奈良新聞義援金問題


1.奈良新聞の歴史と現状

 奈良新聞は1946年10月に奈良日々新聞から10人の人が独立して前身の「大和タイムス」が設立された。敗戦後1年の混乱期と開放感の中で権力の言いなりにならない、言論の自由をどう確立していくかという高い志を持って創刊された新聞だった。

 初期に天理教の援助があり筆頭株主は天理教だった。当初から4ページというスタイルがかなり長く続いた。75年6月に奈良新聞に社名変更した。資本金1億6千万。社員は170名、公称12万部、奈良県内では唯一の日本新聞協会加盟の地方紙である。

 奈良新聞コラム「國原譜」(98.9.3付奈良新聞)によると「ことし7月に創刊50周年を迎えた『沖縄タイ ムス』など、敗戦後の民主主義と言論の自由を求める時代背景のなかで、ハイ カラな紙名を冠した地方新聞が各地で誕生した。▼本紙は『ロンドンタイムス』 に範を求めたと先輩から聞いたことがあったが、各紙とも地域に新しい息吹を 伝えようと報道・文化活動を通じて地元に根付いてきた。中央から発する大号令のようなニュースではなく『町から村から』の声を細かく拾う精神を貫いてき た」

 吉野郡大淀町の薬局経営の広芝氏が30年前オーナーとなったがワンマン経営者で経営も自分の私的な財政と丼勘定の前近代的な経営であった。賃金と労使関係でも「うちは研修機関でやがて全員全国紙に行く。だから給料はただでもいい。」と放言するような状態で部数もかなり減り給料が出ないで奈良県年鑑の代物給というときもあった。新人は1年間販売店で研修として働かせてから採用するということさえやっていた。飢餓的な賃金でみんな30歳前に辞めていく状況だった。

 平成5年にクーデターが起こり広芝氏と関係の5人の役員が解任されたが、他の役員はそれまでワンマン広芝氏に頼り切っていて経営状況も株式状況もわからない。経営危機で増資したらいいと思っても配分に応じてしかできないのに株式の状況がわからずできない。つぶれる寸前までいく。

 そこへ西島 謹二氏が広芝氏から3倍の価格で株を買い取って乗り込んでくる。そして初めて近代的経営を持ち込む。約2年で部数を元に戻し黒字経営に転換し、やがて1万部弱増加の時もあるようになった。

 甘利現代表取締役が言うが「つぶれるところだった。今も西島さんを恨みになど思っていない。5年間やってこれた恩義がある。」役員はオーナーのワンマン経営に頼ることに慣れていて個人会社の運営がされていた。債務保証だって残った役員が引き継ごうとせず辞めた西島氏に頼っていてやろうという気がなかった。このような現状の中でそれのせいで今度の事件が起きた。

 現在の奈良新聞は、かなり小さい県紙だ。でもとても質の高いことでは有名である。また行政に対しての姿勢も毅然と発言と批判をしており、天理土地疑惑など特ダネも数多い。経営がきちんとしていれば伸びる可能性は高い。

2.震災義援金問題の発生

 

