蔵 前 橋
(くらまえ ばし)

 全長 : 173.2 m  全幅 : 22.3 m  構造 : 3スパン 鋼製 ヒンジアーチ橋  完成 : 昭和 2年 (1927)
 架 設 区 間  台東区 蔵前 1丁目  <==> 墨田区 横網 2丁目  (蔵前橋通り)


『蔵前橋』 (色鮮やかな黄色い橋体)

橋の遠景 (撮影ポイント真上に蔵前専用橋が)
 
【蔵前橋】
『蔵前橋(くらまえ ばし)』 は、台東区蔵前 と 墨田区横網 との間で
「蔵前橋通り」 が 「隅田川」 を渡る橋である。
橋の創架は昭和 2年(1927)、関東大震災の復興計画によるもので、
「蔵前橋通り」 の整備に伴なって新たに架設された。
それまではこの辺りに 「富士見の渡し」 があったが、橋の架設と共に廃止されている。

【橋名の由来】
『蔵前橋』 の橋名は、右岸側の地名 「蔵前」 から付けられている。
江戸時代の初期、二代将軍 秀忠 の時代にこの一帯の大川端(隅田川の川岸) を埋立てて、
3万坪にも及ぶ広大な敷地に幕府の米蔵94棟を建てたという。
これが 「浅草御米蔵」 と呼ばれるもので、「蔵前」 の地名の由来でもある。

【浅草御米蔵】
この 「浅草御米蔵」 には、天領(幕府の直轄地) から入る年貢米を収蔵しており、
旗本や御家人と呼ばれる領地を持たない武士達に、「禄(ろく)」 として蔵米を支給していた。
この旗本や御家人達が受け取った禄(米) は、
自分達の食用分を除いて、そのほとんどが売りさばかれて現金化された。
そこで、蔵前一帯には米商人が集まるようになり、
後に 「札差(ふださし)」 と呼ばれる金融ブローカーが誕生することになる。

【首尾の松】
隅田川右岸の蔵前側橋詰には、「浅草御米蔵跡」 の石碑とともに、
「首尾の松」 と彫られた石碑と松が植えられている。
この 「首尾の松」 とは、江戸時代の初期、隅田川が氾濫した際に
三代将軍 家光 の側近で、後の老中 阿部忠秋 がこの松の場所から対岸までを
馬で乗り切ったという古事にちなんでいる。
また一説には、吉原通いの通人(つうじん=遊び人) たちが
その日の首尾を語ったところから付けられた名称ともいわれている。
現在の松は昭和37年(1962) 11月に植樹されたもの。

【蔵前橋の現況】
さて、本題の 『蔵前橋』 であるが、
震災復興事業の一環で新設された鋼製の 「ヒンジアーチ橋」 と呼ばれる構造で、
水面すれすれから延びる鮮やかな黄色いアーチが印象的な、
3連独立の上路式アーチ橋である。
橋体の黄色は、米蔵にちなんで黄金の稲穂の色をイメージしたという。
シンプルではあるが、とても好感の持てる橋だと思う。

【蔵前専用橋】
この橋のすぐ下流側には、水道管や電話回線を渡すための 「蔵前専用橋」 が架かっている。
インフラとしてはとても重要な専用橋なのだが、
これが 『蔵前橋』 の下流側からの景観を著しく阻害している。
写真を撮っていて感じたのだが、南北に流れる 「隅田川」 の橋の撮影は、
太陽光の関係で南側(下流側) から撮るのがよい。
ところが、『蔵前橋』 の下流側は専用橋の影響で遠景が望めないのだ。
何とも無粋な 「専用橋」 の存在である。

【横綱と横網】
橋の東詰(左岸側) は 「墨田区横網」 で、「両国国技館」 や 「旧安田庭園」 などがある。
『両国橋』 の項でも書いたが、この地名は 「横綱(よこずな)」 ではなく 「横網(よこあみ)」。
相撲と結び付けて、ついつい 「横綱」 と読んでしまうほど紛らわしい。
皆さんもお間違いのないよう・・・


小さいがうまくまとめられた親柱

親柱に組み込まれた屋形船のパネル

黄色に統一された欄干にもパネルが

シンプルなタイル張りの歩道

小さ目の橋上バルコニー

バルコニーのパネルには力士の絵柄

国技館をイメージしたような橋灯

中央径間部分のアーチ

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