香樹院語録からの抜粋

 

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目次

はじめに. 1

1−99. 1

101−150. 3

150−200. 4

201−250. 5

251−300. 6

「三河の七三郎」. 8

 

はじめに

香樹院は香樹院徳龍という江戸時代の方です17721858。詳しい背景はネットによるサーチではあいにく分かりませんでした。それでも語録を読みますと、禅味ある表現,凡夫の浅ましい心理をえぐった洞察、すべてを覆い包む阿弥陀の慈悲、広く大衆に届く方便、絶対他力のうけとりかた、他力の起こった背景などが、心に染み入ります。私なりにわかりやすいところ、あるいは要点とおもわれたところのみ、選んでここにまとめました。したがって、私の業のフィルターがかかっているともおもいますので、その辺をご注意されてご参考にしていただければ、幸いです。

 

ちなみに、冗長と思えたところは省いてあります原文は:http://www1.plala.or.jp/kobokudo/hondana/hou/kou_mokuji.html からでここにのせたものの、約4−5倍の長さとおもいます。目次の番号はこのサイトの番号に対応してます。

1−99

ある人、「私はいかほど聴聞いたしましても、どうも、つかまえ所がござりませぬ」と申し上げたれば、仰せに。
「そうであろう。おれは、つかまえられぬように、いうてをるのぢゃ。」

 

信を得たればとて、聞いている時と聞かぬ時とは違うほどに。その聞いた時の有り難さを思い出して、喜ぶのに少しも変わりのないのが信を得たのぢゃ。

 

根は丈夫小枝のうごく柳かな

 

「得た得たと思うは得ぬのなり。得ぬ得ぬと思うはなお得ぬのなり。そんなことではない」と仰せられたり。

 

みな人は、信を取らんと思い、また、たのみ心にならんと思えり。それはあんまり、欲が深すぎるというものなり。取るとばかりに骨折って、自力を捨てることに骨を折ることを知らぬのなり。碁を打つにも捨て石が大事なり。信を得るにも、雑行を捨てることが大事なり。

 

江州草津の木屋にて、女按摩、香樹院師を按摩しながら、念佛したるに、「汝よく念佛せり」との仰せなりしかば、按摩恥入りて、
「嘘の念佛ばかり申しております」と答う。
師の仰せに、
「おれも、嘘の念佛ばかりしておる。こちらは嘘でも、弥陀のまことでお助けぢゃぞや」と。
女倒れて悲喜の涙にむせびぬ。


「闇の世に目をあいて見ても、何も見えぬ。こちらの目から明かりは出ぬ」

 

皆がはからいと云うは、煩悩を苦にしたり案じたり、くよくよと煩うていることとばかり思えども、そうではない。よくよく御慈悲も聞えず喜ばれもせず、御教化と不都合な胸とで、これでも御助けと料簡つけているのが、やはり計らいぢゃ。


「あるときは往生一定と思い、あるときは往生不定と思う。この二つを捨てて、ただ弥陀をたのむのぢゃ。」

 

我が称える念佛というものいづこにありや。


水を両手に、そっくりと汲み上げて見れば、たちまち天上の月が手の中へ影をうつし、待て暫しなしに、宿り給う。今も我々がこの胸の中へ、御慈悲の影を宿してくださるるは、ただ御慈悲に、素直に向かうばかり。

 

病があれば、何を食うても味がない。病がなくなれば、食うものにみな味がある。無明業障の病を和らげてもろうたれば、甘露の味のある御法なり。

 

江州醒ケ井みそすり屋にて。
師曰く。「婆々、そのままの御助けぢゃぞや。」
婆々曰く。「ありがとうござります。いよいよこのままの御助けでござりますか。」
師曰く。「いやそうでない。そのままの御助けぢゃ。仰せを持ち替えるなよ。」

 

ある時の仰せに。
聞き分け知り分けたくらいで、極楽参りができるのなら、坊主はみな御淨土に参られる。聞き分け知り分けたくらいで、淨土へ参ろうと思うは、ひがごとぢゃ。如來さまの仰せばかりが、真実ぢゃぞよ。


谷川の流れには万峰の影落ちて、その潭水(ふちみづ)を汲もうとすれば、山の影がみな動いて見ゆるゆえ、山が動くのかと思えば、そのじつ山の動くではのうて、水の動くのぢゃ。また帆を揚げて漕ぎ行く船に乗れば、岸が移るようなれども、岸の移るではない、舟の動くのぢゃ。いま我々が、妄念悪業の水の動くときは、これでは如來の御助け如何あるらんと、疑いの心を起すものもあろうが、摂取不捨の御約束の山は動きはせぬ。また南無阿弥陀佛の帆を揚げて、御慈悲を喜ぶのは、我が心の岸の移るようなれども、大悲佛智の御本願の働きぢゃ。ぢゃから、生涯念ずれども、自の行を行ずるのではない。

