采 女 橋
(うねめ ばし)

 全長 : 42.0 m  全幅 : 15.0 m  構造 : 鉄筋コンクリート アーチ橋  改修 : 昭和 5年 (1930)
 区間 : 中央区 銀座 5・6丁目 <==> 中央区 築地 4丁目  (みゆき通り)


『釆女橋』 (鉄筋コンクリート製アーチ橋)

橋の遠景 (見る機会は少ない)
 
【采女橋】
『釆女橋(うねめ ばし)』 は、銀座5丁目と6丁目の境を走る 「みゆき通り」 が、 築地4丁目との間で 「首都高速道路」 を渡る橋である。
橋の創架時期は定かではないが、江戸時代からの古い橋であるらしい。
少々変わった橋名であるが、この名称は江戸時代にこの辺りに屋敷を構えていた、
紀伊徳川家筋の旗本 松平采女正 に由来するという。
なお、『釆女橋』 は別名 『二之橋』 とか 『矢の橋』 とも呼ばれていたらしい。

【采女が原】
松平采女正 の屋敷は享保 9年(1724) の大火で焼失するが、
その跡地はその後 「火除地」 (防火用緑地帯) として残り、俗に 「采女が原」 と呼ばれていた。
明治に入るとこの 「火除地」 は市街化されて 「采女町」 と呼ばれるようになる。
この一帯は 「銀座煉瓦街」 と 「築地外国人居留地」 との間で
和洋折衷の新興市街地が形成されていった。

【現在の采女橋】
現在の 『釆女橋』 は、昭和 5年(1930) に関東大震災の復興橋梁として架設されたもので、
2スパンの鉄筋コンクリート製アーチ橋となっている。
ここで紹介している 「首都高速に架かる橋」 の中では数少ないアーチ橋である。
架設当時は下を 「築地川」 が流れており、意匠的に優れたアーチ橋を
ゆっくりと眺める機会もあったと思われるが、
現在のように高速道路の橋となり、周辺の防護柵も高くなってしまうと
アーチ橋の雰囲気を楽しむこともままならない。

【築地ホテル館】
平成 3年(1991) には、中央区によって大規模な改修工事が行われ、
橋だけでなく、西詰の 「釆女橋公園」 も整備された。
特に、転落防止柵を兼ねた欄干は、
幻のホテルといわれた 「築地ホテル館」 や 「銀座の柳」 をモチーフにデザインされたという。
なお、「築地ホテル館」 は明治元年(1868) に近代的洋式ホテル第一号として誕生したが、
明治 5年の大火で焼失したため、その後 「幻のホテル」 と呼ばれた。

【新橋演舞場】
橋の銀座側、「釆女橋公園」 の隣にある大きな建物は 「新橋演舞場」 である。
「新橋演舞場」 は、大正14年(1925) に新橋芸者衆のための演舞場として開場したもので、
その年の 4月に京都祇園の 「都おどり」 に対抗して演じられた 「東おどり」 が、
その柿落し(こけらおとし=初舞台) であったという。
現在は 「歌舞伎」 や 「松竹新喜劇」 なども興行されている。
今の建物は、昭和57年(1982) に建て替えられた16階建てのビルで
演舞場部分以外は賃貸ビルになっており、現在は隣接する日産自動車が入居している。

【日 産】
その 「日産自動車」 の本社は 「新橋演舞場」 の西隣、
「銀中通り」 と 「木挽町通り」 の間にある。
日本を代表する自動車メーカーとして、トヨタと共に2強といわれた日産自動車も、
最近では販売台数でホンダに抜かれるなど、業績は低迷している。
日産車ユーザーの私としては、何とか頑張ってもらって
いい車を開発してほしいと願っているが・・・

【料 亭】
『釆女橋』 近辺には、銀座側・築地側を問わず高級料亭が多い。
「新喜楽」、「吉兆」、「金田中」 などの高級料亭が、
一時期は政治の裏舞台として利用され、「料亭政治」 と揶揄(やゆ) された。
しかし、最近ではマスコミや世論の批判を受けたこともあって、
その利用頻度も少なくなっているようではある。
いずれにしても、われわれ庶民にはあまり縁のない場所なのだが・・・


橋灯を上に配した親柱

『釆女橋』 の橋名盤 (これで読めるかな〜?)

親柱上部の橋灯部分

デザインを統一した橋灯

転落防止柵兼用のアーチをデザインした欄干

右が 「築地ホテル館」、左が 「銀座の柳」

歩道スペースは狭い

歩車道分離柵にもデザインの統一性が・・・

西詰に整備された 「築地川 采女橋公園」

『采女橋』 の解説盤

「新橋演舞場」 の建物

「日産自動車 本社ビル」

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