テシオにみる〈危機管理〉的な馬産


外部種牡馬とウェーブ理論

 ダンテ Dante の父ネアルコ Nearco をはじめ、ドナテロ Donatello、トゥールーズロートレック Toulouse Lautrecリボー Ribot といった超一流馬を生産したフェデリコ・テシオ Federico Tesio 氏は、祖国イタリアのごく小さな牧場を本拠地とし、そこにはほとんど種牡馬を置かなかったことでも知られています。
 彼は生産馬を自分の服色で走らせて、その内一部の成功した牝馬だけをドルメロの牧場に戻し、その他を売却するのが常でした。

 そのため、テシオは毎年わざわざ繁殖牝馬の約半数をイギリスへ、少数をフランスへ持って行き、残りを本国イタリアの他牧場へ送って、それぞれの種付けを行っていました。こうした形態の生産者を、一般に〈アウトサイド・ブリーダー Outside Breeder〉と呼びます。

 しかし少し考えてみれば、これは不思議なことです。普通の零細牧場ならともかく、上に挙げたように多くの超一流馬を生産した本人が、それらの種牡馬を自身の牧場に繋養しなかったわけですから(ただし、Ribot の活躍はテシオの死後)。

 この点に、テシオの偉大な成功への鍵が隠されている、とは、A.ヒューイットをはじめ多くの血統史家が指摘する所です。
 イギリスにもアメリカにも、父から子へというつながりで、ダービー馬が3代を越えて続いた記録はない※1。また、どちらの国にも、母から娘へという関係で、オークス馬が3代を越えて続いた記録はない。サラブレッドで最も偉大な存在は、牡馬にせよ牝馬にせよ、このパターンから外れている。遺伝的優性が固定され、その遺伝が確実になったに違いないと思われたまさにそのとき、それは姿を消してしまう。
※1 [注 by鞘次郎] この事実はテシオ自身も著書で言及しています。3代ならイギリスでもかつてのドンカスター Doncaster → ベンドア Bend Or → オーモンド Ormonde や、最近ではミルリーフ Mill Reef → シャーリーハイツ Shirley Heights →スリップアンカー Slip Anchor などの例がありますが、4代目までは続かないんですね。
 ただ3代までと言っても、種牡馬の活力に依存しない生産を行う(魔春さん曰く「先進国」の)ドイツは大したもので、ヘロルド Herold → アルヒミスト Alchimist → ビルカーハン Birkhahn の3代連続ダービー馬から、さらにリテラート Literat(まったくアンラッキーな敗戦)を挟んで再びズルムー Surumu → アカテナンゴ Acatenango → ランド Lando と3代続けてダービー馬が出ています。
 一方これらには及ばずとも、メジロの3代天皇賞制覇もまた、示唆と意義にあふれるものと言えましょう。
 …(中略)…
 歴史的に見ると、高平(プラトー※2)的な牧場は偶然とみなすにはあまりに一様に失墜している。アスター、ファルマス、ウッドワードのほかにも、フランスのブサック、1960年以降のカルメット・ファームの名を付け加えることができる。
 「高平的」生産者とは対照的に、ホール・ウォーカー、17代ダービー伯、フェデリコ・テシオといった「改良(ウェーヴ)的」生産者、もしくは弾力(モメンタム)的な生産者というものがある。彼らが大きな成功を収めたのは、クラシック級の成績と血統を持った牝馬を、クラシック級の成績と血統を持つ種牡馬と配合することに、基礎を置いたためではなかった。高平的生産者の牧場は失墜しても、彼らの牧場は波動(ウェーヴ)パターンそのままに、失墜することはなかった(『名馬の生産』pp.434-435)
※2 プラトー Plateau は「高原状態」とも訳され、高い水準が恒常的に続くことを言う経済学用語。ここに挙げられている例は、いずれも「最高の馬は最高の馬から生まれる」という信念に基づいて配合を行った生産者たちです。現代日本の社台グループがこれに含まれるか否かは議論に価するでしょう。
 ただしウェーヴ理論の方も、現代科学では積極的に支持する根拠に乏しいのは確か。いわゆる中島理論はそのエッセンスを拡大し、ある程度の有効性を示しているようですが…。
 参照が長くなりましたが、これらを踏まえつつテシオ生産馬の血統表を眺めた結果、私は「テシオは、おおむね牝系とクロスに着目した配合論を持っていたが、その眼目は何よりも失敗のリスクを抑えながら、可能な限りの成功を目指す点にあったのではないか」という推論を立てました。


