七尾線・七尾駅
 (2001年5月23日一部加筆修正)
(参考図書)「七尾市ものしりガイド・観光100問百答」、「七尾市史」(七尾市史編纂専門委員会)
「七尾の歴史と文化」(七尾市)、史跡碑文など

 明治25年鉄道敷設法が公布され、26年から7ヶ年計画で北陸線敷設が計画されることになったので、七尾〜津幡間に私設の鉄道を建設しようという議論が起こった。はじめ、資本金70万円でもって株式会社を組織し、加越鉄道株式会社と称したが、明治
28(1895)12月同社を七尾鉄道株式会社と改組して工事を起こし、同314月24日、七尾(駅は現在の本府中町)と津幡(今の本津幡駅)間(51.1km)を開通、営業を始めた(北陸線(金沢−小松間)はその23日前に開通)。

 しかし、官線の北陸本線の津幡駅までは、徒歩連絡という不便なものでしたので、同
33年8月までに、官線(現在の北陸本線)津幡町までの延長工事(2.9km)を終えて本線に連絡した。

 七尾線の建設は、当時シベリア鉄道が東進し、浦塩(ウラジオストック)へ達すれば欧州亜細亜の連絡が極めて便利になるから、日本海貿易も盛んとなり、七尾港も繁栄するであろうし、同時に奥能登地方の開発と発展にも重要な役割を演ずるであろうとの見通しからであったと言われている。そのうえ開駅当時は、貨物取扱いのみの駅でした。

 七尾鉄道株式会社は明治34年資本金40万円を増加し、七尾港から水運貨物及び奥能登の乗客を直接便乗させることにして、その利便を計った。すなわち、矢田新埠頭まで線路(貨物専用線路1.2km)を延ばし、同
3711月に矢田新駅(大正6年七尾港駅と改称)を開設し、海と陸の輸送を直結して県都金沢までの乗り入れが可能となった。明治38年からは全列車金沢への直通運転を開始しました。

 明治40(1907)9月「七尾鉄道」は国に移管され、線名も「官設七尾支線」となった。七尾和倉間の路線延長工事は大正13年に起工。大正14年(1925)に和倉駅(現・和倉温泉駅)開業とともに、本府中町にあった駅庁舎を現住所に移し、同1412月の開通式とともに新しい七尾駅として開業。

 矢田新にあった旧七尾港駅(旧七尾駅)は、その後、昭和4年12月七尾線が能登中島駅まで延伸され水陸連絡の必要がなくなるまでの間、文字通り能登の玄関口としての役割を果たし、そしてその後も当地域の貨物輸送の拠点として日夜賑わっていました。(しかし近年の貨物輸送の変化に伴い、ついに昭和59年1月その使命も消え「86年」の長い歴史に幕を閉じました。)

 昭和10年5月、七尾・輪島間の鉄道が完成した。名称を七尾線にするか輪島線にするかをめぐり陳情合戦が展開されたが、結局7月には七尾線に決定された。昭和
3210月、現在の駅舎が改築落成した。現在の七尾駅の写真は一番左。現在七尾駅は、のと鉄道の乗り換え駅となっている。
 戦後の七尾線は、昭和34年、35年に計63両の気動車が導入されて完全に気動車化が完了した。その一方で、蒸気機関車が次々と廃車され、昭和49年を最後に七尾線のSLは完全に姿を消す。

 沿線住民は、能登全域の交通近代化の為、輪島までの複線電化を求めて昭和42年に七尾線強化促進同盟会を発足。その運動の結果、和倉以北を能登鉄道が引き継ぐことで、平成3年の和倉温泉駅までの単線電化が可能となったのである。実に、構想から 24年の歳月を経て、七尾線は大阪、名古屋と直接結ばれる新時代を迎え、住民の利便と観光客の誘致が大きく進んだ。


 なお、真ん中の小型軽量テンダー式蒸気機関車のC56は、昭和48年まで、七尾線を走っていた。C56はポニーという愛称で呼ばれていた。昭和12年に初めて七尾線を走り、全製造165両のうち22両が七尾線に配属されている。
(なお七尾機関区から泰緬鉄道に送られ、タイ-ビルマ間を走っていたC5631は、現在、また日本に戻され、現在靖国神社に奉納されています)

 特に平成10年5月3日、七尾線開業100周年を記念して動輪とナンバープレートだけが設置保存されることとなったC56-123は(右写真)、昭和16年から32年間の長きにわたり能登の大動脈を支える足として活躍するとともに、映画「父ちゃんのポーが聞こえる」に出演するなど大馴染みの深いSLといえる。

昭和48年の廃車後は、御祓児童公園、そして平成3年に希望の丘公園に移して展示され、多くの子供達に可愛がられてきた。
 七尾鉄道発祥の地の石碑(右写真)が置かれているところにある説明文には、
平成10年4月24日「七尾線開業100周年」にあたり、この矢田新駅の歴史的事業を「七尾市」はじめ 「日本鉄道OB会七尾支部の皆さん」及び「同宇野気、横山、高松地区の皆さん」、「七尾線にゆかり のあるJR西日本の社員の皆さん」並びに「七尾線沿線のJR関係会社の皆さん」等多くの方々のご協力 を得まして、ここに「七尾鉄道発祥の地」として記します。
なお、明治31年七尾線の開業当時の「七尾駅」は現在の本府中町にあり、現在地には大正14年12月、 和倉駅まで延伸された時に移転し、その後昭和33年に改築されて現在に至ってます。

  平成10年4月24日
   七尾線開業100周年実行委員会、日本鉄道OB会七尾支部、 JR西日本七尾鉄道部

 と書かれています。