2016/10/27 up  [もどる↑]
16年記
 これからは  実は地続き  続きを記す  揺れる足場

* これからは

このところの記事で、いくつか誤解をされているかもしれない。
状況をみながら自分の感覚で決断し引きうけること、
これ以上分析などして難しくするのはやめてほしい、など、
治療や研究を否定しているのではないかととられることもありそうだ。
そうではないのだが、感覚的な想いを説明するのは難しく、
想いは固定してはいないので、言葉で固定的にとらえると変質してしまう。
もう少し丁寧に伝えられるよう、模索中。

障害者に対する合理的配慮の考え方も、目を開かされることがある。
世の中が変わりゆく中、福祉や医療の制度へ対する人々の受け止め方も変わっている。
制度を作った時の元々の想いが、時代の変化で別の形に変わっていることもある。
その中で、どんな風にとらえたらいいか、ということも考えてみたい。
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* 実は地続き

障害者施設での殺害事件が起きた。
障害者は社会にとり不要な存在と言った犯人を、私は糾弾することができない。
なぜなら、自分が働いていないことを恥じ、短時間勤務だった時も人より一段下と感じたから。
私自身が社会の重荷ととらえているから、そう感じるわけだ。
障害のある側でこれだ、この身体の経験がない人なら、勘違いしてもおかしくないし、正すのは容易ではない。
だから、彼の一番の罪は、独断で大勢の命を奪ったことに尽きると私は思うし、
社会と折り合わない、という意味では、彼も障害者だと思っている(精神疾患の有無に関係なく)。
実のところ彼自身が、障害で社会の重荷となることを恐れていたのではないか。

私も障害者ではあるけれど、施設で暮らさなければならない人たちのことには無知だと痛感した。
施設に集められた人たちを見続ければ、障害観も違ってくるかもしれない。
ただ、彼が行動する前に、彼の考え方を知った人が本気で諫めなかったのか。
差別思想だから、ではなく、その人自身の言葉で、彼に伝わるように。
そのことの方が私には気がかりだ。
ささいに思えることが、実は大事かもしれないから。
そして、そう書く私も、できないかも、と思う。
これではダメだ。自分を練っていないと。勇気を出していかないと。
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* 上記の続き

事件に直接の関わりがない方が、障害者に対してひどいことを、と感じたならば、
なぜ、障害のある人を特別とみているのか、考えてみてほしい。
覚めた視点を持つと、見える世界が異なる。

たくさんの人が犠牲になったのは、集められ暮らしていたから。
それは必要なことかもしれないが、主に効率よく対処するためではないか。
そのために大きな事件になったなら、その罪はどこにあるのか、
できること、しなければならないことは、何だろうか。

電車や店内で騒ぐ子どもがいる場に、それを嫌う人がいても、たいては、やり過ごして終わりだろう。
同じ人が保育園など、たくさんの子どもが一斉に泣き出すような場にいれば、憎悪を抱くものではないだろうか。
騒ぐ子どもを嫌う人は保育園に勤めることが難しいはず。
なぜ彼が職員になったか解明してほしいし、ミスマッチが起きないよう検討してほしい。

人の手を借りなければならない人の立場は、想像以上に厳しいことがわかる。
困っている時は、相手がどんな人であっても、関わらなければならないのだ。
介助がなければ日常がままならない障害があれば、生きていくために。
信頼できる、信頼するという以前に、頼らねばならないことも あるはず。
そう思う時、その人たちに敬意が生まれてくる。
彼らは能力が低い、できない人ではなく、私にはできないことをしている人。
スポーツや頭のよさで能力が高くて敵わない人と同じく、かなわない。
だから、時別な存在。だから、嫉妬の対象でもある。
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* 揺れる足場

東北の震災で亡くなった障害者の割合は、全住民の割合より2倍高いという。
障害のある人への差別も関わってその結果になったのではないかとの意見がある。
けれど、疑問を感じ、あれこれ考えるうちに気づいた。
前提が違うのだ。
生きていることが当然なら、亡くなる人が多ければ変と感じるだろう。
生きていることが得難いことだったなら…。

同じような疾患の人は生き続けることが難しかった、私の子ども時代。
生きてここに留まれることは、得難いという感覚がある。
自分が手のかかる存在と気づき、それを嫌っていた小中学生の頃、
避難時に、皆が先へ行ってしまっても、極限の状態であったなら、
他人を巻き添えにせずによかったと思ったのではないか?

力を尽くさなければ生き延びられない状況になったとき、
共倒れになりそうなら、力ある人に先を託すというゆきかたもあるだろう。
生きる基盤が弱い者が障害者、その能力差をどうとらえるのか。

波に揺れる船上と、しっかりとした大地との違いのように、 命の揺らぎを感じる者と感じない者との感覚の差の違いが表れたのだ。
足元が揺れている状態で、これをしてほしい、あれは許せない、と言うことは難しい。
誰もが実のところ揺れる足場にいると感じる私は、きっぱりと訴える力を持ちにくい。
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