[Book Off!?]
-「東京トンガリキッズ」を等倍楽しく読む方法。-

「なにを今さら…」といわれますか?そんな貴兄は健全すぎるほどに。かの昔「宝島」という、青少年に多大なる影響を与えた雑誌に、中森明夫というエライ人が、東京にまつわる青春群像のオムニバス小説「東京トンガリキッズ」を、1985年6月号から連載していたのですよ。まぁ、ベストセラーのサダメつーヤツで、この連載をまとめた「東京トンガリキッズ」(JICC出版局)も例に漏れずそして正しく、「サラダ記念日」や「ゲームの達人」や「完全自殺マニュアル」などと肩を並べ、ブックオフの100円コーナーにある始末。さて、ペプシ一本我慢して買っときましょか。そのペプシ代わりの1冊を甘酸っぱく堪能するための注釈コーナー、は・じ・ま・る・よ。それにしても、同時代的な記号だらけだゎ、この本。

2004年1月、未収録作品を収録して角川文庫よりめでたく文庫化されました。あの頃、真空パック。

special thAnx AKI / タクヤさん

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( #01 #02 #03 #04 #05 #06 #07 
 
#08 #09 #10 #11 #12 #13 #14 
 
#15 #16 #17 #18 #19 #20 #21 
 
#22 #23 #24 #25 #26 #27 #28 
#1987.07 #1987.08 #1987.10 #1987.11 #1988.01 
#1988.02 #1988.03 #1988.04 #1988.05 #1988.06 
#1988.10 #1989.02 #1989.03 #1989.07 #1989.10 )


#01 赤坂見附で乗り換えて
(1985年/「活人」創刊号)

キッス・イン・ザ・ダーク[KISS IN THE DARK]/ピンクレディー[PINK LADY]
70年代後期の日本歌謡界を席巻した,ミーとケイの女性アイドルデュオ,ピンクレディーが1979年に発表した14枚目のシングルのタイトル曲。彼女等のアメリカ進出第1弾作品として全米先行シングルカットされ,ビルボード誌37位を記録。同1979年9月5日には同シングルを国内発売するも,この頃から急激に人気を失いセールス面でも散々な結果に。彼女等の解散の直接的な原因となったとも言える一曲。
ジム・ジャームッシュ[JIM JARMUSCH]
アメリカ・オハイオ州出身の映画監督。1980年に卒業制作として,「パーマネント・バケーション」を監督。2作目の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(1984年)が世界的大ヒット。ニューヨーク・インディーズ旋風のきっかけを作った。
中山美穂を色白にして
今やドラマの女王となった中山美穂だが,デビュー当時はヤンキーがかった浅黒い少女だった。スタァ戦略的には,優香が近年におけるその後継者ではないだろうか。
ワンレン
"ワンレングス[ONE LENGTH]"の略称。一定の長さに切りそろえたスタイルという意味の髪型。サラサラでつややかな黒髪をかきあげる仕草と共に,80年代後半に流行した。80年代初頭の一般的な髪型がレイヤード(段カット)だったことの対比から生まれた語。小林麻美や石原真理子らのそれが当時の憧れの対象とされた。
江口寿史の『エイジ』なんかに出てくる髪の短い女の子
上條淳士「赤×黒」などに影響を与えたと思われる江口寿史が描いたボクシング漫画の傑作「エイジ」。とかく,江口の描く少女はかわいくて実用的。


#02 午前一時の玉姫様

蛹化の女[MUSI NO ONNA]/戸川純[TOGAWA JUN]
80年代を代表するカルト・アイドル戸川純が,1984年に細野晴臣主宰のYENレーベルより発表したLP「玉姫様」に収録された一曲。
玉姫様
蛹化の女」を収録したLPのタイトルであり,そのB面の1曲目に入っているタイトル曲。月経によって起こる女性の神秘的な変化をテーマに戸川純自身が作詞を手掛けた日本ニューウェイヴ界のマスターピース。
4月の始め(中略)六本木のインク・スチックで開かれた戸川純ちゃんのライブ
戸川純は,1985年4月3日と4日に,インク・スティック六本木でライブを行っている。
インク・スチック
当時六本木にあったクラブ"インク・スティック"のこと。1982年12月頃にオープン。
純ちゃんのライブといえば去年10月の厚生年金
戸川純は,1984年10月2日,新宿厚生年金会館にて2度目の全国ツアーのラストとなるライブを行っている。
我一塊の肉塊なり
戸川純のアルバム「玉姫様」に収録された「諦念プシシンガ」(作詞:戸川純/作曲:A.M.Villafe)に「我一塊の肉塊なり」というフレーズがある。
『モダーン・スポット』
「宝島」を発行していたJICC出版局が出版した都市カタログ・シリーズの名称。カフェ・バーをはじめ,古着屋,ディスコ,雑貨店,ヘア・サロン,ブティック,ライヴ・ハウスを網羅した都市カタログ。1983年7月発売された「モダーン・スポット東京」はカフェ・バー・ブームの火付け役となり,大ヒット。1984年の7月には全国版として「モダーン・スポット84/85」が発売されている。
『宝島』では"なぜなにキーワード図鑑"が一等好きなペエジで、「ヤマザキは正しいよな」
1981年頃から雑誌「宝島」にて山崎浩一が連載していた薀蓄コラムページが「なぜなにキーワード図鑑」。ちなみに,1985年頃からは「新なぜなにキーワード図鑑」に。
原律子ちゃんのわりとエッチぽいマンガ
マンガ家"原律子"は当時「宝島」にて,Hなギャグマンガ「金玉畫報」を連載していた。
地下壕のような店
インク・スティック六本木は地下に位置していた。
スクリッティ・ポリッティの『ヒプノタイズ』
グリーン・ガートサイド[GREEN GARTSIDE]らによるポスト・ニューウェイヴ的エレポップユニットがイタリア語で"政治的文章"を意味するスクリッティ・ポリッティ[SCRITTI POLITTI]。ヒプノタイズ[HYPNOTIZE]は彼らが1984年11月にヴァージンより発表したシングルであり,ファンにも根強い人気を誇る代表曲のひとつ。1985年に発表された傑作セカンドアルバム「キューピッド&サイケ'85[CUPID & PSYCHE 85]」にも収録されている。
純ちゃんのあのモダコレの時を思わせる
"モダコレ"とは,1982年5月よりはじまったライヴシリーズ"モダーン・コレクション"の略称。戸川純は1983年11月に渋谷パルコスペース・パート3で行われた「モダーン・コレクション Vo.4」に出演している。
純ちゃんの妹の戸川京子ちゃん
→80年代サブカルチャー人名辞典「戸川京子」。
去年の初め、『夜のヒットスタジオ』で純ちゃんが「玉姫様」を唱う
1984年のはじめ,戸川純はフジテレビ系音楽番組「夜のヒットスタジオ」に蝶の格好で出演した。
一年前のピテカンのバースディパーティー
1984年3月30日,原宿ピテカントロプス・エレクトスにて,YENレーベルのシリーズイベント「YEN遊会」の第1回として戸川純「バースディ"前夜"パーティ・ライヴ」が行われた。サエキけんぞうらが出演。
「花田春吉」
1985年1月から1985年3月までTBS系で放送されたドラマ「花田春吉なんでもやります」のこと。武田鉄矢,浅田美代子,石黒賢らが出演。
「刑事ヨロシク」
戸川純も出演したコメディ色の強い刑事ドラマ。1982年5月から1982年8月までTBS系で放送された。ビートたけし,岸本加世子が出演。
「無邪気な関係」
戸川純も出演したドラマのタイトル。1984年1月から1984年3月までTBS系で放送された。鶴見辰吾,石原真理子,佐藤慶,久我美子らが出演。「無邪気な関係」というタイトルは糸井重里の発案。
「あとは寝るだけ」
戸川純も出演したドラマのタイトル。1983年4月から1983年7月までANB系で放送された。堺正章,樋口可南子,三木のり平,柄本明,高田純次,小泉今日子らが出演。久世光彦が演出をてがけた。
ダンキンドーナツ
米マサチューセッツ州のボストンで,1950年に開業した,世界最大のドーナツショップチェーンの名称。ダンキンという名は,ドーナツをコーヒーに浸して食べる(DUNK)という言葉に由来する。牛丼でおなじみの"吉野屋ディー・アンド・シー"が,日本に於ける地域フランチャイジーを担っていたが1998年8月に不採算のため,事業から撤退。日本では,今やその店舗は見ることができない。


#03 僕がビリケン頭と出逢うまで

スモールタウン・ボーイ[SMALL TOWN BOY]/ブロンスキー・ビート[BRONSKI BEAT]
ゲイであるジミー・サマヴァイル[JIMMY SOMERVILLE]のファルセットヴォイスが印象的なユーロビートの先駆け的ダンスナンバーは,1984年産。
"森永つくんこ"
1983年に森永製菓から発売された,つくし型のチョコレート菓子の名称。
SEILORS
おニャン子クラブが,「夕やけニャンニャン」内でを着ることで,水兵マークのブランド"セーラーズ[SAILORS]"が1986年頃に大ヒットになった。東京・渋谷の公園通りの脇道を入ったところに,セーラーズ唯一の店舗があり,連日長蛇の列ができた。つまり,作中のこの表現は"SAILORS"ではない贋造品をも産むほどの社会現象となったことをあらわしている。
スウィングトップ[SWINGTOP]
ゴルフジャンパーとして知られている,衿付きのジップアップ,ラグランスリーブのジャンパー。
TECH21
この頃ヒットした男性化粧品シリーズの名称。
一世風靡
劇男零心会を前身に1983年7月設立した,男気あふれる路上パフォーマンス集団の名称。原宿の歩行者天国などで踊り,若者の人気を集めた。1984年4月に一世風靡SEPIAとしてデビューし,「前略、道の上より」などをヒットさせる。柳葉敏郎,哀川翔,西村香景,武野功雄,松村冬風,春海四方らが在籍。
マナウィルネバアンスタンワイユハットリ〜、アンジアンサジシーウィルネバビファウンダホーン、ザラッザチューニーウィルネバファウンダホーン…
ブロンスキー・ビートの「スモールタウン・ボーイ」の一節。"Mother will never understand / Why you had to leave / But the answers you seek / Will never be found at home / The love that you need / Will never be found at home"のこと。


#04 あの頃、ピテカントロプス。
(1985年08月号/第03回)

