全米日系人大会・概要




全米日系人大会に関して(2003年01月04日)


全米日系人大会(COPANI)はメキシコを振り出しに過去11回行われています。北はカナダから南はブエノス・アイレスまでアスンシオンを含めて7つの都市で開催されている。北米に位置しNAFTAの加盟国であるが、ラテン・アメリカの一員で全米を繋ぐ掛け橋としてメキシコが音頭を取り米州大陸に住む全ての日系人の連帯と友好を目指して結成されたものです。

大会は奇数年、2年毎にどの国も休み(北は夏休み、南は冬休み)となる7月に加盟各国の持ち回り開催される。大きな障害は言語で、ポルトガル語、英語、スペイン語、日本語の4ヶ国が使用され、その中で英語とスペイン語が主要言語として利用されるが両方を理解出来る人は非常に少なく、コミュニケーションに問題が多いという点にある。

同じ日本人ならびにその子孫が一同に会し、当然の事ながら混血の方も居ますが、多くは日本人の顔をしています。遠くから見ていると全体で日本人の大集団なのですが、面白い事に参加者はそれぞれの参加国の特徴を背負っているのです。米国から来た方はいかにも米国人、ブラジルから来た方はいかにもブラジル人という風に。各国の中では「日本人」とされながらもこうして集まると不思議にその国の雰囲気を持っているのです。代表をされている方に伺うと代表者会議の中でも同じ事が言えるようで、国際会議の難しさなのか、なかなか議論が噛み合わないようです。

中には在日韓国人で移住して大会に参加されている方も居ます。大人になり、米国に移住された在日韓国人の方にお会いして、お話をさせていただくと、どう見ても全く日本の日本人という感じです。このような大会に出ますと「人種」というのは一体何だろう?と考えさせられてしまいます。当地である程度「日本人」と「韓国人」は区別が付きますが、それは顔・容姿と言うよりは服装とかしぐさ、髪型などから判断しているように思います。ですからもし在日韓国人の方がいたらまず日本人と思ってしまうでしょう。また2・3世になりますと区別は非常に難しくなって来ます。

この大会を通じて知り合いになり、国境を越えて友情を深めた方も沢山いますし、また結婚に至った例もあります。パラグアイでは森谷隆男さんご夫妻がそうですね。

大会は毎回盛大に行われており、ニューヨーク市の大会で20年になりました。集まってお互いを知り、交流の輪を広げて行く事には成功し、一定の成果を挙げていますが、そこから米州日系人としての一つの形を作る作業はこれからの課題であると思います。


全米日系人大会(COPANI)・開催地

第01回 1,981年 メキシコ市 メキシコ
第02回 1,983年 リマ市 ペルー
第03回 1,985年 サンパウロ市 ブラジル
第04回 1,987年 ブエノス・アイレス市 アルゼンチン
第05回 1,989年 ロス・アンジェルス市 アメリカ合衆国
第06回 1,991年 アスンシオン市 パラグアイ
第07回 1,993年 バンクーバー市 カナダ
第08回 1,995年 リマ市 ペルー
第09回 1,997年 メキシコ市 メキシコ
第10回 1,999年 サンティアゴ市 チリ
第11回 2,001年 ニューヨーク市 アメリカ合衆国
第12回(予定) 2,003年 サンタクルス市 ボリビア


第6回・アスンシオン大会(1991年)

第6回大会はアスンシオンで開催されました。(1991年 7月25日〜28日)セントロ日系が主体となり、この大イベントを成し遂げました。大会開会式には当時のロドリゲス大統領を初め外務大臣、日本からはアントニオ猪木参議院議員も列席し、華やかなものでした。主会場はホテル・エクセルシオールを使い、大使館ならびにホテル・ヨット&ゴルフで夕食会が開催されました。実はこの大会まで外国の日系人の間でもパラグアイに対する認識が不足しており、「本当に大丈夫なのだろうか?」とか「実際、出来るのだろうか?」等という危ぶむ声も多かったのは事実です。この大会に参加されて実際にパラグアイを見て体験した方はパラグアイに対する見方も大きく変わったように思います。



(写真:第6回・アスンシオン大会・開会式・1991年)



(写真:猪木議員と共にパラグアイの参加者:一番右が当時のセントロ日系・森谷隆男会長)



(写真:コンベンションの様子)



第8回・リマ大会(1995年)

その後、第八回リマ大会にも出席しました。この大会は藤森大統領が在任している間に開催しようという事で実施されたものです。観光地としても名高いペルーですので、多くの方が参加しました。パラグアイからのメンバーはクスコ・マチュピチュを観光してからリマに入るというスケジュールで大会と観光の両方を楽しみました。

ペルー日系人のアテンドは痒い所に手が届くというような感じで、心がこもったものでした。また、青木大使主催による大使公邸での晩餐会が催されました。翌年にゲリラ事件が起きたあの場所です。

第10回(サンティアゴ)ならびに第11回(ニューヨーク市)に関してはそれぞれのページをご覧下さい。



(写真:藤森大統領、青木大使と各国代表、右から2番目がセントロ日系・森谷隆男会長(全て当時))


開会式典では藤森大統領と青木大使を囲み、各国の代表が勢揃いしました。セントロ日系からは当時の森谷隆男会長が加わっています。なお、初代森谷隆男会長はお父さんに当たります。(同じ名前)



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