◇臨死体験・気功・瞑想

人間性心理学と禅仏教−1
──成長と悟りのあいだ──

                          Noboru Ishii


 目次

(赤字の部分を本ページに掲載、追ってページを分けて以下を掲載していきます。本論文は雑誌等には未発表です。)

はじめに
第1章 人間性心理学と自己理論
  1 人間性心理学とは何か
 
2 成長する力
 
3 自己と経験の不一致
  4 自己自身になるということ
第2章 十分に機能する人間
  1「十分に機能する人間」とは?
  2「十分に機能する人間」と「全機現」
  3 「自己理論」は「悟りの理論」たり得るか


 

はじめに  

 人間が心理的に成長するとは、どのようなことか。そしてどんな人間も心理的に成長する可能性を秘めているのか。この問いに簡単に答えることはできない。しかし人間が心理的に成長するという多くの事実があることは誰も否定できないだろう。だとすれば成長とは、どのような心理学的な構造によって説明することができるのか。これが第一の問いである。 しかし第一の問いは、あくまでも第二の問いに進む上での足掛かりである。

 第二の問いとは、宗教的な目覚め、悟りとは何かという問いである。どのような宗教であれ、それが真実の宗教であるならば、そのもっとも根源には、ひとつの共通する原体験があるはずである。その体験をもし仮に一言で表現するならば、「日常的な小さな自己に滅んで、自己を超えた大いなる存在に目覚める」とでもいうべき体験だろう。宗教の根源にはこうした体験があって、こうした圧倒的な覚醒体験を前にしたなら、個々の宗教の教義体系などは、空しく色あせた言葉の羅列に過ぎないのかもしれない。そのような体験に根差さない宗教や、かつては根差していたにしても、その体験を忘れてそこから遠く離れて去ってしまった宗教は、もはや真実の宗教とは言えないのかもしれない。  

 一方でまた、どのような既存の宗教やその教義とも無関係なところで、深い覚醒を体験する人々が数多く存在するのも事実である。すなわち「小さな自己に死んで、大いなる命に目覚める」という体験は、宗教の根源をなしながら、個々の宗教の枠を超えた普遍的な体験なのである。心理学者マズローは、至高体験と呼ばれる状態の心理的な特性や、自己実現ないし自己超越したと思われる現代の多くの人々の心理的、人間的特性を緻密に検討している。そうした精神のあり様を、たとえば大乗仏教が長い歴史の中で繰り返し説き、発展させて来た「悟り」の理論、無分別智(般若の智恵)の理論が示す人間のあり方と比較してみるなら、そこに驚くべき共通性があることに気づくだろう。あるいは、キリスト教やイスラム教の聖者たちが示す深い宗教体験の中にも、大乗仏教が示す無分別の智恵、般若の智恵とまったく同質の英知への目覚めを示すと思われる体験が数多く発見されるだろう。

 何よりもまずわれわれはこうした覚醒体験を、個々の宗教のどのような教義とも無関係に成立しうる人間の心理的な体験の事実として認めたいと思う。それは、すべての真実の宗教の根底をなしながら、しかも個々の宗教の枠を超えた普遍的な体験なのである。またこうした根源的な覚醒への可能性は、たとえどのような小さな芽としてであろうと、すべての人間に等しく秘められているのではないか。さらに、このような覚醒した人間のあり方は、人間の人格的・心理的な成長の究極の姿、人間の成長の可能性が最大限に花開いた姿を示しているといえるのではないか。

 だとすれば、すべての人間に可能性として宿されている根源的な体験、すなわち悟りとは何なのだろうか。覚醒あるいは悟りという体験的な事実は、どのような心理学的な構造によって説明することができるのだろうか。これが第二の問いである。そしてこの問いは、人間の人格的な成長はどのような心理学的な構造によって説明できるのかという第一の問いと深く関連している。 人間の心理的・人格的成長とは何かという第一の問いをわれわれは、ロージャズの自己理論を手掛かりとしながら考察したい。それをさらにマズローの至高体験や自己実現の理論と比較し、さらにそれらの成果を大乗仏教の理論や禅仏教の考え方と比較することで、宗教的な覚醒体験とは何かという第二の問いを考察するつもりである。それゆえ本論でのわれわれの課題は、人間性心理学の知見を手掛かりとしながら、人間の成長の可能性が最大限に花開いた姿として「悟り」を捉え、その心理学的な構造を考察することである。

第1章 人間性心理学と自己理論

1 人間性心理学とは何か  

 人間性心理学(humanistic pcychology)は、それ以前にアメリカで主流であった精神分析や行動主義心理学への反論として1950年代後半〜70年代に提唱された。その中心となった提唱者は、マズローやロージャズであった。

