見る体験をしてから、自分にとって不利な状況を容易に受け入れることができるようになったと言う。

  ‥‥‥最近は、意のままにならないことを今までより楽に受け入れることができるようになりました。人生の辛いことも受け入れながら、その中で生きていくことがで きるようになったのです。わたしは、なんとかがまんできる程度の健康上の問題をかかえているし、人生にはなっとくできなこともあるということもわかっています。でも、少なくともわたしの精神はそういうものを理解し、受け入れることができると思います。ギャラップ224

 この三人に共通しているのは、自分をとりまく現実や運命への一種の受容的な態度である。精一杯生きた上で人生に何が起ころうと、たとえば死でさえも、何者かにゆだねてあるがままに受け入れていこうとする姿勢である。

 以上に見てきたような臨死体験者の態度の変化を踏まえたうえで、もう一度「臨死体験=心理的防衛」説を思い起こしてほしい。心理的防衛説は、臨死体験を以下のように説明するだろう、「脳機能の低下の中で死という極限状況に直面して混乱した自我が、死への心理的な防衛や深層の願望によって死後の世界の様々なイメージを作り上げるのが臨死体験だ」と。

 あるいは、臨死体験を一過性自我感喪失によって説明する理論もある。これも一種の心理的防衛説だ。つまり、死の危険にさらされている患者の肉体と感情が分離し、自我感や主体感をなくすことで恐怖に充ちた現実に目をふさぐ、そのうえで心地よい幻想にしたることで心理的な防衛をおこなうというのである。  しかしお気づきのように、臨死体験者が、自分をとりまく現実をにあるがままを受容していく態度は、死に対する心理的防衛や拒否反応とはまったく反対の位置にある。臨死体験者は、目をそらすのではなく直視し、受け入れているのである。

 もし臨死体験が、死への心理的な防衛や深層の願望によって作り出される一種の幻覚であるなら、その幻覚からなぜ、あるがままを受け入れようとする非防衛的な姿勢がうまれてくるのであろうか。もし臨死体験が拒否的・逃避的な防衛反応なら、それに続く人格上の変化も、拒否的・逃避的なものと考えるのが自然ではないか。  臨死体験を幻覚として説明しようとする説に対して体験後の意識変容の事実は、つねにこうした問いかけをするのである。

◆生きる目的の自覚◆

 第一章でも触れた医師メルヴィン・モースは、合計350名の面接調査で収集したデータを分析し、「臨死体験の影響で人は変化するか、また変化したことを実証できるか」という問題を科学的に探求しようとした。その結論の一つは、臨死体験者はみな自分の人生の目的をはっきりと表現できるようになるという共通点があるというこどだった。その目的や意味は、家族や人類全体への愛に関わるのがふつうで、しかもその自覚は光との出会いによってなされるようだとモースは主張する。帰還104、274

 ダニオン・ブリンクリーの体験は、モースの結論を裏づけるひとつの典型的な事例だろう。何しろブリンクリーは、光の存在から直接、地上での自分の目的を告げられているのだから。

 セイボムも、第一章で紹介した研究のなかで臨死体験が体験者にたいして持つ意味を次のように報告している。「本調査でインタビューした体験者のほぼ全員が、自身の臨死体験を、それまでの人生の中で最大級の、きわめて驚くべき重大な出来事だと異口同音に語っている。‥‥人生の目標や生きかた決めるうえで、他の何ものにもまして大きな役割を演じたというのである」206  臨死体験は、生きる目的を自覚させる効果があるのだろうか。体験者たちの報告をいくつか聞いてみよう。  

 私は、自分の体験を誰にも話しませんでした。しかし、私が生き返ってから、他人のために何かをしたいという、抗しがたい、燃えるような欲求が生じました‥‥‥自分のこれまでの人生が恥ずかしくてたまりませんでした。他人のために何かをしなくてはならない、それもすぐにという思いにつきあげられました。続かいまみた54