  月日  内容
95年 1月17日 阪神淡路大震災が発生した。
 未曾有の被害の中多くの義援金が集められた。奈良県内でもいくつかの団体が集めた。
1月18日  奈良新聞が義援金募集の社告を掲載。
1月23日
 受付担当者がこの日までの義援金800万円を日赤県支部へ。
1月24日  前日の寄贈について西島 会長(当時)が「大きな金額の行き先を実務担当者が決めたのは問題」として引き上げを指示。
1月25日  担当者が日赤県支部に出向き、義援金の引き上げを交渉するが不可。渡辺前社長が寄贈した形に領収書を差し替える。(23日以降の義援金を加えたので領収書は1000万円。)
1月29日  「奈良のあたたかさ送る運動」の社告を掲載。物品を送ろうという運動である。
同 30日  上記社告を再度掲載。
2月24日  FAXメーカーの奈良地域販売会社(以下「FAXメーカー販売会社」と略す)が「御見積書」を奈良新聞厚生文化事業団あてに発行。
2月27日  FAXメーカー販売会社が「請求書」を奈良新聞厚生文化事業団へ⇒FAX100台+消費税=3880万4220円。
2月28日  義援金を物資に変えて被災地に届けることを西島前会長もしくは渡辺前社長が改革委員会で報告承認。
同日  西島 謹二氏の友人の経営する船場センイ卸売センターが大阪市内のディスカウント店から靴下 1万足、羽毛布団 300枚を購入。
3月1日  義援金口座からFAX請求金額3880万4220円を引き出した。FAXメーカー販売会社のFAX仕入額は1133万であり差額2747万4220円はリベートになった。その内1780万220円を西島謹二氏経営の奈良新聞エージェンシーの口座へ⇒5月には社員給与など同社の経費として使われ、残金967万4000円はメーカー販売会社への西島氏側の他の未払い金と相殺された。これをFAXルートと名付けておく。
3月2日  船場センイ卸売センターが大阪市内のディスカウント店からカセットコンロ 160台購入。2月28日の羽毛布団 300枚とで計311万2000円。他に大手総合卸売問屋より靴下 6万足 600万円。西島氏経営のケーエルビー(株)より大学ノート 6千冊、整理ファイル 2万2千冊で 303万円を購入仕入れ合計額1214万2000円。ところが販売は2119万8000円で差額の905万6000円は西島氏側のリベートとなった。これをセンイルートと名付ける。
3月4日  義援金で購入した物資を兵庫県へ渡す。
10月5日  9月末までの義援金は合計9419万0506円で物品購入分6000万2220円を差し引いた義援金残額3418万8286円を日赤奈良県支部へ預託。
95年中  義援金の内かなり大きな額がリベートになったという噂が社内に流れ、社内外に怪文書が飛び交った。奈良新聞労働組合は、交渉の場で何回か確認したが、社として否定されそれ以上調べようがなかった。

 実際にリベートはFAXルート 2747万4220円、センイルート 905万6000円で合計3653万0220円でこれを取るために間に必要もない関係会社を入れて物資に変えたのではという疑いが強い。普通は義援金はお金のまま渡すもので現にわざわざ物資に変えたのは全国でも奈良新聞だけである。
96年中  奈良県警がこの義援金問題について内偵中との噂が強く出る。
96年 5月30日  西島 謹二会長(当時)が奈良新聞文化厚生事業団に現金3000万を寄付。事業団は義援金の残額約290万と合わせて日赤兵庫県支部へ預託。これを一般的な寄付だとしている。しかし後日に社の調査委員会はこれで返還したものとしている。
 西島氏の所有してきた3万株を自らの関連会社へ売却。実質的な影響力は変わらない。個人名義は1246株。
ケーエルビー株式会社 代表取締役は西島 謹二氏。昭和50年に設立。事務機器・情報機器・通信機器・消耗品の販売やリースのほか不動産の売買、損害保険の代理業などを業とする株式会社。平成7年2月末現在の発行株式は10万株で全て西島氏が保有している。奈良新聞との資本的関係はない。所在地 奈良市杉ヶ町。
株式会社奈良新聞エージェンシー 代表取締役は西島謹二氏。昭和63年にケーエルビープランニングとして設立。平成6年、現在の社名に変更。但し、名前に関わらず奈良新聞との資本的関係はない。広告・宣伝に関する印刷物全般の企画・制作のほか、事務機器・通信情報機器・消耗品などの販売、リースなどを業とする株式会社。平成7年2月末現在の発行株式は600株(額面5万円)で、ケーエルビー200株、関西土地建物200株、西島氏194株、その他の6人が1株ずつ所有している。所在地 奈良市杉ヶ町。
FAXメーカーの奈良地域販売会社 西島謹二氏と某FAXメーカーとの合弁会社。昭和61年設立。事務用FAXや関連オフィスオートメーション機器の販売、工事などを業とする株式会社。平成7年2月末現在の発行株式は200株(額面5万円)で、西島氏146株、FAXメーカー38株など。奈良新聞との資本的関係はない。平成7年5月、FAXメーカーとの合弁解消に伴い、商号を奈良国際ホテルに変更、本店所在地も奈良市大宮町に移した。
 こういうことが起きる前、オーナーが西島さんに変わってしばらくした頃に「西島さんてどんな人なの」と奈良新聞の人に聞いたことがある。私は関西土地建物という不動産会社とJR奈良駅前の奈良国際ホテルのオーナーで、ケーエルビーのオーナー社長だと知っていたくらい。ケーエルビーはコピー機の売り込みでトップに取り入る形でのうまい商売をしていると他から聞いていた。