リスク管理の英知

 そもそも、馬産は明らかに投機的な色の濃い事業です。そこでは夢のような成功がある反面、1つの失敗が多くの不都合を招き、悲惨な状況に追い込まれるという事態も充分にありえます。
 よって、そこでプラトーな成功を維持することは奇跡に近く、生産と補給とを回転し続けて行くためには、幾重もの危機管理が必要となります。それこそ、自分なりの方法論を堅持しながら、常に自らの症状と世界の変動に目を光らせ、危機に対して適切な処置を取り得たものだけが、この世界で生き残って行ける、と言っても過言ではないでしょう。
 18世紀の大歴史家にして『ローマ帝国衰亡史』の著者、エドワード・ギボン Edward Gibbon は、自らの研究対象についてこう書いています。
「ローマの衰退は、並はずれて偉大な文明のたどり着く先として、ごく自然で不可避な結果であった。(中略)……ゆえに、人工によるこの大建造物をささえていた各部分が、時代か状況かによってゆらぎはじめるや、見事な大建築は、自らの重量によって崩壊したのである。ローマの滅亡は、それゆえに、単純な要因によってであり、不可避であったのだ。だから、なぜ滅亡したのかと問うよりも、なぜあれほどにも長期にわたって存続できたのかについて問うべきなのである。(塩野七生訳、太字部引用者)」
 こうした視点からフェデリコ・テシオの配合論をみたとき、そこには実に多くの示唆が表れているように、私には思えるのです。試しに彼の手法のうち、配合に関するものをいくつか挙げてみましょう。

牧場に自家種牡馬を置かない
  → 恩寵を独占できない代わりに、配合において可能な限り幅広い選択を可能にする
  → さらに柔軟な方向性として、自家製の牝系にも必要以上にこだわらない
人気種牡馬・系統にこだわらない(マーケット生産者ではないために可能)
  → 血統の人気は所詮虚像、とりわけ安易に沸騰しがちなそれに惑わされない
  → 逆に不人気種牡馬は種付け料も安く、相馬と配合次第では大物が十分期待できる
スプリンター種牡馬ばかり用いない(当時は急激なスピード化が進行中)
  → スピードの導入も絶対に必要だが、基本はスタミナ。どちらかに偏るのを避ける
2歳時に活躍し始めた種牡馬・繁殖牝馬を用いる
  → 少頭数で運営される軍団に、資金の回転をスムーズにする早熟性は欠かせない
生産馬に前面での極端な近交はつくらない
  → 近交ゆえの体質不全、繁殖能力不全のリスクを最初の段階から回避する
代わりに後方に多数少種のラインブリードを配置する
  → 近交のリスクは過去の生産者に負わせる。その分意図はシンプルに表現せねばならない
ただし近交種牡馬を使う分には構わない
  → 馬体に異常がなく繁殖能力もあれば、その種牡馬自体に問題はない
全きょうだいはつくらない
  → 最終段階に至ってなお成功する確信があっても、一つの配合にはこだわらない

 このように、彼の手法はほとんどすべて、予測不能の失敗から受けるダメージを最小限にとどめる機能が備わっており、それゆえにこそ、わずかな頭数の生産馬からコンスタントに一流馬を出し続けることができたのだと考えられます(その成功率は実に一般の20倍とも言われます)。
 小さな牧場にとっては1つの失敗が致命的なものになりうるわけで、これらは初期のテシオにとって必須の手法であったのでしょう。が、裏を返せば、こうした危機管理的な方法論さえ整備されていれば、血の入れ替えなどの点で小回りの利く小さな牧場の方が有利であるとも、また言えるのです。

 そう考えると、テシオの採ったスタンスは、「大量生産/大量消費」という近代的な方法論を越えて、すぐれて超現代的な英知を宿しているようにも思えてきます。
 仮にその戦略を、フィールドの隅々までプレスを用いる大胆かつ柔軟なサッカーであるとするなら、ドイツやかつての東欧に根付き、日本でも吉田牧場(テンポイントやフジヤマケンザンを輩出)などが実践する〈系統繁殖〉的手法は、牝系を全ての基礎に置く点で、ゾーンプレスで守備を固めながらロングパスで攻略する「堅い」スタイルにもたとえることができるでしょう。
 いずれにしても、それらと、ただ目先のボール(すなわち流行の血統)を追い、疲れたプレイヤーを次々交替させていくだけのプレイとを比較した時、前者が必ず勝つとは言い切れないとしても、前者の方が圧倒的に安定し、リスクやコストの小さい戦い方だということは間違いないと思われます。

1999/11/09 ― ( Revised on 2000/01/08,04/02,12/26 )


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