 

美濃田代町のおせき、水手桶さげて、御庭前へ参りたるとき、師にわかに、
「おせき、極楽参りはどうぢゃ。」
と仰せらる。おせきは、
「はい、これなりでござります。」
 ((本願とひとつになっている))
と、直ちに申し上げたれば、仰せに。
「おせきはよく聴聞したなあ。」

 

ある人の尋ねに。「娑婆のいろいろの事が心につまっていますので、とんと御化導が通りませぬ。」
仰せに。「その胸は自分で拂うことはならぬ。如來樣が拂うて御聞かせくださるるほどに。」

 

101−150

ある人申し上ぐるよう。
「心にしっかりと落ち着きとうござります」と。
仰せに。
「それは自力のこころ。それ捨ててよく骨折って聞け。」
「さようなれば、こころを捨てて、仰せに順いまするでござりますか。」
仰せに。
「そうぢゃ。そうぢゃがそれは、我が力では順われぬ。」

どちらが本当やらというような詮索沙汰をやめにして、誰がどう云うとも、心が何と思うとも、阿弥陀樣の助くる助くるの御呼び声を、頂いた身ぢゃものをと思えば、こんな確かな事はないではないか。

佛の心を知る者は、佛の心を賜るなり。故に大悲の御心を聞かねばならぬ。

真実の親に、抱き上げられたようになったが、摂取せられた味わいぢゃ。
手足がのび一人前になると、はや親もいらぬもののように思うのが大間違い。

われ浅ましと信ずる心と、弥陀如來なればこそと信ずる心との二種の深信は、他力より与え給うものなれば、是を他力の信と云う。この他力の信は、弥陀の本願を聞き開く時にいただくなり。是を釈迦如來は、「その名号を聞きて、信心歡喜せよ」と教え給う。淨土真宗の信心と云うは、是より外になしと心得べきなり。

150−200

家内が和合をするには、先づ我が心が我が心と和合せねばならぬ。

他人を鬼ぢゃ鬼ぢゃと思うは人が鬼にあらず、人を鬼にするは、我が方より鬼とするなり。

たのむと云うは、不思議の佛智を信ずることゆえに、かかるものを御たすけぞと深く信ずることぢゃ。

いま命の危うさを御聞かせに預かってみれば、まことに一日々々が大事の命ぢゃ。

聴聞したお謂れの覚えられたか覚えられぬかを、吟味するには及ばず。

他力と云うは、蓮如上人は無我になることぢゃと仰せらる。よくよく我慢が強ければこそ、まことに我が身の浅ましさが思われぬなり。

煩悩に眼さえられては、如來の光明も拝まれぬ。盲の子は、親の家、親の側にいながらも、親を見ることができぬ。親の顔は見ることができねども、親は常に付き纏うている。

人ごとに我は智惠ありと心得たるが、実の智惠のなき証拠なり。人には邪見のみにて真実の智惠あることなし。

妄想顛倒の雲は臨終まで晴れねども、御廻向の信心に不断光の光がましますゆえ、心不断にて往生なるなり。

問。疑わぬのか疑えぬのか。たのんだのかたのましてもろうたのか。聞えたのか聞えさせていただいたのか。助かるのか助けられるのか。落ち着いたのか落ち着かせてもろうたのか。得たのか得られたのか。墮ちぬのか墮ちられぬのか。一々心持ちはどうぢゃ。
答。疑わぬのではござりませぬ。疑えぬのでござります。たのんだのでなく、たのましてもろうたのでござります。落ち着いたのでなく、落ち着かせてもらいましたのでござります。得たのでなく、得られたのでござります。参る器量はござりませぬとも、参らせてもらいますのなれば、露いささか、こちらの世話は入らぬことと知らせてもらいました。