 そうすると割と文章に興味を持っていて何かの関係の記事で文案を持っていくと真っ赤に訂正が入っていたそうだ。

 「へぇー、そうすると経験が無く初めて新聞社のオーナーになったにしても割とふさわしい人なのかもわからないね」と言って相手もそうだねと同意した。

 しかしそれからしばらくしてこれもある人に聞いたのだが、奈良県警が役員に西島は地上げなどで手腕のある人でかなり噂のある人だが、あの人でいいのかと来たそうだ。そして今回の事件が起こり阪神・淡路大震災の義援金から3653万0220円のリベートを稼ぎ取るという人道に反したことをやって、しかも問題になった今も653万0220円を返済していない。悪かったと反省もなく認めてもいない。まあこうなると市民の会幹事が言ってたが、「変なやつに奈良新聞が乗っ取られていた」と言うことになるが、始めは新聞人としてふさわしい道を歩む時があったのにどこかで転落してしまったという感じがしている。そんなのみんなそうじゃないかと言われそうだが。

 
3.98年2月3日 義援金問題の表面化

@98年2月3日毎日新聞に掲載。

 奈良新聞義援金問題が98年2月3日毎日新聞に載って社会的に明らかにされた。

 95年に噂が飛び交った時奈良新聞労組の人はまさかと思う気持ちが強かったそうだ。そして98年これが載ると事前には知ったとき、本当だったのかということと、どうか載らないでほしいと思わず祈ったそうだ。正直な気持ち本当に困ったそうである。もちろん動転して出たことで誤解の無いように。隠そうなどという気持ちではない。