  私の人生の目的は、生きているかぎり毎日、会う人すべての心をできるだけ明るく してあげることだと思う。 私たちの生きる目的の一つは、他者の立場や価値観に寛容かつ敏感であること、異なる意見に耳を傾け、別の文化を許容することだ。(アメリカ人・五歳で臨死体験した成人男性) 帰還104

 モースの研究の中から三つの例をあげよう。  最初にあげるのは、一六歳のときに手術を受けて臨死体験をした女性の話である。  

 突然、自分がどこかを移動しているのに気がつきました。計り知れないほど大きな愛を放っている存在といっしょでした。その人といると安心で、とても幸福でした。 私はこれまでの短い人生について考え、‥‥‥『あれで終わってよかった』と言いました。でもその人は同意せず、『まだやることがたくさん残っている』と、辛抱強い声で言うのです。  
 するとたちまち、使命を果たし終えていないような気持ちでいっぱいになりました。 『そうだわ、帰ったほうがいいかもしれない』 そしてそのとおり、私は肉体に戻り、たちまち苦痛が襲ってきました。ひとく苦しくて、肉体に閉じ込められているようで した。無性に腹がたちました。‥‥‥   でも、すぐに怒りは鎮まりました。あれ以来、使命を果たし終えていない、という気がして仕方がないんです。世界のために何かやらなければいけないような気がします。私は看護婦になりましたが、いまだに、自分にはほかにやるべきことがあるはずだ、という気持ちが消えません。86

 次は、一〇歳のときに臨死体験をした女性。海岸の岩場で足を滑らせ、深い潮だまりで落ちて肺いっぱいに水を吸い込んでしまった。その時トンネルのようなものを抜け、美しい光に出あう臨死体験をしている。彼女は、成人して三人の子供を育てながら、フルタイムで製パン所に勤めた。その忙しさのなかで、なおかつ時間を見つけてホスピスで働き、癌患者の苦痛を和らげ、死への恐怖を鎮める手助けをしているという。  
 あの光のなかで、私は生きる目的を与えられたんです。‥‥‥あのときの経験を話して、それが私をどんなふうに変えたか説明するんです。死んだときに天国を見たと教えてあげると、慰めになるみたいです。帰還106

  アニーという女性も、臨死体験によって大きく変わった。彼女は、すさんだ少女時代を過ごし、麻薬、アルコール、異性交遊など、不良少女のやりそうなことはひと通り経験した。十六歳とのきあるパーティーの席で、つきあっていたボーイフレンドが自分を捨てようとした腹いせに睡眠薬を飲んで自殺を試みた。気を失った彼女は、自分が体から抜け出して天井近くまで浮き上がったのに気が付く。やがて光の存在に出会って深い愛情とやすらぎを感じるとともに、光に自分を含めたあらゆる人々の体と命の大切さを教えられる。自分を傷つけるなど論外だというのだ。それを聞いて自分のしたことがどうしようもなく恥ずかしくなったアニーは、もう一度生きたいと思って、「生き返らせてください」と、その光に懇願する。すると、これまでに経験したことのない強い愛情が伝わってきて、気がつくと救急治療室に寝ていたと言う。この経験によって変わったアニーは、やがて幸せな結婚をし、四人の息子に恵まれた。彼女は言う、

  あの体験のすぐあと、私にはこの世で果たすべき使命があるような、なにかをなし遂げるために生まれたような気がしたんです。‥‥‥あの体験は、私のなかにエネルギーを与えれくれた。それはいまも変わらずに残っています。帰還212

 これらすべての体験に共通するのは、生きていることには使命や目的があるとう強烈な自覚を持つようになること、ほとんどの場合それは、他者のために尽くすこと、周囲の人々を少しでも幸せにすることだと言えるだろう。

 さて、このような変化は統計的に裏付けることが出来るのだろうか。先にあげたリングの『オメガに向かって』の調査の中では、「個人的に自分には人生の目的があるとう実感」が増したかどうかという質問項目がある。その結果は、激増した者が六九・二パーセント、増加した者が一九・二パーセントで、両方あわせる八八・四パーセントの体験者が、目的があるという実感が増したことになる。