ドゥ・ザ・ピテカン[DO THE PITHECAN]/メロン[MELON]
メロンは元プラスチックスの中西俊夫と佐藤チカを中心に結成されたエキゾポップユニットで,この曲はスネークマンショープレゼンツの「ピテカントロプスの逆襲」に収録されている。
ピテカントロプス・エレクトス
略称"ピテカントロプス","ピテカン"。スネークマンショーを手掛けた選曲家桑原茂一がプロデュースしたライヴバー。本文から引用するに"原宿・竹下通りをつきあたり明治通りを千駄ヶ谷方向に4百メートルほど行ったあたり、ラストロード通りの三叉路にかかった歩道橋をわたってスグのところにあった"らしい。メロンショコラータミュート・ビートらが活動の拠点とした。1984年7月28日閉店。
"二十歳以上お断り"という子供だらけのパーティー
1983年10月23日からピテカントロプス・エレクトスでは,毎週日曜日の午後3時より,20歳未満限定,禁酒,禁煙のライヴが開始された。
ショコラータ
→渋谷百景「ショコラータ」。
ワールズエンド[WORLD'S END]
セックス・ピストルズ[SEX PISTOLS]を手掛けたマネージャー,マルコム・マクラレン[MALCOM MACCLARLEN]の夫人であったヴィヴィアン・ウエストウッド[VIVIAN WESTWOOD]が"セックス[SEX]"を前身に開店したショップの名称。パンク・ファッションの代名詞的ブランド。
ミュートビートのベース
ミュート・ビートのベーシストであった松永孝義のこと。
ミュートビートの小玉さん
ミュート・ビートのトランペッター小玉和文(こだま和文)のこと。
まだミュートがルードフラワーって名前で
"ルードフラワー"はミュート・ビートの前身バンドの名称で1981年結成。その後メンバー・チェンジを経て1982年にミュート・ビートに発展する。
ナイロン100%
中村直也が渋谷で開いていたライヴバー。空手バカボンがデビューしたのはこのお店。1986年閉店。
"ナム・ジュン・パイクをむかえての夕べ"
ナム・ジュン・パイク[白南準]は韓国・ソウル出身のビデオアーチスト。坂本龍一のアルバム「音楽図鑑」収録「A Tribute To N.J.P」の"N.J.P"とは彼のこと。ピテカントロプス・エレクトスにて,1984年6月18日に,ナム・ジュン・パイク,高橋鮎男,高橋悠治,細野晴臣,坂本龍一,立花ハジメ,三上晴子らが出演したパフォーマンス・イベントが開かれている。
チカとトシ
佐藤チカと中西俊夫のこと。オシャレな夫婦である。
トーキング・ヘッズ
ディヴィッド・バーン[DAVID BYRNE]ら美術学校生らによって結成されたニューヨーク出身のニューウェイヴバンド。ジョナサン・デミが監督したライヴ・ドキュメント「ストップ・メイキング・センス[STOP MAKING SENCE]」のDVD化などにより彼らの再評価は近年進んでいる。
ハジメ
→80年代サブカルチャー人名辞典「立花ハジメ」。
→渋谷百景「立花ハジメ」。
DEVOのマーク
日本テクノポップに甚大な影響を与えたディーヴォ[DEVO]の中心人物の一人であるマーク・マザーズバー[MARK MOTHERSBAUGH]のこと。ソロでの作品も多い。
MILKの大川ひとみ
原宿のブティックの草分け的存在「ミルク」の創始者。「ミルク」はレースやフリルをいっぱいに使ったキュートな服で当時のオシャレ少女たちの必須アイテムであった。
ゼクトア
当時,若者に人気があったショップの名称。
パリス[PARIS]のラファエロ
"パリス"は鈴木慶一が中心になって作られたオムニバス「陽気な若き博物館員たち」にも参加しているフレンチポップ志向のユニット。パリスに参加していたラファエル・セバーグ[RAPHAEL SEBBAG]は,その後DJユニット"ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼーション"で活動する。
景山さんの放送が流れてて、そん中で"ピテカントロプスの逆襲"ってコーナーやってたの知ったんだ。モイチさんがやってやみたい
当時,景山民夫がTBSラジオでDJを手掛けていたラジオ番組「スーパーギャング・ピテカントロプスの逆襲」のこと。月曜深夜1時からの2時間放送。景山民夫と桑原茂一での共同プロデュース番組で,竹中直人,シティボーイズ,中村ゆうじいとうせいこうらも出演。
キラー通り
東京・青山の外苑西通りの別名。青山墓地北から,青山三丁目交差点を通り,千駄ヶ谷へと抜ける。"地中海通り"などとともに,雑誌「アンアン」から広まった呼称。


#05 坂本龍一になりたい
(1985年09月号/第04回)

アヴェク・ピアノ[AVEC PIANO]/坂本龍一[SAKAMOTO RYUICHI]
映画「戦場のメリークリスマス」のサウンドトラックのピアノ・ヴァージョン。1983年にカセットブックとして発表され,同1983年12月10日には,2曲を加えて「コーダ」としてレコード化。
PPG
デジタルシンセサイザーの名称。音色を時間の流れと共にコントロールできるウェーヴ・テーブルという独自の音源を搭載していた。
イミュレーターU
加山雄三が所持していることでも知られたサンプリング専用シンセサイザー(サンプラー)の名称。当時,298万円。
DX-7
1983年,ヤマハより発売されたデジタル・シンセサイザーの名称。
戦メリ
大島渚が監督し,1983年に公開された日英合作映画「戦場のメリークリスマス」の略称。坂本龍一やデビッド・ボウイ,ビートたけしら異色のキャスティングも話題を呼び,大ヒットする。
『テクノポリス[TECHNOPOLIS]
→#28 さよなら、TOKIO「テクノポリス」。
ライディーン[RYDEEN]
YMOのヒット曲。YMOとしては二枚目のシングル曲(B面は「コズミック・サーフィン」)。アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(SOLID STATE SURVIVOR)」にも収録。竹の子族がこの曲で踊り狂っていた。
赤い人民服を着て
YMOが着用した衣装のひとつ。アルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(SOLID STATE SURVIVOR)」のジャケット写真でも着用。
B-2UNIT
坂本龍一がYMO在籍時の1980年に発表したアルバムタイトル。XTCのアンディ・パートリッジの協力で作り上げられた,ダブとテクノを融合した傑作。
『差異と反復[DIFFERENCE ET REPETITION]』より速く、ドゥルーズを識ること
"ドゥルーズ"とは,デリダ,フーコー,リオタールらと並ぶフランスの流行思想家,ジル・ドゥルーズ[GILLE DELEUZE]のこと。1925年に生まれ,1995年死去。「差異と反復」は彼の著作。
『共同幻想論』より速く、ヨシモトを識ること
「共同幻想論」は吉本隆明が1968年に発表した作品。柳田国男の「遠野物語」をテキストにして,人間の幻想の構造をとらえようとした労作。この頃,吉本隆明は坂本龍一と対談しており,その内容は「音楽機械論」として,1986年に刊行されている。
"participation mystique"
坂本龍一のアルバム「B-2 UNIT」収録の一曲。
パーティシペイション・ミステイク
→#05 坂本龍一になりたい「participation mystique」。
教授ってホントにシルビアンとできてるのかしら?
"シルビアン"とは坂本龍一との交流もあった,ニューロマンティクスの代表グループ,ジャパン[JAPAN]のメンバーであったデヴィッド・シルヴィアン[DAVID SYLVIAN]のこと。美形なルックスで日本のニューウェイヴ少女たちのアイドルになり,坂本龍一やジャパンのメンバーのミック・カーンとの同性愛説も流れた。また,"坂本龍一&デヴィッド・シルヴィアン"として,1982年9月5日にはシングル「バンブー・ハウス」,1983年4月5日にはシングル「禁じられた色彩」を発表している。
火曜の夜は教授のサン・スト
坂本龍一がNHK-FMでDJを担当していたラジオ・プログラムが火曜日の「サウンド・ストリート」(22:00〜22:45)。テイ・トウワや槙原敬之らが熱心に聴いていたことでも知られる。


#06 午後八時までのシンデレラ

終曲/フュー[PHEW]
アーント・サリー解散後ソロ活動を開始したフューが,1980年に坂本龍一のプロデュースで発表したシングルのタイトル曲。B面は「うらはら」。
ルイズ・ブルックス
米国映画トーキー初期のパラマウントの人気女優。1928年,G.W.パプスト監督で作られたドイツ映画「パンドラの箱[DAS BUECHSE DER PANDORA]」の主役で一躍スターに。この映画の主人公"ルル"がニックネームとなる。
ニナ・ハーゲン[NINA HAGEN]
東ドイツ出身の女性パンク・ロッカーの草分け的存在。ヨーデル,オペラを織り交ぜた独自の唱法は戸川純らにも影響を与えた。


#07 仰げば尊し

仰げば尊し/遠藤みちろう[ENDO MICHIRO]
パンクバンド"スターリン"の中心人物遠藤みちろうが1984年7月1日に発表したシングル。ジャケットを荒木経惟が手掛けた。
『DOLL』
「ZOO」を前身として,1980年12月に創刊された日本パンクの権威的雑誌。森脇美貴夫が編集長をつとめた。
ギズム[GIZM]
1981年に結成されたハードコア・パンク・バンド。80年代中期ハードコア・パンク・シーンを牽引した。
カムズ[COMES]
1982年2月に結成されたハードコア・バンド。84年3月24日解散。のちに"ガスタンク"に参加するMATUSMURAも在籍。
コブラ[COBRA]
1982年,NAOKI(宮本直樹)らにより結成されたパンク・バンド。ハードコア,オイ・パンクを経たストレートなパンク・ロック。
豊田商事の永野会長
豊田商事は,金の現物取引を装った悪徳商法で2000億円を集めた日本を代表する犯罪結社。1985年6月18日,会長の永野一男は自宅で刺殺され,その模様はブラウン管を通し全国のお茶の間に。