問。世話がなければ無造作と云うのか。
答。さようでござります。

 問。それで往生は確かか。
答。大船に乗せられた如く、親に抱かれた如く、ただ大悲の御手柄をたよりばかりに、折々いさましてもらいます。

後生は知らぬ。知らぬがよいのぢゃ。とやかく思うは凡夫の心。如來さまは疑うなよ疑うなよと仰せらるるほどに。

京都西六条の人明信寺寶洲、若年の頃師に謁し、
「私は後生に大事がかかりませぬ」と申し上ぐ。
師はただ、
「おれはおれの後生がある。その方はその方で心配したがよい。一人々々の後生ぢゃ。他人のことは、おれの知ることでない。」と、一言の下に斥けられけり。
明信寺それより、いよいよ来世のことは己が一大事なりということに打ち驚き師に随うて遂に信を獲られき。

「如來さまから一大事になる心をお与えくださると、我が心が一大事になる。その心でなけねば、仕おおせずばおくまいの心は起こらぬ。仕おおせずばおくまいの心が起これば、仕遂げぬさきに死んでも無駄ごとにはならぬ。」

我が身のためにする法は一句も聞くことがならぬ。すべて法を聞くということは、謙下の心を以て聞かねばならぬ。

201−250

阿弥陀如來は慈悲を以て光明としたまう。極樂淨土の七寶莊嚴も光明のはたらきなり。故に土を無量光明土という。これも如來の慈悲よりあらわれたゆえ光明の世界なり。善知識とならせらるるも光明なり。

この煩悩のなりで喜べよとの大悲を仰ぎ、先づ我が身が佛法三昧になるべし。
また名利は如來よりよいように、飢えも餓えもせぬようにし給うべし。

少し身の嗜みが出来れば、はや善人になりたような驕慢の起るは、まだ己が胸の明らかならぬなり。

言葉を便りにするな。言葉さえ云いならぶれば、信心を得たものとするのではないか。言葉は他力でも、心が自力の執心ぢゃほどに。

他力とまでは聞くけれども、信ずる信が他力とは思わぬ。己が心をもり立てて、とかくの計らいがやまぬ。

あるとき師の御法話終りし後、両三名の同行、師の御前に出で、品々進上して有り難い有り難いと、各々領解を述ぶ。師はこれを黙して聞き給いしが、みな々々退散の後傍らの人を顧み給いて、「今の人らはおれに聞かせに来たのか、何しに参ったのぢゃ。」

三度の食事を思いのままに食うて、未来は佛になろうという大胆者なり。

たのむ一念は如來の御成就。一念以後の相続も己が力と思うなよ。そのたのむ一念が、未来ばかりのことかと思えば、現世の中から御恩のほども思い知られ、そうして見れば、親の恩も、公儀の恩も、善知識の大恩も、右を向いても左を向いても、御恩ばかりと実に喜ぶ心となる。

251−300

その御廻向の信心と云うは、我等が虚仮不実で、佛になられる道理はない。この子にやろう、着せようの思いと同じ道理で、銘々一人々々の願行を、彼方の御身に引き受けて勤めて下されたが、即ち大悲の御修行。その願行御成就なされた御相が、南無とたのむばかりで、阿弥陀佛が必ず助くるぞと、御満足の六字の名号ぢゃ。

疑うがもっともなり。心の底から大事がかかれば疑うはずなり。それをいかに案じても、凡夫の力では晴れられぬ故に、よく聞けよく聞けと宣うなり。よく聞けとは、六字の謂れをよく聞けと宣うなり。

法藏比丘が、われら虚仮不実の心を見抜き、千劫万劫、無量劫尽未来際かかりても、悪人女人の実の心を起して、佛になるなどは出来ぬことぞと、ながめたまいて、そこで、この我々の実心がなければ、佛の證は開かれぬ、淨土の往生遂ぐるということはならぬ。我々には実の心は起されぬ。そこで助けようとすれば助からず、捨てようとなさるれば、すでに諸佛にも見捨てられて、永く成佛の期のない銘々なれば、三界六道の迷い、地獄は決定まぬがるる事はならぬ。
かような我等が三塗の苦を眺め給いて、この三悪道の苦を抜いてやりたいと思し召して、法藏比丘の御苦労はなるべきことの思案にあらず。ならぬことをどうしようどうしようと思案し給うが、五劫が間の御工夫。所詮悪人女人がわが心の中からして、実の心は起されまいによりて、身代りに弥陀が願行を勤め、即ち実の心を成就して、その成就した南無阿弥陀佛を与えて佛にしようと願い給いた、ここが法藏比丘の願心なり。
それ故、銘々決定し奉る信心というは、凡夫がたのむの、すがるのと、かりそめな心が信心とは思うべからず。かねて助けると、御成就の久遠劫来の如來の御実が、聞其名號信心歡喜と、六字の謂れが聞き開かれた一念に与え給う実の心が、信心なりと宣う。そこで『御文』の中に、「信心といえる二字をばまことの心とよめるなり。まことの心というは、行者のわろき自力の心にては助からず。如來の他力のよき御心にて助かるがゆえに、まことの心なり。」と仰せらるるが、常々の他力の信心というがこのことなり。