 リングは、その目的が何であるかまでは踏み込んで質問していない。しかし、体験者の意識変容のもうひとつの項目「愛、思いやり、寛容さの増大」の部分を読んでいただけば、「その目的や意味は、家族や人類全体への愛に関わるのがふつう」だというモースの主張も、かなり納得できるのではなかろうか。

3 思いやりが深くなり物質欲がなくなる

◆愛、思いやり、寛容さの増大◆

 臨死体験後に、周囲の人々への愛情が深まり、心から人の手助けをしたい、お世話をしたい、という気持ちが強くなる人々がかなり多く存在するようだ。それは、自然に湧き上がる愛情や同情であるだけでなく、この世に生まれて来たのは、お互いに助け合ったり、愛し合ったりするためだという自覚とも、どこかでつながっているようだ。臨死体験の中核に、この世のどんな愛、誰の愛とも比較できない完璧な愛に包まれるという体験があるのであれば、そんな体験の結果として、思いやりや寛容さが増大したとしても何の不思議もないだろう。 体験者の言葉をいくつか拾ってみよう。

  あのときからですね、この体験が日常生活を支配するようになったんです。町を歩くのもいままでとは全く違った感じなんですよ。前は、自分の小さな世界に閉じこもって、こまごましたつまらないことに心を煩わせながら歩いていたものです。今、町を歩くときには、まるで人間愛の真っ只中にいるような気がするんです。出会う人みんなと知り合いになりたいし、もし本当に知り合ったら、きっとその人たちを好きになることだろうと思います。(光、60)   

 私は、いい人間になっていると思います。今までよりもずっと他人を助けようとしています。そういう性質は、今までも私になかったわけではありませんが、今は、他人を助けたいと思っているのが自分でもはっきりわまります。リング189  

 今では人を見る時、本当に自分が人に愛情を持っていることがわかるんです。こんなことは以前には全然わかりませんでした。セイボム220   私たちは、他人のためにどういうことをしているかで判断される部分が多いと思います。私たちがこの世に生まれてきたのは、お互いに助け合うためだと思います。‥ ‥私たちの世界で一番大切な法則は、愛です。セイボム220  

 あの体験は私に、寛容な気持を植え付けてくれました。おかげで、前よりも人を裁く気持が少なくなりました。(臨死体験、335)

  私は、前に比べると、ずっと寛容で忍耐強くなったと思います。前から私は非常に人に同情する人間でした。しかし‥‥その同情がさらに深くなったように思うんです ‥‥今では、それを目標に目ざしているみたいなんです。リング189

 以上のような体験者の証言の傾向は、リングやサザランドの調査でもはっきりと裏付けられる。    リングは、『オメガに向かって』の中の調査で、他者への愛や寛容さの変化に関係る質問をいくつかしている。その中からいくつかの質問を挙げてみよう。

  「他の人を助けてあげたいという気持ちは、体験後どう変化したでしょう」という質問に対しては、非常に変化した(激増)が69・2%、ある程度増した(増加)が、19・2%。 「他人に対する同情心」については、激増が80・8%、増加が15・4%。 「他人に対する寛容心」は、激増が65・4%、増加が19・2%。 「他の人を受け入れる気持ち」は、激増が73・1%、増加が15・4%。 「他の人がどういう問題をかかえているかが見抜けるようになった」は、激増が57・7%、増加が26・9%。

 サザランドの研究でも、「他人の手助けをしたいという願望」が強くなったかどうかという質問に対し、回答した三五人のうち二九人が、臨死体験後、そういう願望が強まったと答たという。  また四〇人の回答者のうち三一人が、「同情心が著しく深まった」と回答し、三六人中二九人が、人に共感することが多くなり、他人に対する理解が深まったと報告しているという。  さらに三五人の回答者のうち二三人が、体験後に人に対して以前より寛容になったと答え、八人が変わりなしと回答し、四人が前ほど寛容でなくなったと答えている。  以上のサザランドの調査は、リングの調査結果とほぼ一致しており、臨死体験者の変化の傾向が国(アメリカとオーストラリア)を超て共通していることをはっきりと示している。