#08 甲田益也子さんへの手紙

HINAMARI/dip in the pool
「ひなまり」は,モデルの甲田益也子と,木村達司による無国籍感漂うアンビエント・ポップ・ユニット"ディップ・イン・ザ・プール"初期の作品。1986年に日本でリリースされたアルバム「dip in the pool」にも収録されている。
甲田益也子
→80年代サブカルチャー人名辞典「甲田益也子」。
アンアン[an・an]
1970年3月に創刊された「ノンノ」と双璧をなす女性ファッション誌の草分け。この頃「アンアン」は,「オリーブ」を卒業したロマン志向の女性だちの愛読誌であった。甲田益也子は,大学を卒業後より約1年半の間,専属モデルをつとめ,読者より熱狂的な支持を得た。
ハウスマヌカン[HOUSE MANNEQUIN]
デザイナーブランドやキャラクターブランドの服を中心にした店の女性販売員を指す和製語。もとは,ブティック専属モデルを指す。80年代末には死語に。


#09 たそがれにグッド・モーニング

およしになってねTEACHER/おニャン子クラブ[ONYANKO CLUB]
1985年10月21日に発表されたおニャン子クラブのセカンドシングルのタイトル曲(B面は「テディベアの頃〜少女の香り〜」)。作家陣は,A・B両面ともデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」と同じく作詞:秋元康/作・編曲:佐藤準。
新田恵利[NITTA ERI]
おニャン子クラブ初期からの中心メンバーのひとり。会員番号は4。1986年1月1日に発表したソロシングル「冬のオペラグラス」もヒット。
午後5時
夕やけニャンニャン」は月曜から金曜の午後5時からはじまる番組だった。
「最後の切り札は教壇のあの人に 見える角度でスカートチラリお色気じかけ」
おニャン子クラブの「およしになってねTEACHER」の一節。作詞:秋元康/作・編曲:佐藤準。
「デートに誘われてバージンじゃつまらない」
おニャン子クラブが1985年7月5日に発表したデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」の一節。
河合
おニャン子クラブ初期からの中心メンバー,河合その子[KAWAI SONOKO]のこと。会員番号は12。おニャン子クラブ中では,1985年9月1日に「涙の茉莉花LOVE」で,もっともはやくソロデビューした。
会員ナンバー18番・永田ルリ子[NAGATA RURIKO]
結局,ソロデビューすることがなく消えていった,おニャン子の陰の人気メンバー。
城之内
近年は,「ものまね王座決定戦」での活躍で知られる,おニャン子クラブ会員番号17,城之内早苗[JONOUCHI SANAE]のこと。1986年6月11日に「あじさい橋」でソロデビューした。モーニング娘。に当てると中澤裕子のようなものか。
樹原
ソロデビューすることがなく卒業した,おニャン子クラブ初期メンバーのひとり,樹原亜紀[KIHARA AKI]のこと。会員番号は6。おニャン子クラブ卒業後,1987年より「宝島」誌上で「少女のイディオム」を連載していた。
立見里歌[TATSUMI RIKA]
おニャン子におけるイロモノ的メンバーのひとり。会員番号は15。1986年4月1日には,彼女を中心とするユニット"ニャンギラス"で「私は里歌ちゃん」でもデビューする。
貴サン
当時「夕やけニャンニャン」に出演していた"とんねるず"の石橋貴明[ISHIBASHI TAKAAKI]のこと。彼が,おニャン子いじりで身につけたアイドルの扱いテクニックは,「うたばん」などでのモーニング娘。対応にいかんなく発揮されている。
吉沢秋絵[YOSHIZAWA AKIE]の『なぜの嵐』
吉沢秋絵は,ぽっちゃり顔が魅力だったおニャン子メンバーで,会員番号25。『なぜの嵐』は1985年11月1日に発表になった彼女のソロデビューシングル。おニャン子関連作品の中でも,今も根強い人気を保つ一曲。
夕ニャン
月曜日から金曜日の17時から放送された1持間の帯番組「夕やけニャンニャン」の略称。1985年4月から1987年8月まで放送。全盛期には視聴率10%前後を記録する。この番組の「アイドルを探せ」コーナーからはおニャン子クラブが生まれ,とんねるずをスターダムに押し上げた。
司会の志賀ちゃん
「おはようスタジオ」の司会で,こどもたちに人気だった志賀正浩[SHIGA MASAHIRO]のこと。
『ミスハイスクールDJ』
1985年,文化放送ではじまったラジオ番組のタイトル。1981年10月からスタートして,女子大生ブームの火付け役となった「ミスDJリクエストパレード」のヤング・ヴァージョン。
松永夏代子
1986年1月21日「メランコリーの軌跡」でレコードデビューしたアイドル。
オールナイトニッポン木曜第2部・谷山浩子[TANIYAMA HIROKO]
1982年4月8日深夜(9日)から1986年4月3日深夜(4日)まで,ニッポン放送の「オールナイトニッポン」の木曜第2部(3:00〜5:00)を1972年にデビューしたシンガー・ソングライターの谷山浩子が担当した。
『ヒストリーズラン[HISTORY'S RUN]
1985年末,マガジンハウスが創刊した雑誌の名前。編集もレイアウトも書き手も全員10代で,詩も小説も論文もなんでもアリの投稿誌。マガジンハウスから2号を発行後,自主出版で1987年まで継続された。
ドルアーガの塔
ナムコの遠藤雅伸が開発し1984年に発表された,難解なダンジョン・アクションゲーム。ファミコンに移籍され,初期ナムコの大ヒット作となった。
青春という名のラーメン・知的なタコイカ
「青春という名のラーメン」は当時,明星食品から発売されていたカップラーメン・シリーズの名称。当時,人気アイドルであった斉藤由貴がCMに出演。「知的なタコイカ」はそのシリーズ商品のひとつ。ほかに,「胸さわぎチャーシュー」,「勝手にミートボール」,「努力もち」,「翔んでるナゲット」,「燃えろハンバーグ」などの商品があった。


#10 月曜日なんか大嫌い
(1986年02月号/第09回)

I DON'T LIKE MONDAY/ブームタウン・ラッツ[THE BOOMTOWN RATS]
「哀愁のマンデイ」はボブ・ゲルドフ率いるロックバンド"ブームタウン・ラッツ"のヒット曲。アイルランド出身のロックバンドとしては,この曲ではじめてイギリスのチャートで1位を獲得し,同郷の後続バンド群に影響を与えた。この曲は1979年にカリフォルニアで起こった女子高校生による拳銃乱射事件をテーマとしたもの。彼女が,事件を起こしたきっかけが「月曜日は嫌い」だったから。
東急文化会館のてっぺんのプラネタリウム
渋谷駅東口に位置する東急文化会館の最上階にあるプラネタリウムのこと。
純ちゃんの「しーんぴしーんぴしんぴのげんしょー」
戸川純が歌った「玉姫様」のサビ"神秘神秘 神秘の現象"のこと。
『スケバン刑事』2代目麻宮サキのおいたち、鉄仮面をかぶせられて
斉藤由貴主演で人気を博した東映ドラマ「スケバン刑事」の新シリーズが「スケバン刑事U 少女鉄仮面伝説」(1985年11月〜1986年10月)。口元のホクロがチャームポイントの関西出身アイドル"ナンノ"こと南野陽子[MINAMINO YOKO]が2代目麻宮サキこと五代陽子を演じてヒット。幼い頃より鉄仮面をかぶせられて土佐の山奥で山猿のように育った少女という設定に視聴者は笑った。また,この番組からはサキの決めゼリフ"おまんら許さんぜよ!"などの流行語もうまれた。
ブルー・マンデー
1983年3月に,元"ジョイ・ディヴィジョン[JOY DIVISION]"のメンバーによって結成された英国のダンス・ロック・バンド"ニュー・オーダー[NEW ORDER]"は「ブルー・マンデー[BLUE MONDAY]」を発表し,ヒットさせている。1987年に発表されたコンピレーション・アルバム「サブスタンス[SUBSTANCE]」などに収録。人生の石野卓球に最も影響を与えた一曲。
ボブ・ゲルドフ[BOB GELDOF]
ブームタウン・ラッツの中心人物。1984年には,バンド・エイドを企画し,世界中にエイド・ブームを引き起こす。
デビッド・バーン[DAVID BYRNE]
トーキング・ヘッズの中心人物デビッド・バーンのこと。
ドジン
原住民,先住民を意味する"土人"のこと。Aランクの放送禁止用語である。
河合その子の声
河合その子は,おニャン子クラブのメンバーの中でも,ぶりっ子路線だった。つまり,そういう甘ったれた声。


#11 もう一度スローバラード

スローバラード/RCサクセション
忌野清志郎率いる初期のRCサクセションが1976年4月21日に発表したサード・アルバム「シングル・マン」に収録されている代表曲のひとつ。この「シングル・マン」は発売間もなく廃盤となったため,1979年に音楽評論家の吉見祐子を中心に再発運動が起こり1980年に正式に再発された。
クリスマスイブ
1985年12月24日,RCサクセションは日本武道館でライヴを行った。
『ビックリハウス』とか見たら終刊号
「ビックリハウス」は1975年にパルコ資本のもと,創刊された読者参加型月刊雑誌。70年代後期から80年前期にかけてのサブカルチャーシーンを支えた。終刊号は1985年11月に発売された通刊第130号。
ヘンよい
「ビックリハウス」誌上にて,糸井重里が主宰していたコーナー「ヘンタイよいこ新聞」読者,およびその投稿者である"ヘンタイよいこ"の略称。往復葉書での手続きを経ることではじめて,"ヘンタイよいこ"になることができた。ここでの意味は品川プリンス・ゴールドホールで1982年5月5日に「ヘンタイよいこ新聞」終了を記念して行われた"ヘンタイよいこ白昼堂々秘密の大集会"のこと。糸井重里が資金集めから出演者との交渉もほとんど担い,坂本龍一忌野清志郎,矢野顕子,仲井戸麗市,鈴木慶一,三遊亭円丈,栗本慎一郎らが出演した。
教授と清志がルージュマジックでキスして
1982年2月14日に"教授"こと坂本龍一と,RCサクセションの忌野清志郎が,資生堂の春のキャンペーンソングとして発表したのが,「い・け・な・いルージュマジック」。この曲をテレビ出演等で演じる際,忌野清志郎は坂本龍一に半ば無理矢理キスしていたのである。そのプロモーション効果もあり,シングルは2ヶ月で50万枚の大ヒットを記録する。
\ENレーベルももうないしね
"\ENレーベル"はYMOの細野晴臣,高橋幸宏によってアルファレコード内に設立されたレーベルの名称。ゲルニカ,越美晴,テストパターン,インテリアら,ポスト・ニューウェイヴ勢の育成に大きく貢献。1985年に消滅。
糸井さんも『YOU』やめちゃったし
「YOU」は「若い広場」を前身としたNHK教育のテレビ番組で,当時人気コピーライターとして多方面で活躍していた糸井重里が司会をつとめていた。後番組は,いとうせいこう司会の「土曜倶楽部」。
多摩蘭坂にはまだ彼の名前がいっぱい落書きされてるだろうか
"多摩蘭坂"は東京都国立市と国分寺市の間にある坂の名前。その名称は,一橋大学の学生があまりの坂の勾配に「たまらん」と声を漏らしていたことに,由来しているらしい。RCサクセションの忌野清志郎が,過去にこの付近に住んでおり,「多摩蘭坂」なる作品(1981年11月21日にRCサクセションが発表したアルバム「BLUE」に収録)を発表したことから,ファンの聖地となっており,その坂の近くの石垣にはファンの落書きが多数残されている。
爆スラ
"爆風スランプ"の略称。サンプラザ中野,パッパラー河合らが在籍。
サンプラザ中野
→80年代サブカルチャー人名辞典「サンプラザ中野」。