驕慢と云うは、少しばかりわかると、これでこちらはよいと、呑み込みあきらめるが驕慢なり。われ心得顔は驕慢なり。

この身体は、信心の宝を納める箱ぢゃほどに、この身を大切にして、念佛の行者に不似合いなことをせぬようにと戒められて、『御文』には王法仁義をよく守れと仰せられてある。

われら凡夫が、あまり御慈悲に甘えて、放逸に暮すと、悪人凡夫を助けるとある本願が甘すぎるから、あのような悪い事をすると、われらの悪いのが、親樣や祖師善知識の悪いようになるから、あくまでも、身の行いを慎んでゆかねばならぬ。これが掟を守るということぢゃ。

酒を注ぐには、酢を入れた器なればよく洗うて使わねば、実の味の酒は受けられぬ。善知識の、実の御化導を知らぬではなけれども、己が我慢や、驕慢や、放逸や、懈怠やらの、己が自性の酢の中へ、善知識の御化導をわが胸の計らいで聞く故に、実の法の味は知れぬ。

渇いてどうしようどうしようというところへ呑む水は、その味のうまさ、飲んでも飲んでも厭かぬ。水に変わりはなけれども、渇して飲むと渇せずして飲むとは大違いなり。

南無の二字は助け給えと思う心なり。我が思案工夫の出来ぬことは、助けてくれと云うほかなし。

弥陀という正覚を取ったのは、悪人女人を助けるためばかりである。助かる手立てがあるなれば、五劫永劫の思惟修行はせぬ。

助けるとある仰せに、凡夫の計らいはいらぬ、助け給えとすがるばかり。子は逃げんとしても、親はこれを追うて助けるなり。御慈悲の親樣が、我々を助け給うがこの通りなり。

御化導の水を注ぎかけらるれば、我慢や邪見の火が消えぬではなけれども、元の自性が強い故に、とっくり根底まで改まらぬと、いつの間にやら元の我慢を募るようになり、未来の大事を忘れてしまう。

念仏を怠るまいと用心するより、御恩を忘れぬように心掛けたがよい。

迷いの凡夫が證りの道知らぬは当り前ぢゃもの。どんなこと聞いても恥ではない。何でもかまわず聞くがよい。

「必ず先づ己れを正しくして、而して後人を正せ」

如來の心で如來へすがる故、機法一体なり。

聞きうることぞ大事なり。聞き得た上の楽しみは、拙き言葉でありながら胸のありだけ語り合い、御慈悲よろこぶたのしさは、覚えた人は味知らず。忘れとうても忘れられぬは如來をたのむ心なり。

得やすくして得難きは他力の大信、守り難くして守りやすきは信の上のつとめなり。

「三河の七三郎」

(これはネットで香樹院のサーチをしていたときにみつけたものです。)

 

   江戸時代後期に、三河(名古屋地方)に七三郎という厚信のお同行さんがいました。妙好人として多くの聞法者から敬われていた方です。日頃、香樹院徳龍師に親しくご教示を受けていました。

 その七三郎に次のような逸話が残っています。

 

 七三郎がいた当時のことです。後生が苦になって熱心に真宗の教を聞くようになった一人のお同行さんがいました。死んでから先自分はどこえ行くのか、死んだら地獄に堕ちるのではなかろうかという心配から、聞法を始めたようです。

 

 〈後生の一大事〉という言葉ですが、これは死後の自分の生まれ先の問題ということが直接的な意味でしょうが、要するに「大切な自分自身はいったいついにはどうなるのか」「自分自身はいったいどこへゆくのか「自分の永遠のゆくすえはどうなるのか」という、我が身の未来永遠を問題する大事のことです。

 

 このお同行は後生が苦になって真剣に聞法にこころざし、遠近各地の名師や妙好人を訪ねて聞法していたようです。ある時、七三郎に教えを請うため訪ねていったところ、七三郎はただナムアミダブツ、ナムアミダブツとお念仏ばかりを称えていました。そこでこのお同行も一緒にお念仏を称え続けていました。そうするとそのお同行、こくりこくりと居眠りをはじめました。そばにいた人がこのお同行の居眠りをしている姿を見て「後生が苦になり一大事のおもいで遠方からここまで訪ねてきておりながら、居眠りをするとは」と、その聞法姿勢にたいして批判めいたことを七三郎に語りました。すると七三郎、居眠りをしているお同行を批判するようなことは少しも申されませんでした。ただ「私も昔はそうであった」と話されたのでした。