4.表面化後の動き

月日 関係者別 内容 コメント
2月3日  村上取締総務局長が記者会見「厚生文化事業団としては会計処理をきちんとしており『不明朗な処理』はなかった」と社のコメントを読み上げる。
 西島 謹二氏は別に記者会見を開き、一連の金の流れを認めた上で「ビジネスマンとして何らやましいことはない」と義援金を元手にした商取引を正当化。
 更新日の現在までこの西島氏からの見解は訂正されていない。訂正されればこのホームページでも大きく取り上げたい。
同日 労組   報道の事実関係と今後の対応を求める団交開催を要求。「善意の義援金が商取引に使われたことは遺憾。」などとする声明を発表。組合集会で「事実なら義援金を寄せた県民読者への背信行為。責任の所在と徹底解明を求めていく」と決議。
2月4日  奈良新聞厚生事業団名で「県民の皆様へ」とする社告を掲載。事実解明のないまま、「ファックスなどを市価より安く購入し被災地に届けた。厚生文化事業団の会計処理に不明朗な点はありません。」などとした。
2月5日 労組  団交開催を再度要求する。深夜から翌日未明にかけて実現。社員70人が「義援金を元手にした商取引」について役員を追求。西島氏は「新聞人としての意識に欠けた。全責任は私にある。」、渡辺氏は「物資の購入を西島氏に依頼した私に責任がある」。ほかの役員は「新聞人として会長を補佐できなかった私たちにも責任はある。」などといずれも責任を認め、目に見える形で示すとした。  西島氏は責任は団交の席で認めたようだが、会長辞任は形だけでその後も目に見える形では取っていない。また奈良新聞社は社として責任を取っていない。
2月6日  毎日新聞が朝刊で続報。奈良新聞厚生文化事業団が義援金を使って西島氏の知人が設立した会社から靴下などを購入。この会社が900万円以上の利益を上げていたと報じた。
同日  奈良新聞会長 西島 謹二の辞任、代表取締役社長渡辺 忠夫が辞任但し渡辺は平取締役としては残る。甘利専務の常務降格。鶴井・矢ヶ井両専務の取締役への降格を決める。 しかし西島氏は関連会社が多数の株式を持ちこの後も南都銀行からの融資の債務保証を西島氏が続けるなど影響力は何ら変わらない。
2月7日  役員人事について紙面で報道。「県民の皆様におわび」とする社告を掲載。
同日 労組  厳正な調査体制の確立と、信頼回復に向け取り組む決意を示す声明を発表する。
2月13日 労組  調査委員会の組合案を社に提出。
2月17日 労組  調査委員会についての団交を開催。「第三者の弁護士をメンバーに入れる」などとする組合案のほとんどを、社は拒否する。
2月18日  日本新聞協会が理事会で義援金問題について対応を協議。「奈良新聞から説明を聞いた上で、納得できる説明が得られなければ処分する」と決定。
2月19日 労組  緊急集会を開催。西島氏のオーナー体制の改革、取締役の総退陣、義援金問題の真相解明を求める奈良新聞労組声明を決議、発表する。
2月20日  日本新聞協会が、「新聞界全体への信頼と信用を失墜させ、新聞倫理の効用をうたった協会の目的に反する行為をした」として奈良新聞社を除名。
同 日 労組関連  日本新聞労連は、「事件の責任はオーナーら役員にある。処分は社員の再生への希望を摘むもの」などとして新聞協会に除名撤回を要請。
同日  第三者の弁護士を委員長とする調査委員会を設置。渡辺氏は記者会見で「除名処分は会社の存亡に関わる。今、調査中で、正すべきは正し、再起して頑張ろうとしているところ。調査結果が出るまで判断を待ってほしかった。私は判断ミスを犯したが、社員は関係ない」などと発言する。
同日 労組  義援金問題の「厳正な調査」「取締役の総退陣」「西島氏の経営からの完全撤退と所有する株式の組合への無償譲渡」を求める要求書を会社へ提出する。
2月21日  「真摯に受け止め反省する」とのおわびの社告を掲載。
2月26日 労組  JR奈良駅前で昼にビラまきを開始、西島氏の経営からの完全撤退と取締役の総退陣などを求める署名運動も開始する。
3月2日  管理職ユニオンが結成される。真相の解明と責任追及、社の民主的な再建を目指している。
3月6日 労組  臨時大会を開催する。真相の徹底解明や、西島氏が所有する株式の譲渡、経営陣の責任追及などを改めて決議する。
3月8日 労組他  全社員対象に西島オーナーの撤退署名。労組、管理職ユニオン、その他の90%が署名する。
3月10日  調査委員会の調査結果を発表。
 西島氏の関連会社がFAXの販売手数料として、2747万4220円の利益を得ていたことが判明。報告書は、西島氏が利益の発生を知りながらFAXの購入交渉に当たったと認定。その原資が義援金であったことは「社会通念上、また新聞人の倫理という観点から厳しい批判を免れない。」と指摘。取引が西島氏の関連会社をよって行われた点について「きわめて妥当性を欠くもの」と批判した。また西島氏の知人が設立した会社が、義援金による物資購入で905万6000円の利益を得ていたことが新たに判明。(センイルート)報告書はこれについても「西島氏が何らかの形で関与した可能性が否定できない」とした。
 また奈良新聞社が義援金を物資に換えることの意味について、原則的な議論を行わず、物資の購入先と業者選定でも「公正を担保するための手順」が踏まれていなかったと指摘。「会社の意志決定過程におけるチェック機能が健全に機能していなかった」と改善を強く要望した。