#12 男の子たちにはわからない

ガールズ・ブラボー!/レベッカ[REBECCA]
80年代ギャル・バンドの代表格,NOKKOがボーカルをつとめた"レベッカ"の作品。作詞は,NOKKO,作曲は土橋安騎夫によるもので,「W〜メイビー・トゥモロウ」「COUPLING SONGS COLLECTION」などで聴くことができる。
ローリー・アンダーソン[LAURIE ANDERSON]
「O Superman」で知られるアメリカ出身のパフォーマンス・アーチスト。芸術家としての活動も。
根本聖子[NEMOTO KIYOKO]
モデル。当時の「宝島」誌上でも活躍。
ATSUKI・ONISHI
ビギグループ「キャトルセゾン」のチーフデザイナーとして活躍した大西厚樹が,「キャトルセゾン」から名称変更して設立したブランド。メルヘンチックなデザインで,当時のオリーブ少女の間で圧倒的な人気を誇った。


#13 心の中のゴールデンリング

ロックンロール・ナイト[ROCK & ROLL NIGHT]/佐野元春[SANO MOTOHARU]
1982年に発表された佐野元春のサードアルバム「SOMEDAY」に収録された情熱的なロックナンバー。ブルース・スプリングスティーンのボブ・ディラン的な解釈とも言える8分以上にも亘る大作。
"タイマンテレホン"のアブナイ時のタカアキ
"タイマンテレホン"は夕やけニャンニャン」の人気コーナーのひとつ。とんねるずが電話で視聴者と口ゲンカする,という内容。とんねるずの石橋貴明のキレキャラはここで確立された。
「トーイ」
上條淳士が「週刊少年サンデー」に連載したロックなマンガ「TO-Y」のこと。江口寿史の影響が大きいスタイリスティックな作風で,音楽好きの間でもヒットする。


#14 ヨコハマガール

シンス・イエスタデイ[SINCE YESTERDAY]/ストロベリィ・スウィッチブレイド[STRAWBERRY SWICHBLADE]
ど派手な衣装とメイクも魅力のスコティッシュ女子デュオの代表曲「ふたりのイエスタデイ」。フリッパーズ・ギターの「バスルームで髪を切る100の方法」の元ネタともなり,多くのネオアコ少年少女に絶大な影響を与えた。吉川ひなのや川瀬智子(トミー・フェビュラリー)らもカバーしている。
茶店
"ちゃみせ"ではなく,"さてん"。喫茶店の略称。
トイメン
真正面のこと。元はマージャン用語で,自分の正面の席の人を指す。"対面"と書く。


#15 きよしこの夜
(単行本のための書きおろし)

ドゥ・ゼイ・ノウ・イット・クリスマス?[DO THEY KNOW IT'S CHRISTMAS?]/バンド・エイド[BAND AID]
ブームタウン・ラッツのボブ・ゲルドフの呼びかけで,英国のミュージシャンが集まって制作し,1984年発表されたチャリティー・クリスマス・ソング。集まった資金はアフリカの難民および飢餓対策に使われ,以後,世界的にエイド・ブームをおこす。


#16 愛があれば伝わる

「夢のコドモニヨン王国」のテーマ/いとうせいこう[ITO SEIKO]
いとうせいこうによるテレビ番組「夢のコドモニヨン王国」のテーマ曲。「夢のコドモニヨン王国」は1986年4月から1986年6月,金曜日の19時からテレビ東京系で放送されていた30分番組。吹越満や中村ゆうじらが出演。子供向けでない幼児番組という点で「ウゴウゴルーガ」にその精神は継承された。
『夕食ニャンニャン』
「夕食ニャンニャン」は1986年4月から1986年9月まで,金曜日の19時からフジテレビ系で放送されていた番組。おニャン子クラブのメンバーのほか,ABブラザーズなどが出演。
アブナい
この頃,若者を中心に使われていた言葉のひとつ。頭がおかしい,精神的におかしい,の意。
カムデン・パレス[CAMDEN PLACE]
当時のロンドンにあった最大規模のディスコの名称。1982年4月頃,スティーヴ・ストレンジとラスティ・エゴンが開いた。


#17 TVの国からファック・ユー

マスコミュニケーション・ブレイクダウン[MASSCOMMUNICATION BREAKDOWN]/プレジデントBPM[PRESIDENT BPM]
"
プレジデントBPM"は日本ヒップホップをいとうせいこうらと共に創始した近田春夫のヒップホップアーチストとしての名義。「マスコミュニケーション・ブレイクダウン」は1986年10月25日にシックスティレコードより12インチシングルとして発表された代表曲。1987年6月5日に発表したプレジデントBPM唯一のアルバム「HEAVY」にも収録。
ジャーマネ
"マネージャー"の意の業界用語。死語である。

ダクション
"プロダクション"を略した業界用語。

新宿駅東口ステーションスクエアが見えた。去年の夏はここでパンクの無料ギグ
1985年8月18日午後1時より新宿アルタ前広場の特設ステージにて,
ウイラードパパイヤ・パラノイアガスタンクコブラ有頂天らが宝島主催で"キャプテン・レーベル発足記念ギグ「好きよ!!キャプテン」"なる無料ライヴを行った。のべ8000人が押し寄せ,大盛り上がりとなった。
ウイラード[WILLARD]
1982年11月に結成されたパンク・バンド。
有頂天,ラフィン・ノーズとともにインディーズ御三家と呼ばれ,80年代後期のインディーズシーンの立役者となる。また,1985年8月18日の新宿アルタ前広場の無料ライヴでは,トリをつとめる。同1985年9月3日にはキャプテンレコードの第一弾としてアルバム「グッドイヴニングワンダフル フィエンド[GOOD EVENING WONDERFUL FIEND]」を発表した。
パパイヤ・パラノイヤ
1983年12月,石嶋由美子を中心に結成されたニューウェイヴ・ギャルバンド"パパイヤ・パラノイア[PAPAYA PARANOIA]"のこと。ジミヘンを敬愛する牧
絹子のギターをはじめ,センスだけでなくテクニックも持ち得ていたバンドで,その音楽性は高く評価されていた。1989年に活動休止。
ガスタンク[GASTUNK]
1983年1月,元"エクスキュート"のBABYを中心に結成されたハードコア・メタル・バンド。1988年12月に解散する。

恵利ちゃ〜ん
→#28 たそがれにグッド・モーニング「新田恵利」。
ゆうゆ〜
おニャン子クラブ内でのコメディーリリーフ的存在"ゆうゆ"こと岩井由紀子[IWAI YUKIKO]のこと。会員番号は19。うしろゆびさされ組でも活動し,1987年3月25日に「天使のボディーガード」でソロデビューした。モーニング娘。に置換すれば矢口真里と思われる。
ラフィンの『聖者が街にやってくる』
"ラフィン"は,1981年に大阪でチャーミーを中心に結成されたパンクバンド"ラフィン・ノーズ"の略称。"ウィラード","有頂天"と並び"インディーズ御三家"と呼ばれ,80年代後期のインディー・シーンを代表するバンドとなる。この曲は,チャーミーが訳詞を手掛けた『聖者が街にやってくる』のパンク・カバー・ヴァージョン。


#18 アイデンティティなんかいらないよ

心の旅/有頂天[UCHOTEN]
"有頂天"は"伝染病"を前身に,ケラを中心に結成されたニューウェイヴ集団。"ウィラード","ラフィン・ノーズ"と並びインディーズ御三家と称され,80年代後期のインディー・シーンを代表するバンドとなる。有頂天は,チューリップのヒット曲のパンキッシュにカバーしたEPを1985年11月29日にキャプテンレコードよりリリース。インディー流通作品ながらオリコン「コンフィデンス」誌で182位にランク・インした。
『コブラ[COBRA]
1986年にジョージ・P・コスマトス監督で制作されたハリウッド・アクション・ムービー。大味な,いかにもシルベスター・スタローン主演作品。

『ピンク・フラミンゴ[PINK FLAMINGOS]
1972年にアメリカでジョン・ウォーターズの監督で作られ,1981年に公開されたカルトムービー・オブ・カルトムービー。登場人物の全員が変態で,主人公でドラァグ・クィーンのディヴァインがウンコを食べるラストシーンは有名。

ビリー・ザ・キッドがどうしたこうしたとかいうやつ、ホラ、たしかゼルダが出てるやつ
1986年,パルコとバップの共同製作,山川直人の監督で公開された映画「ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け」のこと。原作は高橋源一郎のデビュー作「さようなら、ギャングたち」。三上博史,真行寺君枝,室井滋らが出演。ゼルダの「黄金の時間」が主題歌に使われ,映画中のライヴ・シーンではゼルダは「湖のステップ」を演奏している。

