二 重 橋
(にじゅう ばし)

 全長 : **.* m  全幅 : **.* m  構造 : 鋼製 桁橋?アーチ橋?  完成 : 昭和38年(1963)
 区間 : (皇居内)


『二重橋』 (正式名称は 『皇居正門鉄橋』)

『二重橋』 (普段はこの橋には近づけない)
 
【二重橋】
『二重橋(にじゅう ばし)』 は 「皇居正門」 の奥にある橋で、正式には 『皇居正門鉄橋』 という。
この 『二重橋』 の名称については 、
「皇居前広場から眺めると手前と奥に二つの橋が見えるところから二重橋と呼ばれる」 とか、
「手前のアーチ橋が2連アーチなので二重橋と呼ぶ」 とか聞かされることが多いが、
実はいずれも誤りで、正しくは奥に架けられた 鉄橋 の名称が 『二重橋』 なのである。
ではなぜこの奥の橋を 『二重橋』 と呼ぶのだろうか。

【橋名の由来】
奥の橋は江戸時代には 『西丸下乗橋(にしのまる げじょうばし)』 と呼ばれており、
その名の通り、登城の大名らがこの橋の手前で馬や駕籠から降りる場所であった。
これに対して手前の橋は、当時 『西丸大手橋(にしのまる おおてばし)』 と呼ばれた。
この二つ橋が造られたのは、江戸城に天守閣がそびえていた二代将軍秀忠の時代で、
慶長15年から16年(1610〜1611) にかけて、西丸改修工事が行われた際に建造されたものだ。
その際、奥の 『二重橋』 は深く切り込んだ濠に架けられたため、
石垣の下部を濠の両側からせり出させて、そこにいったん橋桁を渡し、
その橋桁の上に支柱を立てて橋全体を組み上げた、いわゆる二段造りの構造とした。
『二重橋』 の通り名は、実はこの構造と姿から付けられたものである。
江戸時代は木造だったために、橋の強度を増す必要からこの構造となったのだが、
その 木橋 も明治21年(1888年) には 鉄橋 として現在のような橋に架け替えられ、
また同時期に手前の 木橋 も 石橋 へと姿を変えて、
今眺める風景とほぼ同じものとなった。

【電飾燈】
『二重橋』 は明治21年(1888)、皇居造営に伴って 木橋 から新しい 鉄橋 に架け替えられたが、
これはドイツのハイゼによる錬鉄製アーチ橋で、橋長は24.2mであった。
この時 「橋灯」 としては日本で初めて 「電飾燈」 が用いられた。
この鉄製の 「飾電燈」 は、橋の両たもとに各二基の計四基立てられたが、
橋と共にドイツで作られた典型的なネオ・バロック様式の芸術品である。
尚、この 「電飾燈」 には、当時としては最新の金属であるアルミを
その一部に使用していたことが、最新の調査で判明している。

【伏見櫓】
この橋の奥に見える高さ13.4mの優美な 櫓(やぐら)は、
京都の 「伏見城」 の櫓を寛永 5年(1628) に移設したもので、
「伏見櫓(ふしみやぐら)」 の名前で親しまれている。
皇居外苑から、『石橋(めがね橋)』 ・ 『鉄橋(二重橋)』 ・ 『伏見櫓』 と見渡す景観は、
皇居周辺でも屈指の観光スポットとなっている。

【現在の二重橋】
現在の 『二重橋』 は、昭和38年(1963) に架け替えられたものであるが、
旧橋を模したデザインであるため、景観は昔とほとんど変わっていないという。
ただ、普段は皇居の中に入れないため、この 『二重橋』 を間近に見ることはできない。


京都の伏見城から移設された 「伏見櫓」

『二重橋』 と 「伏見櫓」

皇居東御苑に保存される旧橋の電飾燈

明治村に移設された旧橋の電飾燈

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