 甘利代表取締役が記者会見して調査結果への見解を表明。リベートの事実と西島氏道義的個人責任、奈良新聞社の責任は不問という内容。更新日現在まで変更していない。
「道義的に許されない行為」、「新聞人としての良心から利益相当額以上を寄付した」、「結果的に当時の役員の判断、認識の甘さが問われました」などと、調査結果への見解を表明。(社としての責任を回避するような表明。)
「奈良新聞社の抜本的な改革を図ってまいります。」、「6月の株主総会で、経営陣の刷新を図り、清新な体制をつくります。」 と抽象的な処理表明。
 西島氏の関連会社が得た利益分の被災地への返還に関しては「西島氏が震災500日目に寄付した3000万円は利益の返還と理解している」などと述べた。
同日 労組  声明「調査報告によると西島氏は義援金を物資に変える課程で利益を得ようとした可能性が極めて高いことが明らかになった。しかし社は会長辞任という社内処分だけで責任追及の手をゆるめ西島氏を擁護。経営陣の進退もあいまいにしている。組合は西島氏の経営への影響力を完全に排除するまで闘い、経営陣の責任を追及し続ける」などを発表。
3月11日  社告「ご報告とおわび」と共に調査委員会の調査結果を掲載表する。
3月19日 労組  新聞労連近畿地連と共にJR奈良駅前で抗議集会を開催するとともに市内をデモ行進した。
同日  管理職ユニオンの団交要求に、奈良新聞社は“西島氏を刑事告訴も返還訴訟もしない、このようなことを求める団交要求に応じていられない”と回答した。
3月23日 市民  奈良県自治研センターが奈良市内で「奈良新聞の現場からの声を聞く会」を開催。奈良新聞管理職ユニオン、奈良新聞労組のメンバーらが報告。
3月30日 市民  「抗議並びに質問書」を 「奈良情報公開をすすめる会」、「王寺町議会を傍聴する会」、「週刊金曜日奈良読者会」名で提出。抗議文は「奈良新聞社はその責任の取り方も不明確であり、また読者・県民への説明責任を果たしているとはとうてい言えません。現在の状況についても私たちなら新聞の読者は他紙によって情報を得ている有り様です。」とした。
4月  定期人事異動で渡辺 忠夫元社長は編集局長に就任。内外のひんしゅくを買う。
4月20日  3団体の公開質問状に回答。
4月25日 市民・組合  「奈良新聞社義援金問題と地方ジャーナリズムを考える集い」を奈良県文化会館小ホールで開催。150名が来会。 こんなにも多くの人が奈良新聞のことを考えているのだと少し感動する。
5月29日 労組  社の抜本的改革に向けて、経営陣の刷新、西島氏の謝罪、義援金で得た利益の早期返還、社員持株制度の確立、記事・広告審査制度の確立、読者懇話会の定期開催などを実現するよう、社に要求書を提出。
6月2日 労組  西島氏の経営からの完全撤退と役員の総退陣などを求めた8001人分の署名を社に提出した。
6月8日  決算取締役会を開催。人事内定報告と改革案の発表。渡辺 忠夫編集局長元代表取締役退任や新たに電通OBと幹部社員4人が取締役に就任内定。改革案として倫理委員会の設置、記事審議委員会の再開、読者モニター制度の新設、社内研修制度の充実、西島 謹二氏個人が所有する株1246株の有償譲渡-新取締役で購入、但し、報告書で明らかになった船場センイ卸売センターが得た利益金については適切なアドバイスの意向。(?という最後は訳の分からない内容。)
同日 労組  「社の改革案は組合の主張をある程度受け入れ、一定の方向性を示した。これらの改革案誠実に実行されるよう今後も監視を続ける」などとする声明を発表。
6月25日 市民  "奈良新聞社が発表した改善策は不十分"とする意見書「奈良新聞社改革案に対する私たちの意見」を 奈良情報公開をすすめる会、王寺町議会を傍聴する会、週刊金曜日奈良読者会名で提出。"役員全体が辞任すべき。倫理委員会の選び方がはっきりせず効果は期待できない。西島氏の株は社員に譲渡すべき。"などの内容。  この債務保証をここまで西島氏がしてきたことは極めて異様であった。やっと影響力が少しは減ることになる。
6月26日  定期株主総会を開催。発表通り渡辺 忠夫元社長は取締役を辞任。やっと銀行融資の債務保証は今後現取締役で行うと発表。当時の役員で残っている甘利 治夫ほか3人は経営再建ができしだい退任するとのこと。
 しかし新役員にも西島氏に近い人がいるのではと心配している。
6月27日 市民・労組  弁護士、市民、組合などでつくる「奈良新聞を考える市民の会(仮称)準備会」が「奈良新聞110番」を開催。
(奈良新聞現場から) 小さな会社なのでトイレ掃除は順番でしている。当時の渡辺社長も順番の中に入っていてとても熱心にやっていた。私たちはナベさんナベさんと呼んでいてとても家族的な雰囲気だった。それがこんなことになって渡辺社長を相手に交渉して社長を辞めた。そして編集局長になった後も既に自分の運命を知っていたのか掃除ばかりしていた。