コイズミ真似てさあ、全身VIVA・YOU
1984年から,約2年の間,"
VIVA・YOU"のデザイナーである中野裕通が自ら,紅白歌合戦も含めて,当時トップアイドルだった小泉今日子のステージ衣装のコーディネイトを担当した。これによりVIVA・YOUの人気が一気に高まった。
バタアシ金魚
講談社ちばてつや賞優秀新人賞を獲得した望月峯太郎が,1985年より講談社「ヤングマガジン誌上で連載し,人気を博したマンガ作品。高校の水泳部を舞台に,主人公カオルの無駄な熱血がコミカルに描かれ,大ヒット。1990年には,筒井道隆主演で映画化された。
ヤンマガ
講談社発行のマンガ誌「ヤングマガジン」の略称。「バタアシ金魚」,「ビー・バップ・ハイスクール」などを連載していた。
『バタ金』
マンガ「バタアシ金魚」の略称。
ビーバップ
きうちかずひろが1984年より「ヤングマガジン」誌上で連載を開始した,マンガ「ビー・バップ・ハイスクール」の略称。つっぱり高校生の日常を描いた本作は,男子中高生らの共感を呼び,大ヒット。映画化もされ,こちらもヒットした。
点取り占い
「宝島」のVOWコーナー内で盛りあがった子供用オモチャ。駄菓子屋などでパックで売られており,封を開くと"君はくさいよ 2点"や"笑うとなぐるぞ 1点"などと,シュールなコピーを印刷した紙が入っている。
ポストモダン[POST-MODERN]
1983年頃から盛んに使われ出した言葉のひとつ。「近代」の「あと」の意。家具やインテリア用品で,機能を重視した合理的なモダン・デザインとは反対に,色や形に大胆に遊びの要素を取り入れて,強く感覚に訴えようとしているデザイン傾向をいう。もとは建築にはじまったものだが,現代思想の領域にも広がりをみせ,1984年頃のニューアカデミズム・ブームの中では,ポスト構造主義と対応した言葉としてしばしば使われるようになった。のちに転じて,流行の先端にあるものすべてを形容する際に使われるようになった。
レトロ
1986年頃の流行語のひとつ。"レトロスペクティヴ"の略称。懐古趣味をさす。当時,江戸についての本が多く出版されたり,抹茶の茶碗でカフェオレを飲む喫茶店などが女性誌で紹介されるなどのレトロブームが起こった。
『冗談画報』
1985年よりフジテレビ系で放送開始された,音楽,演劇,お笑いなどジャンルを問わないライヴを放送した番組。泉麻人が司会をつとめ,深夜番組の定番ともいえる新人発掘番組の元祖的存在。
CBS[シーエス]
CBSソニーの略称。当時,爆風スランプ,PSY・S,久保田利伸,米米クラブ,エコーズらが所属。
青木日出雄のオツムのようなスキンヘッズ
青木日出雄は1988年にガンのために亡くなった航空評論家。彼の薄い頭髪は,抗ガン薬の副作用によるものであった。
メンノン顔
"メンノン"とは1986年に創刊された男性ファッション誌「メンズノンノ[MEN'S NON-NO]」の略称。当時はDCブランドを中心の誌面構成だった。阿部寛,風間トオル,加藤雅也らがモデルをつとめた。"メンノン顔"とは,そのモデルのような,やや子供っぽくダサい顔のことを意味する。
ストパラ』のジョン・ルーリー
ジム・ジャームッシュが1984年に監督をつとめて制作され,1986年に公開された彼のの代表作であるロード・ムービー「ストレンジャー・ザン・パラダイス[STRANGER THAN PARADISE]」の略称。ジョン・ルーリーはこの作品でニューヨークを漂泊する16歳の少年主人公"エヴァ"を演じた。
プッツン
1986〜1987年頃の流行語。忍耐や緊張感などが切れて,自分を失った状態になり,奇矯な行動や言動をとること。また,そういう行動をとる人のこと。


#19 帰ってきたローリ−

地下鉄のザジ/大貫妙子[ONUKI TAEKO]
元シュガー・ベイブの大貫妙子が1986年に発表したアルバム「カミング・スーン[COMIN' SOON]」に収録された一曲。同名のフランス映画からの影響は大きい。1983年11月28日に発表された原田知世の「バースデイ・アルバム」に収録されている作品のセルフカヴァー。
『蝋人形の館』
デーモン小暮らによるロックバンド聖飢魔Uのヒット曲のタイトル。
デプト・ストア[DEP'T STORE]
ストリート・ファッションを中心とした品揃えで人気だったショップの名称。
ア・ストア・ロボット[A STORE ROBOT]
比較的安価な品揃えで,少女たちに人気があったショップの名前。当時は,ロンドン・ストリート・ファッション中心の品揃えだった。
CSV
1985年11月29日,渋谷にオープンしたダイエー資本のレコード店のこと。ライヴ・スペース,楽器売り場もあり,ニューウェイヴ少年少女の御用達だった。季刊のカセットマガジン"Hi'Ide"も発行。1988年1月17日に閉店。
「♪さあ、最高を、最低に、さあさあ、変えよう…」
有頂天が1986年に発表したメジャー第一作目のアルバム「ピース」に収録された「マリオネットタウンでそっくりショー」の一節。
ピンポーン/ブーッ
「ピンポーン」,「ブーッ」は1988年頃の流行語。


#20 先生、アンチ・エスタブリッシュメントのしかた教えて下さい。

レヴォリューショナリー・シチュエーション[REVOLUTIONARY SITUATION]/アパルトヘイトに反対するアーティスト達[ARTISTS UNITED AGAINST APARTHEID]
1985年に発表された,南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)に反対したミュージシャンたちによるチャリティーアルバム「サン・シティ[SUN CITY]」に収録された一曲。
CVS
コンビニエンスストア[CONVENIENCE STORE]の略称。一般的には"コンビニ"という略称に変換されるようになる。


#21 いなせな東京リセエンヌ
(1987年01月号/第19回)

週刊東京「少女A」/爆風スランプ[BAKUFU SLUMP]
爆風スランプは"EAST WEST"で優勝した爆風銃と,準優勝だったスーパースランプのメンバーが集結して結成されたロックバンドであり,結成当初はコミックバンド的な評価をされていた。「週刊東京『少女A』」は,1984年8月25日に発表された彼らのデビューシングル。作詞はサンプラザ中野,作曲は中崎英也。同時発売されたファーストアルバム「よい」にも収録されている。
リセエンヌ[LYCEENNE]
"リセ"とはフランスの教育機間のひとつであり,7年制の国立または公立の高等中学校。"リセエンヌ"とはリセに通う女子学生のことを指す。因みに,雑誌「オリーブ」が謳った"リセエンヌ・ファッション"とは元来のリセエンヌの持つ語義ではなく,チープシックあるいは自由で遊びに満ちた着こなしの意として比喩的に用いられた。
ヒス・グラ
ブランド"ヒステリック・グラマー[HYSTERIC GLAMOUR]"の略称。1984年にオゾンコミュニティに入社した北村信彦が同1984年に立ち上げる。古着のテイストを取り入れた元気でコケティッシュなデザインのカジュアルブランドとして,当時のトンガリ少女たちに圧倒的な支持を得ていた。
『ホットドッグプレス』
1979年6月10日,「ポパイ」の後発誌として,講談社より創刊された情報誌のタイトル。この頃,「ホットドッグプレス」は「ポパイ」が取り上げないセックス特集を積極的に組み,青少年のためのHマニュアル誌として重宝されていた。
シャバいゼ!
きうちかずひろのマンガビー・バップ・ハイスクール」が生んだ独特の語彙のひとつ。


#22 大佐への贈り物

My Adidas[マイ・アディダス]/RUN-D.M.C.
RUN-D.M.C.は,RUNことジョセフ・シモンズと,D.M.C.ことダリル・マクダニエル,そしてDJのJAM MASTER JAYことジェイソン・ミゼルの3人からなる,80年代中期に活躍したヒップホップチーム。「マイ・アディダス[MY ADIDAS]」は世界的大ヒットアルバムとなった「RAISING HELL」に収録された一曲。彼らのトレードマークでもあったアディダスへの愛をヒップホップに乗せて表現し,黎明期の日本ヒップホップシーンに,音楽性だけでなくファッション面でも甚大なる影響を与えた。
『ハワード・ザ・ダック[HOWARD THE DUCK]』
ドナルド・ダッグのパロディ・コミックから生まれた,言葉も話せるアヒル型宇宙人ハワードを主人公に,1986年,ウイラード・ハイク監督で公開されたSF冒険コメディ映画『ハワード・ザ・ダック暗黒魔王の陰謀』のこと。ジョージ・ルーカス総指揮のもと,35億円もの多額の費用をかけて製作されるも,大コケした。
ポッパーズMTV
1984年4月から1987年9月までTBS系で放送されたテレビ番組「ザ・ポッパーズMTV」のこと。ピーター・バラカンが番組のホストをつとめていた。
米空軍リビアを爆撃
1986年3月のシドラ湾紛争後,リビアは同1986年4月にギリシャ上空での米TWA機爆破や,西ベルリンのディスコ爆破などのテロを行った。その報復として米軍はその月の15日にトリポリ空港やベンガジ空軍基地,さらにはカダフィの宿舎を兼ねたアル・アジジャ兵舎を空爆している。
岡田有希子の後追い自殺が続々報告される
1986年4月8日の岡田有希子の飛び降り自殺以降20日間で40人を越える若者が命を絶っており,マスコミはそれらを"岡田有希子の後追い自殺"だと報道した。
秋元康[AKIMOTO YASUSHI]
→80年代サブカルチャー人名辞典「秋元康」。
黒木香[KUROKI KAORI]
→80年代サブカルチャー人名辞典「黒木香」。
ジョン・ケージ[JOHN CAGE]
1912年にロサンジェルスに生まれた現代音楽家。1992年没。
ジャム・マスター・ジェイ[JAM MASTER JAY]
RUN-D.M.C.のDJ担当であるジェイソン・ミゼルのこと。
RUN・DMCの日本公演
1986年12月,RUN-D.M.C.は日本公演を行っている。19,20日はNHKホール,22日は名古屋市公会堂。
20日のNHKホール
1986年12月20日,NHKホールにておこなわれたRUN-D.M.C.日本公演のこと。
「マ〜ア・ディ…」
RUN-D.M.C.My Adidas[マイ・アディダス]」の冒頭,"My Adidas Walked to cross to doors[俺のアディダスはドアを通って踏み込んだのさ]"のこと。
『ウォーク・ディス・ウェイ[WALK THIS WAY]
RUN-D.M.C.を代表する一曲。元々,原曲であるエアロスミスの「ウォーク・ディス・ウェイ」の収録されたレコードを2枚使用してリズム・トラックを作り,そこにラップをのせて演じられていた曲を,あらためてエアロスミスのスティヴン・タイラー,ジョーペリーを加えてとりなおしたもの。