 フロイトによって創出された精神分析は、神経症の患者の治療という臨床の中で生まれたが、その無意識の理論は、臨床の範囲をはるかに超えた影響を持つようになった。無意識の発見は、人間理解の革新として文学や芸術など様々な分野に広範な影響を与えた。しかしフロイトは、その理論を「自然科学」の裝いをもって提示しようとしたため、彼が実際に患者に接しながら深めていった柔軟な人間理解と、それを自然科学的な枠組のなかでとらえ返して整理した体系とは、たえず分裂し続けた。いずれにせよアメリカの心理学は、1930年代から精神分析の理論の強い影響をうけることとなる。

 行動主義心理学は、ワトソンやスキナーをその代表とする。その立場は、きわめて客観主義的、機械論的であり、人間の行動をパターン化された「刺激−反応」の組み合わせに還元することで説明しようとした。「客観的」な観察に基づく学問体系を樹立しようとして、客観的に観察し得る人間の行動だけに焦点をあてたのである。その結果、主観的である「意識」は無視され、その心理学は「意識なき心理学」とすらよばれた。しかし、心理学を独立した学問として確立して近代の自然科学のパラダイムに従おうとするのは当時としては当然のことだったのかもしれない。この学派が、大きな勢力をなしたのは事実である。

  人間性心理学は、これら二つの勢力への批判として1950年代の後半から登場し、第三の勢力と呼ばれた。この学派は、いわゆる自然科学的な方法によっては人間の心は理解できないとし、行動主義および精神分析を厳しく批判する運動の中で生じた。

  人間性心理学の第一の特徴は、その全体論的な視点だろう。人間を理解する方法の一つとして、機械論的で還元主義的なアプローチがある。パブロフの条件反射学説や行動主義理論のように対象を観察しうる個々の要素に還元し、それらの関係の集積よって全体を理解しようとする方法である。しかし人間は、機械のような個々の部品の寄せ集めではない。人間性心理学は、ゲシタルト心理学やゴールドシュタインの全体性心理学と同様に、還元主義的な方法では人間を理解することはできないとし、全体論的な人間観を主張した。一般に生命現象をとらえるには、有機体としての全体性に注目しなければならない。有機体においては、まず統合された全体があって、その全体との関係のなかで部分の意味が生じる。個々の現象は全有機体の一表現として理解される。まして人間は、肉体をもつだけでなく、この文化的な世界の中に生理的、心理的、人格的に統合された全体として生きている。まず全体的な視点から把握し、ついで個々の部分がそのなかでどのような意味を担い、役割をなすかを研究する方法は、人間の心理や行動を理解する上で特に必要とされる。

 人間性心理学の第二の特徴は、その個々の実存や主体性を重視する立場にあるといえよう。人間は環境や外部の存在からの刺激に反応して行動するにすぎないという行動主義的立場、あるいはフロイト理論での動物的本能によって人間の行動が決まるという決定論的立場は、いずれも生きた具体的な人間を見失ってきた。人間には、決定論では説明し尽くされない自由があり、自由に自己決定する能力を持っている。個人は「今、ここ」という実存のうちにその基盤を持つ。人間性心理学は、人間の実存的な価値、すなわち個人の主体性、自由、意味、選択、責任などを強調し、また基本的に自由な個人相互の「我−汝」という二人称的な出会いや交わりを重視する。

 人間性心理学の第三の特徴は、人間に内在する成長力や価値志向性を重視する目的論的な立場にある。有機体としての生命は、一般にひとつの生命として自律的に、より統合された状態に向かう傾向をもつ。生命をもった存在である人間もまた、外的条件のみで受動的に動かされるものではなく、一般に内的生命の自然性それ自体にしたがって自律的に成長し自己実現に向かう傾向をもつという。マズローが繰り返し強調したように、従来の心理学は、欠乏動機ばかりをとりあげ、自己実現への欲求などの高次の成長動機をとりあげてこなかった。しかし人間は、自己実現への動因をもち、成長動機をもっている。それは、個体がもつ全体的、自律的な統合への過程のあらわれであり、成長し、自己実現に向かうという、生命に本来そなわった傾向の表現である。こうした生命本来の自己実現傾向は、さらに環境的な制約や社会文化的な制約すらも越えた精神的発展ないしは高次の心的構造化、究極的には「真の自己」の実現(=悟り)にすら至る可能性をも秘めているとされる。

2 成長する力

 われわれの最初の問いは、人間が人格的・心理的に成長するとはどのようなことなのかという問いであった。この問いを人間性心理学派の一人であるロジャーズの自己理論、パーソナリティー理論を手掛かりとして検討したい。しかしその前に心理療法家としてのロジャーズの基本的な立場と理論を大きな枠組みのなかで捉え、その上で特にロジャーズの基本的アイディアの一つである成長仮説にも触れておきたい。