◆物質的欲望から霊的・精神的関心へ◆

 物質的欲望から霊的・精神的関心へという変化も、臨死体験者のかなり重要な変化のひとつだろう。リングの『オメガに向かって』の関連する質問項目を拾ってみると、「高次の意識を獲得したいという欲求」は、激増が80・8%、増加が15・4%になる。これに対して物質的欲望は明らかに減少している。たとえば「生活の物質的側面に対する関心」という質問については、激減が46・2%、減少が26・9%で、増加はゼロである。

 いくつかの事例を見てみよう。最初は、高校時代に臨死体験をしたアメリカ人青年での例である。体験前は、高校のクラブの仲間たちとの「ちっぽけな世界」しか知らず、関心もなかったのに、体験後は一変している。  

 あれを体験して、一夜のうちに年をとってしまったように思えたのです。あの体験をしたおかげで、それまで考えてもみなかった新しい世界が開けたからです。あれ以来いつも「つきとめなければならないことがたくさんあるのだ」と考えてきました。別の言い方をするなら、金曜の夜に映画やフットボールの試合を見る以外の生き方が あるのです。まるで知らないことがたくさんあるのです。だからわたしは「人間と、人間の精神における限界とは何か?」ということについて考え始めたのです。あの体験をしたおかげで、全く新しい世界が開けたのです。かいま見た121

 つぎは、臨死体験をしたある男性がリングに語ったものである。  

  わたしは、人生の目的をいえば物質的な富を追い求めること以外に知らず、あてもなくただ漫然と彷徨っていただけの男でした。それが、強い意欲と、人生の目的と、はっきりした方向づけと、人生の終わりには必ず報われるのだという絶対の確信を持った人間に変わったんです。物質的な富へ関心と所有欲は、精神的な理解への飢えと、よりよい世界を求める熱い思いに取って代わられてしまっったんです。

 三番目に取り上げるのは、「死への恐怖の減少」のところでも触れた中原保氏である。彼は、臨死体験によって人生観が大きく変わったことを次のように表明する。  

 貴重な臨死体験を経ることによって、私の人生観は確実に以前とは異質なものとなった。生きることの意義を考え、生きることの本質を知ろうとする。「心のルネッサンス」が私の臨死体験であったようだ。

 中原氏は、臨死体験をあくまでも脳の科学という物理・化学な、つまり物質的な立場から解釈しようとしている。にもかかわらず、「生きることの意義や本質」を知りたいという精神的な関心が「心のルネッサンス」になるほどに高まっているようだ。解釈がどうであろうと、臨死体験はそれだけ強いインパクトを与えるものなのだろう。

 ところでつぎの例は、瀕死の状態に陥ったときに体外離脱をした体験をもつある女性の話である。体外離脱の体験が、物理的肉体と精神との違いを感じとらせ、それが精神的な関心を目覚めさせるきっかけになっている。

  あの時、わたしは自分の物理的肉体よりも、自分の精神のほうをずっと意識していました。自分の肉体の姿形より、精神が何にも増して大切だったのです。あれ以前は全く反対でした。肉体のことばかり気にかけていて、心に生じることは生じるにまか せ、気にかけませんでした。でもあの体験以来、精神が最大の関心事となり、肉体のことは二番目になりました──肉体は単なる精神の入れ物にすぎなくなったのです。 肉体があっても無くても、どうでもいいのです。精神こそが最も重要なものだから、そんなことは問題ではないのです。かいま見た124