#23 いつかきっと狼が

くちびるNetwork/岡田有希子[OKADA YUKIKO]
1986年発表。作詞はサンミュージックの先輩であった松田聖子,作曲は世界の坂本龍一,編曲は岡田の作品を多く手掛けたムーンライダーズのかしぶち哲郎,という強力な布陣で作り上げられたドリーミィなテクノ歌謡。この曲で彼女は見事,オリコン1位を獲得するも,1986年4月8日に事務所のビル屋上から飛び降り自殺(享年18歳)し,伝説のアイドルに。また,ファンの後追い自殺も相次ぎ,社会問題に。
テレビで岡田有希子の幽霊がでたってウワサ
1986年春頃,中森明菜が出演した歌番組「夜のヒットスタジオ」や,松田聖子が出演したトーク番組「さんまのまんま」などに,自殺した岡田有希子の幽霊がうつっていたとのウワサが流行した。
「高橋名人が逮捕された」っての
1986年秋頃,子供たちの間で蔓延した都市伝説のひとつ。高橋名人人気の凋落してゆくきっかけとなった。当時,高橋名人がとある警察署の一日署長をつとめたことが,"高橋名人が警察に呼ばれた","高橋名人が逮捕された"と変化したものと考えられる。その逮捕理由として,ファミコンのコントローラのボタンを連打するための,薬物使用による麻薬取締法違反,またはそのために指にバネをうめ込んで(またはコントローラを改造して),子供を騙した詐欺罪などがささやかれた。
松坂慶子のCMのタタリ
1987年初め頃に蔓延したウワサのひとつ。松坂慶子が出演したクリネックスティシューのCMに関するもので,そのCMのスタッフは全員死亡した,共演した青鬼役の子供が死んだ,そのせいで松坂はノイローゼになったなどという内容。「東京新聞」が取り上げることにより収束を迎える。
ドラえもんののび太が植物人間だってのも
1986年秋頃に広まった都市伝説のひとつ。「ドラえもん」の連載誌であった「コロコロコミック」編集部及び作者に問い合わせが殺到し社会的問題にもなった。
サザエさんちがこわれちゃうってのも
1987年初頭に広まった都市伝説のひとつ。波平がボケ老人になり,マスオは愛人をつくり,サザエはヒステリーでお魚くわえたドラ猫を包丁で刺し殺し,カツオはシャブ中になり,ワカメは売春婦に,といった風にサザエさん一家が崩壊するという内容。このウワサは,しりあがり寿が多摩美術大学の漫画研究会時代,会誌「タンマ」上で発表した,サザエさんのパロディ漫画「サザ江さん」を元にしていると思われる。さらには,崩壊した家庭を立て直すために,一家全員で海外旅行にでかけるも,その際に乗り込んだ客船が海に沈没(または,飛行機が海に墜落)し,家族が海に帰っていくという最終回の噂もあった。


#24 卒業
(1987年04月号/第22回)

卒業/尾崎豊[OZAKI YUTAKA]
1985年1月21日に発表された尾崎豊4枚目のシングルのタイトル曲(B面は「SCRAMBLING ROCK'N'ROLL」)。1985年3月21日に発表されたセカンドアルバム「回帰線」にも収録された。10代の少年たちが抱える心のわだかまりを表現した彼の代表曲。


#25 ナゴムギャルと呼ばないで
(1987年05月号/第23回)

オールナイト・ロング/ZIN-SAY[人生]
"人生"は石野卓球を中心に結成されていた電気グルーヴの前身グループで,奇特なパフォーマンスとキャッチーな音楽性でナゴムの主翼を担う。「オールナイトロング」は♪キンタマが右に寄っちゃった,とのメロデューが耳に残るチープなニューオーダー的エレポップ楽曲で彼らの代表曲のひとつ。1986年11月に彼らがリリースしたソノシート「9 TUNES(FOR MIRAI)」に初収録。1992年8月25日に発表されたベストアルバム「サブスタンスV」にその音源は収録されている。
ナゴム
有頂天の中心人物だったケラが自らのバンドのレコードを出すために立ち上げたインディ・レーベル。6年半余りの間に70作品以上を発表。有頂天をはじめ,グレイトリッチーズ筋肉少女帯木魚人生,カーネーション,たま,カステラ,ばちかぶり,死ね死ね団らを輩出する。
ナゴムギャル
ナゴム系のライヴに出没する少女ファンたちの総称。デビュー当初の篠原ともえのような,ふたつにわけたお団子ヘア,ニーソックス,ラバーソールといった服装をした女子中高生が多かった。
上海紅鯨団
土曜日に関西テレビ系で放送されていた「上海紅鯨団が行く」のこと。「ねるとん紅鯨団」の前身番組。片岡鶴太郎,中川比佐子,柳沢慎吾らが出演。主題歌は有頂天の「べにくじら」。
2月21日の渋谷CSV
1987年2月21日に人生は渋谷CSVでライヴを行った。このライヴはオムニバス「こどもたちのCity」の発売を記念したもので,対バンはゴーバンズだった。
22日は池袋の五番街、それから新宿ミロード
1987年2月22日に人生は池袋にある五番街にて"サイン会"を行った。同じ日にその後,新宿のミロードにて人生はゴーバンズとグレイトリッチーズと共にライヴを行っている。
その後、同じ日にロフトで筋肉少女帯があったんだっけ。人生が飛び入りして卓球氏がモヨコの真似した日。
1987年2月22日,上記のあと,新宿ロフトにてのライヴ。筋肉少女帯,人生のほか,幻覚マイム木魚が出演。"卓球"氏は当時"人生"のちに"電気グルーヴ"の石野卓球,"モヨコ"とは当時"筋肉少女帯"のちに"特撮"の大槻ケンヂの当時の芸名"大月モヨコ"のこと。
幻覚マイム
トランス系バンドのひとつ。1988年7月8日に解散。
トランス系
音楽雑誌「フールズ・メイト」編集長でもあった,YBO2の北村昌士が設立したレーベル"トランス"に関係しているバンド群の総称。ケラの"ナゴム"と80年代インディーズの潮流を二分していた。
ソドムのザジ
"ソドム[SODOM]"は"ゾア[ZOA]"と並ぶトランス系バンドの代表格。ザジ[ZAZIE]はそのメンバーで,美形で知られていた。
AUTO・MOD
1980年6月"ワースト・ノイズ","マリア023"を経たジュネを中心に結成された日本のポジティヴ・パンク系バンドの元祖的存在。トランス系のバンド勢に大きな影響を与えた。"BOOWY"の布袋寅泰と高橋マコトが在籍していたことでも知られる。1985年11月3日に解散。
UKエジソン
「宝島」誌上にも広告が掲載されていたレコード店の名称。インディーズ作品の品揃えが豊富で通信販売も行っていた。本文中の店舗は西新宿にあった新宿店。
グレリチ
"グレリチ"は1983年4月にワタナベマモルともりくんを中心に結成されたバンド"グレイトリッチーズ"の略称。1987年9月には,音楽へのスタンスの違いからナゴムを脱退している。
頂天
"有頂天"の略称。
筋少[KING SHOW]
ナゴム系を代表するバンド"筋肉少女帯"の略称。1982年,大月モヨコ(大槻ケンヂ),内田雄一郎を中心に結成される。ヒット曲に「元祖高木ブー伝説」。1998年10月活動休止。
木魚
ナゴム系バンドのひとつ。1983年ツネヲ,カイシュウ,ニャンコ,ベラにより結成された。
ハッカイ
"有頂天"のギター担当の渡辺博海のこと。1985年6月に第4期の"有頂天"より加入。
ツネオ
木魚のヴォーカル。観客に挑発的なMCをすることでも知られた。
コウ
"有頂天"のギター担当の河野裕一のこと。1985年6月に第4期の"有頂天"より加入。
アコ
"ゼルダ"のドラマー,小澤亜子のこと。マルの後続として加入。
ジン
"有頂天"のドラム担当の佐藤仁のこと。1982年9月に第2期の"有頂天"にパーカッションとして加入。
大ミソカの新宿東映、イスが壊れたナゴム総決起集会
1986年12月31日から翌1987年1月1日にかけて新宿東映で行われた"第三回ナゴム総決起集会"のこと。12月31日の第一部に"グレイトリッチーズ","木魚","有頂天",翌1月1日の第二部に"有頂天","人生","ばちかぶり","空手バカボン","筋肉少女帯"ら,ナゴムバンドが大挙出演。
いとうせいこう[ITO SEIKO]
→80年代サブカルチャー人名辞典「いとうせいこう」。
べにくじら
有頂天の楽曲のタイトル。「上海紅鯨団が行く」の主題歌。1986年12月5日に,シングル「べにくじら」として発表。シングルのジャケット・イラストは水木しげるが担当した。
ロフトの6DAYS
1987年1月7日から13日まで新宿ロフトにておこなわれた有頂天のライヴのこと。このライヴにて第4期の有頂天が終了している。
ケラリーノ氏
"ケラリーノ・サンドロヴィッチ"こと"ケラ"のこと。
ニーハイ
"ニーレングス・ハイソックス"の略称。ひざまでの長さがある靴下。


#26 世界の終る日、僕達は……。

時計仕掛けのせつな/ゼルダ[ZELDA]
"ゼルダ"は1979年に小嶋さちほを中心に結成されたニューウェイヴギャルバンド。「時計仕掛けのせつな」は"セルダ"が1987年に発表したアルバム「クロック・ワーク[C-ROCK WORK]」に収録されているアルバムのテーマソング的意味合いを持つファンキーなパーカッションが印象的なエレクトロな一曲。作詞は高橋佐代子,作曲は石原富紀江。編曲には,BOOWYなどのプロデュースで注目されていた元四人囃子,元プラスチックスの佐久間正英。
サヨコ[SAYOKO]
ゼルダのヴォーカリストである高橋佐代子のこと。
フキエ
ゼルダのギター担当,石原富紀江[ISHIHARA FUKIE]のこと。のちに本村直美に交替。
パイク
→#04 あの頃、ピテカントロプス。「ナム・ジュン・パイク」。
"無人号地"、「塔の森に住みついた群をなす夜光蝶…」
"無人号地"はゼルダのアルバム「空色帽子の日」収録の「無人号地・357」(作詞:高橋佐代子/作曲:小澤亜子)でサヨコが提案した概念。「塔の森に住みついた群をなす夜光蝶…」はその一節。
チケットぴあ
1972年からイベント情報誌「ぴあ」を発行していたぴあが1984年に設立したチケット販売窓口のこと。
空色帽子の日
ゼルダが1985年に発表したアルバムのタイトル。白井良明がプロデュースを手掛けたプログレッシヴかつポップな作品で,ゼルダの最高傑作との声も大きい。