 

 さあ七三郎のこの一言が何かの縁で師の香樹院師の耳に入りました。この七三郎さんの「私も昔はそうであった」という言葉を聞かれた香樹院師が、かたわらの人に「七三郎はまだそんなところにいるのか」と仰せられました。

 この香樹院師の言葉がまた伝えられて七三郎の耳に入りました。七三郎は非常に驚き、「七三郎はまだそんなところにいるのか」と師が言われたのはよほど深いわけがあると思い、早速三河から京都におられた師を訪ねました。ところがあいにく師は加賀の国へ出張しておられました。それを聞くや七三郎、すぐその足で加賀まで香樹院師を訪ねて行きました。

 

 不審が起これば、苦労をいとわずどこまでもお聞かせていただきたいという七三郎の燃えるような聞法の志に心を打たれます。まことに純粋な宗教心は人間の内奧からわき起こるもっとも深くて強い欲求です。財産をつぶしてもこのこと一つを聞き開かずにはおかないという心であり、腕を失い目を失ってもこのことを聞き開かずにはおかない心であり、野宿しても、世界の果てまでも真実を求めて行こうという心であります。釈尊が王子の身分でありながら城を離れ、財産や権力を捨て、家族からも離れて真実を求めた宗教心は、釈尊だけにある心ではなくて、どんな人の心の中にもその一番深いところにあるのです。七三郎さんの聞法の姿勢にこの宗教心の発動を感じます。

 

 さて、加賀についた七三郎、さっそく香樹院師を宿に訪ねて「七三郎はまだそんなところにいるか、との仰せはどのような思し召しでございましょうか」と申し上げたところ、師は姿勢を正し厳かな声で「七三郎、今はどうじゃ、今はどうじゃ」と仰せられました。これを聞いた七三郎、初めてその思し召しに気がつき、冷や汗を流しておそれ入るばかりでした。そして「後生の大事の気持ちのかからないのは昔のことと思いましたが、今もやはり後生知らずの邪見な者はこの七三郎でございます」と心の底からあやまりはてました。そして「香樹院樣なればこそ、ようこそ私の誤りをお知らせくださりました」と感謝して三河に帰られたとのことです。

 

 この香樹院師の「今はどうじゃ」の一言は実に厳しい言葉ですが、この言葉によって七三郎は自分が知らず知らず高上がりをしていた我慢?慢の自分を知らされたのです。貪欲や瞋恚に比べ、?慢や高上がりの煩悩は自覚されにくいものです。

 聞法をしていくと、いつの間にか自分は人の知らぬことを知っており、人のせぬ殊勝なことをしており、人よりも何か値打ちがついたように知らず知らず思ってしまいます。また、長年聞法すると、以前の自分より「仏法者になった」「信心深くなった」「心が純粋になった」「道理が分かるようになった」というおごりたかぶりが生まれます。これが聞法者が一生心しておかねばならない、またいくたびも省みていかねばならぬものであります。

 先人が、「仏法を聞いているといつの間にか仏法が鉄砲になってしまう」と自己批判されました。仏法はどこまでも自己否定の道です。ところが聞法に励んでいくと、いつの間にか学んだ仏法でもって他者の批判をする道具にしてしまうのです。自分を打つ仏法が逆に人を打つ鉄砲になってしまうのです。よくよく気をつけたいことです。

 

 これについてですが、とかく「自覚が大事である、自覚せよ」と迫る思し召しは、「自分は自覚できた」という信心になりやすく、そうなると他者に対して「汝はまだ自覚が足りぬ。自覚ができていない」と批判することになりかねません。大谷派の同朋会運動の中でこういう傾向が現れたことも事実です。「私は自覚ができました」という信心は、「昔の私はまだ自覚ができていなかったが今は自覚者になった」であり、「あなたはまだ自覚が足りぬ、自覚ができておらぬ」と高みより人を批判しかねません。

 どこまでいっても「私は自覚ができました」とはいえない。「どこまでも自覚もできない、あいもかわらぬ無自覚な私です」という、徹頭徹尾、弥陀に助けられるほかなき身であります。私の方はゼロ、南無阿弥陀仏が全てであります。