 さて、臨死体験者がこのように霊的・精神的関心に目覚めるのはなぜだろうか。上のいくつかの事例を見ると、「臨死体験そのものがきわめて霊的・精神的な体験であり、物質的な世界を超えた世界を見た者が、その後に霊的・精神的関心に目覚めるのはしごく当然の成り行きだ」という理由がまず考えられるだろう。しかし、ここでも一方で「瀕死の状態におかれた脳が描いた幻覚に、その後も呪縛され続け、自らが妄想した霊的世界への関心に囚われているに過ぎない」と考えることも可能だろう。

 そこでつぎに、ある若いアメリカ人男性の例を見てみよう。ひどい自動車事故に巻き込まれて、深い臨死体験をした後、こう述べている。  

 物質的なものよりも、もっと人生に欠かせないものがあるっていう意識です‥‥‥ 単に物質的な──車やいろいろな持ち物や食べ物なんかをどれだけ買うことができる かっていうことじゃない、もっと全体的な意識ですね。単なる消費生活以上のものがあって、それに自分を捧げなければならない、それが、ほんとに重要なんだっていうことです。私の人生をもっとそれに注がなければいけないものを意識したんです。そ の意識が私に生まれたんです。‥‥‥
  とにかく、われわれはこの世にいるとき、もっと重要な使命を持っているっていうことです。そうなんです。われわれが生きていることには、ただ物質的なものを得ようとする物質的な目的よりももっと重要な使命があるんです。あの経験が精神的な面、それが基本的に重要だということを私に示したんだと思います。私には、そうとしかいえません。それは‥‥それは‥‥愛こそが重要だということ。地球上の人間はお互いに同じなんだっていうことです。リング184

 ここで彼が「単なる消費生活以上のものに自分を捧げなければならない」という時、その精神的な価値が、人生の目的として自覚されているということに注目したい。彼はまた、その精神的な価値が人間への愛と一体となっているとも言う。 この体験者が語るように、われわれがこれまで便宜的に分けて語ってきた「生きる目的の自覚」、「愛、思いやり、寛容さの増大」、「物質的欲望から霊的・精神的関心へ」といった意識変化は、根元のところでは混然一体となった変化であるのかも知れない。事実この男性以外にも、これらのいくつかが不可分に結びついたものとして体験後の意識変化を語る場合が多い。だとすれば、「死への恐怖の減少」や「霊的・精神的関心へ」という変化だけを個別に取り上げて、それを脳が作りだす幻覚の結果だと解釈するのは、かなり困難なことであるはずだ。

 たとえばリングの『オメガに向かって』の調査では、「死後の生があるという確信」が非常に増したと答えた者が八八・五パーセントで、「他人に対する同情心」が非常に増した者は、80・8%であった。ということは、最小でも体験者の約七割が、「死後の生へ確信」と「他人に対する同情心」という意識変化を同時に体験していることになる。これは一例にすぎない。どの質問項目でも、それぞれに肯定的な答えが七〇パーセント、八〇パーセントという高い割合を占めるなら、両方の項目にイエスと答えたものが六〜七割いたとしても不思議ではない。

 いずれにせよ体験者たちの多くが、人生に何が起こっても心を開いて受け入れようとし、他者をも寛容にあるがままに受容する傾向が増し、物質的な欲望から解放されて、人々への愛や奉仕を使命として生きようとしている。これら変化と一体となって「死への恐怖の減少」や「霊的・精神的関心へ」という変化もある。これらの精神的な変化を全体にわたって死を恐怖する脳の一種の心理的防衛の結果として説明できるのでなければ、幻覚説に説得力はないと言えよう。

 さて、ここまでで「死への恐怖の減少」、「人生に対する態度の変化」、「あるがままの受容」、「生きる目的の自覚」、「愛、思いやり、寛容さの増大」、「物質的欲望から霊的・精神的関心へ」という五つの項目に便宜的に分けて臨死体験者の意識変容の内容を見てきた。体験者の変化にはもうひとつ、「宇宙の全一性という感覚および宇宙との一体感」といってよいような実感の報告がしばしばみられる。それは「宇宙意識の目覚め」といえいる劇的な変化である場合も多い。これについては、章をあらめて見ていきたい。

00/9/10 追加

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