#27 僕パンクロックが好きハンパな気持ちじゃなく
(1987年09月号/第27回)

パンク・ロック[PUNK ROCK]/ブルーハーツ[THE BLUE HEARTS]
"ブルーハーツ"はのちに"ハイロウズ"を結成する甲本ヒロト,真島昌利らによるパンクロックバンド。彼らが1987年に発表したファースト・アルバム「ザ・ブルーハーツ[THE BLUE HEARTS]」に収録された「パンク・ロック」はパンク的衝動を歌にしたのではなく,パンクロックへの深い愛情をパンクロックに乗せて歌い上げた日本パンク界におけるコペルニクス的転回的な意味を持つ楽曲。
チャーミー[CHARMY]
→80年代サブカルチャー人名辞典「チャーミー」。
ひさうちみちお[HISAUCHI MICHIO
→80年代サブカルチャー人名辞典「ひさうちみちお」。
「のー・ふゅーちゃー」
パンク・ロックの掛け声の一つである"NO FUTURE"のこと。この言葉が叫ばれた70年代後期のイギリスは不景気で失業率が高く,明日の見えない状況だった。
昨夜の事件
1986年4月19日,日比谷野外音楽堂のラフィン・ノーズのライヴにて,ステージ前の観客が将棋倒しになり,死者3人,負傷者26人を出した。この事件を機にコンサートの警備が問題になり,しばらくの間締め付けが続いた。そして,ラフィン・ノーズは一時活動休止となる。


#28 さよなら、TOKIO
(単行本のための書きおろし)

テクノポリス[TECHNOPOLIS]/イエロー・マジック・オーケストラ[YELOW MAGIC ORCHESTRA]
細野晴臣,坂本龍一,高橋幸宏の三人による日本テクノポップの祖,YMOことイエロー・マジック・オーケストラのヒット曲で,はじめてのシングル曲(B面は「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー[SOLID STATE SURVIVOR]」)。1979年9月25日に発表されたオリジナルセカンドアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー(SOLID STATE SURVIVOR)」にも収録された,ボコーダー使用による「TOKIO」,「T・E・C・H・N・O・P・O・L・I・S」の掛け声が印象的な一曲。
あんね[ANNE]
"アンネ"とは,「アンネの日記」より命名された女性の生理用品の名称。転じて,"生理日"を指す俗語に。死語である。
ゆーとぴあ[UTOPIA]
"ゆーとぴあ"は,"ホープ"こと城後光義と,"ピース"こと帆足新一による漫才コンビの名称。ゴムひもを口にくわえさせてパチンとはじくギャグで一世風靡する。
成長[ビルドウング]
ビルドウング[BILDUNG]は形成,生成,結成の意のドイツ語。
ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー[SOLID STATE SURVIVOR]
YMOが1979年9月25日に発表したオリジナルセカンドアルバムのタイトル。YMOの名を日本中に浸透させ,"テクノポップ"という言葉を社会現象にまで押し上げたヒット作。彼らの代表曲「テクノポリス」「ライディーン」などを収録している。
アイドル歌手が7階のビルから飛び降りた
1986年4月8日に当時,トップアイドルだった岡田有希子が,事務所のビルから飛び降り自殺(享年18歳)したこと。
その少し前に、タレントの女の子が飛び降りた
1986年4月8日の岡田有希子飛び降り自殺の10日ほど前に,遠藤康子が飛び降り自殺をしたこと。


#1987年07月号 オシャレ泥棒 -前篇-
(第25回)

オードリー・ヘップバーン・コンプレックス/ピチカートX
1985年11月21日にリリースされたピチカート・ファイヴ最初のリリースとなるシングルのタイトル曲、正式表記は"オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス"、作詞は小西康陽、作曲は高浪慶太郎(のちの高浪敬太郎)。当時、ピチカート・ファイヴは、元YMOの細野晴臣がテイチク内に設立したレーベル"NON STANDARD"に所属、発表時のメンバーは、小西康陽、高浪慶太郎、佐々木麻美子、鴨宮諒の4人。


#1987年08月号 オシャレ泥棒 -後篇-
(第26回)

フラッパー/小泉今日子[KOIZUMI KYOKO]
小泉今日子のアルバム「7〜フラッパー」に収録されているタイトル曲。
パフスリーブ[PUFF SLEEVE]
ギャザーやタックなどで袖山や袖口をふんわりとふくらませた袖のこと。ロマンティックなワンピースに多いデザイン。
オゾンコミュニティ[OZONE COMMUNITY]
当時の少女たちに高く支持されたブランドのひとつ。この頃は,シックなデザインに,ややゴシック風味を取り入れたラインが中心でライヴハウス通いの女の子たちに絶大な人気を誇った。
ニーハイ
→#25 ナゴムギャルと呼ばないで「ニーハイ」。
ATSUKI
→#12 男の子たちにはわからない「ATSUKI・ONISHI」。
ビバユー[VIVAYOU]
1977年に設立されたブランドの名称。中野裕通がチーフデザイナーとなり,人気を博す。
スリッポン[SLIP-ON]
紐や留め具なしで,すっと履くことができる靴の総称。スリップ・オンともいう。
月曜ドラマランド
1983年,中原理恵主演「いじわる看護婦」に始まった,バラエティ要素の濃いフジテレビ系のドラマシリーズ。開始当初は質の悪いドラマという印象しかなかったが,ひとつのテレビ番組のジャンルとして認めるファンが増えた。ヒット作に小泉今日子主演の「あんみつ姫」など。

黒木香[KUROKI KAORI]
→80年代サブカルチャー人名辞典「黒木香」。
ミルクボーイ
大川ひとみがはじめたブランド"ミルク"のメンズライン。1982年に一時休業,1986年に再開した。革やファーをあしらったUKパンク風味を取り入れた可愛い感じの服が中心だった。
ジャスト・ビギ[JUST BIGI]
ビギ・グループのブランドのひとつ。太田好子がチーフデザイナーをつとめた。
スラメタ
ロックの一形態"スラッシュ・メタル"の略称。ハードコアにも通じる強烈な攻撃性でパンクファンからも支持された,アメリカ西海岸系のメタルの一種。メガデス,メタリカ,アンスラックス,スーサイダル・テンデンシーズらがその代表格。
マドンナ[MADONNA]をマネて『パパ・ドント・プリーチ[PAPA DON'T PREACH]
「パパ・ドント・プリーチ」は,マドンナが1986年に発表したアルバム「トゥルー・ブルー[TRUE BLUE]」に収録された一曲。
ヒステリック・グラマー
→#21 いなせな東京リセエンヌ「ヒス・グラ」。
ヒスグラ
→#21 いなせな東京リセエンヌ「ヒス・グラ」。
イトーちゃん
→80年代サブカルチャー人名辞典「いとうせいこう」。
ビースティ
1981年にニューヨークでマイク・Dらによって結成されたヒップホップ・グループ"ビースティ・ボーイズ[BEASTIE BOYS]"のこと。1986年にファースト・アルバム「ライセンス・トゥ・イル[LICENSE TO ILL]」を発表,全米1位を記録し80年代半ばのヒップホップ・シーンをリードする。


#1987年10月号 ラジカル・スケーター死の彷徨
(第28回)

スケート狂時代[POSSESSED TO SKATE]/スーサイダル・テンデンシーズ[SUICIDAL TENDENCIES]
マイク・ミューアを中心としたスケーターズ・ロックのカリスマ的存在"スーサイダル・テンデンシーズ"が1987年に発表した作品。同年に発表された彼らのセカンドアルバム「JOIN THE ARMY」にも収録されている。
『宝島』の編集後記で関川編集長が…
当時の「宝島」編集長は関川誠だった。
VOWの"今月の事件簿"に新聞記事送られ…
"今月の事件簿"は,宝島誌上の人気ページ"VOW"内の1コーナー。読者から投稿された,新聞等に掲載された面白い記事を紹介するコーナー。


#1987年11月号 みんな誰もがトンガリキッズ!!
(第29回)

ルカ[LUCA]/スザンヌ・ヴェガ[SUZANNE VEGA]

お葬式ごっこ事件
1982年2月1日,岩手県盛岡市の国鉄盛岡駅に隣接するデパート「フェザン」の地下1階男子トイレにて,東京都中野区立中野富士見中学校2年の鹿川裕史くん(当時13歳)が自殺した。鹿川くんの受けたいじめの事例は,事件後間もなく次々に明らかにされ,その中でも,もっとも社会に強い衝撃を与えたのが「葬式ごっこ」である。鹿川君の机は黒板の前に置かれ,その上には花や線香が添えられ,鹿川君の写真の横には「追悼」色紙がおかれ,そこには級友の寄せ書きや「やすらかに」といった担任を含む4人もの教師のメッセージや署名もあった。


#1988年01月号 ネオいゼッ 花代ちゃん!
(第31回)

変な女のコ/ザ・ヒッピー・ヒッピー・シェイクス[THE HIPPY HIPPY SHAKES]
ザ・ヒッピー・ヒッピー・シェイクスはサミー中野(中野達仁)がボーカルをつとめ,コロムビアからメジャーデビューしたネオGSバンド。
オリジナル・ラブ
1986年頃,のちにコレクターズに参加する小里誠らも在籍していたレッド・カーテンを前身に,田島貴男らにより結成されたロックバンド。田島は1988年から1990年まで並行して,ピチカート・ファイヴに2代目ヴォーカリストとして参加。1985年8月以降は田島貴男のソロ・ユニットとなっている。
ワウ・ヒ(ワウワウ・ヒッピーズ)
のちにロッテン・ハッツを結成する木暮晋也,高桑圭,白根賢一らが在籍していたネオGSバンド。本格的なサイケデリックを志向した音楽性でブームの中でも異彩を放っていた。
ザ・ファントムギフト
80年代中期にブームとなったネオGSの中心的存在。メンバーのサリー久保田はのちに,レ・ファイヴ・フォー・スリー・トゥ・ワンを結成する。


#1988年02月号 カナリヤ達 声を限りに
(第32回)