5.市民と共に生きる新聞を探る

これから以降の動きの詳細は奈良新聞問題日誌を参照して下さい。ここからはポイントに絞ります。

○ 98年7月20日(月祝) 「奈良新聞を考える市民の会」結成集会を奈良県文化会館会議室で開催(趣旨、規約)。32名来会。市民運動と奈良新聞労組と新聞労連近畿地連で幹事を出す。代表幹事 高野嘉雄(弁護士)、田畑和博(奈良情報公開をすすめる会代表幹事)
吉田智也(奈良県地方自治研究センター事務局長)
 事後の幹事会で奈良新聞が経営が苦しいことが報告される。

○ 98年7月27日(月) 午前11時半 奈良新聞を考える市民の会として奈良新聞社へ「奈良新聞再生のための意見書」を提出する。しかし門前払い。


○ 98年8月7日(金) 奈良新聞を考える市民の会で西島 謹二氏へ義援金問題についてけじめを付けるため、「要望書」を配達証明便で送付する。


○ 98年8月14日(金)  奈良新聞を考える市民の会の、奈良新聞社および西島謹二氏への要求の実現とその義援金問題のけじめを見極めた上で復帰させるように、新聞協会に「報告および要請書」を提出する。


○ 98年8月22日以後更新日現在でも残る問題としては次の通り。
 西島氏は、
●西島氏の影響力がまだかなり残っている。
●西島氏の関連会社が多数の株を持っている。
●当時の西島氏に近い役員が代表取締役を含めて3人残っている。
●西島氏はいまだに責任を認めていない。
●3000万は返還でなく寄付だとしている。はっきり利益の返還とすべきである。
●リベートとなった義援金の内653万0220円が返されていない。

 奈良新聞社に関しては、
●会社としての責任を認めるべきである。
●西島氏に653万0220円社として返還を要求し返されない場合は奈良新聞社が返すべきである。
●西島氏が退いても社内体制がそのままでは第二の西島氏が出てくるだけである。社員株主制度で監視制度を作ること。
●新聞協会復帰ははっきりけじめを付けてからしてほしい。
●紙面を市民に公開する制度を作るべきである。
●市民と共に歩むようにぜひ市民の会と協力して再建していこう。市民と連帯してほしい。そうでないと新聞協会に復帰してもじり貧の可能性が高い。


◎新聞協会は10月7日の理事会で奈良新聞社の同協会への7日付での復帰を決める。奈良新聞労組声明


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