相 生 橋
(あいおい ばし)

 全長 : 149.1 m  全幅 : 36.8 m  構造 : 3スパン 鋼製 プラットトラス 橋  開通 : 平成10年 (1998)
 架 設 区 間  中央区 佃 2丁目 <==> 江東区 越中島 2丁目  (清澄通り)


『相生橋』 (隅田川では珍しいトラス橋)

橋の存在感はトラスならでは
 
【相生橋】
『相生橋(あいおい ばし)』 は、中央区佃 と 江東区越中島 の間で、
「清澄通り」 が隅田川の支流である 「晴海運河」 を渡る橋で、
正確には 「隅田川に架かる橋」 ではない。
この橋の創架は明治36年(1903)、
「月島地区」 の埋立完成に伴なう上水道整備を兼ねて架橋されたという。
『相生橋』 の名称は、上流側の 『永代橋』 に相対する橋として命名されたらしい。
「佃島」、「石川島」、「月島」 地区にとっては初めての橋であり、
地元住民も待ちに待った橋であったと想像できる。

【相生橋と相生小橋】
創架当時は左岸(越中島側) に 「中之島」 という中州があり、
『相生橋』 はこの 「中之島」 で二分されていた。
正確には、「佃島」 と 「中之島」 との間を 『相生橋』、
「中之島」 と 「越中島」 との間を 『相生小橋』 と呼んだらしい。
当時はいずれも 木橋 であった。
現在は 『相生小橋』 の部分は埋立てられ、「旧・中之島」 は公園となっている。

【旧・相生橋】
大正 8年(1919) に架け替えられた 『相生橋』 は、鉄材と木材を合わせたトラス橋で、
『小橋』 のほうは 木橋 であったというが、
いずれも 4年後 (大正12年) の関東大震災で焼失してしまった。
その後の旧橋は、大正15年(1926) に震災復興事業として再架されたもので、
震災復興橋梁の中では最初に完成した橋であったという。
唯一の旧橋焼失で、佃島・月島方面は3年余りの間 「渡し船」 に頼っていたため、
『相生橋』 の架橋を最優先させたのであろう。

【現在の相生橋】
現在の 『相生橋』 は、旧橋の復興橋梁が老朽化したため、昭和63年(1988) に架け替えに着手し、
平成10年(1998) 12月に上下各2車線が開通した。
工事の手順は、仮橋を架設後に旧橋を撤去して新橋を架けるものであったが、
幹線道路である 「清澄通り」 の交通を確保しながらの工事であったこともあり、長期間を要した。
現在のように、往復7車線全てが開通したのは平成11年(1999) 8月である。

現橋の形式は3スパンの鋼製トラス橋で、「隅田川に架かる橋」 の中では 珍しいトラス構造となっている。
「鋼製桁橋」 という味気ない構造が多かった 「昭和の橋」 から、
地域環境や景観を意識して架設される 「平成の橋」 への転換期における代表的な橋となった。

 

【月島地区】
橋の南西側(佃側) は、江戸時代から 「佃島」 と 「石川島」 の2つの中洲があった。
「隅田川」 を往来する船舶の航行を確保するため、上流から流れて来る土砂を浚渫(しゅんせつ)して、
その土砂を両島の南側の埋立てに使ったのが 「月島」 埋立ての始まりで、
明治20年(1887) のことであったという。
その後、明治30年(1897) 頃には 「月島」 の埋立ては完了するが、
現在の 「晴海」 地区までの埋立てが終わったのは、昭和 5年(1931) のことであった。

【もんじゃ焼】
「月島」 といえば 「もんじゃ焼」 といわれるほど有名になった 「もんじゃ」 は、
下町の食文化として明治の頃からこの地で発展し、
現在では60店とも70店ともいわれる 「もんじゃ焼」 の店舗が集中する
一大もんじゃストリートとなっている。


越中島側には旧橋を復元した大きな親柱

佃側の親柱はかなり小さめ

鋼製の欄干だがデザインに気を配っている

綺麗にカラータイル舗装された広めの歩道

旧橋のデザインを復元した橋灯 (歩道用)

トラスの骨格と車道側の橋灯

越中島側からのアプローチ

トラスの内側から・・・

整備された中之島公園

橋詰の東京商船大に展示される 「明治丸」

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