私は流行、あなたは世間/PSY・S


#1988年03月号 ダイヤリー87/88
(第33回)

システム・オブ・サバイバル[SYSTEM OF SURVIVAL]/アース・ウインド・アンド・ファイヤー[EARTH,WIND & FIRE]
モーリス・ホワイトを中心に結成されたブラック・ミュージックの大御所"アース・ウインド・アンド・ファイヤー"が1987年に4年間の沈黙を破って発表したアルバム「タッチ・ザ・ワールド[TOUCH THE WORLD]」に収録され,シングルヒットした一曲。
NOKKO
レベッカのボーカル。
『ラブ・イズ・キャッシュ[LOVE IS CASH]
レベッカが85年に発表したシングルのタイトル。スマッシュヒットを記録。
ツバキハウス
新宿にあったディスコの名称。
CSVも閉店しちゃう
渋谷にあったダイエー資本のレコード店"CSV"は1988年1月17日に閉店。
渋谷のライヴ・イン、ケラ・コールの最終日
1987年12月29日から31日まで,渋谷ライヴインにて"KERA CALL"と題されたイヴェントが行われ,ミュージシャンから,アイドル,ヌード・ダンサーまでが登場した。
双羽黒がクビ
1987年12月31日,横綱の双羽黒は暴力問題で廃業となることが決まった。
「六本木のディスコ・トゥーリヤでシャンデリヤが落下し、3人が重体…」
1988年1月5日,"ナウの殿堂"とも称された東京・六本木のディスコ"トゥーリヤ"で,重さ2トン近くもある照明器具が落下する事故が起こった。この事故で,3人が死亡し,14人が重軽傷を負った。
「踊って死ねたら、きっともっと気持ちいい」っていとうちゃんの歌詞
「踊って死ねたら、きっともっと気持ちいい」とは,いとうせいこうが発表した「東京ブロンクス」(作詞:いとうせいこう押切伸一/作曲:ヤン富田)の一節。1986年に発表されたアルバム「建設的」に収録されている。


#1988年04月号 普通の少年
(第34回)

ガラスの十代/光GENJI
光GENJIはジャニーズ事務所よりデビューした7人組アイドルグループの名称。「ガラスの十代」は,1987年8月19日にリリースされたデビューシングル「STAR LIGHT」に続くセカンドシングルで,1987年11月26日発売。作詞作曲を手掛けたのはチャゲ&飛鳥の飛鳥涼である。
夕ニャン』も終っちゃったし
1987年8月31日に『夕やけニャンニャン』は最終回をむかえている。ちなみにこの日,メンバーの工藤静香は「禁断のテレパシー」でソロデビューしている。
『桃色学園都市宣言!』
フジテレビ系にて夕やけニャンニャンの後続的番組として1987年10月12日より1988年3月18日まで(平日17:00〜18:00)放送された番組のタイトル。
ゆうゆ
→#17 TVの国からファック・ユー「ゆうゆ〜」。
のりぴー
1971年2月14日福岡県福岡市出身の正統派アイドル酒井法子の愛称。のりぴー語なる特異な言語体系を確立する。
西村知美[とろりん]
1970年12月17日山口県宇部市出身のアイドル。とろりんは彼女のデビュー当時からの愛称。1985年4月28日に第1回ミス・モモコクラブ・グランプリ受賞。
ヒメノギ
"ヒメノギ"とは,映画『めぞん一刻』の主題歌「ガラス越しのキッス」で歌手デビューした,小柄な肢体と抜群の歌唱力で知られたアイドル"姫乃樹リカ"のこと。のちに,芸名を"西邑理香"に改めて活動。
モモコ系
"モモコ"とは学習研究社から刊行されていたアイドル雑誌『MOMOCO』のこと。なお,関係者には"桃組出席番号"という通し番号が与えられ,酒井法子は1482番,西村知美は922番,姫乃樹リカは1773番であった。
ナンノ
アイドル南野陽子の愛称。
ゴクミ
1974年3月26日東京都生まれのアイドル後藤久美子の愛称。国民的美少女と称された。
ミン・クリがいつの間にか解散してた
"ミン・クリ"は1983年に泯比沙子を中心に活動を開始したアヴァンギャルドなロックユニット"泯比沙子&クリナメン"の略称。1988年3月23日新宿ロフトでのライヴを最後に解散。
にら子供の『ヘンなアタマ』
"にら子供"とはみっきぃがボーカルをつとめたハードコアバンドの名称で,『ヘンなアタマ』とは彼らの代表曲のひとつ「変な頭」のこと。
S.O.B.階段
TOTTSUANを中心としたハードコアバンド"S.O.B.階段"とJOJO広重をリーダーとするノイズ・プロジェクト"非常階段"のコラボレーション・ユニットの名称。
ハナタラシの自殺パフォーマンスの入口で"命いらない誓約書"
"ハナタラシ"とはボアダムスでの活動で世界的に評価される山塚愛(EYE)が80年代中期に活動を行っていたユニットの名称。チェーンソーで自分の足に切りつけるなどの自傷的パフォーマンスでも知られる。"命いらない誓約書"とは,1984年8月4日都立家政スーパーロフトで行われたハナタラシのライヴなどで観客に書かせた誓約書のこと。"私は、はなたらし/8月4日COCK ON FIRE(以下当該コンサート)に観衆として本日8月4日(日)都立家政スーパーロフトに入場いたしますが、当該コンサートの開演中にいかなる事故が発生し危害が加わろうと主催者側に何ら責任のないことを誓約いたします"といった内容であった。
"ガーゼの消毒ギグ"
"ガーゼ[GAUZE]"は1981年に結成された日本のハードコアパンクバンドの草分け的存在。"消毒ギグ"とは1982年2月4日よりガーゼ主催で行われているパンクライヴシリーズの名称。
"あぶらだこ"
1983年に結成されたロックバンド。日本でしか生まれ得ない孤高のプログレッシヴロックの創造主。
"グールのマサミさん"
1983年友人のクマらとともにハードコアパンクバンド"グール[GHOUL]"を結成,カリスマ的な支持を得たボーカリスト,細谷雅巳のこと。1992年9月26日死去(享年35歳)。
エフデジェ[FDGE]
"エフデジェ"とはフランス語のFUTUR DIRECTEUR GENERALの略。元々は,将来を約束された支配者階級という意味で,上流階級の若者を指して使われるが,転じて上品服の意味としても使われる。
コンサバ
フランス語のコンサバティブ[CONSERVATIVE]の略語で「保守的な,控えめの」といった意味を持ち,"ファッショナブル"や"トレンド"などと対義的に使用されるファッション用語。
『ホットドッグプレス』
→#21 いなせな東京リセエンヌ「『ホットドッグプレス』」。
イカタゲンパツシュツリョクチョウセイテストハンタイショメイにサインしてよっ
"イカタゲンパツシュツリョクチョウセイテストハンタイショメイ"とは"伊方原発出力調整テスト反対署名"のこと。1986年4月26日にチェルノブイリ原子力発電所で起こった事故を機に日本でも原子力発電所の運用を廃止する運動が巻き起こった。広瀬隆の『危険な話チェルノブイリと日本の運命』などの著作などは,影響力も大きく,この発話は若者の間にもそういった運動が広がっていったことをあらわしている。
"抜弁天女学館"
『桃色学園都市宣言!』内の一コーナーの名称。
ガーゼのシャツに黒革のミニ、破れた網タイツ、ヘンに底の厚い靴、耳にカミソリぶらさげて
女子パンクファッションの典型。
『私をスキーに連れてって』
80年代の若者のトレンド感覚を巧みに捉えてヒットを連発させた仕掛け人集団"ホイチョイ・プロダクションズ"を率いる馬場康夫が監督した徹底的に泡沫で軽快な,まさにバブルを象徴したような映画作品。
『シド・アンド・ナンシー』
1988年日本公開された英国映画『シド アンドナンシー』(原題『SID AND NANCY』)のこと。パンクロックのルーツ的バンド"セックス・ピストルズ"のベーシストであり1979年2月2日ドラッグ中毒によって21歳でこの世を去ったシド・ヴィシャスと,その恋人であり,1979年10月12日に刺殺されて20歳で亡くなったナンシー・スパンゲンとの暴走する愛を描いた作品。アレックス・コックス監督。


#1988年05月号 病気だネ
(第35回)

ただいま/矢野顕子


#1988年06月号 新宿駅最終出口
(第36回)

LOVE YOU/KENZI


#1988年10月号 一人ぼっちの東京戦争
(第39回)

B-29の贈り物/ラフィン・ノーズ


#1989年02月号 東京へは行かないよ
(第43回)

ハイスクール・デイズ/東京少年
笹野みちるを中心としたロックバンド"東京少年"が1988年11月21日に発表したファースト・アルバム「東京少年」の3曲目に収録されたナンバー。ファンの間にも人気が高く1989年1月27日にはシングルカットされた。


#1989年03月号 一九八九年一月七日のパンクロック
(第44回)

ゴッド・セイブ・ザ・クイーン[GOD SAVE THE QUEEN]/セックス・ピストルズ[SEX PISTOLS]
1977年にリリースされたパンクの祖"セックス・ピストルズ"のセカンドシングルのタイトル曲。辛辣かつ軽妙に王室を批判している。1977年11月に発売された彼らの唯一のオリジナルアルバムであり,パンクロックの金字塔アルバム「勝手にしやがれ[NEVER MIND THE BOLLOCKS]」にも収録されている。
一九八九年一月七日
この日の午前6時33分,十二指腸部腺癌のため,天皇が崩御。自粛ムードが広がる。


#1989年07月号 私達は真夜中のミス・ドーで
(第47回)

すてきな夜空/ジュン・スカイ・ウォーカーズ[JUN SKY WALKER(S)]
ジュン・スカイ・ウォーカーズは原宿歩行者天国での地道なライヴ活動から注目され,1988年5月にアルバム『全部このままで』でメジャーデビューしたビート・ロックバンド。「すてきな夜空」は1988年10月に発表された彼らの1枚目のシングル。


#1989年10月号 僕が夏休みに体験したこと
(第50回)

助けて!フラワーマン/ボ・ガンボス[BO GUMBOS]
ローザ・ルクセンブルグより発展的に成立したボ・ガンボスが1989年に発表したファースト・アルバム「BO & GUMBO」の1曲目に収録されたナンバー。


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