 ロジャーズのパーソナリティー理論や人間観は、主に心理療法家としての彼自身の臨床経験を基礎にして発展したものであった。つまりロジャーズ派のセラピーの経験と、その結果としてのパーソナリティーの変化を、どう理解し理論づけるかという「セラピー理論」が、その理論の中心に据えられる。 この「セラピー理論」のなかには「パーソナリティーの本質と行動のダイナミックス」に関するいくつかの仮説が含まれている。その仮説を、人間の発達と成長のダイナミックスについての理論として展開させたのが「パーソナリティー理論」である。それは、セラピー関係のなかでクライエントが変化するのはなぜかを明らかにする理論であるが、同時に人間が人格的・心理的に成長するということはどういうことなのかを一般的に考察する理論でもある。

 われわれは、主としてこの「パーソナリティー理論」を土台にしながら「人間の成長とは何か、人間はどのようにして成長するのか」を検討することになるが、その中でロジャーズの「セラピー理論」そのものにも必要に応じて触れることになる。

 さて「セラピーとパーソナリティーの理論」のなかには、セラピーの成果についての仮説も含まれている。セラピーによって人は確かに変化し、成長する。だとすれば変化とは、何がどのように変化することなのか。変化や成長の行き着く先には、人間のどのうような姿があるのか。十分に成長を遂げた人間とはどのような人間なのか。このような問いに答えようとするのが、「十分に機能する人間についての理論」である。それは、臨床経験を基礎にしながら「セラピーの理論的な目標点、すなわち、最高度に創造的で、自己実現をなし、十分に機能している人間についての像」8-177を描こうとする試みである。われわれは、ロジャーズの「十分に機能する人間についての理論」を検討し、またそれをマズローのいう「自己実現する人々」や「自己超越者」についての考察と比較することによって、人間の成長とは何かを考えていきたい。

  ロジャーズの理論のなかにはさらに、変化や成長を促進するカウンセラーとクライエントのセラピー関係を基礎にして、その関係からすべての人間関係のあり方に考察を進める「人間関係の理論」が含まれ、また「家庭生活、教育、グループ・リーダーシップ、集団内の緊張や葛藤」など、人間の経験と活動のすべての分野に応用する「応用の理論」も含まれる。しかしこれらについては、本論では直接は触れない。

 ところで以上のようなすべての理論の前提としてロジャーズは、成長仮説とよばれるものを主張しており、この主張は初期の頃から一貫して変化していない。それは、人間がその内部に健康や適応を実現しようとする傾向をもち、その潜在的な力は、障害が除かれるならば自律的に働きだすはずだという仮説である。健康と成長に向かう積極的な力は、ちょうど種子が木になろうする潜在力にしたがってたくましく成長するように、すべての有機体に本来そなわっているものなのである。ロジャーズにとって「人間は生まれつきそのすべての能力を有機体を維持したり拡大したりする方向へと発展させるように動いていくように思われる」12-95のであり、彼はこの、「有機体を維持し、強化する方向に全能力を発展させようとする有機体に内在する傾向」8-182を「実現傾向」とよぶ。

 「実現傾向」は、ロジャーズにとって最も重要な中心概念の一つで、しかも「この基本的実現傾向が、この理論体系のなかで仮定されている唯一の動因であること」8-183が強調される。実現傾向は人間という有機体の基本的な方向である。その傾向は、さまざまな障害によってたやすく弱められ、歪められ、抑制されてしまうかもしれないが、にもかかわらず、ほとんどの個人のなかに成長への力、自己実現に向かう傾向が存在し、それが治療への唯一の動機となって働くといわれる。一個の生命として可能なかぎりの開花へ向かおうとする潜在的な力、自己実現された全的な人間になろうとする内的な力に促されてこそ、人間は変化し、成長するのだ。この仮説がなければ、セラピー関係のなかでのパーソナリティーの変化は説明できず、したがって彼の「セラピー理論」は成り立たない。その意味で彼の思想に不可欠な前提となっている仮説である。

 実現傾向はまた、他律性から自律性へと向かう動きだといってもよい。それは、外界からの統制力からますます解放され、自律的な統合へと向かう傾向である。次節でわれわれは、ロジャーズの理論の重要な構成要素の一つである自己理論を検討するが、「自己」もまた、有機体自らがその〈いのちの働き〉を発揮して、おのれの可能性を実現していこうとする傾向の一つの表現にすぎない。元来、自己と〈いのちの働き〉=生命性とは不可分であるはずなのだ。しかし多くの場合に自己は、社会という外部からの統制力を自らの内に取り込んで、生命が本来もつはずの実現傾向を歪曲し、押さえ込んでしまう傾向をもつ。外部から枠組みによって生命の力を押し殺すという他律的な働きに陥ってしまうのだ。生命に内在する本来の働きと自己とが分裂した状態である。そのとき有機体は機能不全に陥る。しかし、もし有機体のもつ〈いのちの働き〉が十分に発揮される条件が整うならば、自己もやがて「真の自己」として内的成長・発展を遂げ、有機体の自律的な働きと調和し、統合されいくはずなのである。 いま有機体の実現傾向と自己との関係に簡単に触れたが、この点については次節で詳しく論じるつもりである。この点こそが、「人間の成長とは何か」というわれわれの第一の問いに深く関係するからである。


 01/02/12 追加

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