浅  草  橋
(あさくさ ばし)

 全長 : 35.8 m  全幅 : 33.0 m  構造 : 鋼製 ヒンジアーチ 橋  完成 : 昭和 5年 (1930)
 区間 : 中央区 日本橋 馬喰町 2丁目 <==> 台東区 浅草橋 1丁目  (江戸通り)


『浅草橋』 (鋼製 ヒンジアーチ橋)

遠景 (アーチ形状は比較的緩やか)
 
【浅草橋】
『浅草橋(あさくさ ばし)』 は、中央区日本橋馬喰町 と 台東区浅草橋の間で、
通称 「江戸通り」(R6・水戸街道) が 「神田川」 を渡る橋で、
橋の全長と同じくらいの幅員を持つ幅広の橋梁である。

【浅草橋御門】
江戸時代初期にこの場所に 「神田川」 が流れるようになると、
奥州方面から江戸中心部への入口になるこの場所に、江戸城の見附 「浅草橋御門」 が設置され、
同時に 「見附橋」 としての 『浅草橋』 が架けられた。
橋の創架は 「見附」 が数多く設置された 寛永13年(1636) 頃と伝えられるが、
その正確な年代は不明らしい。

【名 称】
地名としての 「台東区 浅草橋」 は、橋の 『浅草橋』 からきている。
橋の名称を地名に使っているところは多く、橋がその地域の重要なインフラであり目印であると共に、
街の存在を象徴するものでもあったという歴史が伺い知れる。
なお、本来の 「浅草」 からは少し距離のあるこの橋が 『浅草橋』 と呼ばれたのは、
「浅草」 に向う橋であったからとも、
この一帯辺りまでを 「浅草○○町」 と呼んでいたからともいわれているが定かではない。

【郡代屋敷】
橋の南側 (馬喰町2丁目付近) には、
江戸時代に関東一円の天領 (幕府の直轄地) の管理をしていた関東郡代の役宅 (官舎) があった。
関東郡代は天領の税の徴収や治水、領民の紛争処理などを職としていたが、
この一帯の町民達はこの辺りを 「郡代屋敷」 と呼んでいたという。

【現在の浅草橋】
現在の 『浅草橋』 は、大正12年(1923) の関東大震災後の復興事業として、
昭和 5年(1930) に架設された ヒンジアーチ橋 と呼ばれる鋼製の橋。
構造的には アーチ橋 ということだが、アーチの形状(円弧) が比較的緩やかなためか、
桁橋 に近い印象を受けるほどの 極めてシンプルな橋だ。
親柱や欄干などが貧弱であり、車で渡っても、歩いて歩道を渡っても、
橋の存在感や造形的な美しさといったものが全く感じられないのは残念である。

【浅草橋周辺】
この 『浅草橋』 近辺は、江戸の後期頃から問屋街として栄えてきた。
現在でも 「日用雑貨」・「アクセサリー用品」・「文具事務用品」 などの卸問屋が多く、
その中には一般の人に小売りをしてくれる店も多いのが特徴。
また、「秀月」・「久月」・「吉徳」・「米州」 など大手の人形店もこの一帯に出店しており、
ひな人形 や 五月人形 の時期には賑わいを見せている。


古びたままの小さ目の親柱

単純な鋼製の欄干にも錆が出ている

アスファルト舗装の広い歩道

どこにでもあるシンプルな橋灯

「浅草見附跡」 の石碑 (門跡などはない)

南詰の広場には 「郡代屋敷跡」 の解説板

橋上より上流方向 (左衛門橋) を望む

こちらは下流方向 (柳橋) の眺め

人形の老舗 「秀月」 ・ 「久月」

我家のひな人形は 「顔が命の 吉徳」

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