心臓病が話題にされる時、そこには伝える側の意図が入る。
その意図に、世間のモノの見方が反映される。
病気を持つ側からみたら不思議に思うことも、そうでない人は気がつかない。
その気がつかない人が大多数を占めるので、病気を持つ側からちょっと考えてみる。

●ある事故報道

遊んでいたボールが直撃して亡くなった子どもの記事。

要約:グラウンドでボール遊びをしていた女児(5才)の胸に、軟式野球のボールが直撃した。女児は意識を失い、病院で亡くなった。別の人とキャッチボールをしていた男子中学生の投げたボールが横に逸れ、当たったらしい。女児は生まれつき心臓の弁に障害があり、数日後に手術を受ける予定だったという。 (2002.3.18.朝日朝刊13版社会面)

★この記事で心疾患を伝える必要があるのか?
幼い子どもに勢いのあるボールが当たれば、亡くなるような事故につながるはず。
たまたま数日後、プロアイスホッケーのパックが観戦中の少女に当たった死亡事故もアメリカで起きたが、その少女に持病があったとして、報道されたろうか。
そう考えると、なぜ心疾患があることに言及があるのか、不思議だ。
まして、手術予定というプライベートなことまで言う必要がどこにあるのだろう。
…これがきっかけで、心疾患を持つ子に外遊びは危険だ、ボール遊びのそばに行かせてはいけないなんて考える人がいたら、困るなあ。
そうでなくても、周りが危険に思うことから守ることが多々あるから、囲いが増えることになるので。

●ある裁判判決

ラジオのニュースが耳に入った。

要約:心疾患の子どもを出産し亡くしたのは、医師が死因を伝えなかったためと、
親が某市民病院を訴えた裁判(地裁)の判決で、賠償命令が出た。
以前に出産したひとりを亡くし、次の妊娠も胎児で亡くなり、3人目の今回も亡くなった。
遺伝性の心疾患があったため、知っていれば産まなかったという。(2002.2.25夜.NHKラジオ)

★遺伝性で3人?
そういう例もあるだろうし、知っていて伝えなかったら、医師が悪いと思う。
でも、きいていてもどうも状況がよく分からなかったが、
心臓病の子どもを亡くした両親の訴えという部分が強く印象に残る伝えかただった。
(新聞某県版にて2番目の胎児で亡くなった時に親が死因や染色体検査を依頼したが、
最初に亡くなった子と同じ疾患があったのに病院が伝えなかったとある。
この点は明らかに病院側の過失だが、ニュースはそこまで踏み込んだ報道ではなかった)
…しかし、この例から、心疾患って遺伝するものなんだと思われたら困るなあ。
遺伝しない、同じ人の子どもに何人も産まれないような心疾患の方が多いのだから。

★知っていれば産まなかった?
これ、病気の当事者からすれば、自分の命を否定されたような感覚に陥ります。
病気はあってはいけない、と言われているのですから。

報道自体は裁判の内容を伝えるもので、事実でしょうし、客観的であるわけですが、
何のフォローもなく報道されると、差別の感覚(この場合、心臓病はいてはいけない)を
支持しているとも感じ、傷つきます。
特に今回は、知っていれば…と言った側の訴えを認めた判決だったので、
その考えを支持されたことで、とても辛かった。

親御さんのやり場のない悲しみもわかります。
裁判というかたちでやり場のない気持ちを納めようとしたのでしょうし、
その方にとってはそうすることが必要だったのでしょう。
当事者同士か狭い範囲でことが治まればよかったのですが。

医師の責任が問われ、患者側の訴えが認められた判決が新鮮で、
そこがニュースだったのかもしれませんが、
真っ先に別の方向に思いが向いて、辛い思いをした人も、何人もいたのではないでしょうか。
ニュースを伝えるだけで、毒になることもあると思います。

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